« <新しい作品論>と「道義」  | トップページ | 「虞美人草」の世界 下 »

2010年4月21日 (水)

『虞美人草』の思想 上

「虞美人草」の思想 上

     一                     

 「虞美人草」は漱石の朝日新聞入社第一作であり、はじめての長篇小説である。これまでの生活を清算して小説一本で立とうとした作者は、この作品に自分のすベてを賭けた。それはこれまでの生活及び文学の総決算であり、新しい出発点を示ナものであった。
 このためにやや力みすぎて自然な流露感を欠くことになり、文章も凝リに凝った嫌味なものとなる欠陥をまぬがれなかった。けんらんたる文章に装われて作者が必要以上に顔を出し、自己の見解を述べる饒舌が目立っている。この文章に妨げられて、読者は直接に作品の世界にはいりこんで行くことができない。作者は文章によって自己を誇示し、読者を支配しようとしているように見える。ここには小説の文章に対ナる誤解があったと思われる。この文章のために、この作品には否定的な評価をあたえられる場合が多かった。「猫」や「坊ちゃん」において自在な口語文章を展開した漱石が、この作品においてこのような文語的発想におちいったのは何故であろうか。
 漱石の文学を貫くものは現実に対する鋭い批評である。漱石には世界のすベてを敵としても戦おうとする強烈な戦闘的意識がある。明治三十七・八年頃の英文ノートを見るものは、いわゆる教養社会、紳士階級の偽善性を痛罵し、これらの人々に血を以て復讐を誓っている言葉の激しさに驚かないではいられない。
   I hate you。 ladies and gentlmen。 I hate you one and all;
  I hate you to the end of my life and the last of yuor race

    ……人間はのどもとすぎれば熱さを忘れる。目の前のことにばかリ追われている。我々は死の踊りを眠れる噴火口のふちで踊っているのだ。そしてそれをjoly lifeなどといっている。今日朝日が昇ったから、明日も亦昇るだろうと信じて、死とともに踊っている。人は人をナイフで切り、皮肉で切リ、しかも決して今度は自分の切られる番が来るだろうとは考えない。

   「自然は償いを好む。自然は復讐を奨励する。復讐はいつでも甘美である。」 漱石はほとんど呪いのようなこれらの言葉を、長々と英文で書き記している。「彼等をふみにじることが出来るように、お前の希望、研究、お前の愛するすべてのものを捨てよ。彼等がお前の足の下で喘ぎ、最後の息で後悔の弱々しい叫びをあげるまでは
決して止めてはならぬ。……」漱石のこの呪いや復讐の誓いは、行為としては勿論、言葉としても直接の表現を禁じられていた。これらは秘められたノートに、しかも英文で、誰からも知られぬようにひそかに書き記されたのである。しかしこの激情が作家としての漱石の胸底にもえ続け、創作活動の強烈なモチーフとなっていることは明かである。
   漱石の怒りは直接的な発現を阻まれたために、著しい自己嫌悪を生み、絶望感、罪悪感、厭世感となって、彼の精神を内部から蝕んだ。これらの情念は彼の内部で原色的などぎっさで葛藤し、ほとんど彼を狂気に導こうとした。漱石における芸術は、最初、このような破滅からの自己救済の意味をもっていた。「草枕」はこうした救いとしての芸術に対する考え方を展開したものである。「草枕」をも含めて「猫」から「二百十日」に至る一系列の作品が、鋭い社会批判、文明批評を内包するものであることは明かであるが、作者は努めて自己を抑制し、余裕のある態度で、一種の滑稽化によってこれを行った。
 しかし今、すべてをなげうって小説一本に自分のすべてを賭けようとするとき、こうした逃避的な態度を続けることは出来なかった。「虞美人草」は作者の胸底にもえる怒りと呪い、復讐の誓いを文学において実現しようとするものであった。「虞美人草」には作者の血なまぐさい激情がこめられている。この激情がこの作品を文語的発想のものとしている。「猫」、「坊ちゃん」、「二百十日」のように余裕のある態度で文章を綴るとぺ漱石は口語を自由に駆使す
るが、自己の内奥に閉じこめられた心情や思想を直接に表現しようとするとき、作者の表現は文語的になったのである。

    二

 「虞美人草」を勧善懲悪の小説であるとして、その価値を否定する見解があるが、勧善懲悪であることそのことが、ただちに否定の理由になるというわけはない。いわゆる勧善懲悪の小説が否定されるのは、それが時代の支配的イデオロギーに安易に依拠して、そのために、人間の本質を深く追求することが妨げられるからであろう。善は必ずしも善ではない。悪は必ずしも悪ではない。価値観の転換深化なくしては、人間の真実に迫る生命ある文学を生むことが
出来ないのである。「虞美人草」ははたしてこのような価値観の転
換深化を内に含んでいなかったであろうか。
110  なるほど漱石は「第一義」を問題にし、「道義」の必要を説く。
  理想なく道義なく、おのれにおごる人間に対する「自然の制裁」を作品の主題としている。勧善懲悪の意図が作者にあったことは明かである。しかし作者は「第一義」とか「道義」とか「自然の制裁」とかいうことによって如何なることをいおうとしたのであろうか。これらの内容を深く検討することなく、ただ既成の意味においてのみ把握して、「虞美人草」を勧善懲悪の小説としてひたすら否定するのは意味のないことである。
   漱石は「野分」において白井道也における道を、外部にあって人間を導くものではなく、人間の内部より出で、行為において外部にあらわれる無形のものとして措定している。このような道=理想の考え方は、自己の外部にある絶対的な軌範としての封建的な道の考え方とは根本的に対立する。同時にまた西洋の理想に圧倒され、それを絶対化し、その前にひざまづく西洋崇拝とも対立する。漱石によればこれらはともに自己本来の姿を見失い、奴隷的である点において共通である。
   [わたしは名前なんて宛にならないものはどうでもいゝ。只自分の満足を得る為めに世の為めに働くのです。結果は悪名にならうと、臭名にならうと気狂にならうと仕方がない。只かう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。」白井道也における道=理想は如何なる権威によっても正当化されること求めず、ひたすら自己の魂に従って生きようとするものであった。これは徹底的な自己本位の立場を示すものである。このような自己本位の立場に立つ漱石が、「虞美人草」において「我の女」として設定された藤尾の徹底的な否定者としてあらわれるのは何故であろうか。
 誰もが引用するように、漱石は小宮豊隆に宛てた手紙に、「藤尾といふ女にそんな同情をもってはいけない」といい、「小夜子といふ女の方がいくら可憐だか分りやしない」と書いている。小宮豊隆が藤尾を讃美したのは当然である。藤尾は当時のいわゆる「新しい女」を代表する女である。それに対して小夜子は自分を主張することを知らぬ「日蔭の花」のような女であり、「過去の女」である。
しかるに漱石は藤尾を否定し、小夜子を肯定している。小野と小夜子の結婚に道義の実現を見るのは、約束をすべてに優先させて考える古いモラルではないだろうか。漱石の尊重する徳義心とか道義とかは結局封建的なモラルの肯定に帰するのであろうか。
 たしかに漱石は、藤尾を意識して「新しい女」として描き、その上でこれを否定している。漱石に当時の「新時代」に対する批判があったことは明かである。しかし藤尾はその新しさのために否定されたのではなく、小夜子はその古さのために肯定されたのではない。むしろ漱石は古さ新しさを価値の基準であるかのように考える明治以来の日本を支配する考え方を否定したのである。小夜子は一途に小野を信じかつ愛したのに対して、藤尾はひたすら相手を支配
しようとした。藤尾は愛されることを知って愛することを知らなかった。藤尾の結婚の条件は銀時計であり、博士号であり、小野が自分のいいなりになることであった。藤尾の生き方は自己本位のよう
                       に見えて実は自己本位ではない。相手をひたすら支配しようとするものは、かえって相手に支配されることになる。藤尾には人が何といおうが自分はこの道を行くのだという、自己の内部より出る理想がなかった。それ故小野が小夜子と一しょにいるのを見て驚くのであり、小野に逃げられると外交官試験に合格した宗近に金時計をあたえようとし、ついには自殺することになる。
 藤尾と同様に、小野もまた藤尾を人間として愛していたのではない。小野が甲野の家の財産に心を動かされていたことは否定出来ない。もしもこの二人の関係が本当の愛であったならば、この作品は全く異った主題のものとして展開したであろう。「それから」においては、代助と三千代を姦通罪という社会的な罪をあえておかしても結ばせた漱石である。小野と小夜子を過去の約束のためにのみ結
ばせたわけではない。小野が不安なのは、藤尾に対する愛が偽リであり、小夜子の愛が純粋で真実なものであることを感じていたためである。

      三

   漱石は現代に生きる人間の自己疎外を鋭く追求した。金銭、物質、名誉、社会的位置、世間体等々に縛られて、人間は本来の自分を見失っている。小野や藤尾や藤尾の母、そしてまた浅井といった人物に、現代日本人の自己喪失の悲惨な姿が追求されている。彼等を縛る古き道義は否定された。しかも彼等を導く新しい理想は発見されていない。道義なく理想なき彼等を動かすものは、我慾であり、我執である。彼等は他人をおしのけ他人を犠牲にしてかえりみ
ることを知らない。
 「野分」の白井道也はかかる人間の状態を救おうとして、前後をかえりみず突進した。しかし[虞美人草]の甲野欽吾は、考えれば考えるほど身動き出来なくなる。甲野もまた現代に生きる人間として疎外をまぬがれていないのである。道也は自ら道を体していると信ずる信念の人であり、行為の人であったのに対して、甲野は懐疑の子であり、自分白身をさえ疑わずにはいられない。常に徹底することが出来ず、中途半端な「立ちん坊」的存在であることをまぬが
れない。
 「まあ立ちん坊だね」と淋し気に笑う甲野を、「毛筋程な細い管を通して、捕へ難い情けの波が、心の底から辛うじて流れ出し」たのだと作者は説明する。このたちまちに消えて行く「薄く、柔らかに、寧ろ冷やか」な笑の中に甲野の一生は明らかに描き出されているという。「こころ」の先生は「人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締めることの出来ない人」とされているが、甲野もまた同様に人間に対する愛か自然に流露することをはばまれているのである。
 白井道也に漱石の理想が托されているとするならば、漱石の現実は甲野欽吾により濃厚に反映している。理想を求め第一義に生きようと順う心は、それが強ければ強いほど、自分をも含めた人間の現実に絶望させられる。甲野を支配する暗く重い懐疑と厭世思想に、

112
漱石は自分の切ない心情を表現したのである。この小説がどのような結末で終ろうとも、甲野=漱石に救いはない。全体としてこの小説に救いなどありはしない。知れば知るほど、考えれば考えるほど、求めれば求めるほど、底知れぬ暗黒の中におちて行くのが甲野である。または漱石である。いくら知っても知りつくすことは出来ない。いくら考えても明らめつくすことは出来ない。ただ徒らに懐疑の雲を増すばかりである。甲野=漱石もまた藤尾や藤尾の母などとちがった意味で、「我」にとらえられていたのだといえる。自己の無力、思考の無力を痛感する甲野=漱石は、物慾や世間体や我執から解放されるだけでなく、疑う自分、考える自分からも解放されなければ、自由はなく、救いはないと考えるが、人間はついにこのような自由、このような救いを自分のものにすることは出来ない。こうした暗い認識が、甲野=漱石に「道義の必要」を説かせる。
 白井道也は自分の内部に道のあることを信じて疑わなかった。それ故、名前などどうでもよかった。悪名も臭名も狂気もおそれなかった。しかし甲野は、物さえたしかなら名前などどうでも構わぬ主義だという宗近に、「そんなに飽かなものが世の中にあるものか。だから雅号が必要なんだ」といっている。漱石における「道義」は、人間の空しさ、たよりなさ、救いのなさを徹底的に自覚する所に形成さるべきものであった。

   四

「白井道也は文学者である」という一句に始まる「野分」は漱石における文学者の理想をあらわしたものといえる。「動くべき社会をわが力にて動かナが道也先生の天職である。高く、似いなる。公けなる、あるものの方に一歩なりとも動かすのが道也先生の使命である。道也先生は其他を知らぬ」と漱石は書いている。やがて教師生活をやめて作家生活に入ろうとする時期に、たんにおのれ一人の魂を救済ナるのでなくて、「動くべき社会をわが力にて動か」そうとする白井道也を文学者の理想をあらわすものとして描いたことの意味は大きい・道也自身が教師をやめて筆と舌とによってたたかおうとしたのである。そこに教師生活をやめて作家生活に入らなければならぬ作者自身の必然性が表白されていたのだということもできる。
 道也のいう「高く、偉いなる、公けなるあるもの」が如何なるものであるかは具体的にあきらかにされてはいない。そこに道也=漱石における道といい理想というものの無内容な観念性を指摘する見解があるが、前述のように漱石における理想は、外部にあって人を導くものではなくて、内部にあって人を導き、行為において外部にあらわれる無形のものとして措定されているのであり、むしろそこにこの作品の積極的な意味を見るべきである。
 「理想は魂である。魂は形がないからわからない。只人の魂の、行為に発現する所を見て旁髭するに過ぎん」と道也はいうが、この思想が漱石を作家としての道に進ませることになった。理想は言葉ではなく、その人の生涯の事業~‥たたかいを通じて旁髭するほかないものであるならば、白井道也のように直接に理想を説いても、空

  虚なものを感じさせるばかりであろう。白井道也が私たちに感銘をあたえるのは、その言葉の内容によってよりも、おのが理想に殉じて、あらゆる苦難に耐え、妻にまで背かれながら、空しくさえも響くその言葉を、勝利の見通しもなしに語り続けてやまぬ悲壮な姿のためである。ここに漱石が演説家の道ではなくて作家の道を択んだ理由がある。
   道也の戦いは勝敗を度外視した戦いである。勝敗の如何にかかわらず、それがわが魂の命ずる所である故に行くのである。行けるところまで行き、斃れるまで戦うのだと道也はいう。道也における理想は目的=終点を示すものではなく、その戦いは終りなき、勝利なき戦いであった。北村透谷のいう「戦いの中途に何れへか去るを常とする」戦いが道也における戦いであった。道也の戦いが敗北に終ることは必至である。
   「虞美人草」末尾の甲野の日記に漱石は「予想した悲劇を為すが儘に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である」と書いた。「隻手を挙ぐれば隻手を失ひ、一目を揺かせば一目を砂す。手と目を害して、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々刻々に深くなる」と書いた。白井道也と反対に、甲野は個人の無力を知る故に、自分の力で社会を動かそうとはしない。勝敗を度外視し、おのれを忘れて戦い斃れる白井道也が第一義に生きたのであるに対して、我を知り彼を知リ、戦いの敗北に終るのを知って戦いを抛棄し、拱手して懐疑と苦悩のうちに日を送り、世を捨ておのれを捨てることをのみ夢みる甲野には、インテリゲンチャの頽廃がある。
 道也の戦いが敗北に終るほかない以上、行為を奪われ、人間としての自然な感情の流露をはばまれて、中途半端な姿勢で幽霊のように立ちすくむ甲野の頽廃は余儀ないものであった。漱石はこのような甲野に自分をも含めた近代日本のインテリゲンチャの暗い行き詰まりの姿を表現している。甲野の批判者として単純率直でとらわれることなく行動する宗近を作者は描いているが、宗近の行動性は多分に思慮を欠く単純さによって保証されているのであって、甲野の
アンチテーゼとしての意味は持ち得ても、甲野の苦悩を克服する存在とはなり得ない。このように道也のたたかいが敗北に終り甲野の頽廃の余儀なさを認めないわけにはゆかなかったにもかかわらず、それを認めた上で、しかも道也の魂を自分の魂として、自分の力であくまでも社会を動かそうとした所に、「虞美人草」の方法が生まれ、文学者としてどこまでもたたかいぬこうというはっきりした自
覚が確立された。

    五

 明治四〇年四月、朝日新聞入社直後に美術学校で行った講演で、漱石は「一般の世が自分が実世界における発展を妨げる時、自分の理想は文芸上の作物としてあらはるゝより外に路がないのであります」と述べている。この「文芸の哲学的基礎」と題する講演には、新しい作家生活にふみ入った漱石の文学に対する抱負といったものがかなり濃厚にあらわれている。
114  漱石には後世にのこる仕事をするのだという意識があった。しかもこの意識は「野分」執筆の前後から一層強くなっている。虚子に宛てた手紙(明治三三・一一・一一)に十年計画で敵を斃すつもりだったが百年計画に改めたと書いている漱石は、「文芸の哲学的基礎」で、文芸家の精神的気魄は無形の伝染によって社会の大意識に伝染し、永久の生命を人類内面の歴史中に得ることによって自己の使命を完了するのだと述べている。
   漱石にとって、文学はわが理想に表現をあたえ、わが理想によって読者を感化し、読者の血肉となり、読者の中に生きて時代を動かすものであった。理想は無形のものであって、人間の行為によって髣髴することが出来るだけのものであるから、技巧を通じて感覚化しなければならない。「文芸の哲学的基礎」によれば、発達した理想と完全な技巧とが合したとき「文芸の極致」に達し、これに接するだけの機縁の熟しているものに「還元的感化」を与えるのである。「還元的感化」とは読者の意識の連続と作者の意識の連続とが一致して、普通の人間の境地を離れて物我の上に超越する-ー我を忘れ、彼を忘れ、無意識に(反省的でなく)享楽をほしいままにして、この間は時間もなく、空間もなく、ただ意識の連続があるだけという体験を味わうことであるが、この体験において作者の理想は
読者の血肉となるのである。
   「野分」においては作者の理想は白井道也に体現されており、もしも読者が「野分」から還元的感化を受けるならば、読者の意識は道也の意識と一致することによって、作者の理想にもっとも深いところで感化されることになる。これに反して「虞美人草」にはそのような作者の理想を体現した人物はいない。疎外された諸人物のおりなす現実的喜劇が、突如として破局を迎え悲劇に転ずるのである。この劇的な展開を通じて、現実に対する強烈な反省をひきおこすのが「虞美人草」の方法である。作者の理想は作品の構造、作品の展開を通じて、また現実の批判的な追求において表現されている。
 「野分」から「虞美人草」への方法の転換は、作者が人間を動かし社会を動かそうとする個人の力の無力を認識し、人間および社会を動かすのは入間自身、社会自身の内的矛盾であることを発見したためである。現代人は自分自身および自分の生きる社会の本質を見失って、理想もなく道義もなく、ひたすら我慾と我執に駆り立てられ、時代の流れにおし流されて、無自覚に生きている。彼等が自分自身に目ざめるのは破滅に直面したときでしかない。それまでは理想を求め、道義の必要をいうものは変人あつかい、狂人あつかいをまぬがれぬ。作者は我慾が我慾のために、我執が我執のために破滅の危機におちいる姿を描き出し、そのことによって読者の覚醒を求めたのである。
 「文芸の哲学的基礎」を一貫して漱石が読者の意識を重視し、作家の創作活動を読者に対する働きかけとして把握していることは注目すべきである。「虞美人草」もまた明らかに読者に対する働きかけであった。その働きかけは前記虚子宛書簡に百年計画で敵を斃すつもりだといっていることと無関係ではないだろう。「虞美人草」

  執筆中、中村蓊宛書簡(明・四〇・八・一六)で漱石は次のように述ベている。

     細民はナマ芋を薄く切って、それに敷割などを食ってゐるよし。芋の薄切は猿と択ぶところなし。残忍なる世の中なり。しかして彼等は朝から晩まで真面目に働いてゐる。
     岩崎の徒を見よ!!     終日人の事業の妨害をして(いな企てて)さうして三食に米を喰ってゐる奴等もある。漱石子の事業はこれ等の敗徳漢を筆誄するにあり。

   この言葉は「虞美人草」のモチーフを語るものであると思われるが、このように直接に社会を批判し、金力や権力を非難する言葉は、「虞美人草」の作中には見ることが出来ない。「猫」から「野分」に到る作品群には、作者はしばしば滑稽化のかげにかくれて社会に対する批判を行ない、金銭や権力によって人間の精神を支配しよう
とするものを直接に非難する言葉を吐いているのである。ここに虚子宛書簡に、十年計画から百年計画に改めたといっていることの意味が具体的にあらわれていると思う。
   この虚子宛書簡は「二百十日」と「野分」の間の時期に書かれている。「二百十日」には金力や権力に対する非難の言葉が氾濫しており、フランス革命の必然性、「文明の革命」の必要が説かれて、漱石の革命官言とも見ることの出来る作品であった。しかしこの革命宣言は具体性を欠き、それを支える主体のあいまいさのために、空虚なおしゃべりに堕することをまぬがれなかった。いかに金力や
権力を罵倒しても、言葉によってこれを倒すことはできない。これに対して「野分」が青年に対するよびかけであり、その覚醒を求める作品である点に漱石の転換がある。金力や権力を非難するよりも、自己=理想を喪失して、時代の流れにおし流されて生きる受動的なその日暮しの生き方を批判し、金力や権力の支配に抗して新しい時代を創り出して行く確固たる人格、積極的な主体の確立を目ざして、日本人の魂の覚醒、新しい理想の発見を意図した点に、漱石が敵を斃す計画を十年計画から百年計画に改めたということの意味がある。この転換は「野分」から「虞美人草」へと進み、さらにその後の作品へと発展することによっていっそう深化された。

    六

 「虞美人草」は天下国家を直接に問題にするのではなくて、日常的な家庭生活における人間のあり方を問題にしている。しかし作者はこのことによって日本の将来を問題にしているのである。「日本の運命を考えたことがあるのか」と甲野はいう。「アメリカを見ろ、インドを見ろ、アフリカを見ろ。」それらはいずれも西欧帝国主義によって侵略された国である。日露戦争の勝利に酔って、ひたすら西欧化の道を歩こうとしている時であった。そのときに当って甲野=漱石は日本の未来に暗澹たるものを見ないではいられなかった。西洋文化の根抵にある「我」の思想は、他をぼろぼして顧ることなき残酷なものであり、他国他民族をぽろぼして進む帝国主義的侵略の道は、あのはなやかな、ヒューマニスティックな西洋文明の裏面の本質である。しかるに日本はこの西洋の恐るべき本質を見抜く

116 ことなく、ひたすらそれを礼讃し、その前に膝まづいている。日本がひたすら西洋を模倣して進むとすれば、そのはてに待っているものは何か。「色を見るものは形を見ず。形を見るものは質を見ず。」目前の美、目前の栄光、目前の利益に目を奪われて、自分を見失い、自分を裏切り、ひたすら自分を愛し信ずるもの、古き日本のま
ごころをふみにじって、ただ前へ前へと進むならば、そのはてに待っているものは何か。「危い。小野さんは危い」と作者はいうが、小野の危さはまた日本の危さでもあったのだ。
   現代社会の根本の問題、日本の将来の問題を、日常生活を如何に生きるかという生き方の問題、思想の問題、倫理の問題として追求した点に、この作品の本質的な新しさがある。日本の自然主義が思想の否定、事実の絶対化、現実に対するたたかいの放棄によって、辛くも肉体に固執する狭隘なリアリズムを確立し、そのことによって日本の文学界を支配しはじめようとした時期に、漱石は如何に生
きるがよいかという理想の問題をどこまでも追求し、思想の確立を求めて、自分白身をも含めた日本人の現実を鋭く批判的に追求する、批判的リアリズムの深化の方向を進みはじめた。こうすることによって、漱石は現実に対するたたかいを、文学の問題として深めていったのである。「虞美人草」はそれが持つさまざまな欠陥にもかかわらず、そのような漱石の転回点を示し、日本のリアリズム深化の方向を示す作品として、今日にもよびかけるものの多い作品である。

|

« <新しい作品論>と「道義」  | トップページ | 「虞美人草」の世界 下 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92803/48142602

この記事へのトラックバック一覧です: 『虞美人草』の思想 上:

« <新しい作品論>と「道義」  | トップページ | 「虞美人草」の世界 下 »