09/22/2005

第171号 2005年9月22日 コイズミ新内閣が発足した

地滑りのような勝利で国会は与党一色だ。
その旗印は<カイカク>。
<郵政改革を止めるな><改革を止めるな><郵政改革に反対するものは改革に反対するのだ><反対者を追放せよ>
コイズミは髪振り乱して絶叫した。
議会の答弁の眠そうな顔とはなんという違いだったろう。
こんなコイズミを私は始めて見た。
もしかしたら、コイズミは天成のデマゴーグであり、アジテーターなのかも知れない。

コイズミは有象無象の候補者たちを全国にばらまいて大勝利を得た。
アルバイトに応募するようなつもりで、自民党の公募に応じたら採用され、当選に驚いている若い新代議士、武部幹事長の大学時代の友人で、名前だけ貸せといわれ、当選するはずのない比例下位候補者に登録したところ思いもかけず当選してしまった。
東京比例区では当選者に候補者がたりず、社民党に一議席がまわされたほどだ。

これほど大勝するとはコイズミも自民党も予想していなかったのだろう。
これは大変なブームだ。
そして、ブームのあとには反動がくる。
言葉があって内容がないコイズミに対する幻想がはげるのに時間はかかるまい。

コイズミは郵政改革に賛成か反対かの国民投票だと言っていた。
一議案である郵政改革の賛成反対が総選挙で一国の総理大臣を決めることになるとは乱暴な話だが、しかし、これが郵政改革国民投票だとすれば、3419万票VS3389万票で、郵政改革反対票が勝っていたことになるという。

国民投票論も欺瞞だ。
しかし、鴻池、中曽根など、郵政改革に反対した参議院議員も野田聖子衆議院議員などもコイズミ支持にまわった。
国民の圧倒的支持がある以上、コイズミ氏に従うというのだ。
これは恐ろしい話だ。
昭和の新体制も、大政翼賛会もこうして政治の世界を押し流し、あの無謀な戦争に突入して行った。
<バスに乗り遅れるな>というのが当時の日本の合言葉だった。
<御時勢>という言葉はうちかちがたいものとして日本の政治や社会、文化までもを押し流していく。

コイズミは大勝利したがわびしい思いをしているのではないか。
信頼すべき仲間がひとりもいないのだ。
ただただ保身をねがい、利害得失を計算して、今日は勤王、明日は佐幕と右往左往する連中ばかりなのだ。
彼は自分の空虚さを知っているだろう。
任期延長せずと言いつづける彼は、この辺が潮時だと知っているのだろう。
カイカクといっても中味はない。
郵政改革法案はもちろん通過するだろう。
しかし、それでおしまいだ。
彼は自分の花道について考えているのではないか。
増税も自分の任期中にはやらないと公言している。
それは、やめればやるということだ。
その審議はやがてはじまる。
その他の改革も化けの皮が次々にはがれる。
これをかわしていくために、朝鮮問題、アジアとの関係修復問題に専心するのではないか。、
彼は靖国参拝もこんどの選挙では、争点にしないといって、公約にはしていない。時期を明言せず、適切な時期にといっているだけである。

アジア問題、特に朝鮮との国交回復がこれからは大きな話題になっていくのだろう。
いままでの差別と偏見にみちた中傷とも思われる朝鮮攻撃は次第に減って、相互交流が活発になるとともに、南北融合に向かい、改革開放の道をあるく朝鮮の実情が伝えられることになると思う。
日韓国交回復が、韓国の経済的発展に大きな意味を持ったことは言われるが、日本お経済発展にも役立ったことはほとんどいわれない。
平和的な国家関係は相互互恵の原則にしたがう。
日朝も国交回復が実現すれば、それは行き詰まっている日本経済にも利益をもたらすのだ。
なによりも、アメリカがアジアの統合と経済発展に割り込み、朝鮮の平和的な経済発展に一役かもうとして焦っているのだ。
いまは、戦争の時代ではなくて、平和の時代だ。
戦争と平和について、古めかしい戦争主義的思考しかできない戦争ボケは、次第にその力を失うことになる。

アメリカの軍事優先主義が破綻して後退しなければならなくなった以上、戦争と平和の問題は、今では、倫理の問題ではなくて、現実的な日本生き残りの問題なのだ。元来、敗戦で日本が平和主義をえらんだのも同様の理由によったのだ。
戦後60年、日本はその平和主義によって守られ、繁栄を実現した。アメリカは平和憲法成立の直後から、日本の軍事協力を求め、憲法改正を望みつづけた。しかし、戦争の悲惨な経験と平和による経済発展が日本を守った。
それも、戦後60年になり、戦争の記憶もうすれ、不況がつづき、生活の不安と時代閉塞の意識が強まってくると、世界で孤立する戦争主義アメリカの要求に従って、戦争にこの閉塞感からの脱出の道を求めるようになった。
しかし、アメリカがイラクに対する戦争に失敗し、経済的にも破綻して、戦争主義からの後退を余儀なくされる以上、いまの日本が戦争に活路を求めることは出来なくなった。

日本の戦争の経験がいま思い起こされる必要がある。
自虐史観などといって過去の経験を軽蔑することは危険である。
アメリカの経験と日本の経験を重ね合わせるところから、破滅からの活路を新しくつくりだすことが、いまの日本のかだいなのではないか。

民主党の前原氏も、元来、戦争を肯定する傾向の強い人物だったというが、民主党代表となったいま、新しい情勢に適応することが求められ、それにこたえる能力があると思われる。

敗北を認め、敗北から学ぶことは難しい。
日本も1944年の段階で敗北はあきらかになり、近衛文麿などの講和を求めるうごきが強まったが、天皇がもう一泡ふかせてからよりよい条件で講和すべきだと述べ、このためにあの一年の大犠牲を余儀なくされたのだという。
アメリカも戦争が経済と国民生活を破壊しつつあることが明らかになりながら、なかなかそれを認めることが出来ず、さらに、大きな犠牲をはらおうとしていた。しかし、ニューオリオンズの悲劇は、戦争による国民生活の破壊が明瞭になってきた。これを契機に戦争否定の勢力が強まって、平和の方向に進みはじめるなら、世界のためにどれほどいいことだろう。

日本はアメリカのいまを直視し、自国の歴史をふりかえって、新しい平和の道を歩きはじめることができるなら仕合せだと思う。

後藤田氏が亡くなられ、思うことが多い。
これがきっかけで平和を求める動きが強まればうれしいことだ。

私の考えは楽観的に過ぎるという批評もあるかと思うが、私はむしろ、日本のマスコミが現実を直視せず、日本の利害について真剣に考えず、野次馬的に緊張と騒乱を求める傾向があると思う。

秋の日を、お元気でお過ごしください。

  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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09/11/2005

第167号 2005年9月11日 9・11同時多発ビル破壊から4年たった

ブッシュ大統領はこれをアル・カイーダによる破壊で、アフガンのタリバン政府が庇護しているとして、最新科学兵器を動員して徹底的な攻撃をおこなった。アフガンのタリバン政権は崩壊し、臨時政府の樹立にまでおよんだが、ビン・ラディンはいまなお健在で、国内は反政府闘争が激化して、混乱がつづいている。

ブッシュ政府はアル・カイーダと関係があり、大量殺戮兵器を保有しているとして、国連安全保障理事会の反対を押し切って2003年3月19日(アメリカ東部標準時)イラク攻撃に踏み切り、目を覆うような大量破壊攻撃をおこなって、たちまち、バグダッドを制圧し、派手な勝利宣言をおこなった。その後、フセインを逮捕したが、国内の治安は日に日に悪化し、掃討作戦と称して、各地に残忍な攻撃を加え、武装勢力の反撃を激化させている。
憲法草案に対する不満も強くて、制定にはほど遠く、かえって国内の分裂抗争を強める結果を生んでいる。

これでは、米軍の撤退は容易ならぬ状態だ。
終戦一年前に対米講和が問題になったとき、天皇が、もう一泡ふかせてからにしたいという意向を示し、そのため、途方もない被害を出して、ようやく講和にふみきったというに日本の事情に似ている。

もっともっと大きな被害を出さなければ、米軍は撤退できないのであろう。
そして、日本も撤退できないのであろう。
しかし、こんどのハリケーン被害は、いままでのアメリカの政策に根本的な転換を求めるものとなりそうだ。

イラク戦争の莫大な戦費のためにアメリカの財政は破綻している。
このため、ルイジアナの災害は予測されていたにもかかわらず、堤防改修の予算25億が削られ、それがこの災害の根本的な理由だという。イラク戦費は一ヶ月52億ドルだというから、これに比して堤防改修費は高すぎたのだろうか。しかし、それにしても、その結果は悲惨だった。

また、災害発生後の対応のおくれも問題になっているが、災害救援や復旧にあたるべき州兵がイラクに動員されていて、救援復旧のための資材も欠乏していたことが指摘されている。

また、災害の犠牲者の大多数が貧困なアフリカ系住民であることも深刻な問題だ。
福祉を後回しにする貧困者切り捨てのアメリカの政策、繁栄のアメリカの悲惨な実相が暴露された。
遠いイラクのことよりも、自国民の安全と幸福のためにつくせという声が上がるのは当然だ。

ヴェトナム戦争のときもアフリカ系住民の公民権運動が大きな役割を果たした。
いま露呈された現実が、アメリカ人の自由と公正、平和のための大きな運動に発展するなら、アメリカはこれを契機に大きな発展をとげるだろう。
アジア政策にも当然変化がおこるはずである。

9・11以来の戦乱はなんとしても終結させなければならない。
そのことを、強く思わせる今日である。

この日、日本は総選挙投票日である。
こんどの選挙では、自民も民主も、外交について触れなかった。
憲法改変についても触れなかった。
矮小な選挙だ。ペテンの匂いのする選挙だ。
どちらが勝っても、せせこましいことばかりやって、世界情勢の変化に対応できないのではないか。
もっと根強い国民の意志の結集が大事なときだ。
そのような、長期にわたる展望をもち、平和を守る運動を結集する政党の得票が延び、議席がふえることを期待する。

いよいよ秋らしくなってきました。
こんどの選挙では靖国問題や朝鮮問題などが論点にならず、なにか、田舎の地方議会選挙のようです。
日本もスケールが小さくなり、アジアでも、世界でも、発言権がちいさくなるばかりです。
六カ国協議でも、ろくな役割ははたせないでしょう。
なにしろ、若い世代に現代史を教えず、政治教育をして来なかったのですから仕方がない。民主教育の基本は民主主義についての政治教育ではないでしょうか。
日本の若者たちは国の主権者として育てられていない。
この教育が、また、愛国教育などの名のもとに後退させられる。
どこまで行けばいいのか。
どれだけの犠牲を出さなければならないのか。
しかし、その日本にもアメリカの新しい動向は変化をもたらすのではないでしょうか。
皆さん、お元気で。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/

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09/01/2005

第164号 2005年9月1日 震災記念日に思う

>>日々通信 いまを生きる <<

震災記念日に思う

いよいよ、9月になった。
9月1日は震災記念日だ。
今年も防災訓練がおこなわれるだろう。
防災訓練は必要にはちがいない。

しかし、それほど役に立つとも思えない。
すべてが、予想を超えた事態なのだ。
畳の上の水練というが、いよいよとなれば、自分の長年の経験とカンで行動しなければならないだろう。

そういう考えから抜け出せないのは、戦争の記憶が根強いからだ。
戦争中も防空演習というのがさかんに行われた。
空襲が予想されるようになったら、火はたきだのバケツリレーだの防火砂だのでしきりに訓練した。
防護団とか、警防団とかいって、在郷軍人などが家庭婦人たちを叱咤した。
しかし、実際にはなんの役にも立たなかった。

元来、警防団が勢力をもっていて、実際の空襲のときにも逃げようとする市民を呼び止め、市民を指揮して、防火活動をしたところでは、逃げ後れて多数の死者を出した。
大事なのは、逃げ道を確保しておくことで、町の顔役の指揮など役に立たない。
彼らにとってもはじめての経験なのだ。予想しないことが次々におこるのだ。

<備えあれば憂いなし>などという言葉が、いまも復活して、国民をおどしつけている。
しかし、実は<備えをすれば憂いを招く>というのがほんとうなのではないか。
迎撃ミサイルとかいうようなもののために日本国民は莫大な金をアメリカの兵器産業に支払わされて、借金を増大させているが、しかし、いよいよ、それを使わなければならない事態になったらたいへんだ。
さまざまな攻撃がおこなわれ、国内的にも混乱が起こっておるだろう。
多分、<攻撃は最大の防禦なり>で、日本は仮想敵国に向かって攻撃をしているだろう。

まして、本土決戦なんて夢物語だ。
日本軍は、決して、国民を守るためにたたかいはしない。
沖縄の戦争がいい例だ。
軍は軍を守るために国民を平気で犠牲にするだろう。

戦争ははじめてはならないのだ。
まして本土が攻められたらなどと想像して、その脅威で国民をおどしつけようとするなんて許せない。

いま、どんな戦争を想定しているのか。
具体的な想定もなしに、戦争の脅威を叫ぶのはペテン師だ。
ところで、現代の戦争は、戦国時代の戦争ではない。19世紀の戦争でも、20世紀の戦争でもない。そのような形で日本を攻めてくる国があるとは想定できない。

朝鮮が日本に向かってどんな戦争をしかけてくるのか。
中国が、どんな戦争をしかけてくるというのか。
それが、彼らにどんな利益をもたらすというのか。
戦争は経済問題だ。
経済的利益のない戦争をそれらの国がしかけるなんてお遊びの戦争ゲームに正気をうしなった戦争坊やばかりだ。

いま、世界で、先制攻撃を口にして、他国をおどしつけているのはアメリカだけだ。
しかし、日本はすでに、アメリカには占領支配の長い歳月を経ている。いまさら、どんな攻撃を日本に向けてするだろう。

ある得るのは日本がアメリカの言いなりにならず、占領者たちに出て行けと言ったときだろう。
これを想定して、日本の防衛を問題にするなら、いくらか現実味があるが、いま、防衛を叫んでいる連中がそんな想定をしているとは思えない。
結局は、軍事予算を拡大して、兵器産業に多大の貢献をすることであろう。
もしくは、戦争の危機を強調して、国民に対する支配を強化し、平和とリベラルをおさえつけるためだろう。

いま、いちばん問題になるのは、ゲリラ的な攻撃だろう。
その危険は大いにある。
それに対する防衛はどのようにするのか。

いま、あらためて、1923年9月1日、いまから82年前におこった惨劇を思い出す。
日本は朝鮮民族に対する苛酷な強制支配をおこなっていて、その反抗をおそれていた。その恐怖が、大震災で、あなお恐怖の大殺戮を呼び起こしたのだ。

英国で、テロと無関係な青年が犯人と間違えられて、警察に射殺されるという事件がおこった。テロにおびえる、米国や英国では、アラブ系移民や留学生を中心に多くの人々が逮捕されたり、さまざまな圧迫を受けている。

この恐怖は、これからますます拡大し、市民の自由が奪われることになるだろう。
これに反対する、社会主義者や民主主義者、平和主義者は非愛国者として圧迫されるのだ。

あの時も、無実の朝鮮人が軍が流したデマ情報がもとで、市民が恐怖に駆られ、多数の朝鮮人を殺戮し、社会主義者も多数殺された。
無実の朝鮮人を擁護しようとして激昂した自警団に国賊、売国奴呼ばわりされ、乱暴された社会主義者もすくなくなかった。

日本政府はあの殺された朝鮮人や社会主義者にきちんと謝罪しただろうか。
靖国に参拝する小泉首相や閣僚は、この人たちのことをちらとでも考えただろうか。

この事件については、日本ペンクラブ:電子文藝館に今井清一さんの記事が掲載されている。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/sovereignty/imaiseiichi.html

また、半月城通信には朝鮮人の立場からの記事がある。
 http://www.han.org/a/half-moon/hm059.html

私の過去の「通信」の記事もhttp://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@72.htm参考にしていただければ幸いである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@114.htm


文学にみる戦争と平和 第十七回 
 越中谷利一 一兵卒の震災手記 『戦争ニ対スル戦争』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh17.htm

いよいよ、九月だ。<天高く馬肥ゆ>の九月だ。
しかし、八月とならんで、思うことの多い九月だ。
選挙も行われている。
馬鹿げた選挙だが、日本の未来を決定する九月だ。
秋の空気を吸って、元気にお過ごしください。

  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/

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08/12/2005

第160号 2005年8月12日 ファッショに道を開く小泉の横暴

 >>日々通信 いまを生きる 第160号 2005年8月12日<< 

郵政問題で自民党が分裂し、参議院で否決されたために、衆議院を解散し、総選挙を行うという。
 私にはこの問題はなんの興味もない。
 元来、政治には強い関心を持ちつづけてきた私だが、今回は馬鹿馬鹿しい気がしてならないのである。
 しらけている、といのだろうか。
 そして、国民の政治離れというのがこれだなと思う。

 郵政に問題があるのはわかった。その改革が問題なのだろう。しかし、民営にすればよくなるということがよく納得できないのである。
 私には民営の問題点はよくわかるが、民営の利点はあまりわからない。

 この点については、私にはあまりわからないので、発言したくない。
 しかし、国会議員は十分検討して、とにかく、ひとつの結論を出してほしいのだ。
 それが、自民党のなかでさえ納得できる結論にいたらず、反対者が多数いるのに、ごり押しで、民営に踏み切ろうとしたから問題が紛糾しているのだろう。
 自民党のなかさえまとまらず、多数決でごり押しして、その結果、国会が紛糾して、そこは多数決で否決されたのだから、もう一度、考え直し、みなが納得出きる提案にすべきなのと思う。
 そのためには、このような混乱をおこし、否決された小泉内閣が総辞職し、あらためて問題を根本から検討し直す必要がある。

 ところが、今度は参議院で否決されたから衆議院を解散するという。衆議院は反対が多かったけれど、それでも可決したのである。その衆議院を解散しても、参議院はいまのままなのだから、結局、彼らの民営化案は通過しないのではないか。
 しかし、今度の衆議院選挙で反対派を徹底的に締め上げ、たたきつぶしてしまえば、参議院議員もその小泉執行部の力に畏怖して、執行部の言いなりになるだろうというのであろう。

 元来、それほど国民の関心がない郵政問題をこれほど紛糾させて、国民にこの問題で選挙をせよといわれても、当惑するばかりなのである。この問題は専門家の間で問題を煮詰めて国民にわかる形で提案してほしい。
 それを、自民党内さえまとめられず、修正につぐ修正で、その本体は何なのかわからない状態で、ただ「民営化」という言葉だけが問題だというような不安定な状態で、空虚な論議が限りなくつづいている。
 国民の福祉や六カ国協議、首相の靖国参拝とアジア問題など多くの緊急な問題が山積しているのに、国会は郵政一本のような状態で空転をつづけ、その上、選挙までするというのはあまりにひどいと思う。

 これは小泉氏の政治家としての能力不足、力量不足、不適格性の結果だと思う。それを強引にファッショ的手法で押し切ろうとしている。問題はそこにあるのろう。これこそ、重大な政治問題だ。なぜマスコミはこのことに焦点をあてて、小泉批判に集中しないのか。

 これは、議会制民主主義の蹂躙ではないか。ファッショ的独裁にむかって進もうとしているのではないか。
 このことなら、誰にもよくわかる。イエスかノーかをこたえることが出来る。
 いま、日本はとんでもない曲がり角を曲がろうとしているのだ。
 もちろん、いまの議会中心の制度にも問題がある。
 しかし、独裁的な手法を肯定する方向に進むことで解決しようとすべきではないだろう。

 ところが、衆議院を解散したことで小泉内閣に対する支持率が上昇したという。信念に従うやりかた、行動力、決断力といったものが評価されているのであるらしい。
 これは、大変なことだ。
 二・二六事件のときも、政治の行き詰まり、その腐敗と無能にやりきれなくなっていた国民が、その行動力を支持し、喝采して迎えた。そうした動向が議会主義を否定する軍閥ファッショの支配に道を開き、戦争へと進ませたのである。

 こんなうっとうしいことは書きたくなかった。
 しかし、時代が鬱陶しいのだ。

 私の「戦争と文学 いま小林多喜二を読む」について、Amazonに若い人の感想が載っていて、大分評判がよかった。また<未来>というサイトでもたいへん積極的な評価をいただいた。
 私の本が若い人に読まれて、戦争について、小林多喜二について、昭和の歴史について考えるきっかけになり、いまに対する認識を深めることになればたいへんうれしい。
 私の本に対する意見は新掲示板1に紹介しておいた。
 読んでいただければ幸いである。

 八月一日締切で、堀田善衛について書いていたところ、パソコンが壊れて往生した。
 とうとう、修理のために工場に出さなければナイ始末だった。
 小型のノートパソコンに切り換えて、なんとか急場をしのいだが、入力その他なれぬことばかりで思うにまかせず、通信の発行も遅延してしまった。

 暑い夏である。そしてお盆である。しかし、それは終戦六〇年でテレビなどでも関係番組が数多く放映されて、私も思うことが多い。
 皆さんも、体に気をつけて充実した日々をお過ごしください。

     伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/


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05/16/2005

第151号 2005年5月16日 アジアと日本の未来

小泉首相が民主党仙谷由人政調会長の質問に答えていた。

いまの日本の繁栄はあの戦争で惨禍を被り、二度と戦争をしない決意を固め、平和に徹してきたおかげだ。この観点からこの戦争の犠牲となった方々に敬意と感謝の心を表明するのは当然だ。靖国神社を首相として参拝することについて、外国からとやくいわれう筋合いはない。戦犯の方々についても、罪を憎んで人をにくまずということがある。これは孔子の言葉で、東洋の考え方だ。戦犯の方々が靖国に合祀されているからといって、これを参拝しない理由にはならない。

こんな意味のことを小泉首相はもっともらしく述べていた。
戦争の犠牲者の霊を慰める、戦争を憎むといいながら、その戦争をはじめ、多数の国民犠牲にした責任者を、同じく、戦争の犠牲者として拝礼するというのは、どう考えても許されることとは思えない。

小泉首相の詭弁を聞くのは実に不愉快だ。
頭が悪いのか、こずるいのか。聞いていると頭がおかしくなる。
こんな屁理屈が国際的に通用するとは思えない。
理屈はどうでもいい。他国がどう思おうと日本は日本の道を行くのだ。外国は日本の首相のすることにつべこべ言うなというのである。
これが、過去の戦争で多大の不幸を強いたことを深くお詫びするという首相の態度だ。

アメリカの抗議だったら、彼はこんな態度はとらないだろう。
中国や韓国、そしてアジアの国々に対する思い上がりがこんな傲慢な態度をとらせるのだ。
こんな首相しか日本にはいないのだとマスコミなどは言い囃している。
なんとも憂鬱な話である。

小泉首相の言葉を聞いていると、いつも私は赤シャツや狸をののしった<坊っちゃん>の言葉を思い出す。

<ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被ねこっかぶりの香具師(やし)の、モモンガーの、わんわん鳴けば犬も同然な奴>

小泉首相の靖国参拝はただそれだけが孤立している現象ではない。
教科書問題、日の丸・君が代の強要、憲法、教育基本法の改悪、「昭和の日」制定等、過去の日本を美化し、戦争責任を曖昧にし、戦争を肯定して、愛国心を強調し、戦争準備をすすめるさまざまな動向と関連して、それらの動きを象徴する行為である。

靖国神社は小泉首相の信念がどうあろうと、日本の兵士たちを死に向かって動員するためのものになった。
靖国で会おうという言葉が若者たちに交わされた。
特攻隊の兵士たちの死は靖国神社の光栄と名誉が強調されることで美化された。
日本が戦争を肯定する国になり、在日米軍の再編と日米軍隊の一体化がすすめられれば、台湾問題や朝鮮問題に関連して日本は出兵し、多数の戦死者を出すことになる。
その戦死者を名誉で飾るために、靖国神社が美化されなければならない。
靖国参拝と憲法と愛国心を強調する教育基本法の改悪は表裏不可分のものとして受け取られる。
受け取られるというのではない。事実、そうなのだ。
彼らはものごとをばらばらに切り離して、その意味を隠蔽するが、いま、それがにわかに同時的に出現していることが重要なのだ。

大岡昇平の「野火」に次々に野火があらわれるのを見て、ただ一つの野火はそれだけだが、連続してそれがあらわれるとき、それは意味を持つという意味のことを書いていた。

国連創立60年で、日本は常任理事国になろうとしてみっともない活動をつづけている。
小泉首相の好きな中国の古典にかかわって言えば、「三顧の礼」で迎えられて、はじめて常任理事国になるべきなのではないだろうか。

近隣諸国のはげしい反対に会いながらも支持者を集めてなんとかそれを実現しようとしている姿はなにか恥ずかしく、情けない気がする。

常任理事国になってなにをするつもりなのだろう。
どんなアジアの未来を描き、世界の構想を持っているのだろうか。
ただ、アメリカのあとについて行くというだけでは、中国や韓国だけでなく、世界の国々の支持を得られないのではないか・

そもそも、国連は第二次大戦の終結後、ふたたびあのような戦争がおこらないように、日独のような侵略国がふたたび力を持つことをゆるさず、諸国が力をあわせてこれを阻止ようというのが創立の精神だった。

日本の首相が東条らを祀る靖国神社に参拝して、その足で国連の常任理事国になろうとしても無理だと思う。

東条らをどう評価するか、この戦争をどう考えるかは、日本の勝手で、他国からあれこれいわれる筋合いではないと首相が本気で思っているとしたらとんでもない話だ。

隣の国を散々痛めつけた過去があるのに、その過去を肯定し、美化しながら、それは自分の勝手で、お前たちの口出しは許さないというのは、あまりに自分勝手な思い上がった、傲慢な態度であると思う。

問題なのは過去になにをしたかということより、その過去をどう考えるかということだ。
過去が肯定されるなら、同じことをまた、繰り返す危険がある。
「昭和の日」を制定し、戦争の時代をなつかしく思い出せようとする勢力は、日本の現代史を正確に教えることをよろこばぬ勢力だ。

日本の若者たちは戦争の歴史を正確に教えられていない。彼らはマンガやその他から、日本の過去を美化する独りよがりの歴史観を注ぎこまれている。
自分の国を美化したいのは人間の自然の感情だから、日本の過去の真実を明らかにする努力を自虐的だとののしる歴史に心を奪われるのは自然だともいえよう。

しかし、その結果はどうなるか。
韓国の「中央日報」日本語ウェブ版は掲載された記事に対する日本語のコメントを求めているが、あまりの恥ずかしさに読みつづけることができないような無茶苦茶が書き込まれている。

その特徴は自己の無知を恥じることを知らず、中国や韓国に対しては、取るに足らぬおくれた国として、きわめて傲慢に見下していることである。

韓国に対して、日本が子供を身売りし、餓死者もだすような困難のなかで、長い間、その近代化のために多額の税金を注ぎこんだでやったのに、その恩義も忘れて生意気なことを言うというような言葉に出会ったことがある。
それには推薦者が4人もいた。
こんなデタラメをどこで覚えたのだろう。
ただ、空恐ろしいような気がするばかりである。

戦後、志賀直哉は「灰色の月」を書いたが、ほとんど同時期に、「銅像」という文章を書いている。

東条のいまのみじめな姿を銅像にして後世に残せと言うのである。
後になると、東条のような人間が出てくるかもしれないし、世界とたたかった偉大な英雄と讃美するものが出てくるかもしれないというのである。
多分、当時東条は極東裁判に戦犯として起訴され、自殺に失敗して、手錠をはめられたみじめな姿をさらしていたのであったと思う。

これについては、「戦後の直哉の心に生き続ける多喜二の像 ― 『灰色の月』前後 ―」白樺文学館 多喜二ライブラリー主催シンポジウム報告草稿
http://homepage2.nifty.com/tizu/proletarier/sengononaoya.htm
を参照していただければ幸いである。

今度、ブログ「時事問題」「漱石雑談」を開設した。
まだ馴れないが、にわかに私の世界がひろがったような気がする。
掲示板はそのまま残しておくので従来通り利用してください。

すこし、体調もすぐれず、通信の発行がおくれた。
ブログ「時事問題」の開設で、「日々通信」も正確が河原猿を得ないと思う。
皆さまのご協力で多面的に実りおおい発展を実現したいと思う。
風薫る5月、私も元気を回復したので、新しい「通信」のありかたを探りながら、努力していきたいと思う。
皆さんもお元気でお過ごしください。

  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu


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05/04/2005

第149号 2005年5月2日 悲劇は喜劇より偉大である

中国のデモ、尼崎の大事故に揺れた4月は不安と動揺のうちに去って行った。

4月29日は昭和天皇の誕生日、30日はヴェトナム戦争終結30周年記念の日、5月1日はメーデー、そして、5月3日は憲法記念日だ。

福知山線の事故は、おこるべきものがおこったという感がある。
限りなきダイヤの過密化、効率第一主義はいつかそのような事故を起こさずにはいなかったのだと思われる。
逆に言えば、このような事故がおこらなければ、JRは自己を正すことができなかったのであろう。
JRについで日航、そして静岡県警のヘリコプター、その他、三菱自動車をはじめ、事故が頻発する。
それぞれに理由があろう。
しかし、根本には何があるか。
いま、一つの時代が終わろうとしている。
時代の終りの徴候は、これらの事故がただ一つだけではなくて、連続しておこることである。
個々の事故、事件を、一つ一つ切り離すのでなく、それを全体として、総合的に把握する必要があるのだと思う。

『虞美人草』の末尾に甲野さんの手記として、漱石は次のように記した。

悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万障を封ずるが故に偉大だと云うものがある。(中略)運命は単に最終結を告ぐるが為にのみ偉大にはならぬ。忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。巫山戯たるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更の如く感ずるから偉大なのである。

昭和天皇の誕生日を「昭和の日」とする法案が今国会で成立を急がれている。
昭和とはどういう時代か。
私にとっては、それはあの8月15日で終わった。
8月15日からはじまったのは新しい時代ではなかったか。
この時代の転換を転換、断絶としてよりは連続としてとらえたいという意図が「昭和の日」制定を推進しようとするものにはあるようだ。
それは、国民を言いくるめるためにさまざまな理由を並べ立ててはいるが、戦後憲法を変えようとする勢力の隠し持った意図であるように思われる。

明治以来の80年、たしかに日本は驚異的発展を遂げたのだ。それを偉大な民族の歴史ということもできるかも知れない。
この明治以来の歴史がなければ、いまの日本の繁栄もなかった。
しかし、それはアジアの諸民族を犠牲とする残酷な歴史でもあった。そして、その結末があの8月15日だったわけだ。
いま、日本の繁栄を讃美し、その上に寝そべって安きをむさぼろうとする無気力な政界人が、戦前の日本をなつかしがるのはもっともだ。
しかし、いま私たちが立つべき地点は昭和天皇即位の日か、8・15敗戦の日か。

5月は、大きな展望で日本とアジア、そして世界の未来を考える月でありたい。
日露戦争から100年、戦後60年を記念するとはそういうことであるだろう。
戦後の60年を考えるとき、日本は平和憲法によって守られ、長期にわたる平和を維持して想像もできなかったような繁栄を実現した。
そして、日本の支配から解放された中国、韓国も、驚異的な発展をとげた。
北朝鮮はいまなお、経済的困難に苦しんでいるが、しかし、中国・韓国の支援を得て、新しい発展の道を模索している。
かつての植民地が独立し、経済的な安定と発展を実現していることが、日本の未来にとっても決定的に重要なことだと思う。

日本とアジアだけでなく、二度の世界大戦の惨禍を経て、世界は変わった。
はげしく対立し、覇権を競い合ったフランスとドイツが手を結び、EUが成立したことは、かつて想像もできなかったことだ。
このEUにかつて西側ときびしい対立をつづけた東欧諸国がぞくぞくと加盟し、経済的にも大きな発展を遂げている。
いま、戦後六十年を迎えて、ロシアもアメリカもふくめて、大々的な祝典がおこなわれるのであろう。

独仏の結合を中軸とするヨーロッパ諸国連合と、日中の結合を中軸とするアジア諸国連合が、二十世紀の悲惨な戦争を教訓に、相互に、信頼、互恵、平等、協力に基づく新しい安全観が形作られていくならば、それは新しい世界史の展開となるであろう。

しかし、このひと月、反日の嵐が中国、韓国に巻きおこったのはなぜだろう。
日本政府は、中国政府に対してはげしく抗議したが、マスコミではこれでも弱腰外交だと非難する傾向も見られた。
「理由は何であれ」暴力行為はけしからんというのであった。
しかし、「理由」が問題なのではないか。
マスコミが連日「中国謝罪せず」という大きな見出しをかかげているのを見て、私はなにかわびしい気がした。
とにかく、この混乱を契機に、中国政府は強力なデモ取り締まりをし、小泉首相はバンドン会議で村山談話を繰り返して、形式的ではあるが小泉・胡錦濤のトップ会談も行われた。
両国政府は日中間の結びつきが両国にとって死活の問題だということをあらためて認識したのであったろう。
小泉首相は「雨降って地かたまる」などと言っていたが、そして、日本側はデモさえなければ、時がたてば問題は解決するかのように思っているが、はたしてそうか。

胡錦濤主席をはじめ中国側が強調しているのは、「行動で示せ」ということだった。一応の収拾はしても、中国や韓国側の日本に対する不信は深いようだ。
これを見あやまって、中国も韓国も、日本との経済関係を無視しては成り立たないのだからと甘く見ていると取り返しがつかなくなるのではないか。

問題の根源は「歴史認識」にある。
明治以来の日本の発展をどう見るか。あの侵略戦争をどう見るかという問題である。
この点で、それを遠い過去のことととして、ただ、「未来志向」で行こうというだけなら、アジアもヨーロッパも納得しないだろう。

過去はもう取り返しがつかないのだから、いつまでもそれにこだわって未来を閉ざすのは間違っているだろう。
しかし、過去をどう考えるかはいまの問題だ。

発行者 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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04/13/2005

第146号 2005年4月13日 続中国の反日デモ

日々通信 いまを生きる 第146号 2005年4月13日 続中国の反日デモ

[中国反日デモ]について、主催団体がネットで中断声明を出した記事があった。
新掲示板2[2205]参照。

中国のデモは政府や主催団体の意図をこえて拡大するおそれがある。

太平天国や義和団の騒乱、近くは文化大革命等、激烈な政治運動をつづけてきた中国の人民である。

五・四以後の日貨排斥運動、抗日運動のことが思われる。

日本のメディアは中国のメディアが反日デモの動きを伝えていないことを批判しているようだが、もし、日の本メディアのように、これを煽動的に伝えるならば、どうなるか。
デモはたちまち中国全土にひろがり、収拾不能になるだろう。
報道が抑制されていることは、政府が事態の拡大をおそれていることの現れではないか。

中国のメディアが統制されていることを批判することはもっともなようだが、それなら、このような動きが全国的に拡大し、収拾不能になることを覚悟しなければならない。
もし、そうなれば、また中国のメディアは騒動をあおりたてたと批判するだろう。

警備が不十分との指摘があるが、もし、強硬に押さえつけるとすれば、群衆はますます激発して、暴徒化するだろう。
そうして、天安門事件の再現にならないとは限らない。
いや、今度は全国民的な運動なのだから、あのときとはくらべものにならない悲惨なことになるおそれがある。
その時はまた、中国の人権問題についてうれしそうに論じ立てるのだろう。
日本のマスコミの無責任さはいまさら論ずるにも及ばない。

いずれにしても、大変な事態になったものだ。
この火をつけたのは誰だ。
日本政府は中国政府を非難して自らの非を認めようとしないが、、そもそもは小泉首相とその仲間たちの常識を逸脱した右翼的言動ではないか。

中国にしても、韓国にしても、いまの政権担当者は親日的であり、未来志向的だったと思う。

しかし、これに対して、小泉首相とその仲間たちは正当に答えず、反アジア的な右翼的言動を繰り返して来た。

韓国・朝鮮と中国に対する過去の侵略の事実をかえって美化するような動向と軍事力強化、海外派兵容認、憲法改定の動きが、中国、韓国・朝鮮をはじめアジアの諸国民を刺激している。

この対日反感が日本の国連常任理事会入りと教科書検定の問題を契機に爆発したと見るべきではないか。

過去の侵略戦争を容認し、美化する動きに対する反省がなによりさきにあるべきではないだろうか。

過去のあやまちを認めることなく、右翼的な動向の強化を容認・激励しながら、日本が国連で重要な位置を占めることは、このような日本の状態が国際的に承認されることになる。

アジアの諸国が日本の歴史認識をきびしく問うているのは、日本とアジアの未来に関わることだからだ。

小泉首相とその仲間たちは自己の責任を認め、窮地に陥っている中国政府を助ける努力をすべきなのではないか。

その反対に、高圧的な態度をつづけるならば、中国政府はますます対日強硬態度を強めなくてはならない。そうでなければ自国人民の暴発をおさえられず、悲劇的な事態に追いこまれていく。

日本のメディアはただ中国・韓国政府を批判し国民感情をあおりたてるだけでなく、問題の根源にあるもの、それがひきおこした事態の深刻さについてはっきりした認識をもつべきではないか。

   伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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04/11/2005

第145号 2005年4月11日 中国の反日デモ

 
 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
 メールアドレスを次のように変更しましす。
 xyztizmk@nifty.com

竹島問題、歴史教科書問題で韓国世論が沸騰していると思っていたら、今度は中国で大規模な反日デモがおこって、日本国民を驚かせている。

日本人の多くはこんなことがおこるとは思ってなかったのであろう。事態に驚き、中韓両国人民に対する反感を強めている。

小泉首相も町村外相、中山文科相なども、こういう結果になろうとは予測していなかったのではないか。

そこに日本人のアジア問題、歴史認識問題に対する認識の甘さがあるように思われる。
過去に対してばかりではない。
現代の中国に対しても、世界に対しても、はたして、どれだけの認識を持っているか、心もとない。
イラク問題ではまともな議論をする人も、中国問題、韓国・朝鮮問題になると、理性をうしなって、感情的になる傾向がある。

私には、中国・韓国、さらには北朝鮮の日本批判さえも、日本の政府高官の発言より理に適っているような気がして、残念に思うことがしばしばだ。

小泉首相などは、いろいろ言い分があるだろうが、それがすべてではないのだから、未来志向で協力を強めて行くことが大切だと、例のとぼけた言い方をしているが、それでは、日本人はごまかせても、中国や韓国・朝鮮、さらにはアジア諸国人民をごまかすことはできない。

アジアの国々ばかりでなく、フランス、ドイツ、そしてアメリカでさえ、あきれ果てずにはいられない日本の態度である。それに日本国民だけが気がつかず、中国・韓国の国民的憤激を、反日教育の結果だとか、自国の政府に対する反対運動ができないので、反日で盛り上げているのだとか、枝葉末節のことを問題にしている。
ここには、かつて侵略したアジア諸国に対する侮蔑の感情があるのではないか。
彼らの懸命の抗議をまともにうけとめず、おくれた国の無知な人民の野蛮な行動だと見下しているような気がしてならない。
それは、結局、日本の過去を肯定し、いまのアジア諸国民を見下す傲慢な態度と見られても仕方がない。
現に、この事件を契機に、自国の過去を反省する代りに、反中、反韓の気分が強まっているように思われる。

そもそも小泉首相の靖国参拝に固執する態度が異様だった。
腕白小僧の意地っ張りみたいなところがあった。
自分のすることにアジアの諸国がつべこべ言うのはおかしい。
自分は自分だ。自分のすることにお前らに口をはさませはしないという驕りたかぶった態度だった。
いくら文句を言っていても、結局は経済的な利益がほしくてお前らは頭を下げて来るにちがいない。そうすれば、自分がはじめて、総理大臣の靖国公式参拝を認めさせたことになるのだと言わんばかりの態度だった。

中山文科相や町村外相は、過去の侵略戦争を美化する教科書を検定で通過させても、それは、日本の国内問題であり、法的に適法の手続きをふんで採用されるのだから、自分体に責任はないという、極めて無責任な態度だ。
そして、いろいろな教科書があってもいいのではないか。これが民主主義の日本のいいところだと居直る。

政府当局者ばかりではない。
私が信頼し、わざわざCSの契約をして見ている愛川欽也のパックイン・ジャーナルも、ことがアジアの問題になると、愛国的になる傾向がある。
コメンテーターの田岡俊次氏も次のように述べていた。

それぞれの国が自国の過去を美化し、誇らしいものに飾りたてるのは当然で、どこの国の歴史教科書もそうなのだ。イギリスだってフランスだって、西洋の列強はアジアやアフリカを侵略し、そのことによって巨富を得、文明国として発展したのだ、それを彼らは反省したり、謝罪したりすることはないではないか。

これは一理ある発言だ。
しかし、帝国主義の時代と、第1次世界大戦、特に第2次大戦以後の、侵略戦争否定の動向を混同するものではないだろうか。

もちろん、いま、アメリカは第2次大戦後の侵略戦争を否定する国連の精神をふみにじっている。このアメリカに鼓舞されて、小泉首相とその仲間たちは日本の侵略戦争を肯定する動きを強め、日本の軍事体制を、中国を視野にいれたものに再編成しようとしている。
国民をこの体制に動員するために、竹島問題や尖閣列島問題など、国家間の緊張を強め、国民感情を刺激する問題を激化させている。
靖国問題や歴史認識の問題、教科書問題でも、きわめて挑発的な態度をとりつづけてきた。

しかし、これほど強い反応があるとは彼らは予想していなかったのであろう。そして、この反応が日本国民の対中反感を強め、日中関係、日韓関係は政府が統制することができないような大変な事態に発展しようとしている。

日本商品のボイコットを呼びかけるメールが萬晩報に紹介された。私の新掲示板2[2183]に紹介しているので、読んでいただければ幸いである。

このメールに次の言葉がある。

<日本の松下という会社のある重役が、「我々が靖国神社へ行かなくても、韓国人は我々の商品を買ってくれない。しかし、我々が如何に靖国神社を参拝しても中国人は我々の商品を買ってくれる」と言っていた。これはまさに、中国人たちを淋しくさせる一言である>

これについて私は次のように考える。

-------------------------------------------------
新掲示板2[2188]
小泉首相や中山文科相はいくら靖国参拝をつづけても、対中暴言をはいても、中国は経済的な理由で屈伏するにちがいないと驕りたかぶっているのではないか。

彼らは中国を見誤っている。

中国も韓国も、対日友好派の首相や大統領が就任して、両国関係の改善を呼びかけたが、それに対して、日本はますます傲慢な態度をとってきたのではなかったか。

中国も韓国もEUやアジア諸国との関係を強め、中国の対日貿易額はEU、アメリカに次ぎ、3位になっている。

日中関係の断絶で打撃を受けるのは中国よりも日本なのだ。

いまの政権はこの現実を直視することができず、強硬な態度を取れば彼らはたちまち屈伏すると考えている。

しかし、その反対に、それがこの政権の終末を招くのではないか。
--------------------------------------------------

この事態を打開するには何が必要か。少し前の記事だが、[2177]に「人民網日本語版」2005年3月15日の記事<「反日教育」はどこから来るのか(評論)>を紹介した。

この文章の末尾の次の言葉は、いま、あらためて立ち返るべき原点ではないだろうか。

<日本の高官に申し上げたいのは、自国の歴史教育問題の改善に少し関心を持たれてはいかがかということだ。実際のところ、「日本への反感」を消したいならば、それは難しいことではない。もし日本の「教師たち」と「教科書」が自らを律することができるならば、「日本への反感」も自然に減り、中日関係も自ずと改善、発展していくだろう。なぜなら結局のところ、「日本への反感」は何も広範な日本人民への反感ではなく、日本の右翼勢力が軍国主義の悪行を煽り続け、一部の政治屋が無責任な言論を発表し続けることに対する一種の「精神的反発」だからである。>

peopledaily.com.cn/2005/03/15/jp20050315_48365.html

新掲示板2の次の項目を参照していただければ幸いです。

2170.盧大統領「日本の侵略美化は全世界の大不幸だ」
2150.■ どこまで広がる中国不買運動 日本企業の影響と対応
2145.「日本は周辺国との理解深めては」 ケーラー独大統領アドバイス
2130.■ チェーンストア協会も“参入” 深刻になってきた中国の日本製品ボイコット

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04/07/2005

日々通信 第144号 2005年4月7日 孤立する日本はどこへ行くか。

 
日本は世界から孤立するアメリカの尻尾について、アジアから孤立し、世界から孤立して、衰退と破滅の道を歩くのだろうか。

新掲示板2[2145]に掲載した[JCJふらっしゅ]のケーラー独大統領のアドバイスは興味が深かった。

日本の小泉首相は靖国参拝に固執し、北朝鮮問題、竹島問題、尖閣諸島、北方4島など、解決困難な問題を緊急の課題として問題化して、アジアの諸国と対立を深めている。

教科書検定でも、竹島問題について、あの「つくる会」の扶桑社版でさえ当初の記述は「韓国とわが国で領有権をめぐって対立している竹島」と記していたのに対し、「領有権について誤解するおそれのある表現」との検定意見がつき、「韓国が不法占拠している竹島」と修正して合格したという。

参照 新掲示板2[2137]竹島問題、4社掲載 韓国、強く反発

前号で紹介した次の言葉は大事だと思う。
2103.盧大統領「日本に繰り返し謝罪を求めているわけではない」
中央日報 2005.03.30 16:46
http://japanese.joins.com/html/2005/0330/20050330164632200.html

何度謝罪すればいいのかとなどと言い募り、中国や韓国に対する反感をあおりたてる勢力がある。
形式だけの謝罪はもうたくさんだ。
このごろは、民間会社の不祥事も多くて、そのたびに会社の幹部が、まことに申し訳ありませんと深々と頭を下げる場面がしばしば放映される。
そのたびに、私はしらじらしい思いをさせられる。
多分、彼らはそのあとで高級料亭でいっぱいやりながら、ひどい目にあいましたねえ、社長の頭の下げ方はよかったですよなどと言い合うのではないか。

謝罪が問題なのではなくて、小泉首相、中山文科相をはじめ、閣僚や、自民党幹部が日本の過去をどう考えているのかが問題なのだ。

それが、いま、教科書問題として噴出している。

日本の過去をどう考えるかということは、これからの日本とアジアの関係をどうするつもりかという問題に連なる。

過去の侵略戦争を肯定するなら、もう一度、それがくりかえされる可能性があるのではないか。
過去の問題にいつまでもこだわるのはやめようと小泉首相はしたりげに言う。
そして、靖国参拝をつづけ、アジアの諸国民に過去の日本を生々しく思い出させ、憤激を組織しているのだ。

そして、過去の戦争を美化する教科書が検定を通過し、東京都をはじめ各地の教育委員会で採用されている。
この教科書を採用する学校が少ないのは、多くの教員や教組、民間団体がこれに反対するねばり強い反対運動をつづけているからだ。

彼らは自分のしていることを理解していないのだと思う。
世界の中の日本の問題を考えたことがないのだろう。
国際社会といえばアメリカのことで、ただ、アメリカに追従することだけを考えているのだ。
フランスも知らない、ドイツも知らない。ただただ、アメリカを崇拝し、アメリカ一辺倒でその青春を送ってきたのだ。

大体、日米同盟などということがしきりにいわれるが、日本はそんな同盟を結んだ覚えはない。
日米間の日米安保条約は日米同盟条約なのだろうか。
いつのまにか、その内容が再定義とかいわれて勝手に変更されてきたのではないか。
(この点については私にはわからないので、どなたかに教えていただきたい。新掲示板2に書き込んでいただければさいわいです。)

とにかく、いま、日本はブッシュにアメリカの唯一最大の同盟国とおだてあげられ、小泉首相は舞い上がっている。
それが、彼のアジアに対する傲慢不遜な態度の理由だと思われる。
そして、それをアメリカは求めているのだろう。
日本が朝鮮だけでなく、韓国・中国との対立を深め、軍事力を強化し、憲法を改正して、どこにでも親分を助けにかけ出せる国になることを、アメリカは求めている。

アメリカは世界各地で戦争や混乱をひき起こしている。
1945年以後戦後の戦争をおこしたのはいつでもアメリカではないか。
米ソ対立の時代はともかく、それ以後のアメリカは必要でもない戦争を各地に起こしている。
アフガン攻撃が9・11の「テロリスト」対策として有効であり、必要だったのか。
イラクに対する戦争は、そのためにでっち上げられたニセ情報にもとづいた無法の殺戮だったのではないか。
なぜ、アメリカはこんなにむやみに戦争をしたがるのか。
その理由については別に考えたいが、とにかく、いまのアメリカは戦争屋であり、戦争をつづけなければ、その体制を維持できなくなってしまっているのではないかと思われる。

こんなアメリカのあとについてばかりいては自国の破滅になるという認識が、世界の各国のアメリカ離れを招いているのだろう。
そして、ついに、日本だけが信頼できる唯一の同盟国ということになった。
アメリカから離れるだけでは十分ではない。
このアメリカの暴虐とどう対決するか、それが、いまの課題なのだと思う。
しかし、アメリカは最大の軍事国家であり、世界はアメリカ経済に深いかかわりを持っている。アメリカが倒れれば自国の経済も危ない、そのような相互依存関係があり、それが世界とアジアの国々の対米政策を苦しいものにしている。
アメリカとの関係を維持しながら、これから離れ、いかに自国の経済を自立させるか。
この困難な問題と韓国も中国も、そしてEUも取り組んでいるのではないか。
中国は、日米依存から脱して、EUや韓国との関係を強化する方向に進んでいる。

中国で高速鉄道建設が問題になったとき、私はもちろん、日本の新幹線が導入されるのだと思っていた。
それが、ドイツのリニア・エンジンと競合していると聞いて、どうなるかと思っていた。その後、地上線に決まったと聞いて、やはり日本の新幹線だと思ったが、これがフランスの高速鉄道に決まったと聞いておどろいた。

韓国もフランスの高速鉄道を導入している。想像もつかぬことだった。フランスの高速鉄道より、日本の新幹線のほうがはるかに優秀だと私は思っていた。事実、去年韓国を訪問したときに乗った感じでは、日本の方がはるかにすぐれていると思った。
しかし、なぜ、中国だけでなく、韓国までもフランスをえらぶのか。
アメリカはかつて自動車問題で大統領がわざわざ来日してその解決のために努力した。今度は、ライス国務長官が牛肉問題で来日し、大変な努力をしている。
しかし、わが、小泉首相は靖国参拝をつづけ、中国・韓国の反感を増幅する努力をしているのだ。

この日本がどこへ行くか。
いま、私は日本が想像もできないおそろしい破滅の淵に向かって次第に速度を増しながら突き進んでいるように思われる。

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04/05/2005

第143号 2005年4月5日 日韓関係の行方

【1】日韓関係
【2】 君が代・日の丸

【1】日韓関係
次のようなニュースが次々に伝えられている。

新掲示板2から

2106.日本は最後まで韓国との外交戦争を望むか
朝鮮日報 記事入力 : 2005/04/01 20:26

 日本の独島挑発と歴史教科書の歪曲により、韓日関係があつれき局面に突入した後も、日本政府関係者たちは韓国国民を刺激する発言を続けている。過去には、一部右翼勢力が挑発をしても、最小限、日本政府のレベルでは韓日関係の将来を考慮し、そのような動きを自制させようとしていた態度とはまったく違っている。

記事全文
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/01/20050401000070.html

2105.「日本に安保理常任国入りの資格ない」国連大使
中央日報Apr , 01 2005

同大使は「周辺諸国の信頼と支持を受けられず、過去歴史も反省しない国には、安保理常任理事国入りの資格がない」と話したりもした。
沈相福(シム・サンボック)特派員 < simsb@joongang.co.kr >

記事全文
http://japanese.joins.com/html/2005/0401/20050401172447200.html

2103.盧大統領「日本に繰り返し謝罪を求めているわけではない」
中央日報 2005.03.30 16:46http://japanese.joins.com/html/2005/0330/20050330164632200.html

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は30日、外交通商部(外交部)の業務報告を受ける席で、「政府は周期的に繰り返し日本に謝罪を求めているわけではない」とし、「日本が過去の謝罪を無効化する行為をしてはならないという原則的立場を表明している」と述べた。

http://japanese.joins.com/html/2005/0330/20050330164632200.html

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私は「日本が過去の謝罪を無効化する行為をしてはならないという原則的立場を表明している」という盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の発言を重要だと思う。

謝罪云々よりは、歴史認識が重要なのだ。
中山文科相や石原都知事、「新しい歴史教科書をつくる会」などは日韓・日中関係を破壊する挑発行為をつづけている
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これについて金正勲さんから次のようなメッセージが寄せられた。

2095.Re: 東亜日報記事
名前:金 正 勲 日付:4月2日(土) 12時42分
 今年は韓日交流40周年に当る年である。韓国政府だけではなく、民間団体や出版界などではこの40周年を記念して色々な準備をしてきた。しかしそれが延期になったり、キャンサルになったり様々な形で影響を及ぼしている。
 
 研究者としてこれほど辛い経験をした覚えはかつてなかった。なぜ独島の問題が起こったのか。なぜ交流をもっと深めなければならない時にあの問題が島根県から持ち出されたのか。

 先ほどの電話で、ある漱石研究者は、「日本の学者を招いて講演会を大学で開く予定だったが、なぜこのような時期にと皆から言われ、結局諦めた」とため息を漏らしながら心苦しく言っている。

 彼の言葉を聞いた瞬間、彼の心境が私にもそのまま伝わって、胸がちくちく痛んだ。憂鬱な日々が続いているのだが、いつ晴れるだろう。春だから、れんぎょうやつつじや桜はもう咲いているのに、韓日交流の花はいつ咲くのだろう。 

名前:金 正 勲 日付:4月2日(土) 21時56分
日本との関係がはやく回復するよう祈りたい

 韓国は感情に走らず、冷静に対日外交を考えなければならない。
いくら国民が憤怒しても、両国関係は正常に進めていかなけれなならないからだ。
 しかし、どうしても植民地時代を経験している韓国は、日本に対しては厳しくなってしまう。韓国に被害意識を扇ぐ言葉が日本の文部大臣から出ると、すぐそれは韓国言論から批判される。特に領土や歴史教科書の問題には非常に敏感に反応する態度を見せているのだ。

 日本政府の対韓政策が、韓国に辛い過去を連想させる方向に走るのを警戒せざるを得ない。このように刺激しては両国関係に何の役に立たないからだ。

 韓国は、韓米同盟は同盟として受け止めながらも、アメリカから離れ、東アジアで独立を宣言している。中国や北朝鮮との関係も念頭に置いているわけだ。とはいえ、日本との関係を大事に思っていない国民は一人もいない。

 4月5日の歴史教科書検定の結果が問題だ。全ての国民はそれに注目している。もう一度大風が吹いてくるだろう。

 日本との関係がはやく回復するよう祈りたい。

【2】 君が代・日の丸

2101.教職員50人を処分 「君が代」不起立で都教委
2102.卒業式に警官9人動員 「声が小さい」3回斉唱

「君が代」処分 被処分者の会が抗議
2005年3月31日(木)「しんぶん赤旗」

 卒業生を担任していた教師は「強制を無批判に受けいれたら生徒との信頼関係がくずれると思った」と語りました。昨年に続いて二度目の処分が予想される教師は、都教委の事情聴取のさい弁護士の立ち会いを求めたが拒否され、弁明の機会もないまま処分が決定された経過を報告、「一般の処分なら半年ぐらいかけて慎重に決められるのに、一カ月もたたないうちに、脅しとして処分される。これが公正な処分といえるでしょうか」と怒りを込めました。

 被処分者の会の近藤徹事務局長は、昨年処分され不服申し立てをしている人たちの人事委員会審理がまだ始まってもいないのに、新たな処分が決定されたことを「社会常識にも反する」と批判しました。また、自身の勤務校の卒業式に九人の警察官、七人の都教委幹部職員が配置されたことや、別の高校で管理職が式の予行のさいに「声が小さい」などとして三回も生徒に「君が代」斉唱をさせた例をあげ、異常な卒業式になっていると告発しました。

 会見した被処分者らは強制反対の声が生徒・保護者・市民のなかに広がっていると指摘。近藤事務局長は「ほとんどの職場で、立つ人も立たない人も一緒になって、校長に職務命令を出さないことや、内心の自由について生徒に説明することを求めて運動している」と語りました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-31/14_01.html

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03/31/2005

第141号 2005年4月1日 日の丸・君が代について

発行者 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

140号についていくつかのメールをいただいた。

吉田 京子さんから

愛国心の問題考えてゆきたいですね。
私は戦争が終わったアト(1951)に生まれた者です。
「民主主義」ということばがまだ新鮮な響きのように家庭でも話題になっていたのを記憶しています。
父親が「これからは言いたいことを何でも大きい声で言える時代だからしっかり自分の意見を持て」
学校では「生徒を殴れば教師はクビ」とといわれていました。でも君が代は何の問題もなく歌われていました。
ようするにまだ時代の中で「民主主義」がユラユラしていたような時代でした。
今再び「非××」などが頭を持ち上げかけているのは暗い時代を知らぬ自分はただ「恐ろしさ」ばかりです。
ユラユラしながら歩いてきた「民主主義」を大切に大切に「戦争放棄」を大切に大切にしていきたいと思っています。
「愛国心」より自分の日常の暮らしを守り壊したくないと思っています。
最近「人間の条件」を読み返しました。平穏な日常の大切さをあらためて思いました。

ある主婦から

毎回日々通信、興味深く拝読しております。

末っ子が中学卒業でしたので今回の日の丸、君が代に関しては特に感じるところがありました。

浦賀中学の卒業式でも日の丸は校旗と並んでステージ中央の演壇の横に立てられていました。 

卒業式の開式の言葉で式場の全員が起立し、起立した状態のまま君が代斉唱でした。 歌声の入ったテープが流され生徒と保護者は歌いました。 そのとき体育館の上の回廊に二人職員と思われる人がたって式場を上から覗き込む形でした。 なぜ、二人の人がそこにいたのかはわかりません。 

私は君が代の歌詞がきらいです。 歌う自由、歌わない自由がないのもどうかと思います。 要は全員一致でひとつのことをすべきという姿勢がいやなのかもしれません。

全員が起立していたのですが、私は音を立てないよう気を配りながら君が代の間着席しました。 君が代が終わり校歌斉唱になったときにまた立ち上がりました。 自分を意思をきちんと持つということはとても大切なことなのではないかと思っています。

私が大学を出て浦和の高等学校に就職したのは1950年だったが、制服もなく、もちろん、日の丸も君が代もなく、教科書は何種類かの検定教科書から、教師が相談して、学校ごと、学年ごとに自由に決めた。
薄い教科書だったので、私は自分でガリ版刷りの教材をつくり、教えたいことを教えた。全力で、自分のすべてをぶつけて教えた。
生徒たちも敏感に反応してくれたと思う。

日の丸・君が代が問題になり、文部省が重苦しく教師と生徒の上にのしかかって来たのはいつごろからだったろう。
村上春樹の「蛍」という短編に、主人公が地方からでてきてはいった、ある団体が経営する学生寮で、寮長ともうひとりの補佐役が毎朝だまって日の丸の旗を掲揚し、夕方収納していたことを書いている。
多分、60年代の終り頃のことを書いたのではないかと思う。
そこから、今のように、文部省だの、都教委だの、なんだのという有象無象がのさばる時代になった。

普通の家では、いまも日の丸を掲揚している家はめったにない。
私の住む町内会でも、もしかしたら一軒もないのかも知れない。
かつて、自衛隊の幹部の家で日の丸を出していた。毎朝、公用車が迎えにきて、家族が並んで送っていた。しかし、その家もいまは日の丸を出さなくなった。多分、定年退職になって公職をやめたのだろう。
小泉首相だって、総理大臣になるまでは靖国神社に参拝してはいなかったのではないか。
いま、日の丸・君が代をやかましく言い立てている都教委の職員だって、自分の家では日の丸を出してはいないのではないか。
いまは、すべてが職業的なのだ。
日の丸・君が代も同じことだ。
マナーだという都の教育長の言葉は滑稽だ。
彼の家では日の丸を出しているのか。すくなくとも教育長になるまではどうだったのか。ほんとうに、自分の声で大きく口を開けて君が代を歌っているのか。
いまの愛国主義は偽物だ。
国のために死ねと言い募る連中がほんとうに自分が死ぬつもりだとは想像できない。
彼らは、徴兵制を国民に押しつけても、自分の息子は死なないように工作するのではないか。
あの戦争中もそうだった。
いまの連中があの戦争の時代より、高潔で、滅私報国の精神を持っているとは思われない。所詮は絵空事だ。
晶子の「君死にたまうことなかれ」を思い出す。

 君死にたまふことなかれ、 すめらみこと(皇尊)は、戦ひに
 おほみづからは出でまさね  かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこころの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。

(文学に見る戦争と平和 第七回  与謝野晶子 君死にたまうことなかれ
 http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/yosanoakiko.htm)

東京都教育委員・永世棋聖の米長邦雄が天皇主催の園遊会で「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言って、天皇から「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と言われたことは記憶に新しい。
しかし、彼らは天皇の意思を無視しても日の丸・君が代を国民に押しつけようとする。
その第一歩として、学校でそれをやっているのだ。
これが日本の「民主主義」だ。

昔、多分60年代いまはもう五十になる息子が子供の頃、いまのベイスターズがまだ大洋ホエールズといって川崎で試合をしていたころ、野球を見に行くと、国旗掲揚、君が代斉唱で、観衆が起立させられた。

私は起立しなかったが、子供も父にならって起立しなかった。
みんなが立っているなかで、自分だけ立たないのは、やはり苦痛だった。
私は自分が立たないのはいいが、何もわからぬ子供まで同じ思いをさせるべきではないと思った。
それで、その次からは、君が代がはじまる前に席を立って、ラーメンかなにかを食べに行った。
それがよかったのかどうか、私にはわからない。
孤立をおそれぬ教育をすべきだという意見もあるだろう。
しかし、親の思想を子供に押しつけてはならないと私は思ったのだ。

いま、自分が高校の教師だったら、どんな思いで過ごしているだろうと思う。
もし、いまも横浜市大の教師だったら、どうしているだろうと思う。
大変な時代なのだと、いまさらのように思わずにはいられない。
しかし、人々は、こんな時代を、事も無げに暮らしている。
私も呑気に、はるの気配を楽しんでいる。

昨夜はサッカーで日本中がわき上がったらしい。
やがては、お花見で浮かれさわぐのだろう。
テレビはそれ一色だが、日本国民の実態はどうか。
ほんとうに、どういう時代なのだろう。
何年かまえには、こんな時代が来るとは思わなかった。

投書した主婦は<自分の意思をきちんと持つということはとても大切なことなのではないかと思っています。>と述べている。
しかし、現実の職場で<自分の意思>を持ち、それに従って生きることは難しい。
こうして、日本は押し流されていく。
この日本はどこへ行きつくのか。

ふと、何もかもいやになってしまうときがある。
しかし、ある老年の主婦は私の「通信」をコピーして、周囲の人たちに配っていると伝えてくれた。
そのような読者に励まされて、いまが危機であればあるほど、元気を出して、小さな声をあげつづけていこうと思う。

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03/21/2005

フランスの高校生デモ

池沢さんの「異国の客」 022に次の記事があった。
http://www.impala.jp/ikoku/

022 川の風景、マニフ、記憶論とチベット その2
 町で高校生のデモに出会った。
March 21, 2005

 ちょっとした買い物をして店を出たところ、目の前の道路に子供たちがあふれていた。これが壮観だった。

以下
http://www.impala.jp/ikoku/

日本では考えられないことだ。
昔、私たちは自分たちが日本を背負うと考えていた。
戦争中は、志願して軍人になり、特攻隊員になったものもある。
戦後は、高校生のデモは珍しいことではなかった。
半世紀たって、いまの高校生は決してデモなどしようとしない。
これは進歩か退歩か。

イスラエルの高校生が兵役について熱っぽく論じ合っているのをテレヴィで見たことがある。
選挙の前には、模擬選挙がおこなわれ、支持政党について論じ合っていた。

日本の高校生は子供扱いされすぎているのではないか。

日本の民主主義はその本質を見うしなっているのではないか。

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03/20/2005

<戦争を語り継ごうML>について

<戦争を語り継ごうML>に参加した。

戦争体験について、いまの戦争と平和をめぐる問題について、熱心な意見や情報が交換されている。
私の世界が広がった感じだ。

以下、その案内を紹介する。

□MLの名称
戦争を語り継ごうML

□MLオーナー
owner-no_more_war@freeml.com

□MLの宛先
no_more_war@freeml.com
■戦争を語り継ごうMLへようこそ
戦後はや半世紀余り、あの呪わしい戦争の体験もしだいに風化し
つつあります。そこで、インターネットに数多く蓄積された、戦
争中の体験記や記録を、21世紀へ語り伝える一助として、先にH
P「戦争を語り継ごう -リンク集-」を立ち上げましたが、この
サイトのテーマを中心に次のようなことを話し合っていきたいと
思います。

●「戦争を語り継ぐ」ための世代間の交流
●「戦争を語り継ごう -リンク集-」に掲載されたHPを見ての感想や質問
●「戦争を語り継ぐ」ための諸活動に関する情報交換
● 過去の戦争の反省を踏まえ、いかに平和を守っていくか

戦争を体験した世代から、明日の日本を担う若い世代まで、多く
の皆さんのご参加をお待ちしています

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参加方法
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FreeMLでは、本人以外の人物によるML参加登録を防ぐために、本人に登録
を確認するステップを設けています。

以下のURLをクリックすると、参加手続が完了します。
http://www.freeml.com/join/565IW5diLDV4/5IWWUyJWUnp4/54710157

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