11/07/2005

第179号 2005年11月7日 小林多喜二と現代

 七沢温泉の福元館で、市大国文同窓生有志の会が小林多喜二のシンポジウムを開催した。
 例年は特別なテーマを設けず、懇談を主とした集まりをもっていたが、今年は形式を変えておこなった。

 私が多喜二について書いた本が出る前に計画されたのだから、偶然の符合だが、卒業生のあいだに多喜二に対する関心が強まっていたことになる。

 卒業生のなかにも多喜二を研究している多喜二百合子研究会の三浦光則君のような人がいて、「多喜二の生涯から学ぶこと」と題して報告した。

 他に蠣崎澄子さんが多喜二のえがいた女性たちについて報告したが、蠣崎さんは、1931年3月から4月にかけて小林多喜二が滞在した旅館が福元館であることを発見した人である。

 三浦君は1972年に市大国文科を卒業したが、私が「市大論叢」(1970年3月、12月)に「多喜二の青春と彷徨」を発表したのは同君在学中のことで、同君はその古い雑誌を持ってきてくれた。

 三浦君は多喜二の生涯は<文学を武器とするたたかい>であり、真実をあばきだし、リアルに描き出すことがそのたたかいだったと強調した。

 たしかに、国民を支配する勢力は真実を隠蔽し、虚偽の世界像を植え込むことで、国民を戦争に動員するのだ。

 多喜二の「一九二八年三月十五日」には龍吉の妻が、夫たちがねこそぎ検挙されたというのに、街を行く人々は何も知らずに呑気にぞろぞろ歩いているのに衝撃を受ける場面がある。

 国会で山本宣治代議士の質問に対して、政府委員はそのような事実はありません、あるはずがありません、ない事実について述べることは出来ませんと答えていた。

「蟹工船」の労働者は「監獄だって、これより悪かったら、お目にかからないで!」「こんなこと内地クニさ帰って、なんぼ話したって本当にしねんだ。」と言う。

 多喜二の文学はこのかくされた真実をあばき出し、まざまざと読者の感性に訴え、読者の心を動かした。

 真実を隠蔽し、虚偽を国民の心に吹き込むことによって国民を戦争に動員しようとする軍や政府は、真実を暴露する文学をおそれ、伏せ字にし、発禁にし、作者を投獄し、拷問し、ついには死にいたらしめた。

 広津和郎は戦後間もなく「嘘と嘘の積み重ね」(昭和22・5 『改造』)という文章を発表している。

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私が今までの日本の政治家や官僚を毛嫌いした最大の原因は、われわれ作家には考えられないほど、彼等が平気で表向きと裏向きの使い分けをするかの如く見えることであった。

この国の土台 実際この国の機構の中には嘘とカラクリが根を生やしているのである。これは全く想像以上である。

寧ろその嘘とカラクリは、現在益々社会の各部面に浸透して来つつあると云ったら、民主主義の呼声の高い今日、人はそれを信じないかも知れないが、併し事実、今日ほど正しいというだけでは物の実現されない時はない。

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 広津は日米開戦の時の日本の嘘を指摘しているが、戦争はいつも嘘を当たり前とするのだ。

 満州事変は柳条湖で日本軍がみずから鉄道を爆破しながら、これを口実に満州全土に展開し、満洲国の建国という虚構を実現した。

「五族共和」の「王道楽土」の建設というが、それがどのようなものであったかは、戦後になって広く知られることになった。

 戦時中の新聞がどれほど虚偽の報道をしてきたかは、いまの日本では常識である。しかし、いまの日本はどうか。日本に限らずアメリカはどうか。

 イラク開戦が虚偽の情報にもとづくものであったことは、今ではだれもが認めている。イラクが核兵器開発のためにウランを購入したとか、大量破壊兵器を保有しているとかいうのが開戦の理由とされたが、これらは戦争にふみきるための虚偽情報だった。

 アメリカでは、この開戦の理由とされた情報が虚偽であったことを暴露し、ブッシュ政権に反対したウィルソン元駐ガボン大使に対する報復として、同氏の夫人がCIA工作員だったという秘密が漏洩されたことが問題になっている。

 いまの日本でどれほど真実が伝えられているか。日本のマスメディアは虚偽の情報で、国民を操作する役割を果たしているのではないだろうか。

 小泉首相の政治手法は、戦争中と同様な、真実から国民を遠ざけるペテンとハッタリのデマ政治ではないのか。そして戦争中と同様に、それが国民の心情に訴え、高い支持率を得ている。

 いまは、多喜二の真実のためのたたかいが受け継がれるべきときだと思う。「党生活者」のたたかいの中心はニュースを発行し、ビラをまいて、会社のペテンを暴露し、真実を伝えることだった。そのために彼らは自己の安全を犠牲にして、苦しい努力をつづけた。

 今度、中国で11月12日に小林多喜二のシンポジウムが開かれ、私も三浦君も参加することになっている。

 いま、日中間には靖国問題や中国の「反日教育」問題などがあってけっして良好とはいえない状態であると伝えられているが、私には納得いかない。

「反日教育」とは何だろうか。日本の帝国主義侵略の過酷さ、国土を奪われ、多くの中国人が殺傷されたことを強調するのが反日教育といえるだろうか。

 中国人にとって、これはけっしてくりかえしてはならない歴史である。
若い世代は、この事実を心に刻みつけ、けっして繰り返されないように勤める必要がある。

 同時にまた、日本帝国主義は日本人民をも極度に苦しめたのであったことが身に沁みて思われる。

 日本帝国主義批判を「反日」と言うのは、いまの日本があの帝国主義日本と同じだといっていることになる。

 小林多喜二はあの帝国主義戦争に対して徹底して反対したために権力の手で殺された。もし日本帝国主義に反対するのが「反日」であるなら、多喜二は「反日」作家ということになる。

 事実、当時は非国民と罵られ、国賊とされ、お前のような奴は殺したっていいんだと言われて、ついに、殺された。

 いま、多喜二の精神を受け継ぎ、戦争に反対するものは、「反日」とよばれ、弾圧されることになるのだろうか。

 A級戦犯が祀られる靖国に内閣総理大臣が参拝することについて多数の国民が支持しているのは、日本の帝国主義戦争に反対することを「反日」とみるのと同じ思想に立つのだろう。

 こうして日本の戦前の復活は根深く進行している。日本国民は想像もできないらしいが、中国、韓国をはじめアジアの国々は、あの侵略の歴史を想起し、アメリカと結び、軍事力を強化し、憲法改定をいそぐ日本に強く脅威を感じている。

 こうした時期に小林多喜二のシンポジウムが中国でおこなわれることは意味深いことと思う。

 私は魯迅が多喜二の死に際して発した言葉を尊いものに思っている。

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日本と支那との大衆はもとより兄弟である。資産階級は大衆をだまして其の血で界(さかい)を描いた、又描きつつある。

しかし無産階級と其の先駆達は血でそれを洗っている。

同志小林の死は其の実証の一つだ。/我々は知っている、我々は忘れない。

我々は堅く同志小林の血路に沿って前進し握手するのだ。

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 日本帝国主義を憎み、徹底してこれとたたかった魯迅は、死にいたるまで枕頭に藤野先生の写真をかかげ、数多くの日本文学を翻訳し、日本と日本人に対する親愛の情を抱きつづけたのだった。

 私たちが日本帝国主義に反対し、そのために権力によって殺された多喜二を愛し、その精神を受け継いでたたかうなら、私たちは中国の盟友となるのであって、けっして敵視されることはない。

 いま、あらためて、日本帝国主義によって治安維持法違反の名によって投獄され、死にいたらしめられた多くの人々のことを思い、内閣総理大臣の靖国参拝に反対する。

特高政治の犠牲者 (治安維持法犠牲者)
明らかな虐殺死 80人
拷問・虐待が原因で獄死 114人
病気その他の理由による獄死 1,503人
逮捕後の送検者数 75,681人
未送検者数 数十万人

 ようやく秋らしい日がつづいています。
 お元気ですか。
 中国での報告の準備が出来ていません。
 中国行きの前にもう一度発行できるかどうかわかりません。
 帰国は11月16日です。
 秋の心地よき日々を存分にすごしたいものです。

 フランスの暴動は大変なことだ。これが米英に飛び火しないとは限らない。おそらく、飛び火するだろう。1960年代のフランスの学生たちの運動を思い出す。これは世界の各地に飛び火して、ついに日本にも飛び火したのだ。そして、この学生たちの騒乱が黒人の運動と結びつき、大きな社会運動、市民運動となって、ヴェトナム戦争を終結させた。

 いよいよ歴史は新しい段階にはいりつつあるのだろう。
                           
  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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「日々通信」コメント

第176号 2005年10月17日いまよみがえる夏目漱石(その2):
名前: 大和撫子 | October 22, 2005 12:00 PM

「いまよみがえる夏目漱石」拝見しました。

伊豆さんが平和憲法を擁護するために熱心に活動しておられることに励まされています。
鎌倉のことはよく分からないのですが、最近私のところに大要以下のようなメールが届きました。

「現鎌倉市長は憲法9条反対派であるだけでなく、自由主義史観の教科書を採択させようとしている。今年は採択されなかったが、来年は危ない。今度の市長選挙はその意味でも重要である。ところが、残念ながら対立する側が分裂しているため勝利が危うい。いままで何人もの人が候補の統一を願い、いろいろと試みたが不可能だった。憲法や教育基本法、イラク派兵、靖国参拝に対する姿勢が同じであるのに手を組めないで共倒れし、最悪の結果になることも十分予想できる。残念で仕方がない」

これが事実だとしたら残念なことです。私は、憲法を守る仲間が手を組むことが大切だと思うのです。そうしない限り勝てない選挙であることを知りながら、どうして手を組むことができないのか。

分裂している一方の候補を応援されている伊豆さんのご意見をお聞きしたいと思います。
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名前: 伊豆利彦 | October 30, 2005 04:33 PM
コメント
仲地さんの選挙は、あなたの言う最悪のケースになりました。

しかし、二人合わせても、勝つことができなかった。

統一しなければどちらも応援しないというのも一つの選択でしょうが、統一できなければ、それぞれの候補が票を伸ばして、相手の現職候補を上回る努力をするという選択もあります。

私は鎌倉の事情を知らないので、ただ、漱石の孫ということで仲地さんに紹介され、人柄が気に入ったので、応援しました。

私が仲地さんを知ったときは、すでに統一ができない状態だったようです。

憲法で一致しても、問題は憲法だけではないのですから、どちらかが立候補を辞退するということができない場合もあるでしょう。

私は仲地さんを応援したことを後悔していません。それにしても、その獲得票数の少なさには、考えさせられました。

憲法問題は、いま、新しい段階にはいったと思います。
自民党が圧倒的に多数を占め、民主党の態度もあいまいないま、新しい国民結集の道を見出す努力をすべきでしょう。

選挙では統一できなくても、憲法問題では統一できるのではないでしょうか。

そうした統一活動の積み重ねの上に相互の信頼が深まり、選挙でも統一候補を出せることになるのでしょう。

統一問題はたしかに日本の運動の弱点です。もっと経験を積む必要があるのでしょう。

私は選挙の応援はしましたが、いまの情勢では、選挙にそれほどの期待をかけることが出来ません。

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新掲示板2から

2902.靖国問題 [no_more_war:11693] から転載
名前:伊豆利彦 日付:11月3日(木) 12時25分

木村繁次郎様 みな様 伊豆です。

私の雑駁な感想(「日々通信」)をお読みいただきありがとうございます。
靖国問題は複雑な問題で、靖国参拝是か非かという単純な○×式で論ずべきではないでしょう。

私の友人で、父親を戦争でうしなった人がいます。
1941年生れですが、父は出征中で、ついに一度も父の手に抱かれたことはなかったのです。
彼は母の手一つで育てられました。
母は看護婦の仕事をして、女手一つで子供を育てたのです。
彼は大学に進み、国語教師になりましたが、その間に反戦思想になり、靖国神社に反対するようになりました。
しかし、母は靖国神社に国か地方団体か、遺族会か知りませんがに招待されて東京に行き、ほめたたえられることをただ一つの喜びにしていました。
彼女の生きがいは、息子の成長と、靖国の夫だったのでしょう。
その息子が靖国に反対するのはどんなにつらいことでしょう。
靖国に反対すると母は泣くと彼は言います。
靖国神社に行くと、地方から出て来た遺族のグループや、右翼ではないかと思われる人に引率された若者のグループが来ています。
簡単な公式論で是非を論ずるのでなく、もっと、その複雑さに分け入って論ずべきと思います。
今度、中国で小林多喜二のシンポジウムがあり、その準備が大幅におくれているために、この問題について書いている余裕がありません。
しかし、中国に行く以上、この問題を考えておかないわけにはいきません。
そして、多喜二も、あの軍部指導者、日本の中国侵略戦争の犠牲者です。
これから、掲示板や「日々通信」で少しずつ考えていきたいと思います。
ご意見、感想をお聞かせねがえれば幸いです。

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新掲示板1から

323. 戦争を知らない人間は半分は子供である。 伊豆利彦 [URL]  2005/10/31 (月) 06:33

大岡昇平 「野火」

この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私のもっとも欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼らに欺されたいらしい人たちを私は理解できない。おそらく彼らは私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時彼らは思い知るであろう。戦争を知らない人間は半分は子供である。

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318. 散文精神 伊豆利彦 [URL]  2005/10/13 (木) 10:13

日本は亡びるという「「三四郎」の広田先生の言葉が妙に現実性をもって心に浮かぶ。
この広田先生の高踏的な批評は三四郎からも批判される。

広津和郎の散文精神論は日本が二・二六事件の直後に、ファッショ化傾向が強まる時代に抗してたたかう精神を主張したものだ。

絶望に抗して弱いインテリがどうたたかうか。
どう生きるかを説いたのだ。

これについては、私のレジメを参照していただければ幸いだ。

http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/ba@.htm

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314. Re: 「甘さ」を恐れるな 1956・1・1 『新潟日報』他 伊豆利彦 [URL]  2005/10/12 (水) 11:27

◆◇この国には何でも知っていて、一向動こうとしない知識階級がある。無論知識階級の全部ではないが、しかしそういう人達の作っている風潮には「単純」とか「むき」とか「甘さ」とか「バカ正直」とかいうことが、ひどく軽蔑されている。軽蔑されているというよりも、ひどく恐れられている、といい直した方が適当かと思うが、彼らは「バカ正直」に見られまい、「甘く」見られまい、「単純」に見られまいということで、はりつめ合っている。「甘い」と見られたり、「バカ正直」と見られたりすることが、致命傷であるかのごとく、みんな利口ぶり、大がいのことを心得顔をしている。そしてそのために彼らは動けないのである。

510 実はそういう人が少し多過ぎるのである。
「それは漱石の坊っちゃん 以上に出ていない正義感だ」などというが、それでは漱石の「坊っちゃん」以上にその人達は進歩したというのか。---それを具体的に示してみろといわれたら、どんな正義感を彼らのものとして、われわれに示してくれるであろうか。どうも人の思わくを気にするという風が、この国の人々には強過ぎるようである。人の思わくで物を考える人が。---そういうスキ間のない利口人にわれわれはもう期待がかけられなくなってきた。「甘さ」「バカ正直」「単純」などといわれることを恐れずに、自分の眼で物を見、自分が納得するまで物事を追求してゆく若い人達がますます出てくることを私は望んでいる。

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ニュースへのコメント

livedoor ニュース - 「テロと戦い、アルカイダを排除せよ」 イラクのシーア派指導者が呼び掛け:
コメント
2005年11月 3日
スンニ派の宗教指導者と同派諸組織が、ザルカウィのシーア派に対する宣戦布告を批判する
シーア派もスンニ派もアルカイーダを非難している。
新しい事態が期待されるのではないか。
名前: 伊豆利彦 | 2005年11月 6日 午後 04時34分

コメント
イラクの妥協が成立し、新政府が成立し、新政府がアメリカの撤退を要求することになれば、新段階がはじまるのだと思うのだが、はたしてそのような展開が可能だろうか。
名前: 伊豆利彦 | 2005年10月13日 午後 02時57分

この妥協は、アメリカの撤退を実現してから憲法の改正を図るための時間稼ぎ、問題の先送りだとの見方もあるようです。そんな具合にうまくいくものかと、スンニ派には反対する人もいるようですけど。
名前: soliton_xyz | 2005年10月15日 午後 03時14分


胡錦濤総書記、金正日総書記と平壌で会談--人民網日文版--2005.10.29:
コメント
東北アジアの協力と統合が進み、六カ国協議の成功の道が開かれようとしている。米国もそれを推進使用としているように見えるが、そのアジア政策は複雑だ。日本はこの動きのなかでどのような位置を占めるのか。
名前: 伊豆利彦 | 2005年10月30日 午前 08時57分


asahi.com: 「食糧事情改善、国連の人道援助いらぬ」北朝鮮外務次官?-?北朝鮮核問題特集:
コメント
テレビ朝日で脱北者の情報として、出所不明の、飢餓に苦しみ、半死半生の朝鮮の人達の映像を見せられたばかりだ。私はこれをうさん臭いと思っていたが、実態はどうなのか。
また、いまの時期にいつのものともわからぬこんな映像を放映した意図はなにか。
名前: 伊豆利彦 | 2005年9月24日 午後 05時28分

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08/15/2005

第161号 2005年8月15日 死んだ人々はどこへ死んでいったのだ

 死んだ人々はどこへ死んでいったのだ。
 眼をつぶると、ぞろぞろ、ぞろぞろ、と草履をひきずるような音が聞えて来る。また、どさ、 どさ、どさ、と、重い軍靴をひきずって、暗い冥府を、暗い海の底を、不規則な足音をたてて行く足音が聞えて来る。亜細亜と南海の陸と海との隅々から、死んでいった若い人たちが、死んだときの、殺されたときの形相そのままで、
 ぞろぞろ
 …………
 ぞろぞろ
 …………
 どさ どさ どさ
 …………………… 
 どさ どさ どさ
 ……………………                       
死んだときの、殺されたときの形相そのままで、天の奥処(おくが)を限りなく、いまも歩いている。

堀田善衛の『記念碑』の末尾の言葉である。
安原康子は兄安原大佐の手記を一心に書き写した。ガダルカナルから届けられた大佐の手記は、ガダルカナル島で飢えのために次々に死んで行った兵士たちの悲惨な姿をきれぎれの言葉で伝えている。

 「ガダルカナル島は、もし平和な時代に訪れたとすれば、それこそ本当に南海の楽園といふ名に値しよう。紺碧のタサハロング海岸には白鳥が浮んで我々にはとれぬ餌をついばんでゐる。……
 「全くの幽鬼である。横の方のものを見るために首を廻すその動作さへが歩き乍らでは決して出来ない……。魚のやうに白く力のない瞳。……
「お父さんはこの餓島で病気のために死んでゆく。長い間苦労をかけてすまなかった……。みんな元気で暮してくれ。……
「口のなかまで熱のために真白くただれた病兵が、猶も完全武装をしてゐる。この兵隊たちの姿をつくづくと眺め、溢れ落ちる涙を抑へかねた。……
「白い歯と見えたのは、口のあたり一面に湧いた岨虫である。……
「生きて虜囚の辱を受けず。
「ガ島にて戦病死の将兵すべて四万六千、一片の遺骨もない。……

靖国神社のホームページには次のように記されている。

■靖国神社御祭神戦役・事変別柱数■
明治維新 7,751 西南戦争 6,971
日清戦争 13,619 台湾征討 1,130
北清事変 1,256 日露戦争 88,429
第一次世界大戦 4,850 済南事変 185
満洲事変 17,176 支那事変 191,250
大東亜戦争 2,133,915 合計 2,466,532
(平成16年10月17日現在)

未帰還の遺骨116万 帰還124万といわれる。
ひどい戦争だった。
私のメモには次のように記されている。

十五年戦争の日本人犠牲者 戦死または戦病死した軍人・軍属約230万名
外地で死亡した民間人約30万名,内地の戦災死亡者約50万名,合計約310万名
満州事変と日中戦争における死者はそれぞれ約4000名と約18万9000名
太平洋戦争の犠牲者 太平洋戦争の死者の大半 1944年10月のレイテ決戦以後
中国の犠牲者 軍人の死傷者約400万名,民間人の死傷者約2000万名
フィリピンでは軍民約十数万名が死亡したと言われている。

この戦争の特徴は、民間の死者が軍人・軍属より多いことである。
これは日本の戦争ばかりのことではない。
第1次大戦と第2次大戦をの犠牲者を比較すると次のようである。

戦死者
     第一次大戦  第二次大戦
動員数   6503万人  10347万人
兵士戦死者  802万 1693万人
民間人戦死者 664万人   3432万人  

都市焼夷弾攻撃で焼き殺された多数の市民がいる。そして、広島・長崎の犠牲者がいる。

広島原爆 死亡者数 約14万人(誤差±1万人) 1945(昭和20)年12月末現在
(当時広島市には約35万人がいたと推定されている。)
長崎原爆 死者73,884人重軽傷者74,909人

日本の戦争で犠牲になった中国人は2000万ともいわれる。そして、その大多数は民間人だった。

8月15日に、私はこれらの死者たちを思う。
そして、この戦争に反対して検挙投獄され、死にさえいたらされた先人たちのことを思う。

特高政治の犠牲者 (治安維持法犠牲者)
明らかな虐殺死 80人
拷問・虐待が原因で獄死 114人
病気その他の理由による獄死 1,503人
逮捕後の送検者数 75,681人
未送検者数 数十万人

書きたいことは後から後から湧き出るが、17日から日文協夏季合宿があり、私も堀田善衛について報告するので、その準備のために書きつづけることができない。

8月は思うことの多い月だ。皆さんはいかにお過ごしですか。
8月も半ばを過ぎた。
お元気でお過ごしください。

拙著「戦争と文学―いま、小林多喜二を読む」は若い人にも読まれているようです。詳細は新掲示板1[273]以下をご覧ください。
註文は
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880239143/qid%3D1120520043/250-1097543-5643463
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/


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08/02/2005

第159号 2005年8月2日 変化の理

  >>日々通信 いまを生きる 第159号 2005年8月2日<<

金正勲さんの掲示板(日本語)に「平壌所々」が掲載された。
  http://home.naver.com/k6738157/

ピョンヤンも変わった。
韓国も変わった。
私が30年前に朝鮮(共和国)を訪問したときは、南北は不倶戴天の関係だった。
ありとあらゆる中傷、悪罵、デマが飛び交っていた。
しかし、いま、東アジアサッカー大会の応援風景を見れば、南北の心の統一は日に日に進んでいるように見える。
もはや、韓国は共和国の軍事的脅威におびえる必要はない。
アメリカが北を攻撃する理由もない。
もし、それをするなら、韓国人民を敵とすることになるだろう。

漱石に寺田寅彦に宛てて、次のような戯文を書き送ったことがある。

Dynamic Low on Mr.K Natume  寺田寅彦宛書簡 M38・2・7

「漱石が熊本で死んだら熊本の漱石で。漱石が英国で死んだら英国の漱石である。漱石が千駄木で死ねば又千駄木の漱石で終わる。今日まで生き延びたから色々の漱石を諸君に御目にかけることが出 来た。是から十年後には又十年後の漱石が出来る。俗人は知らず漱石は一個の頑塊なり変化せずと思う。此故に彼等は皆失敗す。漱石を知らんとせば彼等自らを知らざる可からず。這般の理を解するも のは寅彦先生のみ」
Dynamic Low on Mr.K Natume

変化の理論は自然の基本的法則だ。
漱石は<自然の理>ということを強調したが、それは<変化の理>だった。
栄えるものは滅びる。

「我が輩は猫である」に次の言葉がある

ケートは窓から外面を眺める。小児が球を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲つ。球は上へ上へとのぼる。暫くすると落ちて来る。彼等は又球を高く擲つ。再び三度。擲つ度に球は落ちてくる。何故落ちるのか、何故上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」

日本の政治家やマスコミはこの変化の理論を知ってるだろうか。

小林多喜二も 「昨日まで歴史が進展して来た事を認めながら、もう今日で歴史が永久に停まってしまったように信じる連中がある。」  <十三の南京玉>と述べた。  

たとえ<変化の理>を知らなくても変化は避けられないのだ。まして、日本人は<革新>とか<改革>という言葉が好きだ。

しかし<自然の理>に逆らう<革新>や<改革>は破滅に至る道なのだ。
昔、新体制が問題になったとき、国を挙げて熱中したのだった。<バスに乗り遅れるな>とはそのときの流行語だった。

いまの日本の改革、改憲は<自然の理>に従うものなのか、それとも逆行するものなのか。

   発行者 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/

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07/15/2005

第156号:<ネオコン的日本人>という私への批判

  >>日々通信 いまを生きる  第156号 2005年7月15日<<
私の[新掲示板2]2594.27月14日付に<恥かしい日本人の言葉を発見しました。>というタイトルで、私は<ネオコン的日本人><小泉と同一の精神構造を有している><若い人は騙されてはイケナイよ!>という批判を受けた。
批判というより、それは非難であり罵倒ともいえるはげしい言葉だった。

投稿者は匿名で連日のように現実をえぐる情報を投稿して、私たちはの信頼を得、尊敬され、期待されている人だった。
一時投稿が途絶えた時には、どうしてあの人の投稿がないのかというメールが何通も来たほどだった。
私も多くのことを教えられ、毎日、その人の投稿を待っていた。
その人からこのような非難を受けるとはショックだった。

彼が私を非難する原因となったのは[ニュースへのコメント]2005年7月14日
http://tizu.cocolog-nifty.com/jijimondai/2005/07/__livedoor__c9a1.html
の<お念仏のように平和主義を唱える日本の現実はどうか。>という言葉だった。

私は<最初の被爆国で武力抛棄の憲法を持つ日本こそ、いま、アジアと世界の平和のために、人類の未来のために、大きな役割を果たすべきだろう。>と記して、しかし、日本が<お念仏のように平和主義を唱え>ながら、現実には戦争体制の強化につとめていることを批判したつもりだった。

私の念頭には、靖国参拝を批判されながら、靖国参拝をつづける自分の心情を縷々と述べて、靖国参拝はやめないと言い、自分が平和を心から望んでいることは分っているはずだ、私の真意を信じてほしいという意味の言葉を吐きつづっける小泉首相があった。

小泉首相だけではない。
いまの政府閣僚は日本の平和主義はわかりきっているではないかと言い続けている。
そして、靖国参拝を肯定し、さらには、この前の戦争は侵略戦争ではなかったなどと言ったりするのである。
私は靖国参拝の問題は孤立した問題ではないと思っている。
それは憲法をかえようという動きと結びつき、日本がアメリカの新しい戦略に基づいて、どこへでも出撃できる体制をつくろうとしていることに関係があると思っている。
いまの日本は戦争できる国へとの再編成を急いでいる。
拉致問題をテコに反朝鮮意識をあおりたて、朝鮮(共和国)の脅威を言い立てているのは、このような戦略に基づいている。

これらについては私の「通信」その他でくりかえし論じて来たことである。

しかし、なぜこれがネオコン的発言なのであろう。

私は<東洋永遠の平和>のためにあの侵略戦争をたたかった日本のことが忘れられないのである。
戦争がはじまるまでは、平和に反対するものは誰もいない。しかし、戦争がはじまると<平和主義者>が突然に<戦争讃美者>になる。そのことを私はおそれているのだ。
遠い国のことでは<平和主義者>でありながら、自国に直接関係のある対朝鮮、対中国の問題では突然愛国者にかわり、経済制裁をせよ、もっと強腰になれとわめき出すのである。
私はこのことをはるかに以前から強調してきた。
アジアの問題こそ、平和主義の真偽が問われる最大の問題なのだ。

私は自分を平和主義者だと思っている。
しかし、口先だけで平和とい言葉をくりかえし、遠いイラクのことでは平和主義だが、アジアに対しては平和のための軍事力強化を主張する<平和主義者>を信ずることができない。

私は戦争の問題は人間の本質にかかわる問題だと思っている。
人間は遠い昔から戦争をくりかえしてきた。
漱石の言葉によれば、戦争の間に、わずかに平和の時代があるといった具合である。
戦争の方が人間の本来であるかもしれないというくらい認識は「点頭録」の軍国主義批判の根底にある。
このことを忘れて平和に溺れていては、悲惨な戦争を招くことになる。
このことを漱石は鋭く問題にした。
このことを忘れた平和主義は戦争を防ぐことができない。

漱石が日露戦争開戦前夜に
セルマの歌 http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/serumanouta.htm
カリックスウラの詩 http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/karitukusuura.htmを発表した。
戦いに死んだ愛する若者を思うはげしい心を歌った叙事詩である。
戦争と文学についてはあらためて書く機会をもちたい。
漱石には戦争は人間の避けがたい宿命だという思いがあったかもしれない。
しかし、だからこそ、平和のために戦わなければならない。
戦争の重さを忘れれて平和に浮かれていれば、必ず、戦争に復讐されるのだ。

平和について語ればいいのではない。
平和の重さと困難さを忘れれてはならないというのである。
武田泰淳も戦争の重さを見つめていた。

最近、[新掲示板1]282に<『蝮のすえ』辛島の言葉>というタイトルで、私が戦後のもっとも重要な作品の一つと思う『蝮のすえ』の一節を紹介しておいた。

戦争に敗けると今まで軍に協力してきたインテリたちが急に、軍を批判し、民主主義者になり平和主義者になる。
これに対して、軍の特務機関の仕事をしていた戦犯辛島は。自分はきっと復活すると言うのである。

太宰治は戦後の民主主義者、軍閥批判者を便乗主義者として批判し、なぜそれを戦争中にいわなかったのかと言った。

私の批判者はこれらについての私の発言をとりあげて、私を<ネオコン的日本人>というのであろうか。

この問題はさらに深めて行かなければならない。
しかし、この問題を無視していたずらに平和をとき、民主主義だとか人道主義だとかを主張するのは危険である。

私は私の批判者の言葉によって私の思想を点検する機会を持った。
そのことを感謝する。
枝葉末節のことでなく、思想の根源にせまる具体的な批判で、さらに私の反戦平和の思想を深めさせてほしい。

なお最近、加賀乙彦の『帰らざる夏』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@54.htm
郷静子の『れくぃえむ』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@53.htm

についての短い紹介を書いた。
これも私の<ネオコン的>発言として批判されるであろうか。

梅雨もいよいよ終りに近づいたようだ。
やがて暑い夏がくる。
お元気にお過ごしください。
私は老齢で脚が弱って、血圧も高くなり、坂道の上り下りが苦しくなったが、元気を出して、批判者の批判を受けながら、もう少し、生涯の決算として、戦争と平和の思想を深める仕事をしたい。

《文学に見る戦争と平和》で紹介した次の作品
第42回 2004年3月  武田泰淳 『蝮のすえ』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@42.htm
第50回 2005年1月  堀田善衛 「記念碑」
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@50.htm

           伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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