第283号 暴風雨の秋に多喜二を読む
>日々通信 いまを生きる 第283号 2008年9月20日<
発行者 伊豆利彦
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暴風雨の秋に多喜二を読む
いまマスコミは自民党総裁選挙で持ちきりだ。
安倍・福田の世襲総理が相次いで突如政権をなげだしたあと、これまでの自民党を支えてきた連中が5人も立候補して、それぞれに未来の抱負を語り、自分が総裁になれば日本が直面する危機が克服できるかのような法螺を吹き合っている。
小泉元首相は5人の候補はみな小泉内閣の閣僚だったから、誰か一人を推薦するわけにはいかないと言った。なるほど、みな一つ穴のムジナというわけだ。とりわけ麻生氏は安倍総裁、福田総裁と二代つづいての無責任総裁の幹事長だった。その麻生氏が既に次期総裁として確定的だと伝えられる。それなら、いまの騒ぎは何なのだ。中身のない総裁選挙をお祭騒ぎで盛りたてるためだけのものだろう。選挙といっても投票するのはほとんど全部が自民党の国会議員だ。誰が総裁になっても後の四人は、揃って新内閣を支える重要幹部としての部署につくのだろう。まさに茶番劇そのものだ。それをマスメディアはあたかも日本の新時代を開く多様な可能性の競合であるかのように騒ぎ立てている。これは自民党の提灯を持って、お祭騒ぎで国民をだまかそうとするものだ。
これは一政党の総裁選挙で、首相選挙ではない。もちろん、自民党は第一党だからその総裁は首相になるのだろう。しかし、その内閣は直ちに解散総選挙をして信を国民に問わなければならない。まさか、今度もそのまま居すわって政治の混乱を持続し続けるつもりではないだろう。
政治の空白は許されないというが、郵政選挙の圧倒的多数にしがみつき、参議院選挙で大敗しても、術策を弄して衆議院議決を再議決して、政治の混乱、空白を拡大再生産しつづけてきた。今度こそその決着をつけ、解散総選挙に踏み切るのだろうか。考えてみれば、この五人はこれまでの政治に重大な責任があるのに、小泉郵政選挙の議席を背負って、史上例のない強引な国会運営をつづけてきた。安倍も福田もそのために政権を維持することができなかったのだ。何よりもまず解散総選挙によって国民の信を問わなければならない。すべてはそこから始まるのだ。
アメリカではリーマンブラザーズ証券会社が倒産した。いよいよアメリカ経済の大崩壊が始まった。世界経済を支配してきたアメリカ経済の崩壊は日本や中国、そしてアジアの国々の経済を破壊する。サブプライムに牽引された手品のようなアメリカ経済の破たんは、私たち素人には当然すぎるほど当然で、こんなことが長続きするとは思えなかった。しかし、なぜ、アメリカでこんなことが起こったのだろう。専門のの政治家や経済人はなぜこれを放置したのだろう。そして、イラクやアフガンで若者を大量に殺傷するだけでなく、気が遠くなるほどの財政赤字をつくって、私たち素人には破滅の道としか見えない道を突き進んで行くのだろう。アメリカの大統領選挙は転換の道をさぐる選挙になっているように見えるが、日本の政治家やマスメディアはほとんどこの危機を問題にしない。
国民が求めているのは、小泉改革で破壊された国民生活の回復だろう。若者たちのあいだに『蟹工船』が強い共感を呼び起こしているのは、作品を通して自分自身と日本の現実を新しい目で発見しなおしたからだ。いま、アメリカ経済の激震で日本人は日本とアメリカ、そして世界について認識を新たにし、今までの対米従属一辺倒の日米関係についても考え直さなければならない。アメリカ言いなりになることで政権を維持してきた自民党の過去と現在が根本的に問い直される時が来たのだと思う。
『蟹工船』が発表された1929年は、アメリカから始まった世界大恐慌の大渦にに日本経済がまきこまれていった年だ。都市では中小企業の倒産が続出し、失業者が氾濫した。農村は飢餓に苦しみ、娘たちは身売りして都市へ出ていった。戦争待望の声が民衆の間に浸透し、いまから77年前の1931年9月18日には満州事変が始まった。『蟹工船』は15年つづいた日中戦争突入前夜の作品だが、この戦争を世界大恐慌、ロシア革命、ナチスの世界戦争との関連で把握することが、いまは大事だと思う。
『蟹工船』はこの時期の戦争の土台としての労働者の現実を暴き出し、『沼尻村』『党生活者』は時代にあらがいながらこの時代を生き、闘い、そして押し流されていった人々の記録である。そして、『転形期の人々』この時代を大きな展望で描き出そうとした野心的な作品である。あの戦争についてはいろいろに書かれているが、時代を生きた人々の生活と心に迫るこれらの作品を離れては、あの時代を本当に知ることはできない。
『蟹工船』を読んだ若者たちは、多喜二を「兄貴」と呼び、「惚れた」という。そして自分たちのつらい現在を語り始める。多喜二は自分たちにああしろ、こうしろとお説教したり、扇動したりしないで、自分たちのつらい経験をじっと朝までも聞いてくれて、そして最後に「彼らはもう一度立ち上がった」と書くだろうと言い、その優しさに本当に「惚れた」のだという。多喜二を読んだ若者たちはその「優しさ」に励まされて、それぞれの経験を話しだす。そこにこの作品の意味があるのだろう。そして、私は、私の短い軍隊の生活がすっかり『蟹工船』の世界に重なるのに驚いた。
多喜二は1928年2月の第1回普選の運動に参加して、プロレタリア作家としての道を切り開いた。いま、横須賀では原子力空母の配備に反対する運動が展開され、これと時期を同じくして民主文学会横須賀支部が発足し、小林多喜二の学習会を始めるという。私はこれを偶然のことは思わない。今日はその第1回がヴェルク横須賀(京浜急行横須賀中央下車)で開かれる。
老齢でさまざまな障害に苦しむ毎日だが、何もできない私はせめてこれだけはの思いで参加する。もっと早くお知らせできればよかったのだが、通信発行が延び延びになって、今日になってしまったのは残念だ。第1回は今日(9月20日)、第2回は10月18日、第3回は11月29日、午後1時半から、会場はいずれもヴェルク横須賀。都合のつく方は参加してほしい。問い合わせ先は橋本さん(046-842-3866)
今年は台風襲来がおくれ、秋の到来も遅れたようだ。私の血圧もいくらか下がって、今朝は最高172、最低84だ。無理をせず、いまできることをして行きたい。皆さんは秋の好時節を元気にお過ごしください。


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