第222号 2006年9月12日 敗けることを知らぬ不幸
>>日々通信 いまを生きる 第222号 2006年9月12日<<
敗けることを知らぬ不幸
乃木大将は日露戦争が始まろうとしたときに、「敗けるという事を知らぬのが日本人の最大不幸だ。」と痛嘆したという。
石川啄木が日露戦後まもなく校友会雑誌に書いた「林中書」に書いている。
乃木大将の真意は知らないが、この言葉は妙に心に残った。
乃木大将は戦死した部下の遺族を訪ねて歩いたということが知られている。戦争に勝っても死者たちは帰って来ない。しかし、戦争に勝った日本は勝利に酔って、自国の軍隊を栄光で飾り、その強さをほこって止まず、悲惨な戦闘の現実には眼を向けず、戦死した兵士、負傷兵、勝利のかげに見捨てられた遺族たちの悲惨さは誰も顧みるものはいない。戦争に勝って驕慢になり、悲惨な戦争の現実や日本の弱点を顧みることもなく、また新しい戦争に突入しようとする。そのことを乃木大将は言いたかったのではないか。
日露戦争に勝利した日本は世界の一等国になったといって狂喜し、驕慢になっているが、戦争に強い国が、文化的にも負けた国よりすぐれているとは限らない。日本は僅々三、四十年のあいだに驚くべき発展を遂げたというが、それはすべて借り物で、真の文化が実現されたとは言い難い。二十才に見たぬ一代用教員啄木は鋭く戦勝日本の政治、経済、文化を批判している。
(新掲示板1 文学の広場 966 参照)
明治三十七年の啄木は「権威は勝利者にあり」など、日本の勝利に熱狂し、ロシアを見下す文章を書いていた。それが一転してこのような日本文明批判の文章を書いた。子どもから大人に脱皮したのだともいえるだろう。啄木は二十六才の若さで亡くなったが、その短い生涯にすぐれた短歌、詩、評論を残して、いまに生きている。「林中書」はその出発点を示すもので、事あるごとに私の心によみがえってくる印象深い文章だ。
日露戦争勝利に沸く日本で、このように日本を批判し、ロシアに対する理解を示した文章を書いた啄木は、いまなら「自虐的」と批判され、ネット右翼と呼ばれる有象無象からは「反日的」と罵られるのだろう。このごろそういう「愛国的」言説が次第に声を高めている。
しかし「自虐的」とは何をいうのか。「自虐的」の反対語は自慢、自讃、うぬぼれなどであろう。啄木のころから一九四五年まで、日本にはそのような言説が充満して、日本の現実を批判するものは非国民と呼ばれ、国賊と罵られた。
「神国」「万世一系」「肇国の精神」「八紘一宇」「アジアの指導者」「大使命」これらの「揮発性の言葉」(啄木「食うべき詩」新掲示板1文学の広場981参照)は敗戦によって一掃されたはずだったが、最近になって復活しはじめた。日本はふたたびあの「美しい国」の歴史をたどり直すのか。戦後六十年、アメリカに従属して異常な発展を遂げた日本は、「敗戦」を忘れようとしている。戦争を含めて過去の日本を美化し、自慢しようとしている。それが日本をどこへ導くか。
「敗けるを知らぬ」驕慢な国といえば、すぐ思い浮かぶのはアメリカである。スケールははるかに大きいがいまのアメリカは、あの世界一を目指した急造の国日本を思いださせる。アメリカは軍事力でも経済力でも世界一のくにであることを誇り、「人道」と「民主主義」の旗をかざしてアジアや中東を支配しようとした。しかし、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争で勝利をおさめることができず、いまは中東で苦戦している。
9・11の世界貿易ビルとペンタゴンの同時爆破事件はアメリカの経済的軍事的世界支配の中枢に対する想像を絶した奇襲攻撃だった。それは近代文明がテロ攻撃に対して意外に脆弱であることを白日にさらした。このテロ攻撃をいかに防ぐか、その根源をいかになくすかと考える暇もなしに、アメリカはテロを計画したアルカイーダを近代的軍事力で粉砕しようとして、アルカイーダをかくまうアフガンに対する殺傷力の高い高性能の誘導ミサイルを雨あられと撃ち込み、地上部隊を派遣して、アフガン攻略に成功した。しかし、ビンラディンは行方をくらまし、アルカイーダを消滅させる計画は失敗した。後に残ったのは廃墟と化したアフガンの国土と、アメリカに対する敵意を増幅させたアフガン人民だった。アルカイーダをかくまったタリバンを排除して、タリバンに反対する諸勢力による「民主主義」政府が樹立されたが、あれから5年たってみれば、タリバンがふたたび勢力を盛り返し、争乱は以前にまして激化しているという。そして、アメリカに対するテロ攻撃の危険は減るどころかますます強まってさえいるのだ。アメリカのアフガン攻撃はいったい何だったのか。
同時多発爆破事件から間を置かずに想像を超えた大規模なアフガン攻撃が実行された。あの爆破事件そのものがアメリカによる陰謀だったという説が説得力をもってますます強まっている。その真偽はとにかく、アメリカがアルカイーダによるテロ攻撃を予知しており、それを引き金に大規模な攻撃をしようと待ち構えていたことは否定できないだろう。
アフガンの次はイラクだ。これこそ何のための戦争だかわからない。イラクが大量殺戮兵器を所有しているというのがその理由だった。当時国連の査察団が査察を行っていて、その証拠を見出せないと報告していた。そして、やがて最終報告が出るというときに、国連安保理事会でフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対したにもかかわらず、アメリカは一国主義でイラク攻撃をはじめ、GPS誘導爆弾やレーザー誘導弾など高性能の武器を大量に撃ちこみ、13万の地上軍を派遣してイラク軍を壊滅させた。2003年3月19日に開戦を宣言し、5月1日に一方的に『戦闘終結宣言』を出した。しかし、戦争はこれからだった。
ドイツとフランスは長い年月にわたって覇をきそい、戦争を繰り返したが、20世紀の二度の大戦は勝った国も負けた国も国土を荒廃させ、大量の犠牲者を出した。この経験がそれぞれの利害の対立、確執をこえてヨーロッパの統合を実現させた。EUはアメリカの一国覇権主義に抵抗して、内部に多くの矛盾をかかえながらも、国際主義、平和主義の道を歩こうとしている。
アジアでは中国が日本軍に蹂躙される悲惨な敗戦の歴史から新たに立ち上がり、その経験を忘れることなく、自国経済の平和的発展とアジアの平和的統合を推進しようとしている。
アメリカは二度の大戦で本土を攻撃されることもなく、被害のもっとも少なかった国だ。むしろ、この戦争で軍事力、経済力を強化し、ソ連崩壊後は唯一の覇権国家として世界を支配しようとしている。朝鮮戦争やヴェトナム戦争も、遠いアジアでの戦争であり、本国は被害を受けることが少なく、その記憶は偉大な発展のかげに忘れられがちだ。
アメリカは負けることを知らぬ唯一の国だ。しかし、いま、イラクの戦争で脱出口のない泥沼戦争に陥った。アメリカが支援するイスラエルはパレスチナやレバノンにアメリカ風の戦争を仕掛けて失敗した。アメリカやイスラエルが平和と人道のために凶暴な近代戦争を仕掛けるたびに、アラブでは過激なイスラム原理主義が力をまして、武装抵抗闘争が強化されている。いまのアメリカはかつての中国大陸で進退窮まった日本とそっくりだ。連戦連勝で破滅の道を歩き、ついに、絶望的な対米英戦争に突入した。アメリカはどうするか。イランは妥協はしても屈従することはないだろう。これが負けることを知らぬ国の末路だ。
日本は第二次大戦で徹底的に敗北した。その教訓は平和憲法擁護の力となって、今日まで曲がりなりにも平和と繁栄を維持してきた。しかし、60年もたち、ひたすらアメリカに依存してきたために、負けた過去の現実から目をそらし、過去を美化する自慢、うぬぼれの史観を復活させるようになった。平和を馬鹿にし、戦争を美化するアメリカの後を追い、<負けたことを忘れた国>になろうとしている。日本はどこへ行くか。アメリカの横車も極限まで来て、いま、新しい世界平和の構想が生まれようとしているとき、アメリカとアメリカに従属する日本の去就が大きな意味をもつ時だ。
大岡昇平の「野火」に次の言葉がある。
現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は半分は子供である。
(平和新聞連載 文学に見る戦争と平和第29回 2002年11月 大岡昇平 野火 参照)
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs29nobi.htm
ようやく秋になったようです。
秋の雨がつづきます。
「自然の理」ということを感じます。
歴史にも「歴史の理」というものがあるのだと思います。
私もいくらか夏バテ気味で気力を失っていましたが、秋になってまたなんとか元気を回復してきたように思います。
皆さんも、お元気でお過ごし下さい。
伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/


Comments
金達寿と平和・自主精神
国民国家の形成過程に先頭に立って、それを実行していた乃木大将。
彼は結局明治天皇の死を追って、殉死の道を選択するわけだが、近代日本の未来を予測でもしていたのだろうか。
「心」の先生も、明治天皇の死で悲運の風が日本全域に吹き付けると、淋しさに体を震わせずにはいられなかった。
「「私は淋しい人間です」。「私は淋しい人間ですが。ことによると、貴方も淋しい人間ぢやないですか。---」」という言説の背景にはそのような時代の潮流が頭を擡げていたともいえよう。
乃木夫妻の殉死を目撃する先生の心も強烈な淋しさに揺れ動いたはずだ。
「敗けるという事を知らぬのが日本人の最大不幸だ。」という言葉は、日露戦争後石川啄木の文章に見出されたとき、新たな意味を持って蘇るだろう。
伊豆先生のご指摘のように「日露戦争に勝利した日本は世界の一等国になったといって狂喜し、驕慢になっているが、戦争に強い国が、文化的にも負けた国よりすぐれているとは限らない」。
当時日本はその一等国を目指し、周辺国の自由を奪い取るだけではなく、植民地経営を口実に収奪を繰り返した。それは中国から韓国へ、韓国から日本へと流れ込んだ文化的遺産と歴史を全面的に否定する発想でもあった。
金達寿が海を越え、日本に渡ったのも、日本が日露戦争に勝って一等国になったと錯覚を起こし、韓国を占領した時代である。金達寿は、1919年韓国慶尚南道昌原で生まれた。父は貧しい農夫で、達寿の上には兄が二人、下には妹が一人いた。
父は毎日酒屋でぶらぶら過ごして家産を傾け、結局家まで差押えられると、達寿と上の兄を残して、日本に渡ってしまう。
勿論祖母がそばにいたわけだが、兄と居残りになった達寿の心境が如何につらいものであったかいうまでもない。
貧困の生活は続き、兄はついに栄養失調で死んでしまう。しかし、達寿は兄の死を見守り、自分の不運な身の上を嘆ずるしかできなかった。日本帝国に祖国を奪われ、しかも貧窮に追い込まれる苦しい生活は家族の命まで奪う。子供のときであったのだが、彼は自分の運命の過酷さをだれより凄絶に感じざるえない。
彼の文学的出発点は、このような不遇な成長環境に根を下ろしているといえよう。
彼の文学に労働の問題が鮮明に露呈されるのも、その理由にほかならない。
達寿は、その労働を求め、故郷を離れようとしたとき、祖国を失った植民地人間の辛さを体験する。
彼はついに父母のいる東京に向かって、釜山からカンプ連絡船に乗って下関につき、汽車で東京に入ろうとした。
しかし、彼は韓国人は、日本警察が出す渡航証明書がなければ船に乗れないという事実を知らなかったのだろうか。
植民地人間の差別を噛み締めながら仕方なく、故郷に戻って、渡航証明書を発給してもらい船に乗る達寿は、祖国愛を覚えるのだ。
なぜ朝鮮は日本に支配されたのだろうか。
どうして我々は巡査から渡航証明書をもらい、出さなければならないだろうか。
達寿を連れて行くためにきた兄は、お弁当を達寿にあげ、蜜柑一つで2日間を堪えるのだが、達寿はそのお弁当を食べながら、祖国を失う人間の悲惨さを自覚させられるのだ。
威張る人間と差別される人間の問題、金達寿の文学はそれを問い続けるのだが、一等国になったという風潮がその時代を生きる全ての日本人にも感染されていたのは事実である。
一時期「「権威は勝利者にあり」など、日本の勝利に熱狂し、ロシアを見下す文章を書い」た石川啄木の覚醒も、決してそのことと無関係ではなかろう。
チマ・チョゴリを着て市場に出た母と自分に「朝鮮人!朝鮮人!」と冷やかしながら石を投げる日本人が住む社会。
その日本の渡来人への待遇は、不愉快極まるものであった。
しかし、達寿の母は涙を浮かべながらも、「大丈夫、大丈夫」、「逃げないで御母さんのそばにいて」と言い、石を投げ返した。
このような母の愛は、彼の未来に希望を与えるのである。
おそらく達寿が紙くずをくずやに払いながら、その紙くずから本を拾い、読み耽ったのも家族のことを念頭においていたからであろう。小学校の卒業証明書もないのに、妹の夫の卒業証明書を借り、日本大学に進学することにいたるには、彼には向学の念に燃える熱情もあったのだが、祖国や民族、そして家族への強い思いが潜在していたことを忘れてはならないだろう。
金達寿は大学在学中最初の作品「位置」を発表し、終戦後1946年『後裔の街』、1954年『玄海灘』、1969年『太白山脈』などを書き、在日韓国人作家として名声を博する。彼の作品が祖国や民族の問題に深奥な趣を見せたのは当然なことである。日本民主主義文学同盟の結成に参加するなど社会文学活動にも励んだ。韓日の古代史分野にも業績を積んで、日本中の朝鮮と朝鮮人、そして朝鮮文化の位相を全ての日本人に再認識させた。
帰国し、ソウル新聞の記者として活躍したこともあるが、祖国国民に学徒兵志願を唆し、戦争に駆り立てる文章を書く仕事を懐疑的に思い、横須賀の神奈川新聞記者に復職したこともある。
金達寿は「わがアリランの歌」で、なぜ韓国の青年が戦争に駆り立てられ、人を殺し、怪我をし、死んでいかなければならないのか、なぜ天皇のため、命を棄てなければならないのかという疑問を一人の朝鮮青年を通じ、提起した。それこそ達寿が生涯闘い続けなければならない問題であったので、そこから作者の共感の視線か読み取られるのは勿論のことである。
アメリカの軍事的敢行を金達寿はどう思ったのだろうか。
アメリカの飛行機が祖国韓国を爆撃するため、日本の基地から飛び立つのを見る金達寿の心境は、何かで胸を刺されるような苦痛を覚えずにはいられない。
1952年32歳のとき書いた「玄海灘」にはそのような韓国青年の苦悩と時代的背景が生々しく描かれている。
ソウルに住む韓国青年の成長と変革の過程は、戦争に露出された悲劇的な民族問題である。
しかし、達寿は不幸にアメリカと日本をそこから切り離して考えることができないので、息苦しかったに違いない。
達寿の問題は今でもそのまま生き残っている。
「アメリカは軍事力でも経済力でも世界一のくにであることを誇り、「人道」と「民主主義」の旗をかざしてアジアや中東を支配しよう」する。そして、「朝鮮戦争、ヴェトナム戦争で勝利をおさめることができず、いまは中東で苦戦している」。
日本はどうか。
伊豆先生が上記で詳しく触れておられるので、繰り返しはしないが、日本は確かにアメリカを追っ掛けている。
「敗けることを知らぬ国」アメリカ、そしてそれを追従している日本。
特にこの頃、日本の政権が移譲される重要な時期にアメリカ、日本の態度に不安感が感じられるのはなぜか。
アメリカは北朝鮮への金融制裁を決して諦めようとはしない。
むしろ、もっと強硬な報復政策で北朝鮮を降伏させようとしている。
だが、北朝鮮は行き詰まりのところまで行く態勢である。
対話は途切れたままで、アメリカのネオコンも、日本のネオコンも軍事的攻撃の可能性を計っている情報さえ流している。
日本からも核武装をするという妄言が聞こえてくるのではないか。
日本ははたして平和憲法を守ることができるだろうか。
金達寿の精神が日本全域に広まることを期待してやまない。
Posted by: 金 正 勲 | 09/17/2006 at 04:11 PM
勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。
これをしなかったこと、歴史を軽視したことが、
戦争に負けた原因であろう。
Posted by: カタラクシー | 09/12/2006 at 08:48 PM