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05/01/2007

第253号 私の昭和史(1)

>日々通信 いまを生きる  第253号 2007年5月1日<

    発行者 伊豆利彦
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu

私の昭和史(1)

 4月29日は今年から「昭和の日」と呼ばれることになった。
「昭和」のイメージは世代によってさまざまだろう。
「昭和」がなつかしく思い出されるのは、それが史上例にないほどの苦難の日々だったからだろう。
 19560年(昭和25年)ごろ以後に生まれた世代にとっては、昭和という時代にそれほどの感慨はないのではないか。

 私は1926年(大正15年)11月生れだから、生れて1カ月あまりで、年号が昭和に変わった。
 私の生涯は昭和の歴史であり、昭和の歴史は私の生涯である。

 私が生れて8カ月余りで1927年(昭和2年)7月芥川龍之介が自殺した。
 金融恐慌の最中で、銀行の倒産が相次いだ時代だった。
 芥川の死の直前、田中義一陸軍大将の内閣は満蒙における日本の特殊の地位権益の防護と同地方の治安維持の覚悟を表明し、対中国強硬方針を確立したものとして内外の注目を集めた。

 農村の不況は深刻で、身売りする女性が激増した。都市では企業の人員整理や倒産がつづき、失業者が氾濫した。
 芥川は『侏儒の言葉』で「なぜお前は現代の社会制度を攻撃するか?」と問い、「資本主義の生んだ悪を見ているから。」と答えている。(四十 問答)
「河童」では資本主義社会の悪が風刺的に描かれている。

 昭和の始めは社会主義の運動が急速に発展した時代だった。徳永直の『太陽のない街』に描かれた共同印刷の大争議をはじめ工場ストライキや小作争議が頻発した。弾圧で解散させられていた日本共産党が再建され、機関紙『赤旗』を創刊、労農運動,対支非干渉運動,初の普通選挙などに活動した。1928年2月の第一回普選には労農党から多数の候補者を立てて公然たる運動をおこなった。

 小樽の高等商業(旧制)を卒業して銀行員になった小林多喜二は1928年の1月1日の日記に「さて新しい年が来た。俺達の時代が来た。我等何を為すべきかではなしに、如何になすべきかの時代だ」と書いた。普選運動に参加し、企業の枠に閉じ込められた窒息するような生活から解放され、大衆に直接呼びかける政治参加の人間的よろこびを「東倶知安行」に書いた。

 普通選挙法と同時に治安維持法を制定した政府は、労働運動、社会運動、政治運動の発展をおそれ、1928年3月15日、運動の先頭に立つ人々を治安維持法違反で大量に検挙した。この日は支那から手を引け、田中反動サーベル内閣打倒のスローガンで全国的に倒閣運動が行われようとしていた。警察の検挙者に対する拷問は残虐をきわめた。戦争の道を進もうとする政府は暴力で反対運動を破壊しようとしたのであった。小林多喜二は「一九二八年三月十五日」に、この弾圧の真相を全身の力を込めて描いた。

 中国では1928年4月、国民党が北京を目指して北伐を再開した。これを阻止しようとする田中内閣は、権益保護と在留邦人保護を名として山東省に出兵した。

 日本の軍事的政府は経済の行き詰まりからの脱出を中国に求め、張作霖らの軍閥と結んで、中国の国民革命に敵対した。これはやがて満州事変から、中国全土への泥沼の侵略戦争となり、これに反対する労仂者・農民のたたかいを治安維持法と残虐な拷問によって弾圧した。これが戦前の昭和の歴史だった。

 治安維持法は1925年4月に制定されたが、当初は「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」を主な内容としたが、3・15事件後の1928年6月に、共産党の取り締まりを強化するために「国体変革」に対する罰則を強化し、最高刑を死刑とした。

 また、「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」として、「結社の目的遂行の為にする行為」を、結社に実際に加入した者と同等の処罰をもって罰するとした。共産党その他天皇制に反対する政党・結社に加入しなくても、資金カンパなどそれを援助する行為はもちろん、当局が「為ニスル行為」と認定すれば取り締まりが出来たので、日本の進歩的運動や進歩的思想の持主ははたえず特高警察の刑事やスパイにつきまとわれることになった。

 特高はスパイも使い、多くの人々を検挙し、残虐な拷問で自白や転向を強要した。「一九二八年三月十五日」で拷問に屈せぬ闘士のたたかいをなまなましく描いた小林多喜二は、1933年2月20日、この拷問で取り調べ中に殺された。同じ頃、岩田義道、野呂栄太郎らも殺されている。満洲事変後の日本で侵略戦争に反対する共産党の幹部に対して、おまえら非国民はは殺してもいいのだと脅しながら拷問をつづけて殺したのだった。

 治安維持法は1941年、太平洋戦争の直前の時期にさらに改悪され、重罰化された。さらに取り締まりの範囲を拡大し、「国体ノ変革」結社を支援する結社、「組織ヲ準備スルコトヲ目的」とする結社(準備結社)などを禁ずる規定を創設した。また、国体の変革を目的とする〈集団〉および〈個人〉も厳しく取り締まられることになった。さらに、予防拘禁制が導入され,刑期満了者でも再犯のおそれがあると認定されれば釈放されず,身柄を拘禁されることとなった。

 1942(昭和17)年から終戦直前にかけて、『中央公論』の編集者ら60人以上が「共産主義を宣伝した」などと、でっち上げの治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特高課(特高)に検挙された横浜事件の理不尽さと拷問の過酷さは、石川達三の「風にそよぐ葦」に描かれている。

 私にとって、昭和の歴史は戦争の歴史であり、言論思想に対する弾圧と拷問の歴史である。戦後のよろこびは、もはや日本は戦争をしないということと、言論思想の自由が保障されて、政治上、思想上の理由で逮捕されたり、拷問されたりすることがないということだった。

 いま、安倍首相はこの憲法を改変し、戦争をすることができる国にしようとしている。愛国心の強調は、非愛国者をつくりだし、これを圧迫することになるだろう。

 これから、しばらく私の生涯をたどりながら、昭和の歴史を考え、いまの時代について論じてみたい。

 ちなみに、治安維持法による犠牲者は次の通りである。参考にしていただければ幸いだ。

特高政治の犠牲者 (治安維持法犠牲者)
明らかな虐殺死 80人
拷問・虐待が原因で獄死 114人
病気その他の理由による獄死 1,503人
逮捕後の送検者数 75,681人
未送検者数 数十万人  

この戦争で戦死したのは次の通りである。
靖国神社のホームページには次のように記されている。

■靖国神社御祭神戦役・事変別柱数■
明治維新 7,751 西南戦争 6,971
日清戦争 13,619 台湾征討 1,130
北清事変 1,256 日露戦争 88,429
第一次世界大戦 4,850 済南事変 185
満洲事変 17,176 支那事変 191,250
大東亜戦争 2,133,915 合計 2,466,532
(平成16年10月17日現在)

未帰還の遺骨116万 帰還124万といわれる。
十五年戦争の日本人犠牲者 戦死または戦病死した軍人・軍属約230万名
外地で死亡した民間人約30万名,内地の戦災死亡者約50万名,合計約310万名

なお、「風にそよぐ葦」について書いた私の小文を参照していただければ幸いである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@52.htm

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近藤忠義さんの没後30年を記念する集会に参加した。
近藤さんは1944年に治安維持法違反で検挙され、1945年8月17日に出獄された。
同じ法政大学教授のすぐれた哲学者戸坂潤、三木清もおなじころ検挙され、戸坂潤は終戦直前の1945年8月9日、三木清はすでに戦争が終って1カ月以上もたった9月26日に獄死している。
近藤さんも危ないところだったと思う。

私は憲法改正と愛国教育復活の動きに対して、私の生涯の思いをかけて反対する。

今日はメーデーだ。
はじめてメーデーに参加した時のことを思い出す。
1947年のメーデーだったと思う。
バックナンバー 第99号 2004年5月1日 メーデーに思う
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@99.htm
には、芥川のメーデーへの思いなどについて書いている。
一読していただければ幸いだ。

メーデーの今日は東京は雨だったらしい。
横須賀もどんより曇っている。
しかし、やがて初夏のさわやかな季節がくるだろう。
みなさん、お元気でお過ごしください。

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Comments

 伊豆利彦様へ

                                  
 私は“平和”の根源的な考察に少しでも資することができればとの想いから投稿しています。そこで、反共プロパガンダを繰り返す投稿者とはまともに取り合うことはせず、殆ど無視して来ています。それは、固より彼等は反共の視点を変えることはなく、それどころかリベラルな観点さえも持ち合わせてはいませんので、生産的な交信は望むべくもないと考えたからに外なりません。おそらく、こうした私の考えは今後も変わることはないでしょう。

 そして、でき得るかぎりリンクフリーのサイトのものに限定して<転載>していますのは無用な迷惑が御サイトに掛からないようにと考えたこと、全文を展覧したのは特定箇所を引用してコメントすることが転載元にたいし礼儀を欠くことになると考えたからに外なりません。さらには、この掲示板にアクセスして来る人達にたいして他のサイトの考察にも関心を持って欲しいとの願いと、それによって“平和”の根源的な考察の輪を広げることができればとの思いから同じようなベクトルを有するサイトやスレッドをチョイスしています。

 私は反共プロパガンダから抜け出せないような投稿者と遣り取りをすることに何ら生産性を感じてはいません。それよりも、“平和”について多角的に、より論理的に思考して価値認識にまで高めていく必要があるのではないでしょうか。しかし、そのプロセスにおいて現状の反共プロパガンダの投稿は全く参考にはなりませんし、彼等の所作は愉快犯のそれに近いと云っても過言でないでしょう。そこで、できますならば、今から一定の期間“平和”と“護憲”の可能性の追求にフォーカスされてもよいのではないでしょうか。

 以上、差し出がましいことを縷々述べましたが、何卒ご海容とご賢察のほどをよろしくお願い申し上げます。

 莫人拝

Posted by: 莫人 | 05/05/2007 at 10:32 PM

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