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2012年12月 2日 (日)

2005/7/11(月)→2006/6/15(木)

2005/7/11(月)→2006/6/15(木)
  
.「吾輩は猫である」から  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/6/15(木) 17:17

「ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のように崩れたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。その中で多少理窟がわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものはかえって気狂である。気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。何が何だか分らなくなった」 
http://gendai.net/ 

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195.(untitled)
名前:伊豆利彦    日付:2006/6/16(金) 8:44
狂気は「吾輩は猫である」の主要なテーマだった。   

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196.(untitled)
名前:伊豆利彦    日付:2006/6/16(金) 8:48
「趣味の遺伝」は「陽気の所為で神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。」という言葉ではじまる。   

193.英国留学中の手紙から 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/6/15(木) 19:6

① 国運の進歩の財源にあるは申すまでもこれなく候へば、 御申越の如く財政整理と外国貿易とは目下の急務と存じ候。 同時に国運の進歩はこの財源を如何に使用するかに帰着致し候。 只己のみを考ふる数多の人間に万金を与へ候とも只財産の不平均より国歩の艱難を生ずる虞あるのみと存じ候。

② 欧洲今日文明の失敗は明かに貧富の懸隔甚しきに基因致し候。 この不平均は幾多有為の人材を年々餓死せしめ凍死せしめ、 若しくは無教育に終らしめ、 却つて平凡なる金持をして愚なる主張を実行せしめる傾なくやと存候。 幸ひにして平凡なるものも今日の教育を受くれば一応の分別を生じ、 且耶蘇教の惰性と仏国革命の殷鑑遠からざるより、 これら庸凡なる金持どもも利己一遍に流れず他の為め人の為に尽力致し候形跡これあり候は、 今日失敗の社会の寿命を幾分か長くする事と存候。   

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194.Re: 英国留学中の手紙から
名前:伊豆利彦    日付:2006/6/15(木) 19:12
漱石の思想と文学の基礎は、英国留学時代に養われた。
ノート、日記、書簡は漱石文学の宝庫だと思う。   

191.明治四十二年の東京大学総長の頭脳の程度 返信  引用 

名前:水川景三    日付:2006/6/6(火) 1:16

 「実業家米国の招待に応じて渡航 うちに神田乃武、佐藤昌助、巌谷小波あり。何の為なるやを知らず。実業家は日本にゐると天下を鵜呑にした様なへらず口を叩けども、一足でも外国へ出ると全くの唖となる為ならん。
 文科大学にて神話を課目に入れんとするの議を起す。総長浜尾新「神話」の神の字が国体に関係ある由にて抗議を申し込む。明治四十二年の東京大学総長の頭脳の程度は此位にて勤まるものと知るべし。」
(明治42年7月26日の日記)

といった感想を記しつつ、漱石は満韓の旅に9月から出立した。
ロシア人の呼称や中国人の呼称、また苦力の描き方と朝鮮人に対する見方、感懐は若干の違いを見せている様にも思われる。
高宗への同情は何に対しての同情なのか。
同情は優越感の裏返しとも言われる。
朝鮮民衆、その国の歴史に対する同情といえるのかどうか。
自然風物への興趣と戦争の悲惨とそれにまつわる抑圧被抑圧の国の歴史
に思いを馳せているのは間違いないと思う。
抑圧された国の悲哀は感じているのだろうと思うが。   

186.朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかり 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2006/6/2(金) 9:1

朝鮮の王様が譲位になった。日本から云へばこんな目出度事はない。もつと強硬にやつてもいゝ所である。然し朝鮮の王様は非常に気の毒なものだ。世の中に朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかりだらう。

1907年7月19日漱石が小宮豊隆に送った書簡の内容だが、漱石の意識はその歴史的な事件に無感覚ではない。ヘーグ密使事件を口実に伊藤博文が朝鮮王高宗を強制に退位させたのは、7月18日のことだから、その翌日は朝鮮王の退位のことで朝鮮は大騒ぎであった。次々と朝鮮民衆の蜂起が続いたほど事体は深刻であったが、はたして漱石の心境はどのようなものだったのだろう。

 漱石はおそらく帝国日本の侵略政策が齎した結果、朝鮮王や朝鮮民衆が如何に苦痛と弾圧に堪えない日々を暮らしていたか自覚的であったはずだ。「朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかりだろう」と言えるほど関心を寄せていたのもその事実を裏付ける。

しかし、 

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187.Re: 朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかり
名前:金 正 勲    日付:2006/6/1(木) 21:18

例えば「明暗」には次のような場面がある。

「お嫁なんか何んなのでも其所いらにごろごろ転がつてるぢやありませんか」(略)
「いくら女が余つてゐても、是から駆け落をしようといふ矢先ですからね、来ッこありませんよ」
駆落といふ言葉が、不図芝居で遣る男女二人の道行をお延に想ひ起させた。(略)
「僕だつて朝鮮三界迄駆落のお供をして呉れるやうな、実のある女があれば、斯んな変な人間にならないで、済んだかも知れませんよ。実を云ふと、僕には細君がないばかりぢやないんです。何にもないんです。親も友達もないんです。つまり世の中がないんですね。もつと広く云へば
人間がないんだとも云はれるでせうが」   

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188.Re: 朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかり
名前:水川景三    日付:2006/6/2(金) 22:37
金 正 勲 様
お知らせがあります。
貴殿HPのメールフォームを使いましたが届いたかどうか心配です。   

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190.Re: 朝鮮の王様に同情してゐるものは僕ばかり
名前:水川景三    日付:2006/6/3(土) 9:16
メールしました。   

185.戦禍の象徴 「靴」 返信  引用 

名前:水川景三    日付:2006/5/13(土) 11:40

「時事問題」のところに、
ワシントン連邦議会前広場にイラク戦犠牲者の靴が並べられたとの記事が紹介されていて、思い出した。

旅順を訪れた漱石は、戦利品陳列所を見学する。
以下その一節。

《たった一つ覚えているものがある。それは女の穿いた靴の片足である。地が繻子で、色は薄鼠であった。その他の手投弾や、鉄条網や、魚形水雷や、偽造の大砲は、ただ単なる言葉になって、今は頭の底に判然残っていないが、この一足の靴だけは色と云い、形と云い、いつなん時でも意志の起り次第鮮に思い浮べる事ができる。
 戦争後ある露西亜の士官がこの陳列所一覧のためわざわざ旅順まで来た事がある。その時彼はこの靴を一目観て非常に驚いたそうだ。そうしてA君に、これは自分の妻の穿いていたものであると云って聞かしたそうだ。この小さな白い華奢な靴の所有者は、戦争の際に死んでしまったのか、またはいまだに生存しているものか、その点はつい聞き洩らした。》

実見したのかどうかは不明だが、強烈な印象を残す場面として書かれている。戦果に酔うことなく、戦争の悲惨、むなしさに思いを致しているのはこの文の特徴だと思う。それは「趣味の遺伝」に漂うトーンと通底しているものだろう。   

184.「吾輩は猫である」から 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/5/7(日) 17:34

いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。

 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘(わがまま)なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々同衾(どうきん)する小供のごときに至っては言語同断(ごんごどうだん)である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛(ほう)り出したり、へっつい[#「へっつい」に傍点]の中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内(かない)総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪を磨(と)いだら細君が非常に怒(おこ)ってそれから容易に座敷へ入(い)れない。台所の板の間で他(ひと)が顫(ふる)えていても一向(いっこう)平気なものである。吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)の白君などは逢(あ)う度毎(たびごと)に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋産(う)まれたのである。ところがそこの家(うち)の書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族(ねこぞく)が親子の愛を完(まった)くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りの三毛(みけ)君などは人間が所有権という事を解していないといって大(おおい)に憤慨している。元来我々同族間では目刺(めざし)の頭でも鰡(ぼら)の臍(へそ)でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善(よ)いくらいのものだ。しかるに彼等人間は毫(ごう)もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪(りゃくだつ)せらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものを奪(うば)ってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
http://www1.ezbbs.net/27/tiznif/   

183.「吾輩は猫である」から 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/5/7(日) 15:35

いかにして米国からの独立を実現するか、それが問題だ。
核兵器を持ち、軍事力を強化して一戦まじえるか。
世界最強の好戦主義者の米国に対して、それは自滅の道だ。

「吾輩は猫である」に次の言葉がある。

しかし猫の悲しさは力ずくでは到底(とうてい)人間には叶(かな)わない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意に肴屋(さかなや)の天秤棒(てんびんぼう)を喰(くら)う恐れがある。理はこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目を掠(かす)めて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者を択(えら)ぶのである。天秤棒は避けざるべからざるが故に、忍[#「忍」に傍点]ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支(さしつか)えなき故込[#「込」に傍点]まざるを得ず。この故に吾輩は金田邸へ忍び込む[#「忍び込む」に傍点]のである。
http://ohtan.txt-nifty.com/column/

掲示板3413 参照

http://www1.ezbbs.net/27/tiznif/   

182.広田先生と憲法 返信  引用 

名前:水川景三    日付:2006/5/3(水) 8:49

広田先生は、自らの高校時代を振り返りつつ次のように言った。

「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

それは、自由主義的考えの文部大臣森有礼が右翼に暗殺された翌年である。
広田先生は母(と思われる人)の臨終の際を次のように語っている。

《いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。》

その告白によって、広田先生は現実への浪漫的憧憬を打破される。
少女のその後はどんなものであっただろうか。
有礼につながる娘だったのだろうか。
恐らく政治の世界につながって生きているであろうその娘は、
広田先生にあった時の自らの姿形が一番好きだと言う。
その後の彼女の生は、輝いてはいなかったのだろう。
そして、広田先生の青春も幻滅の中に閉じこめられたのではなかったか。

憲法発布、議会開設が日本の民衆を幸せにするものではなかったことが
広田先生の批評のことばに、またこの挿話に込められているように思う。
日清・日露戦争を通じて西欧に伍する世界に冠たる一等国になったと
上滑りしてはならないと戒められているように感じる。

あらためて時勢を憲法記念日に思ってみるのである。   

181.林田 茂雄 著 「漱石の悲劇」 返信  引用 

名前:御影 暢雄    日付:2006/4/10(月) 21:58

林田茂雄著「漱石の悲劇」は優れた夏目漱石論だと私は思っています。志賀直哉のことを調べていて、志賀が当時の一流階級の暮らしを送りながら、その生活が普通の水準の生活と思っていたのではと私は分析するに至りました。漱石の小説の主人公宅にも婆やと書生が必ず出て来ますが、林田氏はこのことが漱石の生活水準感覚を現していると同著で看破しています。また、林田氏の「漱石の文章には芸がある」という言葉は、漱石文学を一言で集約していると思います。一労働者から文筆家になった林田氏の漱石論は、もっと多くの人に知っていただきたいと思っています。   

177.「君は日本の運命を考えた事があるのか」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/4/9(日) 13:43

「虞美人草」の甲野さんと宗近君の会話

「元来、君は我儘過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」
今までは真面目の上に冗談の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時漸く晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。
「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後ろへ開いた。
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」
「たまたま風邪が癒れば長命だと思ってる」
「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。
「日本と露西亜の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」
「無論さ」
「亜米利加を見ろ、印度を見ろ、亜弗利加を見ろ」
「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」
「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」
「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
「大概は知らぬ間に殺されているんだ」
凡てを爪弾きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋を敲いて、慄とした様に肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。 

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178.Re: 「君は日本の運命を考えた事があるのか」
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/10(月) 8:41
英国留学中の日記

 1月27日
夜下宿の三階でつくづく日本の前途を考ふ。日本は真面目ならざるべからず。日本人の眼はより大ならざるべからず。

 3月21日
英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独乙人もしか思へり。彼等は過去に歴史あることを忘れつつあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国仏国独乙は亡ぶるの期なきか。日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄つる勿れ。黙々として牛の如くせよ。 孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考へよ。誠実に語れ。摯実に行へ。 汝の現今に蒔く種はやがて汝の収むべき未来となって現はるべし。

 

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179.Re: 「君は日本の運命を考えた事があるのか」
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/10(月) 8:59
⑩ 3月15日
日本人を観て支那人といはれるを厭がるは如何。支那人は日本人より遥かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり。心ある人は日本人と呼ばるるよりも支那人と呼ばるるを名誉とすべきなり。仮令然らざるにもせよ日本は今までどれほど支那の厄介になりしか、少しは考へて見るがよかろう。西洋人はややともすると御世辞に支那人は嫌いだが日本人は好き だといふ。これを聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分方が景気がよいと いふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり。
⑪ 3月16日
日本は三十年前に覚メザめたりといふ。然れども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。狼狽しつつあるなりただ西洋から吸収するに急にして消化する暇なきなり。文学も政治も商業も皆然らん。日本は真に目が醒めねばだめだ。
⑫3月18日
吾人の眠る間吾人の働く間吾人が行屎走尿の裡に地球は回転しつつあるなり。吾人の知らぬ間に回転しつつあるなり。知らざる者は危ふし。知る者は運命を形くるを得ん。   

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180.Re: 「君は日本の運命を考えた事があるのか」
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/10(月) 9:2
明治の天皇制も軍隊制度も欧米を真似てつくったのだ。 

174.自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/4/9(日) 13:17

「吾輩は猫である」から

元来黒は自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって、彼の気焔(きえん)を感心したように咽喉(のど)をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい猫である。 

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175.Re: 自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/9(日) 13:21
かつて日本は、「日本は神国なり」だの「八紘一宇」だのといって自慢する言葉が氾濫した。

「出て来い、ニミッツ、マッカーサー」などと歌ったものだ。

この頃、また、当時の気風が復活する傾向があるのは心配だ。   

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176.Re: 自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/9(日) 13:28
人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えない。   

173.豚的幸福  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/4/8(土) 8:18

掲示板3254と重複

漱石の「吾輩は猫である」に次の言葉があった。誰かのことを言っているようだ。

迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はままある。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥かに下落してしまう。不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。

http://blog.mag2.com/m/log/0000102032   

167.一通の手紙 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2006/3/22(水) 9:1

「明暗」には小林が津田に一通の手紙を渡す場面がある。
小林は原と話をしている間、津田にその手紙に目を通すことを進める。
手紙を読ませる小林、そして読ませられる理由を聞き質す津田。
この二人のやり取りは、結局小林に衝動的意外性を招くのだが、一方そこから小林の真剣さも窺える。

小林は津田にその手紙を読ませたのだろう。

「それより君の方でその主意を男らしく僕に説明したらいいじゃないか」
「男らしく? ふん」と云っていったん言葉を句切った小林は、後から付け足した。
「じゃ説明してやろう。この人もこの手紙も、乃至この手紙の中味も、すべて君には無関係だ。ただし世間的に云えばだぜ、いいかね。世間的という意味をまた誤解するといけないから、ついでにそれも説明しておこう。君はこの手紙の内容に対して、俗社会にいわゆる義務というものを帯びていないのだ」
「当り前じゃないか」
「だから世間的には無関係だと僕の方でも云うんだ。しかし君の道徳観をもう少し大きくして眺めたらどうだい」
「いくら大きくしたって、金をやらなければならないという義務なんか感じやしないよ」
「そうだろう、君の事だから。しかし同情心はいくらか起るだろう」
「そりゃ起るにきまってるじゃないか」
「それでたくさんなんだ、僕の方は。同情心が起るというのはつまり金がやりたいという意味なんだから。それでいて実際は金がやりたくないんだから、そこに良心の闘いから来る不安が起るんだ。僕の目的はそれでもう充分達せられているんだ」
 こう云った小林は、手紙を隠袋へしまい込むと同時に、同じ場所から先刻の紙幣を三枚とも出して、それを食卓の上へ並べた。
「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」
 彼はこう云って原の方を見た。 

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168.Re: 一通の手紙
名前:金正勲    日付:2006/3/22(水) 9:4
なぜ小林は津田にその手紙を読ませたのだろう。   

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169.Re: 一通の手紙
名前:伊豆利彦    日付:2006/3/31(金) 19:18
「明暗」の小林の手紙は津田の精神を強く動かすのだと思います。
昔の津田はこのような社会に対する深い同情を小林とともにしていたのではないでしょうか。
津田はこのような自己を忘れて、実業の世界に入って、精神をむしばまれている。
小林はそのような津田を「戒飭」しようとして、手紙を見せたのだと思います。
それが、いかに強く津田を動かしたかは、煙草の灰が1寸近くになるまでの長い間この手紙に引き込まれるのです。
津田が 住む世界のすぐ裏側にこんな世界があるということ、これも人間だという感慨を呼び起こすところにこの手紙の意味があるでしょう。   

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170.Re: 一通の手紙
名前:伊豆利彦    日付:2006/4/1(土) 10:6
このくらい世界は、やがて津田が訪れるもう一つの世界と対応している。

次は、津田が手紙を読んだ直後の感想だ。

しかし彼の感想はそこで尽きる訳に行かなかった。彼はどこかでおやと思った。今まで前の方ばかり眺めて、ここに世の中があるのだときめてかかった彼は、急に後をふり返らせられた。そうして自分と反対な存在を注視すべく立ちどまった。するとああああこれも人間だという心持が、今日までまだ会った事もない幽霊のようなものを見つめているうちに起った。極めて縁の遠いものはかえって縁の近いものだったという事実が彼の眼前に現われた。

そして、次は温泉場に急ぐ馬車のなかでの感想だ。

「ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう」

人間の境遇もしくは位地の懸絶といったところで大したものじゃないよ。本式に云えば十人が十人ながらほぼ同じ経験を、違った形式で繰り返しているんだ。それをもっと判然云うとね、僕は僕で、僕に最も切実な眼でそれを見るし、君はまた君で、君に最も適当な眼でそれを見る、まあそのくらいの違だろうじゃないか。だからさ、順境にあるものがちょっと面喰うか、迷児つくか、蹴爪ずくかすると、そらすぐ眼の球の色が変って来るんだ。しかしいくら眼の球の色が変ったって、急に眼の位置を変える訳には行かないだろう。つまり君に一朝事があったとすると、君は僕のこの助言をきっと思い出さなければならなくなるというだけの事さ」

大きな自然が人間を取り巻いているように、くらい世界、貧困の現実は贅沢を求めてあくせくする津田のすぐ足元に広がっている。

津田は自分を<特別な人間>と考えたがる。
しかし、人間は結局は同じなのではないだろうか。

それが<則天去私>の世界観だと思う。   

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171.Re: 一通の手紙
名前:金正勲    日付:2006/4/1(土) 20:47
その「くらい世界」、それは漱石の内部と外部の問題が同時に突出したものではなかったか。しかし、今までは内部の方に重点が置かれてきたような気がする。

漱石は晩年病気に苦しんでいた。漱石の肉体問題、それは当然津田の肉体にも投影され、津田の精神まで刺激していたのであろう。その精神と肉体の対立、そして物質主義と精神主義、そのような世界が「明暗」にはくっきりと根を下ろしているような気がしてならない。

一通の手紙に象徴される津田と小林の対立も、そこから例外ではなかろう。それこそ漱石が明治社会に違和感を感じ、苦悩し続けていた根本的な問題ではなかったか。それで、そこには精神まで浸透するメカニズム世界への警告のメッセージが込められているといえる。「さあ取りたまえ。要るだけ取りたまえ」と原にいう小林の言説に痛快さまで覚えられるからだ。

そのような漱石の苦悩が肉体まで浸透し、「明暗」執筆中の漱石を如何に苦しめるものであったか言うまでもない。彼を苦しめたのは胃潰瘍だけではなかった。1915年12月からはリューマチを病んで、1916年1月にはリューマチ治療のため、一人で、湯ヶ原の天野屋に出かけた。しかし、漱石の肉体は衰弱し、東京大学医学部真鍋嘉一郎からは糖尿病診断まで受ける。漱石は世界戦争の真っ盛りに死に向かって一歩ずつ前進していたのである。

清水茂は次のように述べている。「「門」の「宗助」の内部に進行していた「神経衰弱」と「結核性のもの」は、生きながら死に、死につつ生きている空しい<時>のなりゆきの中での生存の<不安>そのものであった。「津田」の痔癆の「結核性」そのものに、これとおなじ暗喩性、暗示性があるとはおもわれない。が、その「結核性」の有無について、無しとする「医者」の断言が、かえって残した一脈の<不安>感そのものに、小説の展開への暗示性がよみとれる」という。「『明暗』にかんする断想」(『作品論 夏目漱石』双文社、一九七六年)

その<不安>が「社会に対する深い同情」を齎していると思われる。
http://home.naver.com/k6738157/   

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172.Re: 一通の手紙
名前:金正勲    日付:2006/4/3(月) 11:40
ご指摘の通り「手紙を読んだ直後の津田の感想」、つまり「人間の境遇もしくは位地の懸絶といったところで大したものじゃないよ」という文章にも省察の目が照らされていると思います。

津田と小林の対立はその「位置の懸絶」から起因するものではないでしょうか。
それは<特別な人間>と<普通の人間>の対立の問題でもあり、漱石はそのような「社会に対する深い同情」を持って、それを相対的な視点から見下ろしていた思います。

先生の文章を通し、私の問題意識も広がっているような気がします。   

164.乃木大将の殉死について 返信  引用 

名前:みっちゃん    日付:2006/3/1(水) 13:54

伺いたいのです。明治天皇の崩御、乃木大将の殉死を当時の人々はどう受け止めたのでしょうか?特殊な出来事だったのか、広く共感を呼んだのか?その当時、他にも多くの後追い自殺があったとすれば、「こころ」の中の「明治の精神に殉死する」という言葉は、今の私たちには思いもよらぬほどの説得力を持っていたのかもしれないですよね。後追い自殺をする人が多かったと書いてあるものもあるのですが、裏付けとなる具体的なデータがあれば教えていただけませんか? 

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165.Re: 乃木大将の殉死について
名前:伊豆利彦    日付:2006/3/1(水) 14:46
具体的なデータは知りませんが、漱石が「こころ」を書く直前に「模倣と独立」という講演で、次のように述べている。

乃木さんが死にましたろう。あの乃木さんの死というものは至誠より出でたものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。乃木さんの死んだ精神などは分らんで、唯形式の死だけを真似する人が多いと思う。そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんは決して不成功ではない。結果には多少悪いところがあっても、乃木さんの行為の至誠であるということはあなた方を感動せしめる。それが私には成功だと認められる。

具体的な自殺者の数については、誰か知っている人に教えてもらいたいと思います。    

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166.Re: 乃木大将の殉死について
名前:みっちゃん    日付:2006/3/1(水) 16:12
お返事、ありがとうございました。漱石自身が「それを真似して死ぬ奴が大変出た。」と書いているのだから、それを踏まえて「こころ」を書いているのは、たしかですね。「明治の精神に殉死する」という言葉は、当時かなり受け入れやすい理由だったのですね。おかげさまで疑問が氷解し、とても嬉しいです。本当にありがとうございました!!   

160.「趣味の遺伝」の一節 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/2/15(水) 9:16

旅順のたたかいで、浩さんは隊の先頭に立って突進し、敵の塹壕に飛び込んだが、そのままあがって来る事はなかった。

以下、「趣味の遺伝」から

塹壕に飛び込んだ者は向へ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底に着くや否や穹窖より覘を定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横わる者に、向へ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰れても、肩が飛んでも身体が棒のように鯱張っても上がる事は出来ん。二竜山から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦が悉く日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就して乃木将軍が目出度凱旋しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤を提げて迎に来ても上がる事は遂に出来ぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々として御玉杓子の如く動いていたものは突然とこの底のない坑のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕の底では、ほかの兵士と同じ様に冷たくなって死んでいたそうだ。 

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161.Re: 「趣味の遺伝」の一節
名前:伊豆利彦    日付:2006/2/15(水) 9:33
この兵士たちは靖国神社にまつられたのであろうか。   

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162.Re: 「趣味の遺伝」の一節
名前:伊豆利彦    日付:2006/2/15(水) 17:20
前節につづいて、残された浩さんの母について、漱石は次のように書いている。

 ステッセルは降った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。然し浩さんはまだ坑から上って来ない。図らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、脊の低い軍曹の御母さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんは何故壕から上がって来んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれの様に脊は低くない、又冷飯草履を穿いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんの様にぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母さんだ。塹壕に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着はなかろう。然し取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂れ籠めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴っぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んでくれる、あんな嫁が居たらと昔を偲ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。然し親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪の中から折れたと同じ様なものでしめ括りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一が帰って来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽してぶら下がる日を待ち焦がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪は増したかも知れぬが将軍は歓呼の裡に帰来した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差し支えはない。右の腕を繃帯で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/syumino.htm   

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163.Re: 「趣味の遺伝」の一節
名前:伊豆利彦    日付:2006/2/15(水) 9:51
浩さんの母親は靖国に参拝して慰められただろうか。

「趣味の遺伝」については、「平和新聞」に次の紹介を書いた。
『文学に見る戦争と平和』 第八回 夏目漱石 「趣味の遺伝」

興味のある方はご一読ください。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/syumino.htm    

159.『韓国語リスニング』(三修社、2006年2月20日)を刊行 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2006/1/30(月) 18:27

日本の出版関係者に依頼され、そのうち韓国語テキスト作業をやってきましたが、いよいよそのテキストが刊行されました。

本題は『韓国語リスニング』(三修社、2006年2月20日)です。
分かりやすい本ですので、CDで会話文を聞きながら本に目を通すだけで十分だと思います。

韓国語を学ぶ人や韓国へ旅行に行く人が毎年増えています。

日本留学の経験のある私にとって、嬉しいときは、韓国語を学ぶ日本人学習者が毎年増えつつあるというお便りに接する際です。

日本の皆さんが韓国語を学び、韓国に来られ、韓国の文化を理解したうえで韓国人と付き合うことは非常に大切なことだと思います。

このことを知っているから、私は韓国で、韓国から日本へ旅行に行く観光客や日本語学習をする学生を対象にした日本語テキスト開発の仕事も怠けておりません。

韓国人が日本語を理解すること、また日本人が韓国語を学ぶことは、より充実した韓日交流のためにも絶対に必要なことだと思います。

韓国の皆さん、日本に行って寿司を食べましょう。
日本の皆さん、韓国に来られ、本場のキムチを食べてみませんか。

2006年には韓日交流を深めるのに最善を尽くしたいと思います。

よろしくお願い申し上げます。
http://www.sanshusha.co.jp/np/details.do?goods_id=2593   

158.新規掲載 「明暗」の時空 「日本文学」84年1月  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/1/20(金) 17:21

20年も前の論文ですが、金正勲さんが「明暗」論を書こうとしているので、旧稿をuploadしてみました。

今の私は大戦の最中の作品で、戦争との関わりに関心がありますが、この年1月の「点頭録」との関係で考えると、<大きな自然>の問題と、大戦の問題は同時にとらえられるのではないかと思っています。
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/meiannojikuu.htm   

157.漱石の病気、そして『明暗』 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2006/1/12(木) 22:47

漱石の病気と世界大戦の問題、それを核として念頭におきながら津田の病気に焦点を当て、『明暗』を読み取った。
つまり、津田の病気に世界戦争の影が根を下ろしているという視点から、病気のことを詳しく探ってきたのである。

言ってみれば、津田の病気には漱石の病気が生々しく生かされている。
「漱石は痔の治療のために佐藤病院に通院しており、後にその経過を素材として『明暗』を書くが、『明暗』にはこの不安な心情がはっきりと書き表されている」(「漱石と天皇制」93ページ)わけである。

ところで、その「不安な心情」はどこから来たのであろうか。
それは漱石の内部と外部両面に潜在している根本的な問題であり、その激動の時代を生きた漱石の抱える苦悩でもあった。

漱石は死の年であった1916年の年明けにそれを『点頭録』に凄絶に吐露している。
かつて漱石の文章にそれほど露骨な表現は見られなかったが、前例のない生々しい声であった。
如何に漱石が当時精神的・肉体的疲労に陥られていたか言うまでもない。

そのエッセイに続き、漱石は最後の小説『明暗』を書いた。
それ故『明暗』は漱石の内部の戦いと外部の戦いが同時に展開されている小説であり、ここにはそれが津田の病気を通じて徹底的に形象化されているような気がしてならない。

要するに津田の病気を軸に作品が展開されていると思われるほど、「明暗」中に津田の病気は重要な伏線として働いているが、同時に津田の病気は非常に象徴的な意味網を形成していると言ってよい。
『硝子戸の中』からの「病気の継続」が、「明暗」においては津田の病気として露になっているわけだ。

漱石は、世界大戦の真っ盛りであった1916年、『明暗』執筆中に病気と格闘しながら、その身でまた「病気と戦争する」人間津田を描いた。
だから、一方漱石は「欧州の大乱」を意識しながら津田の病気を描いていたはずである。

漱石は、津田の病気を自分が経験した病気の意味よりはるかに重要に考えていたのであろう。
津田の「主観をこえた肉体の問題」を浮き彫りにする意味はここにあるのであり、それがこの作品の持つ特徴ともいえよう。

156.漱石の新年 「門」と「道草」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/1/8(日) 9:45

[道草]
159 彼の頭には明日の日の丸が映った。外を乗り回す人の絹帽子の光が見えた。洋剣サアベルの音だの、馬の 嘶イナナキだの、遣羽子の声が聞えた。彼は今から数時間の後又年中行事のうちで、尤も人の心を新にすべく 仕組まれた景物に出逢わなければならなかった。
陽気そうに見えるもの、賑やかそうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の臂を把って、一所に引張って行こうとするものは一つもなかった。彼はただ饗宴に招かれない局外者として、酔うことを禁じられた如くに、又酔うことを免れた人であった。彼は自分と御米の生命ライフを、毎 年平凡な波瀾のうちに送る以上に、面前マノアタリ大した希望も持っていなかった。こうして忙しい大晦日に、一人家を守る静かさが、丁度彼の平生の現実を代表していた。

百一
 歳が改たまった時、健三は一夜のうちに変った世間の外観を、気のなさそうな顔をして眺めた。
「すべて余計な事だ。人間の小刀細工だ」
 実際彼の周囲には大晦日も元日もなかった。悉く前の年の引続きばかりであった。彼は人の顔を見て御目出とうというのさえ厭になった。そんな殊更な言葉を口にするよりも誰にも会わずに黙っている方がまだ心持が好かった。
 彼は普通の服装をしてぶらりと表へ出た。なるべく新年の空気の通わない方へ足を向けた。冬木立と荒た畠、藁葺屋根と細い流、そんなものがぼんやりした彼の眼に入った。然し彼はこの可憐な自然に対してももう感興を失っていた。
 幸い天気は穏かであった。空風の吹き捲らない野面には春に似た靄が遠く懸っていた。その間から落ちる薄い日影もおっとりと彼の身体を包んだ。彼は人もなく路もない所へわざわざ迷い込んだ。そうして融けかかった霜で泥だらけになった靴の重いのに気が付いて、しばらく足を動かさずにいた。彼は一つ所に佇立んでいる間に、気分を紛らそうとして絵を描いた。然しその絵があまり不味いので、写生は却って彼を自暴にするだけであった。彼は重たい足を引き摺って又宅へ帰って来た。途中で島田に遣るべき金の事を考えて、不図何か書いて見ようという気を起した。

 赤い印気で汚ない半紙をなすくる業は漸く済んだ。新らしい仕事の始まるまでにはまだ十日の間があった。彼はその十日を利用しようとした。彼はまた洋筆を執って原稿紙に向った。
 健康の次第に衰えつつある不快な事実を認めながら、それに注意を払わなかった彼は、猛烈に働らいた。あたかも自分で自分の身体に反抗でもするように、あたかもわが衛生を虐待するように、また己れの病気に敵討でもしたいように。彼は血に餓えた。しかも他を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した。
 予定の枚数を書きおえた時、彼は筆を投げて畳の上に倒れた。
 「ああ、ああ」
 彼は獣と同じような声を揚げた。

「門」
[16]☆161 足駄 下町 164 「実際正月と云うものは予想外に煩瑣ウルサいものですね。
◆◆それで今日の 昼から、とうとう塵世を遠ざけて、病気になってぐっと寝込んじまいました。
◆◆◆すると今度は急に退屈に・・・・然し、いくら退屈だって、この上御目出度いものを見たり聞いたりしちゃ骨が折れますし・・・それで、御正月らしくない、と云うと失礼だが、まあ世の中とあまり縁のない貴方、・・・・超然派の一人イチニンと話し がしてみたくなったんで・・・

◆宗助はこの楽天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があった。そうし て時によると、自分がもし順当に発展して来たら、こんな人物になりはしなかったろうかと考えた。   

153.「虞美人草」から 悲劇論 その1 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/1/4(水) 16:26

「悲劇は遂に来た。来るべき悲劇はとうから預想していた。預想した悲劇を、為すがままの発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、三世に跨がる業を根柢から洗わんが為である。不親切な為ではない。

隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉ずるは恐るるのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石火の一拶に本来の面目に逢着せしむるの微意に外ならぬ。 

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154.Re: 「虞美人草」から 悲劇論 その1
名前:伊豆利彦    日付:2006/1/8(日) 9:9
この言葉は、明治以来の日本の歴史を予言的に要約している。
日本は戦争の道を歩いて1945年の破滅に至った。

戦争に反対するものは次々に投獄され、拷問され、殺されさえした。

日本のその道は<近代化>の道であったろう。
そのことについて今年は考えたい。

戦後の日本は60年、<近代化>の道をあるいてふたたび破滅の切迫を痛感させられる時代を迎えた。

漱石の言葉がますます身に沁みる時代になった。   

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155.Re: 「虞美人草」から 悲劇論 その1
名前:伊豆利彦    日付:2006/1/8(日) 9:1
隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。

日本の現実を憂い、それを正そうとしたものたちは次々に弾圧された。
検挙され、投獄され、拷問され、殺されさえした。

「吾輩は猫である」に次の言葉がある。

然し猫の悲しさは力づくでは到底人間には叶わない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、如何に此方に道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒の如く不意に肴屋の天秤棒を喰う恐れがある。理は此方にあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、又は権力の目を掠めて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者を択ぶのである。

漱石は卑怯な人間だった。

中野重治の小説に、
漱石は素町人だ。暗い男だ。卑怯な人間で、逃げて逃げて逃げまくったのだという言葉があった。

中野は豪傑をもって自ら任じていたのだろう。

中野は漱石を軽蔑し、森鴎外に天晴れな敵を見た。
中野は美しいものを求め、自らを美しいものしようと努力した。
ときに、美しいものであるかのように錯覚し、美しいものとしてふるまった。
中野の転向について考える。
中野のロマン主義について考える。

この頃、私は中野に感心しながら、しかし、疑わしく思うようになった。

漱石は自己の暗黒を見ていた。
自己の弱さ、卑怯を自覚していた。
漱石は普通の人を尊敬した。
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000102032   

152.新掲載  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2006/1/4(水) 10:2

日々通信 いまを生きる 
第188号 2006年1月1日 また正月が来た new

漱石の「点頭録」について書いた。
年末に偶然テレビで柳沢桂子さんの「般若心経」についての話を見て、漱石の無の思想について考えた。

無の自覚と自己の社会的責任の自覚が結びつく<一体二様>の思想に漱石の特徴がある。
自己を無と自覚することによって、自己をしばる<自我>意識から解放され、自由な存在として、世界を自我中心から解放された新しい眼で見、自由に積極的に世界を認識し、行為する。

これに関連して、宮沢賢治の<宇宙の微塵となりて>という思想にあらためて眼が開かれた。

宮沢の根柢には「法華経」があるという。

「春と修羅」の序は次の言葉ではじまっている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

私は<実体>ではなくて<現象>なのだ。
この言葉がながく私の心に残っていた。
さまざまな現象の結合、交差する場所としての私、いまというとき、いまという世界を離れて私はない。
100年前には私は決して存在することがなかったのだ。
私は固定して動かぬ実体ではない。
私は世界の中心ではない。
私は世界をどうすることもできない。
世界があって私がある。世界の中に私はある。歴史を私は生きる。歴史の中に私はある。
私があって世界があるのではない。私があって歴史があるのではない。

<年頭に際して、自分は此一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした迄である。>

<古仏と云われた人の真似も長命も無論わが分ではないかも知れないけれども、羸弱なら羸弱なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於いての感謝の意を致して、自己の天分の有り丈を尽そうと思うのである。自分は点頭録の最初に是丈の事を云っておかなければ気が済まなくなった。>

私もこの<一体二様>考えを抱いて、<羸弱なら羸弱なりに>いまに生きることを感謝し、激動するいまを生きたい。
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/01/188_2006__c076.html   

148.漱石の病気、そして『明暗』 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2005/12/30(金) 8:55

津田の病気は正確に言えば痔瘻(穴痔)である。痔瘻は「肛門周囲の皮膚と肛門官粘膜の上皮細胞の表面間に伸びている肉芽組織と繊維組織で形成されている幹である」(ヤンヒョンキュ訳、Ian Finlay著書)。

胃腸病大辞典(http://www.ichou.jp/ency/DXansX/jiro.html)にはその病態について「穴痔と言われてきました。肛門の奥から細菌が入って肛門周囲が化膿したものを肛門周囲膿瘍と言います。そして、細菌の通過した穴を痔ろうといいます」と、

そして治療については「肛門周囲膿瘍は強い痛みと熱感を生じます。この段階では切開により早急に膿(うみ)を出すことが必要です。(応急処置)。そして、痔ろうはそのままにしておくと再び化膿し肛門周囲膿瘍を伴う」(胃腸病大辞典)と書かれている。

治療法において現代とは異なるところもあるだろうが、今の時点からみても本文の内容は十分通用するものである。(専門医者に確認完了)津田は言ってみれば肉芽組織で出来ている瘻管を切開する手術を受けたに違いない。痔瘻の治療にはその肉芽組織で出来ている瘻管を除去するよりいい方法はないと言われているからだ。

ただ手術の方法においては、患者の病状によって、全体の瘻管を切除する「瘻管切除手術」と「瘻管切開手術」があるが(注)、津田の場合はどれに当てはまるだろう。漱石の日記には「正午痔瘻の切開」と書かれ、「切開」という用語が用いられているだけで、「切除」という言葉はない。色々な病症から推測してみるのだが(注)、「瘻管切除手術」を受けたとしたら、「皮膚欠損を生じ、治癒期間が長くなる」恐れもあり、「括約筋」の損傷が酷くなる可能性もある。(注)

しかし、「瘻管切除手術」を受けたか、「瘻管切除手術」を受けたか医学に専門的知識が乏しい私には分からない。もし専門家なら「括約筋を切り残したとおっしゃるけれども、それでどうして下からガーゼが詰められるんですか」(153)と聞く津田に「括約筋はとば口にゃありません。五分ほど引っ込んでます。それを下から斜に三分ほど削り上げた所があるのです」(153)という医者の言葉から推察できなくもないだろう。
http://home.naver.com/k6738157 

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149.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:金正勲    日付:2005/12/30(金) 8:42
漱石は手術して4日後、10月1月に次のように記している。

「10月1日(火)十一時浣腸。
ガーゼを取り替へる。
瓦斯[ガス]多量に出る。
便は軟便にて少々なり。
「出血はありましたか」と聞く。
「是が癒り損なつたらどうなるでせう」
「又切るんですさうして前よりも軽く穴が残るのです」
心細い事である。
「なに十中八九迄は癒るのです」
「三週間遅くて四週間です。」
「括約筋をどうして切り残して下からガーゼが詰められるのですか」「括約筋は肛門の出[口]にやありません。五分程引込んでゐます。夫を下からハスに三分程削り上げた所があるのです。括約筋の三分一です」
瘡のない右の方がはれて苦しい。
床の中でぢつと寐てゐる。
あしたから通じをつけると云って腹のゆるむ薬を一日三回に飲む。」   

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150.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:水川景三    日付:2005/12/30(金) 15:36
1911(明治44)年9月、第一回目の痔瘻切開手術を受けて後状況はなかなかによくはならず、2ヶ月経っても「痔が癒り損なつて未だ尻に細い穴が出来てゐる、是が結核性で追つて腸結核にでもなつちあ夫限りだと心細い事を考へたりしてゐる。実際そんな例もあるのだからな」(11月22日野村伝四宛)と書いています。漱石は痔には悩まされたでしょうが、命奪われる危急の病とは思っていなかったのではないでしょうか。

神経が集中する軟弱部を切られる生理的な戦慄を津田は感じるのですが、それが結核へと結びつく恐怖には思いが至っていないようです。「根本的療治」が云々されても深くその意味をつかみきれないところにこそ津田の、津田的現代人の病があるのでしょう。

その間漱石の周囲には煤煙事件で三山の辞表提出、乃木自刃がありました。自らの命を賭して生きることの意味を問ういうことへの思いは強かったと思います。もちろん少し前には、自らの大患があり、大逆事件に殉じた者がいたということもそのことの思いを強めているだろうと思います。   

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151.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:金正勲    日付:2005/12/30(金) 16:25
水川さん、ありがとうございます。
確かに漱石の日記のどこを見ても「結核性」とは書かれていなせん。
私も多数の論者のご指摘もあり、津田の痔が「結核性」であるかという問題だけは考え直したいと思っているところです。

ただ漱石にとっては「命奪われる危急の病」ではなかったけれども、漱石は「明暗」で津田の痔を「危急の病」と思われるほど非常に大切な意味として描いていますね。

そのことを問題にしているのです。
http://nbbs.naver.com/nmulti/h_read.php?board_id=k6738157_0&nid=1789&page=2   

145.漱石の病気、そして『明暗』 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2005/12/27(火) 11:33

漱石は津田の手術場面を次のように描く。

浣腸の結果も十分でなかった。
津田はそれなり手術台に上つて仰向に寝た。冷たい防水布がぢかに皮膚に触れた時、彼は思はず冷りとした。堅い括り枕に着けた彼の頭とは反
対の方角からばかり光線が差し込むので、彼の眼は明りに向つて寝る人のやうに、少しも落ち付けなかつた。彼は何度も瞬きをして、何度も天井を見直した。すると看護婦が手術の器械を入れたニツケル製の四角な浅い盆みたやうなものを持つて彼の横を通つたので、白い金属製の光がちらちらと動いた。仰向けに寝てゐる彼には、それが自分の眼を掠めて通り過ぎるとしか思はれなかつた。見てならない気味の悪いものを、ことさらに偸み見たのだといふ心持が猶のこと募つた。(略) 

切物の皿に当つて鳴る音が時々した。鋏で肉をじよきじよき切るやうな響きが、強く誇張されて鼓膜を威嚇した。津田は其度にカーゼで拭き取らなければならない赤い血潮の色を、想像の目で腥ささうに眺めた。ぢつと寝かされてゐる彼の神経はぢつとしてゐるのが苦になる程緊張して来た。むづ痒い虫のやうなものが、彼の身体を不安にするために、気味悪く血管の中を這ひ廻つた。(四十二)

しかし、念頭におかずにいられないのは、手術後津田が医者から「瘢痕が案外堅いんで、出血の恐れがありますから、当分凝としてゐて下さい」という注意を受ける事実である。手術したにもかかわらず、「瘢痕が案外堅い」、「出血の恐れ」がある。

佐藤から切開手術を受けて3ヶ月も経たない時点、漱石は1911年12月8日の日記に「佐藤さんへ行く痔が癒るやら癒らぬやら実以て厄介である」と書いた。そして痔の病気が再発し、その翌年1912年9月26日には佐藤から再手術まで受けている。

漱石はそれを、「正午痔癆(瘻)の切開。前の日は朝パンと玉子紅茶。昼は日本橋仲通りから八丁堀茅場丁須田丁から今川小路迄歩いて風月堂で紅茶と生菓子。晩は麦飯一膳。四時にリチネヲ飲んで七時に晩食を食ふたが一向下痢する景色なし、翌日あさ普通の如く便通あり。十時頃錦町一丁目十佐藤医院にきて浣腸。矢張り大した便通なし。十二時消毒して手術にかゝる。コカイン丈にてやる。二十分ばかりかゝる。瘢痕が存外かたいから出血の恐れがあるといふので二階に寢ゐる。括約筋を三分一切る。夫がちゞむ時妙に痛む。神経作用と思ふ。縮むなといふideaが頭に萌[きざ]すとどう我慢しても縮む」(9月26日の日記)と記しているから、生々しい証言として残っているのだが、如何にその病気が治らない病気であるか実感したに違いない。

手術したが、「瘢痕が案外堅いんで、出血の恐れがあ」る状態の津田の病気はどうなっていくだろうか。はたして治るだろうか。
http://home.naver.com/k6738157 

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146.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:伊豆利彦    日付:2005/12/27(火) 16:5
>「瘢痕が案外堅いんで、出血の恐れがあ」る状態の津田の病気はどうなっていくだろうか。

手術後の医者の言葉は

「瘢痕が案外堅いんで、 出血の恐れがありますから、 当分凝としていて下さい。」

津田はこの注意を無視し、医者に相談もせずに温泉に行く。
温泉で出血することになるのは予告されているようなものではないだろうか。
http://nbbs.naver.com/nmulti/h_read.php?board_id=k6738157_0&nid=2611&page=1   

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147.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:伊豆利彦    日付:2005/12/27(火) 16:12
津田が出血して倒れれば、お延も吉川夫人もお秀も、皆集まってくることになる。
そして小林もくることになれば、全員集まる大団円となるのだろう。

津田とお延がともになにより大事にしていた<自尊心><プライド>が一挙に崩壊する。そして、そこに、新しい<復活の曙光>が射すのだろう。

弱点を相互に露出することによって成立する新しい関係である。
そこまで行くか。
また、途中でひっかかるか。
そこに、作品としての「明暗」の問題があるが、それはどうでもいいのではないか。
解決が問題ではなくて、問題の露出が重要なのだ。
http://nbbs.naver.com/nmulti/h_read.php?board_id=k6738157_0&nid=2611&page=1   

144.人間の不安は科学の発展から来る。 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/12/26(月) 8:36

「行人」人間の不安は科学の発展から来る。

[32]336 「こうして髭を生やしたり、 洋服を着たり、 シガーを銜えたりするところを上部から見ると、 如何にも一人前の紳士らしいが、 実際僕の心は宿なしの乞食みたように朝から晩までうろうろしている。 二六時中不安に追い懸けられている。 情けない程落付けない。 仕舞には世の中で自分程修養の出来ていない気の毒な人間はあるまいと思う。 そういう時に、 電車やなにかで、 不図眼を上げて向う側を見ると、 如何にも苦のなさそうな顔に出っ食わすことがある。 邪念の萌さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、 僕はしみじみ嬉しいという刺激を総身にうける。 僕の心は旱魃に枯れかかった稲の穂が膏雨を得たように蘇える。 同時にその顔--何も考えていない、 全く落付払ったその顔が、 大変気高く見える。
◆ ほとんど宗教心に近い敬虔の念をもって、 その顔の前に跪いて感謝の意を表したくなる。 自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。 昔のように唯うつくしいから玩ぶという心持は今の僕には起こる余裕がない」
337 「人間の不安は科学の発展から来る。 進んで止まることを知らない科学は、 かつて我々に止まることを許してくれたことがない。 徒歩から俥、 俥から馬車、 馬車から汽車、 汽車から自動車、 それから航空船、 それから飛行機と何処まで行っても休ませてくれない。何処まで伴れて行かれるか分からない。 実に恐ろしい。」
◆「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、 僕は僕一人で僕一代のうちに・・・ 僕は人間全体の不安を、 自分一人に集めて、 そのまた不安を、 一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している。   

143.二十世紀の堕落 道義慾の崩壊  欧洲から押し寄せた海嘯 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/12/26(月) 8:30

二十世紀の堕落 道義慾の崩壊  欧洲から押し寄せた海嘯

 代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈していた。又これをこれ等新旧両慾の衝突と見傚していた。最後に、この生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得ていた。   

142.大逆事件前後 修善寺の大患と四つの講演 new 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/12/20(火) 2:44

新規に掲載しました。
http://tizu.cocolog-nifty.com/souseki/   

139.<継続中>の思想 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/12/16(金) 6:23

<継続中>の思想は「夢十夜」第三夜の罪の自覚に連なり、<父母未生以前>の思想に連なるのでしょう。

そしてそれは「オシアン」「カリツクスウラ」に連なる。
さらに、英詩の天地未分のときの幻想に連なる。

<継続中>の思想を軸に漱石の生涯と全文学が照らし出される。
そこに「こころ」から「道草」、「明暗」へと展開する漱石の世界があるのだと思われる。 

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140.Re: <継続中>の思想
名前:金正勲    日付:2005/12/17(土) 11:31
津田の病気は<継続中>であり、馬車に乗って温泉に向かう彼の心境からも病気の治療に自意識が抜けていることが読み取れます。

こうして夜路を馬車に揺られて行くのも、有体に云えば、その人の影を一図に追かけている所作に違なかった。御者は先刻から時間の遅くなるのを恐れるごとく、止せばいいと思うのに、濫りなる鞭を鳴らして、しきりに痩馬の尻を打った。失われた女の影を追う彼の心、その心を無遠慮に翻訳すれば、取りも直さず、この痩馬ではないか。では、彼の眼前に鼻から息を吹いている憐れな動物が、彼自身で、それに手荒な鞭を加えるものは誰なのだろう。吉川夫人? いや、そう一概に断言する訳には行かなかった。ではやっぱり彼自身?    

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141.Re: <継続中>の思想
名前:伊豆利彦    日付:2005/12/17(土) 18:27
次の言葉は、<継続中>の思想と深く関わっていると思います。
そして、それは<自然の理>の思想と連続していると思います。

 彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。
「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」
 彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。彼はそれをぴたりと自分の身の上に当て篏めて考えた。すると暗い不可思議な力が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後ろに引き戻したりするように思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行動について他から牽制を受けた覚がなかった。する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言ったに相違なかった。
「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。偶然? ポアンカレーのいわゆる複雑の極致? 何だか解らない」
 彼は電車を降りて考えながら宅の方へ歩いて行った。
http://www.yamaguchijiro.com/   

137.「道楽と職業」と人間疎外 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/12/14(水) 21:46

「道楽と職業」は関西の四つの講演の最初のもので、具体的な現象の分析を通して、日本社会=文明社会の矛盾=本質に迫ろうとした。

金正勲訳『 私の個人主義 他』に寄せた私の解説「漱石の『自己本位』」に私は次のように書いた。

<分業化が進んだ現代社会では、職業が多様化し、細分化して、人々はごく限定され、専門化された仕事に閉じ込められ、「不具」化される。「開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまう」のである。学者にしても、いまの学者は専門以外には何も知らない「不具」が揃っている。自分なども「完全な人間をますます遠ざかって、実に突飛なものになり終せて」しまったと漱石は言う。>

水川さんが指摘した人間の自己疎外の問題である。

自己を「片輪」な人間と認識するところに漱石の後期文学は出発する。
「彼岸過迄」の須永も松本も「片輪」な人間だ。
「行人」の一郎、「こころ」の先生も同様だ。

「道草」の健三、「明暗」の津田もそうだ。

これは、「創作家の態度」の偏見論に通ずるものであり、漱石の全作品の作中人物についていえることだが、これまでの漱石論ではこの認識が乏しかったのではないか。

漱石の文学は近代的な自我主義では解けない。
その発展の自己否定論でも解けない。

この問題は作家的出発以来のものだが、後期においていっそう深められた。

「明暗」は自己の優越性を誇る「片輪」な津田やお延の挫折の物語だ。
それは、近代主義の敗北だ。

近代主義の特徴は自己の優越性を追求し、勝とう勝とうとすることだ。
それは戦争の論理だ。
戦争は近代主義の必然の帰結だ。
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/sou@jikohoni.htm 

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138.Re: 「道楽と職業」と人間疎外
名前:伊豆利彦    日付:2005/12/14(水) 21:55
初期の漱石は他を批判したが、後期の漱石は自己を徹底して批判した。
他を攻撃するのではなくて、内部に血を流したのである。

<彼は血に餓えた。しかも他を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した。>

という「道草」の言葉はそのような漱石をあらわしている。

「明暗」の津田は漱石が見出したネガティブな自己像だった。
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/sou@jikohoni.htm 

133.津田の病気は「継続中」 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2005/12/8(木) 8:38

「明暗」は津田が痔の病気で医者に診察を受ける場面から始まる。
ところでその診察の場面は、医者の誤診によって再発する可能性と意外性を持つものとして描かれている。
それで、自分の体の局部にどんなことが起こるか分からないという不安に襲われる津田の苦悩が読み取れる。

その不安は当然肉体から精神に転移するものであると言ってよい。
いわば痔の病気は「がりがり掻き落し」ても、「まだ奥がある」状態であり、津田の肉体の奥底まで食い入っている。
しかし、一方では「精神界も同じ事だ。精神界も全く同じ事だ。いつどう変るか分らない」と呟くほど彼の精神を刺激するものであるに違いない。

実際漱石が痔の病気に苦しみ、手術まで受けたのは1911年である。
彼は2月長与胃腸病院に入院中に文部省から文学博士号授与の意向を伝えられた。
しかし、それを拒否し、辞退している。
文部省もしつこくせがみつく。

胃の病気に悩み、博士号授与の問題で文部省ともめ、愉快な気持ちではなかった漱石は8月大阪朝日新聞社から頼まれ、関西巡回の講演旅行にたった。
自分の「自己本位」の世界が他者によって脅かされるような不安を感じ、彼はそれに必死に抵抗したのであり、心身とも極度に衰弱していた。

そのような不愉快の事件、胃病からの肉体的疲労、精神的不安から少しも離れていないまま関西へ下った。
病気は局部まで浸透する。
真夏に無理をし、「道楽と職業」、「現代日本の開化」、「内容と形式」、「文芸と道徳」という講演を次々と行い、体を壊した彼は帰郷すると、神田区錦町(現千代田区神田)の医者佐藤恒祐を訪れる。
痔の病気の治療を受けるためであった。
その後通院治療をしてもなかなか治らず、ついに1912年9月26日佐藤に切開手術をしてもらい、10月2日まで入院している。

このように津田の痔の病気は、作家個人の体験とも結びついているのだが、ここで注意したいのは、漱石にとって病気というのは決して完治できるものではないという事実だ。
肉体的であれ、精神的であれ少なくともそれが人間にとって予想外深刻性を持つものであり、却って「行きどまり」が見えないほど悪化していく可能性を喚起させる。

津田の病気もすぐ治るものとしては決して書かれていない。
手術を受けたとして完治になる可能性は希薄である。
漱石は、手術後まもなく清子に会う目的で無理に温泉へ出かける津田の姿を描き込んでおくのを忘れていなかった。

「転地療養」とはいうものの、津田の外出は湯治療のためではなかった。
医学の立場からより綿密な検討が必要だが、津田の局部はどうなるだろう。
出かける津田を通して病気の悪化の可能性を予告していると言えば過言であろうか。

津田の病気は「継続中」である。
http://home.naver.com/k6738157/ 

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134.Re: 津田の病気は「継続中」
名前:水川景三    日付:2005/12/9(金) 21:41
冒頭の津田の痔疾の手術が、漱石自身の痔の手術を想起してのものであるなら、最晩年、この時期を想起しつつ「明暗」は構想されたということになるのでしょう。

 では、なぜ1911年なのかが気になるところで、ご指摘の通り1910年~11年は、漱石自身と社会情勢が激動した時代で、その間の距離のとり方が大変微妙に思えます。

 漱石に「拒否し、辞退」するプロテスト的側面と、沈思黙考する側面とが交差している、そんな時期ではないかと思います。

 そうした自己の、あるいは、津田の、吉川の階級の問題が批判されていくのではないかと思わせられます。津田を批判することは、自己批判でもあるのでしょう。自己を含めて見下ろして書いている作者漱石を感じます。

 津田の「病い」は、解決することなく継続し、日本の破滅へとつながり、そして、現代にも継続中なのだろうとの思いをもって読んでいます。そういう意味では、まさに仰るとおり病いの「悪化」しかないのだろうと思います。   

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135.Re: 津田の病気は「継続中」
名前:金正勲    日付:2005/12/10(土) 9:24
水川さん、西垣 勤先生の病気の具合はいかがですか。
今年西垣先生には本当にお世話になり、感謝の気持ちです。

さて、今年1月1日、年が明ける大事な瞬間、私はこの掲示板で伊豆先生、あなたと次のようなやり取りをしていた。

 正 勲 > 経って→経て (2005/01/01(Sat) 00:00:30)
水川景三 > 満韓の旅の意味、位置づけは大患に隠れて見えにくいのではないかと思いますが、おそらく大きな意味を持っていたのではないでしょうか。掲載していただいた上の正月文の暗さは異様な感じさえします。諧謔の意味とともにとらえなおすことが必要だと思います。今年もよろしくお願いいたします。 (2005/01/01(Sat) 11:13:02)
伊豆利彦 > 伊藤博文の暗殺について「門」のお米は「どうして、まあ殺されたんでしょう」とくりかえすが、宗助と小六の漫才のような受け答えではぐらかされてしまう。 (2005/01/02(Sun) 08:02:07)
伊豆利彦 > 漱石はなぜ伊藤が殺されたのかを考えていたのだろう。しかし、問を問のままに残して、とんちんかんな答えでごまかした。 (2005/01/02(Sun) 08:05:46)
伊豆利彦 > 書いたものと書かなかったもの、書かなかったものに漱石の作品にこめた思いがあるのかもしれない。 (2005/01/02(Sun) 08:09:06)
 正 勲 > 水川さん、よろしくお願いします。日本に規定された漱石論があるなら、新たな角度から日本の若い研究者によってどんどん打破されてほしいですね。 (2005/01/03(Mon) 08:13:29)
 正 勲 > 満韓旅行から帰国した漱石と、「門」で伊藤博文の暗殺について聞かれ、「運命」という言葉ではぐらかす宗助、そしてその時代を念頭において考えていきたいのですね。面白いものが出そうです。 (2005/01/03(Mon) 08:49:46)

その後、あなたがこの掲示板から見えなくなり、ちょっぴり淋しかったのです。

漱石が、1911年を想起しながら「明暗」の執筆に取り組んだのは間違いないでしょう。
あなたは大切な指摘をしておられるのです。

幸徳秋水ら12人が処刑された「大逆事件」、日本政府の民衆への弾圧、『青鞜』の創刊、朝鮮との関連などを念頭に置かずにはいられません。

漱石の病気や津田の病気は、このような時代状況と世界戦争中に「悪化」しているのです。

したがって、関西旅行に立つ漱石から痔の手術を受け、「明暗」を書く途中永眠する漱石までを追っていくと、津田の病気は明らかに見えてくるでしょう。

一方、津田の病気を追っていくことで、当時の漱石像も窺えると思います。

http://home.naver.com/k6738157/   

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136.Re: 津田の病気は「継続中」
名前:水川景三    日付:2005/12/11(日) 9:21
金正勲様、また年が移り変わろうとしているのですね。貴重なご指摘をいただきありがたく思います。西垣先生は、もう回復されたのではないかなと勝手に安心しているのですけれども・・・。「継続中」という概念は、大事な問題を含み込んでいるのだろうと思います。継続して考えて行きたいと思っています。

明石に来て「道楽と職業」を講演した中で、漱石は、社会発展に伴う個人の労働に於ける疎外の問題を衝きました。そして、真実追究の仕事をする人間は、他からの力で自己を変えさせられてはならないと明言しました。

「己を捨てなければ立ち行かぬように強いたりまたは否応なしに天然を枉げさせたりするのは、まずその人を殺すと同じ結果に陥るのです。」

時代に徴してみると、時宜に適った、あるいはとても勇気ある発言であったと思うのです。「現代日本の開化」の社会批判もそうですが、トーンとしてこちらも共通するものがあると思わせられます。

「衝濤館」から波音を聞きながら時代を見据えていたのでしょう。今、そこからは明石海峡大橋が荒波を圧して架けられています。   

131.<継続中>について 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/11/30(水) 15:54

「継続中」は漱石の思想の中核をなすもので、この掲示板でも度々述べています。

韓国漱石研究会の報告、「過去と昔」
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/kankoku%20kouen%20sanbusaku.htm

「漱石と天皇制」10
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/souseki@tennousei.htm

漱石と現代  横浜市立大学最終講義
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/souseki1.htm

などにも論及しています。

「日々通信」66号には、蘆溝橋事件については、漱石の<継続中>という言葉と関連させて記しました。
http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@66.htm

ホームページに掲載していないものでも、私の「明暗」論、「道草」論ではそれに論及しているはずです。

参考にしていただければ幸いです。 

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132.Re: <継続中>について
名前:伊豆利彦    日付:2005/12/7(水) 8:1
<継続中>の思想と同時に<変化>の思想が漱石の思考の中核にある。
この二つは矛盾していないか。
漱石の論理は矛盾の論理である。
漱石の思想、その創作方法は徹底して弁証法的である。   

129.再掲 セルマの歌 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/11/28(月) 9:16

漱石の翻訳 セルマの歌 をupしました。
「セルマの歌」を電子化してupしました。
英国から帰国した直後、神経衰弱がひどくて、しきりに英詩を書いたり、画を描いたりしていたときの作品です。

「オシアン」からの翻訳ということですが、当時の漱石は、このような浪漫的な精神状態だったようです。

家と家、氏族と氏族、民族と民族、国と国、対立は対立を呼び、ふくしは復讐を呼ぶ。

親をうしない、兄をうしない、恋人をうしない、悲しみに暮れる女、しかし、その悲しみから立ち上がり、復讐を誓う。

日露戦争の前夜でした。

これは「幻影の盾」になります。
そして晩年の「硝子戸の中」の<継続中>という思想になるのでしょう。

この悲劇の思想が「吾輩は猫である」を生んだということをどう考えるか。

漱石の根柢に生きつづけたこの詩をどう考えたらいいか。
意見、感想を聞かせていただけたら幸です。 

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130.Re: 再掲 セルマの歌
名前:伊豆利彦    日付:2005/11/28(月) 11:39
この掲示板漱石の広場のアーカイブをアーカイブ掲示板1にuploadしました。
参考に利用してください。

http://homepage2.nifty.com/tizu/keijiban/keijiban1.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/keijiban/keijiban1.htm   

127.継続中 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/11/28(月) 9:6

「硝子戸の中」を読むと、戦争の問題と病気の問題、自分の生涯の問題が重なり合って想起される様子がよく分かる。

三十 継続中

 「そりゃ癒ったとは云われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」
 この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合に出した。
「私はちょうど独乙が聯合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。私の身体は乱世です。いつどんな変が起らないとも限りません」
 或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。或人は黙っていた。また或人は気の毒らしい顔をした。
 客の帰ったあとで私はまた考えた。―― 

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128.Re: 継続中 つづき
名前:伊豆利彦    日付:2005/11/28(月) 9:12
<世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」>

そしてそれは「硝子戸の中」の

<客の帰ったあとで私はまた考えた。――継続中のものはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説明を聞いて、笑談だと思って笑う人、解らないで黙っている人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をする人、――すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥った時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。
 私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。けれども、それがどこからどう始まって、どう曲折して行くかの問題になると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨ましく思っている。>   

125.漱石の病気、そして『明暗』 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2005/11/27(日) 12:52

漱石は1916年5月26日から東京、大阪の両「朝日新聞」に『明暗』を連載しはじめる。
そして、その2日後の5月28日の日記には次のように書いている。

 糖分の検査つづき。五月二八日(?)真鍋より電話。午、晩、二九日朝、の尿を例の如くパン三分一で試すといふ。二九日送る。三十一日電話にて報告あり。午の分に出る。是は朝脳を使ふ仕事(小説一回を書く)の為だめらうとの疑。是から毎週一回宛尿の検査をやるといふ。午の分に出た糖分は前のより少量なる由。真鍋の助手は研究のため自分の小便の表を作つてゐる由。(『日記』)

『明暗』を連載しはじめたばかりだが、漱石の体からは糖が出ている。それを我慢しながら彼は、痔の病気で、津田が医者に診察を受ける場面を描いていく。
自分は胃潰瘍と糖尿に苦しみながら、他人の痔の病気を描いていくのだ。肉体の苦しみに抵抗しながら医者に病気の診断を受け、手術を受ける津田を描かなければならないというような必然性はあったのか。
それから、はたしてそれはどのようなものであったのだろう。

その時代は、非常に混迷した状況の続きであった。
漱石が『明暗』を発表する2年前の1914年6月、ボスニアのサラエボでオーストリア皇太子夫婦がセルビアの民族主義者によって殺害される事件が発生している。
その事件が始発になり、ついにドイツとオーストリアを中心とした同盟国と、イギリスやフランスやロシアなどの連合国との世界戦争が勃発する。
「経済復興」という旗を揚げ、海外への商品市場の開拓と原料供給地の確保のため、勢力を拡大しつつあった帝国主義列強のヘゲモニー争奪戦から惹起されたその戦争は予想されるものであった。

1915年ドイツはベルギーでイギリスとフランスの軍隊にガスを噴射し、これによって多くの人命を失った連合軍側も以後、化学武器で応酬し、両方とも100万人以上の死傷者を出す惨劇を演出してしまう。

悲痛な現実を鋭い視線で直視していた漱石に、その戦争はどのように映るものであったのだろう。
戦争の恐怖と残虐について具象的な言及があまり見られなかったのだが、漱石の文章は、晩年にその本質的な問題について触れ、彼の潜在的な意識を表面に浮上させ、明確な表現として遺憾なくその腕前を発揮する。

1916年新年明けに発表した『点頭録』には、具体的で明瞭なメッセージが書き込まれていた。
当時新聞を読む読者は、漱石の文章にうなずいた筈だ。
この新年のエッセイに共感を覚えていない読者は一人もいなかっただろう。

その『点頭録』を引き継いで発表された最後の小説『明暗』には、そのような明瞭なメッセージが具体的な表現として描かれてはいない。

しかし、
http://home.naver.com/k6738157/ 

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126.Re: 漱石の病気、そして『明暗』
名前:伊豆利彦    日付:2005/11/28(月) 8:57
漱石は戦争を近代文明、人間生存の根柢にある<原罪>のようなものと思い、これをどう克服するかを問題にしたのだと思う。

漱石の戦争批判は近代文明批判であり、人間批判であった。
漱石は「明暗」を自己の生涯の総決算として書いたと思う。

「吾輩は猫である」以来の漱石文学の総決算として「明暗」を考察する必要がある。

さしあたっては、「私の個人主義」「硝子戸の中」「道草」「点頭録」などとの関連で「明暗」の問題を検討する必要があると思う。

繰り返しになるが、漱石が戦争の問題を近代文明と近代の人間の問題として追求したことが重要だと思う。

病気に苦しみ、死を、目前にひかえ、自己の生涯と近代文明のあり方そのものを根柢から解明し、根本的批評をくわえるところに「明暗」は成立した。

新掲示板1に<野間君>に対する返信として、漱石と日露戦争その他について、すこし書いた。

意見を聞かせてください。   

124.新掲載 「この宿なしの小猫」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/11/23(水) 8:0

漱石は〈捨て猫〉に変身し、〈捨て猫〉の言葉で語った『吾輩は猫である』で、はじめて作家としての道を歩き始めた。

『坑夫』の主人公は家出して漂泊し、地の底まで迷って行く。『三四郎』の美禰子は自分を「お貰いをしない乞食」と言い、「迷子(ストレイシーフ)゚」と言う。

「明暗」の終りに近く、馬車で清子のいる温泉に向かう津田は、しきりに鞭打たれる惨めな痩せ馬を見て、自分自身をこの「彼の眼前に鼻から息を吹いている憐れな動物」と同じだと思う。津田は、「温泉烟ユケムリの中に乞食の如く蹲踞ウズクまる津田の裸体ハダカ姿」と形容されるのである。

〈捨て猫〉〈迷子〉〈乞食〉のイメージは、漱石の作品世界の裏と表に始めから終りまでさまざまな形であらわれ、漱石の文学世界をつらぬく一筋の赤い糸となっている。

http://tizu.cocolog-nifty.com/souseki/   

122.漱石とイプセン 返信  引用 

名前:原 伸一郎    日付:2005/10/31(月) 22:46

「戦争を語り継ぐ」MLでご高説拝読いたしております。漱石の研究者でいらっしゃる先生のお役には立たぬと思いながら一筆差し上げます。 私の父は 原 千代海(ちよみ)。イプセンの研究者でした。2006年、イプセンの没後百年まで生きていたいと願いながら、今年四月に98歳の天寿を全うしました。父は非常な読書家でもありました。漱石もずいぶんと読み込んでおりましたが、2003年、岩波書店の「図書」に四回連載で「漱石とイプセン」という一文を掲載いたしております。多くの人々にイプセンを読んで欲しいとの想いが、ある種の強引さ「あせり?」を感じさせるような筆致でつづられております。60歳を過ぎてからノルウエイ語を独学でこなし、80歳過ぎに未来車からイプセン全集を刊行した父のイプセンへの愛が、漱石の作品との対比で述べられております。ご興味がおありでしたらコピーをお送り申し上げますがいかがでしょうか。 

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123.Re: 漱石とイプセン
名前:伊豆利彦    日付:2005/11/1(火) 0:54
漱石はイプセンについて「三四郎」その他で書いていて、強い影響を受けたと思います。<漱石とイプセン>というテーマは魅力あるテーマです。私もイプセンには興味を持っています。父上のご労作を読ませていただければ、大変ありがたいことです。ぜひ、コピーを読ませてください。   

120.「虞美人草」から 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/15(土) 10:33

漱石の「虞美人草」に次の言葉がある。

「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気は中々已まないものだ」
「已まなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」
「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」
「誰が」
「小刀細工の好な人間がさ」   

117.「吾輩は猫である」 愛の第一義 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/12(水) 8:52

人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、
相互を残りなく解するというが愛の第一義
 
よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入(はい)って見るとなかなか複雑なもので十人十色(といろ)という人間界の語(ことば)はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯(ひげ)の張り具合から耳の立ち按排(あんばい)、尻尾(しっぽ)の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋(すいぶすい)の数(かず)を悉(つ)くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌(そうぼう)の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔(むか)しからある語(ことば)だそうだがその通り、餅屋は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自(みずか)ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。 

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118.Re: 「吾輩は猫である」 愛の第一義
名前:伊豆利彦    日付:2005/10/12(水) 9:18
戦争は人間の認識を硬直化する。
彼は敵だ。敵は憎い。敵は殺せ。

戦争は逆上から生まれ、人を逆上に駆り立てる。
戦争の最中に書かれたのが「吾輩は猫である」だと思えば、さまざまなことが思われる。   

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119.Re: 「吾輩は猫である」 愛の第一義
名前:伊豆利彦    日付:2005/10/13(木) 8:2
ガンジー村通信 vol. 145に次の言葉がありました。新掲示板2から再録します。

【1】いま、私たちが深く考えるべき問題(15)横山紘一から

 日本は勝れた神の国であるという国家観は当然、他国を蔑視する態度につな
がっていきます。アジアの他の民族は弱く劣っている、だから強く勝れた日本
が、ヨーロッパ列国による植民地支配から、かれらを解放し、アジアに一大帝
国を建設しようという、次のようなスローガンが唱えられたのです。
「大東亜共栄圏を建設しよう」
「東亜新秩序を確立しよう」
そして、すでに幾度か記しましたが、

「大東亜戦争ノ目標トスル所ハ我肇国ノ理想ニ淵源シ大東亜ノ各国家、各民族
ヲシテ各々其所ヲ得シメ皇国ヲ核心トシテ道義ニ基ク共存共栄ノ新秩序ヲ確立
セントスルニ在ル」

という東条英機の演説がなされたのです。
 「アジアの各国・各民族を解放し共存共栄の新秩序を確立する」という、一
見、美しい文句ですが、この裏には、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウ
ニ入レタ」意図が隠されていたのです。みずから「大東亜戦争」と称したその
戦争は、共存共栄をもたらすどころか、多くの人びとを殺すという残酷な結果
のみをもたらしたのです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000131341 

114.「吾輩は猫である」勝とう勝とうの念 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/11(火) 19:31

彼等は糸瓜の如く風に吹かれて超然と澄し切っている様なものの、その実はやはり娑婆気もあり慾気もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒している俗骨共と一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。只その言語動作が普通の半可通の如く、文切り形の厭味を帯びてないのは聊かの取り得でもあろう。 

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115.Re: 「吾輩は猫である」勝とう勝とうの念
名前:伊豆利彦    日付:2005/10/11(火) 19:38
勝とう勝とうの念は近代の精神である。

最後の年の作品「明暗」のお延を駆り立てるのも<勝とう勝とう>の念だった。

「吾輩は猫である」は日露戦争の最中に書かれたが、「明暗」は第1次世界大戦の最中だった。   

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116.Re:  「明暗」 愛の戦争
名前:伊豆利彦    日付:2005/10/11(火) 19:51
夫婦ともに近代的な自我の所有者で<勝とう勝とう>の年に駆り立てられているならば、それは、毎日が<たたかい>ということになるのではないか。

毎日土俵の上で顔を合せて相撲を取っているような夫婦関係というものを、内側の二人から眺めた時に、妻は何時でも夫の相手であり、又会には夫の敵であるにした所で、一旦世間に向ったが最後、何処までも夫の肩を持たなければ、体よく夫婦として結び付けられた二人の弱味を表へ曝すような気がして、耻ずかしくていられないというのがお延の意地であった。

愛の戦争という眼で眺めた彼等の夫婦生活に於て、何時でも敗者の位地に立った彼には、彼でまた相当の慢心があった。ところがお延のために征服される彼は已を得ず征服されるので、心から帰服するのではなかった。堂々と愛の擒になるのではなくって、常に騙し打に会っているのであった。お延が夫の慢心を挫く所に気が付かないで、ただ彼を征服する点に於てのみ愛の満足を感ずる通りに、負けるのが嫌な津田も、残念だとは思いながら、力及ばず組み敷かれるたびに降参するのであった。   

112.漱石の言葉 新掲示板2から再録 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/11(火) 16:37

2788.漱石の言葉 返信 引用

名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 15時42分
英国で中国人とまちがえられることが多かった夏目漱石は、日記に次のように書いた。

日本人ヲ観テ支那人トイハレルト厭ガルハ如何、支那人ハ日本人ヨリ遥カニ名誉アル国民ナリ、タダ不幸ニシテ目下不振ノ有様にニ沈淪セルナリ、心アル人ハ日本人ト呼バルヽヨリモ支那人と云ハルヽヲ名誉トスベキナリ、仮令然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ、少シハ考ヘテ見ルガヨカラウ、西洋人ハヤヽトモスルト御世辞ニ支那人ハ嫌ダガ日本人ハ好キダトイフ。之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方ガ景気ガヨイトイフ御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ。

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2789.「吾輩は猫である」から
名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 15時57分
元来黒は自慢をする丈(だけ)にどこか足りないところがあって、彼の気焔(きえん)を感心したように咽喉(のど)をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御(ぎょ)しやすい猫である。

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2790.「点頭録」から
名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 16時0分
 個人の場合でも唯喧嘩に強いのは自慢にならない。徒(〔いたず〕)らに他(ひと)を傷(あや)める丈である。国と国とも同じ事(こと)で、単に勝つ見込があるからと云つて、妄(〔みだ〕)りに干戈(〔かんか〕)を動かされては近所が迷惑する丈である。文明を破壊する以外に何の効果もない。勝つたものは勝つた後(あと)で、其損害を償ふ以上の貢献を、大きな文明に対してしなければならない筈である。少なくとも其心掛がなくてはならない筈である。

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113.Re: 漱石の言葉 新掲示板2から再録 続
名前:伊豆利彦    日付:2005/10/11(火) 16:38
2791.Re: 漱石の言葉
名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 16時4分
漱石が英国に留学していた時期は、中国で義和団事件がおこり、日本でも英国でも、中国に対する評判は散々だった。
中国を野蛮で蒙昧な後進国とし、軍隊を派遣して、これを鎮圧するのが当然だと思われていた。

八ヶ国連合が鎮圧に派遣され、北京にまで攻め込んだ。
日本は隣国だからというので、もっとも多くの軍隊を派遣し、もっとも勇敢に戦って、西洋人からほめられた。

これについて、英国留学中の漱石は次のように書いている。

  人は日本を目して未練なき国民といふ。数百年来の風俗習慣を朝食前に打破して毫も遺憾と思はざるはなるほど未練なき国民なるべし。去れども善き意味にて未練なきか悪しき意味において未練なきかは疑問に属す。西洋人の日本を賞讃するは半ば己れに模傚し、己れに師事するが為なり。その支那人を軽蔑するは己れを尊敬せざるが為なり。彼等の称讃中にはわが国民の未練なき点をも含むならん。去れどもこれを名誉と思うは誤なり。深思熟慮の末去らねばならぬと覚悟して翻然として過去の醜穢を去る、これよき意味において未練なきなり。目前の目新しき景物に眩(くらま)せ られ一時の好奇心に駆られて百年の習慣を去る、これ悪しき意味においての未練なきなり。沈毅の決断は悔(くゆ)る事なかるべく、発作的の移動はまた後戻(あともど)リする事あるべし。日本人は一時の発作 にて凡ての風俗を棄てたる後また棄てたるものをひろひ集めつつあるなり。俳句は棄てられてま た興りぬ。謡は廃せられてまた興りぬ。

 

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2792.Re: 漱石の言葉 「思い出すことなど」
名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 16時18分
 進んで無機有機を通じ、動植両界を貫(つらぬ)き、それらを万里一条の鉄のごとくに隙間(すきま)なく発展して来た進化の歴史と見傚(みな)すとき、そうして吾ら人類がこの大歴史中の単なる一頁(ページ)を埋(うず)むべき材料に過ぎぬ事を自覚するとき、百尺竿頭(ひゃくせきかんとう)に上(のぼ)りつめたと自任する人間の自惚(うぬぼれ)はまた急に脱落しなければならない。支那人が世界の地図を開いて、自分のいる所だけが中華でないと云う事を発見した時よりも、無気味な黒船が来て日本だけが神国でないという事を覚った時よりも、さらに溯(さかのぼ)っては天動説が打ち壊されて、地球が宇宙の中心でなかった事を無理に合点(がてん)せしめられた時よりも、進化論を知り、星雲説を想像する現代の吾らは辛(から)きジスイリュージョンを甞(な)めている。

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2793.Re: 漱石の言葉 
名前:伊豆利彦 日付:10月11日(火) 16時31分
「文芸と道徳」から

有体に白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少混った人間なる一種の代物で、砂もつき泥もつき汚ない中に金と云うものが有るか無いかぐらいに含まれているくらいのところだろうと思う。   

111.私の個人主義 レジメ  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/10(月) 11:58

権力 自分の個性を他人の頭の上に無理矢理圧し付ける道具
金力 他人の上に誘惑として使用し得る道具として至極重宝なもの

◆権力を振り蒔いて、他を自分のようなものに仕立上げようとする
◆金を誘惑の道具として、其誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする

◇自分の個性が発展できるような場所[本領 中腰]
他人に対しても其個性を認めて、彼等の傾向を尊重するのが理の当然
◆自我 自覚 他人の自我 公平の眼 正義の観念
◆我々は他が自己の克服のために、己れの個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならない 妨害し得る地位 義務の付着して居らない権力というものが世の中にあろう筈がない

◆私の考えによると、責任を解しない金力家は、世の中にあってはならないものです。
◆金銭 至極重宝 どんな形にでも変わって行くことが出来る [永日小品]
◆そのうちでも人間の精神を買う手段に使用出来るのだから恐ろしい[野分]人間の徳義心を買い占め る、即ち其人の魂を堕落させる道具とするのです。
◆相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力 不都合 実際その通りに金が活動するなら・・・
◆見識の必要 見識に応じて、責任を以てわが富を処置しなければ世の中に済まない いな自分自身にも済むまい

1)自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、 同時に他人の個性も尊重しなばならない。
2)自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務
3)自己の金力を示そうとするなら、それに伴う責任

◆もし人格のないものが無闇に個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。

◇イギリス 自由を愛する国でありながら、秩序の行き届いた国 嫌いではあるが事実
自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会教育
彼等の自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。
義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考える
そういう我が儘な自由は決して社会に存在し得ない 存在してもすぐ他から排斥され踏み潰される に極まっている。

個人主義 
金力権力の点に於て其通りで、俺の好かない奴だから畳んでしまえとか、気に喰わない者だから遣っ付けてしまえとか、悪いこともないのに、ただそれらを濫用したら何うでしょう。人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸も其処から起こらなければなりません。たとえば私が何も不都合を働かないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたら何んなものでしょう。警視総監に夫丈の権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。

◇又は三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うという丈の意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、是又何んなものでしょう。もし彼等の金力の背後に人格というものが多少ともあるならば、彼等は決してこんな無法を働く気にはなれないのであります。

以下110につづく   

110.「私の個人主義」から 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/10(月) 9:35

「私の個人主義」の一部を記します。

◆党派心がなくて、理非がある主義 朋党を結び団体を作って、権力や金力のために盲動しないということなのです。
◆人に知られぬ淋しさ
◆個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、或場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。それはその筈です。槙雑木まきざっぽうでも束になっ ていれば心丈夫ですから。
◆一体何々主義ということは私のあまり好まない所で、人間がそう一つ主義に片付けられる者ではあ るまいとは思いますが・・・・・

◆国家主義 個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱導するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気た筈は決してあり洋画内のです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時に又個人主義でもあるのあります。

◆理論というよりも寧ろ事実から出る理論 つまり自然の状態がそうなって来るのです。国家が危うくなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨張して来る、それが当然の話です。
◆私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事頭巾が必要だと云って、用もないのに窮屈が る人に対する忠告も含まれている・・・・

◆国が強く、戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂なければない程、国家的観念は少なくなって然るべき訳で、其空虚を充たす為に個人主義が這入って来るのは理の当然・・・・

◆日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家々々と騒ぎ廻る必要はない筈です。火事の起こらない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中を駈け歩くのと一般であります。

◆国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。
◆国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、余程低級な道徳に甘んじて平気でいなければならな いのに……徳義心の高い個人主義に矢張重きを置く方が、私にはどうしても当然のように思われます。   

109.「三四郎」の言葉  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/10/6(木) 8:49

新掲示板2に書き込んだものを参考のため重複掲載します。

2767.「三四郎」の言葉
名前:伊豆利彦 日付:10月6日(木) 8時45分
漱石枕流さん、投稿に感謝します。
私も同感です。

日刊ゲンダイの言葉は、鋭くて、共感することが多いが、おっしゃるような弱点もあると思います。

「三四郎」の広田先生が与次郎を批評した言葉を思い出します。

<実質もなければ、品位もない、まるで救世軍の太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。>

そのまま日刊ゲンダイの記事にあてはまるとは思いません。
広田先生は与次郎に依存し、与次郎を愛していました。
与次郎に対する批評は、現代の進歩的で積極的な若者の欠陥をついていると思います。
先生は若者を愛しながら批評していた。
あるいは、批評しながら、愛していた。

その広田先生は先生を敬愛する与次郎から批評される。
三四郎も、一面で先生に感心し、一面で、その観念性を批評します。
相互の批判が交錯する言語空間が「三四郎」のせかいなのでしょう。   

108.漱石や明治は遠くなりにけり――司馬遼太郎の問いかけ 返信  引用 

名前:ゼファー生    日付:2005/9/27(火) 1:21

「日本ペンクラブ:電子文藝館」や赤旗 9月22日付け文化欄の記事を読み、ちょっと、感じることがあって、小文を書いてみました。よろしかったらお読み下さい。
http://palm.nishinari.or.jp/?%BD%BD%C7%AF%B0%EC%EB%B4%C1%F3%E3%D6%CC%B4%2F2005-09-27   

105.「漱石と鎌倉市長選」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/9/15(木) 11:51

16日に夜7時から鎌倉生涯学習センターで<なかち漱祐さんと市政を語り合う会>が開かれ、仲地さんのほかに、私も「漱石と鎌倉市長選」という題で話をすることになった。

いまからでは間に合わないかもしれないが、お近くの方で、興味のある方はどうぞ。 

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106.Re: 「漱石と鎌倉市長選」
名前:水川景三    日付:2005/9/15(木) 16:4
仲地漱祐さんの出馬は正式決定となったのでしょうか。平和と暮らしと文化、憲法を守る立場でぜひ頑張って頂きたいと思います。   

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107.Re: 「漱石と鎌倉市長選」
名前:伊豆利彦    日付:2005/9/15(木) 19:30
10月16日告示、23日投票で、いま、候補者活動中です。   

104.漱石の偏見論 自然の復讐 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/9/15(木) 11:8

漱石雑談に<漱石の偏見論 自然の復讐>を掲載しました。
http://www.ngendai.com/   

102.仲地漱祐さんの立候補について 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/8/30(火) 16:57

仲地漱祐さんが鎌倉市長選挙に立候補を決意された。仲地さんは漱石のお孫さんである。4女愛子さんの長男だ。お婆さんすなわち鏡子夫人が、ぜひ、漱の字をつけるようにと言われ、漱祐と命名されたという。多分、はじめての男の孫だったのではないか。
長女筆子さんのお嬢さん、松岡陽子さんが、とてもかわいらしい子だったと回想しておられる。

椿わびすけさんの掲示板に関連記事があるので参照してくだされば幸いである。

いまもそのかわいらしさは残っているように思う。
漱石は100年の後に生きることをねがった。
漱石は単に文学史に名が残るのではなく、自分の精神が100年後の人の血脈に生きて、社会的な意識を形成するのに役立つことを求めるのだと言った。

この漱石の思いはその作品を通じて、いままさによみがえり、大きな影響を与えている。すくなくとも私は、その精神をよみがえらせる仕事をしているつもりである。多くの研究者は、漱石のこの言葉をどう思うだろうか。多分、彼らはこの言葉をあまり重視していないだろう。私のたたかいは、漱石を現代によみがえらせるために、漱石を矮小化する研究者によって流布された陳腐な漱石像をこわし、漱石をいまによみがえらせることだ。

ところで、漱石の血脈を継ぐ漱祐さんが、決然と立たれたことは、ほんとうにうれしい。私のできる限りのことをしたい思いである。

関連記事が椿わびすけさんの掲示板にある。
松岡さんのメールもある。
参照していただければありがたい。
 ↓
http://hpmboard1.nif.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ANC56573 

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103.Re: 仲地漱祐さんの推薦文
名前:伊豆利彦    日付:2005/8/30(火) 19:34
仲地漱祐さんの推薦文   

 仲地さんは夏目漱石のお孫さんである。四女愛子さんの長男、一九四六年(?)の生れである。漱石の鏡子夫人が存命中で、漱の一字をその名につけるように強くいわれ、漱祐と命名されたのだという。漱石の精神がこの孫に伝わることを念願されたのであったろう。
 私は仲地さんには漱石の精神がはっきり受け継がれていると思う。
 仲地さんは栄光学院中学に入学されたが、ドイツ人の言いなりになる校長に抗議したため、栄光の高校に進むことができず、関東学院高校に移って同校を卒業されたという。
 弱きをたすけ強きをくじくのが私の精神だと仲地さんは言われる。
 これが漱石の精神だ。私は仲地さんとお話しながら、事ごとに漱石を思い出しまして愉快だった。
 漱石は百年の後に生きることを望んだ。
 鎌倉は漱石が愛した古都です。私は漱石が、いま鎌倉に生き返って新しい時代のために奮闘するのを見る思いで、仲地さんの奮闘を期待します。
http://hpmboard1.nif.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=ANC56573   

101.映画「吾輩は猫である」 返信  引用 

名前:名無しの探偵    日付:2005/8/22(月) 18:47

戦前の作品でこの映画を観る。主人公の苦沙味先生には丸山(原爆で亡くなった人)氏、友人の迷亭には徳川夢声といった配役。
戦後に活躍していた俳優が駆け出しの役者で出ていた。(学生役など)
清川虹子が隣人の車夫の女房で出ていた、中年の頃と変わらぬ容貌なのですぐ本人と判明。
同姓の清川玉枝が鼻に細工して寒月君(北沢彪)のお見合い相手の母で
いろいろと物議をかもす役で出ていた。
戦後もこの作品はいくつか映画化されたはずだが、丸山氏の演技に注目する私としてはこの猫の映画化作品が一番気に入っている。   

100.毎日新聞記事 夏目漱石:『明暗』韓国語訳を刊行 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/8/16(火) 11:20

夏目漱石:『明暗』韓国語訳を刊行 世界文学としての漱石研究に期待
2005.08.12 毎日新聞大阪夕刊 7頁 文化 写図有 (全879字) 

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 夏目漱石(1867~1916年)の最後の作品「明暗」が、韓国の漱石研究者によって初めて韓国語に訳され、先月、韓国の汎友社から刊行された。漱石文学の中で最高峰との評価もある「明暗」の翻訳は、漱石の主要な作品が既に翻訳されている韓国内での漱石研究に弾みをつけると期待されている。

 「明暗」は漱石が死去する1916(大正5)年、朝日新聞に188回にわたり連載された小説。未完で、漱石作品中、最も長い。執筆中の漱石が「則天去私」の境地に達したことでも有名だ。

 韓国版『明暗』=写真=は解説・年譜を含め564ページ。韓国・全南科学大学で日本近代文学を教えている助教授の金正勲(キムチョンフン)さん(43)が翻訳した。

 金さんは韓国の朝鮮大学校国語国文学科を卒業後、日本に留学し、関西学院大学大学院で文学博士号を取得。01年には漱石の作品論『漱石~男の言草・女の仕草』を日本語で出している。

 金さんによれば、韓国では日本の近現代文学を研究対象にした学会が、73年から現在までに主要なものだけで10近く生まれた。研究者が重視する芥川龍之介、川端康成、島崎藤村ら近代文学の作家の中でも、漱石の作品が最も多く研究の対象にされている。

 01年には、韓国の漱石研究者による論考集『夏目漱石文学研究』が発刊されるなど研究が本格化しているが、未訳の作品があり、日本での優れた漱石論の翻訳が十分でないという。

 金さんは「日本が近代国家として歩む中での男女関係や個人の苦悩、社会への懐疑的な見方など、漱石作品に描かれたことは普遍的な問題として今も私たちをとらえる。『明暗』の翻訳が韓国での漱石研究を深める手助けになればうれしい」と語る。

 金さんに翻訳を勧め、巻末の解説を執筆した漱石文学研究者で、相愛大学人文学部教授の鳥井正晴さん(58)は「『明暗』は漱石文学の最高峰であるばかりでなく、『源氏物語』のように千年の命脈を保つ世界文学だと思う。現在、英語、中国語、仏語の翻訳があるが、韓国語訳で、漱石文学の豊かさがより多くの人に伝えられることは大きな意義がある」と話している。【有本忠浩】

毎日新聞社

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97.「日本ペンクラブ電子文藝館」よりお知らせ 返信  引用 

名前:椿 わびすけ    日付:2005/8/4(木) 0:45

伊豆先生

「日本ペンクラブ電子文藝館」より喜ばしいお知らせメールが到着しましたので、ご紹介いたします。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

メールタイトル 「どうぞ ペン電子文藝館に投稿を 秦恒平」

 下記のようなことを「電子文藝館」http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/ ではじめます。
 ご参加をお願いし、加えて、趣旨をご吹聴いただければ幸いです。

 日本ペンクラブでは、かねて委員会でも理事会でも総会報告でも話題にしてきましたが、「ペン電子文藝館」は、「読者」の皆さんとの間に、「絆」と言いましょうか「通路」といいましょうか、そういう工夫をぜひにと考えてきました。
 展観作品はもう六百を越し、遠からず千作品にも必ず達します。
 そんな時、たまたま一読者より、最近本館に展示された五人の詩人の作品について「投稿」がありました。内容は真摯で見るべき内容にみ、委員会は大いに歓迎し感謝しました。

*「読者の庭」を開園します。
 今後もこういう、展観作品に触れた「作品論・作家論」や、もっと膨らみのある「評論・鑑賞・感想」が寄稿される気運にあるならまことに喜ばしいと、電子文藝館に新たに「読者の庭」を設け、随時それら投稿を展示し国内外に発進して行きたいと決しました。
 但し、委員会で内容を審査させて頂きます。主には、謂われない誹謗や雑言が加えられるのを排したく、また日本ペンクラブの掲げるペン憲章等との齟齬を見ますと共に、何といっても文章のもつ価値・品位をそれなりに計らせて頂きます。そのことはしかし、作品や作者への阿諛追従はもとより、やたら称讃の文章を望んでいるというのでは決してありません。「読者」の当然の権利として忌憚ない率直な文章がもたらす好刺激をこそ望んでいますし、読者同士の、時には読者と作者との論争をすら内心期待しています。
 およそ一万字前後を基準にし、難漢字、よみがな、オドリ字、傍点等については「本館」の基準に従い委員会で調整します。その範囲内なら、展示されている諸作品・諸作者群への「触れ方」に特に制限を設けませんが、時に具体的にご相談することもあります。
 また採否についての質疑の応酬は致しません、ご承知下さい。
 お断りしておきますが、当面、投稿は展観作品・作家(群)へのいわゆる「評論・鑑賞・感想」に限ります。小説や詩歌等の「創作」については、いずれ別の提案をする機会がありましょう、此処ではそれらを含みません。
 今回投稿されました神津ふみ子さん(静岡)の文章を、先ず「読者の庭」に掲載し、随時投稿のあるに従い、本館同様の方法で掲載して行きます。愛読者、学生諸氏の参加を待望します。
 この「庭」から、第二の小林秀雄や伊藤整や中村光夫や山本健吉の誕生を楽しみにしたいと「ペン電子文藝館」は願っています。  館長・理事

掲載料は不要、原稿料も出ません。
http://homepage1.nifty.com/xkyou/index.html 


http://homepage1.nifty.com/xkyou/index.html    

95.セルマの歌 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2005/7/11(月) 9:56

漱石は、日露戦争の前夜、オシアンから

セルマの歌 new
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/serumanouta.htm
カリックスウラの詩 new
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/karitukusuura.htm

を翻訳して発表した。

新しくupしたので、読んでいただければ幸いである。

戦いにに死んだ男を嘆く女の歌である。
漱石は戦争の不条理を思うと同時に、その避けがたさを嘆いた。

戦争は避けがたく、悲劇は必然である。
それ故に、それを避ける努力を説いた。
人間の自然の感情を重視するとともに、その悲劇性を痛感した。
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/serumanouta.htm 

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96.Re: セルマの歌
名前:伊豆利彦    日付:2005/7/11(月) 22:45
漱石にとって、戦争は原罪のようなものだったのかも知れない。
宿命のようなもの
人間がある限り戦争をつづける。

しかし、それは、避けるべきものだった。

人間というもの
努力

<悲劇はついに来た>という言葉
<道義>の再建
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/serumanouta.htm 

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2008/2/5(火) → 2009/11/11(水) 22:9

2008/2/5(火) → 2009/11/11(水) 22:9

293.「漱石の思想と文体」をupしました。 返信  引用 

名前:伊豆利彦     日付:2009/11/11(水) 22:9

私が35歳のときの最初の漱石論ですが、現在まで継続して追及している問題が提起されているので、我ながら驚いています。この論文が私の文学研究の転換点だったと思います。関心のある方はご一読ください。
http://tizu.cocolog-nifty.com/ronbun/   

291.漱石の著作について 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2009/6/13(土) 1:14

私は、一介の会社員ですが、土居健郎氏の有名な「甘えの研究」によって漱石文学を愛読するようになった者です。数々の精神分析的な示唆に富んだ著作は、私たちの心に訴えてやみませんが、私の子供をはじめとして、若い世代に読まれていないことを残念に思っています。
企業という利益追求の世界に身を置く者にとって、漱石の著作が生活に潤いを与えることを実感しています。
青年たちが、「坊ちゃん」「夢十夜」などから、豊かな精神世界に触れてくれればと願っています。漱石が亡くなった年齢になってみて、しみじみとその偉大さを思っています。 

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292.Re: 漱石の著作について
名前:都民    日付:2009/9/29(火) 13:19
岩波文庫の『夢十夜』を読んだ。幻想文学といってよい夢幻的世界だった。幻想作家漱石を感じた。   

 
返信  引用 

名前:伊豆利彦     日付:2008/6/26(木) 19:1

英国に留学した漱石がなによりも強く貧富の差に注目し、欧州近代社会は失敗だったといった意味が、いま、あらためて強く思われる。国内的な格差、国家間、民族間の格差、漱石は植えた下層の人々、東洋の人々の生活を見つめ、繁栄のロンドンを見つめていた。義父に宛てた所感の意味、ノートに記した学問の目的についての言葉が思われる。 

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272.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:2008/8/9(土) 10:54

漱石は明治43年1月5日『東京朝日新聞』に次のように述べた。

一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。   

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273.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:2008/8/10(日) 21:28
漱石はフランス革命、パリ・コミューンに言及をしているのでしょうか?
「阿蘇の噴火」だけでしょうか?

出先のネットカフェなので年代の記憶は曖昧で検索もしていませんが、キーワードとしては「クロポトキンのロンドン亡命」時期

              Kameda                

http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/

http://d.hatena.ne.jp/futei/

http://yamanohon.exblog.jp/m2008-08-01

 
http://yamanohon.exblog.jp/8394339   

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274.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:2008/8/11(月) 9:59

シンチェホは次のように述べた。

歴史とは何か。人類社会の<我>と<非我>の闘争が時間に発展し、空間に拡大する心的活動状態の記録である。(略)

何を<我>と言い、何を<非我>と言うのだろう。深く掘り下げることまでもなく、いわば主観的位置に立っているものを<我>と言い、その他のものを<非我>と言う。要するに朝鮮人は朝鮮を<我>と見て、英・露・法(フランス)・米などを<非我>と見る。<略>
無産階級は無産階級を<我>と見て、地主や資本家を<非我>と見る。

漱石の「文学論」序、「創作家の態度」、「マードック先生の『日本』歴史」の言葉がしきりに思い出されるのはなぜか。   

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275.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:2008/8/11(月) 17:1
 前の書き込みは、説明抜きの内容なので改めて…
「欧州社会」という概念が出されたとき私が真っ先に想起したのは
『二百十日』でした。

1906年発表の「二百十日」
テキスト引用は「青空文庫」よりコピー・貼付け (ルビ)

 ディッキンスの両都物語(りょうとものがた)りと云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国(ふっこく)の革命の起る前に、貴族が暴威を振(ふる)って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝(ね)ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟(りくつ)だからね。ほら、あの轟々(ごうごう)鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留(ど)まって、黒い煙の方を見る。
 濛々(もうもう)と天地を鎖(とざ)す秋雨(しゅうう)を突き抜いて、百里の底から沸き騰(のぼ)る濃いものが渦(うず)を捲(ま)き、渦を捲いて、幾百噸(トン)の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍(おど)り上がって来る。
 雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅(あつ)めて、余念もなく眺(なが)めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、
「雄大だろう、君」と云った。
「全く雄大だ」と碌さんも真面目(まじめ)で答えた。
「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。
「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云う。
「革命か」
「うん。文明の革命さ」
「文明の革命とは」
「血を流さないのさ」
「刀を使わなければ、何を使うのだい」
 圭さんは、何にも云わずに、平手(ひらて)で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返(へん)叩(たた)いた。
「頭か」
「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」
「相手は誰だい」
「金力や威力で、たよりのない同胞(どうぼう)を苦しめる奴らさ」
「うん」
「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」
「うん」
「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」
「うん」
「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩(たた)きつけなければならん」
「うん」
「君もやれ」
「うん、やる」

クロポトキンはフランス革命に関する著述がありヨーロッパの各言語に翻訳、ロンドン亡命中。

 有島武郎はロンドンにてクロポトキンと面談、1906年か?
http://yamanohon.exblog.jp/8394339/   

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276.資料としてシン・チェホの「朝鮮革命宣言」紹介
名前:Kameda    日付:2008/8/11(月) 17:24
 下にスクロールをして

 五章(漢数字五)が眼目 
http://d.hatena.ne.jp/futei/20080101

「民衆文化を提唱する為奴隷的文化思想を破壊する所以なり。」
http://yamanohon.exblog.jp/8394339/   

268.1010年前後の時代状況 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2008/5/13(火) 20:10

Kさんから面白い情報が入りましたので、ここに紹介しておきます。
  ↓

 朝鮮の主要な左右合作、民族独立運動組織の運動指針として採択、韓国臨時政府の綱領)が幸徳秋水たちに影響を与え幸徳秋水、堺利彦ら連名で「朝鮮への植民地的支配強化への抗議声明」(1907年7月21日)を発表します。

 このことは、いかに当時の日本の社会主義者の朝鮮の独立運動に対する認識が低かったかをあらわしています。

 漱石を擁護するわけではありませんが、日本社会の変革に対する意識が先鋭的な幸徳たち社会主義者ですら、そのような意識であったわけですから文学者の漱石が朝鮮民衆に「同情」的であっても、被植民地民衆の立場に近づき得なかったのは止むを得なかったのではないでしょか。

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269.Re: 1010年前後の時代状況
名前:金 正 勲    日付:2008/5/13(火) 20:27

多喜二がいま日本で新たに蘇るということは、どのような意味を持つのであろうか。
特に日本の若者に読まれている事実に注目したい。

漱石には多喜二のような激しさは見られない。
しかし、国家に立ち向かっていく1910年前後の漱石の足跡を追跡してみれば、闘争する漱石像が新たに見えてくるのではないか。

漱石の内部と外部のたたかいがもっとも激烈な時であったに違いない。   

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270.Re: 1010年前後の時代状況
名前:金 正 勲    日付:2008/5/14(水) 20:41

1010年→1910年に修正。   

267.夏目漱石 1910年夏、胃腸病院入院中の断片 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/4/19(土) 10:29

「アルismヲ奉ズルハ可。 他 ノismヲ排スルハlifeノdiversityヲunifyセントスル智識欲
カ、 blindナル passion[yuouthful]ニモトヅク。 さう片付けねば生きてゐ られぬのはm
onotonousナlifeデナケレバ送レヌト云フ事ナリ。 片輪トモ云ヒ得ベシ。lifeハactionニ
テdeterminateナリ思想(感情)ニ於テindeterminateナリ。 indeterminateナルハ茫漠ナル
故ニアラズ。 アラユルalternativeヲ具備スル故ナリ」「Lifeノharmonyトハアラ ユルel
ementsが援ケ合フテone endニleadスルノ意ニアラズ。oposing elements,カンセリングfa
ctorsニdue placeヲ与ヘテvaluationノgradationヲツケルコトナリ。ダカラ結果ハresult
antナリ。additionニアラズ。dualismニテモtrialismニテモ差支ナシ。 elementsニbalan
ceガ取レタトキハinactivityデ差支ナシ」   

264.Kさんからの情報 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2008/4/2(水) 13:4

本題は梶村秀樹『近代朝鮮史学史論ノート』(1969年)かどうか分からないが、次のように書いてあるそうだ。Kさんは「漱石に言及している部分の半分くらい」と述べている。残りの半分はどのような内容だろう。

「かれの写真を眺めていると、ふと中国の魯迅と日本の夏目漱石と朝鮮の申采浩という連想が浮んだ。……そういえばよく似ているところがあって、その上似ていないところもあるようだ。……試しに生没年を調べてみると、漱石がちょっと早くて1867年生まれ、申采浩が80年、魯迅は81年、死んだのも漱石がちょっと早くて1916年、申采浩と魯迅は全く同じ1936年である。

 三人とも、ほぼ同じ世代の、状況と自己から目を離さなかった、ほんものの知識人である。

 生活としごとの領域のちがいは、三国それぞれの問題状況のちがいによるものだろう。漱石の生活は少なくとも表面安泰であり、その安泰の中での憂鬱を作品にほぼ昇華させつくして、畳の上で死んだ。魯迅は、半植民地中国の矛盾の焦点である上海で悪戦苦闘しながら、寂寞の中で死んだ。申采浩は、赤貧洗うが如き亡命生活のすえ、八年間もの獄中生活の辛酸をなめ、生命を奪われた。
 
 魯迅と申采浩とは、ともに状況への応接にいとまなく、むしろ多くの時論にその本領の片鱗を示し、ゆっくりと長大な作品に自己の思想を表現しきることなく終った。それでも魯迅には、苦渋の結晶である相当数の短編小説があるのに対し、申采浩はより具体的な歴史学の領域まず精力を傾注せざるをえなかった。ただ、かれが余技のごとくに書き残した数編の短編小説があって、それがやはり奔放な空想をまじえた歴史小説であることが注意をひく。

 この思いつき的な三人の対比が妥当であるかどうかは、比較文学論か何かの専門家にでも、状況的なものと個性的なものとをみわける綿密な検討をこいたい。たしかに申采浩の作品は、文学技法上熟したものではないかもしれない。しごとのジャンルのちがいのために、この対比は、一無理なこととみえるかもしないが、人間的・思想的対比としてそれほど突飛゛ないような気がしている。いずれにしても、ほかの二人とくらべて、あまりにも不釣合いに、申采浩は日本では読まれていないというべきではないだろうか?」 

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266.Re: Kさんからの情報
名前:坊ちゃん    日付:2008/4/2(水) 22:36
申采浩の作品はもっと日本文学研究者たちは光をあてるべき作家です。

そして魯迅と申采浩は、漱石をはるかに乗り越えた人ではないでしょうか。

同時代の日本文学を見渡しても、わずかに対峙しているのはプロレタリア文学くらいではないでしょうか。   

258.横浜市大は死に体 返信  引用 

名前:憂鬱なる党派    日付:2007/12/23(日) 23:58

「しかし、本当に正直言って、さっきのごまかしということをで言えば、今大学に残っている人たちも、ごく少数の例外をのぞいては、ほとんどごまかしていると思うし、それから、ぼく自身が大学をやめたことの中に、ごまかしがなかったかと問いつめられてゆけば、どこには全面的に否定出来る自信もないわけです。」
(「解体と創造」高橋和巳x日高六郎 対談 日高氏の発言 1970年10月)

あれから,残った人たちによって,いま大学は解体されていきます.
ほとんど教員は逃げること(やめるのではない)と任期制における処遇のことばかりしか考えていません.
(生活がかかっている以上,その闘いも大事ではありますが)
そんな教育者たちが,今の教育を受けた学生たちが10年後,20年後にどうなるかなんて真面目に心配しているわけがない.
大学改革が,一部の権力者だけによってなされたとは思いません.
そのような事態を招き,またそれに何の抵抗もできなくなってしまった学問について自ら問う必要があります.
何の反省も責任も感じない研究者・教育者には自己否定が必要であります. 

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261.Re: 横浜市大は死に体
名前:パルタイ    日付:2008/1/20(日) 2:13
解体する主体すら逃げ出す始末!
http://university.main.jp/blog5/archives/2008/01/post_992.html   

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263.「シクラメンのかほり」といふより学問の死臭が漂ふ
名前:何でも見てやろう    日付:2008/2/26(火) 1:52
横浜市立大学、新学長に布施明の兄・勉氏
 横浜市立大は25日、任期途中で辞任するブルース・ストロナク学長の後任に、横浜市代表監査委員で、同大名誉教授の布施勉氏を決定したと発表した。任期は4月1日から4年間。

 ストロナク学長は4月からテンプル大学ジャパン(東京都港区)の学長に内定したことに伴い、任期を2年残し退任を表明。学長選を行わず、外部識者を含む6人で構成する選考会議で布施氏を選出した。

 布施氏は横浜市立大の文理学部教授、副学長などを歴任し、平成18年に退職。専攻は国際法。ヒット曲「シクラメンのかほり」で有名な歌手、布施明の実兄。
http://www.sanspo.com/sokuho/080225/sokuho071.html   

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265.Re: 横浜市大は死に体
名前:吾輩は猫である    日付:2008/4/2(水) 22:31
 文学博士の学位を与えるので出頭せよ。文部省から通知を受けた夏目漱石は辞退する旨の手紙を書いた。「ただの夏目なにがしで暮したい…」と。1911年(明治44年)のことである◆結局は一方的に授与されたらしい。明治大学から卒業式の来賓招待状が届いたときは、博士の肩書を見とがめ、「愚弄(ぐろう)されているような厭(いや)な心持」だと明大に抗議している(岩波文庫「漱石書簡集」)◆誰もが「ただの…なにがし」で世を渡れるわけでもない。「足の裏の飯粒」と同じで取らねば気分が悪く、取っても食えない――ともいわれる博士号だが、学問を志した人には心の躍る里程標であろう◆横浜市立大学医学部の「謝礼」問題が世を騒がせている。学部長や教授が、医学博士の学位を取得した大学院生などから“長年の慣例”として現金を受け取っていたという◆学位認定を審査する立場の人が謝礼をもらえば、何らかの手心を加えたと疑われても仕方がない。慣例に従って何十万円かを差し出す大学院生のなかには、おのが学問を「愚弄されているような厭な心持」になった人もいただろう◆「吾輩(わがはい)は猫である」の猫は、のんきに暮らす教師の主人を見て言う。「人間と生れたら教師となるに限る」と。のんきも結構だが、贈収賄と紙一重の慣例を何とも思わないのでは度が過ぎる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080320-OYT1T00560.htm   

98.夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2005/8/6(土) 13:33

夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳

[ソウル新聞 2005-07-18]

日本文学最高の国民作家と呼ばれる夏目漱石の最大長編、最後作品『明暗』が国内で最初に翻訳、出刊された。(金正勲翻訳、汎友社発行)

漱石の名声にふさわしく彼の代表的作品は、韓国で大部分出版された。しかし、彼の最大長編と称される『明暗』はまだ韓国語に翻訳されていなかった。アメリカでは1971年漱石研究者、現ハワイ大学名誉教授Valdo Viglielmoによって翻訳され、多くの読者に脚光を浴びてきたのであり、中国語やプランス語でももう翻訳されている状態である。

このような『明暗』が今度夏目漱石研究者、全南科学大学金正勲教授によって翻訳されたのだ。

1916年5月26日からその年12月14日まで、188回にわたって東京朝日新聞と大阪朝日新聞に発表された『明暗』は、人間のエゴイズムを表現した多くの作品の中でも最高の傑作として評価されており、500篇以上の論文が発表されるほど多様な論議が進められている。

『明暗』は津田とお延という一カップル「夫婦の物語」である。自尊心強いエゴイスト津田と愛に対する虚栄心いっぱいのお延、この夫婦が多様な周辺家族の構成員と絶えず葛藤と緊張を形成し、解消していく過程を描いている。

夫婦の経済的な問題と、津田の昔の女性問題が二つの軸を成している物語は、主人公夫婦の纎細な心理描写と、続く対話を通じて、登場人物たちの内面を深く描き出している。

漱石の小説が主に男性の目から女性の内面を描くのに沒頭してきたのに対し、『明暗』は、女性の視点を強調しているという点からみても、読者に目新しい感じを与えてくれる。

この作品は188章で構成されているが、作品内での時間は、2週間にも及ばない短期間の経路を辿りながら進行する。また188章で主人公津田とお延が登場しないところは一箇所もない。それだけこの作品は、主人公津田とお延の夫婦生活を通じて、その暗いところから明るいところへ転換する内容を描き出そうとした。

さらに近代的自我の内的宿命が持った限界を男女の愛から乗り越えている。男女の愛の問題が多くの場面と人物たちとの出会いを通じて、非常に意味深く、赤裸裸に描かれている。漱石作品中、これほどエゴイズムと愛の心理を多様に、またしつこく描いた作品はないといっても過言ではないだろう。1万3000ウォン

インタネット部
http://home.naver.com/k6738157   

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99.Re: 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
名前:伊豆利彦    日付:2005/8/7(日) 6:9
ありがとうございました。
「明暗」が韓国でもたくさん読まれ、批評されるといいですね。

あなたもそれについて発言する機会が多くなると思います。
その際、それが第1次大戦の最中に書かれたこと、それは一種のアレゴリーであること、「勝とう、勝とうとする精神」、自己を特権者であり、他に対して特別の権利をもっていると思っている津田の高慢の鼻が折られること、「大きな自然」と「小さな自然」のこと、小林のことなどにも論及して下さるとありがたいと思います。

私はいま、堀田善衛について書いています。
「解釈と鑑賞」11月号に発表予定です。

小林多喜二についての私の本が図書館協会の選定図書になったことといい、堀田がよみがえり、私のような老人に執筆が依頼されたこといい、時代の変化を感じます。
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/07/158200586_a5de.html   

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262.Re: 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
名前:れい    日付:2008/2/5(火) 22:0
> 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
>
> [ソウル新聞 2005-07-18]
>
> 日本文学最高の国民作家と呼ばれる夏目漱石の最大長編、最後作品『明暗』が国内で最初に翻訳、出刊された。(金正勲翻訳、汎友社発行)
>
> 漱石の名声にふさわしく彼の代表的作品は、韓国で大部分出版された。しかし、彼の最大長編と称される『明暗』はまだ韓国語に翻訳されていなかった。アメリカでは1971年漱石研究者、現ハワイ大学名誉教授Valdo Viglielmoによって翻訳され、多くの読者に脚光を浴びてきたのであり、中国語やプランス語でももう翻訳されている状態である。
>
> このような『明暗』が今度夏目漱石研究者、全南科学大学金正勲教授によって翻訳されたのだ。
>
> 1916年5月26日からその年12月14日まで、188回にわたって東京朝日新聞と大阪朝日新聞に発表された『明暗』は、人間のエゴイズムを表現した多くの作品の中でも最高の傑作として評価されており、500篇以上の論文が発表されるほど多様な論議が進められている。
>
> 『明暗』は津田とお延という一カップル「夫婦の物語」である。自尊心強いエゴイスト津田と愛に対する虚栄心いっぱいのお延、この夫婦が多様な周辺家族の構成員と絶えず葛藤と緊張を形成し、解消していく過程を描いている。
>
> 夫婦の経済的な問題と、津田の昔の女性問題が二つの軸を成している物語は、主人公夫婦の纎細な心理描写と、続く対話を通じて、登場人物たちの内面を深く描き出している。
>
> 漱石の小説が主に男性の目から女性の内面を描くのに沒頭してきたのに対し、『明暗』は、女性の視点を強調しているという点からみても、読者に目新しい感じを与えてくれる。
>
> この作品は188章で構成されているが、作品内での時間は、2週間にも及ばない短期間の経路を辿りながら進行する。また188章で主人公津田とお延が登場しないところは一箇所もない。それだけこの作品は、主人公津田とお延の夫婦生活を通じて、その暗いところから明るいところへ転換する内容を描き出そうとした。
>
> さらに近代的自我の内的宿命が持った限界を男女の愛から乗り越えている。男女の愛の問題が多くの場面と人物たちとの出会いを通じて、非常に意味深く、赤裸裸に描かれている。漱石作品中、これほどエゴイズムと愛の心理を多様に、またしつこく描いた作品はないといっても過言ではないだろう。1万3000ウォン
>
> インタネット部   

260.幸徳秋水 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/1/14(月) 11:2

前世紀の初頭に幸徳秋水は「我は信ず、将来米国が国家生存の危険てふこと、万一これありとせば、その危険は決して領土の狭きにあらずして、領土拡張の究極なきにあり、対外勢力の張らざるにあらずして、社会内部の腐敗堕落にあり、市場のすくなきにあらずして、富の分配の不公なるにあり、自由と平等の滅亡にあり、侵略主義と帝国主義の流行跋扈バッコにありと」と述べた。 

289.イギリス社会の格差を鋭い視線で批判する漱石 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2009/1/1(木) 20:45

漱石はロンドンでイギリス社会の格差に批評の目を注いだ。
労働者のクビキリが流行している現代、貧富の格差で生活の意欲を喪失する人が増えつつある今の時代に漱石の言葉は新たな意味として読まれる。

ただ己のみを考ふる数多の人間に万金を与え候とも、ただ財産の不平均より国歩の艱難を生ずる虞あるのみと存候。この不平均は、幾多有為の人材を年々餓死せしめ、もしくは無教育に終わらしめ、かえって平均なる金持ちをして愚なる主張を実行せしめる傾なくやと存候。幸いにして平凡なるものも今日の教育を受くれば一応の分別生じ、かつ耶蘇教の随性と仏国革命の殷鑑遠からざるより、これら庸凡金持どもも、利己一遍に流れず、他のため人のために尽力致候形跡それあり候は、今日失敗の社会の寿命を幾分か長くする事と存候。「岳父中根重一宛の書簡―1902年3月15日」 

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290.Re: イギリス社会の格差を鋭い視線で批判する漱石
名前:伊豆利彦     日付:2009/3/24(火) 17:5
イギリスの経験が生涯を通じて漱石の思想の根底となった。   

288.西郷信綱先生のこと 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/12/4(木) 7:58

   十一月二十三日の朝日新聞・追悼記事を読んで
      山本 直哉

 昨日の朝日新聞に先生の追悼記事(二十五ページの「惜別」という欄参照)が
写真入りで大きく出ていましたから、お読みになった方も多いことと存じます。
私がこれまでお会いした学者の中で最も尊敬する人物です。先生の講義はとても
素晴らしく、魅力的でしたから、文科の学生のみならず、商科の学生まで聴講に
来ました。世界のあらゆる文化遺産に精通され、国文学者ですのに、西洋文化の
話まで取り混ぜての、学生を飽きさせない講義でした。その中でとりわけ印象に
残り、私自身も同感したことのひとつは、「源氏物語」と「古事記」についての
言及でした。また、これは半ば冗談めかしたことですが、「映画は芸術ではない」
とする意見でした。「映画館から出てくる人間の馬鹿面を見れば分かる」という
ものでした。これには異論あるひともいるかも知れませんが、私は先生のおっし
ゃる通りだと思うようになりました。文学と比較しての話の中で出された言葉だ
ったわけですから、例えば小説が映画化された際の格差を前提にされているのだ
と理解できました。確かに映画を見る時間があったら、本を読んだ方がいいとい
うことです。学生には「一日三百ページ読みなさい」とおっしゃっておられまし
た。ただし、私はそれほどの読書家にはなれませんでしたが。
 先生が五十五歳で大学の教授をお辞めになり、在野の学者として、「古事記」
研究に没頭されたことは、よく知られております。その研究の合間に菜園で野菜
作りにも専念されていたとのエピソードは、朝日の記事で初めて知り、とてもほ
ほえましく思いました。野菜談義を交えて、文学論を交わしてみたいと思いまし
たが、それは今はかなわぬ願いになりました。
 私が体調を悪くして、療養のため帰郷していた時には、わざわざハガキを下さ
り、「今は小説などは読まずに、天文学の本を読んだらどうか」という主旨の言
葉が書かれていました。鬱屈していないで、広大無辺な宇宙を見詰めなさいとい
う意味が込められていました。暖かな心配りに感激したものです。
 「万葉集」の演習の折りに、私の柿本人麻呂の長歌に関する拙い発表を、先生
がかなり高く評価して下さったことも忘れられません。まことに惜しい文学者を
失ったと、心より思い、先生のご冥福を祈ります。   

287.姜尚中  「悩む力~姜尚中が読む夏目漱石~」 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/11/9(日) 9:55

http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html
ETV特集 11月9日(日)午後10時00分~11時30分

政治学者・姜尚中さんの人生のかたわらにはいつも「文豪・夏目漱石」の本があった。近代人の自我を描き、その先に明るさを決して見出していないにもかかわらず、「愛」にも「金」にも「本能」にも逃げず“悩み”を引き受ける覚悟を示した漱石。そうした漱石の文学に内在するメッセージは、在日コリアンとして常に「自己矛盾」と「自己嫌悪」を抱えて生きてきた姜さん自身の生き方に大きな影響を与えてきた。

以下全文
http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html   

284.西郷信綱さんについて 返信  引用 

名前:馬場 徹    日付:2008/11/4(火) 17:55

私は、日本民主主義文学会に所属して批評を学んでいる者です。西郷さんの死が身にこたえています。西郷さんとは全く面識がなく、ただ著書を通して大きな影響を受けている者です。『国学の批判』『詩の発生』から『古事記注釈』に至るまで愛読してきていますが、まだ民主文学会でこれといった成果を出せないでいます。しかし、西郷さん、丸山静さんの研究を継承した評論を書きたい、そういう人間も民主文学にはいます、ということをお伝えしたくて投稿してみました。 

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285.Re: 西郷信綱さんについて
名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/11/7(金) 12:50
西郷さんについては亡くなれた後になって、その業績をふりかえり改めてその意味を感じています。

丸山さんが強調された国民文学論の意味もこの頃になってよく分かる気がしています。

体調がわるくて中絶していますが、ホームページの「私と日文協の50年
」に私の記憶を記して置きました。参考になれば幸いです。

http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@12.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@13.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@14.htm
http://homepage2.nifty.com/tizu/50nen/50@15.htm
http://j.peopledaily.com.cn/94474/94734/6528507.html   

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286.Re: 西郷信綱さんについて
名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/11/7(金) 14:30
横浜市大で同僚だった田中正司さんの<西郷信綱さんを偲んで>という文章がちきゅう座というサイトに掲載されています。

田中さんは商学部の教授で社会思想史を担当しておられました。国文学者とちがった角度から西郷さんのお仕事に興味ある指摘をされています。

参考にしていただければ幸いです。
http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=166   

283.西郷信綱先生(横浜市立大学名誉教授) 死去 返信  引用 

名前:bungaku    日付:2008/9/28(日) 11:7

西郷信綱氏死去 国文学者
2008年9月26日 22時22分

 西郷 信綱氏(さいごう・のぶつな=国文学者)25日午後10時35分、急性心不全のため川崎市内の病院で死去、92歳。大分県出身。葬儀・告別式は30日午後0時半から川崎市多摩区南生田8の1の1、春秋苑で。喪主は妻みち子(みちこ)さん。

 東大卒。清水高等商船教授などを経て、横浜市大教授になったが、大学闘争への当局の姿勢を批判して71年、辞職。

 古事記や万葉集の研究で知られ、著書に「古事記注釈」(角川源義賞)「万葉私記」「日本古代文学史」など。95年文化功労者。

(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008092601001134.html   

281.秋風秋雨、人を愁殺す  返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/9/16(火) 9:6

彷徨える魑魅魍魎残日録
2004年10月31日 秋風秋雨、人を愁殺す

 秋の心を愁といい、古来、秋には憂愁がつきまとってきた。とりわけ秋の雨は心を重くし、今年の秋雨は、ひときわ憂いを誘う。

 この言葉はあまりに鋭すぎるだろうか。「秋風秋雨、人を愁殺す」。清に対して革命を企てたとして1907年、33歳で刑場に散った秋瑾の言葉である。彼女は調べに黙秘を貫き、渡された紙にただ先の言葉だけを記した。辛亥革命のさきがけといわれ、英雄視される彼女の辞世の言葉には、悲憤と哀愁が入りまじる。

 フランスの詩人のつぶやきも心にしみいる。「秋の日の ●オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。」(ヴェルレーヌ「落葉」上田敏訳)。詩人は、鐘の音に過去を思い出して涙し、落ち葉にさだめなき我が身をなぞらえて慨嘆した。

 木の葉が色づき始めた10月に鳴く「秋の蝉(せみ)」のことを倉嶋厚さんが書いていた。盛夏の生き残りではないだろうという。「長い地下生活を終えて、やっと地上に出てきたら、彼等の季節は過ぎていたのです」。彼等の「生まれながらに季節の挽歌(ばんか)を歌わなければならない運命」をいとおしみ、声援をおくる(『癒しの季節ノート』幻冬舎)。

 さわやかな秋日和がつづく年もあるのに、今年の10月は、台風、地震と大きな災害に見舞われた。冷たい秋の雨風は、それこそ心身を打ちのめしかねない。非情な追い打ちが気がかりだ。

 「秋風蕭々(しょうしょう)として人を愁殺す」で始まる作者不明の中国の古い詩「秋風」は、家を離れて暮らす人の深い憂愁を描く。被災地の人々の憂愁の深まりが思われる。(天声人語)

 (●は「ヰ」に濁点「゛」が付いた字)
http://d.hatena.ne.jp/chimimouryou/20041031   

280.芥川龍之介 文芸的なあまりに文芸的な 十 厭世主義 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/9/9(火) 19:34

 僕も亦正宗氏のやうに如何なる社会組織のもとにあつても、我々人間の苦しみは救ひ難いものと信じてゐる。あの古代のパンの神に似たアナトオル・フランスのユウトピア(「白い石の上で」)さへ仏陀の夢みた寂光土ではない。生老《しやうらう》病死は哀別離苦と共に必ず僕等を苦しめるであらう。僕は確か去年の秋、ダスタエフスキイの子供か孫かの餓死した電報を読んだ時、特にかう思はずにはゐられなかつた。これは勿論コムミユニスト治下のロシアにあつた話である。しかしアナアキストの世界となつても、畢竟我々人間は我々人間であることにより、到底幸福に終始することは出来ない。

 けれども「金《かね》が仇《かたき》」とは封建時代以来の名言である。金の為に起る悲劇や喜劇は社会組織の変化と共に必ず多少は減ずるであらう。いや、僕等の精神的生活も幾分か変化を受ける筈である。若しかう云ふ点を力説すれば、我々人間の将来は或は明るいと言はれるであらう。しかし又金の為に起らずにゐる[#「起らずにゐる」に傍点]悲劇や喜劇もない訣ではない。のみならず金は必しも我々人間を飜弄する唯一の力ではないのである。

 正宗白鳥氏がプロレタリアの作家たちと立ち場を異にするのは当然である。僕も亦、――僕は或は便宜上のコムミユニストか何かに変るかも知れない。が、本質的にはどこまで行つても、畢竟ジヤアナリスト兼詩人である。文芸上の作品もいつかは滅びるのに違ひない。現に僕の耳学問によれば、フランス語のリエゾンさへ失はれつつある以上、ボオドレエルの詩の響もおのづから明日《みやうにち》異るであらう。(尤もそんなことはどうなつても我々日本人には差支へない。)しかし一行の詩の生命は僕等の生命よりも長いのである。僕は今日も亦明日のやうに「怠惰なる日の怠惰なる詩人」、――一人の夢想家であることを恥としない。   

278.小林多喜二とプロレタリア文学  返信  引用 

名前:伊豆利彦     日付:2008/8/29(金) 18:18

『民主文学』1973年3月号 拙稿
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/proletarert%20bungaku.htm

津田はどこまでも高い位置を得ようとし、生活も贅沢で、常に利害の計算を忘れることができない。お延に対しても、吉川の親友の岡本の姪という打算がともない、お延の歓心を得るために、父の金を無理に引き出したりするのである。津田はどこまでも上昇して行こうとするために無理を重ねており、藤井の叔母は贅沢すぎると言う。服装や食物ばかりでなく「心が派出ハデで贅沢に出来上ってる」から、「始終御馳走はないかないかって、きょろきょろ其所ソコいらを見廻してる人」のようだと言うのである。

津田は「じゃ贅沢どころかまるで乞食じゃありませんか」と言うが、「乞食」はこの作品で繰り返される重要なイメージである。吉川家からの帰途、橋の所にうずくまる乞食を見た津田について、作者は「乞食と彼との懸隔は今の彼の眼中には殆ど入ハイる余地がなかった。彼は窮した人のように感じた」と述べている。最後に近く山の中の温泉の浴場の場面でも、 「温泉烟ユケムリの中に乞食の如く蹲踞ウズクマる津田の裸体姿ハダカスガタ」と書いている。

小林は贅沢な津田と余裕のない自分を比較して、「何方ドッチ が窮屈で、何方が自由だか。何方が幸福で、何方が束縛を余計感じているか。何方が太平で何方が動揺しているか。僕から見ると、君の腰は始終ぐらついてるよ。度胸が坐スワってないよ」と批判する。

『明暗』を論ずる者は誰でも津田やお延の虚栄と虚偽に満ちた俗物性を批判する。しかし、津田やお延の俗物性は彼らの「自然」であった。そして、それは自己を誇り、たえず上昇を志向する、漱石自身をも含む小市民階級の姿であった。また、それは無理に無理を重ねて近代化を進め、資本主義の発展に努めて、世界帝国主義諸国の一員となり、世界の一等国であると自認するに至った日本の姿でもあるだろう。資本主義近代の論理は津田やお延を貫き、そして明治以来の近代日本を貫いている。それは絶え間なき自己拡張と発展の道であり、「前の方ばかり眺めて」ひたすら上昇の道を歩きながら、自己の内部に恐るべき空洞と病気を発展させて、それに気がつかぬ。プロレタリアを踏みつけ、アジア諸民族を侵略しながら、それを「別世界」のこととして、顧みようとしないのである。

小林は日本国内で行きづまり、朝鮮に生きる道を求める落ちぶれたインテリである。自分は何一つあなたに悪いことをした覚えがなく、厭がらせをされる理由がないというお延に、「僕は世の中から無籍もの扱いされている人間ですよ」という。お延にはそれが津田や自分と何の関係もないことに思われた。しかし、小林は「あなた方から見たら大方ないでしょう。然し僕から見れば、あり過スギる位あるんです」と言う。小林にとってこの「世の中」が敵であり、この「世の中」で幸福な者はすべて敵であった。お延の意識を超えて世界は広がり、お延の主観的意図の如何に拘わらず、彼女を憎み、彼女を敵視するものが存在する。抑圧者は自分が抑圧者であるという事実を自覚しない。そこに搾取と被搾取の階級の問題があり、侵略と被侵略の民族問題がある。漱石は個人の意識を徹底して追究しながら、個人の主観を超えた世界として現実を描いた。ここに『明暗』が到達したリアリズムの高さがある。

もとより小林はプロレタリアではない。社会の変革を目指すものでもない。現代社会からはみ出し落ちぶれて、社会に怨恨を抱き、ゆすりや厭がらせをして復讐しようとするやくざな男に過ぎない。しかし、この現代社会から落ちこぼれ、下層社会との境界に立つ小林によって提示される「別世界」の現実によって、津田やお延の世界は揺り動かされ、資本主義近代の矛盾が露出される。漱石はこの作品の冒頭から、個人の意識を超えた現実、個人の主観的な願望や意図を打ち砕く事実というものを強調した。小林は津田に「よろしい、何方ドッチ が勝つかまあ見ていろ。小林に啓発されるより、事実その物に戒飭カイチョク される方が、遥ハルかに覿面テキメンで切実で可いだろう」と言うのである。

全文
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/proletarert%20bungaku.htm   

279.小林多喜二「『世界意識』という神聖な病気」 返信  引用 

名前:伊豆利彦     日付:2008/8/29(金) 18:17

多喜二は蔵原とは反対に、秋田の貧農の子として生まれ、夜逃げする一家とともに北海道に移住して、伯父の援助で小樽高商(現在の小樽商大)を卒業し、拓殖銀行に就職したのでした。多喜二は「赤貧洗うが如し」という貧農の子としての生い立ちと、銀行員としての生活から生まれる小市民的インテリゲンチュアの意識との矛盾に苦しみました。多喜二の初期の文学は、抜け道のないこの矛盾と苦悩を執拗に追求し続ける所に成立しました。大変な苦労の末、やっと手に入れた現在の小市民的な幸福を失いたくない。特に苦労に苦労を重ねた母のことを思うと、その思いはいっそう強められました。しかし、自分がその中で生い育った労働者農民、さらに安定した仕事もなくどん底の暮らしをしている多数の人々の悲惨な現実は、現在の小市民的な生活に安住することを許さない。多喜二はその苦悩を「『世界意識』という神聖な病気」と呼んでいます。

 このシナリオと同じころの『「下女」と「循環小数」』(『新樹』 大正十五年五月)という文章で、多喜二は「『世界意識』という神聖な病気」を問題にしている。カフェーでビフテキを食べようとする瞬間、寒空にふるえる人のことを思い、そのビフテキを捨ててしまう。笑おうとするとき、笑えない人の存在が彼の顔をゆがめる。こうしたことが何の役にもたたぬことは明かである。しかもそうせずにいられない「『世界意識』という神聖な病気」は、感傷にすぎぬとして、ひたすら嘲笑し去られるべきものであろうか。   

277.文明の革命 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2008/8/12(火) 7:18

圭さんのいう「文明の革命」のような精神は、ロンドンの漱石にも通用するものであっただろう。漱石は「創作家の態度」でいう。

文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙、英吉利もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません

271.欧州社会の格差をみつめる漱石 返信  引用 

名前:伊豆利彦     日付:2008/6/26(木) 19:1

英国に留学した漱石がなによりも強く貧富の差に注目し、欧州近代社会は失敗だったといった意味が、いま、あらためて強く思われる。国内的な格差、国家間、民族間の格差、漱石は植えた下層の人々、東洋の人々の生活を見つめ、繁栄のロンドンを見つめていた。義父に宛てた所感の意味、ノートに記した学問の目的についての言葉が思われる。 

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272.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:2008/8/9(土) 10:54

漱石は明治43年1月5日『東京朝日新聞』に次のように述べた。

一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。   

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273.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:2008/8/10(日) 21:28
漱石はフランス革命、パリ・コミューンに言及をしているのでしょうか?
「阿蘇の噴火」だけでしょうか?

出先のネットカフェなので年代の記憶は曖昧で検索もしていませんが、キーワードとしては「クロポトキンのロンドン亡命」時期

              Kameda                

http://members2.jcom.home.ne.jp/anarchism/

http://d.hatena.ne.jp/futei/

http://yamanohon.exblog.jp/m2008-08-01

 
http://yamanohon.exblog.jp/8394339   

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274.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:金 正 勲    日付:2008/8/11(月) 9:59

シンチェホは次のように述べた。

歴史とは何か。人類社会の<我>と<非我>の闘争が時間に発展し、空間に拡大する心的活動状態の記録である。(略)

何を<我>と言い、何を<非我>と言うのだろう。深く掘り下げることまでもなく、いわば主観的位置に立っているものを<我>と言い、その他のものを<非我>と言う。要するに朝鮮人は朝鮮を<我>と見て、英・露・法(フランス)・米などを<非我>と見る。<略>
無産階級は無産階級を<我>と見て、地主や資本家を<非我>と見る。

漱石の「文学論」序、「創作家の態度」、「マードック先生の『日本』歴史」の言葉がしきりに思い出されるのはなぜか。   

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275.Re: 欧州社会の格差をみつめる漱石
名前:Kameda    日付:2008/8/11(月) 17:1
 前の書き込みは、説明抜きの内容なので改めて…
「欧州社会」という概念が出されたとき私が真っ先に想起したのは
『二百十日』でした。

1906年発表の「二百十日」
テキスト引用は「青空文庫」よりコピー・貼付け (ルビ)

 ディッキンスの両都物語(りょうとものがた)りと云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」
「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国(ふっこく)の革命の起る前に、貴族が暴威を振(ふる)って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝(ね)ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟(りくつ)だからね。ほら、あの轟々(ごうごう)鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留(ど)まって、黒い煙の方を見る。
 濛々(もうもう)と天地を鎖(とざ)す秋雨(しゅうう)を突き抜いて、百里の底から沸き騰(のぼ)る濃いものが渦(うず)を捲(ま)き、渦を捲いて、幾百噸(トン)の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍(おど)り上がって来る。
 雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅(あつ)めて、余念もなく眺(なが)めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、
「雄大だろう、君」と云った。
「全く雄大だ」と碌さんも真面目(まじめ)で答えた。
「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。
「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云う。
「革命か」
「うん。文明の革命さ」
「文明の革命とは」
「血を流さないのさ」
「刀を使わなければ、何を使うのだい」
 圭さんは、何にも云わずに、平手(ひらて)で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二返(へん)叩(たた)いた。
「頭か」
「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」
「相手は誰だい」
「金力や威力で、たよりのない同胞(どうぼう)を苦しめる奴らさ」
「うん」
「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」
「うん」
「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」
「うん」
「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩(たた)きつけなければならん」
「うん」
「君もやれ」
「うん、やる」

クロポトキンはフランス革命に関する著述がありヨーロッパの各言語に翻訳、ロンドン亡命中。

 有島武郎はロンドンにてクロポトキンと面談、1906年か?
http://yamanohon.exblog.jp/8394339/   

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276.資料としてシン・チェホの「朝鮮革命宣言」紹介
名前:Kameda    日付:2008/8/11(月) 17:24
 下にスクロールをして

 五章(漢数字五)が眼目 
http://d.hatena.ne.jp/futei/20080101

「民衆文化を提唱する為奴隷的文化思想を破壊する所以なり。」
http://yamanohon.exblog.jp/8394339/   

268.1010年前後の時代状況 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2008/5/13(火) 20:10

Kさんから面白い情報が入りましたので、ここに紹介しておきます。
  ↓

 朝鮮の主要な左右合作、民族独立運動組織の運動指針として採択、韓国臨時政府の綱領)が幸徳秋水たちに影響を与え幸徳秋水、堺利彦ら連名で「朝鮮への植民地的支配強化への抗議声明」(1907年7月21日)を発表します。

 このことは、いかに当時の日本の社会主義者の朝鮮の独立運動に対する認識が低かったかをあらわしています。

 漱石を擁護するわけではありませんが、日本社会の変革に対する意識が先鋭的な幸徳たち社会主義者ですら、そのような意識であったわけですから文学者の漱石が朝鮮民衆に「同情」的であっても、被植民地民衆の立場に近づき得なかったのは止むを得なかったのではないでしょか。

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269.Re: 1010年前後の時代状況
名前:金 正 勲    日付:2008/5/13(火) 20:27

多喜二がいま日本で新たに蘇るということは、どのような意味を持つのであろうか。
特に日本の若者に読まれている事実に注目したい。

漱石には多喜二のような激しさは見られない。
しかし、国家に立ち向かっていく1910年前後の漱石の足跡を追跡してみれば、闘争する漱石像が新たに見えてくるのではないか。

漱石の内部と外部のたたかいがもっとも激烈な時であったに違いない。   

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270.Re: 1010年前後の時代状況
名前:金 正 勲    日付:2008/5/14(水) 20:41

1010年→1910年に修正。   

267.夏目漱石 1910年夏、胃腸病院入院中の断片 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/4/19(土) 10:29

「アルismヲ奉ズルハ可。 他 ノismヲ排スルハlifeノdiversityヲunifyセントスル智識欲
カ、 blindナル passion[yuouthful]ニモトヅク。 さう片付けねば生きてゐ られぬのはm
onotonousナlifeデナケレバ送レヌト云フ事ナリ。 片輪トモ云ヒ得ベシ。lifeハactionニ
テdeterminateナリ思想(感情)ニ於テindeterminateナリ。 indeterminateナルハ茫漠ナル
故ニアラズ。 アラユルalternativeヲ具備スル故ナリ」「Lifeノharmonyトハアラ ユルel
ementsが援ケ合フテone endニleadスルノ意ニアラズ。oposing elements,カンセリングfa
ctorsニdue placeヲ与ヘテvaluationノgradationヲツケルコトナリ。ダカラ結果ハresult
antナリ。additionニアラズ。dualismニテモtrialismニテモ差支ナシ。 elementsニbalan
ceガ取レタトキハinactivityデ差支ナシ」   

264.Kさんからの情報 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2008/4/2(水) 13:4

本題は梶村秀樹『近代朝鮮史学史論ノート』(1969年)かどうか分からないが、次のように書いてあるそうだ。Kさんは「漱石に言及している部分の半分くらい」と述べている。残りの半分はどのような内容だろう。

「かれの写真を眺めていると、ふと中国の魯迅と日本の夏目漱石と朝鮮の申采浩という連想が浮んだ。……そういえばよく似ているところがあって、その上似ていないところもあるようだ。……試しに生没年を調べてみると、漱石がちょっと早くて1867年生まれ、申采浩が80年、魯迅は81年、死んだのも漱石がちょっと早くて1916年、申采浩と魯迅は全く同じ1936年である。

 三人とも、ほぼ同じ世代の、状況と自己から目を離さなかった、ほんものの知識人である。

 生活としごとの領域のちがいは、三国それぞれの問題状況のちがいによるものだろう。漱石の生活は少なくとも表面安泰であり、その安泰の中での憂鬱を作品にほぼ昇華させつくして、畳の上で死んだ。魯迅は、半植民地中国の矛盾の焦点である上海で悪戦苦闘しながら、寂寞の中で死んだ。申采浩は、赤貧洗うが如き亡命生活のすえ、八年間もの獄中生活の辛酸をなめ、生命を奪われた。
 
 魯迅と申采浩とは、ともに状況への応接にいとまなく、むしろ多くの時論にその本領の片鱗を示し、ゆっくりと長大な作品に自己の思想を表現しきることなく終った。それでも魯迅には、苦渋の結晶である相当数の短編小説があるのに対し、申采浩はより具体的な歴史学の領域まず精力を傾注せざるをえなかった。ただ、かれが余技のごとくに書き残した数編の短編小説があって、それがやはり奔放な空想をまじえた歴史小説であることが注意をひく。

 この思いつき的な三人の対比が妥当であるかどうかは、比較文学論か何かの専門家にでも、状況的なものと個性的なものとをみわける綿密な検討をこいたい。たしかに申采浩の作品は、文学技法上熟したものではないかもしれない。しごとのジャンルのちがいのために、この対比は、一無理なこととみえるかもしないが、人間的・思想的対比としてそれほど突飛゛ないような気がしている。いずれにしても、ほかの二人とくらべて、あまりにも不釣合いに、申采浩は日本では読まれていないというべきではないだろうか?」 

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266.Re: Kさんからの情報
名前:坊ちゃん    日付:2008/4/2(水) 22:36
申采浩の作品はもっと日本文学研究者たちは光をあてるべき作家です。

そして魯迅と申采浩は、漱石をはるかに乗り越えた人ではないでしょうか。

同時代の日本文学を見渡しても、わずかに対峙しているのはプロレタリア文学くらいではないでしょうか。   

258.横浜市大は死に体 返信  引用 

名前:憂鬱なる党派    日付:2007/12/23(日) 23:58

「しかし、本当に正直言って、さっきのごまかしということをで言えば、今大学に残っている人たちも、ごく少数の例外をのぞいては、ほとんどごまかしていると思うし、それから、ぼく自身が大学をやめたことの中に、ごまかしがなかったかと問いつめられてゆけば、どこには全面的に否定出来る自信もないわけです。」
(「解体と創造」高橋和巳x日高六郎 対談 日高氏の発言 1970年10月)

あれから,残った人たちによって,いま大学は解体されていきます.
ほとんど教員は逃げること(やめるのではない)と任期制における処遇のことばかりしか考えていません.
(生活がかかっている以上,その闘いも大事ではありますが)
そんな教育者たちが,今の教育を受けた学生たちが10年後,20年後にどうなるかなんて真面目に心配しているわけがない.
大学改革が,一部の権力者だけによってなされたとは思いません.
そのような事態を招き,またそれに何の抵抗もできなくなってしまった学問について自ら問う必要があります.
何の反省も責任も感じない研究者・教育者には自己否定が必要であります. 

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261.Re: 横浜市大は死に体
名前:パルタイ    日付:2008/1/20(日) 2:13
解体する主体すら逃げ出す始末!
http://university.main.jp/blog5/archives/2008/01/post_992.html   

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263.「シクラメンのかほり」といふより学問の死臭が漂ふ
名前:何でも見てやろう    日付:2008/2/26(火) 1:52
横浜市立大学、新学長に布施明の兄・勉氏
 横浜市立大は25日、任期途中で辞任するブルース・ストロナク学長の後任に、横浜市代表監査委員で、同大名誉教授の布施勉氏を決定したと発表した。任期は4月1日から4年間。

 ストロナク学長は4月からテンプル大学ジャパン(東京都港区)の学長に内定したことに伴い、任期を2年残し退任を表明。学長選を行わず、外部識者を含む6人で構成する選考会議で布施氏を選出した。

 布施氏は横浜市立大の文理学部教授、副学長などを歴任し、平成18年に退職。専攻は国際法。ヒット曲「シクラメンのかほり」で有名な歌手、布施明の実兄。
http://www.sanspo.com/sokuho/080225/sokuho071.html   

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265.Re: 横浜市大は死に体
名前:吾輩は猫である    日付:2008/4/2(水) 22:31
 文学博士の学位を与えるので出頭せよ。文部省から通知を受けた夏目漱石は辞退する旨の手紙を書いた。「ただの夏目なにがしで暮したい…」と。1911年(明治44年)のことである◆結局は一方的に授与されたらしい。明治大学から卒業式の来賓招待状が届いたときは、博士の肩書を見とがめ、「愚弄(ぐろう)されているような厭(いや)な心持」だと明大に抗議している(岩波文庫「漱石書簡集」)◆誰もが「ただの…なにがし」で世を渡れるわけでもない。「足の裏の飯粒」と同じで取らねば気分が悪く、取っても食えない――ともいわれる博士号だが、学問を志した人には心の躍る里程標であろう◆横浜市立大学医学部の「謝礼」問題が世を騒がせている。学部長や教授が、医学博士の学位を取得した大学院生などから“長年の慣例”として現金を受け取っていたという◆学位認定を審査する立場の人が謝礼をもらえば、何らかの手心を加えたと疑われても仕方がない。慣例に従って何十万円かを差し出す大学院生のなかには、おのが学問を「愚弄されているような厭な心持」になった人もいただろう◆「吾輩(わがはい)は猫である」の猫は、のんきに暮らす教師の主人を見て言う。「人間と生れたら教師となるに限る」と。のんきも結構だが、贈収賄と紙一重の慣例を何とも思わないのでは度が過ぎる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080320-OYT1T00560.htm   

98.夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2005/8/6(土) 13:33

夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳

[ソウル新聞 2005-07-18]

日本文学最高の国民作家と呼ばれる夏目漱石の最大長編、最後作品『明暗』が国内で最初に翻訳、出刊された。(金正勲翻訳、汎友社発行)

漱石の名声にふさわしく彼の代表的作品は、韓国で大部分出版された。しかし、彼の最大長編と称される『明暗』はまだ韓国語に翻訳されていなかった。アメリカでは1971年漱石研究者、現ハワイ大学名誉教授Valdo Viglielmoによって翻訳され、多くの読者に脚光を浴びてきたのであり、中国語やプランス語でももう翻訳されている状態である。

このような『明暗』が今度夏目漱石研究者、全南科学大学金正勲教授によって翻訳されたのだ。

1916年5月26日からその年12月14日まで、188回にわたって東京朝日新聞と大阪朝日新聞に発表された『明暗』は、人間のエゴイズムを表現した多くの作品の中でも最高の傑作として評価されており、500篇以上の論文が発表されるほど多様な論議が進められている。

『明暗』は津田とお延という一カップル「夫婦の物語」である。自尊心強いエゴイスト津田と愛に対する虚栄心いっぱいのお延、この夫婦が多様な周辺家族の構成員と絶えず葛藤と緊張を形成し、解消していく過程を描いている。

夫婦の経済的な問題と、津田の昔の女性問題が二つの軸を成している物語は、主人公夫婦の纎細な心理描写と、続く対話を通じて、登場人物たちの内面を深く描き出している。

漱石の小説が主に男性の目から女性の内面を描くのに沒頭してきたのに対し、『明暗』は、女性の視点を強調しているという点からみても、読者に目新しい感じを与えてくれる。

この作品は188章で構成されているが、作品内での時間は、2週間にも及ばない短期間の経路を辿りながら進行する。また188章で主人公津田とお延が登場しないところは一箇所もない。それだけこの作品は、主人公津田とお延の夫婦生活を通じて、その暗いところから明るいところへ転換する内容を描き出そうとした。

さらに近代的自我の内的宿命が持った限界を男女の愛から乗り越えている。男女の愛の問題が多くの場面と人物たちとの出会いを通じて、非常に意味深く、赤裸裸に描かれている。漱石作品中、これほどエゴイズムと愛の心理を多様に、またしつこく描いた作品はないといっても過言ではないだろう。1万3000ウォン

インタネット部
http://home.naver.com/k6738157   

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99.Re: 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
名前:伊豆利彦    日付:2005/8/7(日) 6:9
ありがとうございました。
「明暗」が韓国でもたくさん読まれ、批評されるといいですね。

あなたもそれについて発言する機会が多くなると思います。
その際、それが第1次大戦の最中に書かれたこと、それは一種のアレゴリーであること、「勝とう、勝とうとする精神」、自己を特権者であり、他に対して特別の権利をもっていると思っている津田の高慢の鼻が折られること、「大きな自然」と「小さな自然」のこと、小林のことなどにも論及して下さるとありがたいと思います。

私はいま、堀田善衛について書いています。
「解釈と鑑賞」11月号に発表予定です。

小林多喜二についての私の本が図書館協会の選定図書になったことといい、堀田がよみがえり、私のような老人に執筆が依頼されたこといい、時代の変化を感じます。
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2005/07/158200586_a5de.html   

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262.Re: 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
名前:れい    日付:2008/2/5(火) 22:0
> 夏目漱石の遺作『明暗』、 国内最初の翻訳
>
> [ソウル新聞 2005-07-18]
>
> 日本文学最高の国民作家と呼ばれる夏目漱石の最大長編、最後作品『明暗』が国内で最初に翻訳、出刊された。(金正勲翻訳、汎友社発行)
>
> 漱石の名声にふさわしく彼の代表的作品は、韓国で大部分出版された。しかし、彼の最大長編と称される『明暗』はまだ韓国語に翻訳されていなかった。アメリカでは1971年漱石研究者、現ハワイ大学名誉教授Valdo Viglielmoによって翻訳され、多くの読者に脚光を浴びてきたのであり、中国語やプランス語でももう翻訳されている状態である。
>
> このような『明暗』が今度夏目漱石研究者、全南科学大学金正勲教授によって翻訳されたのだ。
>
> 1916年5月26日からその年12月14日まで、188回にわたって東京朝日新聞と大阪朝日新聞に発表された『明暗』は、人間のエゴイズムを表現した多くの作品の中でも最高の傑作として評価されており、500篇以上の論文が発表されるほど多様な論議が進められている。
>
> 『明暗』は津田とお延という一カップル「夫婦の物語」である。自尊心強いエゴイスト津田と愛に対する虚栄心いっぱいのお延、この夫婦が多様な周辺家族の構成員と絶えず葛藤と緊張を形成し、解消していく過程を描いている。
>
> 夫婦の経済的な問題と、津田の昔の女性問題が二つの軸を成している物語は、主人公夫婦の纎細な心理描写と、続く対話を通じて、登場人物たちの内面を深く描き出している。
>
> 漱石の小説が主に男性の目から女性の内面を描くのに沒頭してきたのに対し、『明暗』は、女性の視点を強調しているという点からみても、読者に目新しい感じを与えてくれる。
>
> この作品は188章で構成されているが、作品内での時間は、2週間にも及ばない短期間の経路を辿りながら進行する。また188章で主人公津田とお延が登場しないところは一箇所もない。それだけこの作品は、主人公津田とお延の夫婦生活を通じて、その暗いところから明るいところへ転換する内容を描き出そうとした。
>
> さらに近代的自我の内的宿命が持った限界を男女の愛から乗り越えている。男女の愛の問題が多くの場面と人物たちとの出会いを通じて、非常に意味深く、赤裸裸に描かれている。漱石作品中、これほどエゴイズムと愛の心理を多様に、またしつこく描いた作品はないといっても過言ではないだろう。1万3000ウォン
>
> インタネット部   

260.幸徳秋水 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2008/1/14(月) 11:2

前世紀の初頭に幸徳秋水は「我は信ず、将来米国が国家生存の危険てふこと、万一これありとせば、その危険は決して領土の狭きにあらずして、領土拡張の究極なきにあり、対外勢力の張らざるにあらずして、社会内部の腐敗堕落にあり、市場のすくなきにあらずして、富の分配の不公なるにあり、自由と平等の滅亡にあり、侵略主義と帝国主義の流行跋扈バッコにありと」と述べた。 

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:2009/12/5(土)→2012/2/11(土) 3:27

:2009/12/5(土)→2012/2/11(土) 3:27

生涯の最後の年、大正5年正月に発表した「點頭録」で、漱石は自己の生涯を振り返り、軍国主義について論じている。前年の『硝子戸の中』がひたすら自己の狭い世界について語ろうとしたのとは反対に、「點頭録」では、病気のために中断しなければならなかった けれども、世界的な視野で政治や社会の問題を論じようとしたのである。

漱石は世界大戦について、「人道の為の争いとも、信仰の為の闘 いとも、又意義ある文明の為の衝突とも見做す事」が出来ず、ただ「軍国主義の発現」としてしか考えられなかったと言っている。この戦争で自分の興味をひくのはただ「軍国主義の未来」ということ だけで、「独逸だの仏蘭西だの英吉利だのという国名は自分に取ってもう重要な言葉でも何でもなくなった」と言う。どちらの国が勝つかではなくて、「独逸に因つて代表された軍国主義が多年英仏に於て培養された個人の自由を破壊し去るだらうか」ということに、はるかに鋭い神経を働かせているというのである。

そして、ドイツの軍国主義は敵国たる英仏にも多大の影響を与え、その軍国主義化を招いているのだから、戦争が片付かないうちから、英仏は精神的にはもうドイツに負けたと評しても好い位なのだと言う。漱石は、この大戦のもたらしたものは「軍国主義の勝利」ということだけだと言い、
「此時代錯誤的精神が自由と平和を愛する彼等に斯く多大の影響を与へた事を悲しむものである」
と述べている。

軍国主義の勝利は文明を破壊する以外に何の効果もなく、軍国主義にその償いを期待することは出来ないと漱石は言う。

 漱石にとって世界の未来は暗かった。しかし、日本の未来はさらに暗い。日本の政治は言論思想を抑圧することしか知らなかったと漱石は言う。もともと軍国主義的傾向の強い日本は、ますます軍国主義化を強めるだろう。言論・思想、政治活動の自由はますます苛酷に弾圧されるだろう。その果てに待っているものは何か。

 1915年の7月[?]の書簡で漱石は、「戦後における日本人の覚悟」についてやまと新聞の質問に答え、日本人がむやみに西洋の新しいものに食いつき、ただ次々に新しい名前を追い掛けるばかりの、軽薄な表面的模倣に明け暮れていることを批判している。そして、「若し覚悟といふ覚悟が必要なら、日本は危険だとさへ思って、それを第一の覚悟にしてゐれば間違ひはありますまい」と述べている。

「夏目漱石と天皇制」より→
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/souseki@tennousei.htm 

370.『現代文集』の発行に就いて 返信  引用 

名前:水島寒月    日付:2012/2/11(土) 3:27

二月十二日の夜十一時半頃、一月末迄『実業之世界』記者であった安成貞雄氏(くん)が、社の三階に寝泊りしている僕を訪ねて来た。『至急相談したい事があって、遅いとは思ったがやって来た』と云う。僕は寝床の中で本を読んでおったので直ぐ会った。『いよいよ馬場孤蝶先生を推し立てる事になった。今日、先生の宅で、生田長江、森田草平その他の諸君に集まって貰って相談を取り極めた。選挙運動の方法は、全然英国の方法に拠ることにした。この社から出る安部さんの「誰を選ぶべきか」に書いてある通りの方法を採ることにしたのだ』『しかし、先生にも吾々にも金がない。そこで、馬場先生と吾々の知っている人々から原稿を貰って、大きな文集を作って、その原稿料を運動費に充てる計画を立てた。今確実には言えないが、少なくとも四五十人には寄稿を承諾して貰えるだろうと思う。どうだろう、その本の出版を引受けて貰えないだろうか。』と云って原稿を依頼すべき人々の名簿を見せた。

今日の政治界が一大革新を要することは言う迄もない。僕は、多少の抱負を持っている。敢えて選挙場裏に打って出たいと考えているが、年齢(とし)が足らない。そこで、政治界に、何等(なんら)か貢献したいと考えたので、安部磯雄先生を訪ねて、『今度の総選挙に際して、国民に選挙の意義を理解せしめたい。御同感ならば、選挙に関する本を著して戴きたい。』と御願いした。安部先生は『私も平素から選挙界の弊風を慨(なげ)いておるから、それでは是非書こう。』と快諾して下すった。そして書いて下すったのは安成君が云った『誰を選ぶべきか』と云う本である。安成君は、その出版の相談にも与(あずか)り、その原稿をも読んでいるのである。僕は、馬場勝弥氏が『誰を選ぶべきか』に詳述された選挙の方法をそのまま採用すると聞いて、自分の理想の一部が実行されることを欣(よろこ)んだ。馬場氏には僕も会ったことがある。その人物見識は、安成君や和気君から聞いてよく知っている。

僕は、寄稿者を四五十人として、出版の胸算用を立てて見た。そして、少なくとも損はしないと考えた。安部先生の『誰を選ぶべきか』を出版する時、もともと多少の損失位は厭わない覚悟であったのであるから、その本に書いてある方法で運動する人の為(た)めに本を作ることは僕の望む所である。それで損をしなければ、出版業者としても引受けるのが至当である。そこで、僕は、安成君に『宜しい、引受けよう。』と言った。安成君は『それで安心した。』と云って、十一時五十分に帰って行った。

原稿が集まったのを見ると、文壇の名家八十氏の作品が揃っている。安成君や和気君に聞くと、今度の様な企てに対して文壇の殆ど全部が賛同したのは、空前であると云う。そして、馬場氏がその目的を達するに、日本空前の方法によることは、文壇が社会の趨勢に一歩を進めていると云う明証であると思う。僕は本書の出版を引受けることを以って、自分の理想の一部の実行と信じ、且つ、それを依嘱せられたことを光栄とするものである。

大正四年三月一日
実業之世界社に於いて
野依秀一
______________________________
まだ、著作権が切れていないのね。 

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373.Re: 『現代文集』の発行に就いて
名前:伊豆利彦    日付:2012/2/22(水) 20:17
ご投稿ありがとうございました。
)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-17/index.html   

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374.Re: 『現代文集』の発行に就いて
名前:水島寒月    日付:2012/2/27(月) 11:13
このサイトで、この文集の存在を知り原本を入手しました。
何とか電子化できると良いんですが。まだ入力率5%…   

361.『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ) 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/12(木) 13:1

 代助は人類の一人(いちにん)として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでゐた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈してゐた。又これを此等新旧両慾の衝突と見傚してゐた。最後に、此生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)と心得てゐた。 

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366.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/24(火) 15:5
今の世は政治家だけでなく、マスメディアも大学教師も軽蔑せずにはいられない不幸な世の中だ。   

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367.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/8(水) 10:18
『野分』で白井道也は次のように述べている。

 英国風を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。   

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368.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:伊豆利彦    日付:2012/2/8(水) 21:38
白井道也にとっての理想はいかなるものか。西洋に対する東洋か。魂から出る理想とはいかなるものか。魂は言葉ではない。言葉ではあらわすことのできない何かだ。「道草」には「異様の熱塊」という言葉があった。1910年の夏、秋水らが検挙されて間もない時期に、長与病院に入院中の漱石を石川啄木は二度訪ねている。啄木は二葉亭四迷全集の編集をしていて、二葉亭から強い感化を受けていた。幸徳らの謙虚に衝撃を受けて、「時代閉塞の現状」を書き、「いっさいの美しき理想は皆虚偽である!」と記している。漱石は啄木に共感し、美しい言葉で飾られた広瀬中佐の詩を否定し、潜航艇が沈没して、刻々に死に追い詰められている状況で書き綴った佐久間艇長の遺書にの乱れた文章を褒めたたえている。
http://www.asahi.com/politics/update/0207/TKY201202060686.html   

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369.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/9(木) 16:53
代助は「現代の社会を、二十世紀の堕落」と見たが、白井道也は現代の社会に住む青年たちの堕落の理由を理想の欠乏によるものと見た。たしかに欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)に襲われつつある彼らに理想を持つ余裕などがあるわけではない。

しかし、「理想」=「魂」である。青年たちに「理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。」と聞かせたのも道也である。

その「魂」とは何か。漱石は1906年の秋、鈴木三重吉宛ての書簡に「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神」という言葉を書いたことがある。漱石にとってデモクラシーとは何か。正義とは何か。人格とは何か。   

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371.Re: 『それから』 欧洲から押し寄せた海嘯(つなみ)
名前:金 正 勲    日付:2012/2/11(土) 16:2
1906年8月11日の「都新聞」の記事には次のような内容が載っている。

 電車賃金値上反対の旗幟を標榜して其の絶交運動を市民に促す為め開催されたる日本社会党有志者の行列ハ昨日午前九時五十分神田区三崎町三町目一番地の同党本部を出でたり行列の一行ハ出来得るだけ質素に且つ静粛ならん事を期したるより総数を十人と限り堺枯川、森近連平、野沢重吉、菊江正義氏外四名と堺氏の妻君夏目(漱石)氏の妻君是に加り(傍線は論者)

堺利彦・片山潜らが日本社会党を結成してからまもない頃であった。その翌年には桂内閣により社会主義への弾圧が厳しくなり、日本社会党の結社禁止、そして1910年には天皇暗殺計画を企てたという容疑で幸徳秋水らが逮捕される事件に続くのだから、その激動の流れから見ても非常に敏感な時期であったといえる。   

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372.小生もある点に於て社界主義故
名前:伊豆利彦    日付:2012/2/17(金) 12:59
 漱石は都新聞の記事についてしらせた深田康算に次のような返事を書いている。

都新聞のきりぬきわざわざ送被下難有存候電車の値上には行列に加らざるも賛成なれば一向差し支無之候。小生もある点に於て社界主義故堺枯川氏と同列に加はりと新聞に出ても毫も驚ろく事無之候ことに近来は新聞位に何が出ても驚ろく事無之候。都下の新聞に一度に漱石が気狂になったと出れば小生は反ってうれしく覚え候。

「草枕」執筆直後のことである。
このあと、「二百十日」を書き、「野分」を書いた。
「二百十日」の圭さんは自分を豆腐屋主義の平民主義だと主張した。
当時、平民主義を標榜し、「平民新聞」を機関紙としていた堺らに対する漱石の関心は否定できない。
http://www.asahi.com/national/update/0213/TKY201202130203.html   

363.漱石と魯迅 平和というものは、人間の世界には存在しない 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/14(土) 20:24

魯迅は革命の思想を説き、その観点から戦闘の精神を強調した。

「平和というものは、人間の世界には存在しない。強いて平和とよばれているものは、戦
争が終わった直後、あるいは未だ戦争が始まらないときを言うに過ぎない。外見は、平穏
のようだが、そこには常に暗流が潜んで居て、一度時節到来すると、直ちに動きはじめる
のである。」

「平和が破れることによって、人間は向上するのである。しかしながら、そのために、上
は天子から、下は駕篭かき人足に至るまで皆以前の生活を変えなければならない。だから、
彼らが協力して、この芽をおしつぶし、その旧来の生活を永く保持しようと考えるのも、
人情の常だといえよう。旧来の状態が永く保存されているのを、古い国というのである。」

 こうした魯迅の言葉を平和のために戦うという私達はどのように考えたらいいだろうか。

1987・7・5  芦溝橋事件五〇周年記念講演 草稿
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/rojinto.htm 

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364.夏目漱石が「点頭録」デ紹介したジョルジュ・パラントの言葉 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/15(日) 19:20
フランスでは科学的に「力」というものが、正義権利の観念と衝突した。・・・・ルソー式、四海同胞式、平和式、平等式、人道式なる観念のために本来の「力」という考えがつい 曲げられて・・・・・・正義と人道と平和の為にこの「力」というものを軽蔑し且カツ否定しなければな らなくなった。・・・・・・奮闘も差別も自然の法則であることを忘れた。美其物も一種の「力」であ り又「力」の発現であることを忘れた。正義其物も本来の意味から云えば平衡を得た「力」に過ぎ ないということを忘れた。「力」の方が原始的で、正義の方は却て転来的であるという事も忘れた。 斯んな僻見に比べるとニーチェの方が何ドの位尤もであったか分からない。・・・・・・・   

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365.漱石「点頭録」 現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならない
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/15(日) 19:37
彼等が其平和の必要条件として、それとは全く両立しがたい腕力の二字を常に念頭に置くべく強いられるに至っては、彼等と雖も今更ながら天のアイロニーに驚かざるを得まい。現代に所謂列強の平和とはつまり腕力の平均に外ならないという平凡な理屈を彼等は又新しく天から教えられたのである。土俵の真中で四つに組んで動かない力士は、外観上至極平和そうに見える。今迄彼等の享有した平和も、実はそれ程に高価で、又それ程に苦痛性を帯びていたのである。しかも彼等は相撲取のよう にそれを自覚していなかったために突然罰せられた。換言すれば生存上腕力の必要を向後当分の 間忘れる事の出来ないように遣付けられた。   

358.『倫敦塔』  生れて来た以上は、生きねばならぬ。 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 10:1

又想像してみる。生れて来た以上は、生きねばならぬ。敢て死を怖るるとは云わず、只生きねばならぬ。生きねばならぬと云うは耶蘇孔子以前の道で、又耶蘇孔子以後の道である。何の理窟もいらぬ、只生きたいから生きねばならぬのである。凡ての人は生きねばならぬ。この獄に繋がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼等は死ぬべき運命を眼前に控えておった。如何にせば生き延びらるるだろうかとは時々刻々彼等の胸裏に起る疑問であった。一度びこの室に入るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人しかない。彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。されど古今にわたる大真理は彼等に誨えて生きよと云う、飽くまでも生きよと云う。彼等は已を得ず彼等の爪を磨いだ。尖がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。一をかける後も真理は古えの如く生きよと囁く、飽くまでも生きよと囁く。彼等は剥がれたる爪の癒ゆるを待って再び二とかいた。斧の刃に肉飛び骨摧ける明日を予期した彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となって生きんと願った。壁の上に残る横縦の疵は生を欲する着の魂魄である。余が想像の糸をここまでたぐって来た時、室内の冷気が一度に脊の毛穴から身の内に吹き込む様な感じがして覚えずぞっとした。
          

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359.「硝子戸の中」 <どういう風に生きて行くか>を基本とする
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 10:14
不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到着しなければならない死という境地に就いて常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。
「死は生よりも尊とい」
こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。
然し現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曽祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事が出来ないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。
だから私の他に与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内に於てしなければ済まない様に思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う。既に生の中に活動する自分を認め、又その生の中に呼吸する他人を認める以上は、互の根本義は如何に苦しくても如何に醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。
「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」
こうした言葉は、どんなに情なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、如何に根強く我々が生の一字に執着しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事が出来なかった。   

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360.『文学論』序 五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/11(水) 13:41
 倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。

帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たる光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分一の光栄と権利を支持せんと欲す。此光栄と権利を五千万分一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧ろ力の継く限り、之を五千万分一に回復せん事を努むべし。是れ余が微少なる意志にあらず、余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。   

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362.日本人の目的
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/14(土) 17:42
ロンドン留学中のノートに漱石は「日本人の目的」は 「(1)文明ノ大勢ニ従ヒchanceヲminimumニスルコト (2)外国ニ抵抗シ、之ヲ圧伏 スルコト (3)宇内ヲ統一スルコト (4)然ル後世界全体ヲ改造スルコト」と記している。   

355.処刑直前に赦免されたドストエフスキー 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 2:9

 漱石は処刑寸前に赦免されたドストイェフスキーについて、1911年1月10日の朝日新聞に掲載された『 思い出すことなど』二十一に書いている。幸徳らの公判中で、1月19日に判決が出て、24日に処刑された。非公開で、証人調べもせず、まったくの暗黒裁判だった。死刑を言い渡され、処刑台上に引き出されたドストエフスキーについて書いた次の文章には、やがて死刑を宣告される幸徳らへの思いが込められていると思う。

 同じドストイェフスキーもまた死の門口まで引き摺られながら、辛うじて後戻りをする事のできた幸福な人である。けれども彼の命を危(あや)めにかかった災は、余の場合におけるがごとき悪辣な病気ではなかった。彼は人の手に作り上げられた法と云う器械の敵となって、どんと心臓を打ち貫かれようとしたのである。
 彼は彼の倶楽部で時事を談じた。やむなくんばただ一揆あるのみと叫んだ。そうして囚われた。八カ月の長い間薄暗い獄舎の日光に浴したのち、彼は蒼空の下に引き出されて、新たに刑壇の上に立った。彼は自己の宣告を受けるため、二十一度の霜に、襯衣(シャツ)一枚の裸姿となって、申渡の終るのを待った。そうして銃殺に処すの一句を突然として鼓膜に受けた。「本当に殺されるのか」とは、自分の耳を信用しかねた彼が、傍に立つ同囚に問うた言葉である。……白い手帛(ハンケチ)を合図に振った。兵士は覘(ねらい)を定めた銃口(つつぐち)を下に伏せた。ドストイェフスキーはかくして法律の捏ね丸めた熱い鉛の丸(たま)を呑まずにすんだのである。その代り四年の月日をサイベリヤの野に暮した。 

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357.「七刑人」
名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 12:2
『それから』にアンドレーエフの「七刑人」を読み、仲間が次々に処刑されて、最後に残った刑人の感慨に衝撃を受ける代助が描かれている。

代助は今読み切ったばかりの薄い洋書を机の上に開けたまま、両肱(りょうひじ)を突いて范乎(ぼんやり)考えた。代助の頭は最後の幕で一杯になっている。――遠くの向うに寒そうな樹が立っている後に、二つの小さな角燈が音もなく揺めいて見えた。絞首台は其所にある。刑人(けいじん)は暗い所に立った。木履(くつ)を片足失くした、寒いと一人が云うと、何を? と一人が聞き直した。木履を失くなして寒いと前のものが同じ事を繰り返した。Mは何処(どこ)にいると誰か聞いた。此所(ここ)にいると誰か答えた。樹の間に大きな、白い様な、平たいものが見える。湿っぽい風が其所から吹いて来る。海だとGが云った。しばらくすると、宣告文を書いた紙と、宣告文を持った、白い手――手套(てぶくろ)を穿(は)めない――を角燈が照らした。読上げんでも可かろうという声がした。その声は顫えていた。やがて角燈が消えた。……もう只(たった)一人になったとKが云った。そうして溜息(ためいき)を吐(つ)いた。Sも死んでしまった。Wも死んでしまった。Mも死んでしまった。只(たった)一人になってしまった。……
 海から日が上った。彼等は死骸を一つの車に積み込んだ。そうして引き出した。長くなった頸(くび)、飛び出した眼、唇の上に咲いた、怖(おそ)ろしい花の様な血の泡に濡れた舌を積み込んで元の路へ引き返した。……   

356.羅馬ハ亡ビタリ。希臘モ亡ビタリ 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/1/10(火) 10:49

英国の繁栄に驚く漱石は、それがアジア、アフリカの植民地の収奪によって成り立つものであることを知っていた。ロンドンに到着してすぐ、南アフリカでボーア人を残酷に殺戮した軍隊の凱旋に熱狂するロンドン人を見た。文明を誇る英国が、貧富の差が激しく、裏面に恐ろしい暗黒が秘められているのを見た。そして、英国ばかりでなくドイツもフランスも世界一の強国と自己を誇り、そこに恐ろしい帝国主義戦争の因子が秘められていることを知った。

「吾人ノ眠ル間、吾人ノ働ク間、吾人が行屎走尿の裡(うち)に地球ハ回転シツヽアルナリ。吾人 ノ知ラヌ間に回転シツ[ヽ]アルアリ。運命ノ車ハ之ト共ニ回転シツ[ヽ]アルナリ。知ラザル者ハ危シ。知ル者ハ運命ヲ形クルヲ得ン」

 留学中の漱石が日記に記した言葉である。そして漱石は「天下一」を誇りあう英独仏について、「彼等ハ過去ニ歴史アルコトヲ忘レツヽアルナリ。羅馬(ローマ)ハ亡ビタリ。希臘(ギリシャ)モ亡ビタリ。今ノ英国仏国独乙ハ亡ブルノ期ナキカ」と記している。大きな歴史の中で、世界を支配する強国の運命を思い、日本の前途を憂えたのである。

漱石がこれらを書いたのは一九〇一年、幸徳秋水が『二十世紀の怪物 帝国主義』を刊行した年の三月のことであった。 

331.従軍行 返信  引用 

名前:水島寒月    日付:2011/11/26(土) 12:3

はじめまして、寒月です。
漱石の[従軍行]は、"異化"の作用を考える必要があって、
"辯"のベクトルはロシアでは無く
学問を軽んじ、戦争を好む中央政府であると思いますが、
如何でしょうか?

これは楊炯の従軍行が念頭にあって、
(寧為百夫長、勝作一書生)
政府の軍国主義に対する激しい憤りを表している。
詳しくは、唐詩選国字解(東洋文庫)を参照のこと
漢詩は難しい…
解説がないと分からんように作ってるからどうもネ。 

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332.Re: 従軍行
名前:水島寒月    日付:2011/12/4(日) 17:1
↑すみません"辯"ではなく、"讐"です。   

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335.Re: 従軍行
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/13(火) 20:5
異化についてのご指摘は大事だと思いますが、それが直ちに政府批判になるというのは分かりにくいので、くわしく教えて下さい。   

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336.Re: 従軍行
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/14(水) 8:53
大分以前のものですが、私が書いたものがあります。感想・ご意見をいただければ幸いです

 漱石の「従軍行」は詩としてすぐれたものではなかった。類型的な表現からも自由ではない。しかしそこにはロシアに対する悪罵の言葉や、戦争を美化し、国民をあおりたてるような景気のいい、勇ましい言葉はない。むしろこの詩から感じられるのは重苦しい圧迫感であり、孤独感であり、暗い宿命、罪と呪いの匂いである。戦争詩一般の上昇的な気分に対して、ここにあるのは下降的な気分である。ここには漱石の暗い緊迫した心があり、孤独ではげしい戦の意志の表明はあるが、それはむしろ暗く寒く暗澹としていた。「吾に讎あり、艨艟吼ゆる」「吾に讎あり、貔貅群がる」「銕騎十万、莽と
して来る。」敵は強大であるのに、これに対抗するものは「男子の意気」や「勇士の胆」でしかない。ここには集団としての軍隊の姿はなく、単騎太刀をふりかざす孤独な戦士の姿だけがある。

以下「漱石と天皇制」所収「日露戦争と作家としての出発」
http://tizu.cocolog-nifty.com/ronbun/2011/12/post-f666.html   

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339.Re: 従軍行
名前:水島寒月    日付:2011/12/19(月) 0:55
まず私自身、正規の教育を受けていませんが…

題名から
元来、従軍行とは漢詩の楽府題(がふだい)の一つで、従軍の苦しみを歌った詩です。
楽府題とは、古体詩の一種です。前漢の時代、民間歌謡の採集のため楽府という音楽官署が設立されたましたが、
楽府において集められた歌謡そのものを指す言葉となったそうです。

なので、音楽の伴奏をつける為に必ず決められた形式の“漢詩”でないとイケナイ
(漱石は承知の上で、帝国文学に対しケンカを吹っかける訳です)
敢えてそれを無視し“新体詩”を叩き出す以上、含意を汲み取る必要があると思います。

そして漱石の親しんだ、江戸時代の教養として、
「荻生徂徠が『唐詩選』を高く評価したことから、弟子の服部南郭の注釈書『唐詩選国字解』
(平凡社東洋文庫全3巻)がベストセラーになった」背景があります。

その中に楊烱(ようけい) の“従軍行”が収められています。
漱石は勿論、漢詩を勉強した人なら知っているとみて間違いないと思います。
今、手元に唐詩選国字解がありませんので手短に内容を…

楊炯(生年不詳-692年):中国・唐代初期の詩人。字は不詳。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに「初唐の四傑」と称せられる。

<従軍行>(楊烱)五言律詩

烽火照西京|烽火(ほうか)西京(せいけい)を照らし

烽火:のろし 西京:長安
心中自不平|心中(しんちゅう)自(おの)ずから平(たい)らかならず

牙璋辭鳳闕|牙璋(がしょう)鳳闕(ほうけつ)を辞し
   

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340.Re: 従軍行(2)
名前:水島寒月    日付:2011/12/19(月) 1:30
<従軍行>(楊烱)五言律詩
烽火照西京|烽火(ほうか)西京(せいけい)を照らし

烽火:のろし 西京:長安
心中自不平|心中(しんちゅう)自(おの)ずから平(たい)らかならず

牙璋辭鳳闕|牙璋(がしょう)鳳闕(ほうけつ)を辞し
   

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341.Re: 従軍行
名前:水島寒月    日付:2011/12/19(月) 1:35
<従軍行>(楊烱)五言律詩

烽火照西京|烽火(ほうか)西京(せいけい)を照らし
     烽火:のろし 西京:長安
心中自不平|心中(しんちゅう)自(おの)ずから平(たい)らかならず

牙璋辭鳳闕|牙璋(がしょう)鳳闕(ほうけつ)を辞し
     牙璋:軍隊を出陣させるのに使う割り符 鳳闕:天子の宮殿
鐵騎繞龍城|鉄騎(てっき)竜城(りゅうじょう)を繞(めぐ)る
     鉄騎:鉄の騎兵部隊 竜城:匈奴のとりで
雪暗凋旗畫|雪暗くして旗画(きが)凋(しぼ)み
     旗画:軍旗の絵模様
風多雜鼓聲|風多くして鼓声(こせい)雑(まじ)わる

寧爲百夫長|寧ろ百夫の長と為らんも

勝作一書生|一書生と作(な)るに勝れり
___________________

   詳説は後日に書くつもりです…

これが、漱石の“従軍行”の元ネタに見えませんか?
特に秀逸な(悲愴ですが)

牙璋辭鳳闕
鐵騎繞龍城
雪暗凋旗畫
風多雜鼓聲

の部分が。

漱石の省いた最後の二句は
反語で、一生を学問に費やすより、たとえ小隊長でも軍人になるほうがマシだ!との意。
日本の辞書にもある慣用句ですが、軍事拡張政策を痛烈に諷刺する文句だそうです。
さすがに、「寧爲百夫長 勝作一書生」と書けば、良くて巣鴨留置所へ直行ですので。
書いてありませんが…
分かる人には、従軍行と言えばこの句が瞬時に閃くのではないでしょうか?

●結論
漱石の“従軍行”は、楊烱の従軍行を援用し、従軍の苦しみを歌った詩で新政府の軍拡政策を諷刺している。
一方、くどいほど古い漢語を用いて、時空のズレを宣言し、これは(中国の漢)神代?の事であって、日露戦争の批判でないと言い訳する。
そして、分かる人に異化で云いたい事を伝える訳です。

ひとまずココまで、
「日露戦争と作家としての出発」 の感想:漱石が「戦争は呪い」との認識に立っている事は。
私も理解しました。煽動的な詩とは解せません。
しかし当時、帝国大学と言う場所は仁参を踏みにじっていた事実はあります。
仁参:御三どんの象徴(漱石「創作家の態度」より)転じて細民のこと。   

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343.Re: 従軍行
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/19(月) 8:32
楊烱の従軍行についてはよくわかりますが、漱石の「従軍行」についてははっきりしません。漱石の詩そのものについて解釈してほしいと思います。
http://j.people.com.cn/94474/7679117.html   

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344.Re: 従軍行
名前:水島寒月    日付:2011/12/30(金) 15:42
漱石は、明治維新を唐の高宗(天皇大帝)の皇后“則天武后”が行った権力簒奪になぞらえています。

天皇大帝:則天武后が高宗に付けた諡(おくりな)で北極星の神格化、後に北斗七星と習合。
     なお明治維新前後、唐突に再使用された“天皇”の由来とする説があります。元来名乗る事ができない称号である。

例えば、
則天は王氏(前皇后)と蕭氏(前淑妃)を四肢切断の上、酒壷に投げ込ませた。
蕭氏は死に際、「則天が生まれ変わったら鼠になり、自身は猫に生まれ変わり食い殺す」と呪いながら死んだ…
これは、デビュー作「吾輩は猫である」の由来です。

本題に、漱石の“従軍行”段落二

天子の命ぞ、吾讎撃つは、
      臣子の分ぞ、遠く赴く。
百里を行けど、敢て歸らず、
      千里二千里、勝つことを期す。
粲たる七斗は、御空のあなた、
      傲る吾讎、北方にあり。
 
始めの二句は皮肉で、最後の句が

北方の彼方に光り輝く、北斗七星(天皇大帝)
 実はあなたが、“傲る吾讎”ですよ!と解せる話です。

そこで、楊炯(則天により左遷された宮廷詩人)
よりも過激な漱石は“彼ら”を始末する為に、
形の上では従軍しているけれども、反旗を翻し
天に誓い、血に渇く太刀を持ち出し、話者としての“吾”から武器を持った“我”になり、(←漢字の原義に基づく)
最終的に、兵士の群像から抜け出し“われ”は俗物ども全て滅ぼす武士であると宣言する。

一方、最終段落の

瑞穗の國に、瑞穗の國を、
      守る神あり、八百萬神。

結びならば、当然命を受けたの天子様を出すところ(まだ生存するなら…)
「なに、昔から日本には八百萬神がいるではないか」と言うあたり、諧謔的ではないでしょうか?
二重思考すると、
則天!去(レ)!私(ヲ)! 私:ここでは、私利私欲のこと。
が思いつきますが…   

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352.Re: 従軍行
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/3(火) 22:17
大変な学識に感心しました。しかし、そんなに難しく読まなければならないのでしょうか。当時の知識人はこれほどの学識があったのでしょうか。金子健二氏の「人間漱石」によれば、この詩は大学では不人気だった様です。多分寒月さんのように深い読みはできなかったのでしょう。
http://tanakanews.com/   

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354.Re: 従軍行
名前:水島寒月    日付:2012/1/5(木) 22:37
返信ありがとうございます。
大嫌いな角川文庫の後書きに、これについて悪く書かれていたので、だいぶ調査しました。
(↑:ヒトラーの「わが闘争」を文庫本にして出す会社!)
権力の横暴を常に警戒し難解に書くことで、漱石はあの時代を生き延びたと思います。   

353.夏目漱石 「また正月が来た」の言葉 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/1/4(水) 20:11

 寿命は自分の極めるものでないから、固より予測は出来ない。自分は多病だけれども、趙州の初発心の時よりもまだ十年も若い。たとひ百二十迄まで生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。それで私は天寿の許す限り趙州の顰にならつて奮励する心組こゝろくみでゐる。古仏と云いはれた人の真似まねも長命も、無論自分の分ぶんでないかも知れないけれども、羸弱なら羸弱なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於おいての感謝の意を致して、自己の天分の有あり丈たけを尽さうと思ふのである。
http://tanakanews.com/   

337.木下順二氏の「本郷」 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2011/12/17(土) 0:0

最近、木下順二氏の「本郷」を再読し、いろいろと発見がありましたので、感想を述べます。

・夏目漱石について

「本郷」は木下氏の生誕地、本郷を中心に、作者の半生を振り返った自叙伝のようなエッセイですが、土地柄、漱石のことがよく出てきます。中でも本郷の教会の場面が印象的です。この教会は「三四郎」の最後の場面で、教会から出てきた美禰子を三四郎が待ち受け、借金を返したり、美禰子の結婚を確かめる場所ですが、木下氏も第五高等学校の生徒のとき、信徒であったため、キリスト教の会議で、この教会を訪れ、ほのかに思慕を寄せていた女性が、既に亡くなっていたことを人づてに聞いて、ある感慨を持ちます。
そして傾倒し、耽読していた「三四郎」の場面と、自身の体験をだぶらせて思い出深く語っています。

木下氏は「三四郎」の中の「風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。」というフレーズをひき、この教会での体験を美しく描いています。

さらに青春時代のこのような体験を大切にするため、戦後に「三四郎」を再読したことがないと述べています。

伊豆先生も「クオヴァデイス」の印象を壊さないために、再読されなかったと以前述べられていましたが木下氏も同様の読書体験を持っています。

・第五高等学校について

「本郷」には五高のこともよく出てきます。木下氏は4修で一度落第し、翌年合格したそうです。
名物教授が多く、後に著名な国文学者となるある生徒はドイツ語の時間に「Durch」(英語のthrough)の発音を正確に出来ず、結局何回も言い直しさせられて、それで講義の時間が終わってしまったというようなエピソードが書かれています。

五高は伊豆先生の母校であり、漱石や八雲も教鞭をとり、また上林暁氏や梅崎春生氏等多くの作家が学び、中野孝次氏の「麦熟るる日に」にもその学生生活が詩情豊かに描かれています。

私は旧制高校に憧れがあり、最近亡くなられた、北杜夫氏の学生時代を描いたエッセイも好んで読んだことがあります。

余談ですが、かつて木下順二氏がラジオ番組で、私の一冊を語ったときやはり熊本出身の石光真清氏の「城下の人」「曠野の花」「望郷の歌」「誰のために」の自伝四部作をあげていたのを覚えています。

また、テレビ番組で、映画監督の黒澤明氏が、私の1冊に「三四郎」をあげていたのも思い出しました。 

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338.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:匿名    日付:2011/12/18(日) 1:20
「五高は伊豆先生の母校であり」?
伊豆先生の母校は旧制武蔵高校では?   

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342.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/19(月) 8:23
匿名氏のご指摘通り、私は武蔵高校出身です。当時は修学年限が2年に短縮されました。また、1年の10月(?)から勤労動員で工場に通いました。
http://j.people.com.cn/94474/7679117.html   

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345.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:飯島幹也    日付:2011/12/19(月) 23:53
伊豆先生の出身高校に対する、ご指摘、ご訂正ありがとうございました。勘違いしていて、まことに申し訳ありませんでした。   

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346.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/21(水) 21:53
五高といえば、横浜市大で一緒だった西郷信綱さんが五高出身で、西郷さんは木下順二さんと五高でご一緒だったと思う。梅崎春生、霜多正次
なども同級だったと思う。西郷さんは私より10年年長で、その約10年上の林房雄が五高出身だ。そして、1896年、五高の教授だった夏目漱石は竜南海雑誌に「人生」を寄稿している。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/12/19/0200000000AJP20111219001900882.HTML   

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347.漱石は「人生」に次のように書いた。
名前:伊豆利彦転載    日付:2011/12/21(水) 22:0
人生は一個の理窟に纏め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何)せん、若し人生が数学的に説明し得るならば、若し与へられたる材料よりXなる人生が発見せらるゝならば、若し人間が人間の主宰たるを得るならば、若し詩人文人小説家が記載せる人生の外に人生なくんば、人生は余程便利にして、人間は余程えらきものなり、不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来る、容赦なく且(かつ)乱暴に出で来る、海嘯と震災は、啻に三陸と濃尾に起るのみにあらず、亦自家三寸の丹田中にあり、険呑なる哉   

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348.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:pegion    日付:2011/12/21(水) 22:46
林房雄さんも、霜多正次さんも、「不測の変外界に起り、思ひがけぬ心は心の底より出で来」ったのでしょうか?
「人生は一個の理窟に纏め得るものにあらず」といいながら、理屈にこだわったのが漱石ではなかっのかとの思いがします。   

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349.Re: 木下順二氏の「本郷」
名前:飯島幹也    日付:2011/12/23(金) 0:45
ご紹介いただきました漱石の「人生」を読んで、「道草」の健三の言葉「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起ったことは何時までも続くのさ」を思い出しました。

「本郷」の中には様々な人との交遊も描かれており、五高で友人であった梅崎春生氏と漢詩の交換をしたことが語られています。

また木下氏は本郷のYMCA寮に長らく住まわれており、同じ寮に住んでいた森有正氏と友人になるのですが、自身の特異な体験を話した時の森氏の驚いた表情を書きとめています。

木下氏は寮の自分の部屋から自分自身が出てくるのを廊下の端から目撃する経験をしています。これはドッペルゲンガーと呼ばれる不思議な現象のようです。

さらに木下氏は自分が誕生した日の光景をはっきり記憶しているとも述べています。 

121.韓国漱石研究会編『夏目漱石の前期三部作研究』が出版 返信  引用 

名前:金正勲    日付:2005/10/15(土) 10:49

韓国で日本文学を専攻する研究者たちが集まって、『夏目漱石の前期三部作研究』(J&C、2005年8月30日)を発行した。
2003年6月の『夏目漱石作品『心』研究』に引き続き、2年ぶりに刊行した論文集である。

夏目漱石研究会が発足し、創刊号『夏目漱石文学研究』が紹介されたのは2001年5月である。
早くも三番目の論文集が独特の壮丁を持って、私たちの前に近づくようになったのだ。

この本には漱石の「前期三部作」と称える作品『三四郎』、『それから』、『門』に対する9編の論文とシンポジウム及び招請講演の内容が収録されている。

「夏目漱石の『三四郎』・『それから』・『門』に見られる女性像」、「日本における『三四郎』研究傾向と成果への照明」、「『三四郎』と『それから』に描かれている感覚表現考察」というシンポジウム発表題目からも窺えるように、それぞれ異なる研究対象と方法がこのように括られ、紹介されるということ自体がまず目新しい。

一貫して漱石文学研究に取り組んできた研究者たちが集まった場で、選定された研究者が自分の文学的特性を明確に表現し、全ての研究者がその内容について思惟と処方を繰り返えし、質疑・討論するという事実から改めて熱情を覚える。 

漱石研究者を日本から招聘し、講演会を開き、その内容をそっくりそのまま載せ、紹介しているのも興味を引く。
今度は横浜市立大学名誉教授伊豆利彦氏が、「夏目漱石の前期三部作と過去」というテーマで、漱石の作品中に使われる<過去>を<昔>という用語と見分け、<昔>は現在との断絶、<過去>は現在との連続という認識のもとに各作品中に描かれた<過去>の意味を明確に分析している。

このシンポジウム内容に基づき、研究者たちは自分の論の体系を構築している。
長い時間築造してきた自分の色彩をシンポジウムを通じて検証し、そういう知的刺激と感動を一定のフレームに盛って、文字言語で精製した方式で表現しているのだ。
この本に載っている9編の論文は、そのような過程を経て誕生した結果物である。 

「夏目漱石の『それから』に描写された人間像考察−長井得を中心に−」、「夏目漱石『三四郎』論−研究史的考察」、「夫婦関係から読む『門』」、「『三四郎』に描かれた恋愛の風景−ベーコンの23ページを下図にして−」、「夏目漱石『門』研究−<姦通>を通じて見た日本の<近代化>を中心に−」、「『三四郎』論−美禰子の造形の特徴を中心に−」、「『三四郎』論」、「『門』−「お米」の不安の構造に関する考察−」、「『それから』私見」が順番によって掲載されている。 

そこには芸術性の境界が瓦解する要素も、研究者の権威と地位を弱化させる装置も内在していないように見える。
漱石論と係わる文字と言説、そしてそういう表現方式だけが唯一に效用性の価値を持つ空間として感じられるからだ。

韓国で読まれる漱石文学の現住所が把握できる著書に間違いない。
http://home.naver.com/k6738157/menu6.html 

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333.Re: 韓国漱石研究会編『夏目漱石の前期三部作研究』が出版
名前:ヨウケイギ    日付:2011/12/7(水) 12:21
門について   

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334.Re: 韓国漱石研究会編『夏目漱石の前期三部作研究』が出版
名前:伊豆利彦    日付:2011/12/8(木) 7:56
韓国で僧籍研究が深まり、かつて過酷な植民地政策に苦しんだ怨恨を超えて、日本人を深く理解しようとする動きが強まったことは、日韓・日朝友好、東アジアの結びつきを深める上で大きな意味があると思う。それだけでなく、韓国からの光を当てることで、漱石や日本文学の一般的な理解が深まると思う。

 韓国の動きが中国をはじめアジア諸国にひろがることを期待する。
http://www.asahi.com/national/update/1206/TKY201112060510.html   

330.倫敦留学中の日記 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2011/11/17(木) 19:54

倫敦留学中の漱石は1901年3月21日の日記に次のように書いた。

英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独乙人もしか思へり。彼等は過去に歴史あることを忘れつつあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国仏国独乙は亡ぶるの期なきか。
http://j.people.com.cn/94476/7642393.html   

329.「日本近代文学と天皇制」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2011/11/8(火) 13:55

『漱石と天皇制』所収 「日本近代文学と天皇制」より

 啄木の『我等の一団と彼』の執筆は[大逆事件]の発覚と時期が重なっている。主人公の「彼」高橋は徹底したリアリストであった。「世の中を救ふ」というような「誇大妄想狂」ではなく、「かくせねばならん」という野心もないが、「斯く成らねばならん」という結論は持っている。そして、「時代の推移」は確実にその実現の方向に進んでいることを知っているので絶望することはないという。ここには個人の意志や希望によっては時代を動かすことはできないが、時代はそれ自身の法則に従って、必然の道を進むのだという思想がある。しかし、高橋はその実現は「僕等の子供が死んで、僕等の孫の時代、それも大分年を取ったころになって」だという。高橋は「時機を待つ人」であった。「時代の力ばかり認めて、人間のカーーー個人の力といふものを軽く見すぎる弊が有りはしないか?」という「私」に、高橋は「僕はただ僕自身を見限つてるだけだ」という。「人類だの、人格だの、人生だの、凡てあんな大袈裟な、不確かな言葉」は大嫌いで、「誰よりも平凡に暮らして、誰よりも平凡に死んでやらうと思つてる」というのである。
http://tizu.cocolog-nifty.com/souseki/2011/11/post-597b.html   

322.作家による漱石の作品への批判 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2011/5/20(金) 23:57

久しぶりに投稿させていただきます。

多くの作家が漱石の作品を評価していますが、漱石の作品に対してネガティブな感想を述べている文章について書きたいと思います。

1つは堀田善衛さんの「若き日の詩人たちの肖像」に、「少年は漱石と鴎外を少しばかり読んでみて、これは無教養な東京の官吏や役人風なインテリの読むものだ、ときめ込んでいた」とあります。若き日の堀田善衛さんは漱石に関心がなかったようです。

もう1つは学研により1969年に出版された現代日本の文学全集の漱石集の中で、解説を担当された丸谷才一さんは、「一体、漱石の新聞小説は、殊にあとになればなるほど空気が重くよどんで風通しが悪くなるのだが、『三四郎』だけは例外的にそういう欠点をまぬがれている。」
「第一に彼は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』という、小説の傑作を三つも書いた。」と述べています。
丸谷才一さんは上記三つの作品しか認めていません。
高い評価の文章が多い中で、このような批判に接することも、漱石の作品の理解のためには、大変重要な経験かと思います。 

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323.Re: 作家による漱石の作品への批判
名前:伊豆利彦    日付:2011/6/19(日) 10:53
作品に対する評価は時代により、人によりさまざまです。同じ人でも年齢で異なった評価をする場合があります。読者の批評は読者の文学にもとめるものによって異なると思います。

堀田善衛は富山県高岡市の古い回船問屋に生まれ、上京して慶応大学でフランス文学を学びました。『 若き詩人たちの肖像』の若者は早熟で頭のいい青年でした。当時はすでにマルクスやレーニンの著書を読むことは困難になっていましたが、英文で読み、戦争に傾斜する時代に対して批判的な意見を持っていました。田舎から東京に出てきて、ひたすら西洋の最新の思想と文化に憧れた若者が、西洋の近代に対して批判的な漱石の文学を古くさいと思ったのは当然です。田舎者といえば東京生まれで東京育ちの漱石に対して堀田の方がはるかに田舎者だったといえるでしょう。むしろ、田舎者の方が西洋のモダンな文化に憧れるのはないかと思います。

私の知人・友人でも、漱石に対する評価はさまざまです。漱石は中学生のころに卒業したという人も多い。漱石の前期と後期では、前期が面白いというのは日本人の大多数の意見でしょう。

漱石が作品を発表した当時は自然主義の全盛時代で、漱石に対する文壇主流の評価は低かった。戦争中も漱石に対する評価は低かった。「道義の作家」として祭り上げられたことも、けなされたこともあった。「暗い作家」ということが強調された時代もあった。

戦時中は漱石の作品はあまり読まれず、少年時代の私は『吾輩は猫である』くらいしか読まなかった。受験参考書で『草枕』の冒頭を読んで感心したが、全文を読む機会はなかった。

戦後は『 道草』などに関心が寄せられた。暗い戦争の時代を生きた苦悩が漱石評価に変化をもたらしたのだ。私が漱石に関心を持つようになったのは、1950年代からである。猪野謙二さんの「現代日本の開化」について、「外発的開化」と「内発的開化」論じられたことは漱石論に新しい時代を開いたと思う。

いまの私は『虞美人草』末尾に記された甲野さんの日記の一節、「悲劇はきた」に始まる言葉だ。悲劇は突如として生を死に変える。死に直面して、始めて人は自分に帰り、新しい生の可能性を探り求める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110619-00000075-san-int   

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324.Re: 作家による漱石の作品への批判
名前:飯島幹也    日付:2011/6/20(月) 23:50
ご返信ありがとうございます。

漱石ほどの作家になると、作品に対する評価や受け入れられ方を研究することで、その時代時代の社会状況を理解することできるようですね。様々な批判を受けつつも、いまだに真実と新しさを保ち続け、多くの人々に励みを与える作品の数々は、大変な文化的財産だと思います。

また伊豆先生ご自身の漱石作品への関心の経緯も教えてくださり、大変興味深かったです。私自身は、周期的に急に漱石の文章が読みたくなるときがあります。1度、漱石の長編13編を連続して読んだことがあります。主に夜間や休日、通勤時間などを利用したのですが、だいたい3ケ月かかりました。その時思ったのは、他の作家の小説を読まずに、漱石の作品だけを連続してある期間読むことは、通常の読書とはまた違った印象を作品に対して持てるということです。もちろん、そのことでどれだけ理解が深まったかは、わかりませんが、漱石の1冊1冊を続けて読破することで、相互の作品が、様々な関連を持って私に何かを考えさせるように思いました。

堀田善衛さんは、『若き日の詩人たちの肖像』の中で、当時、強い感銘を受けた作品にポーランドの作家シェンケビッチの『クオ・ヴァディス』を挙げています。

この小説は、ローマ帝国を舞台に、使徒達の活躍によるキリスト教の浸透と、ネロ帝の迫害を描いた歴史小説ですが、信徒の私にとっても、思い出深い作品です。

漱石門の野上弥生子さんが、この作品に触発されて、『秀吉と利休』を書いたことを後年知り、感慨深いものがありました。

丸谷才一さんは上記の漱石集の解説で、さらに「『三四郎』以後の小説に対してわりあい低い評価を下したからといって、文学者としての漱石に対して尊敬を払っていないわけではない。むしろその反対である。」とも述べています。その理由として、①『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』という傑作を3つも書いていること、②偉大な知識人でありながら、しかも優れた小説家であって、つまり一文明の知的指導者であったし、こういう位置を彼ほど長い期間保ち続けている文学者はほかに見られないのである、と述べています。

 

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326.Re: 作家による漱石の作品への批判
名前:伊豆利彦    日付:2011/6/21(火) 21:47
シェンケヴィッチの『クオ・ヴァディス』は私も、戦時中でしたが、中学生のころに読んで強烈な印象を受けました。
その後読み直す機会もなくて今日に至りました。当時の私は熱烈なキリスト教徒でした。いま再読すれば、また、新しい感銘があることでしょう。
ただ、昔の読書の記憶はまったく違っていることが多いので、不確かな過去の記憶を大事にしていたほうがいいかもしれません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110619-00000075-san-int   

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327.Re: 作家による漱石の作品への批判
名前:飯島幹也    日付:2011/6/23(木) 0:47
ご返信ありがとうございます。

青春時代の印象を大切にしたいために、『クオ・ヴァディス』の再読を躊躇われるていらっしゃるというお話、大変印象深いです。多感な時期に読んだ本の記憶が、数十年も記憶の中で生き続けるのは、まさに文学の豊かな力だと思います。

私にもそのような小説がいくつかありますが、むしろ初読では気付かなかった箇所が、再読、三読により気づくことが多くあります。

それは私が社会での経験を深めることにより、若いころには理解できなかった箇所が、少しづつ理解できてくるということだと思います。

漱石の作品で言うと、『道草』を学生時代に読んだときには、どこが面白いのかほとんどわからなかったのですが、40代で読んだときには身につまされることが多く、漱石に対して友人にも似た親愛を抱いたことがあります。

優れた小説を繰り返し読めるというのは幸せなことですね。   

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328.Re: 作家による漱石の作品への批判
名前:飯島幹也    日付:2011/7/18(月) 10:7
 最近たまたま『両像 森鷗外』という松本清張氏の鷗外の評伝を読みましたので、ご紹介したいと思います。ご承知のように清張氏は『或る「小倉日記」』で鷗外の小倉日記の所在を探し求める孤独な青年を描き芥川賞を受け、また『鷗外の婢』という推理小説を書くなど鷗外に造詣の深い作家です。
 『両像 森鷗外』の中で清張氏は一戸務という人が昭和8年に発表した論文を紹介し、「一戸氏は保の作製した資料内容と鷗外「抽齋」伝とを比較して、両者の距離にほとんど間然なきを指摘した。」と述べています。『澁江抽齋』が抽齋のご子息の保氏の提供した資料をもとに執筆されたことは、よく知られていますが、その資料と鷗外の文章にあまり違いがないというのです。『澁江抽齋』には鷗外のではなく保氏の文学的才能が見られるということです。保氏の資料と『澁江抽齋』の文章の類似箇所を並べて、例証しています。
 松本氏はさらに、鷗外の評論家がこの一戸論文に言及していないことを批判しています。
 松本氏は作家の評伝も多く書き、『文豪』は逍遥、紅葉、鏡花、緑雨の実像に迫った力作です。
 作家による漱石作品への批判を投稿させていただきましたが、漱石と並び称される鷗外の評伝で、思わぬ事情を教えられましたので、ご紹介させていただきました。   

325.幻想文学について 返信  引用 

名前:都民    日付:2011/6/21(火) 2:20

『旧約聖書』『新約聖書』を読んで、なぜ聖書がこれほど愛読されたきたのか少し理解できた気がしました。『エレミヤ書』や『ヨブ記』は文学としても大変な傑作であると思います。また、幻想的な描写が多いことに驚かされました。

大学時代、富士川義之先生の講義で、幻想文学とは何かとローズマリー・ジャクソンの『Fantasy』を読んでいきながら考えさせられました。

『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』は幻想文学の傑作ですが、幻想のなかに人間の真実を追求することは、文学のもっとも根源的な形態の一つであると思います。時代や国が違っても、それは変わらないと思います。『マクベス』や『夕鶴』をあげることもできるでしょう。

私は古典から多くを学びたいと思っています。   

320.漱石の木曜会 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2011/2/12(土) 23:56

夏目漱石宅で、木曜日に漱石の教員時代の教え子や漱石を慕う若手文学者が集まり、さまざまな議論をした木曜会の様子は鏡子夫人の「漱石の思い出」などにも詳しく書かれていますが、時に癇癪を起す漱石に、多くの人々が魅了され、集まったのは、やはり大きな人間的魅力があったのだと思います。
人間関係の希薄さに、気楽さを感じつつも、寂寥を覚える私には、「来たる者は拒まず、去る者は追わず」のこの会に羨望を抱きます。
阿川弘之さんの「志賀直哉」を読むと、直哉邸にも千客万来だったと書かれていますし、臼井吉見さんの「安曇野」にも、相馬夫妻を中心に中村屋には多くの、芸術家や文学者が集まったことが書かれています。
文豪と呼ばれる人には、文才だけでなく、なにか人を引き付けるものを備えていたんですね。 

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321.Re: 漱石の木曜会
名前:伊豆利彦    日付:2011/3/16(水) 23:46
漱石の弟子たちへの手紙を読むと、一々親切に長い手紙を書いていることに感心します。温かい思いやりと的確な教えに弟子たちは引きつけられたのだと思います。上下関係ではなくて友人関係の様なものを感じます。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011031690070602.html   

315. 漱石の新年  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2011/1/22(土) 6:30

 夏目漱石は1867年(慶応3年)旧暦1月5日、新暦では2月9日に牛込の馬場下に生まれた。慶応3年は丁卯の年である。いまから数えれば12×12、144年昔のことになる。

1915年(大正4)の1月13日から2月3日まで朝日新聞に連載した『硝子戸の中』第2回に、ある雑誌の新年号に写真の撮影を申し込まれたことを書いている。その雑誌に掲載される写真はみな笑っているのが気になって撮影を断ったが、笑わなくていいのだと言われて承諾した。ところが、出来上がった雑誌の写真はやはり笑っていた。修正を加えられたのだ。

 1915年の前年は4月20日から8月11日まで、「朝日新聞」に『こころ』を連載した年だが、脱稿した八月一日の前後からヨーロッパの戦争が拡大し、日本も参戦して、世界大戦に発展した。この時期、神経衰弱が悪化して家族を苦しめ、何をする気にもならない暗鬱な気分で過ごしたことは、十一月二十五日、学習院輔仁会で行った講演「私の個人主義」の冒頭に語られている。この年は新年とはいえ、決して笑っている顔を世間に曝す気にはならなかったのだ。第1回には暗い気分で新年を迎えたことが書かれている。

>去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当(けんとう)がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来(きた)るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零(こぼ)している。
(『硝子戸の中』一 朝日新聞一九一五年一月一三日)

ホームページ
http://homepage2.nifty.com/tizu/ 

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319.Re:  漱石の新年 
名前:伊豆利彦    日付:2011/1/22(土) 6:34
上記「漱石の新年」には日付に誤記があったので訂正しました。   

316.「大逆」事件とドストエフスキー 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2011/1/20(木) 6:14

 幸徳秋水らが「大逆事件」の名のもとに死刑を宣告されたのは1911年1月18日のことだった。前年5月末から6月にかけて、数百人の社会主義者・無政府主義者検挙され、26人が明治天皇暗殺計画容疑として起訴され、異例の速さで秘密裁判が行われて、1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決が出て、12名は特赦無期刑になったが、1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新見卯一郎、内山愚童ら11名が、1月25日に1名(管野スガ)が処刑された。

漱石はこの事件について直接言及することはなかったが、『思い出す事など』(1910年10月29日~11年2月20日)第21回に、死刑を宣告されて計の執行直前に特赦で命を助かったドストエフスキーのことを、いわゆる修善寺の大患で一度意識を失って生き返った経験とからませて語っている。

>彼は彼の倶楽部で時事を談じた。やむなくんばただ一揆あるのみと叫んだ。そうして囚われた。八カ月の長い間薄暗い獄舎の日光に浴したのち、彼は蒼空の下に引き出されて、新たに刑壇の上に立った。彼は自己の宣告を受けるため、二十一度の霜に、襯衣(シャツ)一枚の裸姿となって、申渡の終るのを待った。そうして銃殺に処すの一句を突然として鼓膜に受けた。「本当に殺されるのか」とは、自分の耳を信用しかねた彼が、傍に立つ同囚に問うた言葉である。……白い手帛(ハンケチ)を合図に振った。兵士は覘(ねらい)を定めた銃口(つつぐち)を下に伏せた。ドストイェフスキーはかくして法律の捏ね丸めた熱い鉛の丸(たま)を呑まずにすんだのである。その代り四年の月日をサイベリヤの野に暮した。
(『 思い出すことなど』二十一) 

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317.誤記訂正
名前:伊豆利彦    日付:2011/1/20(木) 6:23
「『大逆」事件とドストエフスキー」には誤記があったので訂正しました。1月18日に処刑されたと記しましたが誤りで、判決を言い渡されたのでした。訂正します。、   

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318.啄木の日記から
名前:伊豆利彦    日付:2011/1/20(木) 17:21
1月18日 半晴 温
 今日は幸徳らの特別裁判宣告の日であった。午前に前夜の歌を精書して創作の若山君に送り、社に出た。
 今日程予の頭の昂奮していた日はなかった。そうして今日程昂奮の後の疲労を感じた日はなかった。二時半過ぎた頃でもあったろうか。「二人だけ生きる生きる」「あとは皆死刑だ」「あゝ二十四人!」そういう声が耳に入っだ。「判決が下ってから万歳を叫んだ者があります」と松崎君が渋川氏へ報告していた。予はそのまゝ何も考えなかった。たゞすぐ家へ帰って寝たいと思った。それでも定刻に帰った。帰って話をしたら母の眼に涙があった。「日本はダメだ。」そんな事を漠然と考え乍ら丸谷君を訪ねて十時頃まで話した。
 夕刊の一新聞には幸徳が法廷で微笑した顔を「悪魔の顔」とかいてあった。
 〔受信〕牧水君より。
1月19日 雨 寒
 朝に枕の上で国民新聞を読んでいたら俄かに涙が出た。「畜生!駄目だ!」
 そういう言葉も我知らず口に出た。社会主義は到底駄目である。人類の幸福は独り強大なる国家の社会政策によってのみ得られる、そうして日本は代々社会政策を行っている国である。と御用記者は書いていた。
 桂、大浦、平田 小松原の四大臣が待罪書を奉呈したという通信があった。内命によって終日臨時閣議が開かれ、その伏奏の結果特別裁判々決について大権の発動があるだろうという通信もあった。
 前夜丸谷君と話した茶話会の事を電話で土岐君にも通じた。
1月20日 雪 温
「樹木と果実」の広告文を土岐君へ送った
 昨夜大命によって二十四名の死刑囚中十二名だけ無期懲役に減刑されだそうである。
 東京は朝から雪がふっていた。午後になっても、夜になっても止まなかった。
 仕事のひまひまに絶えず降りしきる雪を窓から眺めて、妙に叙情詩でもうたいたいような気分がした。
 前夜書いた「樹木と果実」の広告文を土岐君へ送った。それと共に、毎月二人の書くものは、何頁ずつという風に自由な契約にしよう、そうでないと書くということが権利でなくて義務のような気がすると言ってやった。
 〔発信〕土岐君へ。 
http://mainichi.jp/select/today/news/20110120k0000m030147000c.html?inb=fa 

313.漱石の名言 返信  引用 

名前:山嵐    日付:2010/10/17(日) 11:59

ネット上にて「馬は走る。花は咲く。人は書く。自分自身になりたいが為に」という文が、漱石の「名言」として紹介されています。
どのような文脈でいわれたのか、著作にあるのか、ぜひ知りたく探してきましたが、見つかりません。
これは本当に漱石の言葉なのでしょうか。
下世話な質問でもうしわけありませんが、ご教示いただければ幸いです。 

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314.Re: 漱石の名言
名前:伊豆利彦    日付:2010/10/18(月) 8:6
私もわかりません。ご存じの方はお知らせください。   

312.朝日新聞の漱石についての記事について 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2010/8/14(土) 21:30

本日の朝刊に「漱石、閔妃墓訪問の謎 日韓併合前年、韓国旅の道中」と題する記事が掲載されていました。
紀行『満韓ところどころ』や日記から、漱石の閔妃事件に対する関わりを論じた記事です。
その中で金正勲・全南科学大学(光州)副教授の「歴史認識をしっかり踏まえたうえで、批判だけで終わらず、文化共存の視点から、漱石文学の新しい読みをしたい」というコメントが紹介されていました。   

308.(untitled) 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2010/7/27(火) 1:0

ご返信ありがとうございます。

 小川国夫氏の「漱石、頼りになる案内人」は文芸春秋2004年12月臨時増刊号 特別版「夏目漱石と明治日本」に掲載されています。 
 「漱石が時代をよく知る小説家であることは、今さら言う必要もないことですが、彼が反時代的であったことも頭に入れておかなければなりません。彼は(いわゆる)日本の進歩を追いかけはしませんでした。それを見すかしていました。それが貴重なものを抹消して行くのをいきどおっていました」という意見を述べています。
 伊豆先生が多感な少年期にキリスト教に深く親しまれたことを知り、大変うれしく思いました。私も、戦時中の日本の教会がどういう態度を取ったかを聞いたり、読んだりしたことがあります。
 誠実な信徒達には、悲しく辛い時期だったと心が痛みます。あらためて、現在の信仰や言論の自由が尊いものに思われます。
 また私もキリスト教に影響を受けた作家の作品を読むのが好きで、信徒であった島尾敏雄氏の作品なども好んで読みます。代表作の「死の棘」の題名はコリント人への手紙に出てくる言葉ですね。
 信徒ではありませんが大江健三郎氏の作品も魂の救済や罪や赦しといった極めてキリスト教的なテーマを持つゆえ、海外でも多くの読者を獲得しているのだと思います。大江氏がブレイクやイエーツといった信仰をテーマとした作品を多く書いた詩人に対する理解と愛着をもとに小説を書いていることも有名ですね。
 最近ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳が多くの人々に読まれていることもうれしい現象です。

 暑さきびしき折、お元気でお過ごしください。 

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309.死を見つめる漱石
名前:伊豆利彦転載    日付:2010/8/1(日) 15:18
旧稿ですがUPロードしました。
参考になれば幸いです。
http://tizu.cocolog-nifty.com/souseki/2010/08/post-30be.html   

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310.Re: (untitled)
名前:飯島幹也    日付:2010/8/2(月) 0:8
前回の投稿で返信にするつもりが、あわてて新しい投稿を増やしてしまい申し訳ありませんでした。
また「死を見つめる漱石」のご転載ありがとうございます。大変興味深く拝見しました。
自身の死を予感して、初めて人間らしく生きられるということはよく言われることですが、まして漱石のような才能あふれる作家が修善寺大患等で、死を見つめたからこそ晩年の傑作が生まれたことを理解しました。
私も満50歳で、漱石の年齢を超えましたが、まだ気分的には30歳くらいの感覚で、とても漱石の境地には至りません。
文中で「漱石の思い出」を書いた鏡子夫人のことが出てきますが、漱石の亡くなったあと、東京大田区の上池上に住まわれていたと思うのですが、私も池上で生まれ小学校時代を過ごし、不思議な縁を感じたことがあります。
私が池上で過ごした同じ時期に、清岡卓行氏が暮らしており、奥様を失った悲しみを「アカシアの大連」で描いていたこともあとで知りました。   

306.漱石、頼りになる案内人 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2010/7/21(水) 0:7

題名は小川国夫氏が漱石を論じた文章の題名です。確かに漱石の作品は現代において、まさに「頼りになる案内人」という表現にぴったりの存在感を持っていると思います。
小川国夫氏も好きな作家です。私もキリスト教徒(プロテスタント)であり、小川氏の作品のテーマに強く惹かれます。
また私は横浜市立大学の英文科を出ていますが(伊豆先生の講義も受けたことがあります。)その当時、仏文科の教授をされていた、金子博氏が同人誌「青銅時代」で小川国夫氏、丹羽正氏などとともに、作品を書いていたことをつい最近知り、感慨深いものがありました。 

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307.Re: 漱石、頼りになる案内人
名前:伊豆利彦    日付:2010/7/26(月) 13:20
ご投稿ありがとうございます。

私も父がキリスト教で、戦争中は熱心なキリスト教徒でした。
戦争の末期は広い教会に信者は私一人のこともありました。
牧師は祈りの中で皇軍の武運長久を祈ると言うようになり、私は疑問を感じるようになり、戦後はアメリカべったりの若い牧師や、軽薄な若者が集まってくるようになって、いつのまにか教会を離れてしまいました。

年をとってからは仏教に関心を持つようになりましたが、私の思想の基礎は少年時代のキリスト教だと思っています。戦後の文学では武田泰淳、椎名麟三、遠藤周作などに強い影響を受けました。大岡昇平にも少年期のキリスト教の影響があると思います。

小川国夫さんの「頼りになる案内人」は何に収録されていますか。ぜひ読んで見たいと思います。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-26/2010072601_02_1.html   

304.野分 自己に何等の理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2010/7/13(火) 18:11

野分 自己に何等の理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。

「事実上諸君は理想を以ておらん。家に在っては父母を軽蔑し、学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これ等を軽蔑し得るのは見識である。然しこれ等を軽蔑し得る為めには自己により大なる理想がなくてはならん。自己に何等の理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。現代の青年は滔々として日に堕落しつつある」

・・「英国風を鼓吹して憚からぬ者がある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにも拘わらず、未だ此所までは堕落せんと思う。凡ての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度に於て皆奴隷である。奴隷を以て甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何等の理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。 

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305.Re: 野分 成功を目的として人生の街頭に立つものは凡て山師である。 
名前:伊豆利彦転載    日付:2010/7/13(火) 18:27
何歳まで生きるかは、 生きたあとで始めて言う可きことである。

◇自己がどれ程に自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。 過去がこうであるから、 未来もこうであろう ぞと憶測するのは、 今まで生きていたから、 これからも生きるだろうと即断するようなものである。 一種の山である。 成功を目的として人生の街頭に立つものは凡て山師である。

◇社会は修羅場◇理想の大道を行き尽くして、 途上に斃るる刹那に、 わが過去を一瞥のうちに縮め得て始めて合点が行く……諸君の事業そのものによって伝えられなければならぬ。   

300.「彼岸過ぎまで」と「リトル・ドリット」 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2010/4/3(土) 22:14

前回、漱石とディケンズについてちょっと書きましたが、もう一つ気づいた点を書きます。

漱石の「彼岸過ぎまで」もディケンズの「リトル・ドリット」も男性の主人公の母親が実は生みの親ではなく、事情あって育ての親であり、なおかつ両者の主人公とも、その事実を知らずに育ったのです。
2つの小説の筋やテーマは違いますが、2人とも本能的に不安感をもって育ち、それが性格や運命に影響を与えている点は共通しています。
もし漱石がデイケンズのこの小説を読んでいたら、「彼岸過ぎまで」を執筆するときに念頭にあったのではないかという想像を楽しんでいます。 

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301.ディッケンズと「二百十日」
名前:伊豆利彦     日付:2010/4/8(木) 8:2
ご指摘ありがとうございました。
ディケンズと漱石は深い関係があったと思います。
「二百十日」では圭さんが二都物語について次のように言っています。

「君はジッキンスの両都物語りと云う本を読んだ事があるか」
「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ジッキンスは読まない」
「それだから猶貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」
「へえ、どんなものだい」
「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寐ながら話してやろう」
「うん」
「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟だからね。ほら、あの轟々鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留まって、黒い烟の方を見る。   

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302.漱石の手紙
名前:飯島幹也    日付:2010/4/10(土) 23:56
ご返信ありがとうございます。

漱石の手紙にディケンズの感想が書かれています。

1907年8月15日に小宮豊隆あてに書かれた手紙で、その中で次のように述べています。
「是で見るとヂッケンスやスコットが無暗にかき散らした根気は敬服の至だ。彼等の作物は文体に於いて漱石程意を用ひていない。ある点に於いて侮るべきものである。然しあれ丈多量かくのは容易な事ではない。」
この記述から、漱石がディケンズの小説をたくさん読んでおり、ディケンズの豊かな文才は認めつつも、自分のほうが、作品を書く苦心は払っていると思っていたことがわかります。
この時、漱石はちょうど40歳で、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「虞美人草」を既に発表し、朝日新聞社で職業作家としてスタートしていた時期です。
その漱石の気概や自負が明瞭に見られ、印象深いです。また自分のことを「漱石」と書いていることも面白いです。
手紙は作品と違って、漱石の本音が随所に見られ、肉声を聞くような親しさがあります。また、いろいろな発見があり、作品を解く鍵を与えてくれるように思えます。
なお、ある英文学者の文章によると、、「ピックウィック・ペイパース」、「マーティン・チャズルウィット」、「二都物語」の三冊が漱石の蔵書にはいっていたそうです。   

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303.佛蘭西の革命を対岸で見てゐた英吉利と同じ教訓
名前:伊豆利彦 転載    日付:2010/4/12(月) 23:49
明治44年11月11日の日記に漱石は次のように記している。二都物語を思い起こしていたのだと思う。

 近頃の新聞は革命の二字で持ち切っている。革命といふやうな不祥な言葉として多少遠慮しなければならなかった言葉で全紙埋まつてゐるのみならず日本人は皆革命党に同情してゐる。ーー革命の勢がかう早く方々へ飛火しやうとは思はなかった。一ヶ月立つか立たないのに北京の朝廷は亡びたも同然になった様子である。痛快というよりも寧ろ恐ろしい。
 佛蘭西の革命を対岸で見てゐた英吉利と同じ教訓を吾々は受くる運命になったのだらうか。
http://www.asahi.com/international/update/0412/TKY201004110168.html   

298.漱石の写真 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2010/3/31(水) 23:31

漱石の作品は大変堅苦しいという印象を持たれていますが、実際には「猫」、「坊っちゃん」はもちろんのこと、どの作品も、何とも言えないユーモアに満ちています。
青年たちが食わず嫌いで、この面白さを味わわないのは大変、残念です。例えば「坑夫」は、漱石が学んだ、英文学のディケンズの軽妙な語り口を思い出させます。
そこで、著作や文学史に使用される漱石の写真を笑顔のものにしたらどうでしょうか?
青年に親しみが湧くのではないでしょうか? 

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299.Re: 漱石の写真
名前:pigeon    日付:2010/4/3(土) 11:11
「ガラス戸の中」二

 私は生れてから今日までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない。

確かに「ニコニコ」した漱石の顔は不自然な気がしないでもない。ユーモアの底にも一抹の翳りがある。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/760_14940.html   

296.戦後の文学における敗戦の意味 返信  引用 

名前:伊豆利彦 転載    日付:2010/1/5(火) 13:7

 戦後の文学における敗戦の意味 伊豆利彦
 『日本近代文学』第9集 1968年10月

 一九四五年八月十五日、その日はいつもと変らずに明け、同じように暮れた。くりかえす自然の営みにおいて、それは決して特別の日ではなかった。人々にとっても、肉体的体験としてはすこしも特別の日ではなかったろう。けれどもそれは日本人にとって生涯忘れることの出来ない日となった。人々は自分の実感として、歴史のまっただ中にいることをまざまざと感じた。それはまさに歴史的な国民的な体験であった。もちろんその内容はさまざまであったが、むきだしにされた自分白身に直面し、国家について、歴史について、そしてまた人間について、それらすべて根本的な問を自らに問わなければならなかった。それは各人の生涯の転換点であり、新しい出発点であった。戦後の文学もこの日を出発点としたのであり、その日の意味をさまざまに追求している。

 <戦争が終った。ー-それは不思議でも何でもない。戦争がいつ終るだろう?それは何百ぺん考え、何千べんつぶやいたことだろう。しかしまた、戦争が終ったーーそれは何と不思議な、とんでもないことだろう。>徳永直は「妻よねむれ」でそのような混乱した自分を表白するところから出発した。疎開先の農家の土間で、村人たちと天皇の放送を聞いた直は、その瞬間の村人たちの当惑と混乱と昂奮を伝えている。天皇や政府を信じ、すべてを失ってなお一生懸命な国民の激情のどこへ持って行きようもない噴出がそこにはあった。

以下全文
http://tizu.cocolog-nifty.com/ronbun/2009/12/post-1816.html 

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297.Re: 戦後の文学における敗戦の意味
名前:伊豆利彦     日付:2010/1/5(火) 13:33
40年も以上の論文だが、私の戦後の文学に対する考え方を決定した論文である。この考え方は、広津和郎論でますます強化され、最近では夏目漱石を新しくとらえ直す景気となった。

以下を参照していただければ幸いです。

「いまよみがえる広津和郎  散文精神について」
http://homepage2.nifty.com/tizu/sengo/imayomigaeruhirotukazuo.htm

日文協近代部会 2006年10月15日 レジメ
二葉亭 漱石 啄木 広津 文学史の可能性
http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/bungakusinokanousei.htm

講演 漱石と啄木 
http://homepage2.nifty.com/tizu/souseki/souseki@takuboku.htm
http://tizu.cocolog-nifty.com/ronbun/2009/12/post-1816.html   

295.漱石の朝鮮 返信  引用 

名前:金 正 勲    日付:2009/12/30(水) 9:36

漱石は朝鮮旅行の時、ソウルの南山から下りて次のように歌った。

    高麗百済新羅の国を我行けば

       我行く方に秋の白雲

    肌寒くなりまさる夜の窓の外に

       雨をあざむくぽぷらあの音

    草繁き宮居の迹を一人行けば

       礎を吹く高麗の秋風

 しかし、この内容に穆(シズカ)さんは「要領を得ない歌だな」と述べたという。穆さんは、妻鏡子の妹時子の夫鈴木禎次の弟で、朝鮮総督府副総督をしていた人物。

漱石は、朝鮮総督府副総督(自分の妻の親戚に当たる穆さん)と過ごしていたわけだが、漱石の朝鮮を見る心境は複雑であっただろう。

イギリス社会の格差を鋭い視線で批判した漱石とはいえ、日本の朝鮮植民地化について日本の責任を公開的に問い詰めることができなかったところには、こうした背景からのものもあったと思う。   

294.漱石の好きな作品 返信  引用 

名前:飯島幹也    日付:2009/12/5(土) 1:6

自由な読者として、好きな作品のベスト5は、「吾輩は猫である」、「道草」、「彼岸過ぎまで」、「明暗」、「それから」です。
多くの女性たちの可憐な描写に強く惹かれます。例えば「それから」で本心を打ち明けられた三千代の姿です。それから子供の描写にも惹かれます。多くの作品に子供の姿が活写されており、「彼岸過ぎまで」で子供が亡くなる描写が印象深いです。さらに、作品に鏤められている、和漢洋に渡る、漱石の博識を読むのも楽しみです。 

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2012/10/24(水)→2012/12/02 

2012/10/24(水)→2012/12/02  
12126.北ミサイル予告、接戦の韓国大統領選を「直撃」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/12/02(日) 01:10

読売新聞(2012年12月1日23時45分)

 【ソウル=中川孝之】北朝鮮が「人工衛星」と称する長距離弾道ミサイルの発射予告期間(10~22日)は19日の韓国大統領選投票日を挟み、2大政党の候補が接戦を繰り広げる選挙戦を「直撃」した。

 保守系与党セヌリ党の 朴槿恵 パククンヘ (60)、最大野党・民主統合党の 文在寅 ムンジェイン (59)両候補とも、北朝鮮の新たな挑発がいずれに有利に働くのか、神経をとがらせている。

以下全文
http://news.infoseek.co.jp/article/20121201_yol_oyt1t00901

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12128.Re: 北ミサイル予告、接戦の韓国大統領選を「直撃」
名前:伊豆利彦    日付:2012/12/02(日) 01:26
日本は右傾化を強めるのではないか。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20121130-1053665.html 

 

12125.石原氏全開、嘉田氏は安全運転 第三極デビュー戦  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/12/02(日) 01:12

日経 2012/12/1 2:00 記事保存

 30日の日本記者クラブ主催の党首討論会は、民主、自民両党に挑む第三極のうち日本維新の会代表・石原慎太郎氏と、日本未来の党代表・嘉田由紀子滋賀県知事の事実上のデビュー戦となった。石原氏は対中強硬論や自主憲法制定など持論を展開。嘉田氏は党の看板とする「卒原発」を繰り返し、安全運転に徹した。新興政党でも理念や政策の違いが浮き彫りとなっている。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3005M_Q2A131C1PP8000/

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12127.辻恵氏が民主離党 日本未来から出馬へ
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/12/02(日) 01:23
日刊スポーツ[2012年11月30日12時59分]

 民主党公認で衆院選に大阪17区から立候補する予定だった辻恵前衆院議員は30日、離党して日本未来の党公認で出馬する意向を固めた。同じ大阪17区から立候補する見通し。同日夕に記者会見する。衆院選候補予定者が公認決定後に他党に移って立候補するのは異例で、民主党に痛手となりそうだ。

以下全文
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20121130-1053665.html 

 

12123.宮本・元駐中国大使を単独取材 関係修復には「冷却期間が必要」 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 22:28

 「人民網日本語版」2012年11月27日

 「知中派」のベテラン外交官として知られる宮本雄二氏は、2006年-2010年の間に駐中国大使を勤めた。その間、小泉純一郎元首相の数回にわたる靖国神社参拝によって損なわれていた中日関係の修復に積極的に立ち回り、安倍晋三元首相による「氷を砕く旅」の実現に尽力した。胡錦濤国家主席の訪日の際には、「戦略的互恵関係の包括的推進に関する中日共同声明」の締結など重要な外交活動にも参与した。現在は日中友好会館副会長を担当している。

 人民網はこのほど、中日外交の当面の難局について、宮本氏に書面インタビューを行った。書面インタビューの内容は以下の通り。

以下全文
http://j.people.com.cn/94474/8036374.html

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12124.Re: 宮本・元駐中国大使を単独取材 関係修復には「冷却期間が必要」
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/29(木) 22:41
宮本氏の言葉は傾聴すべき意見だと思う。人民日報の記事は政治的で信頼できないというような憶説が日本のマスメディアを支配しているようだが、こちらの方が政治的デマゴギーなのではないか。私は人民日報の記事は信頼できると思っている。そこには日本を正しく理解し、日中関係の正常化を実現しようとする意志が感じられる。
http://j.people.com.cn/94474/8036374.html 

 

12122.狂気じみた金融政策が、日本を崩壊させる 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 22:26

 「人民網日本語版」2012年11月27日 

 日本銀行は急進的な量的緩和政策で有名だが、日本の政治家はそれでもまだ十分ではないと考えている。次期首相候補である自民党の安倍晋三総裁は「無制限の金融緩和」、「2-3%の物価上昇率」を実現するとし、さらに政策金利をマイナスにまで引き下げると表明している。自民党はこのほか、政府・日銀・民間企業が参加するファンドを創設し、外債を購入する方策を発表している。これらを総合すると、いくつかの「無制限」が見えてくる。無制限のインフラ建設、無制限のベースマネー発行、無限の金利引き下げ、外国為替市場への無制限の介入による円高是正だ。解放日報が伝えた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8035134.html 

 

12121.日系車が反転攻勢 困難な時ほど、中国市場を愛するべき 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 21:23

 「人民網日本語版」2012年11月27日

壮大な規模を誇る中国広州国際汽車展覧会(広州モーターショー)がこのほど、南部の中心都市である広東省広州市で開幕した。中日関係の悪化による日本車離れの傾向はある程度緩和されたものの、日本車の見通しは今なお「五里霧中」だ。そこで日系各大手メーカーは相次いで低価格のハイブリッドカーを打ち出し、巨大市場のパイを奪い返そうとしている。新華網が伝えた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8035072.html 

 

12120.高江 返信  引用 

名前:野間    日付:2012/11/29(木) 19:53

「標的の村 ~国に訴えられた東村・高江の住民たち~」
http://www.qab.co.jp/village-of-target/index.html
12月9日全国でも放送されるようです。

高江の「ヘリパッド」=オスプレイ・バッド建設の中止を求めるオンライン署名↓ご協力下さい。
http://t.co/aSNxopX8 

 

12119.国防軍構想―自衛隊でなぜ悪い 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 16:08

朝日新聞社説 2012年11月29日01時43分

 自民党が政権公約で、憲法を改正して自衛隊を「国防軍」に位置づけると明記した。

 安倍総裁は「外に向かって軍隊、内に向かって自衛隊。こんな詭弁(きべん)はやめようというのが自民党だ」という。

 日本の安全保障政策の根幹に関わる問題であり、強い危惧を感じざるを得ない。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211281019.html?id1=2&id2=cabcbbcj 

 

12118.嘉田滋賀県知事の女傑伝説 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 15:44

ゲンダイ 2012年11月28日 掲載
第三極受け皿で時の人

 脱原発の受け皿として、一躍、衆院選の台風の目となった「日本未来の党」。代表の嘉田由紀子・滋賀県知事(62)は、東日本ではなじみが薄いが、関西では名物知事だ。「もったいない」をキャッチフレーズに行政のムダを追及、新幹線の新駅建設や3つのダム建設凍結などを実現した。穏やかなイメージとは裏腹に、素顔は女傑そのもの。数々の“伝説”がある。

以下全文
http://gendai.net/articles/view/syakai/139845 

 

12116.中学生以下に年31万円、子育て応援券も 未来公約  返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 14:35

日経 2012/11/29 11:05 記事保存

 新党「日本未来の党」(代表・嘉田由紀子滋賀県知事)が衆院選公約の柱の一つとして、中学生以下の子ども向け手当として年間約31万2千円(月2万6千円)の支給を打ち出すことが分かった。一部はバウチャー(金券)の「子育て応援券」として支給することを検討。財源は特別会計の見直しなどで捻出するとしている。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2900G_Z21C12A1MM0000/

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12117.コラム:「未来の党」参戦で衆院選に大変化の兆し、枠組み影響も
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 15:26
ロイター2012年 11月 29日 13:11 JST

11月29日、滋賀県知事の嘉田由紀子氏率いる「日本未来の党」が結成され、衆院選の構図に大きな変化が生じる兆しが見えてきた。

以下全文
http://jp.reuters.com/article/JPpolitics/idJPTYE8AS02C20121129?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0 

 

12113.右に寄る自民・維新 「国防軍・核想定」〈乱流総選挙〉 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/27(火) 09:10

安全保障、憲法 主な政党の立場
朝日新聞デジタル記事2012年11月24日03時00分

 国防軍、核シミュレーション――。総選挙に向けて威勢のいい言葉が飛び交っている。主役は自民党の安倍晋三総裁と日本維新の会の石原慎太郎代表だ。一方、もとは改憲論者の野田佳彦首相(民主党代表)は右傾化の主張とは一線を画す。尖閣諸島の問題を抱え、安保論争が熱を帯びてきた。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211230753.html?ref=comkiji_redirect

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12115.「野合」批判の風強く 「日本維新の会」
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/29(木) 10:56
しんぶん赤旗 2012年11月27日(火)

橋下氏 “政策語ることは必要ない”
脱原発」消滅? 企業・団体献金「禁止」は撤回

「第三極」言うが

 “民主もダメ、自民もダメ”という声の受け皿を狙って「第三極」を名乗る「日本維新の会」に、「野合」批判が強まっています。

以下全文
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-27/2012112702_02_1.html 

 

12114.■経済支援いらない、だから基地どかせ  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/27(火) 10:04

朝日新聞デジタル記事2012年11月24日03時00分印刷用画面を開く

翁長雄志さんに聞く沖縄の保守が突きつけるもの

 解散総選挙で「沖縄」を語る声がほとんど聞こえてこない。原発問題は大事だ。消費税も大事だ。でも米軍基地問題はどこへ行ったのか。そんな本土の風潮に、沖縄を代表する保守政治家で、オスプレイ配備に反対する県民大会共同代表をつとめた翁長雄志・那覇市長(62)は問う。「甘えているのは沖縄ですか。それとも本土ですか」

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211230690.html?ref=comkiji_redirect 

 

12112.1%の金持ちと99%の我々:ビル・トッテン 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/25(日) 06:16

2011年11月17日

9月にニューヨークで始まったウォールストリート占拠運動は、財政危機が深刻化するヨーロッパ、そしてアジアやオーストラリアなど、世界の82カ国に広がり、10月15日には、「格差をなくせ」「原発反対」「TPP反対」など、東京でも多様な主張がなされた。

以下全文
(ビル・トッテン)
http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-763.html 

 

12111.日中再構築の道、どこに〈何を問うか:3〉 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/24(土) 10:08

朝日 2012年11月21日03時00分
■加藤洋一(編集委員)

 先週、上海で開かれたアジア地域安全保障に関する国際会議。主催した中国の研究機関の狙いは米国の「アジア回帰」の分析だったようだが、ふたを開けてみると尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化が「主役」となった。参加者の間に「今や日中関係は地域の主要な不安定要因」(米国人研究者)という認識があった。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211200937.html?ref=comkiji_redirect 

 

12110.日々通信を更新しました。 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/23(金) 13:09

第314号 20012年11月23日  今を生きる

パソコンが故障して、直接送信している方々に送信できなくなりました。

戦争の末期、死を見つめて、刻々の生を生きたときに私を支えた思想がいま、死が迫ってくるなかで刻々を大事にして生きる支えとして、今も私を支えてくれる。

今は選挙で美しい言葉が氾濫している。戦争の時も、平和とか人道とか正義とか、美しい言葉が氾濫する。

「時代閉塞の現状」の石川啄木は、「美しい理想」はみんな嘘だと喝破した。

 漱石も広瀬武夫の詩の「美しい言葉」を批判して、こんな詩を書く人間は信用できないとまでいった。

日々通信第314号 URL
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2012/11/314-ccd8.html 

 

12109.核保有の筋立てを=「抑止力になる」―石原維新代表【12衆院選】 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/22(木) 12:00

2012年 11月 20日 19:42 JST

 日本維新の会の石原慎太郎代表は20日、都内の日本外国特派員協会で講演し、尖閣諸島をめぐり対立する中国への対応に関し「日本は核兵器(保有)に関するシミュレーションぐらいやったらよい。これが一つの抑止力になる」と表明した。外国人記者との質疑応答の中で発言した。

以下全文
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_551293 

12108.北朝鮮、拉致調査前向き 合同委設置へ調整 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/22(木) 10:14

中国新聞 '12/11/22

 北朝鮮が、横田めぐみさんら拉致被害者の安否情報をめぐって日本側の提起した合同調査委員会の設置に前向きな姿勢を示していることが21日、分かった。政府筋が明らかにした。これを受け、日朝両政府は外務省局長級協議を月内にも再開する方向で調整に入った。日本側は調査の早期実施で合意を目指す。北朝鮮側の真意が読み切れない部分もあり、金正恩第1書記体制下で初めてとなる拉致調査が実現し進展に結び付くか予断を許さない。

以下全文
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201211220071.html 

 

12107.戦わないから勝つ勘定(2.5:修正中) 返信  引用 

名前:えすえーす    日付:2012/11/21(水) 20:53

 首相の意外な解散権発動で、論旨が実情と乖離する懸念があります。表題を変えるべきか迷っていますが、この書き込みは従来のままで続けます。
 何を重要視して、何を軽んじるかで、私達は自分の思うところに近い候補者を探す事が出来ます。理念の上では、そうあるべきです。
 アラブの団結を軽んじて、イスラエルがガザを空爆する様に、維新の代表は政策の差異を軽んじて、大政翼賛を目指しています。両者の勘定には現実に「即した」独善があります。故に、首相はTPPを対立軸に担ぎ上げる事で、その矛盾を突こうとしました。動機としては不純ではありますが、この戦術は選挙を分かり易くする上で、適切なものであると個人的に考えます。

 以前何度か触れた様に、私の独善はTPP反対、増税反対、原発反対の三つです。よってこれを全て満たす政党と、その候補者に投票する事になります。端的に言えば共産党です。
 みんなの党、(日本版)緑の党、国民の生活が第一、社民党も、上記の政策を是としています。とは言え、これらの党員は以前は与党の中に居て、その腐敗に自らの手を貸し与えた「前科」があります。たとえば小沢氏が有罪か無罪かはどうでも良い事ですが、個人的にはこうした前科は看過しかねます。許せる人は彼等に投票すれば良いですし、私の様に「今回はやや原理主義的」であれば、共産党に入れるしかない訳で、話は実に単純です。
 自民党、民主党、公明党、維新その他に投票する価値は皆無です。今のイスラエルを見れば、彼等の愚かさ、醜悪さというものが良く判ると思います。周辺諸国にミサイルで狙われ、それをミサイルで狙い返す、そういう国家に我が国をしたくはありません。
 今回の総選挙を難しく考える必要はありません。良心に従って投票を行えば良いと思います。 

 

12106.白川総裁、安倍構想にゼロ回答〈乱流総選挙〉 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/21(水) 17:34

安倍総裁と白川総裁の主張はかけ離れている
朝日 2012年11月21日03時00分

 「日本銀行は無制限の金融緩和を」「建設国債も全部買ってもらう」。次々と要求を突きつける自民党の安倍晋三総裁に対し、日銀の白川方明(まさあき)総裁は20日、ことごとく反論した。景気をよくするために金融政策はどうあるべきか。政府と中央銀行の関係は。衆院選を前に、論争はヒートアップするばかりだ。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211201027.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211201027 

 

12105.領有権対立の平和解決要求 温首相にオバマ氏(11/20 21:59)  返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/21(水) 08:12

 【プノンペン共同】オバマ11 件米大統領は20日、訪問中のカンボジアの首都プノンペンで中国の温家宝首相と会談した。中国が東シナ海と南シナ海で領有権を主張し、日本や東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国と対立を続ける問題を「国際法に沿って平和11 件解決」するよう要求、不公正な貿易慣行の是正も求めた。

以下全文
http://news.livedoor.com/topics/detail/7160368/   

 

12093.中国学者が党大会報告を分析 日本は冷戦思考を捨てるべき 【中日対訳】  返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/15(木) 04:07

「人民網日本語版」2012年11月14日

 中国社会科学院日本研究所副所長の高洪氏が現在北京で開催中の中国共産党第18回全国代表大会の報告における中国外交政策について分析した。「国際在線」が伝えた。

 高氏は「現在、国際情勢は複雑に入り組んでおり、特にアジア地区では先が読めない要素に満ちている」とし「今後10年、中国の外交は依然としてチャンスと試練に直面することは想像に難くない。新世代の中央指導部は歴史的変化の潮流を見ながら、柔軟かつ積極的に巨大中国の舵取りの方向を見極め、暴風雨が吹き荒れる世界情勢の中、定めた外交目標に向かって中国を導かなければいけない」と述べた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94474/8018121.html

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12095.中国の新リーダー、習近平氏 改革の手腕はいかに?
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/16(金) 08:24
WALL STREET..2012年 11月 10日 18:15 JST
http://jp.wsj.com/World/China/node_545761?mod=bullet_WSJWhatsNews

 中国の新指導者は誰に助言を求めるのだろう。15日に中国最高指導者となる習近平氏は、資本主義の道は決して選ばないと誓った毛沢東に助言は求めないほうがいいことは重々承知している。過去30年間の市場改革のおかげで貧困から抜け出した国民にもそう伝えてほしい。

以下全文
http://jp.wsj.com/World/China/node_545761?mod=bullet_WSJWhatsNews 

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12096.日本版「財政の崖」 中長期的な財政問題が深刻
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/17(土) 09:30

 「人民網日本語版」2012年11月16日 

 G20財務相・中央銀行総裁会議がこのほどメキシコで開催された。閉幕後に発表された共同声明は、世界経済に影響する複数のリスクを列挙し、日本版「財政の崖」問題が、欧州と米国の後に続き挙げられた。米国版「財政の崖」と異なり、日本版「財政の崖」は、赤字国債発行法案が依然として可決されていないことが主因となっている。経済之声「央広財経評論」が伝えた。

 ◆日本版「財政の崖」迫る

 財務省の計算によると、「特例公債法案」が可決されなかった場合、日本の財源が11月末までに枯渇する。仮にそうなった場合、公務員の給与未払いや、年金等の社会保障費の支給停止といった、社会危機が生じる恐れがある。共同通信社の最新の情報によると、自民党と公明党は昨日「公債発行特例法案」(修正案)を可決し、「特例公債法案」の会期内の可決に向け基礎を固めた。「特例公債法案」が可決された場合、日本は「財政の崖」を回避することになる。しかし短期的な財政危機が回避されたとしても、日本の財政が直面する中長期的な構造問題は解決がより困難だ。経済之声のコメンテーター、中国社会科学院日本研究所経済研究室主任の張季風氏が、同問題について語った。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8022041.html 

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12097.日系車企業が中国市場を放棄すれば中日双方に不利
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/17(土) 09:36
「人民網日本語版」2012年11月16日 

 日系車企業にとって今年の9月は最も厳しい月になるかと思われたが、10月の販売台数はさらに悲惨な結果となり、日系車企業の売上回復にはまだ時間がかかることが明らかとなった。最新の統計データによると10月、日系車は依然として9月の販売減少を打開できず、販売台数は9万8900台と、乗用車販売総数の7.6%を占めるに留まった。市場シェアは9月比4.6%減、前年同期比12.3%減となり、販売台数は前月比38.2%減、前年同期比59.4%減となった。下げ幅は9月よりも拡大した。中国青年報が伝えた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8022653.html 

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12101.日中韓FTA、年内交渉へ 中国、尖閣問題と切り離し
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/18(日) 08:10

日新聞デジタル記事2012年11月18日03時00分

 【北京=吉岡桂子、プノンペン=福山崇】中国外務省の傅瑩次官は17日、プノンペンで開かれる東アジアサミットを前に北京で会見し、日本、中国、韓国の自由貿易協定(FTA)の交渉を「5月の(日中韓)首脳会議で年内に始めると決めている。できるだけ早く始める」と述べた。尖閣諸島をめぐる日中の対立で交渉の遅れが懸念されていたが、予定通り進められることになりそうだ。

 枝野幸男・経済産業相ら3カ国の担当閣僚が20日にも現地で会合をもち、交渉入りを宣言する見通し。日本政府は中国側の対応を「この地域では経済を政治問題と切り離して成長させる、との国際社会への強いメッセージになる」(経産省幹部)と歓迎している。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211170740.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201211170740 

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12104.日本経済が中国への依存度は想像以下 経済制裁で利を得るのは米国 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/20(火) 22:01
 「人民網日本語版」2012年11月20日

 厦門大学がこのほど開催した学術シンポジウム「アジア太平洋地域経済協力の新構造における中国と日本」において、中国社会科学院日本研究所経済室主任の張季風教授は、「日本に対する経済戦争で、中国が一人勝ちすることはない。冷静に思考・計算すれば、日本経済の中国経済に対する依存度が想像していたほど高くないことが分かる。経済制裁はシギとハマグリの争いになり、中国に対して抑制の戦略をとる米国が漁夫の利を得るだろう」と指摘した。中国網が伝えた。

以下全文 
http://j.people.com.cn/94476/8025620.html   

 

12103.金正恩氏と軍の関係に異常な兆候 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/20(火) 09:02

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2012/11/19 10:10

 今年7月に粛清された李英浩(リ・ヨンホ)前朝鮮人民軍(北朝鮮軍)総参謀長(70)が咸鏡北道鏡城郡の朱乙温泉に軟禁されているとの情報が伝わり、韓国政府当局が確認に乗り出していることが、18日までに分かった。また、朝鮮人民軍の資金源とされる勝利貿易とカンソン貿易が朝鮮労働党のテソン貿易に統合されるなど、金正恩(キム・ジョンウン)式の軍支配が本格化しているようだ。

以下全文
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/11/19/2012111900816.html 

 

12098.【ナブルス通信】「ガザで殺人を行っているのは誰か」ーーノーム・チョムスキーらによる報道への呼びかけ 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/17(土) 16:33

ナプルス2012年11月14日

欧米各国でこれまでの戦争でなくなった軍人の追悼が行われた(第一次大戦の終結した)11月11日、イスラエルは一般市民に銃口を向けました。翌11月12日の朝刊はこれまでの戦争や現在進行中の戦いで犠牲になった人に関する報道であふれ、読者はこうして新しい週を悲痛な思いで迎えました。

しかし、これらの報道には、今日の戦争の犠牲者の大半が一般市民であるという事実に言及するものはほとんどありませんでした。
http://0000000000.net/p-navi/info/column/201211170633.htm

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12099.イスラエル、ガザに地上侵攻の見通し 現地報道 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/17(土) 16:46
日経2012/11/16 10:52

 【ドバイ=中西俊裕】イスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム系武装組織ハマスなどとの衝突で、ガザから発射されたロケット弾が15日夜、経済都市テルアビブ近郊にまで飛来した。イスラエルのメディアは危機感を深めた同国軍が16日中にもガザに地上軍で侵攻する見通しだと伝えており、ガザ情勢は一段と緊迫を強めている。

以下全文
http://mxt.nikkei.com/?4_8209_592692_15 

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12102.ハマスの首相府を空爆 イスラエル、地上戦準備
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/18(日) 08:26
朝日新聞デジタル朝刊(2012年11月18日)

 【ガザ=山尾有紀恵、エルサレム=村山祐介、カイロ=石合力】パレスチナ自治区ガザで17日未明、ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの首相府がイスラエル軍に爆撃された。地上戦の準備を進めるイスラエル軍が大規模なガザ侵攻に踏み切れば、パレスチナ人の死傷者が急増するのは必至だ。一方、アラブ連盟(本部カイロ、22カ国・機構)は17日、イスラエルによるガザ攻撃に関する緊急外相会合を開いた。周辺国は侵攻回避へ向けて動きを活発化させている。

以下全文
http://news.asahi.com/c/abc5ag5ibBqddjau 

 

12100. 狂乱首相の謀略解散全真相 鳩山元首相も間違いなく離党へ 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/18(日) 05:00

ゲンダイ2012年11月17日 掲載

同志を裏切り捨てる身勝手にカンカン

 野田首相の解散宣言を受け、民主党は予想通りの離党ラッシュとなった。15日だけで小沢鋭仁元環境相、初鹿明博衆院議員(東京16区)、中川治衆院議員(大阪18区)ら7人が離党を表明。
 山田正彦元農相も、超党派のTPP反対集会で「TPPを阻止する勢力を結集する時が来た」と挨拶。報道陣には「離党します」と明言した。15日の会見で離党を正式表明するとみられる。

以下全文
http://gendai.net/articles/view/syakai/139685 

 

12094.記憶 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/15(木) 07:05

子供のころをしきりに思い出す。私の記憶の一番古いのは何歳のころのことだろう。祖母の家が少し離れたところにあって、西日をさける簾を巻き上げて、 顔を出した祖母が利ちゃんなあといったのを覚えているような気がする。すべては不確かで前後の記憶は一切ない。私の家は、私が3歳のころに移転したから、それ以前の記憶にちがいない。

誰にも子供のころの記憶はある。誰もが赤ん坊であり、幼い子供だった。樋口一葉の「にごりえ」に銘酒屋の女に身を落とした女が、<誰も子供のころには、お菓子とお札のどちらをとるかと言われては、きっとお菓子に手を出したのに>と述懐するところがある。生まれるときには誰もが同じように生まれるのに、やがて大変な懸隔ができる。

一葉の文学が今も人の心を打つのは、人間を元来は同じ子供だったのにと、今の変わりようを嘆く大きな平等感にあるのだろう。オバマ大統領も野田総理も石原都知事、橋下大阪市長も、どんな子供時代を送ったのか。死のときが迫ってきて、しきりに子供のころを思い出し、人間はみな同じ子供時代を持ったのだと思う。
http://j.people.com.cn/94476/8015496.html 

 

12090.遠のく景気回復シナリオ 10~12月もマイナス成長か  返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/14(水) 00:36

弱まる内需に海外減速が追い打ち

日経 2012/11/12 11:09

 日本経済が7~9月期にマイナス成長に沈んだのは、エコカー補助金などの政策効果がはがれて内需が弱まったことに加え、海外経済の減速で輸出が低迷したためだ。内需の落ち込みを外需の回復で補う政府の景気回復シナリオは狂い、民間エコノミストの多くは10~12月期もマイナス成長が続くとみている。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1200D_S2A111C1EB2000/ 

12079.十八大 所得倍増で消費規模を64兆元に 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 18:07

「人民網日本語版」2012年11月9日

 胡錦濤同志は中国共産党第18回全国代表大会(党大会)での報告の中で、2020年をめどに全面的な小康社会(ややゆとりのある社会)の建設という壮大な目標を実現させ、国内総生産(GDP)と都市部・農村の一人当たり平均所得を10年の2倍に引き上げることを確実にするよう提起した。「経済参考報」が伝えた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8012552.html

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12083.商務部長:「島購入」の茶番が中日の経済関係を深刻に損なった
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/14(水) 00:12
 「人民網日本語版」2012年11月11日

 第18回党大会代表を務める陳徳銘商務部長(商務相)は10日、党大会プレスセンターで国内外記者の合同取材に応じた。

 (現在の貿易状況について)今年1-9月の中国の貿易総額は6.2%増加したが、9月だけだと輸出は9.9%の増加、10月だけだと輸出は11%以上の増加であり、緩やかな安定化傾向を示している。国際市場の需要不足の中、中国企業は困難を迎え撃ち、依然喜ばしい業績を上げている。わが国の貿易の伸びは世界の圧倒的多数の経済体を上回り、国際市場でのシェアは下落するどころか少し上昇している。貿易構造にも喜ばしい変化が見られる。ASEANやロシアなど新興市場への輸出の伸びは10%を超え、付加価値の高い機電製品の輸出の伸びは8%を超え、一部企業は積極的に構成を調整し、ブランドを育成し、国際競争力を一層強めている。

以下全文
http://j.people.com.cn/94474/8013958.html 

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12087.日本企業が中国から撤退する可能性高まる
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/14(水) 00:03
「人民網日本語版」2012年11月12日 
http://j.people.com.cn/94476/8014350.html

 このほど行われたアジア欧州会議(ASEM)の首脳会合で、温家宝総理と野田佳彦首相はすぐ近くをすれ違ったものの、一言も言葉を交わさなかった。釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題を発端とした中日の紛争は、依然として改善の兆しを見せていない。この難題が日本企業に与える打撃もますます大きくなっている。国際金融報が伝えた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8014350.html 

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12088.十八大 中国経済は中程度のペースの成長期に
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/14(水) 00:10
「人民網日本語版」2012年11月12日

 中国共産党の第18回全国代表大会(党大会、十八大)の報告では、「経済の持続的で健全な発展」や「経済発展モデルの転換で重大な進展を遂げる」といった一連の表現で、今後数年間の中国経済の発展の方向性を描き出している。ある経済ウォッチャーによると、こうした表現から中国経済の発展モデルに重大な変化が訪れる見通しであることがうかがえ、過去10年間の平均10.7%という急速な成長が、2けたを下回る中程度のペースの成長に転換することが重要な特徴の一つになるとみられるという。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
http://j.people.com.cn/94476/8015496.html 

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12089.中国経済の成長 新たな原動力が必要
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/14(水) 00:19
「人民網日本語版」2012年11月12日 

 「中国人民銀行総裁の周小川です」----。8日午後に開かれた第18回党大会中央金融系統代表全体会議で、周総裁は自己紹介から始め、現場にいた数十人の外国人記者の笑いを誘った。中国青年報が伝えた。

 世界2位の経済大国の中央銀行の総裁として、周総裁の姿はメディアによく知られている。また周総裁の発言のすべてが、中国経済情勢を占うバロメータとされている。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/8014294.html 

 

12086.コラム:米中関係、オバマ再選と習新体制で「前向き」に 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/13(火) 10:23

ロイター2012年 11月 9日 14:08 JST

ニューヨーク 8日 ロイターBreakingviews] 米国と中国は、これ以上ないほど政治システムがかけ離れている。しかし、オバマ大統領が再選を果たし、中国共産党も間もなく新指導部になる今、両国がわだかまりを捨てられると期待する理由は十分ある。もしオバマ大統領が最近の賢明な外交政策に基づいて事を進めれば、2つの大国間の競争は建設的なものになり得るだろう。

以下全文
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE8A802E20121109?rpc=131 

 

12085.検察敗北 小沢 控訴棄却 無罪 5年越し謀略に決着 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/12(月) 17:47

ゲンダイ 2012年11月12日 掲載

この国の権力は極度に腐敗している
<彼を大犯罪人として追及した検察と大マスコミはどう償いをつけるのか見ものだ>

以下全文
http://gendai.net/articles/view/syakai/139584 

 

12082.朴・安両候補が日韓関係改善に意欲 韓国大統領選  返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 19:42

日経 2012/11/8 19:45

与党・セヌリ党の朴槿恵氏
 12月の韓国大統領選に出馬表明している与党、セヌリ党の朴槿恵(パク・クンヘ)候補と無所属の安哲秀(アン・チョルス)候補は8日、それぞれ記者会見し、冷え込んだ日韓関係の改善に意欲を示した。朴氏は交渉が中断している日韓経済連携協定(EPA)の自由貿易交渉の必要性を強調。安氏は両国首脳が年1回以上、相互訪問する「シャトル外交」の再開などを公約に盛り込んだ。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0806C_Y2A101C1FF1000/ 

 

12081.さいたま市と同じ線量 ウクライナで健康な子どもは6% 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 19:25

2012年11月8日 掲載

食品摂取で内部被曝!?

 健康な子どもは6%――。昨年4月にウクライナ政府が発表した衝撃の事実。被曝(ひばく)者から生まれた子どものうち、健康なのは、チェルノブイリ事故から6年後の92年で22%だった。それが08年には6%に激減。一方で、慢性疾患のある子どもが20%から、78%に急増したという。
 恐ろしい結果だが、他人事ではない。ウクライナの放射能汚染レベルは、さいたま市と同じなのだ。

以下全文
http://gendai.net/ 

 

12080.高齢の親による「代理お見合い」日本で流行 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 18:23

 「人民網日本語版」2012年11月8日

 日本の「晩婚化」現象は、国内経済の衰退と同様、もはや歯止めのかからない状態になっている。ここ数年の日本の「国勢調査」を見ても、各年齢層の日本人独身男女の未婚率は、どの年齢層でも、右肩上がりに上昇している。このうち、「アラフォー」世代の結婚状況が、特に顕著な問題になっている。資料によると、「アラフォー」世代の男性の34.6%、女性の22.4%は、「独身貴族生活」を謳歌(おうか)しており、結婚する気持ちは毛頭ないようだ。日本新華僑報網が報じた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94475/8011768.html 

 

12078.日朝協議15日再開、モンゴルで局長級 拉致も提起 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 17:22

日経 2012/11/9 22:01

 日本と北朝鮮は15、16両日、モンゴルのウランバートルで局長級の政府間協議を開く。日本は8月末に北京で開いた課長級の予備協議の後、局長級の本協議を9月中旬までに開く方向で検討していたが、北朝鮮が日程調整に応じてこなかった。日本は次の協議で日本人拉致問題を議題として取り上げ、具体的な進展に結び付けたい考えだ。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0903F_Z01C12A1PP8000/ 

 

12077.「第三極」の政策―「小異」と見過ごせぬ 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 13:38

朝日新聞デジタル記事2012年11月2日00時38分

新しい政治勢力の結集をめざす「第三極」の動きが活発だ。

 東京都知事を辞職した石原慎太郎氏は、たちあがれ日本を母体に近く新党を立ち上げる。名古屋の地域政党だった減税日本も、国政政党に衣替えした。

 ともに、橋下徹大阪市長率いる日本維新の会などとの連携に意欲をみせている。

 既成政党の惨状は目に余る。地域から新しい勢力が国政に参入すること自体は歓迎したい。

 一方で、石原氏のこんな発言は見過ごせない。

 「原発や消費税とかは大事な問題かもしれないが、ある意味ではささいな問題」「小異を捨てて大同につくしかない」

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211010783.html?ref=reca 

 

12075.★競い合う米中の間で ロナルド・ドーア氏と若宮主筆語る 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/10(土) 09:28

朝日新聞デジタル記事2012年10月31日03時00分

 尖閣諸島をめぐって反日姿勢を強める中国の深層心理には何があるのか。米中の間で日本はどんな道を選ぶべきなのか。ユニークな発想で日本を論ずる欧州の知日派長老、87歳になったロナルド・ドーアさんを迎え、若宮啓文主筆が語り合った。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210300630.html

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12076.Re: ★競い合う米中の間で ロナルド・ドーア氏と若宮主筆語る
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/10(土) 09:49
ドーア氏は、「中国の関心は米。根底にアヘン戦争の屈辱」「日本は米の衛星国をやめよ」と語った。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210300630.html 

 

12073.社説[オバマ氏再選]東アジアの緊張緩和を 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/10(土) 06:30

沖縄タイムス 11月8日 09時33分

 オバマ政権2期目の外交課題は、なんといっても「米中関係」である。米中関係の動向は、普天間飛行場の返還問題にもストレートに影響を及ぼす。

 中国に対して封じ込め的な強硬策が浮上すれば、基地問題の解決は遠のき、日米の軍事一体化と沖縄基地の機能強化が進むことになる。

 米中が協調路線を打ち出し、東アジアの緊張緩和に乗り出せば、沖縄問題は動く。日本外交はその橋渡し役を果たすべきである。

全文URL
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-11-08_41231

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12074.中国潜水艦、2年以内に核兵器搭載も=米議会諮問機関
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/10(土) 06:29
ロイター 2012年 11月 8日 14:52 JST

[ワシントン 7日 ロイター] 米国議会諮問機関の米中経済安保調査委員会は、議会に提出する年次報告書の草案で、中国が2年以内に核兵器を潜水艦に搭載する可能性があると指摘した。

草案は、核拡散防止条約 (NPT) で核兵器保有が認められた5カ国のうち、中国のみが核戦力を拡大させていると分析。その上で、中国は「大陸間弾道ミサイル、弾道ミサイル搭載潜水艦、核爆弾搭載爆撃機の三元戦略核戦力を間もなく保持することになる」とした。

以下全文
http://news.livedoor.com/article/detail/7122544/ 

 

12068.習近平氏、「試練」経たエリートが中国最高指導者に 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/10(土) 07:59

2012年11月9日
朝日新聞デジタルニュース国際ロイターニュース記事アングル

 [北京 8日 ロイター] 元副首相を父に持つエリート家庭で生まれ、文化大革命の混乱の中で成人した中国の次期最高指導者、習近平・国家副主席(59)。普段はダークスーツに身を包み、共産党指導者たちの特徴とも言える「鉄仮面」をかぶる習氏だが、3年前に訪れたメキシコでは、その素顔を垣間見せていた。

 「世界的な金融不安の中、中国は依然として13億人を食べさせるという課題を解決できている。それ自体が、人類にとって最大の貢献だ」。外国からの中国批判に激しく反論して見せたこのコメントには、中国のインターネットユーザーから瞬く間に称賛の声が上がった。

以下全文
http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201211090042.html?ref=reca

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12070.中国景気減速に底打ちの兆し 卸売物価の下落幅縮小 
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/09(金) 18:03
日経 2012/11/9 11:15

【北京=大越匡洋】中国国家統計局は9日、10月の卸売物価指数が前年同月比2.8%低下したと発表した。8カ月連続のマイナスだが、下落幅は前月に比べ0.8ポイント縮小した。消費者物価指数(CPI)は同1.7%上昇。前月から0.2ポイント鈍り、2年9カ月ぶりの低い伸びとなった。中国の内需はなお勢いを欠くが、企業間の取引価格の下落傾向に底打ち感が見え始めた。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0901S_Z01C12A1MM0000/ 

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12071.中国での日本車販売台数60%減 10月、尖閣で減少幅拡大
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/09(金) 20:13
東京 2012年11月9日 19時17分

 【北京共同】中国自動車工業協会は9日、10月の日系メーカーの乗用車販売台数が前年同月比59・4%減の9万8900台だったと発表した。減少幅は約60%と、9月の40・8%より大幅に拡大した。日本車の単月の販売台数が10万台を割り込むのは2009年以来3年ぶり。

以下全文
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012110901001882.html   

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12072.中国での日本車販売台数60%減 10月、尖閣で減少幅拡大
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/09(金) 20:21
同記事より

 10月の中国全体の新車販売台数(商用車を含む)は5・3%増の160万6千台だった。2カ月ぶりにプラスに転じた。


http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012110901001882.html http:// 

12069.胡氏、「院政」へ暗雲 江氏が揺さぶる 中国共産党大会 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/11/09(金) 17:13

政治局常務委員をめぐる綱引き

朝日新聞デジタル朝刊(2012年11月9日)
中央軍事委員会をめぐる人事
 【北京=峯村健司】中国共産党の指導部交代が行われる第18回党大会が8日、開催が約1カ月遅れるなどの異例ずくめの中で始まった。最大の混迷は、次の指導部人事がまだまとまっていないことだ。今大会で総書記を退く胡錦濤(フーチンタオ)総書記(国家主席)の「院政」への道のりも、にわかに暗雲がたれこめている。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211080955.html?ref=comkiji_redirect&id1=2&id2=cabcbbaj&ref=nmail_2012119mo 

 

12063.中国、トップ交代を前に 賀衛方さんに聞く 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/07(水) 13:03

朝日新聞デジタル記事2012年11月7日03時00分

賀衛方・北京大教授
(法治と言論の自由の大切さを説く、北京大教授)

 中国共産党大会が8日から北京で始まる。胡錦濤(フーチンタオ)氏から習近平(シーチンピン)氏へと、13億人を率いるトップが10年ぶりに交代する。経済規模を4倍近くに膨らませた現体制だが、腐敗や貧富の格差など社会の矛盾は拡大した。法治や言論の自由の確立に向けて長く提言を続けている賀衛方(ホーウェイファン)・北京大学教授に新体制の課題を聞いた。

■一党統治の強みで景気対策は成功 政治改革には逆行

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211060677.html

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12065.胡理論、指導思想に格上げ 新指導部15日発足へ
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/08(木) 14:03
朝日新聞デジタル記事2012年11月8日12時03分

 【北京=林望】中国共産党の指導部交代が行われる第18回党大会が8日、北京の人民大会堂で開幕した。胡錦濤(フーチンタオ)総書記(国家主席)が活動報告(政治報告)で、自らが提唱した政治理論「科学的発展観」を毛沢東思想やトウ小平(トウは登におおざと)理論などに並ぶ指導思想とすると宣言。2020年までに国内総生産(GDP)と国民1人あたりの収入を10年比で倍増させるとの目標を掲げた。

以下全文 
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211080408.html 

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12066.日中関係の前途
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/08(木) 14:17
党大会で新指導部が成立すれば、日中関係も安定の方向に向かうだろう。所得倍増政策に学ぶなど、日本に学び、日本の協力、支援を求める動きが強まると思う。日本の次期政権は右傾化の傾向が強まると思われるが、どのように日中関係を安定させていくか。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201211080408.html 

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12067.日本の「隠された」経済力を過小評価すべきではない
名前:伊豆利彦    日付:2012/11/08(木) 19:18
人民網日本株式会社 
08:17 Nov 08 2012
http://j.people.com.cn/94476/8009418.html

 パナソニックやシャープが巨額の赤字を発表したことを受け、多くの中国人は日本の電子産業が衰退期に入り、製造業が深刻な危機に陥ったと考えているが、果たして本当にそうだろうか?

 日本の電子産業が衰退を見せている裏で、新たな電子産業の発展が始まっていることに注意しなければならない。日本の隠された経済力は、我々の想像をはるかに絶するのだ。環球時報が伝えた。
http://j.people.com.cn/94476/8009418.html 

 

12064.規制委「有識者」に原発マネー 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/08(木) 04:21

安全基準づくりを担当
6人中4人に6000万円

しんぶん赤旗 2012年11月7日(水)

 原子力規制委員会で原発の新たな安全基準づくりを担当する検討チームに加わる外部有識者6人のうち4人が三菱重工業などの原子力業界から、少なくとも約6000万円の報酬や寄付などの資金を受けていることが6日、本紙の調べでわかりました。厳格な安全基準づくりをになう立場にありながら、原発事故後も事故前と変わらず、原発マネーの恩恵を受けていることはその適格性が問われる重大問題です。

以下全文
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-07/2012110701_01_1.html 

 

12062.日本の「空気」文化 独特な社会を形成:宋文洲 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/05(月) 20:53

「人民網日本語版」2012年11月5日

 筆者は日本で創業・上場を実現し、日本で20数年間暮らしている。妻は日本人で、仲の良い友人の多くが日本人だ。まず言えることは、日本人は我々中国人と同様、暮らしを愛し、家庭を愛し、大自然を愛する、血の通った普通の人間だということだ。

 しかし日本に長く暮らしていると、一つの奇妙なものが日本人を動かしていることに気づくようになった。それは知らぬ間に形成される、集団で同一性を求める心理だ。このような心理は、どこかの組織により無理やり形成されるのではなく、英雄的人物によって形成されるわけでもない。これは共鳴に似ているが、強い拘束力と集団心理のプレッシャーが存在する。日本人はこれを「空気」と呼ぶ。

以下全文
http://j.people.com.cn/94475/8004488.html 

 

12060.「尖閣」共同管理へ定期協議要求 対日工作トップに習近平氏指名 中国が方針 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/03(土) 23:57

人民日報 2012.11.2 17:56 [中国]

 日本政府による沖縄県・尖閣諸島の国有化に反発している中国政府が、尖閣をめぐり領有権争いが存在することを日本側に認めさせた後、尖閣周辺海域の共同管理などを話し合う定期協議を求めるとの対日外交方針を固めたことが2日、分かった。複数の日中外交筋が明らかにした。

以下全文
http://j.people.com.cn/94474/7999475.html

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12061.Re: 「尖閣」共同管理へ定期協議要求 対日工作トップに習近
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/05(月) 17:39
NHK 11月5日 11時49分

自衛隊とアメリカ軍は、南西諸島の防衛態勢の強化などを目的とした大規模な共同演習を5日から行っていて、沖縄県のアメリカ軍基地には海上自衛隊の護衛艦が入港するなどしています。

以下全文
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121105/k10013250001000.html 

 

12059.「日々通信」を更新しました。 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/11/03(土) 06:37

第313号 2012年11月1日 日本の未来

いまはいくらか鎮静したが、中国で「反日デモ」が吹き荒れて、戦争勃発の危機を思わせる緊張した日々が続いた。中国人は日本から侵略された日々の記憶を忘れず、毛沢東の肖像が掲げられ、「日本帝国主義打倒」のスローガンが目立った。これを日本側では「反日教育」の結果として、日本側の責任についてはほとんど顧慮するところがなかった。すべて中国が悪いので、日本は正しい。こんな思い上がりが中国人を激昂させているのではないか。

URL
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2012/11/313-892a.html 

 

12058.戦わないから勝つ勘定(1) 返信  引用 

名前:えすえーす    日付:2012/10/30(火) 00:37

 報道量の上では、主戦派の動きだけが活発であるかの様に見える現状ですが、実際は何も動きの無いまま、今月が終わろうとしています。都知事の辞職は政界再編に何の効果も与えず、沖縄県知事の訪米以降は、基地関連の記事が見られなくなり、福島県民健康調査検討委員会の暴挙は、検証も反論の権利さえも行使されていません。人々が忘れるまでの時間を浪費させる事が、「彼等」の戦略であるかの如き様相です。
 私達の目を何から逸らせているのかを考えると、この戦略の目指す所が見えてきます。夏の終わりに私が共産党への投票を考え始めた直後、尖閣諸島の問題が火を噴くという形で、中国共産党への国民の警戒感が「煽動」されました。都知事がタカ派による第三極の結集を呼びかけた事で、現政権と自民党が既に極右である感触が薄められ、第三極が既に左派として成立している現実が見え難くなりました。

「彼等」は明らかに総選挙を恐れているのです。故に戦っている振りをしつつ改選を引き伸ばし、反原発、反TPP、反消費税増税によって、庶民の左向きに高まった政治意識が弛緩するのを画策している。私にはその様に見えます。
 先日の鹿児島県での補欠選挙では、その策動の効果が散々な投票率という結果として現れました。これは忌むべき状況です。政治不信に目覚めた人々は、次の選挙では棄権するのではなく、敢えて嫌いな共産党へ投票する事を選ぶ必要があります。さもなければ、自民、民主、第三極の何れが勝っても、我が国の民主主義は私達自身の怠慢のせいで滅びる事になるでしょう。
 継続は力なり、と言います。夏のデモを継続した力強さが、来る選挙でも弛まなく在り続ける事を祈ります。 

 

12050.石原都知事が辞職表明 新党結成、衆院選立候補を検討 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 16:55

朝日新聞デジタル記事2012年10月25日15時42

会見で辞職を表明する石原慎太郎都知事=25日午後3時4分、東京都庁、上田潤撮影
 東京都の石原慎太郎知事(80)は25日、都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞職すると表明した。新党を結成し、次期衆院選への立候補を検討する。都知事選は、辞職の申し出から50日以内に行われる。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210250235.html?ref=reca

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12052.Re: 石原都知事が辞職表明 新党結成、衆院選立候補を検討
名前:伊豆利彦    日付:2012/10/26(金) 12:58
なぜ石原は辞職して、国会議員になる道を選んだのか。自民党の安倍総裁は強固な改憲論者であり、もっとも右翼的とされていた。そこに高齢で最右翼の石原が出てきた。石原は中国を蔑視し、今の反日デモの原因をつくった石原が国政を動かそうとし始めた。政党政治に国民が絶望し、強力な専制政治をもとめる動きが強まったいま、石原が動き始めたのは、世界、とりわけ中国に衝撃を与えると思う。これからの日中関係はどうなるか。不安が強まる現在だ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2307Y_U2A021C1000000/ 

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12053.石原氏出馬で日中関係「具合悪い」…経団連会長
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/26(金) 13:14
(2012年10月26日09時50分 読売新聞)

 東京都の石原慎太郎知事の辞任と新党結成について、経団連の米倉弘昌会長は25日、記者団に、「なぜ都政よりも新党結成の方が重要なのか」と疑問視した。

URL
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20121026-OYT1T00374.htm?from=main2 

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12057.「東京維新」と大日本帝国憲法--世はアナクロニズムに満ちて(2・完) 
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/30(火) 00:29
[JCJふらっしゅ]2012/10/29 2180号             水島朝穂「今週の直言」29日)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2012/1029.html

 水島朝穂さん(早稲田大学法学学術院教授)の「今週の直言」。テーマは前週に引
き続き政治のアナクロニズム。キーワードは「復古」(Restoration)である。

 石原慎太郎都知事が25日、「都知事を辞職して、新党を作る」と辞意を表明。
 水島さんは、〈齢80の、とうに引退の年齢に達した石原慎太郎氏をメディアは新
人扱いして持ち上げる。およそ政治家が口にできない汚い言葉を頻用する「演説」
を、テレビは延々と垂れ流し、翌日の新聞は一面トップで報ずる(26日付各紙)〉
と、メディアを手厳しく批判している。
 また石原氏については〈自分で始めたことをすべて途中で放り出し、「占領憲法の
廃棄」を叫ぶ〉と、一刀両断している。

以下全文
http://archive.mag2.com/0000102032/index.html 

 

12055.日本政府「尖閣国有化」は「軍事拠点化」につながる=中国専門家 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/27(土) 23:09

サーチナ 2012/07/18(水) 10:39

  清華大学国際関係研究院の劉江永副院長は16日、日本政府が尖閣諸島を国有地にした場合、同諸島が軍事拠点化する可能性もあると述べた。中国新聞社の取材に答えた。

以下全文
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0718&f=politics_0718_007.shtml

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12056.尖閣烈々 日本の誤算 中国の思惑 主張認識の譲歩案も
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/29(月) 09:51
チャイナ・ウォッチャーの視点
Wedge 2012年10月11日(Thu)  森 保裕 (共同通信論説委員兼編集委員)

日本政府が9月11日に尖閣諸島を国有化して1カ月。29日には日中国交正常化40周年を迎えたが、主要な記念行事は中止。今、両国は尖閣諸島の領有権をめぐって激しく対立し、日中のネットや一部メディアには「戦争」というきな臭い言葉さえ飛び交う。

 11月8日からは、5年に1度の中国共産党大会が開かれ、習近平氏をトップとする党新指導部が誕生する見通し。中国指導部がこの時期に態度を軟化させるとは考えにくく、日中対立の長期化は必至だ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2270?page=5 

 

12054.鳩山元首相「領土問題として主権主張を」 尖閣問題で関連トピックス 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/27(土) 21:16

朝日新聞デジタル政治国政記事2012年10月27日18時8分

 民主党の鳩山由紀夫元首相は27日、北海道苫小牧市で講演し、中国との対立が激化している尖閣諸島(沖縄県石垣市)の問題について「領土問題として議論を大いにしながら、日本の主権を主張していくべきだ」と語った。日本政府は「領土問題は存在しない」との立場で、波紋を呼びそうだ。

以下全文
http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=127&agent=11&partner=nifty&name=%C4%AB%C6%FC%BF%B7%CA%B9&lang=euc&prop=900&bypass=2&dispconfig=&tblattr=1 

 

12051.日本企業の進出渇望する地域も 「一つでない中国」 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 17:24

広州支局 桑原健
日経 チャイナViews 2012/10/25 7:00

 沖縄県の尖閣諸島を巡る対立で「反日」一色に染まったかに見える中国。だが、一皮むけば、多様な利害を持つ地域の集まりであることが見えてくる。すでに地元経済の維持に日本企業が欠かせなくなった地域、今なお日本企業の進出を渇望する地域など日本との関係を見ると事情はさまざまだ。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2307Y_U2A021C1000000/ 

 

12049.来夏の電力、5%余裕 原発再稼働なしでも 政府委試算 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 08:53

電力会社の燃料費は増えている

朝日新聞デジタル朝刊(2012年10月25日)記事2012年10月24日22時02分

 【上地兼太郎、福山崇】政府の電力需給検証委員会は24日、沖縄をのぞく全国の来夏の電力について、これ以上原発を動かさなくても5.4%ほど余り、「電力不足にならない」との見通しを示した。節電意識が定着してきたのに加え、原発の代わりに火力発電を動かすためだ。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210240508.html?ref=comkiji_redirect&id1=2&id2=cabcbacf&ref=nmail_20121025mo 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 07:56

朝日新聞デジタル記事2012年10月24日23時01分

 東京都の石原慎太郎知事は24日、福島県の東京電力福島第一原発を視察した。終了後、原発事故対応拠点のJヴィレッジ(同県楢葉町)で記者団に「冷却しきれずに水素爆発が(起きたことは)大きな反省点だが、人間がせっかく開発した技術体系を放り出すのは愚かだ」と原発推進の持論を述べた。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210240627.html

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12046.日本維新、原発全廃の公約明記へ 30年代までに
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 08:21
東京 2012年10月24日 12時08分

 日本維新の会(代表・橋下徹大阪市長)は24日までに、次期衆院選公約に、2030年代までの既存の原発全廃を盛り込む方針を固めた。幹事長の松井一郎大阪府知事が明らかにした。ただ、技術開発は認め、安全性の高い原発が開発された場合のプラント輸出は促進するという。

以下全文
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012102401001063.html 

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12048.廃炉の原発 決める時
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 08:45
朝日新聞デジタル朝刊 2012年10月25日03時00分

 【編集委員・竹内敬二】《解説》原発で過酷事故が起きた場合の被曝を想定した図。本来なら原発を造る前に住民に見せるべきものだ。

 国や電力会社は東京電力福島第一原発事故が起きるまでは「絶対安全」といって原発の建設を進めてきた。今になって「やはり過酷事故は起こりうる」といって予測図を出すのは、原子力安全行政の失敗を如実に示している。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210240746.html?ref=comkiji_redirect&id1=2&id2=cabcbacf&ref=nmail_20121025mo 

 

12042.身を切るような痛みの日本経済 対中輸出が大幅低下 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 06:03

「人民網日本語版」2012年10月24日

 日本の財務省が22日に発表した速報値の貿易統計によると、9月の対中国輸出は前年同月比14.1%減少し、貿易立国である日本にとって巨大な圧力となっている。「国際金融報」が伝えた。

 経済が身を切るような痛みを感じるようになって、日本は態度を変化させてきた。岡田克也副総理は21日、中日間には釣魚島をめぐって領土問題が存在することを認め、これまでの「中国との間に領土問題は存在しない」と主張する高飛車な態度を改めた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/7988214.html

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12047.日中次官が秘密協議 先週末、上海で
名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 08:31
東京 2012年10月24日 11時52分

 外務省の河相周夫事務次官が先週末、極秘に中国・上海を訪問し、日中次官級会談を行っていたことが24日、分かった。相手は張志軍外務次官とみられる。沖縄県・尖閣諸島国有化で険悪化した両国関係の事態打開策をめぐり意見交換し、不測の事態回避と緊張緩和へ、外交当局中心に対話を続ける方針を確認した。日本政府は関係修復に向けた足掛かりにしたい考えだ。

以下全文
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012102401000923.html 

 

12044.男女平等ランク、日本101位に転落 上位4位は北欧 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 07:47

朝日新聞デジタル記事2012年10月25日07時23分

 【ロンドン=伊東和貴】ダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF)は24日、政治、経済、健康、教育の4分野での男女平等の度合いを評価した「男女格差報告」の2012年版を発表した。日本は対象となった135カ国のうち101位で、昨年より三つ順位を落とした。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210240613.html 

 

12043.日本の所得倍増計画、中国の参考に 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 06:16

「人民網日本語版」2012年10月24日

 アナリストは、「1960-70年代の日本国民の所得倍増計画は、中国の所得分配改革の参考になる」と指摘した。中国の現在の都市化率は、日本の1960年の65%を下回る。中国は都市化率を高めることで、都市・農村部の収入格差を縮小できる。中国証券報が伝えた。

 ◆日本の経験、所得増加と社会発展を促す

 戦後の日本政府は、傾斜生産方式および重点産業部門に対する価格支持等により、経済復興に成功した。朝鮮戦争による空前の特需景気により、1946-1955年の10年間で、日本の国民総生産(GNP)の年間平均成長率は9.2%に達した。

以下全文
http://j.people.com.cn/94476/7988279.html 

 

12041.何もかも主権問題に結びつけてはならない 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/25(木) 05:51

「人民網日本語版」2012年10月24日

 国家主権は神聖不可侵だ。しかし一方で、主権や領土問題とは全く関係ない事もある、ということを理解しなければならない。例えば人の命もそうだ。中国青年報が報じた。

 中日関係が季節と共に「冷え込む」中、喜ばしいニュースが日本から伝わってきた。沖縄県那覇市にある第11管区海上保安本部は21日、大型貨物船「MING YANG」号が 沖縄本島の南東約150キロメートルの海域で炎上しているとの連絡を受け、ただちに巡視船を救助に向かわせ、中国人乗組員64人全員を救出した。このニュースが伝わると、中国のネット上でも称賛の声があがり、「生命の意義は国境を越える」、「日本人が中国人乗組員を救助したことに感謝する」等のコメントが多数寄せられた。

以下全文
http://j.people.com.cn/94475/7988583.html 

 

12040.定まらない日本の脱原発方針に疑問続出(FT)  返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 18:00

日経(2012年10月24日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 日本政府が「2030年代に原子力発電所の稼働ゼロ」の方針を表明してわずか1カ月。政府が建設中の原発については工事継続を認める姿勢を示したため、政策転換の本気度に疑問の声が広がっている。

以下全文
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGV24003_U2A021C1000000/?dg=1 

 

12038.橋下市長の日本軍「慰安婦」暴言 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 16:42

吉見中大教授が抗議の会見
「しんぶん赤旗」2012年10月24日(水)

 日本軍「慰安婦」問題で暴言を繰り返している橋下徹大阪市長に抗議するため吉見義明中央大学教授が23日、市民団体「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」と市役所を訪れ、橋下氏の吉見氏に関する発言は事実誤認だと撤回と謝罪を申し入れました。9日から面談を要請していましたが橋下氏は拒否しました。

以下全文
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-24/2012102404_02_1.html

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12039.Re: 橋下市長の日本軍「慰安婦」暴言
名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 17:02
日本の売春制度は暴力による囲い込みと売春強制の性奴隷制度として国際的に批判されている。軍が関与する従軍慰安婦制度だけが自由な制度であるはずがない。軍の移動とともに移動する従軍慰安婦たちが、自由に行動することを許されるはずはないのだ。従軍慰安婦を論ずる日本の側にとんでもない誤解があるのではないか。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-24/2012102404_02_1.html 

 

12037.首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1) 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 16:08

[JCJふらっしゅ]2012/10/24 2177号
(水島朝穂「今週の直言」22日)

9月17日付「直言」の「権力者が芸術・文化に介入するとき-大阪市長と大阪フィル」の末尾で私はこう指摘した。「…9月12日、新党『日本維新の会』が結党宣言を行った。英語表記はJapan Restoration Party だが、フランス(restauration)やドイツ(Restauration)でこれを名乗ったら『王政復古』党である」。『朝日新聞』10月13日付は、結党から1カ月たって、この“Restoration”という党名に、「復古的」な意味があることを報じている。

そもそも「維新」という言葉をあっけらかんと使える歴史感覚は疑わしい。戦後、これを使う人は限られていた。「明治維新」を語るときを除けば、一般的に「維新」という言葉は滅多に使われなかった。使えなかったのである。「昭和維新」の歴史的現実を直視すれば、「平成維新」などという言葉を軽々しくは使えないはずである。

以下全文
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2012/1022.html 

 

12026.官邸前行動 大学院生「原発推進の中心に大企業と米国がいた」 返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 16:03

「しんぶん赤旗」2012年10月20日(土)

 首都圏反原発連合(反原連)が呼びかける、毎週金曜日の首相官邸前抗議行動が19日、官邸前と国会・霞が関一帯で取り組まれました。1万5千人の参加者(主催者発表)は「原発いらない」「いますぐなくせ」「政治をかえよう」「みんなの力で」と唱和。原発を推進する財界などに抗議の声をあげました。日本共産党の志位和夫委員長と山下芳生参院議員も訴えました。

以下全文
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-20/2012102001_02_1.html 

 

12029.丹羽大使「国交40年が水泡」 講演で日中関係に警鐘 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/23(火) 10:25

現在位置:朝日新聞デジタル記事2012年10月21日03時00分

丹羽宇一郎氏
 一時帰国中の丹羽宇一郎駐中国大使が20日、母校の名古屋大で講演し、尖閣諸島をめぐる日中関係について「(国交正常化後の)40年間の何十人という首相の努力が水泡に帰すかもしれない。40年以上前に戻ってしまう」と強く警鐘を鳴らした。政府が存在を否定する「領土問題」という言葉も用いて早期解決を訴えた。

 丹羽氏は今の日中関係悪化をこれまでと比べて「まったく次元が違う」と強調。自身が中国国民から「泥棒の親分」のような扱いをされていると例えた。

以下全文
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210200613.html

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12036.Re: 丹羽大使「国交40年が水泡」 講演で日中関係に警鐘
名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 10:38
丹羽大使を非難して、国賊呼ばわりするものさえある。尖閣問題について、中国を非難することしかできない日本の政治家や言論人は日本を滅ぼすのではないか。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-24_40589 

 

12030.鳩山政権はなぜ潰されたのか 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/23(火) 18:14

孫崎享さんに聞いた(その2)
日本の市民は本当のことを知らない
マガジン9'12.10.17

 孫崎さんの『戦後史の正体』(創元社)を読むと、民主党がなぜダメになったかを改めて考えさせられます。民主党として政権を取って最初にできた鳩山政権を潰したのは、官僚やマスコミ、声をあげない市民だと思いますが、政権の中にいる人は応援しなかったのでしょうか?

以下全文  
http://www.magazine9.jp/

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12035.Re: 鳩山政権はなぜ潰されたのか
名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 10:32
アメリカは日本の政官財を支配し、マスメディアや学者・評論家を支配して、日本国民を支配してきた。いま、日本の自立を目指すなら、対米従属からの離脱を実現する必要がある。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-24_40589 

 

12032.[相次ぐ抗議行動]島ぐるみ決起の様相に 返信  引用 

名前:伊豆利彦転載    日付:2012/10/24(水) 10:14

沖繩タイムス 2012年10月24日 09時50分

 オスプレイ強行配備と2米兵による暴行事件が、戦後、米軍基地に悩まされてきた県民感情に再び火をつけた。

 仲井真弘多知事はワシントンを訪ね、米政府の担当者に直接抗議。また9・9県民大会常任幹事会は、全41市町村長でオスプレイ配備撤回を野田佳彦首相に直接訴えることを同実行委に提案する方針だ。県議会は米軍の事件・事故で復帰後100件目の抗議決議を全会一致で可決した。沖縄の状況は「島ぐるみ決起」の様相を呈しつつある。

以下全文
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-24_40589

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12034.Re: [相次ぐ抗議行動]島ぐるみ決起の様相に
名前:伊豆利彦    日付:2012/10/24(水) 10:27
日本の朝鮮支配は36年だった。沖縄は千五60年以上も米軍に支配され、大きな犠牲を払わされている。尖閣よりも重大な沖縄問題にマスメディアが冷淡なのは何故か。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-24_40589 

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