第289号 いまと戦後
>日々通信 いまを生きる 第289号 2009年1月15日<
発行者 伊豆利彦
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いまと戦後
年の初めから、仕事と同時に住まいも失った人たちの「年越し派遣村」とイスラエルのガザ攻撃のニュースが連日伝えられ、胸が痛む日々を過ごした。新しく成人になった若い人たちはどんな思いでいるだろう。
政治に無関心だといわれた若者たちが、生きるために団結し、要求し、行動している。世界大不況はどこまで広がるかわからず、仕事と住居を求めて「派遣村」に集まった人々の運命が他人事とは思えないところにいまの日本の深刻さがある。
私が満20歳を迎えたのは1946年(昭和21)の11月、当時は成人式などなかったが、今風にいえば47年の1月に成人式を迎えた世代である。まだ、19歳にならぬ高校生(旧制)で敗戦を迎えた。陸軍2等兵だった。いま思えばほんの子供だったわけだが、その子どもたちが学業半ばに兵士として動員され、やがて決戦場になる国内各地に派遣されていったのだ。
先日、出身高校の3年先輩の書いた戦時の記録「万死に一生」を読んだ。私より2歳年上のその先輩は1943年(昭和18)に学徒出陣で東大の2年在学中に動員された。同年12月1日入営、広島から船舶兵としてフィリピン、レイテ島の傍のセブ島に派遣され、1945年10月16日に投降するまで洞窟を転々として戦闘をつづけた。投降して捕虜収容所に収容されるのは敗戦の8・15から2カ月後のことであり、筆者はこの日をもって自身の終戦記念日とするという。
1943年の学徒動員は文科系学生の徴兵猶予が廃止され、在学中の適齢者が兵士として動員されたのである。下級指揮官や航空機乗務員が不足していた。戦争末期の特攻隊員はこのとき動員された学徒兵と予科練その他の中学生出身の少年兵が大部分だった。
私も2年はやく生まれていれば、学徒兵として動員され、あらゆる意味で軍隊不適格者の私はいち早く自殺するか、不名誉な事故で戦死していただろう。生まれた年で一生が決まるのだ。運命というものを感じないわけにはいかない。個人の意志や努力も大事かも知れないが、個人の生涯を決定する歴史というものの力を考えないではいられない。「世代」ということを重視するのはこのためだ。
就職超氷河期世代といわれ、「ロストジェネレーション」と自ら呼ぶ世代の若者が超左翼マガジン「ロスジェネ」を創刊した。「一連なりの妖怪がー『ロストジェネレーション』という名の妖怪が、日本中を歩き回っている。」という「共産党宣言」をもじった言葉で始まる「ロスジェネ宣言」を冒頭に掲げ、「就職超氷河期(1990年代という『失われた十年』)に社会へと送り出された20代後半から30代半ばの私たちは、いまだ名づけられ得ぬ存在として日々働き暮らし死んでいきつつある……、その数 20、000、000人。」と記した。
いま、非正規社員として大量クビキリにあい、「年越し派遣村」に集まっているのはこの世代だ。彼らは非正規社員である故に、負け犬扱いされ、あらゆる差別を当然とされた。自己責任という言葉で責められ、派遣会社と派遣先の共謀で、雇用保険や年金、健保など被雇用者の権利を奪われて、低賃金で働かされた。さらに、住居費その他の諸費用として少ない給料をむしりとられ、サラリーローンで儲けられた。
トヨタや日産等の自動車産業、キャノンやソニーなどの大企業は、こういう非正規社員を大量に雇用して世界最大の輸出企業となり、社内留保や役員手当、株主配当を莫大に増やしていった。そして、いまのような不況が来ると、退職金も失業手当もなしに、いち早く非正規社員のクビキリを強行して、儲けを確保しようとする。解雇された者は、仕事を失うと同時に住まいも奪われ、蓄えも、アパートに入居する費用もなく、寒空を路頭に迷うしかないのだ。
戦後の私たちは住まいも食糧も仕事もないほとんど難民の生活から出発した。餓死者が大量に出るだろうと伝えられ、若者たちは復員服を着てあてもなく巷をさまよった。志賀直哉は1946年1月の『世界』創刊号に発表した「灰色の月」に餓死寸前の少年を描き、その末尾に「昭和20年10月16日のことである」という日付を記している。
いま、若者たちは『蟹工船』の世界を自分たちの現実と重ね合わせ、「死にたくないものは集まれ」という言葉に共感して、「生きさせろ!」というスローガンで結集している。戦後も『生きる』とか『どっこいおいらは生きている』というような小説や映画がさかんだった。多くの面でいまと戦後は重なり合うが、戦後の私たちの方が生活はひどかったが、気持は明るかったと思う。当時はみな一様に貧困であり、これ以上落込みようがなかった。戦争は終わって、一日一日、日本はどん底から這い上がっていく日々だった。
いまの日本は大変な「格差社会」で、貧富の差が大きく、格差はさらに限りなく拡大しようとしている。一歩、転落の道に落ち込めばどこまで落ちていくか分からない。非正規社員は期限ぎりの生活で、いつ職を失うか分からない。景気がよければ新しい仕事を探すのも容易かもしれないが、不況がつづけば職と同時に住居も失って、再起不能になる。漫画喫茶などに宿泊するようになり、やがては路上生活者になる。
日本の危機はいま始まったばかりで、どこまで落ち込むかわからないという不安がある。いまの不安は世界的な経済危機から来るものが多いが、政府に対する不信によるところも多い。年金にしても、健康保険、介護保険にしてもいまどれほど貯金があっても将来が不安なのだ。老後が社会保障がしっかりしていれば増税を受け入れることができると思うが、医療その他の社会保障費や教育関係費などを削れるだけ削って、これ以上削れないから増税だというのでは誰も納得しないだろう。
社会保障費などを大幅に削って、道路や軍事費、対米献金予算などは大枠を維持しつづける。「バターか大砲か」という言葉をかつてしきりに聞いたが、いまもなお真剣に考えなければならないと思う。不況からの脱出を戦争に求めた過去を美化する動きがあり、若者たちの間にも戦争を待望する声がある。林多喜二の『沼尻村』や『党生活者』は満州事変突入当時の不況にあえぐ農民や労働者の生活を描き、国民の間に戦争を支持する動きが強まっていくことに対する反対するたたかいを強調している。
日本国民は戦争に反対だったが、軍部にだまされ、強制されて戦争に駆り立てられていったといわれる場合が多いが、これはある意味で正しく、ある意味で間違っている。日本国民の間に戦争を期待する動きがあり、軍部はこれを利用して、国民を戦争に動員していったのだ。いま戦争と平和の問題を改めてまともに考えるためにも、『蟹工船』で目を見開かれた若い世代が、当時の現実を多喜二やその他の文学作品を通して学んでほしいと思う。
『蟹工船』だけでなく多喜二の文学が、新しくよみがえって、いまの日本を新しい光で照らし出している。戦後まもなくから多喜二に学び、多喜二について考えてきた私にも、多喜二は新しい相貌でよみがえってくるようだ。老耄して筆は進まないが、何とかいまの若者たちに新しく見えてきた多喜二を伝え、多喜二を通して昭和の戦争といまの日本について考えたい。
しかし、思えば残りの時間も乏しく、筆力も衰えた。若い皆さんは一日一日を大事にして悔いのない生涯を送ってほしい。


Comments
管理人さんが危惧されるように、若い人に強烈な右翼思想を持った人が多いのに驚かされます。いわゆる「ネットウヨ」と呼ばれる人達です。この人達の意見をみているとなぜかその裏側に愛情に飢えた「寂しさ」のよなものを感じます。中国人や在日の人及び広くアジアの人々対する極端な排他主義の中に本人たちが周囲からよけ物にされている裏返しの気持ちが現れているような気がするのです。その人達がお互いの傷を舐めあう場としてWEBを利用しているのではないでしょうか。この人達を利用する者にヒットラーのよな人間が現れるとたちまちの内に日本は戦争に引き込まれていくような気がします。
Posted by: aki | 01/16/2009 at 11:54 AM