第234号 上海に行って来ました
>>日々通信 いまを生きる 第234号 2006年12月13日<<
発行者 伊豆利彦
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上海に行って来ました
旅行のため、大分空白が出来たが、6日間の上海訪問から昨日帰って来ました。上海の繁華は想像していた以上でした。
20年前に宿泊し、その後も訪れたことのある和平飯店は昔のままに残っていた。
南楼は1906年に建設が始まったという。その年が刻まれているのを見て、日露戦争の翌年だったことに関心を持ち、今度もそれを探したが見つからなかった。
英国の支配は長い。
上海には上海師範大学にかつて横浜市大に留学して深い関係を持った楊国華さんがいて訪問の度に案内してもらったが、今回は団体旅行だったので会う余裕がなかった。
この前北京で暮らしたときも、この前上海を訪れたときも、自転車の氾濫と人々の雑踏にに苦しんだが、今度はそれがなかった。それだけ近代化が進んだということだろう。
地下鉄網が建設され、自転車は駅周辺の駐輪場に預けて、地下鉄で通勤するようになったという。
そのかわり、自動車バイクやがふえ、交通渋滞がひどい。それでも、数年前の北京の方がひどかったように思われる。
バンドの周辺はすっかり変わった。20年前はまだ昔の面影を残していた。15年前には、工事中で掘り返されて惨憺たるものだった。当時は浦東地区の開発が始まったところで、一帯に荒れ果てていた。
しかし、いま、バンドは一変した。和平飯店など昔の面影を残す建物は新しい高層建築に囲まれ、それ以上に、浦東地区は美しい高層建築が立ち並び、それらがライトアップされて、上海の発展を誇示している。
上海については書くべきことが多いが、いまは、約束した原稿がおくれているので、あとに譲る。
私が留守の間に掲示板が右翼的な書き込みで荒らされているのではないかと心配だったが、無事だった。
屈原さんが12月8日と教育基本法について書き込んでくれた。ドラクエモンさんの質問にも読者からの回答があった。
横浜市大の変質についても投書があった。
横浜市大の問題は決して市大だけの問題でなく、日本の大学の全般的な崩壊の方向を示しているのだろう。昔の日本は教育の充実のために大変な努力をした、戦後は新制大学の建設になみなみならぬ努力をした。いまは予算を削り、大学の解体に力をつくしている。日本の終焉の徴候はいろいろあるが、これはそのもっとも見やすい徴表の一つだろう。中国の大学が飛躍的に拡大されているかを思うとき、日本と中国の未来は対照的になるのではないかと思われる。
留守の間に6カ国協議再開の日程がきまった。
アジアの新時代がはじまるのだろうか。
米朝の不信と対立は深刻で、決して容易ではないかも知れないが、アメリカの一国覇権主義が後退したことで、新しい展開が期待できると思う。
しかし、日本では南北対立、米朝対立の遺産である拉致問題を大々的に取り上げて、朝鮮に対する敵意を増幅している。この不幸な事件の解決のためにも日朝国交回復が必要なのだが、近視眼的に拉致問題で国民の反朝感情をあおりたてている。
日本は結局アメリカのあとについて行くことになるだろうが、情けない話だ。平壌宣言はまだ死んでいないといわれる。これこそ、日本とアジアの未来を開き、日本がアジアの平和に積極的に貢献する道だったが、安倍さんなどの骨折りで、拉致問題を理由にその道を閉ざされ、日本は6カ国協議のお荷物になった。
日本はアジアと世界の未来にどのような展望を持ち、どのように寄与しようとしているのだろうか。
経済による貢献は大きいが、それも国家としての展望がなければ、限界がある。中国はアメリカだけでなく、EUともインドともイランともアフリカ諸国とも親密な関係を結び、独立したアジアの大国としての権威を獲得しているようだ。
上海の繁栄は新しい時代のはじまりを示すと思うが、それはまた新しい問題を生み出している。ガイドの殷さんが、中国が発展途上国であることを強調していたのが印象に残った。
上海についてはあらためて書きたい。
いまは、帰国の挨拶としてあわただしく発信する。
寒さの折から、体に気をつけてお過ごしください。


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