第156号:<ネオコン的日本人>という私への批判
>>日々通信 いまを生きる 第156号 2005年7月15日<<
私の[新掲示板2]2594.27月14日付に<恥かしい日本人の言葉を発見しました。>というタイトルで、私は<ネオコン的日本人><小泉と同一の精神構造を有している><若い人は騙されてはイケナイよ!>という批判を受けた。
批判というより、それは非難であり罵倒ともいえるはげしい言葉だった。
投稿者は匿名で連日のように現実をえぐる情報を投稿して、私たちはの信頼を得、尊敬され、期待されている人だった。
一時投稿が途絶えた時には、どうしてあの人の投稿がないのかというメールが何通も来たほどだった。
私も多くのことを教えられ、毎日、その人の投稿を待っていた。
その人からこのような非難を受けるとはショックだった。
彼が私を非難する原因となったのは[ニュースへのコメント]2005年7月14日
http://tizu.cocolog-nifty.com/jijimondai/2005/07/__livedoor__c9a1.html
の<お念仏のように平和主義を唱える日本の現実はどうか。>という言葉だった。
私は<最初の被爆国で武力抛棄の憲法を持つ日本こそ、いま、アジアと世界の平和のために、人類の未来のために、大きな役割を果たすべきだろう。>と記して、しかし、日本が<お念仏のように平和主義を唱え>ながら、現実には戦争体制の強化につとめていることを批判したつもりだった。
私の念頭には、靖国参拝を批判されながら、靖国参拝をつづける自分の心情を縷々と述べて、靖国参拝はやめないと言い、自分が平和を心から望んでいることは分っているはずだ、私の真意を信じてほしいという意味の言葉を吐きつづっける小泉首相があった。
小泉首相だけではない。
いまの政府閣僚は日本の平和主義はわかりきっているではないかと言い続けている。
そして、靖国参拝を肯定し、さらには、この前の戦争は侵略戦争ではなかったなどと言ったりするのである。
私は靖国参拝の問題は孤立した問題ではないと思っている。
それは憲法をかえようという動きと結びつき、日本がアメリカの新しい戦略に基づいて、どこへでも出撃できる体制をつくろうとしていることに関係があると思っている。
いまの日本は戦争できる国へとの再編成を急いでいる。
拉致問題をテコに反朝鮮意識をあおりたて、朝鮮(共和国)の脅威を言い立てているのは、このような戦略に基づいている。
これらについては私の「通信」その他でくりかえし論じて来たことである。
しかし、なぜこれがネオコン的発言なのであろう。
私は<東洋永遠の平和>のためにあの侵略戦争をたたかった日本のことが忘れられないのである。
戦争がはじまるまでは、平和に反対するものは誰もいない。しかし、戦争がはじまると<平和主義者>が突然に<戦争讃美者>になる。そのことを私はおそれているのだ。
遠い国のことでは<平和主義者>でありながら、自国に直接関係のある対朝鮮、対中国の問題では突然愛国者にかわり、経済制裁をせよ、もっと強腰になれとわめき出すのである。
私はこのことをはるかに以前から強調してきた。
アジアの問題こそ、平和主義の真偽が問われる最大の問題なのだ。
私は自分を平和主義者だと思っている。
しかし、口先だけで平和とい言葉をくりかえし、遠いイラクのことでは平和主義だが、アジアに対しては平和のための軍事力強化を主張する<平和主義者>を信ずることができない。
私は戦争の問題は人間の本質にかかわる問題だと思っている。
人間は遠い昔から戦争をくりかえしてきた。
漱石の言葉によれば、戦争の間に、わずかに平和の時代があるといった具合である。
戦争の方が人間の本来であるかもしれないというくらい認識は「点頭録」の軍国主義批判の根底にある。
このことを忘れて平和に溺れていては、悲惨な戦争を招くことになる。
このことを漱石は鋭く問題にした。
このことを忘れた平和主義は戦争を防ぐことができない。
漱石が日露戦争開戦前夜に
セルマの歌 http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/serumanouta.htm
カリックスウラの詩 http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/karitukusuura.htmを発表した。
戦いに死んだ愛する若者を思うはげしい心を歌った叙事詩である。
戦争と文学についてはあらためて書く機会をもちたい。
漱石には戦争は人間の避けがたい宿命だという思いがあったかもしれない。
しかし、だからこそ、平和のために戦わなければならない。
戦争の重さを忘れれて平和に浮かれていれば、必ず、戦争に復讐されるのだ。
平和について語ればいいのではない。
平和の重さと困難さを忘れれてはならないというのである。
武田泰淳も戦争の重さを見つめていた。
最近、[新掲示板1]282に<『蝮のすえ』辛島の言葉>というタイトルで、私が戦後のもっとも重要な作品の一つと思う『蝮のすえ』の一節を紹介しておいた。
戦争に敗けると今まで軍に協力してきたインテリたちが急に、軍を批判し、民主主義者になり平和主義者になる。
これに対して、軍の特務機関の仕事をしていた戦犯辛島は。自分はきっと復活すると言うのである。
太宰治は戦後の民主主義者、軍閥批判者を便乗主義者として批判し、なぜそれを戦争中にいわなかったのかと言った。
私の批判者はこれらについての私の発言をとりあげて、私を<ネオコン的日本人>というのであろうか。
この問題はさらに深めて行かなければならない。
しかし、この問題を無視していたずらに平和をとき、民主主義だとか人道主義だとかを主張するのは危険である。
私は私の批判者の言葉によって私の思想を点検する機会を持った。
そのことを感謝する。
枝葉末節のことでなく、思想の根源にせまる具体的な批判で、さらに私の反戦平和の思想を深めさせてほしい。
なお最近、加賀乙彦の『帰らざる夏』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@54.htm
郷静子の『れくぃえむ』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@53.htm
についての短い紹介を書いた。
これも私の<ネオコン的>発言として批判されるであろうか。
梅雨もいよいよ終りに近づいたようだ。
やがて暑い夏がくる。
お元気にお過ごしください。
私は老齢で脚が弱って、血圧も高くなり、坂道の上り下りが苦しくなったが、元気を出して、批判者の批判を受けながら、もう少し、生涯の決算として、戦争と平和の思想を深める仕事をしたい。
《文学に見る戦争と平和》で紹介した次の作品
第42回 2004年3月 武田泰淳 『蝮のすえ』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@42.htm
第50回 2005年1月 堀田善衛 「記念碑」
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@50.htm


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