第239号 成人の日に
日々通信 いまを生きる 第239号 2007年1月8日
発行者 伊豆利彦
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安部首相は年頭早々「憲法改正を私の内閣で目指したい、参院戦でもぜひ訴えたい。」と所見を述べた。
これと呼応するように、経団連の御手洗会長は新年の挨拶で企業も国家国旗を尊重すべきだと愛国心を強調した。
【安倍総理冒頭発言】
>昨年9月に私の内閣が発足して、約100 日が経過をいたしました。この100 日間で美しい国づくりに向けて、礎を築くことができたと思います。
>昨年の臨時国会において改正教育基本法、防衛庁の省昇格、そして地方分権改革推進法を成立させることができました。
また、財政再建を進めていくという意思を示す予算編成を組むことができたと思っています。今年は、この礎の上に大きく前進する年にしていきたいと考えています。
>今年は、イノシシ年であります。美しい国に向かってたじろがずに、一直線に進んでまいる覚悟でございます。
http://202.232.190.90/jp/abespeech/2007/01/04kaiken.html
安倍首相はさらに残業代ゼロは「少子化対策にも必要」と述べた。
>安倍首相は5日、一定条件下で会社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入について「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と述べ、労働時間短縮につながるとの見方を示した。さらに「(労働時間短縮の結果で増えることになる)家で過ごす時間は、例えば少子化(対策)にとっても必要。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を見直していくべきだ」とも述べ、出生率増加にも役立つという考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
>首相は「家で家族そろって食卓を囲む時間はもっと必要ではないかと思う」と指摘。長く働くほど残業手当がもらえる仕組みを変えれば、労働者が働く時間を弾力的に決められ、結果として家で過ごす時間も増えると解釈しているようだ。
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/K2007010502590.html?fr=rk
安倍首相と呼応するように、経団連の御手洗会長は新年の挨拶で企業も国家国旗を尊重すべきだと愛国心を強調した。多国籍企業の資本家が愛国心を強調するのはおかしいという意見もあるが、国際競争を強調して、低賃金、長時間労働に耐えることを求めているのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/sava95/?of=4
昨年来格差社会が問題になり、ワーキングプーアについてのなまなましい報道がつづいた。
少子化問題もこれと無関係ではない。
しかし、安倍首相や御手洗経団連会長は、今年もさらにこの方向を押し進めると宣言した。
貧困が進めば、行き場のなくなった人々はどんな低賃金でも働くようになり、戦争をさえ肯定するようになる。
彼等が愛国心を強調するのはこのためだと思う。
昔、「病める社会」という霊岸島小学校の校長が書いた本がベストセラーになったことがある。
昭和のはじめのことである。
林芙美子が登場したのも、貧困地帯のルポルタージュからだった。
当時はこうした日本の貧困化を背景にプロレタリア文学が繁盛した。
「蟹工船」の監督が国際競争と愛国心を強調して、労仂者に苛酷な労働をに駆り立てていたことが思い出される。
あんな時代は二度と来ないだろうと思っていた。
しかし、悪夢のような過去が再現されようとしている。
安倍首相は戦後体制の脱却を宣言し、<美しい国>に向って猪突猛進すると宣言している。
憲法改定の問題は九条の戦争放棄を中心にたたかわれているが、貧困の問題、言論思想の自由、団結権、反抗権の問題としてたたかう必要がある。今年は、その必要がいっそう切実に感じられる年になると思う。
美しい言葉で国民を暗黒に追い込んだのがこれまでの政治家だった。しかし、安倍首相はそれが際立っているようだ。
あの人は美しい言葉とみにくい現実の区別がつかないのかも知れない。
あの人は生きる苦しみなど想像もできないのだろう。
資本家も経営者を苦労した人から選んで自分は経営からひっこんだ。
二世、三世が政権を握るのは末期的な政府だ。
いま、しきりに廣津和郎の散文精神について考えさせられる。
美しい理想を説いて、戦争へと突入して行った1932年に廣津は「散文精神について」という講演をおこなった。
<美しい言葉><美しい理想>とのたたかい、それが二葉亭四迷、石川啄木、夏目漱石、小林多喜二、廣津和郎とつながる日本文学の大きな流れだ。
これを軸に日本の近代文学史を書き換えたい。
これについては、日文協近代部会で報告した。
そのときの資料をホームページの<私の抜書>に掲載した。
廣津関係の資料とともに興味のある方は見ていただきたい。
http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/ba@.htm
冬の嵐の予告があったが、東京はことなきを得た。
もちろん、北陸、東北、北海道は大変な吹雪だったのだろう。
世界の戦乱は、今年は終息に向って前進するだろうか。
戦争の時代のあとには平和の時代が来る。
戦後の戦争を常に主導してきたアメリカが後退し、アメリカ国内の平和勢力が力を持てば、今年は転換の年になるだろうと思われる。
しかし、日本はどうか。
日本の人民は平和の時代、経済的繁栄の時代に骨抜きになってしまったように思われる。
なにより大事なのは日本人が自立の思想をもち、自らの権利を守るためにたたかう気力を回復することだと思う。
漱石は「文学論」序文に英国で不愉快だったことを述べ、帰国後もやはり不愉快なことがつづくとして、次のように述べた。
>帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す。此光栄と権利を五千万分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧ろ力の継く限り、之を五千万分一に回復せん事を努むべし。是れ余が微少なる意志にあらず、余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。
一九〇六年、大学をやめて『朝日新聞』入社の直前のこと言葉である。それはまた「草枕」執筆とほぼ同時期の言葉だ。
私たちの「「草枕」論、漱石論は根柢から変革されなければならない。それも、私の課題だ。
今日は成人の日だ。
若い世代はどんな夢を自分の生涯に抱いているだろうか。
夢などを見ている時代ではないといううのももっともだ。
私などはすでにいつ死んでもいい年になり、ただ、一日一日、命のあるかぎり生きているというだけのものだが、若い世代にとってはそういうわけにもいかないだろう。
これから、まだ、五十年も六十年も生きなければならない。
その間に日本はどうなるか。
自分はどうなるか。
やはり、それを思わないではいられないのではないか。
若い人の言葉を聞きたい。
年の初めに夢はひろがるばかりである。
みなさんは年の初めにどんな夢を見ていますか。
せめて、今年も元気で、出来ることを少しずつしていきましょう。
みなさんお元気で。


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