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12/28/2007

第271号 謹 賀 新 年

>「日々通信」いまを生きる 第271号 2008年1月1日<

謹 賀 新 年

 激動の時代です。この一年が新しい希望に道をひらく年でありますように。
皆さまにとっても健康と希望の一年でありますように。
私も今年八十二歳になりますが、夫婦ともどもなんとか元気にすごしています。
     二〇〇八年 元旦

 今年の新年は湯が島の山の文学学校で、小林多喜二について語り合いながら迎える。

 多喜二は遠い昔の伝説的作家だと思われたのは過去のことになった。いまは年収二百万円以下の非正規社員が勤労者の多数を占め、低賃金の苛酷な労働が一般的になった。リストラで企業は景気を回復したというのに、リストラされた社員は悲惨な生活を強いられている。日本はどこへ行くか。時代の動きは急激だ。多喜二の文学はいまの作品以上に鋭く日本の現実を照らしている。

「すばる」七月号の特集「プロレタリア文学(プロ文)の逆襲」は話題を呼び、毎日新聞10月13日号のコラム「憂楽帳」はこの特集について触れ、私の著書の韓国での翻訳と講演について紹介して、「大正末期から昭和初期にかけ隆盛をきわめたプロレタリア文学は、貧困、差別、階級社会などを素材にする作品が多かった。文学は時代を映す鏡。「若年ホームレス」「格差社会」などの言葉があふれる中で、「現代版プロレタリア文学」誕生の兆しがほの見えるようだ。」と記していた。

 長らく停滞し狭い世界に閉じ込められていた文学はいま新しい世界にひろがっていくのだろうか。

  何となく、
  今年はよい事あるごとし。
  元日の朝、晴れて風無し。

 一九一〇年、「時代閉塞の現状」に「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普(あまね)く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している。――そうしてその発達がもはや完成に近い程度まで進んでいることは、その制度の有する欠陥の日一日明白になっていることによって知ることができる。」と書いた石川啄木は、一九一二年一月二日の日記に前年十二月三十一日にはじまった市電のストライキについて書き、「明治四十五年がストライキの中に来たという事は私の興味を惹かないわけに行かなかった。何だがそれが、保守主義者の好かない事のどんどん日本に起って来る前兆のようで、私の頭は久し振りに一しきり急がしかった。」と書いた。

 一九二七年五月の『小樽新聞』に多喜二は次のように書いた。

「咋日迄歴史が進展して来た事を認めながら、もう今日で歴史が永久に停ってしまったように信じる」連中がある。
 この社会制度はどう動かすにも動かしようのないものだ、利己心は人間固有のものだ、正義人道は絶対の真理だ、何がどうなっても変るまい……という風に!
 芸術の分野にだけに問題を限っても、芸術は生活の余裕から生れるものだ、本来回顧的なものだ、美意識は今のままどう変るものか、絶対不変のものだ……という風に! 面白いものだ。
(十三の南京玉)

 この多喜二が一九二八年一月一日に次のように書いた。

「さて新しい年が来た。俺達の時代が来た。我等何を為すべきかではなしに、如何になすべきかの時代だ」

皆さんはこの激動する新年をどんな思いで迎えられたろうか。
皆さん、それぞれの形でこの新しい年をおすごし下さい。

 発行者 伊豆利彦
 ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu

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