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2007年5月22日 (火)

第73回 大田洋子  屍の街 (その1)

河原の人は刻々にふえ、重い火傷の人々が眼立つようになった。はじめのうちはそれが火傷とはわからなかった。火事になっていないのに、どこであんなに焼いたのだろう。ふしぎな、異様なその姿は、怖ろしいのでなく、悲しく浅間しかった。せんべいを焼く職人が、あの鉄の蒸焼器で一様にせんべいを焼いたように、どの人もまったく同じな焼け方だった。普通の火傷のように赤昧がかったところや白いところがあるのでなくて、灰色だった。焼いたというより焙ったようで、焙った馬鈴薯の皮をくるりとむいたように、その灰色の皮膚は、肉からぶら下っているのだ。

 八月五日は一晩中警報がつづいて、解除になったのは六日の七時過ぎだった。それから床に入った「私」は蚊帳のなかでぐっすりねむっていた。そのとき「私」は、海の底で稲妻に似た青い光につつまれたような夢を見たのだった。するとすぐ、大地を震わせるような恐ろしい音が鳴り響いた。
 気がついたとき、「私」は微塵に砕けた壁土の煙の中にぼんやり佇んでいた。朝はやくあんなに輝いていた陽の光は消えて、梅雨時の夕ぐれか何かのようにあたりはうす暗かった。
「私」は東京で仕事ができず広島に帰ってきていたのだった。母と妹と、妹の女の赤ん坊と、女ばかり四人住んでいた。妹の良人は六月末に二度目の応召をして、それきりどこにいるともわからないままであった。
 「私」の寝ていた二階にはなんにも見えなかった。蚊帳や寝床さえもあと形もなかった。枕元にあった防空服も防空帽も時計も本もないのだ。その代り外は平素見えなかったところまで、見渡す限り壊れ砕けた家々が見えた。
 階段は板や瓦や竹でふさがっている。血まみれの妹が化物のような顔に変りはてて、階段の途中まであがって来た。白い洋服は染めたように真赤になり、白い布で顎を釣った顔は紫の南瓜のように腫れていた。
 やがて火の手が方々に上がりはじめた。私たちはバケツと雨傘を持っただけで、背負袋を背負って倒壊した町を河原に避難した。何の欲もないうつけた心であった。
 避難者はあとからあとからと詰めかけて来た。たれもかれも怪我をしていた。河原は負傷者だけの来るところかとも思われた。顔とか手足とか、着物から出ているところを、なんで切ったのかよくわからないが、五ヵ所も六ヵ所もの裂傷を受けて血だらけになっていた。
 ほとんどの人が上半身はだかであった。どの人のズボンもぼろぼろで、パンツーつしかつけていない人もあった。その人々は水死人のようにふくれていた。顔はぼってりと重々しくふくれ、眼は腫れつぶれて、眼のふちは淡紅色にはぜていた。どの人もみな、蟹がハサミのついた両手を前に曲げている形に、ぶくぶくにふくれた両手を前に曲げ空に浮かせている。そしてその両腕から襤褸(ぼろ)切れのように灰色の皮膚が垂れさがっているのだ。
 熱い白砂の上には、点々と人が坐り、佇み、死んだように横たわっていた。火傷の人たちの吐きつづける音に神経をたまらなくした。太陽の暑さと火事の焔の熱さとで、いつの間にか流れの水の傍へひきよせられて行った。そのあたりには火傷の兵隊たちがいっぱい、仰向けに倒れていた。

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