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10/17/2005

第176号 2005年10月17日いまよみがえる夏目漱石(その2)

今日、鎌倉市長選挙の告示で、いよいよ、仲地さんの出陣式を迎えた。

漱石を何十年も研究していて、この頃、ひどい世の中になって、ますます漱石の精神を求めるようになっていた私にとって、仲地さんが市長選挙に立候補されるのはうれしいことだ。

孫が市長選挙に立候補するとは、漱石は驚いているかもしれない。
しかし、喜んで祝福し、励ますことだと思う。

漱石は1915年(大正3)友人の文学者馬場蝴蝶が衆議院選挙に立候補したとき、堺利彦らとともに推薦人になり、推薦状の筆頭に名前を出している。
また、その後援文集の巻頭に、有名な「私の個人主義」を掲載している。

漱石は社会的不正に対しては徹底的にたたかうことを求めた。このたたかいが社会を進歩させるのだと、松山中学の教師をしていた二十代に、学校の校友会雑誌に書いている。この思想はその生涯を貫いている。

「坊っちゃん」はよく知られているが、その頃書いた「野分」や「二百十日」はさらにはっきりと金力と権力がむすびついて貧しいもの、不幸なものをいためつける社会に対するたたかいを宣言している。

「二百十日」の圭さんは、金力や権力の持主は「奇麗な顔をして、下卑(げび)た事ばかり」やっていることを糾弾し、「我々が世の中に生活している第一の目的は、こういう文明の怪獣をを打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるにあるだろう」と言った。圭さんはこれを「文明の革命」と言っている。

漱石は「中味と形式」という講演で、中味が変われば形式も変わらなければならない、世の中が変わり、人々の暮し方や考え方が変われば、政治や法律なども変わらなければならないと主張した。

それを変えるのは学者でもなければ既成の政治家でもない。学者はともすれば外国の思想の受け売りをしたり、市民の生活の現実からかけはなれた理論をとなえたりする。既成の政治家は金力や権力と結びつき、既得権益を守ろうとする。

新しい社会をつくるのは、まじめにはたらき、いまの世の中の矛盾に苦しんでいる普通の市民だ。皆さんが新しい社会をつくり出す主体になることが必要だと講演の聴衆によびかけた。

当時はまだ普通の市民には選挙権もない時代だった。それから100年たって、鎌倉の町でまじめに商業をいとなみ、こまっている市民の味方として奔走してきた自分の孫が、仲間たちからおされて市長に立候補し、市民のための市民の市政を実現しようとしていると知ったら、どれほど喜ぶだろう。

漱石が亡くなったのは第1次世界大戦の最中、1916年12月だが、その年の新年に、自分は病弱でどれほどのことができるかわからないが、病弱なら病弱なりに、1年寿命が延びたことを感謝して、自分でできるだけのことをしたいと思うという言葉を前置きに、悲惨な戦争の現実について語り、軍国主義を論じた「点頭録」を『朝日新聞』に連載した。

いまの戦争は大変な犠牲を世界の人民に強要しているが、どちらが勝っても、その代償として大きな文明にももたらすものは何もない無意味な殺し合いである。ただ、この戦争の結果として、すべての国民を戦争に動員する軍国主義がドイツからはじまって、自由主義を標榜する英仏をもまきこんでいったことは悲しい事実だ。軍国主義は今後かなり長い間世界を支配することになるだろう。日本などは軍国主義に陥りやすい国だから用心しなければならない。

「私の個人主義」は世界大戦がはじまって日本が中国の青島を攻略し、「軍国日本」などということがいわれ、国中が勝利に沸きたっているときに、国家主義に反対して、個人の自由を基本とする個人主義の必要を説いたのだった。

軍国主義に反対し、個人の生活の権利と自由を主張した漱石は、あの戦争で大変な犠牲を払って実現した平和主義が否定され、平和憲法を改訂しようとする勢力が国会の多数を占めるようになった現実をどう思うだろう。漱石はあの国家主義の時代に、学習院の生徒たちの前で個人主義を説いたが、いまは、愛国教育がしきりに主張されるようになった。漱石が生きていたら、この日本をどう思うだろう。

漱石は100年の後に自分の思想が人々の血脈の中に生きて、社会を動かす力になることを求めると言った。生涯の最後のまとまった評論である「点頭録」は漱石の遺言のような気がする。

平和憲法を守り、憲法を生かす市政の実現を目指して奮闘する仲地さんのたたかいは、漱石の精神を今の日本に実現しようとするものだ。漱石はそれを喜び、激励し、支援するに違いない。

以上は、私が仲地さんの出陣式で話したことに手を入れたものだ。
漱石を敬愛するものとして、私は仲地さんの勝利を心から願っている。

仲地さんの出陣式はあいにくの雨にたたられ、私も雨のなかで話したのだった。
しかし、雨もやがて晴れ、晴れた秋空の日が来るに違いない。
天候不順の折から、健康に気をつけて、日々を元気にお過ごしください。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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新掲示板2より再録

2820.小刀細工の政治
名前:伊豆利彦 日付:10月15日(土) 10時5分

一度否決された郵政法案が国会を通過して成立した。
圧倒的な多数を得て出発した新国会だが、なんのスリリングな期待も呼び起こさない。

漱石が「小刀細工」といったのは、こんな政治だったのだろう。
それは、頽廃であり、破滅への道である。

これほどひどい国会運営は戦時中もなかったのだと思う。

やがて、反動がくるだろうが、民主党の馬鹿らしさは、新しい国民的反撃の運動を求めている。

圧倒的多数なのに、政治の行方は不安定だ。

2812.がんばれ在日
名前:伊豆利彦 日付:10月14日(金) 11時58分
金 正勲さんの掲示板(日本語)に次のような投稿があった。

阪神が優勝した。3番バッター、桧山進次郎、4番バッター金本知憲、
みんなよくがんばった。彼らはみな在日韓国人である。

それぞれ本名は、黄進煥、金知憲。
そういえば2年前に優勝した星野監督の本名は李八龍。
弓長の本名は張文芸。西本聖投手コーチの本名は金明海。
広沢克己も達川光男コーチも在日である。

そういえば、あの有名な金田正一投手の本名は金慶弘。
巨人の新浦寿夫選手は金日融、張本勲選手は張勲。
元近鉄バファローズの金村義明の本名は金義明だ。
その他、清原、池山、吉村、福士、金石も在日だそうだ。

http://nbbs.naver.com/nmulti/h_read.php?board_id=k6738157_0&nid=2215&page=1

2813.Re: がんばれ在日
名前:伊豆利彦 日付:10月14日(金) 11時59分

在日の問題は日朝間の複雑な過去をになっている。
その不幸な歴史は、私も経験を通して知っている。
いま、私が日朝の友好と親善、その協力の上に新しいアジアの発展を求め、その実現に役立つことを生涯の仕事の一つにしているのは、この事実のためだ。

しかし、いま、日本のプロ野球にこれほどの在日選手が活躍しているとは驚きである。

金田や張本については知っていた。他にも何人かは知っていた。
しかし、桧山や星野前監督もそうだとは知らなかった。

それは、彼らの苦しい生活に打ち勝つ努力が偉大な成果を生んだのであろう。

日韓朝の交流協力がこれからのアジアの発展の重要な柱となることを心から期待する。
http://nbbs.naver.com/nmulti/h_read.php?board_id=k6738157_0&nid=2215&page=1

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2815.Re: がんばれ在日
名前:伊豆利彦 日付:10月15日(土) 4時7分
大相撲では朝青龍をはじめとするモンゴル勢、琴欧州らのヨーロッパ・ロシア勢が上位を占め、優勝を争っている。

日本のプロ野球選手は松井をはじめ優秀選手があいついでアメリカ大リーグに加入し、高成績をあげている。
その分、日本のプロ野球は弱体化している.
もし、在日韓国人選手の活躍がなければ、さらに弱体化するだろう。

私のような古いファンにとっては大相撲の日本力士を不甲斐なく思い、プロ野球の日本選手がアメリカへアメリカへと流出するのを残念に思う。

日本のテレビは連日アメリカのメジャーリーグの放送をつづけ、アメリカ野球人気をもりあげている。

サッカーの人気に比して日本野球の人気が後退しているというが、その理由はなにか。

村上氏の阪神電鉄株大量取得につづき、楽天のTBS株大量取得が話題になっている。

そして郵政の民営化はあっさり国会を通過し、コイズミさんはうれしそうにしていた。

日本の対米従属は急速に進んでいるように見える。

この新しい時代をどう考えるか。

2810.「日々通信」第175号を発信しました。 返信 引用
名前:伊豆利彦 日付:10月14日(金) 8時44分

第175号 2005年10月14日 妥協と統合 平和を求めて

妥協するには主体がなければならない。
自己なき妥協は屈従である。
はっきりした対立があって、一定の条件がある時、妥協するのだ。

私は妥協主義ではない。
妥協が必要な時があると言っているのだ。
イラク人民の強い意志と抵抗があって、アメリカを撤退に追いこもうとしている。
この成果にたって、国内の諸勢力が団結することを期待しているのだ。

<求大同 存大異>という言葉がある。
<小異をのこして>というのが普通だが、あえて<大異をのこして大同を求む>と言ったのだと思う。

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2814.Re: 「日々通信」第175号を発信しました。
名前:伊豆利彦 日付:10月14日(金) 12時29分

広津和郎は米ソがともに平和を主張して鋭く対立し、核兵器を相互に増加させあっていることを、きびしく批判した。

両者は妥協すべきだったのだと思う。

しかし、松川裁判について、広津は決して妥協することなくたたかった。

それは権力に尻尾を振るマスコミとのたたかいでもあった。
政治問題としてのみ考えがちな共産党勢力とのたたかいでもあった。

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Comments

仲地さんの選挙は、あなたの言う最悪のケースになりました。

しかし、二人合わせても、勝つことができなかった。

統一しなければどちらも応援しないというのも一つの選択でしょうが、統一できなければ、それぞれの候補が票を伸ばして、相手の現職候補を上回る努力をするという選択もあります。

私は鎌倉の事情を知らないので、ただ、漱石の孫ということで仲地さんに紹介され、人柄が気に入ったので、応援しました。

私が仲地さんを知ったときは、すでに統一ができない状態だったようです。

憲法で一致しても、問題は憲法だけではないのですから、統一できないこともあるでしょう。

私は仲地さんを応援したことを後悔していません。それにしても、その獲得票数の少なさには、考えさせられました。

憲法問題は、いま、新しい段階にはいったと思います。
自民党が圧倒的に多数を占め、民主党の態度もあいまいないま、新しい国民結集の道を見出す努力をすべきでしょう。

選挙では統一できなくても、憲法問題では統一できるのではないでしょうか。

そうした統一活動の積み重ねの上に相互の信頼が深まり、選挙でも統一候補を出せることになるのでしょう。

統一問題はたしかに日本の運動の弱点です。もっと経験を積む必要があるのでしょう。

私は選挙の応援はしましたが、いまの情勢では、選挙にそれほどの期待をかけることが出来ません。

Posted by: 伊豆利彦 | 10/30/2005 at 04:33 PM

「いまよみがえる夏目漱石」拝見しました。

伊豆さんが平和憲法を擁護するために熱心に活動しておられることに励まされています。
鎌倉のことはよく分からないのですが、最近私のところに大要以下のようなメールが届きました。

「現鎌倉市長は憲法9条反対派であるだけでなく、自由主義史観の教科書を採択させようとしている。今年は採択されなかったが、来年は危ない。今度の市長選挙はその意味でも重要である。ところが、残念ながら対立する側が分裂しているため勝利が危うい。いままで何人もの人が候補の統一を願い、いろいろと試みたが不可能だった。憲法や教育基本法、イラク派兵、靖国参拝に対する姿勢が同じであるのに手を組めないで共倒れし、最悪の結果になることも十分予想できる。残念で仕方がない」

これが事実だとしたら残念なことです。私は、憲法を守る仲間が手を組むことが大切だと思うのです。そうしない限り勝てない選挙であることを知りながら、どうして手を組むことができないのか。

分裂している一方の候補を応援されている伊豆さんのご意見をお聞きしたいと思います。

Posted by: 大和撫子 | 10/22/2005 at 12:00 PM

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