前号の記事に対して、自分はその反対の経験をしたというメールがあった。
韓国人について<出会う人はみな親切で友好的>で<礼儀正しく親切だという印象>を持ったと述べたことに対する異議なのだろう。
同行の友人が韓国語に堪能だったからわかったというから、多分、ひどい悪口を韓国語で浴びせられたのだと思う。
それは大いにあり得ることだ。
多くの韓国人の心には日本人に対する恨みと憎しみと憤りがあると思う。
日本に支配されていた36年の間にどれほどのひどいことがおこなわれたか。
それはもう、60年も昔のことになった。
加害者はそれを遠い過去の話だと言う。過去は過去として、未来の協力、友好について語り合おうと言う。
過去は忘れよと言う。いつまでも過去にこだわるなと言う。
しかし、忘れ得ぬ過去というものがある。
抑圧と差別、侵略、収奪、虐待の歴史は民族感情に深い傷痕を残すのだ。
それが民族的不信として現代の世界史を規定している。
それでも、時間はそれを薄れさせるのだろう。
遠い昔のことになってみれば、むしろ、その過酷な過去も新しい目で見直され、過去を直接に知らぬ若い世代は相互に直接の交流で新しい関係をつくり出して行く。
私はそれに期待した。
日本の韓流ブームや韓国の若者のコミックやアニメによる日本に対する親近感はアジアの未来にとって意味深いことだったと思う。
私は日本とアジアの関係について次第に楽観的になっていた。
しかし、それが急激に変化して、中国・韓国の反日感情がはげしく燃え上がっている。
韓国の世論調査によれば、<日本を信用していない>が90% 、<北朝鮮支持>が40%に達するという。
韓国民が<安全に対する脅威と感じている国>は2004年には米国が36.6%、日本が3.4%だったが、今年は米国が18.6%、日本が37.1%、北朝鮮が28.6%であるという。
対日感情のこの急激な悪化は何によるのか。
日本の政府筋やマスコミでは反日教育の結果だというがはたしてそうか。
彼らの言う<反日教育>がはたしてどういうものかについては論ずべきことが多いが、それは別の機会に譲るとして、その<反日教育>は戦後ずっとつづいたので、今年になって<反日教育>が急激に高まった理由とすることはできない。
むしろ、中国にしても、韓国にしても、いまの政府はこれまでの政府のなかではもっともつよく日本との友好協力を求める態度を取っていたのではないか。
いま、EUは一つの行きづまりに直面しているが、それでも今日にいたるその発展には学ぶべきことが多い。
そして、アジアにも東アジア共同体、さらには印度もふくむアジア共同体の展望がアジア諸国民に大きな希望を与えるようになった。
しかし、このときにわかに<反日感情>が噴出してきたのだ。
その原因は<靖国問題>に象徴されるように、主として日本の側に問題があるように思われる。
日本に対する期待が強まれば強まるほど、それを裏切る日本の態度が<反日感情>を激発しているのではないか。
<靖国問題>は小泉首相の偏屈な行動様式が生み出した孤立した問題ではない。その根底にはあの1945年8月にいたる日本の歩みをどう考えるかという<歴史認識>の問題がある。この日本の歩みを反省し、これを否定するのでなければ、アジア諸国民との今後の友好・共同、アジア共同体の展望は開けない。
今年は1905年の日露戦争から100年、戦後60年ということで、中国でも韓国・朝鮮でも、あらためて過去の歴史をふりかえり、新たな歴史への展望を求める運動が展開されている。
<歴史認識>の問題は、単に過去がどうだったかの問題ではなく、過去をどう考えるか、そしてその上に未来をどう切り開くかの問題である。
アジア諸国民の100年の歴史をふりかえるなら、その中心に日本の問題がある。あの戦争は日本だけの問題ではない。アジア諸国民のそれぞれの問題だ。
この戦争がなぜおこり、それはいかに悲惨な結果を生んだか。この戦争といかに戦い、いかにそれぞれの国の独立が獲得されたか。いかにすればあのような悲惨な戦争を繰り返すことなく、アジアの独立した諸国民による友好と共同を発展させ、限りない発展を実現できるか。
日本はアジアの味方なのか、敵なのか。それはアジア諸国民にとっていま切実な問題だと思う。
小泉首相はバンドン会議で、「植民地主義的な統治と侵略を通じて、過去において日本は多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に損害と苦悩をもたらした」と謝罪の言葉を述べ、戦後の日本が「あらゆる問題を力に訴えることなく平和的な手段によって解決しながら、軍事大国ではなく経済大国になるよう、常にその決意を新たにしてきた」と弁明した。
小泉首相の言葉は自分の言葉ではないように思われ、心のこもったものとは思えなかったが、それでもアジア諸国との和解をもとめ、平和の意志を示したものととして行きづまったにほんとアジアの関係を打開するきっかけとしては評価されたと思う。
このあと中国の胡錦濤主席との会談が実現したのだが、胡錦濤主席はこの言葉を実行で示してほしいと述べた。疑いは残るが、とにかく和解と協力へのきっかけにしたいという希望を表明したのだったと思う。
しかし、この期待はたちまち覆されることになる。
靖国参拝は自分の信念にもとづくもので、参拝するなとか、しろととか、他国から指図されるべきものではないというような小泉首相の発言があり、靖国参拝を正当化し、あくまでもそれを止めるつもりはない考えが表明された。
あげくの果てにはあの戦争は正当だった、戦争裁判は勝者の裁判で、A級戦犯は犯罪者ではないというような意見が政府関係者の森岡政務官から出された。細田官房長官はこれを政府見解とはちがうと述べたが、小泉内閣はこれを解任することはなかった。
あの戦争は正当な戦争で、侵略戦争ではなかったとする意見はこの数年間次第に広がっている。
小泉首相が参拝に固執する靖国神社は公然とこれを主張し、不法な裁判で非業の死を遂げた東条らは殉難者であるとし、これを神として祀っているのである。
このような主張は<新しい歴史教科書をつくる会>の主張でもあり、あの戦争を侵略戦争であり、アジア諸国民に対して謝罪すべきだという見解を<自虐的>であり、<非日的>だと罵るのである。
このごろ、私を憂鬱にするのは、前号で述べた電子版中央日報の一言欄である。そこには日本に対する夜郎自大的な思い上がりがあり、韓国に対する差別と侮蔑の思想がこれでもかとばかりに書きつらねられている。
このような賤しい排外的ナショナリズムに日本の若者が駆り立てられるようになったのはなぜだろう。
これは、戦後の屈辱的な対米従属の歴史が生んだゆがんだ感情であるかも知れない。
私はこのような若者たちを非難するのでなく、それがなぜ起こったのかを明らかにすることが大切だと思う。
この問題についてはこれから継続的に検討していきたいが、とにかく、いま日本の過去を美化し、過去の戦争を肯定する動きが次第に強まっており、それが、アジア諸国民に対する差別的、侮蔑的言動を生んでいる事実を直視する必要があるだろう。
このような動きに対して、中国と韓国・朝鮮は過敏に反応し、それにまた日本が過敏な反応を示して、この悪循環が現在の緊張した関係を生み出している。
韓国人が、礼儀正しく、親切だというのは、自分たちに好意をもち、理解しようとする人々に対してそうなので、敵意を感じ、差別的、侮蔑的な態度を感じると、たちまち敵対的になり、過去の怨恨と反感、反抗的激情が噴出するのだと思う。
この民族的反感と敵意、憎悪と怨恨の感情は戦後60年の歴史も洗い流すことができなかった。
そして、日本人のアジアに対する優越意識、差別と侮蔑の意識もきわめて根強いのだ。それが最近の中国の発展に対する対抗意識になり、反中意識を強めさせている。それはまた、韓国・朝鮮に対する侮蔑的態度を呼び起こしている。これに対して、中国・韓国・朝鮮は強烈な民族意識で反応している。特にそれは韓国・朝鮮においてはげしい。
韓国旅行の楽しい記憶を書こうとして、その入り口の所で思わずつまずいてしまった。
しかし、韓国とか中国を旅行するということは、このような問題と自らの体験を通して対決することだ。
ただ、暑さもあり、他にさし迫った仕事もあり、体調が悪いせいもあって、なかなか書き進むことができず、そして、書いたものは読者の皆さんを不愉快にするものになってしまったことをお詫びしなければならない。
しかし、私たちはおそれることなくこの不愉快な民族的感情の齟齬と向き合い、その克服のために努力すべきだと思う。
今年の梅雨は晴れた日が多く、異常なのではないかと思う。
思えば何がおこるかわからない、なにがおこっているかわからない時代だ。
心配してもどうにもならない。
なにがおこっても驚かない覚悟をもって、可能な限り現実を見つめ、可能な限り事態の打開のために自分のできることを積み重ねて行きたいと思う。
皆さん、お元気に、この梅雨の季節をお過ごしください。
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
Recent Comments