第142号 2005年4月3日 【1】プロ野球と戦争
【1】プロ野球と戦争
【2】読者からのメール
【1】プロ野球と戦争
セントラルリーグも開幕し、プロ野球はいま花盛りだ。
このごろは直接見にゆくことはない。
子供たちが小さいころはよく行った。
昔、後楽園球場に阪神・巨人戦をときどき見に行った。
戦後の繁栄はプロ野球も阪神・巨人戦ともなれば満員の盛況だ。
それでも、行列すれば入場できた。
いまは、前売りでなければ観戦できないのだろう。
それが、私が最近見に行かない理由だ。
プロ野球は盛んになったが、私には不便になったわけだ。
東京ドームが出来るまでは、後楽園はいくらか土臭く、昔のおもかげを残していた。
そして、私は戦争中の後楽園を思い出すのだ。
当時は、戦後のように満員になることはなかったが、阪神・巨人戦ともなれば、相当に入場者があった。
いまも鮮烈に思い出されるのは、試合の合間に、「○○様、召集令状が参りましたので、至急お宅にお帰りください」というようなアナウンスがあり、観衆が一斉に拍手したことだ。
選手たちも、次々に召集された。
中学出身者は2,3年プレイできるが、大学出は1年たらずで入営しなければならなかった。
戦死した選手も多い。
私は1938年頃からの阪神フアンで、1939年頃から後楽園球場に通った。
当時は六大学全盛の時代で、ラジオで放送されるのも、新聞紙面を飾るのも六大学で、当時職業野球と呼ばれていたプロ野球は新聞の片隅にちいさく結果だけが載っているだけだった。
観客もそれほど多くはなかった。
私は情報を「野球界」という雑誌から得た。バックナンバーも買い集めたりしたが、そこで話題になっているのは、巨人の沢村、タイガースの景浦だったが、彼らを私は見ることができなかった。
彼らは徴兵され、戦地に行き、戦死した。
三原も水原も私は見ることができなかった。
巨人には川上がいて、捕手の吉原がいたが、その吉原も戦死した。
タイガースの投手西村も召集されて戦死した。
藤村冨美雄も戦後は活躍したが、戦争中は軍隊にいて、私は知らなかった。
私が知っているのは弟の藤村隆男だった。
調べていけば、もっとたくさんの選手たち戦場に動員され、戦死したのであったろう。
先日、韓国のプロ野球選手がの徴兵忌避が問題になっていたが、感慨深いものがあった。
プロ野球と戦争について、いろいろ情報を知りたい。
それにしても、私が知っている後楽園には日の丸の旗などなかった。
まして、君が代を歌うこともなかった。
これは記憶違いだろうか。
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