第252号 国家と道徳
>日々通信 いまを生きる 第252号 2007年4月25日<
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu
国家と道徳
>安倍晋三首相は十七日の衆院本会議で、みずからの「教育再生」の理念実現のため、「学校教育法を『改正』し、義務教育の目標として規範意識や公共の精神、我が国と郷土を愛する態度を明確にする。学習指導要領の改訂で具体化を図る」と述べました。
>伊吹文明文部科学相は「学校での道徳教育、体験活動、我が国や郷土のの伝統や文化の学習の充実などを通じて、我が国と郷土を愛する態度の涵養(かんよう)に努めていく」と答えました。
(2007年4月18日(水)「しんぶん赤旗」)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-18/2007041802_06_0.html
学校教育法、指導要領が『改正』され、それにもとづいて教科書が作製され、そのような教育が強制されることになる。道徳教育の強化がいわれているが、どんな「道徳」の教科書や、国語教育の教材が選ばれるのか。さらに、どんな歴史や社会の教育がおこなわれるのか。しかも、その具体的な内容は文科省で勝手にすすめて国会で問題になることはない。
朝日新聞社説(2007/04/21)は「教育3法案―学校の再生になるのか」と題して、次のように述べている。
>国が地方自治体の教育委員会に指示できるようにする。教師の免許を更新制にし、不適格な教師を教壇から外す。学校では管理職や校長の補佐役を増やす。それらが改正案の内容だ。
>戦後の教育の指針だった旧教育基本法には、時の政権の政治的な介入に歯止めをかける規定があった。安倍内閣のもとで成立した改正基本法で、その歯止めは弱められた。新たに定められた教育振興基本計画も、地方は国の計画を参考にしてつくることになっている。
>国が前面に出ようという教育基本法改正の方向をさらに固めようというのが、今回の教育3法の改正だろう。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2
国家(政府)は教育を支配したがる。しかし、それがどんなに悲惨な結果を招いたかを、昭和の戦争は私たちに教えた。教育は国家の不当な支配に屈してはならないという旧教育基本法の精神は、戦争時代の悲惨な経験にもとづくものだった。
夏目漱石は1892年(明治25年)「中学改良策」という文章を書き、<固より国家の為めに人間を教育するといふ事は理窟上感心すべき議論にあらず>と述べた。<国家のため>という目的がある以上、<金のため><名誉のため>の教育と同様で、教育本来の意義を低めることになる。しかし、いまは列国間の競争はげしく、一歩あやかれば国の独立をうばわれる危険があるのだから、国家主義の教育は断然否定するわけにはいかないと、漱石はいまの時代に国家主義の教育は必要としたのである。
>列国の中に立つて彼我対等の地位を保つ以上は国家は何処迄も万代不朽なるを冀はざるべからず之を冀ふと同時に其子弟を駆つて国の為になる様独立の維持のつく様にと鞭撻訓練せん事当局者の責任にして而も子弟たるものゝ喜んで応ずべき義務なりとす故に世界の有様が今のまゝで続かん限りは国家主義の教育は断然癈すべからず況して吾邦の如き憐れなる境界に居る国に取つては益(ますます)此主義を拡張すべし
明治25年といえば明治憲法が施行され、教育勅語が出された直後のことだ。国家という観念は明治以前にはなかった。明治になっても、一方で漢学の影響が強く、一方で小中学校では欧米の教科書を翻訳したような教材が使われる状態だった。
学制発布は1972年(明治5年)のことだったが、近代的な国家主義的教育体制の整備は明治18年12月内閣制度が成立し、初代文部大臣に就任した森有礼の手でなされた。
明治19年、帝国大学令が公布され、従来の法科大学、文科大学、工科大学等の諸大学は帝国大学に統合され、漱石の在学していた大学予備門は第一高等学校に改められた。
帝国大学令は第一条に<帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス>と規定している。漱石の「中学改良策」は大学に提出されたリポートであり、明らかに森のおこなった国家主義的教育改革の線上にあるが、国家主義を絶対化せず、いまの時代においては避けがたいものとしていることが注目される。
漱石は当時のことを「私の個人主義」でも回想している。当時一高の木下校長は国家主義を強調し、校内にも国家主義団体がつくられて、しきりに学生を勧誘した。漱石も勧誘されて入会したが、会員バッジをつけることはしなかった。そして、会の集会で会に対する次のような反対意見を述べたという。
>――国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。……豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。
>国家のために飯を食わせられたり、国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。
>国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実できない事をあたかも国家のためにするごとくに装うのは偽りである。――
当時を回想して以上のように述べた漱石は、いまの日本の国家主義的風潮に対して、次のように述べている。
>いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。
>今の日本はそれほど安泰でもないでしょう。貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。
>けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。
漱石はそれを<火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。>と述べている。
ここで漱石は、いよいよ戦争になったり、危急存亡のときになれば誰でも<個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいだなものです。>と述べている。
このときは第一次世界大戦が始まった直後で、日本は青島を攻略し、国中が戦勝ムードに湧きあがり、国家主義が強調されていた。漱石が戦争が始まりでもすればといったときの戦争はこんな戦争ではない。国の独立がおかされるような戦争のことを言っているのだ。
青島の攻略は日英同盟を理由に中国の領土を奪い取ったのであり、やがて21カ条要求になって、中国人民のはげしい抗日運動を引き起こすのである。開戦のときドイツがベルギーの国境をおかしてフランスに侵入したこととともに、青島攻略のような日本の火事泥的行為を漱石は憎んでいた。
漱石は国家的道徳について次のように述べている。
>国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。
>だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。
いま、安倍首相は日米安全保障条約をいっそう鞏固にするために、共同自衛権を主張し、日本が攻撃されなくても、アメリカの戦争に協力し、出兵できるようにしようとして、憲法「改正」を急いでいる。
そのために教育基本法をかえ、国家的道徳を基本とする道徳教育の強化をはかっている。あの山東出兵と21カ条要求が中国の排日、抗日の大運動を呼びおこし、昭和の中国侵略戦争へと展開したのだった。いま、日本は危険な転回点に差しかかっている。そのことを多くの国民は自覚していないのではないか。
「三四郎」の広田先生は「日本は亡びる」といい、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」「日本より頭の中の方が広いでしょう」。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」と言った。
国家を主軸にする道徳や教育は人間を狭い世界に閉じ込める。国民をつくることより人間をつくることが大事だ。石川啄木はまだ20歳にならぬ若さで「林中書」を書き、教育の最高目的は天才を養成することであり、「人間」を作ることである。「*決して、学者や、技師や、事務家や、教師や、商人や、農夫や、官吏などを作ることではない。」と述べた。
啄木は貧困と絶望に苦しみながら、1912年(明治45年)4月13日26歳の若さで死んだ。漱石ともに啄木のことがしきりに思われる。
フランスの大統領選挙の投票率は83.77%だったという。うらやましいかぎりだ。日本では東京都知事選挙の投票率が54.35%だったが、神奈川県知事選挙は投票率 47.04%だった。他の首長選挙も投票率50%未満のところも多い。憲法改正の国民投票も投票率の低さが問題にされている。フランスは民主主義が生きている。フランスは亡びない。「美しい国」などとわけのわからぬ呪文を唱える総理大臣のひきいる日本は危ない。
春は急ぎ足に過ぎて、もう、初夏だ。すべては変わる。変わるのはむやみに変わるのではない。漱石は「自然の理」を強調した。いま、主観主義の迷妄を去って「自然の理」をきわめることが必要なのだと思う。
みなさん、お元気でお過ごしください。


Comments