2007年9月12日 (水)

第32回 六全協前後

私と日文協の五十年 第32回 六全協前後

「されどわれらが日々」に強く感じられるのは東大生の観念的なエリート意識であり、気負いである。革命の理想に熱中し、わが身を犠牲にして、その先頭に立たずにはいられない。自分の本当の生き方を見つけるといって去って行く女子学生にもそれを感ずる。

 岡松氏が山村工作隊に参加したのも同様のエリート意識だったろう。だから革命運動の現実に幻滅したとき、運動から去ってひたすら個人的日常に固執し、個人的な愛と生活を重視することになった。

 中野重治の「豪傑」という詩が妙に心にのこっている。

>むかし豪傑というものがいた  彼は書物をよみ  嘘をつかず  みなりを気にせず  わざを磨くために飯を食わなかつた  後指をさされると腹を切つた  恥しい心が生じると腹を切つた  かいしやくは友達にして貰つた  彼は銭をためる代りに溜めなかつた  つらいという代りに敵を殺した  以下略

 中野は東大の学生時代、『驢馬』に「歌」という詩を書いた。社会主義者として詩人として出発した時代の強い覚悟を歌っている。

>お前は歌うな  お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな  風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな  すべてのひよわなもの  すべてのうそうそしたもの  すべての物憂げなものを撥き去れ  すべての風情を擯斥せよ  以下略

 不思議に思われるかもしれないが、日本共産党やナップの幹部には東大出身者が多い。彼らは自己を犠牲にして、ひたすら真理や美に忠実であろうとした。中野は高貴な精神を愛し、高貴な実践者として生きようとした。彼らはエリートであり、エリートであろうとした。そのため、自己の正しさに固執して理論闘争と分裂抗争をくりかえした。

 彼らはプロレタリアへの愛を歌い、プロレタリアのためにたたかおうとしたが、プロレタリアの現実を愛することはなかった。彼らはひたすら真理と革命のためにたたかい、「俗物」とか「俗情」とかはきびしく否定するところだった。

「街あるき」だったと思うが安吉が漱石は素町人だ、暗い男だ、卑怯な人間で、逃げて逃げて逃げまくったのだと、するどく言い放っていた。中野は森鴎外を「天晴れな敵」と呼び、深い敬意を表した。中野の家は農民だったが、素町人の卑怯をを軽蔑し、武士の精神を尊重した。戦争の時代、転向をしいられた時代、かれらは転向を恥辱として描き、苦悩を強調することで高貴な精神の自己証明につとめた。

 山村工作隊に身を投じた若い学生たちは自己の生活を犠牲にして、高貴なる革命の理想に生きようとしたのだったが、現実にうらぎられ、日本共産党にもソ連共産党にもうらぎられて、理想に殉ずる生き方の空虚さを思い知った。彼らは自分が犠牲にしてきた個人的な日常生活に立ち返り、そこから出発し直そうとした。

 私は戦争の時代にも、戦争を美化し、絶対化する時代の動向に適応することができず、さりとて戦争を否定する思想に生きることもできず、自己の生存の意味を信ずることができずに、空虚な心を抱いて敗戦の日本の現実に押し流されて生きた。

 戦後の日本にあっても、新しい革命の理想に酔うこともできず、明るい未来を信ずることもできなかった。中野と荒・平野の論争など、何か遠いところの論争のように思われた。私はただ、飢えた日本の民衆の現実を見ていた。彼らの生きるためのたたかいが日本の未来を開くと思い、戦後の民主主義革命の尻尾について歩いた。

 私は戦争末期から学校を休んでいた。1944年末から勤労動員にも参加せず、戦後になってもほとんど教室には出ないで寮でごろごろしていた。大学にも何の期待もなく、入学しても教室には出ないで、千葉県の八街に移り住んで地域活動に熱中していた。

 東大細胞の学生たちはいずれもエリートをめざしていたから、理論闘争を好み、革命の主導権を握ろうとして、党内闘争に明け暮れる傾向があった。東大細胞は何度か党指導部と対立し、細胞解散の処分にあったが、私には遠い世界の出来事だった。私の周囲にも山村工作隊に参加した人がいた。そして私も党員として間接的にそれに関与していたが、それを私自身の問題として切実に考えることはなかった。

 理想もなく、希望もなく、うつろな心で戦後の日本を生きる私だったが、しかし、やはり革命は私の夢だった。革命によって日本人民の未来は開かれると漠然と思って、共産党員になったのだが、共産党や新日本文学会の分裂などのはげしい内部闘争からは遠いところで、曖昧に過ごしていた。だから党の分裂を克服する六全協の決定を私は歓迎した。

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2007年5月29日 (火)

第31回 挫折からの出発

 一九五三年七月、三年に及んだ朝鮮戦争の休戦が成立した。これに先立って同年三月、ソ連のスターリンが死亡し、また、日本共産党の徳田球一も同年十月亡命先の中国で死亡した(当時は秘匿され一九五五年の六全協で公表された)。一九五五年一月、日本共産党は武装闘争との絶縁論文を発表し、同年七月の六全協でこれまでの極左冒険主義とセクト主義を批判し、民族解放,民主統一戦線のスローガンを打ち出した。ソ連でフルシチョフがスターリン批判をおこなったのは翌一九五六年二月だった。

 私は党中央の科学技術部(?)の周辺にいて、歴史や文学等の学術研究団体の連絡会議に出席していたが、研究活動の問題が主で、武装闘争方針にも新日本文学会の分裂にもそれほど影響を受けなかった。当時の激動をその外縁であいまいに生きていたということになる。私は党員だったが、党の内実は知らなかったし、党の指導部に対する絶対的忠誠とか信頼とかは意識していなかった。

 しかし、当時の学生はたいへんだったと思う。最近、『社会文学』に坂本育雄氏の「広津和郎研究」について短い書評を書いた。坂本氏は岡松氏和夫氏が学生時代に山村工作隊に参加したが、運動に失望して短い期間で離脱したと書いているのを、あまりに軽率に革命党を信じ、また、あまりにも軽薄にたたかいを放棄したと批判していた。坂本氏の批判は正当なのだろう。しかし、岡松氏より五歳年長で、すでに教師として、研究者として合法活動をつづけ、非合法の武装闘争を遠くに見ながらあいまいに生きていた私には、当時、学生としてまともに「革命運動」の混乱にまきこまれていった氏らに対する同情がある。

 年譜によれば、岡松氏は一九三一年に福岡市に生まれた。父ははやく亡くなり、母が派出看護婦として働いた。中学二年から勤労動員で飛行場や工場で働き、一九四五年六月の空襲で家が焼かれた。母は一九四六年死去した。一九四八年、四修で福岡高校(旧制)に入学したが、学制改革で一九四九年に東大教養部を受験したが失敗、一年浪人して一九五〇年文科二類入学した。はじめ三鷹寮にいたが、健康を害して学内の駒場寮に移った。
 この年六月朝鮮戦争が起り、学内でレッド・パージ反対闘争があった。岡松氏はこれらの事件を教養部の新入学生として経験し、翌一九五一年の秋、山村工作隊に参加したのだった。
 山村工作隊は日本の現実を無視して中国の経験を機械的に取り入れたもので、地元住民の援助を得られず、食べるものもない悲惨な運動だった。革命の理想と人間無視の悲惨な現実、翌年のメーデー事件のあと、岡松氏は運動を離れた。

 はやく父をうしない、空襲で家を焼かれ、中学二年で敗戦を迎えた。派出看護婦をして生活を支えた母も戦後間もなく、神経を病んで亡くなった。岡松氏は母の死の遠因を空襲で家を焼かれたことに求めている。
 まさに時代の激動に翻弄される少年時代だった。大学に入学して大きな社会に目を開かれた岡松氏が時代とたたかう共産党に心を動かされ、やがて山村工作隊に参加するほど一途に運動に没入していったのだった。しかし、個人に限りない犠牲を強いて、現実を変革する展望を欠いた苛酷な運動の中で岡松氏は個人に目覚め、運動を離れた。

 柴田翔の「されど我らが日々」はひたすら党を信じ、党の決定に間違いはないと党を絶対化していた若者たちが、党の方針転換で自らを見うしない、あるものは自殺し、あるものは生活に埋もれていく姿を描いている。
 柴田は一九三五年生まれで、一九五五年には二十歳、東大の学生だった。年譜にはこの時代のことはまったく書かれていないが、すくなくとも彼の周囲には山村工作隊に参加していった友人たちが多くいたのだろう。かれ自身がそういう動きにのめりこんでいったとは考えられないが、すくなくともそのような時代の雰囲気を生き、そのように一途に生きる若者たちに強い関心をもっていたのだと思う。
 ちなみに大江健三郎も柴田と同年で、方向転換以後の学生たちが陥った絶望的な雰囲気についてしばしば書いている。<われらの時代>と彼が言うとき、それはこのような時代のことなのだ。

 それはまた、やがて日文協の中心的担い手になる畑有三、西垣勤、小沢勝美らの諸君の学生時代でもあった。畑君などは東大支部の責任者と学生支部協議会の責任者をかねて、学生運動、政治運動にもかかわり、多忙な日々を過ごしていたようだ。
 若き日の畑君は礼儀正しく、まじめそのもので、優等生の典型のような青年だった。立ち居振る舞いがきちんとしていただけでなく、その思考方法もやや公式的だったように思う。
 ある時、一杯飲もうかと誘ったら、「お酒を飲んだら何かいいことありますか」と言われて驚いた。そのとき、彼は連絡の仕事などに追われて大変な生活をしているのだなと思った。

 六全協の衝撃といわれるが、岡松氏氏に見られるように、それ以前から運動の矛盾が露呈し、それが共産党の方向転換を生んだのではないだろうか。
 すくなくとも、私の場合、六全協以前から変化がおこっていたように思う。

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