2008年4月23日 (水)

[AML 19229] ラサの動きについて  A

一読者です。日本でもオリンピックの火を運ぶランナーの件で話題になりそうなので、著者によって「転載歓迎」とされているラサの動きに関する文章を貼り付けておきます。長いので、二回に分けて送ります。
   
   
    転載歓迎ここから-------------------------------------
   
      拉薩(ラサ)の動きについて ----何を隠そうとしているのか---- 
                 情報操作の方法   by三重諏井盾(みえす=いたて)
   

 2008年3月14日の拉薩(ラサ)の暴動の翌15日、CNNのサイトに「焼死の死者10人と新華社、僧院封鎖か チベット暴動」という見出しの記事が出た。そして中国の新華社通信が伝えた内容として、犠牲者の人数やその職業などについて述べられた。この記事ではいくつかのソースから情報を伝えるという形式をとって殺害や放
火などの事件について触れている。だが、よく記事を読んでみても、“誰が”犠牲者を殺害したのかについての明確な記述がない。警察側が殺したのか、チベット仏教僧侶側が殺したのか、この最も重要な点がはっきりしない文が続く。このような書き方の記事を見た人々の中には、中国政府が“自分たちが市民を殺したこと”
を認めたかのように信じる読者が生まれるだろうことは容易に想像がつく。だが、西日本新聞3月16日付朝刊が伝える3月15日の新華社電には、西蔵(チベット)自治区当局者は放火や略奪で市民が巻き添えになったとの見方を示したことが明かされている。つまり、西蔵(チベット)自治区当局者は、自分たちが市民を殺したと述
べたのではなく、市民を殺したのは暴動参加者であり何人もの市民を殺した暴動参加者を告発するというスタンスだったことを知ることができる。このことはもちろん上記のCNNのページの報道ではよく分からないようにされている。このような報道手法は、先ごろ米政府がおこなったイラクへの戦争に関する報道を思い起こさせる
。< BR>   だが今回が、イラクに戦争をしかけた時と異なるのは、西側諸国の一方的な大量報道作戦によって相手の口の封じ込めをめざす動きがあまりうまくいっていないという点である。なぜか。
 イラクの時にも、イラクからイラク人自身による声を世界に伝えようとするインターネット・サイトは、リバーベンドの日記をはじめとして存在していた。彼女ら、彼らはいわゆる西側メディアがイラクに関して歪曲した報道をおこなったり、虚偽報道を繰り返したりしている問題を指摘していた。だが、イラクは中東の小さな国
であり、たとえば日本にあるイラク大使館は、毎日一人からの嫌がらせ電話が一日中かかってくるだけでかなりの迷惑になるほどの人手不足という状態であった(注1)。だからイラクの人々が、西側メディアのさまざまな歪曲報道や虚偽報道の影響のもとにある人々にたいして真実の声を伝えようとしても、それらの声は西側メデ
ィアの大規模報道作戦によってかき消され、そうすることによって注意深い人でなければイラクの人々の声に気づかないようにされていた。
 また、イラクから真実を伝えようとしたジャーナリストは、時に米軍に消される危険を冒してイラクにとどまらなければならなかった。実際、イラクの人々が大量に犠牲となる可能性のあった市街戦を米軍がはじめる前(2003年4月)に、そのような犠牲者の存在を世界に知らせる可能性のある報道関係者のいるオフィスビルやホ
テルを、米軍はあらかじめ襲っておいた。幼いこどもを持つ記者が、そのテレビ局の入っていたオフィスビルで米軍による空からの襲撃によって殺されたり(注2)、各国の報道関係者が宿泊しているホテルを米政府の戦車が襲い、カメラマンたちが米軍戦車からの砲弾によって重傷を負わせられたり殺されたりした(2003年4月10日
付毎日新聞朝刊)。そのホテルで生き残った報道関係者にもその後米軍の監視の目が光り、米国政府は米国政府にとってそこが主権の及ばない外国の土地であることは気にしないことにしてそのホテルに押し入り、報道関係者にたいする調査活動をおこなった(注3)。これらをとおして米政府による情報操作はいっそう西側諸国の
人々の目と耳をコントロールするようになり、不正な選挙によって大統領の座を手にした男を最高権力者として仰ぐ米国政府は、自由にイラクの人々を殺すことのできる特権的な地位を手に入れた。
  だが、今回は当時とはおもむきがやや異なる。
 第一に、米政府の言うことやCNNなどの一部のメディアが語ることは、どこからどこまでが本当のことで、どこからどこまでがウソなのか分かりにくくされていることをイラクの経験をとおして知っている先進的な人々は、今回の拉薩(ラサ)関連の件でもすでに気をつけている。警戒は始まっている。そう簡単にはだまされない。
 第二点として、今回は中国政府の発表がいくつかの国語に翻訳されているため、インターネットをとおしてそれらを比較的容易かつ迅速に知ることができ、そうすることによって西側が語る「中国政府の発表」と元々の本当の「中国政府の発表」とを比べることができるし、従って西側の発表がどれだけ「中国政府の発表」を歪曲
しているか、西側の報道がどれだけある特定の勢力に偏向しているか、西側の発表が西側に住む人々をどこへ連れて行こうとしているのかを知ることができる。
 前回のイラクの悲劇の時と異なる点の第三点として、今はインターネットで動画を送ったり見たりすることがいっそう容易になった。したがって現地で撮影された状況を、まったく他の国にいても、テレビを録画することもせずに簡単に見ることができるようになった。
 今回が米国政府による前回のイラクにおける悲惨な破壊行為の時と異なる点の第四点として、中国の人々は世界各地に住んでおり、留学生もたくさんいるという点がある。彼らはそれぞれ滞在先の地元の報道を知ることができるとともに、中国各地にいる友達の生の声をチャットによって知ることもできる。西側メディアの歪曲報
道や虚偽報道があまりにもひどい時、それらに気づいた人はインターネットをとおしてそれらの問題を指摘する情報を的確に発信することができる。彼らは発言の権利を取り戻すことができる。
   
   すでにほころびを見せ始めている西側メディアの虚偽報道とはいったいどのようなものなのか。
 英国の読者は漢字を読むことができないだろうとタカをくくっていたBBCは、救急車を“軍隊だということ”に仕立て上げた。「英国BBCが同社ウェブサイトで発表した『引き続く混乱を語る西蔵(チベット)人』と題する報道では、医療関係者に協力して負傷者を救急車へ運ぶ西蔵現地の公安や武装警察の写真の説明が『多くの軍
隊が拉薩に』とあり、明らかな救急車のマークと医療関係者の赤十字のマークを無視して いる」(注4)(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(1)」参照)。ただし、BBCによるこのごまかしは漢字文化圏に暮らす我々日本人には通用しないごまかしである。
 「ドイツN-TVテレビ局の司会は『西蔵の新たな抗議活動』と言っているが、写真のラマ教僧侶と警察はネパールのものである。」(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(1)」参照)
 「ドイツRTLテレビ局ウェブサイトでは、ネパールで発生した事件を西蔵(チベット)・拉薩(ラサ)のものとしている」。「その後事実が明らかになり、謝罪声明を発表した。」(注4)(写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道(2)」参照)

CNNは拉薩(ラサ)の写真を3月17日にウェブサイトに掲載した。もともとの写真には、軍関係車両に石を投げる暴徒らと、石を投げられている車両が写っていた。もちろん、CNNの担当者はこの写真をCNNのウェブサイトに掲載するときに、石を投げている暴徒たちが写っている部分を写真から切り取って隠しておくことを忘れなか
った。CNNのウェブサイトには、石など投げようものなら戦車やヘリを持ち出して卑劣に殺しにやってくるあのイスラエル軍ほどの野蛮さはかもし出していないにしても、軍関係車両の部分がきっちり入れられた写真が載せられていた。CNNの担当者は、この写真をちょっと見た人には「中国政府は平和的な行動に対して暴力をふるっ
た」かのようなイメージを植え付けることに成功する確率が高く、これまでだったら西側諸国の人々に、中国に対する否定的なイメージを信じさせるのに役立ち、こうして反中国的な国際世論を作りあげることができるはずであった。
 ところが今回、彼らにとって事はそううまく運ばなかった。石を投げている暴徒らの写っている部分をCNN担当者が切り取って隠していることに気づいた人がいた。それに気づいた人がいただけではなく、それをインターネットで告発する人がいた。告発する人がいただけでなく、それを公開するウェブサイトが立ち上げられた(t
tp://www.anti-cnn.com)。するとそのウェブサイトに、歪曲報道や虚偽報道がほかにもあることを伝える多くの人があらわれた。こうしてこのウェブサイトは充実していった。もちろん、中国と中国人を悪逆非道の極悪人として描きたい一部の勢力は、これらの虚偽報道の事実を人々の目から隠ぺいしようと工作し、実際、このウ
ェブサイトに卑劣なクラック攻撃をしかけてきた。だがそれは、虚偽報道の事実を世界の人々にたいして隠しておこうとする一部の勢力の卑劣な常套手段を世界に知らせることになった。
 西側メディアの虚偽報道を告発するウェブサイト(注6)のひとつである上記アンチCNNサイトには、次のような説明が記されている。このサイトは、事実を歪曲した一部のメディアによる客観性を欠いた報道や虚偽報道を明らかにするためにつくられた。これは個人のボランティアが自発的に開設した非営利・非政府のウェブサイ
トである。
 そして、西側メディアに反対しているのではなく、一部メディアの客観性を欠いた報道を正そうとしていること、また、西側の人々に反対しているのではなく、誤った偏見にとらわれてしまった人々の良心がその偏見のわなから抜け出る手助けをしようと手を差しのべていることが読みとれる。
  ドイツの“Bild”紙は、ネパールでの警官隊と僧侶の衝突写真の一部分を切り取って掲載し、「北京オリンピックをボイコットすべきか?」という見出しを付けた(注7)。“レコードチャイナ”は中国に批判的な記事も配信しているウェブサイトであるが、そのようなサイトですらこの件を報じている。
 CNNが西蔵(チベット)自治区を「国家」と言いあらわすヘマをやらかしてしまったことについてCNN自身は「たった2回だけ」だと主張したが(注8)、そのような弁明に対して、虚偽報道の回数が少なければ構わないという態度に疑問を呈したり(
ttp://www.visfile.com/tibet.html)、1回の虚偽報道であってもそれを問題視する声が上がっている。「2回までなら虚偽報道しても謝罪しなくてOK」ということになれば、読者にしてみればどの記事が真実であり、どの記事が虚偽報道なのかがいっそう分かりにくくなり、三度目の報道からやっとその報道を信用できるというの
では“何度目の虚偽報道なのか”を各記事ごとにいちいち数えておかないといけないのだから、えらく面倒な話である。一応付け加えておけば、CNNの外の世界における常識では、報道機関が虚偽報道を一回でもおこなうことは問題となることになっているので、多くの報道機関は読者や視聴者からある程度の信頼を付与されてきた
。だがCNNは自分で自分の記事の信憑性を失わせて悦に入っている。「人として生まれたからにはCNNみたいになってはいけない」というセリフがはやるというのも(注9)、自然のなりゆきである。
 アンチCNNサイトには、ドイツの“N-TV”が、ネパール警察がチベット仏教系活動家を取り締まっているシーンと、中国警察とを、視聴者が混同するように配置をしたことが記されている(注10)。
  米国のワシントン・ポストも、ネパール警察がチベット派活動家を取り締まっている写真を使いつつも、中国警察が取り締まっているとする小細工によって虚偽報道をおこなった(注11)。
 イラクに米国政府が戦争をしかけるにあたって重要な煽りの役を引き受けることをとおして、多くのイラクの幼い子どもたちが残酷に殺されるのを手伝った米“FOX”は、当然今回もぬかりなく虚偽報道をおこなっている。今回FOXが選んだ手口は、インド警察と中国警察をすり替えるというやり方だった。FOXはインド警察がチベ
ット派活動家を取り締まっている写真を中国のものであると偽って使用した。だが米FOXのこの見えすいた手口は、インド警察の制服が写真の中に写っていたため一発で見破られてしまい、これが中国の写真ではないことが明らかにされた(注12)。ごまかしによって被害者を加害者に仕立て上げることをとおして視聴者にウソを信
じさせ、人々の良心を汚そうとするFOXのお決まりの粗雑で野蛮な報道手法がまたばれてしまった。
 ドイツの“N24”の虚偽報道も明らかにされている(注13)。この報道ではネパールの写真が、中国における死者として報じられている。偏向した虚偽報道を告発するウェブサイトでは、取り締まっている警察官の着ている服装がネパール警察の制服であることが指摘されている。ネパールの写真を“中国である”としてすり替え
るお粗末なやり口だった。
 ドイツの“N-TV”のアナウンサーが偽りを口にしたことも示されている(注14)。アナウンサーが「チベットの新たな抗議者」と述べ、その後ろにある写真の説明にも「チベットにおける新たな抗議者ら」と記されているのであるが、その写真の中にいる警官はネパールの警官である。この会社はネパールと中国との国境線を自由
に書き換える特権をどこからさずかったのか? せいぜいどこからともなくさずかったのであろう。
  ドイツの“RTL”が、チベット関連の報道の中にネパール警察による取り締まりの写真を悪意をもって混ぜ込んでいることも告発されている(注15)。

ドイツの“Spiegel”が、本末転倒の記事を載せていることも記されている(注16)。道路を守る盾の並んだ写真について、このSpiegelの担当者は中国の取り締まりが残虐非道であるかのようなイメージを人々に植え付ける意図をもって「軍が無慈悲な行動で反応した」と訴える作戦に出たが、もともとこの写真を撮影した持ち主
であり、その後ラサからネパールに旅行を続けた旅行者のブログに述べられていた事実によってウソがばれた。そのブログの著者は14日の暴動の前日、ラサの状況について聞いていたのと比べて自分が拉薩(ラサ)に到着してからがあまりにも何も起こらなかったので、旅行業関係者が業務の価格を高くするためにわざとラサの状況
について大げさに危険そうなことを言っているのではないかと疑っていたほどなのだが、その後15日の彼のブログには(注17)、14日の騒動が非常に早い段階から一般市民を襲いはじめたことについてそのブログ作者、およびその相部屋だった目撃者の誰もが認めていることが記されている。すなわち、冷酷な行動をおこなったのは
Spiegelの担当者が人々に信じさせようとした側とは逆の側だった。自分が撮った写真ではないにもかかわらず、その写真の前後関係を好き勝手に想像することによって作りあげた空想上の物語を事実として報道してしまうSpeigelの担当者の無責任な軽薄さはいただけない。
 無責任な軽薄さという点では、欧米の一部メディアにひけをとらない日本のあの新聞が思い起こされる。以前から歪曲報道や偏向報道、虚偽報道をおこなうことでしばしば問題になってきた日本のあの新聞についてここで触れないで済ますことは、無責任な軽薄さにおいて随一のあの新聞の名声を汚すことになろう。
 あの新聞は1997年1月1日号紙上で藤岡信勝氏が櫻井よし子氏との対談において明らかに事実に反する発言をしたことについて、その後紙上で読者に訂正と謝罪をしなかった(注18)。明治政府国家を美化しようする藤岡氏のねらいは、1902年の「教科書疑獄事件」の事実によって手痛いしっぺ返しを受けることになる。
 このように虚偽報道を訂正しないあの新聞は、2003年9月29日、「昭和の日」法案を必死にあおっておきながら、それが廃案になるとそれを報じないことにした(『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.86)。
 このように重要事実を伏せる傾向があるという点で問題となっているあの新聞は、2002年3月に沖縄で自衛隊員が少女暴行をおこなった件でも、3月31日までその紙面で触れないでおくことを選んだ(注19)。
  広島県教職員組合を卑劣なテロリストが銃撃した一連の事件で「救う会熊本」の理事が逮捕されたとき、例のあの新聞はテロの犯人と「救う会」との関連について触れることを用心深く避けた(注20)。だがこれは、このような右翼テロリストとあの新聞とのあいだの関係について、読者の心に疑惑の念を生じさせる。
 米国がイラクに戦争をしかけたときにもあの新聞は、「米国はイラクの大量破壊兵器隠匿施設を実は掌握しており‥‥‥施設を急襲し大量破壊兵器を発見するもようを米テレビなどを使って世界に公開する計画」(2003年3月21日付)などというはなしをまじめに記事にすることによって(注21)、自分自身が信用に値する存在で
はないことを人々に知らせることに貢献した。こんにち、そのような大量破壊兵器は存在しなかったことが明らかになっているが、当時、ブッシュは大量破壊兵器がイラクにあると繰り返していた。それを信じた一部の米国人はイラク人をおおぜい殺した。だが大量破壊兵器の存在について、今なお生きているブッシュの言っていた
ことは真実ではなく、処刑されたフセイン大統領の言っていたことが真実だった。
 イラクの幼い子どもたちの目を奪い(ドキュメンタリー映画『リトル・バーズ~イラク戦火の家族たち~』)、あるいは腕を奪い、あるいは残忍に殺すことなどをはじめとする米国政府の大量の卑劣な暴力をあおったあげく、ブッシュでさえ困るようななんの意味もない釈明にすがりついたあの新聞は(注22)、イラク市民が米国
政府の暴力によって押し付けられた血の犠牲について自己の無責任な軽薄さを隠すことに汲々としている(注23)。
 客観的事実を知るために読まれるというよりは、あの新聞が毎回どのように事実をねじ曲げたかを笑いのネタにするためにしか役立たないという観点から読まれるという光栄ある嘘つきの位にあぐらをかいて喜んでいるほど自虐的な、例のあの新聞は、今回のチベットの暴動についてどのような偏向報道をしたか。
  3月15日、産経新聞は拉薩(ラサ)の記事において米国政府系放送局(すなわちダライ・ラマ派側)の発表内容をそのまま見出しに使った。市民を殺したのはまるで警察官側であるかのような印象を読者に対して与える狙いがうかがえる。
 翌3月16日、あの新聞は予想通りダライ・ラマ派側の発表を見出しに使うという行為を繰り返した。また、第1面の本文のはじめにもってきた文においては、「僧侶らによる大規模騒乱で、国営新華社通信は15日、死者が10人に達したと伝えた」となっており、誰が殺したのかはっきりしない文にされている。犠牲者たちが誰によっ
てその尊い命を奪われたかを示す部分をこっそり削り取り、紙面の始めのほうだけ読んだ読者の中のある程度が、「警察官が殺したんだろう」と誤解する可能性が生じるように記事を書いたこの記者は、その削った部分をどこに隠したのか。それは下のほう、すなわち読者がしばらく読まないと気づかない位置に短くこっそり隠して
あった。「新華社電によると死亡した市民10人はいずれも騒乱の巻き添えとなった。」常日ごろの偏向報道体質を責められることが多くてつらい立場の例の新聞のこの記者は、“騒乱が市民を殺した”ことを示す部分を削ったまま葬ってしまうほどの思い切った偏向報道をすることができず、こっそり下の方に付け足すことで罪の責
めを逃れようとするのが最も安全かつ最も誰にもバレにくい方法だと考えた。先頭の文章を「僧侶らによる大規模騒乱の巻き添えで、死者が10人に達したと新華社は15日伝えた」などとすれば字数はほとんどかわらないにも関わらず、あえてそうすることを避けて情報を分散させたのは、そうすることによって、読者の心を誤解へ導
くというこの記者の任務を立派に果たせるだろうとの軽薄な願いがあってのことだと言われても致しかたあるまい。
 ページをめくっていくとやっと第6面の端のほうで、暴徒化した僧侶らによる店舗や銀行からの盗み、略奪、車の横転、僧侶らによるバス停の破壊行為、放火による炎上などのシーンが中国において報道されていることをこの新聞も認めてはいるものの、全体として、中国政府の声よりも国外で反対活動を行っている反政府勢力側
の主張を繰り返す偏向した紙面になっていることから、これら盗み・放火・略奪などの不法行為があたかも正当であるかのような印象を、読者に対して強めようとするこの新聞の狙いがうかがえる。
 公の報道機関という見せかけの栄光がとっくに消え失せた産経新聞の偏向報道は、事実の前でなんの説得力も持たず、かえって自分の浅はかな手口を同業者と日本の人々にさらして自分を笑いものにすることにせっせと貢献してばかりいる。

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[AML 19230] ラサの動きについて  B

一読者です。ラサの動きについての続きです。
   
   
   
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 今、先進的な人々は、許認可行政と言われる国家の統制のもとにある日本のテレビ局やラジオ局などの主要メディアの壁を乗り越えて、外国の情報をインターネットによって知ることができる。二十年前であれば、テレビが正確に伝えたがらないような国、自民党政府とあまり親しくないような国のことを庶民が迅速に知りたい
と思っても、ほとんどの場合それは日本国内ではかなわぬ夢であり、多くの人々は日本のテレビやラジオから出てくるあらゆることばをただそのまま真に受けて信じるしかなかった。だが今は状況が変わった。たといテレビ局や大手ニュースサイトの大量情報の太い管に比べれば非常に細い線であったとしても、そして時にことばの
壁があるにしても、現地の国の生の情報を見つけだせる可能性は二十年前よりも高まっている。
 世界各地の中国系の人々の努力によって、西側の一部の報道の真実が明かされた。西側の一部のメディアによって発言の権利を実質的に奪われていた世界各地の中国系の人々は、発言の権利を取り戻しはじめた。
   

 3月14日、拉薩(ラサ)で孫と一緒に車に乗っていた63才の女性は、暴徒に石を投げられた。蔵族(チベット族)のその女性は孫をしっかりつかんでおり、その子を奪われることはなかったが、彼女自身は頭部に傷を負った(注24)。暴徒たちの手からから孫を守ったその女性は語る。「暴徒たちがその暴徒たちのいる道路を通る
人をみんな襲っているのを見ました。その暴徒たちは冷酷な様子に見えました。」
 別の20才の被害者は、鉄の棒を持った暴徒たちに店を無理矢理こじ開けられ、店内を荒らされたという。この被害者も頭部に傷を負った(注25)。 
 けがを負わされた漢族、蔵族(チベット族)、回族の人々が次々と運び込まれた病院で働く医師たちは、15才の蔵族(チベット族)の少年が意識不明の昏睡状態に陥ったことを語った(注26)。
 別の男性は家に帰る途中に三人の男に行く手を阻まれ、逃げようとした。だが、追いつかれ後ろから切りつけられるという暴行を受けた(注27)。
 また、別の被害者は身体に多数の傷を負い、内臓にも損傷を受けた。「拉薩(ラサ)橋のバス停を降りてすぐ、まだ私が何も分からないうちに、向こうから近づいてきて、突いてきました」という(注28)。
 拉薩(ラサ)に開店したばかりの飲食店を襲撃された女性は、暴れる者たちによって棒やナイフ、石で店の1階をめちゃくちゃにされた。彼女自身、卑劣な暴徒によって2階の窓から突き落とされた。(注29)
 7才の蔵族(チベット族)の子どもは、「悪いことが起こっていることをテレビで見たとき、すごくこわかった」と語る。それは幼い子にとって大きな恐怖体験であった。そして「道路に出るのは危ないから、学校は6日間休みになった」ことも語る。だが、今はもう怖くないという。なぜなら、その蔵族(チベット族)の子の父
親がその子にもう「悪いこと」は終わったと話したからである(注30)。
 ある蔵族(チベット族)の医師はその日の朝、暴徒化した者たちが大声でわめきながら病院に石を投げつけているのを知った。「彼らは石を病院に投げつけ、二階の窓ガラスを数多く破壊した」とチベット族の医師は語る(注31)。そのチベット族の医師は、暴徒たちがなぜ病院を襲って破壊する行為をおこなっているのかまった
く分からなかった。そして、「わたしは暴徒たちの行為に強い憤りをおぼえたが、出入口を閉鎖して暴徒たちを中に入れないようにすることがわたしたちにできる全てだった」と、病気を患ったりけがに苦しむ患者たちを守り治療しなければならない医師としての立場から、暴徒たちの卑劣な暴力行為にたいする憤りを語る。
 「襲撃は二時間近くに及んだが、我々の病院では幸いなことに誰もけがを負わずにすんだ」。その蔵族(チベット族)の医師は、このような暴力主義的な破壊活動が自分たちの病院の前でおこなわれるとは予想すらしていなかった。そして、暴徒たちによるこれらの犯行によって、その地域の人々の平和な生活と暮らしの安定が脅
威にさらされたことを語った。
 カナダの新聞は拉薩(ラサ)にいた数人のカナダ人旅行者が語ったことについて伝えた。あるカナダ人旅行者は、レンガぐらいの大きさの敷石を投げつけていた暴徒によって、バイクに乗っていた人が殴られて意識を失っているのを目撃した。その人は、二メートルもあろうかという銀色の棒状の物を手にした15人の男たちにリン
チされ、服には血がべっとりついてびしょびしょになっていたという(注32)。別のカナダ人女性は、「あまりにも卑劣だった・・・あまりにも卑劣だった」と繰り返した。また別の男性は、暴徒らが一人の若い男性と二人の女性をリンチしているのを見た。男性は意識を失って倒れ、片方の女性は歯を何本も折られていたという。
  石などの凶器で頭部を殴打されていた人が倒れて動かなくなったのを見て、外国人バックパッカーはその人が殴られて死に至ったと思った(注33)。
 5人の若い女性が犠牲となった衣料品店の店主は、暴徒の犠牲となった彼女たちの青春の最後の日となった14日のことを思い起こすのはあまりにつらいという(注34)。蔵族(チベット族)を含む20歳前後の彼女たちはその日、生きたまま焼かれた。
 「パパ、あたしの店の周りで人殺しが暴れてる。店の外には出ないから心配しないで。ママとお姉ちゃんにも家から外に出ないように注意して。」これは、彼女たちのうちの一人が卑劣な暴徒の犠牲となる直前に書き送ったメールである(注35)。この女性の父親はこのショート・メッセージを何度も読み返しては、声を張り上げ
号泣した。
 「わたしは毎日食事が喉を通らず、寝つけません。姉妹たちはいつも夢の中でわたしに微笑んでいます。あの日朝には、まだみんな楽しくおしゃべりをしていたのに」。生存者である蔵族(チベット族)女性(23才)はこう語る。殺される数分前まで女性店員たちはお互いに抱き合って泣き叫んでいたという。
 「何人かの子たちの手は、発見された時固く握りしめられていました」とその店主は語る(注36)。冷酷な暴徒たちの犠牲となった彼女たちの追悼のために毎日多くの人が訪れるようになったその店の焼け跡の前で、店主はこれからも拉薩(ラサ)から去ることなく仕事を続ける決意をのべた。なぜなら、人と人とのあいだに混乱
と憎しみをかき立て、それをあおることに本当のねらいを持つ人間は、蔵族(チベット族)全体の中から見ればほんの一握りの人間にすぎないと彼は信じるがゆえである。
 別の場所では生後8ヶ月の赤ちゃんが、その母親といっしょに殺された(注37)。
 多くの人々の人生を一瞬にして悲劇のなかに引きずり込んだ冷酷な暴徒たちは、300カ所あまりに火を放ち(注37)、120棟の民家を焼き、908軒の商店にたいして焼き討ち・破壊・略奪行為をおこない、重傷58人を含む382人に傷を負わせ、18人の市民のかけがえのない尊い命を奪った(注38)。
  その後、これら盗みおよび連続放火殺人などの犯人ら362人が自首した(注39)。自首した者の多くは真相をよく知らない者たちで、一握りの扇動者に煽動されたり、脅されるなどして犯罪に加わったことが明らかになっている(注40)。
 犯人らは調べにたいし、「もしも暴動に参加しなかったら、わたしの家が焼かれていたかもしれない」(注41)「チベット独立勢力がお金で雇ってくれた。指示に従って、破壊活動を行った。多くの物を壊し、火をつければ、もっと多くのお金がもらえる」(注42)などと供述していることがわかった。
 “殺せば活仏になれる”と教えるかわりに“金銭を供与する”となっている点に、こんにちのダライ・ラマ14世関係者の現代化がうかがわれる。“活仏になれる”という魔法の言葉にたいして現代の若者があまり魅力を感じなくなり、そんな言葉では釣られなくなっている新世代の若者たちの登場にダライ・ラマ14世が焦りを感じ
ていても、過去の悲惨な農奴制の事実に触れずに隠しておこうとするダライ・ラマ14世のずるい政治的な態度は事実を知っている人々からの同情を得ることができない。
   

 13世紀の元朝の時代に中国の行政区域となった西蔵(チベット)であるが、仏教の学びのために20世紀初めに拉薩(ラサ)に入ったある人は、そこでの一般的な犯罪に対する刑罰として多いのが両眼をくり抜く刑であるのを知った(注43)。また、両手首を切断したり、耳を削いだり、鼻を削いだりする刑や、重い石の帽子を次
々とかぶらせて目玉を飛び出させることなどもおこなわれていた。拉薩(ラサ)という場所は、手のない人や、目玉をくり抜かれた人がたくさんいた町だったという。
 死刑は建前上は行われないことになっていたが、実際は珍しいことではなく、河の中で溺れ死にをさせるなどの方法で行われた(注44)。
 仏教の教えが無視され、ダライ・ラマも含めて多くの僧侶が肉を食べ、また一応は僧籍にありながら、実際には中世の僧兵のように乱暴狼藉をはたらく者も多かったという(注45)。
 旅行者がしばしば指摘したこととして、僧侶が僧院の外で女性と交渉をもったことや、それよりもさらに多く僧院の中で一種の同性愛が行われていたことなどがある(注46)。同性愛は、僧兵の中で特によく見られ、少年を奪い合っての暴力沙汰もあった。
 中華人民共和国の建国以前、西蔵(チベット)地方の奴隷の身分は悲惨なものであり、農奴はモノのように貸し借りされていた。一握りの特権的な僧侶や貴族・官僚が圧倒的な力を握っていた(注47)。また、『現代チベットの歩み』(A.T.グルンフェルド著)は、貴族のあいだでは一夫多妻制が珍しくなかったことを語っている
(注48)。男性が自分の連れあい(妻)の浮気に気づいたときには連れあい(妻)の鼻先を切り取る自由が法的に認められていた(注49)。チベット仏教高位の活仏は、貧しい人の貧困を前世によるものとした(注50)。
 『チベット』(岩波書店)の著者アラン・ウィニントンは、農奴所有者はその農奴たちを、なぜ戦うかの理由を告げることなしに戦闘に駆り立てる権利を持っていたことを述べつつも、僧侶が強力な戦闘力を持つ集団であることを認めている(注51)。
 閲兵写真で有名なダライ・ラマ14世は、中国の人々を殺害するための活動を1961年以降、国外拠点からおこなった(注52)。ダライ派による中国の人々への襲撃などのテロ活動が繰り返され、米国大使館からの兵器を装備した者たちが摘発されることもあった(注53)。対空火器(注54)などを含む武器で武装したダライ派ゲリラ
部隊は武装闘争を続け、ダライ派勢力から中国国内に秘密裏に送り込まれたテロリストによって中国の人々の命が奪われたが、中国の人々はダライ派武装勢力による卑劣なテロに屈しなかった。暴力を欲しいままにするダライ派武装勢力には米CIAとのつながりという疑惑が生じていたが(注55)、のち、ダライ派武装勢力は金銭的
なつながりのあったことを認めた(注56)。
   

 二十年以上前であれば人々は比較的少数のメディアから情報を得るしかなかった。それらのメディアが偏れば人々の認識も偏り、外国の情報についてウソを伝えられてもとりあえずそれを信じるよりほかに方法がなかった。西側メディアによって被害者が加害者に仕立て上げられて残酷に葬られても、外国での詳細な事実が書籍
などによって明らかになるのはずっと後のことであり、またそれに気づく人は多くなかった。少なくない人々が、自分が見ている西側メディアのニュースは客観的かつ中立的であると信じて疑わず、また自分は自由な国に住んでいると信じていることを言いあらわすのになんのためらいも感じなかった。

こんにち、外国の情報を迅速に手に入れる方法は少数のメディアのほかにもある。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアがどのようにイラク報道をおこなったかを知っている先進的な人々は、そのような一部の西側メディアから何を読みとることができるかをイラクの経験をとおして既に学んだ。今度はそ
れを実際に応用する番である。先に本当のことに気づいた先進的な人々が力を合わせてそれを多くの人々に説明するねばり強い努力を続けるなら、やがて虚偽が崩れるときがやってくる。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアの虚偽報道体質に多くの人が気づくとき、虚偽は人々の良心を汚し続けることがで
きなくなる。その時あざむく者の声は力を失い、多くの人々が本当のことを知るであろう。事実は偽りに勝利するであろう。
 
(注1)ttp://www.tanakanews.com/d0106iraq.htm
(注2)毎日新聞2003年4月9日付朝刊、および夕刊
毎日新聞2003年4月11日付朝刊
(注3)毎日新聞2003年4月16日付朝刊
(注4)ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85938.html
(注5)ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85939.html
(注6)ttp://www.anti-cnn.com
ttp://www.visfile.com/tibet.html
ttp://newschecker.blogspot.com/2008/03/who-lie-about-xizang-tibet-violence-and.html
など
(注7)ttp://www.anti-cnn.com
(注8)ttp://www.cnn.com/2008/US/03/28/tibet.statement/
(注9)ttp://j.people.com.cn/2008/04/02/jp20080402_86256.html  『人民網日本語版』2008年4月2日 『西側メディアの偏向報道にネット利用者が反論(3)』
(注10)ttp://www.anti-cnn.com
(注11)ttp://www.anti-cnn.com
(注12)ttp://www.anti-cnn.com
(注13)ttp://www.anti-cnn.com
(注14)ttp://www.anti-cnn.com
(注15)ttp://www.anti-cnn.com
(注16)ttp://www.anti-cnn.com
(注17)ttp://kadfly.blogspot.com/2008_03_01_archive.html
(注18)『季刊 戦争責任研究』第17号 1997年秋季号
(注19)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.87
(注20)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.89
(注21)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.27
(注22)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3段目
(注23)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3~4段目
(注24)ttp://www.china.org.cn/china/features/content_12839652.htm
(注25)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注26)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注27)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注28)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注29)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85764.html  『人民網日本語版』2008年3月24日
(注30)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注31)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注32)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378607.html
(注33)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378609.html
(注34)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注35)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85760.html  『西蔵市民、暴行・破壊・略奪・放火事件を糾弾(1)』
(注36)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注37)ttp://j.people.com.cn/2008/03/18/jp20080318_85434.html
(注38)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85759.html
(注39)ttp://j.people.com.cn/2008/04/10/jp20080410_86559.html
(注40)ttp://japanese.china.org.cn/politics/txt/2008-03/21/content_13227977.htm  『チャイナネット』
(注41)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注42)ttp://japanese.cri.cn/151/2008/03/22/1@114680.htm  『中国国際放送局』
(注43)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.183
(注44)『チベット』多田等観著/岩波新書  p.113
(注45)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.182
(注46)『チベットの文化 決定版』R.A.スタン著 山口瑞鳳・定方晟訳/岩波書店 p.170
(注47)ttp://j.people.com.cn/2008/04/01/jp20080401_86157.html  『人民網日本語版』2008年4月1日 「西蔵の歴史はこう主張する(1)苛酷な封建農奴制」
(注48)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.24
(注49)同書 p.22
(注50)同書 p.36
(注51)『チベット』アラン・ウィニントン著/岩波書店 p.iii
(注52)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.229
(注53)同書 p.228
(注54)同書 p.230
(注55)同書 p.233
(注56)ttp://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260  ニューヨーク・タイムズ 1998年10月2日



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2008年4月22日 (火)

米英の「人権」論をわらう」 ガーディアン(英国)論評=17日付

『朝日新聞』 2008年4月20日

 ジンバブエが権カ闘争によって困難な事態に陥ったことに疑問の余地はない。中国チべット自治区では人々の不満か騒乱を引き起こし、当局に武力鎮圧された。
 しかし、ジンバブエとチベットに欧米はなぜ、これほど特別な関心を寄せるのか。暴力や抑圧、不正選挙といった理由だけでは説明しにくい。ソマリアでは内戦で数千人が命を失い、エジプトでは選挙前に数百人も投獄された。
 決定的な違いは、米英の極めて重大な関与があった点だ。英国はジンバブエを植民地支配したうえ、白人人種主義者によるクーデターに対処せず、15年も続いた解放闘争を誘発。米国ともども財政支援を怠り、今日の行き詰まりを招いた。チベットでは英国の支配的役割は米中央情報局(CIA)に引き継がれ、CIAはダライ・ラマの活動を長年、,資金援助してきた。チベット独立の見込みがなくとも、中国を脅威とする米国にとって、少数民族問題は中国をつつく材料になるのだ。
 米英のイラクやアフガニスタンにおける殺人や拷問といった所業をみると、その「人権」論は筋が通らない。中国のチベット問題は北京五輪に飛び火したが、英国もまた、2012年のロンドン五輪で、自らの「前歴」のために大規模な抗議にさらされるだろう。

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2008年4月14日 (月)

帰還兵とオデッセイ

新・戦争と平和第一章 

神奈川新聞 2008年4月2日 

二〇〇一年の中枢同時テロ後、米国では「軍学協同」が進んでいる。ブッシュ政権が○二年に制定したこ洛ちこぽれ防止法」の中に、高校生の進路指導を充実させる名目の下、「公教育機関は軍と協力関係を築く」という条項が盛り込まれた。本人か保護者が拒否しない限り、生徒の名前、住所、電話番号などを学校は軍に提供しなければならなくなった。  ロサンゼルスのセオドア・ルーズベルト高校の生徒数は約五千四百人。ヒスパニック系移民の急増で、全米で一、二を争う大規模校になった。英語をほとんど話せずに入学する生徒も多く、全米 共通テストの成績は平均 をかなり下回る。  イラクの泥沼化で兵員不足に悩む米軍は、このような学校を新兵勧誘の「標的」にする。貧困家庭の子どもが多いからだ。  同校では軍服を着た新兵勧誘担当者が休み時聞などに生徒に声をかけ、入隊の勧誘をするようになった。 生徒の自宅には月に二、三回軍からダイレクトメールが届く。 数年前から、同校では教師たちが軍の勧誘への 「対抗運動」を始めた。 祖父母が福岡県久留米市出身の日系三世アーリン・イノウエ(41)は、数人の仲間の教師とともに、軍の勧誘に規制をかけ①勧誘活動は事前に学校側側の承諾を得る②一対一で生徒を勧誘するときは学校が指定する場所で週一回のみ行うーなどのルールを決め、軍側ににも同意させた。負傷したイラク帰還兵を学校に招き戦場に行くとはどういうことか」を生徒に聞かせる講演会も開く。「法律上、軍の勧誘活動に反対はできない。しかし、軍に入るとはどういうことかという『進路指導』はできる」とイノウエは話す。単に海外に行きたいというだけで軍を志望していた生徒が、日本の青年海外協力隊に平和部隊に志望を変えた例もあるという。 しかし、軍が危険な仕事と分っていても子どもがともかく職を得ることを歓迎する親も少なくない。志願する生徒の中には永住権と引き換えに入隊する「グリーンカード兵」と呼ばれる不法移民の子もいる。 「今の君を力強くし、未来の機会をひらく」。ロサンゼルスの陸軍新兵勧誘事務所で配布しているパンフはうたう。 事務所の軍曹マキシー・セルナによると、志願兵への除隊後の奨学金は最高七万二千/にまで最近引き上げられた。入隊サイン時には別に一時金が二万ドル支払われる。 貧しい家庭に育った子にとっては、目まいがするような額だ。 勧誘する側も必死だ。セルナは米国籍でなくても英語が話せなくても構わない。米在住者であればいい。日本人の志願者がいたら紹介してくれ」とまで言った。 イノウエが話す。「奨学金や一時金を除いても、いまや新兵一人を獲得するための軍の出費は約二万一千ドル。でも、カリフォルニア州の高校生一人当たりの教育予算は七千ドルしかない」。その差は三倍だ。 軍事会社依存の一因 平和団体「米国の友奉仕委員会」ののロサンゼルス代表スティーブン・ギブソンによ ると、新兵勧誘に成功した軍人にも一人につき2OOOドルほどのボーナスが出るという。  志願者不足で米軍の採用基準は緩和され、以前は30代までだった年齢制限は42才までになり、犯罪歴のあるもの者も軽犯罪の場合は入隊を認めるようになった。になった。  イラクで加速する米軍の民間軍事会社(PMC)への依存は、軍の兵員不足も一因といわれる。ギブソンによると、一部の州ではPMCに新兵勧誘を委託する動きもあるという。 神奈川新聞 2008年4月2日

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2008年1月15日 (火)

格差社会:08年の希望を問う 高橋源一郎さん・雨宮処凛さん対談

毎日新聞 2008年1月9日 東京朝刊

 「格差社会」なる言葉が、すっかり定着した現代の日本。学者が現状を打破しようと「希望学」を提唱しても、フリーターは「希望は、戦争」と反発する。学生運動や肉体労働を経てデビューした高橋源一郎さんと、今やフリーターら若年貧困層の代弁者となった雨宮処凛さん。08年年頭、2人の作家が、希望のありかを探った。【構成・鈴木英生、写真・三浦博之】
 ◇プロレタリア文学が現実に--雨宮さん/暗さにユーモアを対置する--高橋さん
 高橋 今の時代は、明治に社会が戻った気がします。石川啄木は1910年に「時代閉塞(へいそく)の現状」で当時の若者について「彼等の事業は、実に、父兄の財産を食ひ減(へら)す事と無駄話をする事だけである」と書いている。内容が、07年に話題になったフリーター、赤木智弘さんの論文「31歳フリーター。希望は、戦争。」とまるで同じなんですね。
 雨宮 昭和初期の作品ですが、たまたま昨日、『蟹工船(かにこうせん)』を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました。
 高橋 偶然ですが、僕が教えている大学のゼミでも最近読みました。そして意外なことに、学生の感想は「よく分かる」だった。僕は以前、「昔はプロレタリアというものがいたんだ」と、この小説を歴史として読んだけれど、今の子は「これ、自分と同じだよ」となるんですね。
 雨宮 プロレタリア文学が今や等身大の文学になっている。蟹工船は法律の網をくぐった船で、そこで命が捨てられる。
 高橋 そう、よく読むと、今で言う偽装請負なんだよね、あの船は。
 雨宮 蟹工船がリアルに感じられるほど、今の若い人の労働条件はひどい。派遣で働いて即ネットカフェ難民になる例もある。今の貧困層には、いつどん底に落ちるかわからない不安があります。アパートも敷金礼金ゼロの安い物件だと、家賃滞納があればすぐ追い出され、ホームレスになってしまう。こないだも、仕事を辞めてそのままホームレスになった元正社員に会いました。バイト先もなく、親がいないから帰る場所もなくて2週間飲まず食わず。ミックスナッツだけで10日間暮らした人もいます。友達も貧乏で、友達の家に転がり込んだら二人で一気にホームレスになったり。
 高橋 僕を含めた上の世代の多くは、日本にこんな貧困層がいると実感できないのかもしれません。当事者の声を聞いても、「大げさだ。そこまで貧乏になるはずがない」との思いこみで否定してしまう。僕だって最初は、雨宮さんの話をプロパガンダの一種ではないかと思っていたんです。プロパガンダは、1を「10だ!」と主張する。そのつもりで読んでいたら、実は「1が1」の話だった。相当多数の人間が「絶対的貧困」に陥っていたんですね。
 雨宮 高橋さんは、その「大げさだ」という発想からどうやって抜け出たんですか?
 高橋 僕自身1970年ごろから約10年間、肉体労働者をしていました。特に70~72年には自動車工場の季節労働者でした。夜勤は20時から翌朝8時で、帰っても疲れて何もできない。そういう労働者に「なぜスキルアップをして抜け出ないんだ」と言っても、無理でしょう。でも、その後建設現場で働いた最後のころの給料は日に8000円。1万円を超えた時期もあったと思います。
 雨宮 今の倍近い!
 高橋 なのに物価は上がった。僕自身の経験に照らせば、派遣の境遇もよく理解できる。
 当時の自動車工場では、正社員の方がむしろ絶望していたような気がします。「お前たち季節工は辞められてうらやましい」ってよく言われました。71年ごろ、正社員の一人に「将来の希望は何ですか」って聞いたら、10秒くらい考えて「退職だな」って返事が戻ってきた。希望は定年で退職金をもらうことで、それまでは何も考えないで過ごしていこうということだったんですね。
 雨宮 今は逆で、季節労働者が派遣労働者に「直接雇用だから」とうらやましがられる。退職が正社員の希望だった職場で、直接雇用が派遣社員の希望になっている。そういう職場で年収500万がほしいと。
 高橋 ところで、今のある種の反貧困論は一つだけ問題があって、楽しくないんですよね(笑い)。
 雨宮 確かに……。
 高橋 息苦しい世の中と対決するのに背筋をびしっとしたい気持ちは分かるけど、思想には余裕がないとダメではないでしょうか。たとえばマルクスの書いたものだって、戦闘的だったり論理的なものばかりじゃない。ユーモアがあるものだって随分ある。
 雨宮 今、正規・終身雇用にみんなは落ち着けない状態を前提にして、もっと明るくやる方法もあると思うんです。東京・高円寺では貧乏な若者が「家賃をタダにしろデモ」をやってます。そういう突き抜けた取り組みがある一方、多くの人が開き直れなくてどんよりしている。
 高橋 実際、経済的にも、これからの社会を考えても暗い。けれど、社会によって暗く思わされている側面もある。それに負けてしまうのは、戦略的に見てもよくないでしょう。もちろん、格差を許していいという話ではない。でもネガティブな情勢の正確な認識と、前向きな気持ちは両立します。なにせ、プロレタリアートには失うものがないはずなんですからね。
 ◇リアリズムが帰ってきた--高橋さん/モデルがないという「自由」--雨宮さん
 高橋 ほかにも、希望はあります。最近小説が面白くて、特に中心は雨宮さんと同世代の作家たちです。みんな貧乏くさいし、愚痴が多い。でもリアリズムを貫いている。彼らは厳しい状態に放り出されていて、その中で自分を確立させているから甘えがない。
 雨宮 経済成長の時代は作家で挫折しても社会に戻れたけど、今はホームレスになるしかないので、覚悟が決まってるのかもしれませんね。
 高橋 戦闘的だけどやみくもではなく、豊かではないけれど誰も恨んでいない。彼ら自身は直接、希望を語らないが、世界に立ち向かっている。その構えが他者に向かう場合もあるだろうし、自分だけの仕事になることもある。いずれにせよ、堂々としていると思います。
 雨宮 今の20代に聞くと、中学時代、「これからは10人中2人しか幸せになれない」と教えられたと言うんです。その2人に入ろうとする人もいるけれど、全員が幸せになれないことをおかしいと思う人も増えている。これは希望ですね。ワーキングプアの現場は文学的で、人の生死をかけた言葉に出合ったり、バカみたいな優しさに直面したり。この1年くらい、「こんなに現実が面白いんだ」と打ちのめされてきました。
 高橋 「現実が面白い」はすごいキーワードだね。もちろん、今の現実は厳しく耐え難いものなのかもしれない。でも一方で、これまでは逆に社会全体が現実離れしていたとも言えるのではないでしょうか。戦後すぐの小説にはリアルな苦しみがあったけど、高度成長期以降、抽象的な物語や絵に描いたような恋愛ばかりになった。小説だけでなく全体的に「現実」から遠ざかっていたんです。
 「現実」が貧困と共にUターンしてきた。僕の30代ごろはリアリズムが古ぼけていたけれど、今はそれが面白い。リアルな人間には、境遇が悲惨でもそれをカバーする面白さがある。それが、希望かもしれません。我々は生きている以上、何かリアルなものに触れたいんです。それがネガティブなものであっても。
 雨宮 90年代の日本は、まだ豊かな中流社会と思われていた。私は、その退屈すぎてうだるような平和に窒息しそうだった。当時、私は貧乏だけど、自分が貧乏だと気付くことすらできなかった。それが一番、きつかったんです。今は貧しい人が「自分は貧乏だ」と言いやすい。同じ境遇の人が多いですから。その意味で、90年代より今は「すき間」があるのかもしれない。それに00年代、「どうしたら幸せに生きられるのか」本当にわからなくなりました。それはある意味ものすごい「自由」でもある。それもまた、希望なのだと思います。
 ◆対談を聞いて
 年金問題や食品など、偽装にまみれた昨年のキーワードは、「不安」だった気がする。社会に広がった不安の底流にある安全への希求が、貧困層など「弱者」の社会的排除につながるとの主張に、それなりの説得力を感じた。逆に、貧困層の中心として表象される若年労働者の希望を考えれば、社会全体に必要な希望も指し示せるかもしれない。そんな発想から、今回の対談を企画した。
 そして行き着いたのは、「リアル」と「すき間」に希望を見いだすとの結論である。楽観的過ぎると思う方もいるだろう。だが、この楽観こそ、高橋さんの言う「戦略的な正しさ」ではないか。ここから、今年の議論を始めてみようと思っている。【鈴木英生】
 ◇非正規雇用の増加と賃金低下
 高橋さんが肉体労働者だったころと比べて、今は身分の不安定な非正規雇用労働者が増えた。84年に労働者全体の15.3%だったのが06年は33%。原因の一つに、労働者派遣法(85年制定)による派遣労働者の増加がある。日雇派遣は元々、東京・山谷などの「寄せ場」で事実上認められていたが、同法は段階的に適用範囲を広げて原則自由化した。こうして、派遣労働者の数は86年度の14万人から255万人(05年度)に増えた。また、日雇労働者の日給は一時期1万数千円まで上がったが、今の派遣では6000円程度の人も少なくないという。ちなみに、消費者物価は00年を100とすると、高橋さんが肉体労働をしていた末期の79年は約70だった。
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 ■人物略歴
 ◇たかはし・げんいちろう
 作家、明治学院大国際学部教授。1951年生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。著書に『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)『日本文学盛衰史』(伊藤整文学賞)『ニッポンの小説-百年の孤独』など。
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 ■人物略歴
 ◇あまみや・かりん
 作家。1975年生まれ。右翼活動家、パンクロック歌手などを経験。著書に『生き地獄天国』『自殺のコスト』『悪の枢軸を訪ねて』『すごい生き方』『バンギャルアゴーゴー』『生きさせろ!』『プレカリアート』など。

毎日新聞 2008年1月9日 東京朝刊

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2007年8月13日 (月)

漱石を読む会 2007 年8月26日 『虞美人草』 その2  

  京に着ける夕 
 汽車は流星の疾(はや)きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟(ごう)と去った。
 たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡(ひえ)と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒(はるさむ)の宵に、とく走る汽車から会釈なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯(ひ)が尽きる北の果(はて)まで通らねばならぬ。
「遠いよ」と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫(ふる)えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合う身体(からだ)から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身(そうみ)に煮浸(にじ)み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏(さんぷく)の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽(しゅっこつ)とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。

 始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日(こんにち)に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁(わきま)えぬ。汁粉であるか煮小豆(ゆであずき)であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅(すみや)かなる閃(ひらめ)きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯(ひから)びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮(ちぢ)めて京都を南から北へ抜ける。

連載近代文学の周辺  第九回
漱石は日露戦争直前の時期の英文ノートに、地震や津波は人間に対する「自然の復讐」であると記している。人々は火山の火口のまわりで死のダンスを踊りながら、太陽がまた明日も昇ると信じて、楽しい人生だなどと言っていると言い、紳士淑女、大学教授、政治家などが、進歩や文明開化の名において、虚偽に虚偽を重ね、自然を破壊し、自然に背くことに対して、激しい呪咀の言葉を投げ掛けている。「自然は真空を嫌う。愛か憎悪か!自然は代償を好む。眼には眼を!自然は戦を好む。死か独立か!」漱石は「自然は復讐を奨励する」と言い、「復讐は甘美である」と言う。「自然に背く害虫」である人間を殺すのは、自分達の女神である「自然の法」だと言うのである。
  「自然の復讐」は地震や津波としてあらわれるばかりではない。漱石は戦争を人間の根底に潜む「野獣性」の爆発であり、文化文明に自惚れて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背いて顧みない人間に対する「自然の復讐」であると言う。しかし、人間はこの戦争をさえ、ますます美しい言葉で飾り立てる。敵に対しては最大級の侮蔑と悪罵を浴びせ、味方には最大級の美化と称賛の言葉を捧げる。この偽善性こそ限りなく人間を堕落させるのだと漱石は言う。
  万物の霊長だなどと自惚れて、現代の文化文明を賛美し、「正義」だとか「人道」だとか、「愛は神聖だ」とかと、自己の野獣性を美しい言葉で飾り立て、互いに称賛しあっている紳士淑女の偽善と自惚れに対して、漱石は激しい憎悪の言葉を書き連ねている。彼等を踏みにじるために、お前の希望や研究、お前に貴重なもののすべてを犠牲にせよ。そして、彼等がお前の足の下であえぎながら、最後の息とともに弱々しい後悔の叫びをあげるまで決して止めてはならぬ。彼等は進歩の名において、彼等よりもよきものを、彼等の堕落した水準にまで引きおろそうとしている。彼等のこの傲慢や術策の価値を彼等に知らせねばならぬ。漱石の英文のノートには、このような意味の激しい言葉が延々と書き連ねられている。
  この激しい怒りと弾劾、憎悪と呪咀、血にかわく復讐の誓いは、誰にも知られないように、自分だけのノートに英文で書かれている。この激情は直接に公然と発表することが出来なかった。しかし、それだけに一層激しく心の中で沸騰した。この激情が漱石を作家の道に駆り立てた。それは決して見破られてはならないが、どうしても表現されなければならなかった。それは芸術的に加工され、変形されて『吾輩は猫である』という独特の芸術世界を生み出した。その滑稽諧謔はこの激情の文学的変形である。
  『二百十日』の圭さんは阿蘇の噴煙を仰いで、「仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理屈だからね。ほら、あの轟々鳴って噴き出すのと同じ事さ」と言う。圭さんは「僕の精神はあれだよ」と言い、「血を流さない」「文明の革命」を主張するのである。漱石は生涯にわたって「自然の理屈」を強調した。社会現象にも「自然の理屈」が貫徹する。フランス革命が起こるのも「当然」であり、「自然の理屈」であった。人間が自己にうぬぼれて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背き、自然を蹂躙して顧みない時、戦争が起こり、革命が起こる。漱石にとって、それは避け難い「自然の復讐」であり「自然の理屈」であった。

日露戦争と虞美人草
 朝鮮・中国 ふみつぶす 藤尾 小夜子

[13]224 「藤尾の様な女は今の世に有過ぎて困るんですよ。気を付けないと危ない」
  女は依然として、肉余る瞼を二重に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴しているのみである。危ないという気色は影さえ見えぬ。
「藤尾が一人出ると昨夕の様な女を五人殺します」
  鮮かな眸に滴るものはぱっと散った。表情は咄嗟に変る。殺すと云う言葉はさほどに怖しい。――その他の意味は無論分らぬ。
「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」
「動くと?」
「ええ、恋をすると変ります」
  女は咽喉から飛び出しそうなものを、ぐっと嚥み下した。顔は真赤になる。

「動けば吐く」
「厄介《やっかい》だなあ」
「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界|万斛《ばんこく》の反吐皆|動《どう》の一字より来《きた》る」

生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶の累《わずらい》を捨て たるは、雲の岫を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥を超絶したる活気である。古今来を空しゅうして、東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側《こちらがわ》なるすべてのいさくさは、肉|一重の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情けの油を注《さ》して、要なき屍に長夜の踊をおどらしむる滑稽である。遐《はるか》なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。

 死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気は中々已まないものだ」
「已まなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」
「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」
「誰が」
「小刀細工の好な人間がさ」
山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。

四  甲野《こうの》さんの日記の一筋に云う。
「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」
 小野さんは色を見て世を暮らす男である。
 甲野さんの日記の一筋にまた云う。
「生死因縁無了期《りょうきなし》、色相世界《しきそせかい》現狂癡《きょうちをげんず》」
 小野さんは色相《しきそう》世界に住する男である。
 小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖《つつそで》を着て学校へ通う時から友達に苛《いじ》められていた。行く所で犬に吠《ほ》えられた。父は死んだ。外で辛《ひど》い目に遇《あ》った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。

F「 支那や朝鮮なら、 もとの五分刈で、 此のだぶだぶの洋服を着て出掛けるですがね」
[1] 甲野と宗近  東洋専門の外交官 東洋の経綸

 「今に人間が進化すると、 神様の顔へ豚の睾丸をつけた様な奴ばかり出来て、 →前回F

韓国漱石研究会講演から 過去が追いかけてくる
 漱石の文学で「過去」が、大きな意味を持ち、作品の中心的主題になるのは、『朝日』入社直後の「虞美人草」からでした。
 「過去」という語の使用頻度は「吾輩は猫である」2件、「坊っちゃん」0件、「草枕」1件でした。「野分」は10件ありますが、その用法は前述の通りでした。ところが、「虞美人草」になると31件で、たとえば、次のように使われています。

われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近付いて来る。逼って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超えて、暗夜を照らす提灯の火の如く揺れて来る、動いてくる。(中略)今までは只忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮やかなるうちに、己れを捲き込んで、一歩でも過去を遠退けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤られて、動くかとは掛念しながらも、先ず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫でていた。

 忘れたい「過去」が追いかけてきて、小野さんの「現在」と「未来」をおびやかす。このテーマはさまざまに変形されて、「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」とこの後の漱石文学の中心的主題となります。

健三は自分の背後にこんな世界の控えている事を遂に忘れることが出来なくなった。この世界は平生の彼にとって遠い過去のものであった。然しいざという場合には、突然現在に変化しなければならない性質を帯びていた。

「道草」の直前のエッセイ「硝子戸の中」でも、当時の世界大戦と自分の病気を関連させて、「継続中」ということを言っています。ヨーロッパの戦争と同様に自分の病気は「継続中」なのだ。しかし、「継続中」のものは自分の病気だけではないだろう、だれの心の奥にも「私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいる」のではないか。もしそれが、彼らの胸に響くような大きな音で一度に破裂したらどうだろう。

「所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。」

「私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。」

 遠い過去からいまにつづき、そして未来につづく連鎖のなかに自分はいて、自分はその過去の罪過を忘れているが、それが突然いまの問題としてつきつけられる。「夢十夜」の第三夜、背中に背負った子供が急に重くなり、「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う夢の話は、漱石の作品に形を変えてくりかえされるのであります。

 この問題はアジアに対する日本の問題だと考えることが出来ます。英国留学中、三月十五日の日記に次のような言葉があります。

日本人ヲ観テ支那人トイハレルト厭ガルハ如何、支那人ハ日本人ヨリ遥カニ名誉アル国民ナリ、タダ不幸ニシテ目下不振ノ有様にニ沈淪セルナリ、心アル人ハ日本人ト呼バルヽヨリモ支那人と云ハルヽヲ名誉トスベキナリ、仮令然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ、少シハ考ヘテ見ルガヨカラウ、西洋人ハヤヽトモスルト御世辞ニ支那人ハ嫌ダガ日本人ハ好キダトイフ。之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方ガ景気ガヨイトイフ御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ。

 また、おなじ頃の断片には次のように記しています。

人は日本を目して未練なき国民といふ。数百年来の風俗習慣を朝食前に打破して毫も遺憾と思はざるはなるほど未練なき国民なるべし。去れども善き意味にて未練なきか悪しき意味において未 練なきかは疑問に属す。西洋人の日本を賞讃するは半ば己れに模傚し、己れに師事するが為なり。其支那人を軽蔑するは己れを尊敬せざるが為なり。 (句読点は引用者による)

 すこし後の文章でありますが、1911年に発表した「マードック先生の『日本歴史』」には次のように書いています。

 歴史は過去を振返った時始めて生れるものである。悲しいかな今のわれらは刻々に押し流されて、瞬時も一所に〓徊して、われらが歩んで来た道を顧みる暇を有たない。われらの過去は存在せざる過去の如くに、未来のために蹂躙せられつつある。われらは歴史を有せざる成り上りものの如くに、ただ前へ前へと押されて行く。

 われらはただ二つの眼を有っている。そうしてその二つの眼は二つながら、昼夜ともに前を望んでいる。そうして足の眼に及ばざるを恨みとして、焦慮(あせり)に焦慮(あせっ)て、汗を流したり呼息(いき)を切らしたりする。恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛って日夜齷齪するにもかかわらず、夜番の方では頻りに刀と具足の不足を訴えている。われらは渾身の気力を挙げて、われらが過去を破壊しつつ、斃れるまで前進するのである。

 漱石は日本がアジアの一員として、中国文化の恩恵を受けて発展してきた過去があるにもかかわらず、これを忘れ、ひたすら西洋を模倣し、中国を馬鹿にし、中国と戦って、近代国家として発展し、それを誇りにしている。しかし、その内実は軍備に追われて悲惨なものだと言っているのであります。

「虞美人草」の小野さん、「道草」の健三の問題はこの日本の近代化の問題と重なり合うものがあるのではないでしょうか。それは漱石自身の問題であると同時に、日本の近代化の矛盾を示すものでもあったのです。そして、日本はどこへ行くか。

 漱石の小説の主人公たちは、よみがえる過去と出会って自分自身を発見し直すのですが、日本は過去をふりかえる余裕もなしに、ひたすら、前へ前へと突き進んでいる。その日本の未来を、漱石は憂慮と不安をもって見つめ、「危ない、日本は危ない」と警告を発しているのです。

19 そんな確かなもの  42宇宙は謎
[2] 藤尾と小野 30世界  露西亜  虚無党  掏摸  二人の世界
 女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極《きわ》まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙《ついば》んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。

 呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。→前回

当世
316 来る人も往く人も只揉まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸に見出して、安々と踵を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢の様に心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰す為めに皆が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションは尤も当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。只あっと云って、当世的に生存の自覚を強くする為めである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠する為めである。小野さんはこの多数の当世のうちで、尤も当世なものである。得意なのは無理もない。

392 若い女と連れ立って路を行くは当世である。只歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とは云わせぬ。今宵限の朧だものと、即興にそそのかされて、他生の縁の袖と袂を、今宵限り擦り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併べられた二つの石の引っ付く様な浅い関係ではない。

 百年計画
◆森田草平宛書簡「百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし」
人若し向上の信を抱いで原事をなす時貴キ事神人ヲ超越シテ蓋天蓋地に自我ヲ観ズ。天子様ノ御威光デモ是許リハドウモ出来ン。漱石ハ喧嘩ヲスル度ニ此域ニ出入ス。白楊先生は如何

[16]「竹越先生が月給でも奮発すれば直ちに大学の方を辞職して腰ぬけ共を驚かしてやる。然し月給を奮発せんとあれば腰抜共を驚かす必要はない」( 松根東洋城宛) 「百年計画」を強調し、「僕のわる口を申すものが先非を後悔する迄是非長命であればよいと思う」「はやってもっはやらなくても百年後には僕丈残るのだから安心なものだ」「千駄木辺のワイく共は何しに太陽の光線を浴びて居るのか分らない。あんな奴等に空気を吸わせるのは惜しい気がする。今に漱石先生の罸でみんな鼻がつまって口がつまって屏息して死んでしまう」

虞美人草執筆当時のノート→前回

[17]「食えなければ、いつ迄も(大学に)囓カジり付き獅噛シガみつき、死んでも離れない積もり」 「入社の辞」 ◆朝日では月給二百円、外に年二回あわせて四カ月分のボーナス◆大学が年俸八〇〇円、高等学校が七〇〇円で、明治大学の講師◆社に顔を出すのは月に二回

1906年(明治39)11月、教師をやめて専門的に作家の道を歩き始める決意が強まった時期に、十年計画で敵を倒す積もりだったが、十年計画では無理なので、百年計画に改めたという意味のことを高浜虚子に宛て書いている。当時の漱石は「百年の後を見よ」ということをしばしば手紙に書いている。
  朝日入社直後には、東京美術学校で「文芸の哲学的基礎」と題して講演し、「自己が真の意味に於て一代に伝はり、後世に伝はつて、 始めて我々が文芸に従事することの閑事業でないことを自覚するのであります。 始めて自己が一個人ではない、社会全体の精神の一部分であると云ふ事実を意識するのであります」と述べている。『こゝろ』や芥川等に宛てた手紙を見ると、漱石のこの考えは死を前にして、ますます強まっていたと思われる。

入社の辞         明治40年5月3日
新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。[中略]新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈けである。

 大学では四年間講義をした。[中略]年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと去う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宣の量に適宣の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない

 大学で講義をするときは、いつでも犬が吠えて不愉快であった。

 余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相達ない。

 大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校を馳あるいて、漸く其日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈けではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。

 学校をやめてから、京都へ遊びに行った。其地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から止き出した。是も新聞屋になった御蔭である。

 人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。

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漱石を読む会 2007 年7月22日 『虞美人草』  

A「君は日本の運命を考えたことがあるのか」「日本とロシアの戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」「アメリカを見ろ、印度を見ろ、アフリカを見ろ」
B 悲劇は遂に来た。来るべき悲劇はとうから予想していた。予想した悲劇を為すが儘の発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、三世に跨がる業を根柢から洗わんが為である。不親切な為ではない。隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を動かせば、一目を眇す。手と目とを害ソコノ うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみならず時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉ずるは恐るるのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、  石火の一拶に本来の面目に逢着せしむるの微意に外ならぬ。
C (悲劇は)忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。巫山戯フザケ たるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更の如く感ずるから偉大なのである。人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立するが故に偉大なのである。
D 死を忘るるものは贅沢になる。 一浮も生中である。 一沈も生中である。 一挙手も一投足も悉く生中にあるが故に、 如何に踴るも、 如何に狂うも、 如何に巫山戯るも、 大丈夫生中を出ずる気遣いなしと思  う。 贅沢は高じて大胆になる。 大胆は道義を蹂躙して大自在に跳梁する。// 万人は日に日に生にむかって進むが故に、 大自在に跳梁して毫も生中を脱するの虞オソレ なしと自信するが故に、 --道義は不必要となる。
道義に重きを置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。巫山戯る。騒ぐ。欺く。嘲弄する。馬鹿にする。踏む。蹴る。--悉く万人が喜劇より受くる快楽である。この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に--この快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に--喜劇の進歩は底止する所を知らずして、道義の観念は日を追うて下クダる。道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然とし  て起る。ここに於いて万人の眼は悉く自己の出立点に向う。始めて生の隣に死が住む事を知る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なるを知る。而シカして始めて悲劇の偉大なるを知る。……
E 「此所では喜劇ばかり流行ハヤる」
F「 支那や朝鮮なら、 もとの五分刈で、 此のだぶだぶの洋服を着て出掛けるですがね」
「西洋は八釜しい。 お前の様な無作法ものには好い修業になって結構だ」
「ハハハハ西洋へ行くと堕落するだろうと思ってね」
「西洋へ行くと人間を二通り拵えて持って居ないと不都合ですからね」
「不作法な裏と、 奇麗な表と、 厄介でさあ」
「日本でもそうじゃないか。 文明の圧迫が烈しいから上部を奇麗にしないと社会に住めなくなる」  「その代り生存競争も烈しくなるから、 内部はますます不作法になりまさあ」
「丁度なんだな。 裏と表と反対の方向に発達することになるな。 これからの人間は生きながら八つ裂の刑を受けるようなものだ。 苦しいだろう」
「今に人間が進化すると、 神様の顔へ豚の睾丸をつけた様な奴ばかり出来て、 それで落着が取れるかも知れない。 いやだな、 そんな修業に出掛けるのは」
「いっそ廃ヤメにするか。 うちに居て親父の古洋服でも着て太平楽を並べている方が好いかも知れない。 ハハハハ」
「ことに英吉利人は気に喰わない。 一から十まで英国が模範であると云わんばかりの顔をして、 何でも蚊でも我流で押し通そうとするんですからね」
「だが英国紳士と云って近頃大分評判がいいじゃないか」
「日英同盟だって、 何もあんなに賞めるにも当たらない訳だ。 弥次馬共が英国へ行った事もない癖に、 旗ばかり押し立てて、 丸で日本が無くなった様じゃありませんか」
「うん。 何所の国でも表が表だけに発達すると、 裏も相応に発達するだろうからな。 - なに国ばかりじゃない個人でもそうだ」
「日本がえらくなって、 英国の方で日本の真似でもする様でなくっちゃ駄目だ」

★英国時代の日記
★A夜下宿ノ三階デツクヅク日本の前途を考ウ。日本ハ真面目ナラザルベカラズ。日本人ノ眼ハヨリ大  ナラザルベカラズ。
★B英人ハ天下一ノ強国ト思ヘリ仏人モ天下一ノ強国ト思ヘリ独乙人モシカ思ヘリ彼等ハ過去ニ歴史アルコトヲ忘レツツアルナリ羅馬ハ亡ビタリ希臘モ亡ビタリ今ノ英国仏国独乙ハ亡ブルノ期ナキカ、日本ハ過去ニ於テ比較的ニ満足ナル歴史ヲ有シタリ、比較的ニ満足ナル現在ヲ有シツツアリ、未来ハ如何アルベキカ。

☆A12  雅号  外交官の雅号 「雅号は好いよ。 世の中には色々な雅号があるからな。 立憲政体だの。 万有宗教だの、 忠、 信、 孝、 悌だのって様々な奴があるから」
☆B15  あとは静かである。 ……古今来を空しうして、 東西位を尽くしたる世界の外なる世界に片足を踏み込んでこそ--それでなければ化石になりたい。 赤も吸い、 青も吸い、 黄も紫も吸い尽くして、 元の五彩に還すことを知らぬ真黒な化石になりたい。 それでなければ死んで見たい。 死は万事の終わりである。 又万事の始めである。 時を積んで日となすとも、 日を積んで月となすとも、 月を積んで年となすとも、 詮ずるに凡てを積んで墓となすに過ぎぬ。  [親不孝な学問] ◆自然  無限  宇宙  絶対  42  宇宙は謎
☆C20  宗近  雅号  質モノさえたしかなら構わない
☆甲野  そんなにたしかなものが世の中にあるものか。
雅号  必要 [自然は第一義に生きている][自然と道義]
☆D29  女の二十四は男の三十にあたる。・・・一人と一人と戦う時、 勝つ者は必ず女である。
30  呼んだ男と呼ばれた女は・・・ ☆★二人だけの世界  世界  救世軍  すり
*茶縁チャベリの畳を境に、 二尺を隔てて互に顔を見合した時、 社会は彼等の傍カタエ を遠く立ち退いた。 救世軍はこの時太鼓を敲タタいて市中を練り歩るいている。 病院では腹膜炎で患者が虫の気息イキを引き取ろうとしている。 露西亜では虚無党が爆裂弾を投げている。 停車場ステー ョンでは掏摸が捕ツラまって  いる。 火事がある。 赤子が生まれかかっている。 練兵場レンペイバ では新兵が叱られている。 身を投げている。 人を殺している。 藤尾の兄アニさんと宗近君は叡山に登っている。
*45  宇宙は謎である。・・・疑えば親さえ謎である。 兄弟さえ謎である。 妻も子も、 かく観ずる自分さえも謎である。 ★☆親の謎を解くためには、 自分が親と同体にならねばならぬ。 妻の謎を解くためには、自分が妻と同心にならねばならぬ。 宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。

☆E49  立ちン坊  中腰  無能  無力  比叡山見えている
★F54  詩人  色相世界  色を見る者は形を見ず  形を見る者は質を見ず
◆54  小野さんの過去水底の浮草  上昇  夢  人情  ▲情に棹させば流される
☆G65  過去  寒い所から、 寒いものが追っ懸けて来る。
□74  東洋の経綸天下国家の為  東洋専門の外交官
★日本の運命アメリカを見ろ、 インドを見ろ、 アフリカを見ろ。
■99  一人の一生には百の世界がある。// わが世界とわが世界と食い違う時//
京の活動を七条の一点にあつめて、 あつめたる活動の千と二千の世界を、 十把一束カラゲ に夜明までに、 あかるい東京へ推し出そう為めに、 汽車はしきりに烟を吐きつつある。//
☆H129 過去へ帰ろうか。// 自分の世界が二つに割れて//小野さんは一寸未来の袖に隠れて見た。
☆I168 博覧会  台湾舘  文明  押される驚くうちは幸せだ  どこへ行く
☆J168 愛される:愛する
☆K192 我の女  プライド、プライド  文明の皮  個性  自己  虚飾  驕慢
□ 226  20世紀風 紙屑籠 
268 今の身と、 今の心は自分にさえ気の毒である。 実世界に住むとは、 名ばかりの衣と食と住とを貪るだけで、 頭は外の国に、 母も妹も忘れればこそ、 こうも生きている。 実世界の地面から、 踵を上げる事を解 ゲし得ぬ利害の人の眼に見たら、 定めし馬鹿の骨頂だろう。 自分は自分にすべてを棄てる覚悟があるにもせよ、 この体たらくを親父には見せたくない。 親父は只の人である。
271 「 妙だよあの人は。 藤尾に養子をして、 面倒を見て御貰いなさいと云うかと思うと、 矢っ張り御前を一に遣りたいんだよ。」  一人息子  養子になんぞ来られない
285  「藤尾がわきへ行くとしても財産は藤尾に遣ります」
286  「宗近の方が母オッカ さんを大事にします。」

☆L  浅井  人情 
☆M296 英国  神様の顔に豚の睾丸  日英同盟日本が偉くなって
☆N354 宗近と小野 真面目 不安
☆O370 義母 世間  ☆P372 義理
☆Q378 化石した表情  藤尾  床の上に倒れる
☆R379 藤尾  北を枕に寝る 

道義『野分』古いか  魂の呼び声  内なる声  外部の声ではない
『虞美人草』悲劇の彼方  人為的約束  人間の自然  第一義  破滅
    自然主義の克服

◆文学論序  ◆書簡◆入社の辞◆文芸の哲学的基礎◆創作家の態度
草枕  二百十日  『野分』◆「 京に着ける夕べ」
狩野亨吉宛書簡  明治39年11月 「断片」

冒頭について
作品の展開構成
◇1  作中人物甲野欽吾宗近一小野清三井上孤堂浅井宗近の父甲野の父
        藤尾糸子小夜子藤尾の母
  甲野 「哲世界と実世界」 哲学者
277 井上孤堂にとっての60円  時代
  小野  詩人  文学者  情の人  博士論文  銀時計  金時計  紙屑篭
379 心を二六時にゆだねて隻手を動かすことをあえてせざるものは
290 甲野の父  肖像  親爺の眼
藤尾の母  326 宗近の父の批評 364甲野の批評
402 糸子  義理  謎の女  作者  海と山
◇2  知己  実際的
◇3  汽車  運命  百の世界  文明  博覧会 
◇4  アジア  人種と人種の戦争  アメリカ  アフリカ  ◆日本という考え
◇5  義理  謎  小細工 

行動  二百十日  阿蘇・比叡  見えている 圭さん→宗近 禄さん→甲野
道也の分解  行動性・哲学性  宗近と甲野  道也  行動的か?  観念性  圭さんと道也  圭さんの観念性  主観だけがあって方法がない  道に迷う  迷子  三四郎  ストレイシープ  道也  主観性  観念性  小野さん  詩人  情 
百の世界  性格  フラット  球形明瞭  勧善懲悪  哲学  性格不定形論  意識不定形論

[5]72 山門 安直な銅像より *アメリカを見ろ 日本という考え
大概は知らぬ間に殺されているようなものだ
77  第一義  血で以てふざけた了見を洗った時に
[7]99  急行 寝台列車 百の世界 世界の交錯 卍 曼陀羅 
5年  過去  孤堂先生の過去と小野さんの過去  小夜子の過去
四個の小世界は、停車場に突き当たって、しばらく、ばらばらになる。
[8]113  二十世紀に生まれた人間  藤尾の母  義母
115 遠回しに云う事はちっとも通じないようね
117 ただし地球は昔しより廻転する。明暗は昼夜を捨てぬ。
外交官の試験に落第したって、ちっとも恥ずかしがらない
学問も何も出来ない癖に大きなことばかり
118 「あんな趣味のない人」藤尾  ◆「あんな見込みのない人は、私も好かない」母
鎖の先に燃える柘榴石ガーネット
127 世界滅却の日をただ一人生き残った心持ち 
[9] 128 真葛が原に、女郎花が咲いた。
冬は五年の長きを厭わず
小夜子は過去の女である。小夜子の抱けるは過去の夢である。過去の女に抱かれたる過去の夢は現実と二重の関を隔てて会う瀬はない。
◆水の中へ紛れ込んだ一雫の油は [『文学論』序]
自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自
138 先の世に住み古したる人を便りに、小野さんには、追い付く事も出来ぬように遅れてしまった……古い人に先立たれ、新しい人に後れれば、今日を明日と、その日に数る命は、文も危うい。

142 「私は昔の通りで、ちっとも変わっていないそうです。……変わっていないたって……」
博士論文 
[10]142 謎の女は・・・
謎の女は人を迷宮に導いて、成る程と云わせる。ふうんと云わせる。灰吹をぽんと云わせる。二十世紀の禁物は疾言と遽色である。
・何故ある紳士、ある淑女に尤も法律に触れやすいか

[11]166 蟻は天木に集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊をかこつ。
・文明の民程自己の沈滞に苦しむものはない。
173 得意の小野さんは同時に失意である。・時代遅れのお荷物

[12]  小野さん  詩人  貧乏
188 藤尾は丙午である。藤尾は己れの為にする愛を会する。人の為にする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。
・藤尾は男を弄ぶ。一毫も男から弄ばるることを許さぬ。

  藤尾は愛の女王である。成り立つものは原則を離れた恋でなければならぬ。愛せらるを専門にするものと、愛する事のみを念頭におくもの  変則の愛
・藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。
東京 273  孤堂にとっての東京  小野にとっての東京  小夜子にとっての東京
京都  東京と京都  ◆◆博覧会  ◇藤尾の家  ◇宗近の家
甲野の内的世界 25 宗近の世界  意志と行為  実践
379 心を二六時にゆだねて隻手を動かすことをあえてせざるものは
雨  小説的時空  時間と空間
20  古今来を空しうして、 東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ
  世界滅却の日  第一義    春は行く  行く春

[17]342 青麦 352麦のにおい自然
  [19]408春はここに尽きる  藤尾の死  世界
◇人々はただ当世を賛美し、未来の夢を追い、ひたすら自己を失って、 人々に押されながら、 人々を押しながら、前へ前へと押し出されて行く。

『虞美人草』執筆中の手紙の言葉
細民はナマ芋を薄く切って、それに敷割(麦のひきわり)などを食っているよし。芋の薄切は猿と択ぶ所なし。残忍なる世の中なり。而シコウ して彼等は朝から晩まで真面目に働いている。  岩崎の徒を見よ!!!
  終日人の事業を妨害して(いな企てて)三食に米を喰っている奴等もある。漱石子の事業はこれらの敗徳漢を筆誅するにあり。         

『野分』少数 理解されない 孤独 孤立 淋しさ   
[9] 小夜子は銀時計すら入らぬと思う。百の博士も今の己れには無益である。
弱者と強者  庶民にある  弱肉強食の思想
奮闘努力  弱者は踏みつぶされる
ヒューマニズム  平等思想を理想主義と見る  甘いと見る
自然の制裁

小野さん  甲野さん  宗近君  浅井君
< さん> と< 君> 姓が示される
女性は名が示される
            
◆◆『虞美人草』日露戦争に勝った
『草枕』『三四郎』『野分』危ない、 危ない、 日本は危ないで充満している。
金権  汚職  権力の腐敗 100年の後を見よ
  内部からの腐食 結核性
自己  自信
藤尾  糸子  小夜子
義母  宗近の父  井上孤堂

モード 装飾 文学学問  必要  バインディング 本と紙屑籠

  未来『明暗』 謎 *いつどう変わるか誰も知らないのだ
『虞美人草』長夜の踊り 骸骨の踊り 自然の復讐 浮気は止まない 第一義
死に直面して知る真面目[ 現代の腐敗日本の今の問題破滅]
世界に目を向けない二人だけの世界藤尾と小野さん救世軍ロシアの虚無党  ふざける  驕り驕慢プライド現代の青年に多いタイプ 
『道草』継続中
『それから』代助 何故働かない 日本の社会 三千代《 ごまかしていらっしゃるようよ》
昔の代助

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2007年5月28日 (月)

宮本百合子 五月の歓喜

宮本顕治の公判

顕治の第一審公判は1944年12月までつづき、無期懲役の判決が出た。控訴審の判決も同様で、1945年六月初旬、大審院は上告を棄却し、無期徒刑囚として網走刑務所に移された。

一九四五年五月十日の顕治宛書簡

「今メレジュコフスキーの『ミケランジェロ』を読んでいて、ルネッサンスという人間万歳の時代においても、法王やメディチや我がままな権力に仕えなければならなかった偉大な人々の苦悩に同情を禁じえません。」

   ミケランジェロの憂鬱は、彼の大いさに準じて巨大に反映したルネッサンスの暗さね、明け切れぬ夜の影です。この頃しみじみ思うの。未来の大芸術家は、記念すべき時代の実に 高貴な人間歓喜をどう表現するだろうか、と」「ミケランジェロが彼の雄大さで表現し得 なかった歓喜が現代にあるということは、神さえ無垢な心におどろくでしょう」と百合子は書いた。表面はミケランジェロについて書いているこの手紙は、検閲官には理  解できない暗号的表現で、ベルリン陥落の喜び、ファシズムに対する民主主義の勝利、日本軍国主義の終末の時が間近に迫ったことの喜び、この人間解放の歓喜の時代に、なお獄中にある顕治やその同志たちの苦悩を思う心を表現したのであった。

戦後に書いた自筆年譜

一月三十日から東京に本式の空襲がはじまり、五月には顕治が収監されている巣鴨拘置所だけを残して周辺が焼野原となったが、空襲の時、他の被告の監房の鎖ははずされたが、治安維持法被告の非転向者の監房は外からかたく錠をかけられた。

「この空襲と宮本の網走行(6月)の異常な伴奏として五月二日のベルリン陥落つづいてドイツ無条件降伏が伝えられた」

「日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々の新聞を拡げたろう。新聞には地図入りでベルリンに迫るソ連軍と連合軍の進路が示された。北フランスでどんどんと追い払われてゆくナチス軍の敗退の足どりがしるされた。レニングラードの市民の英雄的な闘い、遂に陥落しなかったモスクワ。ひとつひとつの民主的人民の勝利の勝利の前進が日本の狂気のようなファシズム下の生活の中へもひびきわたってきた」

一九四五年八月十八日付顕治宛書簡(八月十六日に書いたと思われる)
「いかに視野をひろく、視線を遠く歴史の彼方を眺めやっているにしろ、不屈なその胸に、八月十五日の夜、覆わなくてよくなった電燈の明るさ