02/18/2006

第194号 2006年2月18日 靖国と天皇制

>>日々通信 いまを生きる 第194号 2006年2月18日<<

靖国と天皇制

戦場の兵士たちは天皇陛下万歳といって死んで行ったのだから、靖国は天皇が参拝されるのが一番だと麻生外相が言った。
これは、最大の戦争責任は天皇にあるという意味だろうか。

戦争裁判では、天皇は起訴をまぬがれた。
天皇が訴追されなかったのは、戦後の日本の支配に天皇を利用することが必要と考えられたからであろう。
靖国史観はこのような勝者による政治的裁判の正当性を否定する。
そこで当然天皇の戦争責任が問われなければならないが、靖国史観はこの戦争そのものを正当化して、天皇の責任も問わないのである。
天皇は民族の自衛のためにたたかった崇高な戦争に敗れた悲劇の人ということになる。
それなら、当然、勝者によってで裁かれなければならない。そうして、はじめて本当にあの戦争に全責任を負う天皇としての職責を果たしたことになる。
あの裁判を否定する人たちは天皇が裁かれなかったことをも不当と思っているのだろうか。

しかしまた、天皇は平和主義で戦争に反対だったが、東条以下におしきられた不幸な人だという考えもある。

この場合、天皇の意に反して戦争に突入した東条以下は、天皇を利用して、日本に破滅をもたらした逆賊ということになる。
天皇を平和のシンボルとしてほめたたえるのはこの見地に立っているのであろう。
それなら、天皇は東条以下を民族の英雄として祀る靖国に参拝することはできない。
現に、天皇が靖国に参拝しないのはこのような見地にたつのであろう。

2月15日の産経新聞は、安倍官房長官、麻生外相がそろって「国内法では、A級戦犯は犯罪人ではない」との見解を示したと伝えている。
http://www.sankei.co.jp/news/060215/morning/15pol002.htm

産経は次のように記している。

<岡田氏が「日本国として、東京裁判を受諾している以上、そのことに拘束されるのは当然だ」と主張すると、安倍氏は、ため息をついて「岡田先生は何かまるでGHQ(連合国軍総司令部)側に立っておっしゃっているように聞こえる」と答弁していた。>

東京裁判は勝者の裁判である以上、日本人としていうべきことはあるだろう。しかし、敗者として日本はそれを受諾したのであり、戦後の日本はこの事実から出発しなければならない。それが日本人の立場なのだ。

批評家や歴史家はそれをさまざまに論ずることができるだろう。しかし、一国の官房長官であり、外務大臣である者は、この事実から出発しなければならない。

日本がポツダム宣言を受諾し、東京裁判の結果を受けいれたという事実の上に戦後の国際機構はつくりあげられた。これを否定するとすればそこに重大な問題が発生することは避けられない。それだけの覚悟があって、安倍官房長官閣下は発言しておられるのだろうか。小泉総理大臣閣下は靖国に参拝しておられるのだろうか。

日本はまだ日本の戦争を侵略戦争戦争として否定する国連を中心とする戦後体制を否定してはいない。日本はその軍事力強化をさえ、国連への協力という名目にしている。

国政に責任ある身が職責を忘れて国家間の約束やとりきめを無視し、主観的な心情を吐露する発言をくりかえすところに日本のわけのわかぬ危うさがある。

勝者による戦争裁判を否定するとして、それなら、日本人はあの戦争をどう総括するのか。中国やアジアに対して日本人としてどう向き合うのか。靖国参拝について他国があれこれいうべきでないという小泉首相の主張が日本人の多くに受けいれられているとは驚くべきことだ。相手の立場に立って考えることのできないゆがんだ自尊心ばかりが目立つ。そこには論理もなければ節操もない。

麻生外相の天皇の靖国参拝論は日本の戦争責任の問題の根源にあるものを照らし出すことになった。その発言の意味は明瞭でないが、純粋に天皇の戦争責任を問うているのであるらしい。東条以下を合祀した靖国神社ではなくて、天皇も参拝できる機関を創設すべきだといっているようでもある。その真意は天皇が天皇のために死んだ兵士たちを慰霊すべきだというのであるらしい。

天皇が戦争の犠牲者を慰霊するというとき、戦争の犠牲者にはどのような人々が含まれるのか。それは天皇陛下万歳といって死んだ兵士に限るものではないだろう。サイパンや沖縄の犠牲者たち、原爆の犠牲者、空襲の犠牲者をも含むのであろう。さらには、アジア諸国の犠牲者、米軍の犠牲者をも含まなければならない。また、治安維持法の犠牲者や天皇を恨んで死んだ兵士、軍隊内の暴力で殺された兵士たちをも含むはずである。

日本国天皇は大日本帝国天皇の責任を自覚していないだろうか。それほど明確ではなく漠然とではあるが、多分それを自覚していると思う。沖縄に行き、サイパンに行き、広島に行って戦争の犠牲者の慰霊をしたいというところにそれはあらわれている。中国に行けば多分謝罪の意を表するだろうと思う。この責任を明確にすべきだと私は思う。責任を問うことは処罰とか処刑とかいうことを意味するのではない。法律的な問題ではなくて、倫理的に責任を自覚することが重要だと思うのだ。

倫理的な問題といえば、中国や韓国が求めているのも第一に歴史的認識の問題であり、日本が責任を自覚することを求めているのだと思う。村山談話を援用して小泉首相も責任を認め、謝罪もした。何回あやまれば気が済むのか、いい加減にしてくれという声も聞える。しかし、その謝罪にどれほどの真実があったのか。それはまさに心の問題であり倫理の問題なのだと思う。口の先でいかにうまいことを言っても心がなければ反感を買うばかりだ。心があれば行動に表れる。中国が行動で示してほしいとくりかえすのはそのためだ。一方で謝罪の言葉を述べ、友好を誓いながら、一方で靖国参拝をして、なぜ、それに反対するのかわからないという。未来志向で行こうと言って、過去の侵略の事実は忘れようという。そんなインチキが通用するはずはない。

安倍官房長官閣下はGHQ(連合国軍総司令部)の立場と日本の立場を対立させて、自分は日本の立場に立つかのような言い方をするが、その日本の立場とはどういうものか。日本の戦争を肯定するのが日本の立場なのか。アメリカの占領政策に問題があったのはたしかだ。しかし、それを言うなら、その問題点を明示し、アメリカ批判を行い、日本の立場なるものを明確に示さなければならないのではないか。なんとなく気分のようなもので動かされているのがいまの日本のように思われてならない。

このあいまいさは、万世一系の天皇、それも男系の男子の天皇の主張にまでおよんでいる。天皇制についてどれだけの認識があるのか。いま、日本に復古を実現しようとするのか。戦前を美化し、戦前に回帰しようとするつもりなのか。

オリンピックだ、ライブドアだと騒いでいるうちに、日本は大きな歴史の曲がり角を、とんでもない方向に急速に進んでいるように思われる。

今日、神奈川県庁内の記者クラブで記者会見をおこなって「在日米軍基地再編・強化に反対する神奈川大学人」の <県民のみなさんへの訴え>を発表した。全文を掲示板に掲載した。

暖かかったり寒かったりで気候が不順だ。しかし、こうして春が来るのだろう。皆さんからだに気をつけて、新しい春のためにご尽力ください。

 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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01/22/2006

第191号 2006年1月22日 初心忘れずか 渡辺恒雄のことなど

>>日々通信 いまを生きる 第191号 2006年1月22日<<

初心忘れずか 渡辺恒雄のことなど

年の初めから、渡辺恒雄が話題になっている。

『読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が対談し、渡辺が小泉の靖国参拝を「軍国主義をあおり、礼賛する展示品を並べた博物館(遊就館)を、靖国神社が経営しているわけだ。そんなところに首相が参拝するのはおかしい」と批判した。

渡辺といえばナショナリズムの立場から自民党を支持してきたと思っていたので、ちょっと驚いた。

しかし、彼は陸軍二等兵として、敗戦の年に軍隊でひどい目にあったことを語っていると聞いて、渡辺の中学時代を思い出し、なるほどという思いがあった。

私は渡辺と開成中学で同級になったことはないが、同学年だった。インチョウというあだ名で呼ばれ、目立つ存在だった。

渡辺といえば、必ず思い出す一つのことがある。中学3年か4年、1941年か42年の冬だったと思う。当時開成中学は荒川の河川敷で野外教練をやっていた。1941年12月8日の開戦の日も、全校生徒がそこに集まって査閲(当時は年に一度、学校教練の成果を連隊区長官が査閲する行事があった)のための予行訓練をしていたから、この荒川堤のことはよく覚えている。この前後に、渡辺は、荒川の橋の上から、河川敷に集まっている配属将校をはじめ、教師や生徒に向って「ノレンは開成のガンだ」と叫んだのである。

ノレンというのは当時、開成中学の配属将校だった陸軍中尉のあだ名である。○野廉という名前だったので、そういうあだ名がついていた。

この叫びは配属将校の耳に入らなかったのか、このことが問題になったという記憶はない。しかし、渡辺はそういう男だった。権力に対する反抗心が当時から強く、軍隊は真から嫌いだったのだと思う。

渡辺は敗戦のとき陸軍二等兵だったというが、私も同様だった。そして、オヤと思う。渡辺も特甲幹にならなかったのかと思うのである。

特甲幹というのは、特別幹部候補生を略した呼称である。従来は幹部候補生というのがあって、陸軍2等兵の6カ月の訓練をへて予備士官学校に進んだのを、戦争の末期に、下級士官速成のために、その6カ月の初年兵教育を省略して、いきなり予備士官学校に入隊させたのである。海軍の予備学生を真似て始められた制度で、私も受験させられたが、不合格だったらしい。

私が不合格だったのは、高校(旧制)1年の終り頃から病気を理由に勤労動員も教練もいっさい参加しなかったから当然だが、渡辺の場合も、受験しなかったか、それとも教練の成績がひどく悪かったかだったのだと思う。

当時の私は渡辺が陸軍二等兵でひどい目にあったということは知らなかった。私が知っているのは、渡辺が戦後東大の共産党細胞で活躍し、新人会をつくり、党を除名されたということを新聞等で知ったのである。

その後、読売に入り反共の立場にたった。一時、共産党に対して好意的な記事を書いたこともあるが、その後は読売の社長になり、改憲論の先頭に立ったことや、読売巨人軍のオーナーとしていろいろ報道されるのを見聞きしたことがあるくらいである。

しかし、今度の靖国発言に関連して、軍隊の経験を語っていることなどを知り、あらためて彼の少年時代を思い出し、感慨を新たにしたのである。

渡辺と私は気質的には正反対のようでもあるが、共通の過去をもち、同じ時代を生きて重なり合うことも多いのだと思う。

渡辺は戦争で日本人がひどい目に合わされたのであり、中国人がどうこういうからというのでなくて、日本人として、戦争犯罪を問題にすべきなのだと述べていた。

小泉が靖国参拝を正当化して、アジア諸国と軋轢を起こしていることが、日本人のゆがんだナショナリズムを煽り、靖国の美化、侵略戦争の正当化に道を開いている。

このことが根っから軍国主義反対の渡辺には我慢できなかったのであろう。「初心忘るべからず」という言葉を思い出し、いろいろな考え方の違いはあるが、渡辺がその晩年を初心にかえって奮闘することを期待する。

今年は耐震強度偽装事件にライブドア事件が重なり、小泉の構造改革、規制緩和、弱肉強食路線、ホリエモン風の人気にたよる詐欺的パフォーマンス政治の破綻が目立つ年だ。

小泉を無事9月まで勤めあげさせるのが常識のようだが、私は反対だ。一刻も早く、国民の手で辞任に追い込まなければならない。

しかし、最大野党の民主党にその気概なく、マスメディアは右往左往するばかりだ。結局、侵略戦争讃美、戦争裁判否定にまでおよぶ靖国精神がアメリカに拒否されるということで、後継者安倍が消えるというくらいの非主体的な結末になるのであろうか。

それにしても、最近の右翼に反米的な傾向が強まっていることはこれからの日本の進路を考える場合、無視できないことだ。

反米右翼の主張が行き着くところは、日本が核兵器を所有して、アメリカの言いなりにならぬ自主独立を実現すべきだということになるのではないかと思われる。

アメリカがおそれているのは、小泉が無自覚にこのような靖国路線に道を開くことだと思う。

しかし、右翼は反中反韓(朝)が主軸だから、結局、対米従属を脱することはできないが、すくなくとも反米の言説を強化して、ナショナリズムに傾く国民の支持を得ようとするのだろう。

アメリカは中国との結びつきをますます強化しながら、しかし、対中牽制の手段として日本の反中ムードを煽りながら、それが、反米にまで発展するのをおそれている。アメリカの路線は、決して単純ではない。

ただ、たしかなことは、アメリカは自国の巨大国際資本の利益を軸に行動しているのであって、小泉さんのようにアメリカの御機嫌を損じさえしなければという馬鹿げた隷従ぶりでは、やがて犬ころのように放り出されるということだ。

「狡兎死して走狗(そうく)烹(に)らる 」このごろは安倍さんも小泉さんの真似をして、吉田松陰の言葉を引用したりしているようだが、お二人ともこの言葉をお忘れなく。 
中国の小林多喜二国際シンポジウムの報告集が出版されることになり、その原稿をようやく書き上げた。このために、通信の発行がおくれた。書かなければならないことはたまっているが、どっと一度に押し寄せて消化不良の感がある。少しずつ整理して、書いていきたい。

今年は寒さが例年よりひどいようだ。
皆さん、くれぐれもお体をお大事に。

  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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10/30/2005

第178号 2005年10月30日 遊就館を訪ね、日露戦争のことを考えた。

10月23日には漱石を読む会の仲間たちと九段周辺を文学散歩し、靖国神社、遊就館も訪ねた。

靖国神社には全国各地から小グループの団体がいろいろと来ていたようだ。

戦争美化勢力の聖地という感じだが、町中にある雑然とした散漫な神社だ。
露店が社内にある。昔はもっと多かったような気がする。

私が靖国神社の境内に立ち入るのは、1937年ごろ、上京直後に見物したとき以来だ。
遊就館については、いろいろいわれているが、戦争中に聞かされた歴史とほとんど同じで、常識的で迫力がなかった。

日露戦争100年ということで、近代日本の戦争を美化する観点から、明治以来の大雑把な歴史が語られていた。

展示の一つ一つをていねいに見る魅力も感じなかったので、ざっと見ただけだった。

米英をはじめヨーロッパ諸国のアジア侵略を強くアピールして、日本の侵略を肯定し、美化していた。

たしかに、ヨーロッパ諸国はアジア・アフリカを侵略し、それによって近代化を実現したのだった。

当時は帝国主義の時代だった。ロシアは満州・朝鮮を支配しようとしていた。
ヨーロッパを手本とする日本も朝鮮・満州を支配しようとして、ロシアとたたかわなければならなかった。

日本だけがアジアを侵略したのではない。そのことがいままで隠蔽されていた。しかし、日本だけがわるかったのではないということは、アジア・アフリカの被侵略国の立場に立てばなんの慰めにもならない。日本はみずからの侵略を認めることによって、米英の侵略を否定する道徳的優越性を保持することができる。日本の敗戦はそのような立場に日本を立たせてのだ。

その逆に、米英が侵略によって、その近代化と文明化を実現したという事実の故に、日本の侵略を肯定し、美化してはならないと思う。

米英よりおくれて発展した日本は、封建的なものを多く残していて、その封建的なものと結びついた侵略は米英に比していっそう残酷だった。すくなくとも米英の基準から見れば、そうだった。彼らから見れば、彼らの支配すべき地域を、野蛮な方法で奪う敵なのであった。

地の利もあり、新興国のエネルギーもあった日本は、容赦なく彼らのアジアでの利権を奪い、アジアの支配者になろうとした。そして、中国に対する泥沼戦争で行きづまり、中国を支援して日本とたたかわせようとする米英とのたたかいにふみきった。

敗戦後は、日本は米英をはじめとするヨーロッパ諸国の侵略についてはいうことを許されず、ひたすら自国の侵略について反省し、謝罪することを強制された。

最近のイラク戦争によって露呈された米英の残虐な侵略主義によって、わるいのは日本だけではないという思いが強まり、これまでの歴史の歪曲と屈辱からの解放を求める動きが急速に強まったのだと思う。米英との一体化の強調がこれを補強する。

日露戦争をどう見るかの問題は夏目漱石の評価にも関係がある。
漱石は帝国主義時代の日本の作家として、日本の矛盾を一身に担っていた。
漱石は戦争を避けがたいものと思っていた。
日本の近代化を求める彼は日本のロシアに対する勝利を喜んだ。
彼の眼にはアジアの人民の苦痛はあまり見えなかった。
侵略者としての日本に対する批判はなかった。
その点が中国や韓国の研究者から批判される。
中国人や韓国人にとっては当然のことだろう。
しかし、ひたすら前方をのみ見て、近代化の道を進んだ日本人の立場からいえば、それは、避けがたいことであったろう。
日露戦争の最中から、その日本人の矛盾について自覚していたことを、日本人としては評価したいのである。
そして、このあせりにあせって近代化をいそぐ日本に対する批判の深化は、戦争に対する批判と重なって、注目すべき発展を遂げる。

漱石研究にとって中国・韓国からの批判は必要だと思う。
しかし、同時に日本の矛盾に対する目、世界の帝国主義、近代主義に対する目も必要だと思う。
日本人の立場に固執して、アジアの目を忘れてはならないが、同時に、世界のける日本の位置に対する理解も見うしなってはならないと思う。
こうして、世界の目で漱石をとらえる必要があるのだろう。

漱石の問題は日本の問題だ。
靖国が日本の目だけを強調して、アジアの目をうしなっていること、そうして偏狭な立場に日本を追いこもうとしているのが残念だ。いま、必要なのは世界史のなかで日本の歴史、アジアの歴史をとらえることだと思う。

   *****************************************

25日から東北地方の紅葉を訪ねる旅行に参加した。
はやくから予定していたことである。
また、28日、29日と義母の四十九日で高松にいった。
短時間に、駈け足で駆け回ったわけだが、この間に、日本の歴史は大きな動きを示した。
このあわただしい旅行の間ニュースもあまり見なかったので、どっとさまざまなものが押し寄せてきた感じだ。

自民党の憲法改正案は、米国の軍事体制再編成と結びつき、日本の世界における立場を激変させるもののように思われる。

憲法の問題を世界のいまの問題から切り離して考えてはならないと思う。

旅行の間、広津について考えていた。
前号で紹介した広津の言葉は、戦後5年、新憲法成立後3年で、はやくも米軍の都合で日本に再軍備が強要されはじめたときに書かれた。
そして、その直後に朝鮮戦争がはじまったのだった。
当時から、アメリカは日本の憲法改正を求めていた。
それから半世紀たって、ようやくそれが実現に向って大きく前進しようとしている。
しかし、この半世紀以上のあいだ、この憲法は日本を守ってくれたのだ。この憲法がなければ、日本は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に出兵を余儀なくされ、人的にも、経済的にも、大きな打撃を受けていただろう。

いま、私たちは日清・日露の戦争以来の110年の歴史、そして戦後60年の歴史をあらためて深く考え、日本の前途を誤らないようにしたいのだ。

書きたいことは多いが、旅の疲れで心が落ち着かない。
いまは心を落ち着けて、広津のことを考えたいと思う。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu


2887.私の質問
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時38分

昔は外国の資本が入ってくると帝国主義的侵略とよばれ、外資を導入する政府は外弁政府と呼ばれ、国民的攻撃を受けた。

いまは、外資導入が公然と認められ、中国などでも、積極的に推進されている。

この変化は何によるか。
経済学や政治学に無知な私には、そのことについて知りたいと思いながらあいまいなまま過ごしてきた。

この問題について、どんなことでもいいから教えていただきたいと思う。

2886.広津のこと
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時30分

昨夜、東北旅行から帰宅し、今日は高松に行かなければならない。
「日々通信」のはっッこうも遅れている。
この掲示板も空白がつづいた。

旅の間考えていたのは広津和郎のことだ。

広津は「二つの陣営から互いに叫ぶ「平和」という言葉が****如何に脅かすか 」と書いた。

「平和」と「平和」の絶叫が高調に達する時、われわれは「戦争」の足音の近づきを聞いて恐れおののくのです。何故かというと、それは古来の歴史が証明しているからです。戦争はいつでも「平和のため」という旗印を先に押し立ててやって来るものだからです。

世界を支配するものは<強い>ものだ。人々は<強さを>を求める。広津は<弱さ>の意味を追求した。それは常に支配される<弱い>ものである国民の発見であった。

松川のたたいかいも権力に対する<弱い>もののたたかいであり、それは国民的なたたかいになった。

広津には絶望があったのだろう。
絶望を心に抱き、絶望とたたかうところに、弱い広津のたたかいの強さがあった。

Re: 続・改革の後で
名前:伊豆利彦 日付:10月28日(金) 8時9分

いつも投稿ありがとうございます。

横浜市大は都立大とともに、戦後民主主義が生んだ大学でした。それは戦後民主主義のシンボルのようなものだったと思います。

それが破壊されて専門学校化したことは戦前に復帰する日本の動きを象徴する事件です。

その破壊の手法はファッショ的で、コイズミ改革の手法と似ています。

新しい時代にどうたたかうか。
いまをどう生きるか。
それが私たちの課題だろうと思います。

日々通信」 第177号 2005年10月20日 内閣総理大臣の靖国参拝を発信しました。

戦争を語り継ごうMLに次のようなメールを書きました。

コイズミさんの靖国参拝には失望しました。
中国や韓国の政府筋の発言にも失望という言葉があったと思います。
なんとか対話の道が開きかけたと思っていたのに、コイズミさんはそれをこわしてしまいました。
ちゃんとした考えがあっての事なのでしょうか。
自分の言葉にしばられ、内外の反対の声に反発して、子供のように意地を張ったのでしょうか。
そうだとすれば、あまりに馬鹿げています。
もしかして、アジアの国々は強いことを言っても、結局は日本にたよらなければならないのだからとタカをくくっているのでしょうか。
そうだとすれば、これは、あまりに中国を馬鹿にした思い上がりです。
それとも、アジアの中で唯一、アメリカに味方して軍事力を強化するための自覚的行動でしょうか。
それでは、平和をねがうという言葉と矛盾し、その言行不一致がその人格を疑わせ、アジアのみならずアメリカをふくめて世界から軽蔑されることになります。
アメリカは中国との関係を重視しています。
日本にり中国を重視するようになるのではないでしょうか。
そして日本と中国をうまくあやつろうとしているように思います。
コイズミさんはアメリカに頼りきって、この戦略を見抜くことが出来ていないような気がします。

なんとしても、とりかえしのつかぬことをしたという思いがあります。
それにしても、国会議員が100人以上も参拝し、国民の多くがこれを支持しているようなのは、なにか絶望的になります。
こうして、日本はますます居丈高になって孤立の道を歩くのでしょうか。
70年も前の無謀な道をあるいて破滅へと突き進んだ当時の選択の再現のような気がしてなりません。
まさかと思うのですが、まさkと思うようなことが次々におこる時代です。
なんとか、コイズミさんの暴走をやめさせたい。
コイズミさんを辞職させたい。
しかし、与党にも野党にもその気概ある人はいないようです。
マスコミにもそれはありません。

しかし、振り子は一方に大きく振れれば、今度はその反対に振れるものです。
あきらめないでがんばる必要があると思います。
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/10/177_20051020__4de1.html

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