« 第177号 2005年10月20日 内閣総理大臣の靖国参拝 | Main | 第179号 2005年11月7日 小林多喜二と現代 »

10/30/2005

第178号 2005年10月30日 遊就館を訪ね、日露戦争のことを考えた。

10月23日には漱石を読む会の仲間たちと九段周辺を文学散歩し、靖国神社、遊就館も訪ねた。

靖国神社には全国各地から小グループの団体がいろいろと来ていたようだ。

戦争美化勢力の聖地という感じだが、町中にある雑然とした散漫な神社だ。
露店が社内にある。昔はもっと多かったような気がする。

私が靖国神社の境内に立ち入るのは、1937年ごろ、上京直後に見物したとき以来だ。
遊就館については、いろいろいわれているが、戦争中に聞かされた歴史とほとんど同じで、常識的で迫力がなかった。

日露戦争100年ということで、近代日本の戦争を美化する観点から、明治以来の大雑把な歴史が語られていた。

展示の一つ一つをていねいに見る魅力も感じなかったので、ざっと見ただけだった。

米英をはじめヨーロッパ諸国のアジア侵略を強くアピールして、日本の侵略を肯定し、美化していた。

たしかに、ヨーロッパ諸国はアジア・アフリカを侵略し、それによって近代化を実現したのだった。

当時は帝国主義の時代だった。ロシアは満州・朝鮮を支配しようとしていた。
ヨーロッパを手本とする日本も朝鮮・満州を支配しようとして、ロシアとたたかわなければならなかった。

日本だけがアジアを侵略したのではない。そのことがいままで隠蔽されていた。しかし、日本だけがわるかったのではないということは、アジア・アフリカの被侵略国の立場に立てばなんの慰めにもならない。日本はみずからの侵略を認めることによって、米英の侵略を否定する道徳的優越性を保持することができる。日本の敗戦はそのような立場に日本を立たせてのだ。

その逆に、米英が侵略によって、その近代化と文明化を実現したという事実の故に、日本の侵略を肯定し、美化してはならないと思う。

米英よりおくれて発展した日本は、封建的なものを多く残していて、その封建的なものと結びついた侵略は米英に比していっそう残酷だった。すくなくとも米英の基準から見れば、そうだった。彼らから見れば、彼らの支配すべき地域を、野蛮な方法で奪う敵なのであった。

地の利もあり、新興国のエネルギーもあった日本は、容赦なく彼らのアジアでの利権を奪い、アジアの支配者になろうとした。そして、中国に対する泥沼戦争で行きづまり、中国を支援して日本とたたかわせようとする米英とのたたかいにふみきった。

敗戦後は、日本は米英をはじめとするヨーロッパ諸国の侵略についてはいうことを許されず、ひたすら自国の侵略について反省し、謝罪することを強制された。

最近のイラク戦争によって露呈された米英の残虐な侵略主義によって、わるいのは日本だけではないという思いが強まり、これまでの歴史の歪曲と屈辱からの解放を求める動きが急速に強まったのだと思う。米英との一体化の強調がこれを補強する。

日露戦争をどう見るかの問題は夏目漱石の評価にも関係がある。
漱石は帝国主義時代の日本の作家として、日本の矛盾を一身に担っていた。
漱石は戦争を避けがたいものと思っていた。
日本の近代化を求める彼は日本のロシアに対する勝利を喜んだ。
彼の眼にはアジアの人民の苦痛はあまり見えなかった。
侵略者としての日本に対する批判はなかった。
その点が中国や韓国の研究者から批判される。
中国人や韓国人にとっては当然のことだろう。
しかし、ひたすら前方をのみ見て、近代化の道を進んだ日本人の立場からいえば、それは、避けがたいことであったろう。
日露戦争の最中から、その日本人の矛盾について自覚していたことを、日本人としては評価したいのである。
そして、このあせりにあせって近代化をいそぐ日本に対する批判の深化は、戦争に対する批判と重なって、注目すべき発展を遂げる。

漱石研究にとって中国・韓国からの批判は必要だと思う。
しかし、同時に日本の矛盾に対する目、世界の帝国主義、近代主義に対する目も必要だと思う。
日本人の立場に固執して、アジアの目を忘れてはならないが、同時に、世界のける日本の位置に対する理解も見うしなってはならないと思う。
こうして、世界の目で漱石をとらえる必要があるのだろう。

漱石の問題は日本の問題だ。
靖国が日本の目だけを強調して、アジアの目をうしなっていること、そうして偏狭な立場に日本を追いこもうとしているのが残念だ。いま、必要なのは世界史のなかで日本の歴史、アジアの歴史をとらえることだと思う。

   *****************************************

25日から東北地方の紅葉を訪ねる旅行に参加した。
はやくから予定していたことである。
また、28日、29日と義母の四十九日で高松にいった。
短時間に、駈け足で駆け回ったわけだが、この間に、日本の歴史は大きな動きを示した。
このあわただしい旅行の間ニュースもあまり見なかったので、どっとさまざまなものが押し寄せてきた感じだ。

自民党の憲法改正案は、米国の軍事体制再編成と結びつき、日本の世界における立場を激変させるもののように思われる。

憲法の問題を世界のいまの問題から切り離して考えてはならないと思う。

旅行の間、広津について考えていた。
前号で紹介した広津の言葉は、戦後5年、新憲法成立後3年で、はやくも米軍の都合で日本に再軍備が強要されはじめたときに書かれた。
そして、その直後に朝鮮戦争がはじまったのだった。
当時から、アメリカは日本の憲法改正を求めていた。
それから半世紀たって、ようやくそれが実現に向って大きく前進しようとしている。
しかし、この半世紀以上のあいだ、この憲法は日本を守ってくれたのだ。この憲法がなければ、日本は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に出兵を余儀なくされ、人的にも、経済的にも、大きな打撃を受けていただろう。

いま、私たちは日清・日露の戦争以来の110年の歴史、そして戦後60年の歴史をあらためて深く考え、日本の前途を誤らないようにしたいのだ。

書きたいことは多いが、旅の疲れで心が落ち着かない。
いまは心を落ち着けて、広津のことを考えたいと思う。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu


2887.私の質問
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時38分

昔は外国の資本が入ってくると帝国主義的侵略とよばれ、外資を導入する政府は外弁政府と呼ばれ、国民的攻撃を受けた。

いまは、外資導入が公然と認められ、中国などでも、積極的に推進されている。

この変化は何によるか。
経済学や政治学に無知な私には、そのことについて知りたいと思いながらあいまいなまま過ごしてきた。

この問題について、どんなことでもいいから教えていただきたいと思う。

2886.広津のこと
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時30分

昨夜、東北旅行から帰宅し、今日は高松に行かなければならない。
「日々通信」のはっッこうも遅れている。
この掲示板も空白がつづいた。

旅の間考えていたのは広津和郎のことだ。

広津は「二つの陣営から互いに叫ぶ「平和」という言葉が****如何に脅かすか 」と書いた。

「平和」と「平和」の絶叫が高調に達する時、われわれは「戦争」の足音の近づきを聞いて恐れおののくのです。何故かというと、それは古来の歴史が証明しているからです。戦争はいつでも「平和のため」という旗印を先に押し立ててやって来るものだからです。

世界を支配するものは<強い>ものだ。人々は<強さを>を求める。広津は<弱さ>の意味を追求した。それは常に支配される<弱い>ものである国民の発見であった。

松川のたたいかいも権力に対する<弱い>もののたたかいであり、それは国民的なたたかいになった。

広津には絶望があったのだろう。
絶望を心に抱き、絶望とたたかうところに、弱い広津のたたかいの強さがあった。

Re: 続・改革の後で
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時9分

いつも投稿ありがとうございます。

横浜市大は都立大とともに、戦後民主主義が生んだ大学でした。それは戦後民主主義のシンボルのようなものだったと思います。

それが破壊されて専門学校化したことは戦前に復帰する日本の動きを象徴する事件です。

その破壊の手法はファッショ的で、コイズミ改革の手法と似ています。

新しい時代にどうたたかうか。
いまをどう生きるか。
それが私たちの課題だろうと思います。

日々通信」 第177号 2005年10月20日 内閣総理大臣の靖国参拝を発信しました。

戦争を語り継ごうMLに次のようなメールを書きました。

コイズミさんの靖国参拝には失望しました。
中国や韓国の政府筋の発言にも失望という言葉があったと思います。
なんとか対話の道が開きかけたと思っていたのに、コイズミさんはそれをこわしてしまいました。
ちゃんとした考えがあっての事なのでしょうか。
自分の言葉にしばられ、内外の反対の声に反発して、子供のように意地を張ったのでしょうか。
そうだとすれば、あまりに馬鹿げています。
もしかして、アジアの国々は強いことを言っても、結局は日本にたよらなければならないのだからとタカをくくっているのでしょうか。
そうだとすれば、これは、あまりに中国を馬鹿にした思い上がりです。
それとも、アジアの中で唯一、アメリカに味方して軍事力を強化するための自覚的行動でしょうか。
それでは、平和をねがうという言葉と矛盾し、その言行不一致がその人格を疑わせ、アジアのみならずアメリカをふくめて世界から軽蔑されることになります。
アメリカは中国との関係を重視しています。
日本にり中国を重視するようになるのではないでしょうか。
そして日本と中国をうまくあやつろうとしているように思います。
コイズミさんはアメリカに頼りきって、この戦略を見抜くことが出来ていないような気がします。

なんとしても、とりかえしのつかぬことをしたという思いがあります。
それにしても、国会議員が100人以上も参拝し、国民の多くがこれを支持しているようなのは、なにか絶望的になります。
こうして、日本はますます居丈高になって孤立の道を歩くのでしょうか。
70年も前の無謀な道をあるいて破滅へと突き進んだ当時の選択の再現のような気がしてなりません。
まさかと思うのですが、まさkと思うようなことが次々におこる時代です。
なんとか、コイズミさんの暴走をやめさせたい。
コイズミさんを辞職させたい。
しかし、与党にも野党にもその気概ある人はいないようです。
マスコミにもそれはありません。

しかし、振り子は一方に大きく振れれば、今度はその反対に振れるものです。
あきらめないでがんばる必要があると思います。
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/10/177_20051020__4de1.html

|

« 第177号 2005年10月20日 内閣総理大臣の靖国参拝 | Main | 第179号 2005年11月7日 小林多喜二と現代 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92803/6754443

Listed below are links to weblogs that reference 第178号 2005年10月30日 遊就館を訪ね、日露戦争のことを考えた。:

« 第177号 2005年10月20日 内閣総理大臣の靖国参拝 | Main | 第179号 2005年11月7日 小林多喜二と現代 »