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07/17/2007

第262号 六カ国協議と従軍慰安婦問題

> 日々通信 いまを生きる 第262号 2007年7月17日<

六カ国協議と従軍慰安婦問題

 六カ国協議は朝鮮が核施設の稼働を止め、第2段階に進もうとしている。『朝日新聞』社説は<北朝鮮の核―やっと稼働停止まで来た>っと題してこの問題の経過をたどり、次のように記している。

朝日社説 (2007/07/16)
http://www.asahi.com/paper/editorial20070716.html#syasetu1

>02年秋。北朝鮮はプルトニウム型の核開発を抑える米朝枠組み合意の裏をかく形で、ウラン濃縮型の核開発を狙っているのではないか。米国はそういう疑惑を突きつけ、枠組み合意によって続けてきた重油支援の中断を決めた。

>反発した北朝鮮は、施設の凍結を監視していたIAEA査察官を追放し、再び稼働させた。約8年のあいだ維持された枠組み合意の崩壊である。北朝鮮はプルトニウムの抽出を続け、「核保有」宣言と核実験までした。

 この社説からも1994年米朝合意を破壊したのが朝鮮側だとしてひたすら朝鮮に責任を負わせることはできない。また、2005年9月六カ国協議で朝鮮の核兵器放棄が合意された直後にマカオのBDAの北朝鮮関連口座が凍結され、その解決につい最近までかかったので、これも米側からの合意実現に対する妨害だったとみることもできる。

 拉致問題にしても、日本はこれを六カ国協議合意実現の妨害に利用してきたと思われる節が多々あり、単に朝鮮側の不誠意だけを非難してすむ問題ではない。

 麻生外相は、朝鮮の核実験に対して日本でも核兵器開発についての議論をはじめてもいいのではないかという発言をし、最近の六カ国協議合意の実行に向けての朝鮮の動きに対しても<ぬか喜びしないがいい>という冷笑的な態度をとった。

 日米には朝鮮に対する強い不信があったがアメリカは米朝直接会談を通じて、六カ国協議の成功と米朝和解に積極的な態度をとるようになった。いまではアメリカが協議を推進する主勢力になり、中国の役割が色あせてみえるほどだ。

 米朝和解は想像以上に進捗し、米朝国交回復も今年中には実現するんではないかと思われるほどの勢いだ。アメリカが対朝強硬態度をとりつづけていたあいだは、日本の強硬姿勢も有効だったかもしれないが、いまとなっては日本は六カ国協議成功の阻害要因なっている。

 ヒル国務次官補が平壌を訪問したときも、プロ野球を観戦し、知人に会う用事ができたので、一日滞在を延期すると記者団に語り、翌朝、韓国に向けて出発したあとで、平壌訪問が日本側に知らされた。

 日本の反朝政策は孤立させられている。アメリカの下院外交委での従軍慰安婦問題に関する非難声明は、拉致問題を強調して人権問題として国連で朝鮮非難決議をあげさせようとする日本に対する牽制とも考えられる。

 日本の従軍慰安婦問題で、日本のかつての侵略戦争を肯定し、戦争責任を否定する議員や評論家の一派が、下院外交委の決議を批判し、従軍慰安婦は軍による強制の証拠はなく、日本には公娼制があり、慰安婦は性奴隷ではなく、公娼なのだなどと主張している。

 強制の証拠として彼らは軍の資料だけを問題にして、被害者の証言はいっさい無視している。これはあまりに一方的な主張ではないだろうか。さらに公娼論にいたっては彼らの無知と無恥を暴露したものと思う。

 公娼制度とは国の権力で公認された人身売買であり、強制売春制度である。もし、売春を拒否し、または逃亡しようとすれば、暴力で阻止され、売春を強制されるのだ。これは明らかな人権蹂躙の強制売春であり、性奴隷である。これを日本政府は公認し、権力で支えてきた。

 若き多喜二もこのような売春制度の非人間的実態を執拗に描き出し、そこからプロレタリア作家の道を歩いた。大正期から人身売買に対する抗議と廃止のための闘争はながくつづけられたが、戦後になって、ようやく廃止されたのだ。公娼制度は近代国家日本の恥であった。この公娼制度を持ち出して、従軍慰安婦制度を正当化しようとするのは驚くべきことだ。

 これは彼らが日本の過去を批判することなく、すべてを肯定し美化する異様な歴史観に立っていることの現れだ。安倍首相はさすがに総理大臣だから、内閣の責任者としては、村山談話・福田談話を継承するというような曖昧な言葉でごまかしているが、その本質はこの議員広告の仲間と同じなのだ。「神の国」発言の森元首相と同じ神道政治連盟の若手の最右翼なのだ。

 従軍慰安婦問題は日本の歴史認識を問う問題なのだ。そして、いま米国の下院外交委でこれまでになかった多数の賛成で決議され、これまではなかった下院決議まで実現されようとしていることは、アメリカの政界が過去の戦争を肯定する安倍一派に対して公然たる批判を開始したことなのだ。

 広告議員たちは日本の核武装も肯定する一派なのだ。この連中の手で憲法改悪が行われ、日本の軍事力が強化されればどうなるか。アメリカは日本の未来を決して楽観してはいないのだ。まさかと思うことが起こるのが歴史だ。つまり、いまどうこうというのでなく、あらゆる現象は過去に根を持ち、未来につながっていく。その方向性こそが問題なのだ。現実的に安倍内閣はアメリカに都合がいいかもしれないが、その本質は、結局、大東亜戦争肯定論者であり、日米決戦論者なのだ。彼らも自身の本質を自覚してはいないかもしれない。しかし、歴史の流れには彼らをそこに導く恐ろしさがある。

 朝鮮の拉致問題には人権問題として非難しながら、自国の従軍慰安婦問題には、あれこれと理窟をならべて、その人権蹂躙の事実を認めようとしない。このような態度が安倍内閣になっていっそう顕著になってきたのが問題なのだ。

 拉致問題を盾にして朝鮮の核兵器放棄には協力せず、日朝国交回復については何等の展望ももたないこの安倍無能内閣はブッシュ政権からも見捨てられることになるだろう。安倍でなくとも対米従属の日米安保体制派には事欠かないのだ。対米従属を誓っているから安泰だと、安倍一派が思っているとすれば大変な誤算だと思う。

 彼らの愛国心は自国の過去を美化し、世界から孤立する道、世界を敵として自画自賛にふけることだとすれば、日本の未来はあぶない。今回も教育問題について述べることができなかった。歴史の動きがあまりに早いのだ。教育は百年の大計というから、いま、めのさきのことでうろちょろしている改革論などまったく無力だと思うが、しかし国が法律で教育問題をねじまげて行くとすれば、やはり、あまり悠々としているわけにはいかない。教育問題が政治問題になるときは国が強権的に教育を支配しようとするときで、それは国がファッショ化の道を歩きはじめるときなのだ。この問題については、あらためて論じたい。

 今年の梅雨はやはり異常だ。地球高温化のせいだとすれば、人類の終焉が予告されていることになる。核兵器だのMDだの軍悪の強化に血道をあげているときではなく、人類が生き延びるための努力に国境を越えて全力をあげるときだろう。しかし、権力者は眼の前の利害ばかり追いかけて破滅の道をかえりみない。

 夏目漱石「虞美人草」の「悲劇はきた」という言葉を何度でもくりかえしたくなるこの頃である。せめて東アジアだけでも六カ国協議の成功で平和的な共同体への道を開きたいものだが、これに割り込んで影響力を残したいアメリカと日本の動向が、やはり気になる。

 もう、やがて梅雨も明け、子どもたちは夏休みを迎えることだ。子どもたちはこの夏を自由に活力に満ちて過ごすことができるだろうか。みなさん、お元気でお過ごしください。

 発行者 伊豆利彦
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu

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07/09/2007

第261号 私の昭和史6 蘆溝橋事件

> 日々通信 いまを生きる 第261号 2007年7月9日<

私の昭和史6 蘆溝橋事件

 1937年7月7日、北京の郊外蘆溝橋付近で銃声があり、これを契機に日本軍は蘆溝橋城を砲撃して、両軍は交戦状態にはいった。この蘆溝橋事件の第一報を新聞紙上で読んだ記憶が私にははっきり残っている。新聞のトップ記事ではなかったと思う。それほど大問題とは思われていなかったのかもしれない。

 しかし、妙にその記事を覚えている。小学校五年生だった。これが戦争というものに触れた最初であった。その後、当局は不拡大方針だとか、現地解決だとかいう記事を熱心に読んだ記憶がある。

 満州事変がはじまった時の記憶はない。それは1931年9月、私はまだ小学校入学前だった。非常時だとか満州の兵隊さんに感謝しろというようなことは幼心にも聞こえてきた。翌年2月、日本軍が上海に戦火を拡大したときの美談爆弾三勇士の話などは聞いていて、

 廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣
 我の友隊(ゆうたい)すでに攻む
 折から凍る如月(きさらぎ)の
 二十二日の午前五時

という歌などは、意味よくもわからずに歌った。

 しかし、戦争について考え、熱心に新聞を読んだのは蘆溝橋事件以来だと思う。やがて同じく北京郊外の通州で多数の日本人が虐殺されるという事件が起き、暴支膺懲の声が高まった。こうして本土の軍隊が派遣され、8月には抗日運動がさかんな上海に戦火が拡大された。中国との全面的な戦争に拡大して行ったのである。

 9月には大動員が行われ、出征兵士のためにその妻や母たちが街角にたって千人針に協力を求める姿が目だった。千人針というのは白い布に一針ずつ縫い玉をつくっててもらい、千人分を集めて出征兵士にもたせ、女たちの熱い心で兵士たちの無事を祈ったのである。死線を超えるというので5銭硬貨、苦戦を超えるというので10銭硬貨が縫い付けられた。戦争になると迷信まがいのことが横行した。氏神様に熱心に参詣する人の姿も多かった。

 火野葦平は9月に召集され、陸軍伍長として杭州湾に敵前上陸し、南京攻略の戦闘に参加した。命懸けの苦しい戦いだった。「土と兵隊」はこの戦闘の日々を生々しく描いている。この作品については「平和新聞」に連載中の「文学にみる戦争と平和」に短い文章を書いた。参照していただければ幸いである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh21.htm

 この年12月には南京を攻略し、国内では旗行列や提灯行列で勝利を祝ったが、蒋介石は首都を武漢に移し、徹底抗戦を呼びかけた。日本軍は苦戦をつづけて南京を攻略したのに戦争は終らず、民間人にまぎれた兵士から射撃されるなどして逆上し、南京虐殺として知られる残虐行為を展開した。

 毎日新聞(2000年10月19日)は発見された火野の入城した南京の光景を伝えた手紙を紹介しているが、捕虜虐殺について火野は次のように述べている。
 
 「(捕虜が)三十二名全部、殺されて、水のたまった散兵濠の中に落ち込んでいました。(略)一人の年とった支那兵が、死にきれずに居ましたが、僕を見て、打ってくれと、眼で胸をさしましたので、僕は、一発、胸を打つと、まもなく死にました」「(捕虜の)日記帳などを見ると、故郷のことや、父母のこと、きょうだいのこと、妻のことなど書いてあり写真などもありました。戦争は悲惨だと、つくづく思ひました」

さらに毎日新聞記事は次のように述べている。

>南京入城後の記述では「南京は相当の大激戦だったやうです。城外には支那兵の屍骸(しがい)が山をなしています」と書ている。12月13日から14日にかけて行われたという中国兵せんめつをにおわせている。

 今年は南京事件70周年にあたり、虐殺はなかったという説も繰り返され、安倍内閣の歴史認識が問われることになると思うが、この火野の手紙などはそれを側面から照らすものだと思われる。

 この南京攻略戦については、中央公論社から特派員として中支戦線に派遣され、翌年1月まで南京に滞在したた石川達三が「生きている兵隊」を『中央公論』に発表した。この作品は日本の兵士たちの残虐行為をまざまざと描き、戦争という異常事態が日ごろは普通の青年たちにそういうことをさせたのだと主張した。この作品も南京事件にかかわる大事な作品だが発表誌は発売禁止になって当時は広く読まれることがなかった。

参照平和新聞「生きている兵隊」
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh22.htm

 蘆溝橋事件の直後から「露営の歌」というのがひろくうたわれた。
 
> 勝ってくるぞと 勇ましく ちかって故郷(くに)を 出たからは 手柄たてずに 死なりょうか 進軍ラッパ 聴くたびに まぶたに浮かぶ 旗の波

>土も草木も 火と燃える 果てなき曠野 踏みわけて 進む日の丸 鉄かぶと 馬のたてがみ なでながら 明日の命を 誰が知る

>弾丸(たま)もタンクも 銃剣も しばし露営の 草まくら 夢に出て来た 父上に 死んで還れと 励まされ さめて睨むは 敵の空

>思えば今日の戦闘に 朱にそまって にっこりと 笑って死んだ戦友が 天皇陛下万歳と 残した声が忘らりょか

東京日日・大阪毎日新聞の懸賞入選歌でレコードは1937年十月に
コロムビアから売り出されたが、発売後わずか半年で60万枚が売れたという。出征兵士を送るときなどによく歌われたが、ただ勇ましいばかりでなく、一種の哀愁があり、音痴の私もこの歌はよく口ずさんだ。

この年12月には内閣情報部の公募当選歌「愛国行進曲」が発表され、このレコードは各社から発売され、累計売り上げは100万に達したという。アジアに進撃する日本をたたえる元気のいい歌で、この歌もよく歌われたが、いくらかうわずっていて、心に沁みるという歌ではなかった。

>見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば 天地の正気溌溂と 希望は躍る大八州 おお清朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甌無欠揺ぎなき わが日本の誇りなれ

>起て一系の大君を 光と永久に戴きて 臣民我ら皆共に 御稜威に副わん大使命 往け八紘を宇となし 四海の人を導きて 正しき平和打ち建てん 理想は花と咲き薫る

>いま幾度(いくたび)かわが上に 試練の嵐哮るとも 断固と守れその正義 進まん道は一つのみ ああ悠遠の神代より 轟く歩調うけ継ぎて 大行進の往く彼方 皇国常に栄えあれ

 元気のいい歌で当時の軍部が 主張していた戦争の理念を高らかに歌いあげて、国民を鼓舞し、これも広く愛唱された。

 当時は戦死者の遺骨が帰ってくると小学生や国防婦人会員などが動員されて出迎えた。級長は組員を代表して氏神様の拝殿にあがり、神主の祝詞を聞いた。

 戦争がはじまった当時は国民の戦意も高かったと思う。軍需インフレで物価は高騰したが、失業者はなくなり、好景気が謳歌された。新宿などの映画館は戦争のニュースを上映したこともあって大入り満員だった。新しく家族向けの大衆レストランやフルーツパーラーなどというしゃれた店も開店して、新宿の街は押し合うほどの混雑だった。

 しかし、この戦争があんなにながくつづき、次第に国民生活を圧迫し、ついには米英を相手する大戦争にまで発展するとはだれも想像していなかった。

 戦争がはじまれば予期していなかったようなことが次々におこり、一度はじまると、それをやめることは難しく、ついに破滅にまで引きずり込まれていくのだ。

 蘆溝橋には何度か行った。北京の中心部から南西へ15kmほど行ったところにあり、マルコポーロが「世界で唯一無二の美しさ」と絶賛した美しい石橋だ。1192年に完成した現存する北京最古の石造アーチ橋だそうだ。全長266.5m、11個のアーチからなっていて、両脇の欄干には、すべて異なる石獅子が501匹鎮座している。静かで落ち付いた気分にしてくれる橋で、これがあの蘆溝橋事件の蘆溝橋とは到底思えない。明、清の皇帝もその風景を愛してしばしば訪れた名勝で、橋をわたると橋の袂に清の乾隆帝が「盧溝暁月」と自ら揮毫した石碑があった。

 この蘆溝橋の近くに日本軍が駐留していてあの事件がおこったのだった。蘆溝橋の向こう側に蘆溝橋城の城壁があり、その城壁には日本軍が撃ちこんだ砲弾の弾痕がある。一昨年はじめて橋の向こう側から蘆溝橋を訪ね、城壁の傍まで行っていまもはっきり残っている弾痕を見た。蘆溝橋城のある宛平はこぢんまりした平和な小都市だ。この町に突如として日本軍の砲弾が撃ちこまれたのだから市民は驚いたにちがいない。

 この蘆溝橋の袂に蘆溝橋事件発生50周年を記念して1987年に建てられた中国人民抗日戦争紀念館がある。私たちがそこを訪ねたときは開館時間をすぎていて見学できなかったが、あの戦争を記念し、日本軍の残虐行為の写真などが多数展示されているという。今年は70周年ということで多くの見学者が訪れることだろう。

 ただ、いまの政府はこれらの記念館や記念事業が、過去の事実を正しく認識するためのもので、決して反日感情をあおるものであってはならないと戒めているようだが、国民のあいだの対日反感は根強く、容易に、未来志向的な観点から見直すということには困難があるようだ。

 先日、香港のフェニックステレビの時事弁論会をNHKのBS放送で放映していた。中国の側から抗日戦争記念館が復讐心をあおり、子どもたちの心を傷つけるという批判もあり、中国人の苦難だけを強調しすぎるという反省も述べられ、熱い討論を展開していた。過去の苦難の時に中国人民が結集してその苦難を乗りこえたことを知る必要があるが、日本人を恨むべきではないという主張がされていたが、この問題の重さを思わずにはいられない。

 いかにして過去を未来の糧にして、両国人民の未来を開くことができるか。中国の側では政府をはじめ民間の学者からもそのための努力の必要が説かれているようだが、その前提として日本の側に過去の歴史に対する正しい認識があり、その侵略行為を認めることが必要なのだろう。もし、日本の側が侵略の事実を認めず、あの戦争を肯定するなら、中国の側の反日を乗りこえようとする努力も空しいだろう。

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 国会も何のためだったかわからぬ延長期間も終って、いま政界は参議院選挙一色だ。
 この国会は国民投票法、教育三法、イラク特措法など17法案を強行採決で通してしまった。これが安倍さんのいう「美しい国」づくりの国会かと思えば恐ろしい。

従軍慰安婦問題に対する安倍一派の悪あがきは見苦しい。朝鮮問題でも日本だけが6カ国協議の成功にブレーキをかける役割を果たしている。いまの政権とその周辺の歴史認識は、国際的には到底認められない独りよがりなものだ。いま、安倍内閣は財界からもアメリカからも見捨てられることになるのではないか。日経の社説がきびしく安倍内閣追及をしていることをブログ木走日記が紹介していた。(掲示板参照)

 久間元防衛相はアメリカの原爆投下に理解を示して、アメリカに媚を売り、アメリカの対日世論を緩和しようとしたのかもしれないが、日本国民の総反撃を受けて辞任に追い込まれた。しかし、後任の小池防衛相は日本の核武装容認論者だというのだから、これはまた大変なことだ。自己の歴史認識や国際認識がいかに偏見に満ちたものかを自覚できない安倍一派は、アメリカからも見放されてついに破滅するしかない。

 歴史の転換点に立っていることをつよく感じる。憲法の問題もアメリカと朝鮮の軍事優先主義が崩壊して、アジア情勢が大きな転換をとげようとしているとき、あらためて、新しい視野で検討し直す必要が次第に認められてきているのではないか。

 安倍一派の敗北は日本の歴史に新しい転換をもたらすだろう。日本人もどこまで行ったら、自己の権利に目覚め、しっかりした主権者として自己を確立できるのか。安倍の「美しい国」は戦後民主主義の否定の上に実現されるのだが、いま、あらためて戦後民主主義の意味が問い直されるべきではないのか。

 みなさん、不順な気候のときです。身体にきをつけて、お励みください。

 発行者 伊豆利彦
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