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2008年5月10日 (土)

「わたしは中国人」 ■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』  第123回

■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』          第123回
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「わたしは中国人」

 聖火もとうとう中国国内に入ってきて、世界の視野からは消えさりつつある。一方
で、中国メディアではますます必然のニュース話題として取り扱われ、胡錦濤国家主
席の訪日などにはさすがに道を譲っているが、それに続くトップニュースとなってい
る。

 ただ、先週末に海南省三亜市から始まった国内の聖火リレーは、いったいそこが海
南省である意義がどこにあるのかよく分からなかった。というのも、これから先、聖
火は全国各地を回るわけだが、海南省五都市が選んだリレー走者は香港の芸能スター
あり、上海のテレビ司会者あり、海南省で行われたミスワールド大会で栄冠に輝いた
が海南出身でもない美女あり。もちろん、市長や現地の企業家なども混じっていたが、
多くが海南省と一体どういう関係にあるのかよく分からず、バックに映る風景とその
華やかさ以外、海南省におけるリレーの特色は感じられなかった。

 しかし、早くもそんな三亜市の聖火リレーを「各都市の聖火リレーのお手本にすべ
き」という声が出ていることに対して、5月7日の「南方都市報」にこんなコラムが
掲載されていた。

「沿道の観衆もマスメディアも、聖火よりもスター見物に忙しく、そんなファンたち
のほうがオリンピックファンよりも多かった。オリンピック聖火リレーはすでに香港
で、そんなスター効果に多くの批判が集まっているが、三亜でのリレーは香港のそれ
を上回るものだった。映画やテレビスターがリレーで喧騒の的になったほか、国内で
最初のリレー都市(三亜、五指山、万寧、瓊海、海口)の市長がリレー走者に名前を
並べていたことも非難されている。リレー走者に市長が含まれるのは不思議ではない
が、不思議なのは市長がすべてリレー走者だということだ。リレー走者選抜の娯楽化、
行政化のレベルが高いほど、オリンピック化、スポーツ化のレベルがそれに応じて低
くなっている。聖火リレーへのスターや政府職員の参与は排斥すべきではないが、一
般大衆の走者の数をもっと増やすことがその他の都市が取るべき方法だろう」(「王
琳:三亜の聖火リレーモデルをコピーする必要はない」南方都市報・5月7日)

 その華やかな第一陣の様子は「成功」と映ったのだろう。ここにきて、またぞろ、
中国お得意の「お手本コピー文化」が台頭してきたようだ。

 以前も書いたが、中国には昔から「お手本の複製」をよしとする文化習慣がある。
社会主義華やかなりし頃には毛沢東やトウ小平などの国家指導者の言葉がおまじない
のように反復利用された。しかし、それは社会主義制度独特のものではなく、それこ
そ日本でも中国から伝わった書道や孔子、孟子思想の学習がそうであるように、昔か
ら模倣、暗唱、復唱、引用が重視されることからしても伝統的中国文化の特色といえ
るだろう。

 さらにそこに見られたもっと現代的な色合いも、このコラムでは取り上げている。

「リレーの開会式会場とリレーの沿道で道に並んだ『民衆』は、商業機関の『雇用兵』
であふれており、彼らは雇用機関が無料で配布したTシャツを着、企業ロゴがオリン
ピックロゴよりも大きく印刷された小旗を振っていた。このような商業キャンペーン
は多くが丁寧に計画されたものであり、このために彼らは見物にやってくる市民より
も早い時間に、そして有効的に重要な立ち位置を占領した。本当にオリンピック聖火
リレーに興味を持ってやってきた市民たちは逆にさまざまな理由で現場に入れなかっ
たのである。特に鳳凰島と天涯海角の開会式会場は、某電子機器企業の白旗と某飲料
品企業の赤旗で埋め尽くされ、オリンピック精神はかなりの面で、その濃厚な商業要
素に覆い隠されれてしまった」(同上)

 そういえば、先日目にした記事に、「海外での聖火リレーにおいて、声援を送った
華人たちは五星紅旗ではなくオリンピック旗を振るべきではなかったのか。そうする
ことで、チベット問題でどんなに海外の感情が悪くなったとしても、オリンピックが
ここまで人々に政治化されてしまうことはなかったはずだ」ということが書かれてい
た。コトすでに遅しだが、こういった意見もむなしく、海外の聖火リレーで激しく振
られた五星紅旗はここにきて、企業ロゴに取って代わられたわけである。

 とにもかくにも聖火を国内に「取り戻し」てから、中国のメディアの一部では海外
のリレー騒動の余波を検証する声が出始めている。前回も書いたように、今回の海外
での衝突は、中国国内の世界観を大きく変えている。わたしは、今回のチベット騒乱
に始まった一連の衝撃が今後、中国の人々に与える心理的な影響はかなり大きいので
はないかと考えている。

 1989年の天安門事件を経験した(が体験したのではない)友人は「その衝撃は
天安門事件ほどではない」と言うが、今ではメディアの規模も海外との関係も、人々
の自立意識も、当時とは比べものにならないくらい拡大している。89年当時は国内
に暮らす市民が触れることが出来る情報は限られていた。だから、事件の情報はすぐ
に封鎖、統制されたし、インターネットの普及でここ数年初めて真相を知ったという
人も少なくない。

 今は海外への留学生や出張者、旅行者も激増し、さまざまな考え方、立場の中国人
が世界に散らばっている。その彼らが聖火リレーに声援を送りつつも、中国国内での
カルフールボイコットについては議論をし、また海外メディアの偏った報道に直接現
地の言葉で抗議する様子は、国内にすぐさま伝わった。つまり、そういった情報の片
鱗が頻繁に行き来する中で、それに触れて刺激された人々の数とその層の広さは89
年を上回っている。

 そしてメディアを通じて、事件を経た後でのさまざまな人々の声が伝えられている。

「多くの人が中国に偏見を持っている。これに対して我われは、我われのコミュニケ
ーションの方法もまたもっと良くする余地があることを認めなければならない。たと
えば、我われの言葉の用い方、政治述語は翻訳が非常に難しい。我われの語彙は多く
の意味を持っているし、我われは道理や原則をよく掲げる。外国人は往々にして具体
的なものから抽象的なものへと入っていくが、われわれは抽象から出発し、具体的な
ものが少ない……わたしはヨーロッパで大使を務めた9年間において、中国に来たこ
とのある人とそうでない人には大きな違いがあるという点に気がついた。来たことの
ある人とは容易に多くの問題を語り合うことができるが、来たことのない人たちは往
々にして偏見が多いのだ」(「呉建民・元駐仏中国大使が語る、中国に対する西洋の
誤解」聨合早報・4月29日)

 こう語る呉建民氏は自身もフランス語を学び、欧州での大使館勤務ばかりではなく、
元ECや国連の駐在代表を経験し、その後外交部の報道官を担当した人物である。現
在、少数精鋭制で外交官候補生を育てる外交学院の学長を務めている彼は、文字通り
中国における対外コミュニケーションのプロ中のプロといえる。その彼が「我われの
コミュニケーションの方法」についての発言をしているのは注目に値するだろう。

 このような声は、前回のレポートで書いたように、シンガポールや香港といった、
中国国内とも太いパイプを持ちつつ、西洋諸国と密接な往来を繰り返している地域か
ら次々と声が上がり始めている。

「ことの次第の正否とは別に、今回のオリンピック政治化によって引き起こされた中
国と西洋のメディア対立について、中国の各レベル政府の西洋メディアに対する対応
の不足、ないしは不当さを列挙することができる。そこには、数十年変わらぬ空虚な
言葉遣いと表現方法も含まれる。21世紀における中国政府職員の一部はあきらかに
前世紀の政治言語のなかから抜け出せていない。ある突発事件に直面すると、その暴
力的な政治語彙と表現方法が簡単に口を衝いて飛び出し、中国人ですらそれを耳にし
て身の毛がよだつほどだ。中国が今直面しているのはすでに飢えの問題ではなく、
『調和ある社会』『調和ある世界』という高尚な問題であり、政府職員たちの思考と
言語は必ず、社会文明の足取りに見合ったものでなければならないはずだ」(「杜平
:怖いのは中国政府ではなく、中国ネチズンたち」聨合早報・4月25日)

 この杜平氏はもともと中国国内出身で、現在、シンガポール紙「聨合早報」の論説
主幹を務めている。さらに、同じく中国国内出身で、香港誌「亜洲週刊」の首席記者
の紀碩鳴氏も同紙上でこう指摘している。

「たとえば、政府系通信社の新華社では、『暴徒を前にして、<武装警察は非常な抑
制と忍耐を維持した>』と表現したが、国際社会には『(相手が)暴徒なのに、なぜ
抑制と忍耐が必要なのか』がよく分からない。もしかしてその抑制によって、暴力、
破壊、強奪、焼き打ち、殺人が数時間続き、さらに一日中、警察が事件の鎮静を図ら
なかったということか? ダライラマを<袈裟を着た悪人、人面獣心の悪魔>と呼ん
だとき、彼はちょうどアメリカで数万人を前に説法していたのである。その言葉がど
うして国際社会に受け入れられるだろうか? チベットで騒乱が発生してから、すべ
ての外国人と海外メディアは現場から遠ざけられ、それをさまざまな理由を持ち出し
て安全確保のためだと説明したが、西洋の『反中勢力』もまた、さまざまな理由を持
ち出して中国政府がそこで発表する情報と報道の客観性を問うた」(「紀碩鳴:華人
デモは国際発言権のために」聨合早報・4月26日)

 そんな、国内では政府系メディアによる統一原稿報道のみ、そして海外では聖火の
到来を喜ぶ自分たちの姿がまったく報道されないことに、人々の不満は募った。そし
て起こったデモや抗議活動を、紀氏は「国内外の華人が声を上げたのは、海外での発
言権を求めてのことだ」と言う。

「国内外で大きく高まったデモや抗議の気運は、中国の一般市民が国際舞台での発言
の権利を求めているということを示したものだった。…(略)…中国の一般市民はこ
れまでずっと発言権を持てずにいることを感じており、一方で発言できるメディアも
西洋社会で認められる力を持っておらず、また十分に市民の意見を代表できていな
かった。だから西洋に本当の中国の声を理解してもらおうと抗争という方法を取り、
国際的な発言権を奪回しようとしたことは非常に自然な選択だった。実のところ、華
人そして中国の一般市民がチベット問題が起こってから示したのは、発言したいとい
う態度だったのだ」(同上)

 今回のカルフールやルイヴィトン、そしてフランス製品のボイコット、さらに各国
での華人によるリレー応援や抗議活動を多くの海外メディアは、いまだに「中国政府
の指示によるもの」というルートから解読を試みているが、わたしも紀氏が言うよう
にその多くが「わたしは中国人だ。そのどこが悪い?」という一人ひとりの思いから
きているように思う。

 もちろん、そこに中国政府が手を一切差し伸べなかったとは言えない。しかし、た
とえ聖火リレーの会場となった長野までの交通費を全額中国大使館が出したとしても、
それを他国の人間ががたがた言うことができるだろうか? 彼らは自身のお金を使っ
て同胞に手を差し出したまでであって、たとえ留学生の一人ひとりに至るまで大使館
が支給したからといって、中国国内で問題視されることがない限り、自分たちの予算
をどう使おうとそれは中国の勝手である。そんな手配を日本の駐海外大使館がやるか
どうかという議論は別にして、それぞれの国にそれぞれの同胞への接し方があるはず
だ。

 当然のことだが、カルフールへデモ隊がなだれ込んだのは、事前に情報をつかんで
いたのにそれを防げなかった警察当局の失態だ。しかし、カルフール側もデモ隊集結
の情報を得ていた上で当日の営業を敢行したのだから、武装した警官に店の周囲をぐ
るりと取り囲まれるような警備を求めていたはずはない。さらに言えば、日ごろの報
道からしても、中国の警察力は「守ってくれる」という点においてアテにならないこ
とが多く、その力はコトが起きてからの捜査や犯人逮捕などに重きを置いているよう
に、わたしは感じている。

 ただ、そうやって海外に向けて高まっていく民衆の不満を、中国政府が利用しよう
としなかったとも言えない。外交部のスポークスマンはメディア向けの記者会見で毎
回のように海外で続く小競り合いを、「市民の不満が自然に高まったもの」「尊厳を
守ろうとした」「西洋諸国はそれを尊重すべきだ」と表現し、西洋諸国が持つ民主主
義意識に訴えたが、逆にそれを聞いた海外メディアはいつものように「政府があおっ
ている」と書いた。

 だが、紀氏がいうように、爆発的にこれまで与えられなかった発言権を求めた華人
たちは、「自分は中国人だ。そのどこが悪い?」という点を除いて、デモやボイコッ
ト、リレーの応援に駆けつけた人々の一人ひとりの思いと、中国政府の思惑との間に
は共有するものはほぼなかったと言っていい。もちろん、中国で教育を受けた彼らに
は、中国政府が対外的に行った事件の顛末説明と立場の表明は聞き慣れたそれだった。
しかし、実際にそれに納得しない海外メディアと西洋社会を前にして、彼らは中国政
府の説明がそこで十分な説得力を持っていないことに気づき、逆に自らの意思表明を
行い始めたのである。

 その声の挙げ方は間違っていたかもしれない。現地の法律に触れる行為があったか
もしれない。そして、その論理自体が現地の住民たちとは違うものだったかもしれな
い。その姿が現地の人たちが日常採る行動とは違っていたかもしれない。外国語で叫
んだかもしれない。五星紅旗を振り回したかもしれない。

 しかし、それをすべて「中国政府の指図によるもの」と言いくるめてしまうのは間
違っている。

 わたしがなぜそう言うかというと、友人たちの姿を見てよく分かるからである。フ
ランスで聖火リレーが妨害された頃から、MSNメッセンジャーなどのチャットソフ
トユーザーの間で、自分の名前の前にハートマークに続いてCHINAと入れるのが
大流行した。一時はソフトを開くとそこには真っ赤っかのハートがずらずらと並び、
ある友人はちょっとお下品だがそれを「チャットソフトは生理中」とやゆったほど
だった。

 その真っ赤っかの中には、日ごろ中国政府の政策に不満たらたらの友人もいた。メ
ディアで働き、ニュースの取り扱いがどれほど制限されているかを知っている友人も
いた。彼らは誰よりも中国政府の「本音」と「建前」をわたしに教えてくれる人たち
だ。彼らの名前の前にも赤いハートマークと「CHINA」の文字が刻まれていた。

「なぜ『中国』ではなく『CHINA』としたのかについて、あるネチズンが『こう
すれば世界に向けて叫ぶことができる。英語を使うのは外国人の注意を引くためだ』
と教えてくれた。『でも外国人はたいして反応してこなかった』とイギリス・ハート
フォードシャイア大学に留学している朱剣雄は『新世紀週刊』にこう語った。彼と彼
のクラスメートは早くからハートマークをつけ、『ぼくのMSNメッセンジャーには
外国人の友達が多いから、彼らに影響を与えたかったから』。しかし、外国人の友人
たちは『ほぼそういうことには興味がなさげ』でたいした効果は得られなかった」
(「中国式憤怒:想像を超えたボイコット」新世紀週刊・4月28日)

 非常に笑わせてもらったのは、80年代生まれの若き小説家として人気の韓寒氏の
ブログだった。彼はそれ以前にすでにカルフールボイコットに否定的な意見を書き、
そこに「お前は国を愛していないのか」などという抗議が殺到した。

「韓寒は『愛国、さらにもっとメンツが好き』を書いてから『愛国青年』たちの侮辱
を受けた。彼は『なぜだか知らないが、愛国者は汚い言葉を使いたがる』と言いなが
ら、愛国者たちが憤激したときに良く使う『もし、外国人がお前を殴ったらどうする
?』『お前の母親が外国人にレイプされたらどうするつもりだ?』という言葉に対し
て、やんわりと『外国人はぼくを殴らない。ぼくの母親は外国人にレイプされていな
い。近代のオリンピックはフランス人のクールベルタンが提唱したものだ。オリン
ピックもボイコットすればいい』と答えている」(同上)

 今ではわたしのメッセンジャーに並ぶハートマークの数もすでに10分の1以下に
減った。友人に尋ねたら、「もうとっくの昔に下げちゃったわよ」と笑われた。

 彼らは発言の手立てを見つけ始めた。もちろん、その表現は国際的な舞台からすれ
ば、まだまだ稚拙かもしれないし、見慣れぬ方法がまた出現するのかもしれない。し
かし、彼らのそれが今後どういう形で成熟し、周りを納得させ、社会を変えていくの
か。特に今、中国当局自体がまだ世界にアピールできるコミュニケーションの方法を
見つけ出せずにいる状態で、そんな彼らがどうやって政府を突き動かしていくのか。
わたしは興味深く見守っているところだ。

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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
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