第184号 2005年12月8日 12月8日におもう
>>日々通信 いまを生きる 第184号 2005年12月8日<<
12月8日におもう
今年もまた12月8日がやって来た。
私たちの世代にとって、7月7日、8月15日とともに忘れることができない日だ。
しかし、いまの若い人たちにとってはあまり関心がないという。
過去は忘れられる。
いつまでも過去にこだわるべきではないという。
しかし災難は忘れた頃にやってくる。
この数年来、9月18日について考えることが多くなった。
そして9月18日について考えることは2月20日について考えることだ。
念のために書いておけば、9月18日は、1931年、柳条湖事件を契機に満州事変が始められた日だ。
2月20日は、1933年、小林多喜二が殺された日である。
7月7日は、1937年、蘆溝橋事件をきっかけに対中国侵略戦争が全面化していった日だ。
そして12月8日は、1941年、中国戦争に行きづまって対米英戦争に踏み込んだ日、8月15日は、1945年、日本政府がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した日だ。
中国に対する戦争と米英に対する戦争では、その性質がちがう。日本の対中国戦争は侵略戦争だが、対米英戦争は先進帝国主義国と後進帝国主義国のアジア支配をめぐる戦争だった。
米英は元来アジアを侵略して発展した国で、あとから出てきた日本が中国を独占支配して自国の既得権益を侵害するのに反対して、中国を支援し、ついには対日経済封鎖にふみきったのだ。
日本は追い詰められて米英蘭に宣戦布告して、真珠湾を奇襲攻撃し、フィリピン、インドネシア、マレー半島へと攻め込んだ。
日本が12月8日を忘れてもアメリカはそれを忘れない。リメンバー パールハーバーという言葉はいまも生きている。
日本がこのような、いまから考えれば無謀としかいいようのない戦争をはじめた背景には、ヒトラーのドイツがヨーロッパを席捲していたという世界情勢がある。
フランスがドイツに降伏したことを理由に仏印に進駐し、米英との決定的対立を招き、経済封鎖を招いた。
考えてみれば、昭和初年までは日本は親英派が政権を握っていたのだ。これが原敬、浜口雄幸の襲撃事件、5・15、2・26などの反乱事件を経て、軍部独裁が実現し、満州事変から対中国全面戦争を、そして対米英の世界戦争に発展する。
大正デモクラシーの時代から、昭和初年の社会主義とプロレタリア文学全盛期を経て、ファッショの時代へと移行する。
歴史はあまりにも急激に変化していった。12月8日は8月15日への道だった。いま思えば、あまりにも当然な道筋のように思えるが、その時代を生きた人々にとっては、それほど自明のことではなかったのだろう。
権力による思想弾圧とか、言論の抑圧、皇国主義教育とか、いろいろに言うが、日本国民自身の問題として、それに、自ら責任を負うものとして、なぜ、そういうことになったかを明らかにする必要があると思う。
軍部がわるい、国民は犠牲者だというだけではすまないのではないか。なぜ、軍部がそうなったのかも問われなければならないし、なぜ、国民がそれを許したかも問われなければならない。
国民の多数は軍部を支持したのではないか。
もちろん、軍部に反対してたたかった人々もいる。
しかし、それは少数だった。
彼らは一時は多数であるかに見えたが、結局は少数で、追い詰められ、孤立化して、ついに壊滅させられた。
このことの意味を日本国民自身の責任として明らかにする必要がある。
戦後は、日本は米国に従属して経済発展の道をたどった。平和憲法に守られて、日本を戦争に動員しようとするアメリカの要求にうちかって平和を守り、経済的繁栄を実現した。
しかし、いま、日本は急速に変貌しようとしている。
その背景にはアメリカのアフガン・イラクの戦争があるのだろう。
孤立するアメリカは日本をほとんど唯一の信頼できる同盟国に仕立て上げようとしている。
そして小泉以下はそれに応ずる構えだ。
アメリカかの支持さえあればすべてはうまく行くと信じているらしい時代錯誤の連中は、日本を滅ぼす日米同盟の強化に熱中している。
日米軍事体制の再編成は日本が米軍の命令で世界のどこへでも出て行き、米軍の「正義」の戦争のために血を流す体制だ。そのために憲法改訂が急がれている。
日本は歴史の転換点に立っている。しかし、国民の多くはその重大さを感じていないのではないか。
あの時代の私たちがただ夢中で、その日その日の情況に押し流されたように、ついに我が身に直接火の粉がふりかかってくるまでは、歴史というものを自分との関連で意識することがない場合が多いのではないか。
12月8日についての過去の記事
「日々通信」第83号 2003年12月12日 63年前の12月8日
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@83.htm
「日々通信」第124号 2004年12月8日 4度めの12月8日
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@124htm.htm
12月になって急に寒くなってきた。
耐震偽造問題は現代日本の暗部を露出し、人々を大きな不安に陥れている。
新掲示板2、ニュースへのコメントに感想を述べた。
まさに不安のうちに、この不安を逃れる術もなく生きていくのが現代人の運命なのだろう。
12月8日をむかえていっそう強くそれを感ずる。
そういういま、中国で小林多喜二の国際シンポジウムを開いた意味を思う。
日本の危機がますますはっきりしてきたいま、小林多喜二は、夏目漱石や広津和郎とともに、また、新しい意味をもってよみがえる。
この不安の日々を不安に押しつぶされずに生きなければならない。
皆さん、元気でお過ごしください。
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Comments
伊豆先生:
ご無沙汰しております。わたしは陳君です。お元気ですか。このごろ保定の天気は急に寒くなりましたが、日本はどうですかな。先生はお体に気を付けてください。
先生との二日間は本当に楽しかったです。それにいろいろな勉強ができました。それに先生は松沢先生にわたしの勉強についておはなしなさったということを知って、本当に感謝しております。
先生の本のことなんですが、わたしはまだ出していないです。というのは松沢先生がそれを直接日本へ持ち帰りたいとおっしゃったのですから。張如意先生に先生が急いでいるようですと言われて松沢先生と相談した結果近頃先生に出すつもりなんですが。航空便でたいへん高いですので、船便で送るつもりなんですが。でも、二ヶ月ぐらいかかると思いますが、いかがですか。もし、先生は急いでいるならば、航空便で出します。
また先生にメールを出しますから。
先、先生の書かれた「12月8日思う」を読んで、わたしは感心してしまいました。
学生:陳君
12.08
Posted by: | 12/08/2005 at 07:39 PM