第171号 2005年9月22日 コイズミ新内閣が発足した
地滑りのような勝利で国会は与党一色だ。
その旗印は<カイカク>。
<郵政改革を止めるな><改革を止めるな><郵政改革に反対するものは改革に反対するのだ><反対者を追放せよ>
コイズミは髪振り乱して絶叫した。
議会の答弁の眠そうな顔とはなんという違いだったろう。
こんなコイズミを私は始めて見た。
もしかしたら、コイズミは天成のデマゴーグであり、アジテーターなのかも知れない。
コイズミは有象無象の候補者たちを全国にばらまいて大勝利を得た。
アルバイトに応募するようなつもりで、自民党の公募に応じたら採用され、当選に驚いている若い新代議士、武部幹事長の大学時代の友人で、名前だけ貸せといわれ、当選するはずのない比例下位候補者に登録したところ思いもかけず当選してしまった。
東京比例区では当選者に候補者がたりず、社民党に一議席がまわされたほどだ。
これほど大勝するとはコイズミも自民党も予想していなかったのだろう。
これは大変なブームだ。
そして、ブームのあとには反動がくる。
言葉があって内容がないコイズミに対する幻想がはげるのに時間はかかるまい。
コイズミは郵政改革に賛成か反対かの国民投票だと言っていた。
一議案である郵政改革の賛成反対が総選挙で一国の総理大臣を決めることになるとは乱暴な話だが、しかし、これが郵政改革国民投票だとすれば、3419万票VS3389万票で、郵政改革反対票が勝っていたことになるという。
国民投票論も欺瞞だ。
しかし、鴻池、中曽根など、郵政改革に反対した参議院議員も野田聖子衆議院議員などもコイズミ支持にまわった。
国民の圧倒的支持がある以上、コイズミ氏に従うというのだ。
これは恐ろしい話だ。
昭和の新体制も、大政翼賛会もこうして政治の世界を押し流し、あの無謀な戦争に突入して行った。
<バスに乗り遅れるな>というのが当時の日本の合言葉だった。
<御時勢>という言葉はうちかちがたいものとして日本の政治や社会、文化までもを押し流していく。
コイズミは大勝利したがわびしい思いをしているのではないか。
信頼すべき仲間がひとりもいないのだ。
ただただ保身をねがい、利害得失を計算して、今日は勤王、明日は佐幕と右往左往する連中ばかりなのだ。
彼は自分の空虚さを知っているだろう。
任期延長せずと言いつづける彼は、この辺が潮時だと知っているのだろう。
カイカクといっても中味はない。
郵政改革法案はもちろん通過するだろう。
しかし、それでおしまいだ。
彼は自分の花道について考えているのではないか。
増税も自分の任期中にはやらないと公言している。
それは、やめればやるということだ。
その審議はやがてはじまる。
その他の改革も化けの皮が次々にはがれる。
これをかわしていくために、朝鮮問題、アジアとの関係修復問題に専心するのではないか。、
彼は靖国参拝もこんどの選挙では、争点にしないといって、公約にはしていない。時期を明言せず、適切な時期にといっているだけである。
アジア問題、特に朝鮮との国交回復がこれからは大きな話題になっていくのだろう。
いままでの差別と偏見にみちた中傷とも思われる朝鮮攻撃は次第に減って、相互交流が活発になるとともに、南北融合に向かい、改革開放の道をあるく朝鮮の実情が伝えられることになると思う。
日韓国交回復が、韓国の経済的発展に大きな意味を持ったことは言われるが、日本お経済発展にも役立ったことはほとんどいわれない。
平和的な国家関係は相互互恵の原則にしたがう。
日朝も国交回復が実現すれば、それは行き詰まっている日本経済にも利益をもたらすのだ。
なによりも、アメリカがアジアの統合と経済発展に割り込み、朝鮮の平和的な経済発展に一役かもうとして焦っているのだ。
いまは、戦争の時代ではなくて、平和の時代だ。
戦争と平和について、古めかしい戦争主義的思考しかできない戦争ボケは、次第にその力を失うことになる。
アメリカの軍事優先主義が破綻して後退しなければならなくなった以上、戦争と平和の問題は、今では、倫理の問題ではなくて、現実的な日本生き残りの問題なのだ。元来、敗戦で日本が平和主義をえらんだのも同様の理由によったのだ。
戦後60年、日本はその平和主義によって守られ、繁栄を実現した。アメリカは平和憲法成立の直後から、日本の軍事協力を求め、憲法改正を望みつづけた。しかし、戦争の悲惨な経験と平和による経済発展が日本を守った。
それも、戦後60年になり、戦争の記憶もうすれ、不況がつづき、生活の不安と時代閉塞の意識が強まってくると、世界で孤立する戦争主義アメリカの要求に従って、戦争にこの閉塞感からの脱出の道を求めるようになった。
しかし、アメリカがイラクに対する戦争に失敗し、経済的にも破綻して、戦争主義からの後退を余儀なくされる以上、いまの日本が戦争に活路を求めることは出来なくなった。
日本の戦争の経験がいま思い起こされる必要がある。
自虐史観などといって過去の経験を軽蔑することは危険である。
アメリカの経験と日本の経験を重ね合わせるところから、破滅からの活路を新しくつくりだすことが、いまの日本のかだいなのではないか。
民主党の前原氏も、元来、戦争を肯定する傾向の強い人物だったというが、民主党代表となったいま、新しい情勢に適応することが求められ、それにこたえる能力があると思われる。
敗北を認め、敗北から学ぶことは難しい。
日本も1944年の段階で敗北はあきらかになり、近衛文麿などの講和を求めるうごきが強まったが、天皇がもう一泡ふかせてからよりよい条件で講和すべきだと述べ、このためにあの一年の大犠牲を余儀なくされたのだという。
アメリカも戦争が経済と国民生活を破壊しつつあることが明らかになりながら、なかなかそれを認めることが出来ず、さらに、大きな犠牲をはらおうとしていた。しかし、ニューオリオンズの悲劇は、戦争による国民生活の破壊が明瞭になってきた。これを契機に戦争否定の勢力が強まって、平和の方向に進みはじめるなら、世界のためにどれほどいいことだろう。
日本はアメリカのいまを直視し、自国の歴史をふりかえって、新しい平和の道を歩きはじめることができるなら仕合せだと思う。
後藤田氏が亡くなられ、思うことが多い。
これがきっかけで平和を求める動きが強まればうれしいことだ。
私の考えは楽観的に過ぎるという批評もあるかと思うが、私はむしろ、日本のマスコミが現実を直視せず、日本の利害について真剣に考えず、野次馬的に緊張と騒乱を求める傾向があると思う。
秋の日を、お元気でお過ごしください。


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