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2007年5月28日 (月)

宮本百合子 五月の歓喜

宮本顕治の公判

顕治の第一審公判は1944年12月までつづき、無期懲役の判決が出た。控訴審の判決も同様で、1945年六月初旬、大審院は上告を棄却し、無期徒刑囚として網走刑務所に移された。

一九四五年五月十日の顕治宛書簡

「今メレジュコフスキーの『ミケランジェロ』を読んでいて、ルネッサンスという人間万歳の時代においても、法王やメディチや我がままな権力に仕えなければならなかった偉大な人々の苦悩に同情を禁じえません。」

   ミケランジェロの憂鬱は、彼の大いさに準じて巨大に反映したルネッサンスの暗さね、明け切れぬ夜の影です。この頃しみじみ思うの。未来の大芸術家は、記念すべき時代の実に 高貴な人間歓喜をどう表現するだろうか、と」「ミケランジェロが彼の雄大さで表現し得 なかった歓喜が現代にあるということは、神さえ無垢な心におどろくでしょう」と百合子は書いた。表面はミケランジェロについて書いているこの手紙は、検閲官には理  解できない暗号的表現で、ベルリン陥落の喜び、ファシズムに対する民主主義の勝利、日本軍国主義の終末の時が間近に迫ったことの喜び、この人間解放の歓喜の時代に、なお獄中にある顕治やその同志たちの苦悩を思う心を表現したのであった。

戦後に書いた自筆年譜

一月三十日から東京に本式の空襲がはじまり、五月には顕治が収監されている巣鴨拘置所だけを残して周辺が焼野原となったが、空襲の時、他の被告の監房の鎖ははずされたが、治安維持法被告の非転向者の監房は外からかたく錠をかけられた。

「この空襲と宮本の網走行(6月)の異常な伴奏として五月二日のベルリン陥落つづいてドイツ無条件降伏が伝えられた」

「日本のどんなに多くの人間がその頃胸をとどろかせて朝々の新聞を拡げたろう。新聞には地図入りでベルリンに迫るソ連軍と連合軍の進路が示された。北フランスでどんどんと追い払われてゆくナチス軍の敗退の足どりがしるされた。レニングラードの市民の英雄的な闘い、遂に陥落しなかったモスクワ。ひとつひとつの民主的人民の勝利の勝利の前進が日本の狂気のようなファシズム下の生活の中へもひびきわたってきた」

一九四五年八月十八日付顕治宛書簡(八月十六日に書いたと思われる)
「いかに視野をひろく、視線を遠く歴史の彼方を眺めやっているにしろ、不屈なその胸に、八月十五日の夜、覆わなくてよくなった電燈の明るさは、一つの歴史の感情としてしみ入ります」

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