第257号 私の昭和史 1945年5月の大空襲と<5月の歓喜> その2
発行者 伊豆利彦
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私の昭和史
1945年5月の大空襲と<5月の歓喜> その2
空襲が東京全体に及ぼうとしていた5月10日、宮本百合子は巣鴨の刑務所にいる夫に宛てて、ミケランジェロの憂鬱について書き、「この頃しみじみ思うの。未来の大芸術家は、記念すべき時代の実に高貴な人間歓喜をどう表現するだろうか、と」 書いている。
「ミケランジェロが彼の雄大さで表現し得なかった歓喜が現代にあるということは、神さえ無垢な心におどろくでしょう」というのである。
米軍は東京の全市街を焼尽しようとしている。そして宮本顕治は無期懲役の刑を言い渡され、近く網走の刑務所に行かされようとしている。そのとき、百合子は「記念すべき時代の実に高貴な人間歓喜」「ミケランジェロが彼の雄大さで表現し得なかった歓喜」を語っているのだ。
表面はミケランジェロについて書いているこの手紙は、検閲官には理解できない暗号的表現で、ベルリン陥落の喜び、ファシズムに対する民主主義の勝利、日本軍国主義の終末の時が間近に迫ったことの喜び、この人間解放の歓喜の時代に、なお獄中にある顕治やその同志たちの苦悩を思う心を表現したのであった。
百合子は戦後書いた自筆年譜に次のように書いている。
>一月三十日から東京に本式の空襲がはじまり、五月には顕治が収監されている巣鴨拘置所だけを残して周辺が焼野原となったが、空襲の時、他の被告の監房の鎖ははずされたが、治安維持法被告の非転向者の監房は外からかたく錠をかけられた。
>この空襲と宮本の網走行(6月)の異常な伴奏として五月二日のベルリン陥落つづいてドイツ無条件降伏が伝えられた。
>日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々の新聞を拡げたろう。新聞には地図入りでベルリンに迫るソ連軍と連合軍の進路が示された。北フランスでどんどんと追い払われてゆくナチス軍の敗退の足どりがしるされた。レニングラードの市民の英雄的な闘い、遂に陥落しなかったモスクワ。ひとつひとつの民主的人民の勝利の勝利の前進が日本の狂気のようなファシズム下の生活の中へもひびきわたってきた」
5月の空襲というのは5月25日のことだろう。市民が逃げまどっていたとき、「他の被告の監房の鎖ははずされたが、治安維持法被告の非転向者の監房は外からかたく錠をかけられた」のであった。
「私は宮本が『爆死』しなかったことを喜んだ」と百合子は書いている。私はあの空襲のとき、非転向の治安維持法被告が鍵をかけられて焼き殺されようとしていたことを知り、あらためて怒りを覚えた。横浜事件の被告たちも同様だったのだろう。
私たちは空襲の5月を逃げまどうばかりだったが、あの大空襲は、しかし、日本の敗戦への道のりだったのだろう。百合子は「日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々の新聞を拡げたろう。」と書いているが、私たちはそのような思いで新聞を読むことはなかった。それらの記事は小さなスペースにあまり気づかれないように書かれていたのだ。そして、大きな活字で、紙面を大きくとって書かれていたのは、沖縄の大戦果であり、都市空襲であった。
空襲を生き延びて、6月、網走へ移送されるとき、顕治は「まあ半年か、長くて十カ月の疎開だね」と言ったという。彼らにとって、8・15は敗戦だったのか、解放だったのか。
大きな歴史の流れのなかで、このように空襲をとらえ、日本の敗戦をとらえていた人々がいる。その人々は息をひそめて、8・15を待っていたのだ。
アメリカは日本と同様に「正義と人道」の旗を掲げてイラク戦争をはじめ、泥沼にはまりこんだ。イラク人民を大量に殺戮しただけでなく、莫大な戦費を浪費し、多数の自国の青年達を死に追いやり、精神異常に陥らせて、結局は撤退へと追い込まれていく。アメリカが戦争に敗れたあとの世界はどうなるか。途方もない混乱がくるだろう。その混乱のなかから世界は新しく生まれ変わっていくと思う。
歴史の転換点に立たされている私たちは、新聞に何を読むか。歴史を正しく見るとはどういうことかについて、あらためて考えさせられる。
宮本百合子については、次を参照した。
歴史を生きる人生と文学
http://homepage2.nifty.com/tizu/sengo/miyamotoyuriko.htm
5月もすぎて行こうとしている。みなさん、お元気でお過ごし下さい。


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