第155号 2005年7月7日 [1] ロンドンの戦慄 [2]蘆溝橋事件の日に
[1] ロンドンの戦慄
おそれていたことがついに起こった。
アラブ人民に対する無法な攻撃に対する反撃だ。
憎悪は憎悪を生み、暴力は暴力を呼ぶ。
現代文明の中心に対する多様な攻撃が連続的におこるとすればどうなるか。
いま、私たちは想像もできないほどおそろしい事態に直面しているのではないか。
人民の抵抗は軍事力ではおさえられない。ひとたび人民が目覚め、反撃をはじめれば、それをおさえることができない。
事態はこれからどう展開するだろうか。
日本の小泉首相らは事態の本質が見抜けず、許されない暴挙だとかなんとか無意味なことを言うにとどまるだろうが、アメリカの反応はどのようなものであろうか。
アメリカは逆上し、アメリカ国内のアラブ人に対する弾圧はますます過酷になるだろう。
アメリカの狂気は、これに反対するまともな言論や良心的な人々に対する圧迫をますます強めることだろう。
それはアメリカ民主主義の神話を破壊し、アメリカを内部から崩壊させることになる。
一つの文明はこうして破滅を迎えることになる。
私たちはそれをあの悲惨な戦争から学んだ。
[2]蘆溝橋事件の日に
今日、7月7日にこの事件がおこったことは感慨深い。
1937年7月7日は、蘆溝橋で一発の銃声をきっかけに、日本軍が中国全土に大軍を展開し、中国人民の抵抗にあって、ぬきさしならぬ泥沼にのめりこむことになった戦争の始まりの日である。
軍事力では日本は圧倒的に優勢だった。
日本軍は連戦連勝、たちまち、首都南京を攻略し、上海を制圧した。
国民党政府は南京から武漢に移り、さらに重慶に後退した。
日本は広大な地域を占領し、主要な都市を支配した。
しかし、それは日本の破滅のはじまりだった。
劣弱な経済力で大きな戦争をたたかい、広大な地域を支配して、住民たちの抵抗にあう日本は国力の限界に達し、深刻な物資欠乏に苦しむことになる。
このような日本は占領地域の収奪を強め、中国人民の反感と反抗をますます強めた。
こうして中国共産党は人民の支持と援助を得て、強大になった。
日本の侵略が中国人民を目覚めさせ、民族的な自覚、統一と団結をつくり出した。
かつて、中国は眠れる獅子と言われた。上海のバンド(黄浦江公園)などには<支那人と犬入るべからず>という立札があったという。孫文は、中国人民は砂のようだと言った。
帝国主義列強がそれぞれに軍隊を派遣し、競って権益を奪い、多くの地域が割譲を余儀なくされた。
中国人民の近代の歴史は侵略と屈辱、貧困と苦難の歴史であった。
中国を侵略したのは日本だけではない。
しかし、おくれて近代化の道を歩き、帝国主義列強のあとを追って帝国主義的侵略の道をあるいた日本は、その後進性と経済的劣弱さの故に、ひたすら武力にたよって、もっとも露骨で野蛮な侵略国となり、中国人民の抵抗運動を呼び起こした。
英米仏等の先進帝国主義国は国民党政府を援助し、中国を全的に支配しようとする日本を阻止しようとした。日本は経済的に締めつけられ、物資の欠乏が極端になり、南方に血路をもとめて、英米蘭を敵とする世界戦争に突入した。緒戦こそ勝利に沸いたが、その結果は悲惨なものだった。
中国は戦勝国になったが、それは悲惨な勝利だった。大戦終結後も国共の内戦がつづき、相互に撃ち合い、殺し合った。。
内戦が終結し、中華人民共和国が成立したのは1949年10月だった。
1950年には朝鮮戦争がはじまり、米軍が国境近くまで攻め寄せた。
革命に勝利しても、人民の生活は悲惨なものだった。
米ソ冷戦がつづき、中国はひたすらソ連の援助を得て、経済の復興につとめた。
しかし、やがて中ソ対立を生じ、ソ連の援助は得られなくなった。
自力更生をスローガンにする中国はたよるべきものは人民の労働しかなかった。
貧困がつづき、文化大革命がはじまった。
文化大革命も同胞あい撃つ悲惨なものだった。
日米と国交を回復したのは1972年、文化大革命が終結したのは1977年だった。
私は1985年から86年にかけて、河北大学で講義をしたが、国民生活は自由を拡大し、復興の気運にもえてはいても、まだまだすべてにおくれていて、私のような特権的外国人も生活は不便だった。
それから20年、中国は日に日に経済的に成長し、発展した。10年前に北京で暮らしたときは、もう、不便を感ずることはなくなっていた。
中国の発展は目を見張るものがある。
アメリカともEUとも 、そして日本とも、活発な貿易をして、さらに大きな飛躍をしようとしているのだろう。
特に、東南アジア諸国、ロシア、韓国等との交流を強め、東アジア共同体の構想も進展しているようだ。
しかし、門外漢で常識的なことしかわからないが、その内包する矛盾もまた大変なものだと思う。
この矛盾を克服して、限りなく前進しようとしているのがいまの中国であろう。
中国は歴史に学ぶということを強調する。
いま、戦後60年、世界史が一つの転換点に立っているとき、この100年、この60年の歴史をふりかえるなら、日本との関係が、やはり、もっとも重大であり、深刻であることはあきらかだ。
もし、中国が日本の支配を脱することができなかったら、いまも、悲惨な植民地的奴隷的状態にあえぎ続けていなければならなかったろう。日本の帝国主義的支配とたたかい、独立を回復して、はじめて、今日の中国は可能になったのだ。
また、ソ連に従属していたらどうだったか。
アメリカに従属していたらどうだったか。
もちろん、中国は日本から多くのことを学んだ。
ソ連からも、アメリカからも、多くを学んだ。
しかし、そのいずれかに屈従していたら、今日の中国はない。
一国の自由と独立は、国の発展の基礎なのだ。
中国が<抗日戦争勝利>を記念し、それを国民教育の基礎とするのは当然のことだと思う。
そのことと日本との友好を深め、相互の交流協力によって、あたらしいアジアの安全保障と発展を実現しようとすることは矛盾するものではない。
なによりも、両国の友好と協力の前提は、過去の侵略戦争を否定することである。
しかし、事態はそのように発展しなかった。
日本が過去の侵略戦争に対してあいまいな態度を取っているからである。
日本の経験はいまの現実を考えるうえでもいろいろヒントを与えてくれる。
しかし、日本は過去の戦争に対してどのような認識をもち、それに学んでいるか。
敗戦直後の日本は明らかに過去の戦争を否定していた。
日本のあらゆる主観的心情や願望や善意にもかかわらす、そのためのあらゆる努力と犠牲にもかかわらず、軍事力に依存してそれを実現することはできないということを、あの大きな犠牲によってはっきり認識したのだった。
この認識が戦後制定された新しい憲法の基本精神であった。
この認識は戦後六十年の間にどう変わったか。
そこに、いまの日本とアジアの間のぎくしゃくした関係が生まれた。
すでに長くなりすぎたので、この問題については次号で考えてみたい。
<韓国再訪>の続稿もまた、次号以下に譲りたい。
今年の天候はたしかに異常のようだ。
世界の動向といい、天候といい、何がおこるかわからぬ不安な日々だ。
しかし、不安の中に、私たちは自分の思想をきたえることができるのだろう。
皆さんの健闘を祈る。
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu


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