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2005年9月15日 (木)

漱石の偏見論 自然の復讐

漱石の偏見論 自然の復讐                      漱石一覧 

  漱石は日露戦争直前の時期の英文ノートに、地震や津波は人間に対する「自然の復讐」であると記している。人々は火山の火口のまわりで死のダンスを踊りながら、太陽がまた明日も昇ると信じて、楽しい人生だなどと言っていると言い、紳士淑女、大学教授、政治家などが、進歩や文明開化の名において、虚偽に虚偽を重ね、自然を破壊し、自然に背くことに対して、激しい呪咀の言葉を投げ掛けている。「自然は真空を嫌う。愛か憎悪か!自然は代償を好む。眼には眼を!自然は戦を好む。死か独立か!」漱石は「自然は復讐を奨励する」と言い、「復讐は甘美である」と言う。「自然に背く害虫」である人間を殺すのは、自分達の女神である「自然の法」だと言うのである。

      「自然の復讐」は地震や津波としてあらわれるばかりではない。漱石は戦争を人間の根底に潜む「野獣性」の爆発であり、文化文明に自惚れて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背いて顧みない人間に対する「自然の復讐」であると言う。しかし、人間はこの戦争をさえ、ますます美しい言葉で飾り立てる。敵に対しては最大級の侮蔑と悪罵を浴びせ、味方には最大級の美化と称賛の言葉を捧げる。この偽善性こそ限りなく人間を堕落させるのだと漱石は言う。

      万物の霊長だなどと自惚れて、現代の文化文明を賛美し、「正義」だとか「人道」だとか、「愛は神聖だ」とかと、自己の野獣性を美しい言葉で飾り立て、互いに称賛しあっている紳士淑女の偽善と自惚れに対して、漱石は激しい憎悪の言葉を書き連ねている。彼等を踏みにじるために、お前の希望や研究、お前に貴重なもののすべてを犠牲にせよ。そして、彼等がお前の足の下であえぎながら、最後の息とともに弱々しい後悔の叫びをあげるまで決して止めてはならぬ。彼等は進歩の名において、彼等よりもよきものを、彼等の堕落した水準にまで引きおろそうとしている。彼等のこの傲慢や術策の価値を彼等に知らせねばならぬ。漱石の英文のノートには、このような意味の激しい言葉が延々と書き連ねられている。

      この激しい怒りと弾劾、憎悪と呪咀、血にかわく復讐の誓いは、誰にも知られないように、自分だけのノートに英文で書かれている。この激情は直接に公然と発表することが出来なかった。しかし、それだけに一層激しく心の中で沸騰した。この激情が漱石を作家の道に駆り立てた。それは決して見破られてはならないが、どうしても表現されなければならなかった。それは芸術的に加工され、変形されて『吾輩は猫である』という独特の芸術世界を生み出した。その滑稽諧謔はこの激情の文学的変形である。

      『二百十日』の圭さんは阿蘇の噴煙を仰いで、「仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理屈だからね。ほら、あの轟々鳴って噴き出すのと同じ事さ」と言う。圭さんは「僕の精神はあれだよ」と言い、「血を流さない」「文明の革命」を主張するのである。漱石は生涯にわたって「自然の理屈」を強調した。社会現象にも「自然の理屈」が貫徹する。フランス革命が起こるのも「当然」であり、「自然の理屈」であった。人間が自己にうぬぼれて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背き、自然を蹂躙して顧みない時、戦争が起こり、革命が起こる。漱石にとって、それは避け難い「自然の復讐」であり「自然の理屈」であった。

      『道草』の漱石は「彼は血に餓ウえた。しかも他を屠ホフることが出来ないので已ヤムを得ず自分の血を啜ススって満足した」と書いている。『虞美人草』の甲野さんが「悲劇論」で言う「自然の制裁」もまた、この「自然の復讐」「自然の理屈」と別のものではなかった。

    最後の作品『明暗』について言われる「則天去私」の思想も、その根底にはこの激しい「自然」の思想があった。

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コメント

 血に飢え、自らの血を啜って満足せざるを得なかった建三の脳裏に「神」という言葉も浮かぶけれど、それを受け入れられず孤絶感を深めるしかない。現実から逃げることは不可能で、冬は何度も巡って来ざるを得ない、実にリアルで誠実な認識なのだと思います。
 「則天去私」とは平穏無事で明鏡止水の静的な境地そのものをいうのではなく、自然に背馳しがちな人間が自然の一員としての道理を回復する苦闘を経てたどりつくべき行為の過程そのものの重要性をいうのではないか、そのことを認識して自他ともに変化し、そのように働きかけ続けることを忘れまいとする。そのような動的なことばとしてとらえたいと思います。

投稿: 水川景三 | 2005年9月18日 (日) 12時54分

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