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09/21/2007

第266号 9・11から6年たった

>日々通信 いまを生きる 第266号 2007年9月21日<

 発行者 伊豆利彦
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu

9・11から6年たった。

この通信はあの事件の直後に創刊したのだから、創刊以来6年になり、266号になった。

創刊号は「メルマガを始める」と題して次のようば言葉ではじめた。

>私が生きているうちにこんな時代を迎えようとは思わなかった。そして、私はやがて七十五才になろうとしている。健康そのもと人にも言われ、自分でもそう思っていたが、体内には厄介な異物が発生していることが発見された。いま始まったこの時代の行く末を、その結末にいたるまで見極めることは出来ない。

>このような時にめぐりあって、いままで読んできた漱石や啄木、芥川、その他多くの作家たちの言葉が新しい意味をもってよみがえってくる。歴史や人間があらためて新しく見えてくるような気がする。

>いまほど私の内部に書きたい思いが沸騰している時はなかったような気がする。しかし、いまの私はすでに老耄して、それらを一つの文章にまとめる力はないようだ。一つのことを書こうとすると、もう一つのことが頭にうかび、また、もう一つのことがうかんで、とりとめなくなってしまう。これが確実な老いのしるしである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/nt1.htm

 この思いはいまも変わらないが、ただ、年をとり、文章を書く気力が弱って、発行も間遠になった。ことに最近は、夏の疲れか、年齢のせいか、薬の副作用か、発行が20日もおくれた。私の身体を心配してくださる方もあると思う。病気の方はなんとか薬でおさえているが、何といっても年をとって、脚力がひどく衰えた。また疲れやすく、記憶力も、直感力も鈍り、ぼんやり時を過ごすことが多い。

 それでも毎月1回、横浜で「漱石を読む会」をやり、地元で読書会を開いている。定期的な仕事としては『平和新聞』に「文学にみる戦争と平和」を連載し、77回におよんでいる。

 第一回 北村透谷 『平和』発行之辞からはじまり、最近は「戦艦大和の最期」「雲の墓標」など特攻隊として死んだ世代のことなどついて書いた。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/a%20sensou.htm

 また、これもとぎれとぎれになったが、近代部会月報に「私と日文協文協の50年」を連載し、32回になった。
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/asinoha%20%2050nen.htm

 いずれも片々たる小文であり、老人のならいで過去を振り返りがちではあるが、こうして長年書きためたものの堆積をみれば、自分の生涯がそこにある思いがする。

 最近は小林多喜二について書くことも多く、一昨年は中国の河北大学で開かれた国際シンポジウムに参加して「 <何代がかり>の運動と<火を継ぐもの>」という報告をした。また、「戦争と文学 いま小林多喜二を読む」という小著を刊行し、これは金正勲さんの努力で韓国語訳が出版されることになった。これに関連して来月は韓国で講演することになっている。
http://homepage2.nifty.com/tizu/proletarier/tyuugokusinpo.htm

 時折依頼される講演等の活動はできるだけ老いに鞭打って引き受けている。今年は4月に、近藤忠義先生を偲ぶ会で「日文協草創期の近藤先生」について話した。5月には横浜の本牧・山手9条の会で5月の空襲について話した。韓国からかえって来たら、10月末に神奈川平和委員会で「文学にみる戦争と青年」について話すことになっている。11月には横浜市大国文有志の会で、去年にひきつづき「敗戦から得たもの その2」という話をする。
(去年の話は→http://homepage2.nifty.com/tizu/keireki/haisenkaraetamono.htm)

 日々の活動によって私は私自身を発見し、日本と世界を発見し、自分自身を新しくしていく思いがする。それにしても、いつまで活動できるかわからないという思いは日々強くなる。しかし、私はそれほど死をおそれる気持はない。

 北村透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」に次のように書いた。

>吾人は記憶す、人間は戦ふ為に生れたるを。戦ふは戦ふ為に戦ふにあらずして、戦ふべきものあるが故に戦ふものなるを

>彼の一生は勝利を目的として戦わず、別に大に企図するところあり、空を撃ち虚を狙い、空の空なる事業をなして戦争の中途に何れへか去ることを常とするものあるなり。

 私も一日一日生きて、たたかいの中途にいずれへか去るのだと思う。この思想は明日をも知らぬ命を生きた戦争中に養われ、戦後透谷に学んで、今日におよんでいる。私は横浜市大に就任した最初の講義が北村透谷だったことを感慨深く思い出す。思えば戦争中から今日にいたるまで私は自分が少しも変わっていないようである。

 人は絶対の思想から出発することはできない。絶対の思想と思われたものに欺かれ、死を思うところから反転して、文章をもって敵とたたかうことに文士の生涯を見たのだ。

 太宰治はカントの言葉を引用して、鳩は真空では飛べない、抵抗が思想を生むという言葉を繰り返した。思えば彼の生涯もたたかいの生涯だった。

 私の活動を支えるものも、敵とのたたかいだ。元来、年をとればおだやかな悟りの境涯にはいるものだと思う。私にも一切を無だ感ずる思いはある。しかし、生涯のおわりにめぐりあった戦乱の時代、日本と世界の破滅の予兆が、一方では空しいという思いにつきまとわれながらも、なお、ささやかな抵抗に立ち上がらせるのだ。

 今日は9・11にはじまったアメリカの戦争がどのような結末を迎え、それがどのような新しい可能性を開こうとしているか、安倍のぶざまな敗退と福田の登場がこのような世界の動きとどのように関連しているかについて書こうとしたのだが、老人のならいでつい前文ばかりがながくなり、本論におよばずにおわってしまった。

 秋が来たとおもったら、また酷暑がぶり返す。身体の不調を感ずるのは私ばかりではないだろう。みなさん、身体に気をつけてお励みください。

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