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2008年4月23日 (水)

[AML 19230] ラサの動きについて  B

一読者です。ラサの動きについての続きです。
   
   
   
  転載歓迎ここから-------------------------------------
   
   

 今、先進的な人々は、許認可行政と言われる国家の統制のもとにある日本のテレビ局やラジオ局などの主要メディアの壁を乗り越えて、外国の情報をインターネットによって知ることができる。二十年前であれば、テレビが正確に伝えたがらないような国、自民党政府とあまり親しくないような国のことを庶民が迅速に知りたい
と思っても、ほとんどの場合それは日本国内ではかなわぬ夢であり、多くの人々は日本のテレビやラジオから出てくるあらゆることばをただそのまま真に受けて信じるしかなかった。だが今は状況が変わった。たといテレビ局や大手ニュースサイトの大量情報の太い管に比べれば非常に細い線であったとしても、そして時にことばの
壁があるにしても、現地の国の生の情報を見つけだせる可能性は二十年前よりも高まっている。
 世界各地の中国系の人々の努力によって、西側の一部の報道の真実が明かされた。西側の一部のメディアによって発言の権利を実質的に奪われていた世界各地の中国系の人々は、発言の権利を取り戻しはじめた。
   

 3月14日、拉薩(ラサ)で孫と一緒に車に乗っていた63才の女性は、暴徒に石を投げられた。蔵族(チベット族)のその女性は孫をしっかりつかんでおり、その子を奪われることはなかったが、彼女自身は頭部に傷を負った(注24)。暴徒たちの手からから孫を守ったその女性は語る。「暴徒たちがその暴徒たちのいる道路を通る
人をみんな襲っているのを見ました。その暴徒たちは冷酷な様子に見えました。」
 別の20才の被害者は、鉄の棒を持った暴徒たちに店を無理矢理こじ開けられ、店内を荒らされたという。この被害者も頭部に傷を負った(注25)。 
 けがを負わされた漢族、蔵族(チベット族)、回族の人々が次々と運び込まれた病院で働く医師たちは、15才の蔵族(チベット族)の少年が意識不明の昏睡状態に陥ったことを語った(注26)。
 別の男性は家に帰る途中に三人の男に行く手を阻まれ、逃げようとした。だが、追いつかれ後ろから切りつけられるという暴行を受けた(注27)。
 また、別の被害者は身体に多数の傷を負い、内臓にも損傷を受けた。「拉薩(ラサ)橋のバス停を降りてすぐ、まだ私が何も分からないうちに、向こうから近づいてきて、突いてきました」という(注28)。
 拉薩(ラサ)に開店したばかりの飲食店を襲撃された女性は、暴れる者たちによって棒やナイフ、石で店の1階をめちゃくちゃにされた。彼女自身、卑劣な暴徒によって2階の窓から突き落とされた。(注29)
 7才の蔵族(チベット族)の子どもは、「悪いことが起こっていることをテレビで見たとき、すごくこわかった」と語る。それは幼い子にとって大きな恐怖体験であった。そして「道路に出るのは危ないから、学校は6日間休みになった」ことも語る。だが、今はもう怖くないという。なぜなら、その蔵族(チベット族)の子の父
親がその子にもう「悪いこと」は終わったと話したからである(注30)。
 ある蔵族(チベット族)の医師はその日の朝、暴徒化した者たちが大声でわめきながら病院に石を投げつけているのを知った。「彼らは石を病院に投げつけ、二階の窓ガラスを数多く破壊した」とチベット族の医師は語る(注31)。そのチベット族の医師は、暴徒たちがなぜ病院を襲って破壊する行為をおこなっているのかまった
く分からなかった。そして、「わたしは暴徒たちの行為に強い憤りをおぼえたが、出入口を閉鎖して暴徒たちを中に入れないようにすることがわたしたちにできる全てだった」と、病気を患ったりけがに苦しむ患者たちを守り治療しなければならない医師としての立場から、暴徒たちの卑劣な暴力行為にたいする憤りを語る。
 「襲撃は二時間近くに及んだが、我々の病院では幸いなことに誰もけがを負わずにすんだ」。その蔵族(チベット族)の医師は、このような暴力主義的な破壊活動が自分たちの病院の前でおこなわれるとは予想すらしていなかった。そして、暴徒たちによるこれらの犯行によって、その地域の人々の平和な生活と暮らしの安定が脅
威にさらされたことを語った。
 カナダの新聞は拉薩(ラサ)にいた数人のカナダ人旅行者が語ったことについて伝えた。あるカナダ人旅行者は、レンガぐらいの大きさの敷石を投げつけていた暴徒によって、バイクに乗っていた人が殴られて意識を失っているのを目撃した。その人は、二メートルもあろうかという銀色の棒状の物を手にした15人の男たちにリン
チされ、服には血がべっとりついてびしょびしょになっていたという(注32)。別のカナダ人女性は、「あまりにも卑劣だった・・・あまりにも卑劣だった」と繰り返した。また別の男性は、暴徒らが一人の若い男性と二人の女性をリンチしているのを見た。男性は意識を失って倒れ、片方の女性は歯を何本も折られていたという。
  石などの凶器で頭部を殴打されていた人が倒れて動かなくなったのを見て、外国人バックパッカーはその人が殴られて死に至ったと思った(注33)。
 5人の若い女性が犠牲となった衣料品店の店主は、暴徒の犠牲となった彼女たちの青春の最後の日となった14日のことを思い起こすのはあまりにつらいという(注34)。蔵族(チベット族)を含む20歳前後の彼女たちはその日、生きたまま焼かれた。
 「パパ、あたしの店の周りで人殺しが暴れてる。店の外には出ないから心配しないで。ママとお姉ちゃんにも家から外に出ないように注意して。」これは、彼女たちのうちの一人が卑劣な暴徒の犠牲となる直前に書き送ったメールである(注35)。この女性の父親はこのショート・メッセージを何度も読み返しては、声を張り上げ
号泣した。
 「わたしは毎日食事が喉を通らず、寝つけません。姉妹たちはいつも夢の中でわたしに微笑んでいます。あの日朝には、まだみんな楽しくおしゃべりをしていたのに」。生存者である蔵族(チベット族)女性(23才)はこう語る。殺される数分前まで女性店員たちはお互いに抱き合って泣き叫んでいたという。
 「何人かの子たちの手は、発見された時固く握りしめられていました」とその店主は語る(注36)。冷酷な暴徒たちの犠牲となった彼女たちの追悼のために毎日多くの人が訪れるようになったその店の焼け跡の前で、店主はこれからも拉薩(ラサ)から去ることなく仕事を続ける決意をのべた。なぜなら、人と人とのあいだに混乱
と憎しみをかき立て、それをあおることに本当のねらいを持つ人間は、蔵族(チベット族)全体の中から見ればほんの一握りの人間にすぎないと彼は信じるがゆえである。
 別の場所では生後8ヶ月の赤ちゃんが、その母親といっしょに殺された(注37)。
 多くの人々の人生を一瞬にして悲劇のなかに引きずり込んだ冷酷な暴徒たちは、300カ所あまりに火を放ち(注37)、120棟の民家を焼き、908軒の商店にたいして焼き討ち・破壊・略奪行為をおこない、重傷58人を含む382人に傷を負わせ、18人の市民のかけがえのない尊い命を奪った(注38)。
  その後、これら盗みおよび連続放火殺人などの犯人ら362人が自首した(注39)。自首した者の多くは真相をよく知らない者たちで、一握りの扇動者に煽動されたり、脅されるなどして犯罪に加わったことが明らかになっている(注40)。
 犯人らは調べにたいし、「もしも暴動に参加しなかったら、わたしの家が焼かれていたかもしれない」(注41)「チベット独立勢力がお金で雇ってくれた。指示に従って、破壊活動を行った。多くの物を壊し、火をつければ、もっと多くのお金がもらえる」(注42)などと供述していることがわかった。
 “殺せば活仏になれる”と教えるかわりに“金銭を供与する”となっている点に、こんにちのダライ・ラマ14世関係者の現代化がうかがわれる。“活仏になれる”という魔法の言葉にたいして現代の若者があまり魅力を感じなくなり、そんな言葉では釣られなくなっている新世代の若者たちの登場にダライ・ラマ14世が焦りを感じ
ていても、過去の悲惨な農奴制の事実に触れずに隠しておこうとするダライ・ラマ14世のずるい政治的な態度は事実を知っている人々からの同情を得ることができない。
   

 13世紀の元朝の時代に中国の行政区域となった西蔵(チベット)であるが、仏教の学びのために20世紀初めに拉薩(ラサ)に入ったある人は、そこでの一般的な犯罪に対する刑罰として多いのが両眼をくり抜く刑であるのを知った(注43)。また、両手首を切断したり、耳を削いだり、鼻を削いだりする刑や、重い石の帽子を次
々とかぶらせて目玉を飛び出させることなどもおこなわれていた。拉薩(ラサ)という場所は、手のない人や、目玉をくり抜かれた人がたくさんいた町だったという。
 死刑は建前上は行われないことになっていたが、実際は珍しいことではなく、河の中で溺れ死にをさせるなどの方法で行われた(注44)。
 仏教の教えが無視され、ダライ・ラマも含めて多くの僧侶が肉を食べ、また一応は僧籍にありながら、実際には中世の僧兵のように乱暴狼藉をはたらく者も多かったという(注45)。
 旅行者がしばしば指摘したこととして、僧侶が僧院の外で女性と交渉をもったことや、それよりもさらに多く僧院の中で一種の同性愛が行われていたことなどがある(注46)。同性愛は、僧兵の中で特によく見られ、少年を奪い合っての暴力沙汰もあった。
 中華人民共和国の建国以前、西蔵(チベット)地方の奴隷の身分は悲惨なものであり、農奴はモノのように貸し借りされていた。一握りの特権的な僧侶や貴族・官僚が圧倒的な力を握っていた(注47)。また、『現代チベットの歩み』(A.T.グルンフェルド著)は、貴族のあいだでは一夫多妻制が珍しくなかったことを語っている
(注48)。男性が自分の連れあい(妻)の浮気に気づいたときには連れあい(妻)の鼻先を切り取る自由が法的に認められていた(注49)。チベット仏教高位の活仏は、貧しい人の貧困を前世によるものとした(注50)。
 『チベット』(岩波書店)の著者アラン・ウィニントンは、農奴所有者はその農奴たちを、なぜ戦うかの理由を告げることなしに戦闘に駆り立てる権利を持っていたことを述べつつも、僧侶が強力な戦闘力を持つ集団であることを認めている(注51)。
 閲兵写真で有名なダライ・ラマ14世は、中国の人々を殺害するための活動を1961年以降、国外拠点からおこなった(注52)。ダライ派による中国の人々への襲撃などのテロ活動が繰り返され、米国大使館からの兵器を装備した者たちが摘発されることもあった(注53)。対空火器(注54)などを含む武器で武装したダライ派ゲリラ
部隊は武装闘争を続け、ダライ派勢力から中国国内に秘密裏に送り込まれたテロリストによって中国の人々の命が奪われたが、中国の人々はダライ派武装勢力による卑劣なテロに屈しなかった。暴力を欲しいままにするダライ派武装勢力には米CIAとのつながりという疑惑が生じていたが(注55)、のち、ダライ派武装勢力は金銭的
なつながりのあったことを認めた(注56)。
   

 二十年以上前であれば人々は比較的少数のメディアから情報を得るしかなかった。それらのメディアが偏れば人々の認識も偏り、外国の情報についてウソを伝えられてもとりあえずそれを信じるよりほかに方法がなかった。西側メディアによって被害者が加害者に仕立て上げられて残酷に葬られても、外国での詳細な事実が書籍
などによって明らかになるのはずっと後のことであり、またそれに気づく人は多くなかった。少なくない人々が、自分が見ている西側メディアのニュースは客観的かつ中立的であると信じて疑わず、また自分は自由な国に住んでいると信じていることを言いあらわすのになんのためらいも感じなかった。

こんにち、外国の情報を迅速に手に入れる方法は少数のメディアのほかにもある。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアがどのようにイラク報道をおこなったかを知っている先進的な人々は、そのような一部の西側メディアから何を読みとることができるかをイラクの経験をとおして既に学んだ。今度はそ
れを実際に応用する番である。先に本当のことに気づいた先進的な人々が力を合わせてそれを多くの人々に説明するねばり強い努力を続けるなら、やがて虚偽が崩れるときがやってくる。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアの虚偽報道体質に多くの人が気づくとき、虚偽は人々の良心を汚し続けることがで
きなくなる。その時あざむく者の声は力を失い、多くの人々が本当のことを知るであろう。事実は偽りに勝利するであろう。
 
(注1)ttp://www.tanakanews.com/d0106iraq.htm
(注2)毎日新聞2003年4月9日付朝刊、および夕刊
毎日新聞2003年4月11日付朝刊
(注3)毎日新聞2003年4月16日付朝刊
(注4)ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85938.html
(注5)ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85939.html
(注6)ttp://www.anti-cnn.com
ttp://www.visfile.com/tibet.html
ttp://newschecker.blogspot.com/2008/03/who-lie-about-xizang-tibet-violence-and.html
など
(注7)ttp://www.anti-cnn.com
(注8)ttp://www.cnn.com/2008/US/03/28/tibet.statement/
(注9)ttp://j.people.com.cn/2008/04/02/jp20080402_86256.html  『人民網日本語版』2008年4月2日 『西側メディアの偏向報道にネット利用者が反論(3)』
(注10)ttp://www.anti-cnn.com
(注11)ttp://www.anti-cnn.com
(注12)ttp://www.anti-cnn.com
(注13)ttp://www.anti-cnn.com
(注14)ttp://www.anti-cnn.com
(注15)ttp://www.anti-cnn.com
(注16)ttp://www.anti-cnn.com
(注17)ttp://kadfly.blogspot.com/2008_03_01_archive.html
(注18)『季刊 戦争責任研究』第17号 1997年秋季号
(注19)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.87
(注20)『季刊 戦争責任研究』第43号 2004年春季号 p.89
(注21)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.27
(注22)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3段目
(注23)『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28 3~4段目
(注24)ttp://www.china.org.cn/china/features/content_12839652.htm
(注25)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注26)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注27)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注28)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html
(注29)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85764.html  『人民網日本語版』2008年3月24日
(注30)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注31)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注32)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378607.html
(注33)ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378609.html
(注34)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注35)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85760.html  『西蔵市民、暴行・破壊・略奪・放火事件を糾弾(1)』
(注36)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注37)ttp://j.people.com.cn/2008/03/18/jp20080318_85434.html
(注38)ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85759.html
(注39)ttp://j.people.com.cn/2008/04/10/jp20080410_86559.html
(注40)ttp://japanese.china.org.cn/politics/txt/2008-03/21/content_13227977.htm  『チャイナネット』
(注41)ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm
(注42)ttp://japanese.cri.cn/151/2008/03/22/1@114680.htm  『中国国際放送局』
(注43)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.183
(注44)『チベット』多田等観著/岩波新書  p.113
(注45)『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著 今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳/白水社 p.182
(注46)『チベットの文化 決定版』R.A.スタン著 山口瑞鳳・定方晟訳/岩波書店 p.170
(注47)ttp://j.people.com.cn/2008/04/01/jp20080401_86157.html  『人民網日本語版』2008年4月1日 「西蔵の歴史はこう主張する(1)苛酷な封建農奴制」
(注48)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.24
(注49)同書 p.22
(注50)同書 p.36
(注51)『チベット』アラン・ウィニントン著/岩波書店 p.iii
(注52)『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著 八巻佳子訳/東方書店 p.229
(注53)同書 p.228
(注54)同書 p.230
(注55)同書 p.233
(注56)ttp://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260  ニューヨーク・タイムズ 1998年10月2日



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