第202号 2006年4月25日 「戦艦大和の最後」と「戦艦武蔵の最後」
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伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
「戦艦大和の最後」と「戦艦武蔵の最後」
知覧から出撃した特攻隊員の名簿を見ると、2階級特進で少尉になった隊員と大尉、少佐になった隊員とがある。
前者は出撃当時下士官だった隊員で、特幹出身の少年航空兵だったと思われる。後者は大部分が学徒動員の特甲幹出身だった。
特幹は15歳から20歳までを志願資格とする下士官養成コースである。海軍の予科練にあたる。特甲幹は学徒出身者の速成士官養成コース(海軍の予備学生にあたる)で、知覧から出撃したのは大部分1943年の学徒出陣で学業中途で動員された学生たちだった。
特甲幹も志願だが、従来の幹候に比して半年間の初年兵教育を免除されて直接に予備士官学校に入学するわけで、下士官になるための志願制度、特幹とは本質的なちがいがある。志願という意味は下士官コースの特幹のほうが強かったと思う。
戦争を描いた戦後文学の作家たちは召集された大学出身者が多く、職業軍人をめざす志願軍人の実態に触れるものは少なかった。「桜島」の梅崎春生は吉良兵曹長一種不可解な苦手の人物として描かれている。
以下「桜島」について書いた私の紹介文の一節を紹介する。
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静かな鹿児島湾の上空を、古ぼけた練習機が、極度にのろい速力で、空を這っているように飛んでいた。この練習機が特攻隊に使用されているのであった。<私>は目を閉じたかったが、目を外らせることができなかった。<私>はその機に搭乗している若い兵士のことを想像せずにはいられないのである。
坊津で見た水上特攻隊員は皮膚のざらざらした、荒んだ表情の若者たちで、その一人は<何か猥雑な調子で>流行歌を甲高い声で歌っていた。その時胸に湧き上がった<悲しみとも憤りともつかぬ感情>はながく心に残った。
桜島の通信隊は少年兵が大部分で、十五歳の少年もいた。彼等は敵の上陸が目前に迫っているのに、何箇月かかるかわからない壕つくりの作業に駆り立てたられ、苛酷な制裁を受けていた。そして、何の疑いもなく日本は勝つと思うと言うのである。
彼らを絶望的な苦役に駆り立てているのは吉良兵曹長だった。志願して海軍にはいり、海軍を<唯一の世界>として生きてきた吉良の挙動は、戦局がおしつまるにつれて異常さを増し、酔って日本刀をふりまわしたりした。
敵が上陸したら<此の軍刀で、卑怯未練な奴をひとりひとり切って廻る>と言う吉良は<終戦の詔勅>に、軍刀を抜き放ち、じっと刀身を見つめた。<飢えた野獣のような眼にこの世のものでない狂暴な意志を私は見た>が、やがて刀身をさやにおさめ、詳細を知るために<私>とともに暗号室に急いだ。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh35@sakurajima.htm*****************************************
「戦艦大和の最後」も東大法学部出身の学徒で海軍少尉の眼で書かれたものである。
老兵二名背ヲ曲ゲテ蹲リ、濁リ沈メル眼ニ苦渋ノ色ヲ湛ウ 視線、凝然卜床ニ落チテ動カズ
フテブテシク死ニヨリカカリタル倨傲カ 死ニ打チヒシガレタル困憊カ
彼ラ最早ヤ兵ナラズ一個ノ人間ナリ
腰ヲ蹴リ、背ヲ鞭打ッテ、如何ナル言葉ニ失態ヲ責メ得ルヤ
老兵に対する思いやりはあるが、それは将校の兵に対する思いやりであり、その苦しみに寄り添い、嘆きと悲しみを共有するものではない。
吉田満は哨戒当直士官だった。艦橋で艦長のそばにいて情況を伝える役だった。一番中心の部署で全体の状況をでみることができたわけである。このため、撃沈される戦艦大和の最後が全体的に展望され、得難い記録になっているが、そこで闘う個々の兵士の姿は明瞭でない。
これに反して、「戦艦武蔵の最後」の作者渡辺清は富士山麓の農家の二男坊で、昭和十六年五月、十六の年に志願して水兵になり、敗戦までの四年余をほとんど前線の艦隊勤務で過ごした。一九四四年一〇月、戦艦武蔵があ撃沈されたときは十九歳で、兵長だった。
機銃射手として真正面から襲いかかる敵機めがけて射撃をつづけ、その間、次々に仲間をうしなった。戦闘前の恐怖や夢中で撃ちつづける戦闘場面、とりわけ、生死をともにした戦友たちへの熱い思いなど、「戦艦大和の最後」には見ることのできない生々しい記録である。
最初に死んだ酒井はは四十一才で豆腐屋だった。十五をかしらに五人の子持ちだった。今年の一月の召集組で、横須賀海兵団で三カ月の速成教育をうけたのち、四月に武蔵勤務になった補充兵だった。
同期生の星野は商業学校を卒業した翌年、十八歳で家中の反対を押し切って志願した。信州松本在の金物屋の長男で、両親と祖母へのこんどの休暇土産に鼈甲の櫛や帯どめや、わに皮のバッグなどを買いこんでいた。年が多かったので同年兵はずっとこの星野を中心にやってきたのに、敵弾に斃れてしまった。
「星野の……馬鹿野郎……なぜ死んだ……畜生、畜生……」渡辺ははげしい思いを記している。
歌の上手な稲羽は茨城の農家の次男で、十七のとき志願して今年で丸十年になるが、同期の中でもかなり早いほうの進級だった。彼ははやく短剣吊って除隊になり故郷へ帰ることを夢見ていた。「おれは海軍やめたら牧場をやろうと思ってるんだ」と言っていた。
<銃身をさかさにしてひっくり返った銃座のあとには、蛇腹のきれた防毒面と膝から下の片足が一本、おき忘れたように転がっているだけで、稲羽の名残をとどめるものはなに一つなかった。あたかも彼がこの世に存在しなかったかのように……。>
学生時代、一度思想運動で捕まって、三月ばかりくさい飯をくった経歴があり、いつまでも兵長のままで任官せず「赤の万年兵長」と呼ばれた深谷兵長も死んだ。
小学校(高等科)を出てすぐ志願した新兵の村尾一水は、まだ十六歳で、まだ子供の影が残っていたが、最後の波状攻撃でやられ、足を切断されてダルマになった。
いよいよ艦が沈み、「総員退去」の命令が出たが、脱出することができない。「こわい、こ、こわい、ね、いっしょに連れてって……」と必死に頼む彼を見捨てることができず、肩に背負って上甲板に出ようとするが、その途中で波にさらわれて行方がわからなくなった。
特攻で戦死した少年航空兵たちは、特別な覚悟があったのだろうが、敗戦末期の兵たちの心はさまざまだった。
それにしても、ひたすら国のために死のうとしたのは若い兵士たちだけではなかったかと思われます。
戦争末期の軍隊で、兵舎を解体する作業をしている伍長が、釘を抜いて延ばす仕事をしながら、「勝ってる、勝ってるというが、負けてるじゃねえかよう」と人に聞こえるように繰り返していたのを聞いて、私は驚いた。
あの伍長は教師出身の短期現役だったと思う。私は兵隊に入ってはじめて日本が敗けると信じ、その日を待ちつづけるようになった。もし、兵隊にならなければ、私はこれほど、平和主義にも、反軍国主義者にもならなかったろう。
私の病気は多発性ロイマティスというあやしげな病気だったが、同じ班の医者で召集されたが、軍医にならないという老一等兵が、「戦争中にはそういう病気が多いんだ」とやさしい声でいってくれたのを忘れない。
それは戦争もしくは軍隊拒否症なのであるらしい。町の医者は、私の神経の過敏反応を検査して、米軍機がサイパンをでたら分るだろうと言って笑った。
軍隊とは何であるか。国とは何であるか。愛国心とは何であるか。それを一義的に漠然と情緒的にきめつけ、それを子供たちに強制するのは日本の前途を誤ると思う。
そのような教育を受けて、戦争と軍隊をわずかながらも経験したものとして、思うことが多いのである。
「戦艦武蔵の最後」については、その一を「平和新聞」に発表し、その二を準備しているところだ。
「戦艦大和の最後」については、すでに「平和新聞」に発表しホームページにuploadした。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@61.htm
たちまち春はたけ、晩春となりました。
気候の変化がはげしく、一度ひいた風邪が二カ月もつづきます。
皆さん、お体を大事にお過ごしください。
「米軍基地再編・強化に反対する―講演とシンポジウム―」
日時:2006年4月29日(土)17:30 - 20:30
場所:横浜開港記念会館1階1号室
(地下鉄みなとみらい線日本大通駅下車(県庁口、徒歩1分)
1.基調講演(各30分)
(1)天木直人(元レバノン大使)「米軍基地再編と日本外交」
(2)北沢洋子(国際問題評論家)「世界の(反戦)市民運動と日本の反基地運動」
2.シンポジウム:「米軍基地再編・強化反対運動の現状と課題」(90分)
司会:山根徹也(池子、横浜市立大学助教授)
パネラー:
呉東 正彦 (横須賀、弁護士)
中澤 邦雄 (座間、市会議員)
金子豊貴男 (相模原、市会議員)
阿部 小涼 (沖縄、琉球大学助教授)
3.質疑・討論(30分)
4.まとめと「宣言」(10分)
主催:米軍基地再編・強化に反対する神奈川(在勤・在住)の大学人
代表:伊藤 成彦(中央大学名誉教授)


Comments
>最近は中国、韓国に対して友好的な姿勢を示すと、「非愛国」「反日」のレッテルも。
>じっくりと考えてみたいものです。
ふ~ん、なるほど。
そうですか?
http://wiki.livedoor.jp/fukuoka_bengoshi/d/
Posted by: 谷口和成 | 05/07/2006 at 02:14 PM
何が正論で、どれが邪論か。曖昧模糊の世界。はっきり見えていても、きちんともの申す人が少ない。
「はっきりともの言えば、ジャーナリズムから干される」
よく分かっているからでしょう。
「そんなの、今、受けないよ」そして
「若者に受け入れられるには、、、、」
若者とそれから上との分極がこれほど甚だしい国は、世界でも珍しいでしょう。そして「壮年組」が「若者世代」にとけ込もうともがいている国もまた。
最近は中国、韓国に対して友好的な姿勢を示すと、「非愛国」「反日」のレッテルも。
じっくりと考えてみたいものです。
Posted by: 由良 力 | 05/02/2006 at 11:00 AM