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01/02/2012

308号 新しい年のはじめに

  新しい年のはじめに 2012年1月1日

  発行者 伊豆利彦
  ホームページhttp://homepage2.nifty.com/tizu/

世界は未曾有の経済危機、国内は大震災と原発事故で、不安は深刻になるばかりです。昨年末にtwitterをはじめ、「日々通信」を復刊しました。漱石が死の年の1月1日に発表した「また正月が来た」の「羸弱なら羸弱なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於いての感謝の意を致して、自己の天分の有り丈を尽そうと思うのである。」という言葉を支えに新しい年を生きたいと思います。皆さまのご支援に感謝し、これからもよろしくお願いする次第です。

 この一年、もっとも頻繁に心に浮かんだのは「悲劇は遂に来た。」という『虞美人草』末尾に近く記された甲野さんの日記の言葉である。甲野さんは「来るべき悲劇はとうから預想していた。預想した悲劇を、為すがままの発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である。」と記している。

 この言葉についてはこの『通信』でもしばしば取り上げたが、甲野さんは「隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。」と記している。

 原子力発電については安全神話が浸透して、その危険性を言う者は、研究者であれ、技術者であれ、原子力関係事業から締め出された。もしくはきわめて薄遇された。東電その他の電力会社は国家と密接に結びついた独占企業であり、莫大な収入を得て、それを大学や関係官庁やマスメディアにばらまいて、強固な共同企業体を作り上げている。

 漱石は「私の個人主義」で金力と権力の結合のおそるべきことについて述べているが、これと大学や研究機関が結びつき、マスメディアをも支配することになれば、関係者の自由、国民の自由は奪い取られて、アメリカに従属する国家を機軸とする共同企業体の国民支配は動かし難いものになる。

 このような国民支配は戦時中の軍部による国民支配そのままである。むしろ、テレビが普及して国民の精神の統制・支配はいっそう強固になった。民主主義だの言論の自由だの人権だのという言葉は決まり文句になって国民を支配しているが、まさにそれは原発の安全神話と同様な民主主義神話というべきだ。

 権力の横暴は、かつて戦争反対者や批判者に対したように直接警察力の行使とか拷問とかという形態はとらないが、国家や企業に従属しなければ生きられない国民の魂を金力で支配している。国民の多くは自由意志で決断し、行動していると信じているが、その自由意志そのものが金力によって支配されているのだ。

かつての日本では天皇や国家の絶対性神話が国民から思考力を奪った。いまは原発安全神話に見られる国家や民主主義の絶対性神話が国民の自由な思考力を奪っている。甲野さんは「「君は日本の運命を考えた事があるのか」と言う。「日本と露西亜の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」と言い、「亜米利加を見ろ、印度を見ろ、亜弗利加を見ろ」と言う。白人はアメリカの現地住民を殺戮し、インド、アフリカを蹂躙して世界を支配した。「日本は亡びるよ」と『三四郎』の広田先生は言う。「死」に突き当たって始めて人間は真面目になる。「悲劇」を直視する漱石はその破滅から新しい道を切り開くことが必要だと考えていた。

「死を忘るるものは贅沢になる。……如何に踴るも、如何に狂うも、如何に巫山戯るも、大丈夫生中を出ずる気遣なしと思う。贅沢は高じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙して大自在に跳梁する。」道義をわすれ、驕慢になり、何をしても大丈夫と思い、したい放題をして、とどまる所を知らない。そこに突然死が訪れる。死を忘れて驕慢の限りを尽くしたものは突然大地に打ち倒される。漱石が『虞美人草』を書いたのは日露戦争の直後である。日露戦争に勝って、「日本は一等国になった」と日本国民は狂喜した。このとき漱石は驕りたかぶる日本を待っている「悲劇」を見つめていた。

 一九一五年七月、世界大戦で日本の國際位置は上昇し、英米についで世界第三の強国ということになり、それにふさわしい国民的自覚を求める動きが強まった。しかし漱石は「戦後の覚悟」というやまと新聞のアンケートに答えて、ひたすら西洋に追随する日本の基本的な貧しさを強調し、西洋の新しいものといえばむやみに飛びつき、ひたすら新しがる傾向を批判して、万事がこの通りで底が浅いから、「戦後の覚悟とか何とか口で云った所でまあ駄目なんじゃないかと思います」と述べた。そして、「若し覚悟という覚悟が必要なら、日本は危険だとさえ思って、それを第一の覚悟にしていれば間違いはありますまい」と記した。

『道草』から『明暗』へ、最晩年の漱石の作品世界は優越者としての自己意識を粉砕され、食を求めてさまよう惨めな「乞食」と自分を同一視する視点が示され、そこに「破滅」からの「復活」の可能性が探られている。いま、自らを世界第2の「経済大国」と誇り、足元の現実を見失って、破滅の道を猛進した日本はどこに再生の可能性を見出すことが出来るか。それがあの戦争の時代を生き、いま、この危機の時代を漱石の言葉を支えに生きようとする私の課題である。

 今年も終わりに近くtwitterをはじめ、日文協近代部会の会員とめぐり会えたのは喜びだった。かつてホームページを開き、「日々通信」をはじめたことで、何人かの友人に出会い、多くの刺戟を得た。みなさんもそれぞれに新しい年のはじめに考えを新たにしておられることと思う。みなさんとともに生きる喜びを感じながら残り少ない日々を過ごしたい。

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