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10/13/2005

第175号 2005年10月14日 妥協と統合 平和を求めて

アルジャジーラが<スンニ派主勢力、イラク・イスラム党が憲法反対を撤回へ>と伝えている。

アメリカの報道はあてにならぬが、アルジャジーラの情報は信頼がおけるような気がする。

もし、スンニ派とシーア派の妥協が成立して、曲がりなりにも新憲法が成立し、新政府が発足して、イラク国家の意志として、米軍撤退を求めたならば、イラク情勢は新しい段階を迎えることになる。

内戦の危機、救いようのない混乱の到来を予告するのが普通だが、私はもしかしたら、混乱はまぬがれないにしても、一定の国家統一が実現するかもしれないと期待している。

イラクは苦しみつづけた。一時的かもしれないが、和解と安らぎの時を求めているのではないか。
アメリカも撤退の機をうかがっている。

この戦争をあくまでも継続したいという勢力はたしかにアラブにもアメリカにもあるが、いまは平和の力が勝つのではないか。

妥協を排する原理主義的ネオコンとアルカイーダは、裏面ではむすびついているのだという説もあるが、いずれも和解と妥協を排除するために、さまざまなテロを試みるかもしれない。

しかし、イスラエルでも一定の妥協と和解が成立した。この平和はニセの平和で、すぐ壊れると思っていたが、なんとか、まだ維持されている。これは新しい時代の到来を示すのかもしれないと思う。

もし、イスラエルに平和がくるとしたら、それは大変なことだ。イランの問題も、なんとか、解決へ向うのではないかという気がしてきた。

甘いといわると思うが、それが歴史の転換というものだ。
その根柢には、アメリカのイラクでの敗北があると思う。
なんとしても人的にも経済的にも、限りない出血をつづっけるわけにはいかないのだ。
戦争は終らなければならない。
そして、戦争は終り、平和がくる。
たとえ、それが一時的なものに過ぎないとしても。

妥協といえば、ドイツの大連立は、やはり衝撃的だった。
こんなことが可能だったのだ。
もちろん、どちらにとっても不満はあるだろう。
しかし、それにしてもこの大連立を維持するほかに道はないとすれば、そして、それが維持されるとすれば、そこに、新しい可能性が開けてくると思われる。

国民の生活を安定させる、その一点に的をしぼれば、現実の力関係にもとづいて新しい妥協と平和共存の可能性も開けるような気がする。

昔、私は妥協とか改良いうことを嫌った。
平野謙の<私は中途半端が好きだ>という言葉を軽蔑した。
それは、若者の特徴かもしれない。
昭和のはじめ、若かった日本の社会主義運動は<純粋>を求め、<改良主義>や<調停主義>を<反革命>として排除した。
この言葉が、どれほど、良心的なインテリゲンチャを追い詰めたかわからない。

かつてのマルクス主義は観念的であり、原理主義的であり、絶対主義的だったことを認めないわけにはいかない。
それはスターリン主義になり、社会主義の硬直をまねき、やがて、その破綻にいたった。
私は芥川の死について考えながら、彼が当時の左翼のこのような攻撃に耐えきれなかったのだという思いを深めるようになった。

妥協はつらいことだ。しかし、平和とは妥協ということではないのか。
異なった体制と思想の共存ということは、他に対する寛容、そして、現実問題での妥協ということを必至にするのではないか。

私はいま、漱石の多元主義について考えている。
そして、それは、私の六カ国協議の成功に対する期待でもある。
朝鮮(共和国)の置かれた位置の困難さはわかる。
朝鮮はこの六〇年間、ソ連社会主義の崩壊により、また、中国の転換により、孤立無援で対米戦争を持続していたのだ。
それは苛酷な六〇年だった。しかし、それも新しい時代を迎えて転換の時を迎えようとしていると私は思う。

朝鮮労働党創立六〇周年記念パレードで兵士らの見事な行進はあったが、兵器を誇示するパレードはなかった。
これは、新しい金正日体制の方向を示すものではないだろうか。
そして、今年の記念マスゲームはすばらしいものだった。
ここにも、新しい朝鮮の方向が見られる。
平和と美の誇示によって、何人もこの朝鮮をおかすことは出来ないことを示しているように思われた。

日本はこの朝鮮に対してどのような対し方をするつもりなのか。
経済制裁などを、いまも口にしているのはあまりに愚かだ。
しかもその支持が60%にも70%にもおよんでいるというのだから日本の未来はくらい。
経済制裁を主張するのは、朝鮮が壊滅寸前で経済制裁でたちまち屈伏して拉致問題は解決すると思っているのだろうか。
拉致問題の解決に経済制裁が有効だとは思わないが、それ以上に、朝鮮(共和国)に対する認識がまったくゆがんでいるのではないか。

日本は六カ国協議でおいていかれるだろう。
そして、米朝関係の急速な和解と妥協が実現するかもしれない。
米朝の国交回復が実現したとき、それは戦後のアジアに新しい歴史を開くことになる。
いかに、ジグザグがあろうとも、それは実現されなければならない問題である。
やはり、戦後60年の節目である今年がその実現への大きなステップの年になってほしいと思う。

日本はそのような事態への心の準備は出来ているのか。
アジアの未来について、日朝関係の未来についてのなんの構想も準備もなく、中国、韓国、朝鮮(共和国)に対する反感と偏見のうちにちぢこまっている。

しかし、歴史は思いがけない発展をする。
イスラエル、イラク、朝鮮、それらの地域で、新しい動きが見えることはうれしいことだ。
これが幻滅に帰することがないように、念願しないではいられない。

秋雨がつづいた。今日は久しぶりの晴天だった。裏山を歩きながら、秋を感じた。
やがて、秋晴れがつづく時がくるのだろう。
皆さんのご健康を祈る。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

新掲示板2から

スンニ派主勢力、イラク・イスラム党が憲法反対を撤回へ

一つの妥協が成立し、新憲法と新政府が成立することになるのだろうか。
その新政権がアメリカの撤退を要求するとすればどうなるか。
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2808.Re: スンニ派主勢力、イラク・イスラム党が憲法反対を撤回へ
名前:伊豆利彦 日付:10月13日(木) 15時45分
シーア派とスンニ派の対立というが、シーア派はイランに近く、反米意識はスンニ派より強いくらいだと聞いている。

新政府が成立して、アメリカの撤退を要求することになれば、イラク戦争は新段階を迎えることになると思うがどうだろうか。

アメリカがイラクからの撤退の可能性を探っているとすればその可能性があると思うのだが……。

もちろん、それで片づく問題とも思われないが、いま、イスラエル問題にしても、戦乱に困憊して、一つの転機を迎えようとしているのかも知れない。

そうして、世界は何処へ行くか。
複雑怪奇そのものだ。

しかし、コイズミ政権はぶれることなく、向米一辺倒だ。
そのアメリカは大揺れなのだが、アメリカがどうなろうとかまわず、ただ、向米一辺倒なのだから、呑気なものだ。
独立した政策をもたぬ従属国家の気楽さだ。
ただただ、アメリカから兵器を購入し、その下働きをすればいいと考えているようだ。

世界に対するコイズミ氏の積極的な発言を聞くことは絶対にないのだ。

2806.それまでにはどうにかなるだろう
名前:伊豆利彦 日付:10月13日(木) 14時52分

 深田枢密顧問官の口述を筆記するようになって、康子は『それまでにはどうにかなるだろう』というのが、開戦時のそしてその後の戦争全過程の「最高の、そして最低限の、戦争指導理念」であったことを知った。

主観的で、成り行き任せであった。全体の展望、厳密な計算がなく、ずるずると泥沼に落ち込んで行く。この漠然としたものが開戦の詔書にもあった「天佑」というものなのだろうか。

私の「堀田善衛における知識人の戦争責任」の一節である。
この<それまでにはどうにかなるだろう>という考え方はいまもつづいているのではないか。

年金問題の少子高齢化は何十年も前から予測されていたのではないか。
いまの赤字問題、対米従属問題、いずれも<それまでにはどうにかなるだろう>の精神でやられているのだろう。

対アジアの対米関係の長期展望がない。
お先真暗で盲動しているわけだ。

日本は危ない。気をつけないと危ない。
草枕のこの言葉は、「虞美人草」の<悲劇は来た>になり、「三四郎」の<日本は亡びるよ>という言葉になる。

漱石が追求したのは、日本のいまにつづく問題である。

http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/ba@.htm

2801.いま、私たちが深く考えるべき問題(15)
日付:10月13日(木) 6時54分 ガンジー村通信 vol. 145
【1】いま、私たちが深く考えるべき問題(15)横山紘一から

 日本は勝れた神の国であるという国家観は当然、他国を蔑視する態度につながっていきます。アジアの他の民族は弱く劣っている、だから強く勝れた日本が、ヨーロッパ列国による植民地支配から、かれらを解放し、アジアに一大帝国を建設しようという、次のようなスローガンが唱えられたのです。
「大東亜共栄圏を建設しよう」
「東亜新秩序を確立しよう」
そして、すでに幾度か記しましたが、

「大東亜戦争ノ目標トスル所ハ我肇国ノ理想ニ淵源シ大東亜ノ各国家、各民族ヲシテ各々其所ヲ得シメ皇国ヲ核心トシテ道義ニ基ク共存共栄ノ新秩序ヲ確立セントスルニ在ル」

という東条英機の演説がなされたのです。
 「アジアの各国・各民族を解放し共存共栄の新秩序を確立する」という、一見、美しい文句ですが、この裏には、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レタ」意図が隠されていたのです。みずから「大東亜戦争」と称したその戦争は、共存共栄をもたらすどころか、多くの人びとを殺すという残酷な結果のみをもたらしたのです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000131341


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2802.Re: いま、私たちが深く考えるべき問題(15)
名前:伊豆利彦 日付:10月13日(木) 8時26分  

美しい言葉にだまされるな。

子供たちがやさしそうなおじさんにだまされてひどい目にあう。
さまざまな詐欺が横行する。

詐欺とペテンの国だ。

一国の道義の崩壊は言語の崩壊と対応しているのではないか。

美しい言葉を信じられないのは辛いことだ。
すべての言葉を信じられないとしたら、人類は破滅する。
いかにして、信ずべき言葉と信ずべからざる言葉を見分けるか。

言葉に対する信頼を回復するか。
http://blog.mag2.com/m/log/0000131341

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2803.Re: いま、私たちが深く考えるべき問題(15)
名前:伊豆利彦 日付:10月13日(木) 9時0分
いまは言葉の魔術の時代だ。

ワンフレーズ政治というが、それは、かつてのスローガン政治と同じだ。

ビールにしてもさまざまな名前がつけられる。
宣伝広告の時代だ。

コイズミ首相の背後には強力な広告会社がいると聞いた。

他を支配する言語、煽動の言語、いまは言葉のたたかいの時代だ。

広告会社に詩人が動員されている。
心理学者が協力している。

新しい言葉のために。
言葉の権威を回復するために。

それは文学者の仕事であり、国語教育の問題だろう。
http://blog.mag2.com/m/log/0000131341


2805.Re: 改革の後で
名前:伊豆利彦 日付:10月13日(木) 9時36分
日本は亡びるという「「三四郎」の広田先生の言葉が妙に現実性をもって心に浮かぶ。
この広田先生の高踏的な批評は三四郎からも批判される。

広津和郎の散文精神論は日本が二・二六事件の直後に、ファッショ化傾向が強まる時代に抗してたたかう精神を主張したものだ。

絶望に抗して弱いインテリがどうたたかうか。
どう生きるかを説いたのだ。

これについては、私のレジメを参照していただければ幸いだ。

http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/ba@.htm

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