<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/">
<title>雑記帳</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/</link>
<description></description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2008-05-14T06:11:42+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/20085_16e2.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/post_7dfd.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19229_a_f9d6.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19230_b_2819.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/17_367d.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/post_9382.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/01/post_0d22.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_26_a77d.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_22_83f6.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/05/post_b097.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/20085_16e2.html">
<title>メディア時評　神奈川新聞　2008年5月</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/20085_16e2.html</link>
<description>アドバイザー田畑　光永 ジャーナリスト。 1935年、東京生まれ。東京外国語大学...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アドバイザー&lt;br /&gt;田畑　光永&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジャーナリスト。 1935年、東京生まれ。東京外国語大学卒業後、ＴＢＳニュースキャスター。&lt;br /&gt;前神奈川大学経営学部教授。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このニカ月ほど「チベット」の文字が本紙をはじめ各メディアに連日大きく登場したことはなかったはずだ。中国大陸の西南部、平均海抜四、〇〇〇メ－トル以上という高原は普段はめったにニュースに出現しない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　発端は三月十四日の騒擾事件だが、あえて言えば、この事件そのものは、中東の他で日常的に起こっている出来事と比べて特段に大きいわけではない。そこがチベットであり、また今夏、北京でオリンピックが開かれるから、特に注目を集めたわけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　確かに中国政府の態度はチベットに民族問題があることすら認めず、ダライ・ラマを分裂主義者と決めつけて対話を拒否するなど、一方的で居丈高である。それが急速な経済発展で日増しに存在感を高める中国へのなんとはなしの反感を世界的に増幅して、「人権を踏みにじられながら独立をもとめる哀れなチベットに肩入れする報道となったように見える。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　すると、それが逆に中国人のナショナリズムを刺激して、西側報道ひいては西側政府への反感を募らせ、フランス資本のスーパーヘの不買運動にまで発展した。危険な連鎖というほかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私自身は三十年前と四年前に一週間ほどラサに滞在した経験しかないが、その四半世紀の間の変化はとて　つもなく大きかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ひと言でいえば、チベットのラサの上に漢民族の地方都市が覆いかぶさったという印象であった。格段に増えた観光客を相手に商売するのは圧倒的に漢民族であり、出稼ぎを含めるとラサの人口は漢民族の方が多いというのは頷けた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういう状況に憤懣を募らせているチベット人は多かろう。3月14日の事件で中央政府側が放映したテレビ画面で、漢人商店などを襲って暴れていたのは見るからにこういう人たちであった。ベット文化が崩壊すると危機感を募らせている。もっともなことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし同時に、あの高地でいつまでもヤク（牛）を追い、裸麦を育てるだけで事足りると考えるチベット人も多くはあるまい。高原は高原に合った生活の質の向上を図る道を探らなければならない。独立すればすべてがうまくいくという単純な話ではないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ダライラマが独立を求めず、「高度の自治」を求めているのは理性的である。チベットにどういう未来像を描くかについては中国政府との緊密な強調が不可欠である。伝統と文化を守るには漢民族の流入をどの程度に抑えるか、豊富といわれる希土類資源の開発にしてもチベット人の権益をどう保護するかなどなど、理性的で粘り強い話し合い以外に解決策はない。ように見える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これまでダライ・ラマ側との対話を拒否していた中国政府も対話へ踏み出した。国際社会は黙ってそれを見守るしかない。判官びいきは時に必要なメディアの特性の一つだが、一方自国であれ他国であれ、また、故意にそうするわけでないにせよ、ナショナリズムを煽ることになる報道は厳に自制しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ナショナリズムを煽ることは人心を掴むには安易な方法であるが、そこから建設的な結果が生まれることはまずないのだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-05-14T06:11:42+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/post_7dfd.html">
<title>「わたしは中国人」 ■　『大陸の風－現地メディアに見る中国社会』　　第１２３回</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/05/post_7dfd.html</link>
<description>■　『大陸の風－現地メディアに見る中国社会』　　　　　　　　　　第１２３回━━━...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;■　『大陸の風－現地メディアに見る中国社会』　　　　　　　　　　第１２３回&lt;br /&gt;━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「わたしは中国人」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　聖火もとうとう中国国内に入ってきて、世界の視野からは消えさりつつある。一方&lt;br /&gt;で、中国メディアではますます必然のニュース話題として取り扱われ、胡錦濤国家主&lt;br /&gt;席の訪日などにはさすがに道を譲っているが、それに続くトップニュースとなってい&lt;br /&gt;る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ただ、先週末に海南省三亜市から始まった国内の聖火リレーは、いったいそこが海&lt;br /&gt;南省である意義がどこにあるのかよく分からなかった。というのも、これから先、聖&lt;br /&gt;火は全国各地を回るわけだが、海南省五都市が選んだリレー走者は香港の芸能スター&lt;br /&gt;あり、上海のテレビ司会者あり、海南省で行われたミスワールド大会で栄冠に輝いた&lt;br /&gt;が海南出身でもない美女あり。もちろん、市長や現地の企業家なども混じっていたが、&lt;br /&gt;多くが海南省と一体どういう関係にあるのかよく分からず、バックに映る風景とその&lt;br /&gt;華やかさ以外、海南省におけるリレーの特色は感じられなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、早くもそんな三亜市の聖火リレーを「各都市の聖火リレーのお手本にすべ&lt;br /&gt;き」という声が出ていることに対して、５月７日の「南方都市報」にこんなコラムが&lt;br /&gt;掲載されていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「沿道の観衆もマスメディアも、聖火よりもスター見物に忙しく、そんなファンたち&lt;br /&gt;のほうがオリンピックファンよりも多かった。オリンピック聖火リレーはすでに香港&lt;br /&gt;で、そんなスター効果に多くの批判が集まっているが、三亜でのリレーは香港のそれ&lt;br /&gt;を上回るものだった。映画やテレビスターがリレーで喧騒の的になったほか、国内で&lt;br /&gt;最初のリレー都市（三亜、五指山、万寧、瓊海、海口）の市長がリレー走者に名前を&lt;br /&gt;並べていたことも非難されている。リレー走者に市長が含まれるのは不思議ではない&lt;br /&gt;が、不思議なのは市長がすべてリレー走者だということだ。リレー走者選抜の娯楽化、&lt;br /&gt;行政化のレベルが高いほど、オリンピック化、スポーツ化のレベルがそれに応じて低&lt;br /&gt;くなっている。聖火リレーへのスターや政府職員の参与は排斥すべきではないが、一&lt;br /&gt;般大衆の走者の数をもっと増やすことがその他の都市が取るべき方法だろう」（「王&lt;br /&gt;琳：三亜の聖火リレーモデルをコピーする必要はない」南方都市報・５月７日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その華やかな第一陣の様子は「成功」と映ったのだろう。ここにきて、またぞろ、&lt;br /&gt;中国お得意の「お手本コピー文化」が台頭してきたようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以前も書いたが、中国には昔から「お手本の複製」をよしとする文化習慣がある。&lt;br /&gt;社会主義華やかなりし頃には毛沢東やトウ小平などの国家指導者の言葉がおまじない&lt;br /&gt;のように反復利用された。しかし、それは社会主義制度独特のものではなく、それこ&lt;br /&gt;そ日本でも中国から伝わった書道や孔子、孟子思想の学習がそうであるように、昔か&lt;br /&gt;ら模倣、暗唱、復唱、引用が重視されることからしても伝統的中国文化の特色といえ&lt;br /&gt;るだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さらにそこに見られたもっと現代的な色合いも、このコラムでは取り上げている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「リレーの開会式会場とリレーの沿道で道に並んだ『民衆』は、商業機関の『雇用兵』&lt;br /&gt;であふれており、彼らは雇用機関が無料で配布したＴシャツを着、企業ロゴがオリン&lt;br /&gt;ピックロゴよりも大きく印刷された小旗を振っていた。このような商業キャンペーン&lt;br /&gt;は多くが丁寧に計画されたものであり、このために彼らは見物にやってくる市民より&lt;br /&gt;も早い時間に、そして有効的に重要な立ち位置を占領した。本当にオリンピック聖火&lt;br /&gt;リレーに興味を持ってやってきた市民たちは逆にさまざまな理由で現場に入れなかっ&lt;br /&gt;たのである。特に鳳凰島と天涯海角の開会式会場は、某電子機器企業の白旗と某飲料&lt;br /&gt;品企業の赤旗で埋め尽くされ、オリンピック精神はかなりの面で、その濃厚な商業要&lt;br /&gt;素に覆い隠されれてしまった」（同上）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういえば、先日目にした記事に、「海外での聖火リレーにおいて、声援を送った&lt;br /&gt;華人たちは五星紅旗ではなくオリンピック旗を振るべきではなかったのか。そうする&lt;br /&gt;ことで、チベット問題でどんなに海外の感情が悪くなったとしても、オリンピックが&lt;br /&gt;ここまで人々に政治化されてしまうことはなかったはずだ」ということが書かれてい&lt;br /&gt;た。コトすでに遅しだが、こういった意見もむなしく、海外の聖火リレーで激しく振&lt;br /&gt;られた五星紅旗はここにきて、企業ロゴに取って代わられたわけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　とにもかくにも聖火を国内に「取り戻し」てから、中国のメディアの一部では海外&lt;br /&gt;のリレー騒動の余波を検証する声が出始めている。前回も書いたように、今回の海外&lt;br /&gt;での衝突は、中国国内の世界観を大きく変えている。わたしは、今回のチベット騒乱&lt;br /&gt;に始まった一連の衝撃が今後、中国の人々に与える心理的な影響はかなり大きいので&lt;br /&gt;はないかと考えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　１９８９年の天安門事件を経験した（が体験したのではない）友人は「その衝撃は&lt;br /&gt;天安門事件ほどではない」と言うが、今ではメディアの規模も海外との関係も、人々&lt;br /&gt;の自立意識も、当時とは比べものにならないくらい拡大している。８９年当時は国内&lt;br /&gt;に暮らす市民が触れることが出来る情報は限られていた。だから、事件の情報はすぐ&lt;br /&gt;に封鎖、統制されたし、インターネットの普及でここ数年初めて真相を知ったという&lt;br /&gt;人も少なくない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今は海外への留学生や出張者、旅行者も激増し、さまざまな考え方、立場の中国人&lt;br /&gt;が世界に散らばっている。その彼らが聖火リレーに声援を送りつつも、中国国内での&lt;br /&gt;カルフールボイコットについては議論をし、また海外メディアの偏った報道に直接現&lt;br /&gt;地の言葉で抗議する様子は、国内にすぐさま伝わった。つまり、そういった情報の片&lt;br /&gt;鱗が頻繁に行き来する中で、それに触れて刺激された人々の数とその層の広さは８９&lt;br /&gt;年を上回っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そしてメディアを通じて、事件を経た後でのさまざまな人々の声が伝えられている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「多くの人が中国に偏見を持っている。これに対して我われは、我われのコミュニケ&lt;br /&gt;ーションの方法もまたもっと良くする余地があることを認めなければならない。たと&lt;br /&gt;えば、我われの言葉の用い方、政治述語は翻訳が非常に難しい。我われの語彙は多く&lt;br /&gt;の意味を持っているし、我われは道理や原則をよく掲げる。外国人は往々にして具体&lt;br /&gt;的なものから抽象的なものへと入っていくが、われわれは抽象から出発し、具体的な&lt;br /&gt;ものが少ない……わたしはヨーロッパで大使を務めた９年間において、中国に来たこ&lt;br /&gt;とのある人とそうでない人には大きな違いがあるという点に気がついた。来たことの&lt;br /&gt;ある人とは容易に多くの問題を語り合うことができるが、来たことのない人たちは往&lt;br /&gt;々にして偏見が多いのだ」（「呉建民・元駐仏中国大使が語る、中国に対する西洋の&lt;br /&gt;誤解」聨合早報・４月２９日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こう語る呉建民氏は自身もフランス語を学び、欧州での大使館勤務ばかりではなく、&lt;br /&gt;元ＥＣや国連の駐在代表を経験し、その後外交部の報道官を担当した人物である。現&lt;br /&gt;在、少数精鋭制で外交官候補生を育てる外交学院の学長を務めている彼は、文字通り&lt;br /&gt;中国における対外コミュニケーションのプロ中のプロといえる。その彼が「我われの&lt;br /&gt;コミュニケーションの方法」についての発言をしているのは注目に値するだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　このような声は、前回のレポートで書いたように、シンガポールや香港といった、&lt;br /&gt;中国国内とも太いパイプを持ちつつ、西洋諸国と密接な往来を繰り返している地域か&lt;br /&gt;ら次々と声が上がり始めている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「ことの次第の正否とは別に、今回のオリンピック政治化によって引き起こされた中&lt;br /&gt;国と西洋のメディア対立について、中国の各レベル政府の西洋メディアに対する対応&lt;br /&gt;の不足、ないしは不当さを列挙することができる。そこには、数十年変わらぬ空虚な&lt;br /&gt;言葉遣いと表現方法も含まれる。２１世紀における中国政府職員の一部はあきらかに&lt;br /&gt;前世紀の政治言語のなかから抜け出せていない。ある突発事件に直面すると、その暴&lt;br /&gt;力的な政治語彙と表現方法が簡単に口を衝いて飛び出し、中国人ですらそれを耳にし&lt;br /&gt;て身の毛がよだつほどだ。中国が今直面しているのはすでに飢えの問題ではなく、&lt;br /&gt;『調和ある社会』『調和ある世界』という高尚な問題であり、政府職員たちの思考と&lt;br /&gt;言語は必ず、社会文明の足取りに見合ったものでなければならないはずだ」（「杜平&lt;br /&gt;：怖いのは中国政府ではなく、中国ネチズンたち」聨合早報・４月２５日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この杜平氏はもともと中国国内出身で、現在、シンガポール紙「聨合早報」の論説&lt;br /&gt;主幹を務めている。さらに、同じく中国国内出身で、香港誌「亜洲週刊」の首席記者&lt;br /&gt;の紀碩鳴氏も同紙上でこう指摘している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「たとえば、政府系通信社の新華社では、『暴徒を前にして、＜武装警察は非常な抑&lt;br /&gt;制と忍耐を維持した＞』と表現したが、国際社会には『（相手が）暴徒なのに、なぜ&lt;br /&gt;抑制と忍耐が必要なのか』がよく分からない。もしかしてその抑制によって、暴力、&lt;br /&gt;破壊、強奪、焼き打ち、殺人が数時間続き、さらに一日中、警察が事件の鎮静を図ら&lt;br /&gt;なかったということか？　ダライラマを＜袈裟を着た悪人、人面獣心の悪魔＞と呼ん&lt;br /&gt;だとき、彼はちょうどアメリカで数万人を前に説法していたのである。その言葉がど&lt;br /&gt;うして国際社会に受け入れられるだろうか？　チベットで騒乱が発生してから、すべ&lt;br /&gt;ての外国人と海外メディアは現場から遠ざけられ、それをさまざまな理由を持ち出し&lt;br /&gt;て安全確保のためだと説明したが、西洋の『反中勢力』もまた、さまざまな理由を持&lt;br /&gt;ち出して中国政府がそこで発表する情報と報道の客観性を問うた」（「紀碩鳴：華人&lt;br /&gt;デモは国際発言権のために」聨合早報・４月２６日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな、国内では政府系メディアによる統一原稿報道のみ、そして海外では聖火の&lt;br /&gt;到来を喜ぶ自分たちの姿がまったく報道されないことに、人々の不満は募った。そし&lt;br /&gt;て起こったデモや抗議活動を、紀氏は「国内外の華人が声を上げたのは、海外での発&lt;br /&gt;言権を求めてのことだ」と言う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「国内外で大きく高まったデモや抗議の気運は、中国の一般市民が国際舞台での発言&lt;br /&gt;の権利を求めているということを示したものだった。…（略）…中国の一般市民はこ&lt;br /&gt;れまでずっと発言権を持てずにいることを感じており、一方で発言できるメディアも&lt;br /&gt;西洋社会で認められる力を持っておらず、また十分に市民の意見を代表できていな&lt;br /&gt;かった。だから西洋に本当の中国の声を理解してもらおうと抗争という方法を取り、&lt;br /&gt;国際的な発言権を奪回しようとしたことは非常に自然な選択だった。実のところ、華&lt;br /&gt;人そして中国の一般市民がチベット問題が起こってから示したのは、発言したいとい&lt;br /&gt;う態度だったのだ」（同上）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今回のカルフールやルイヴィトン、そしてフランス製品のボイコット、さらに各国&lt;br /&gt;での華人によるリレー応援や抗議活動を多くの海外メディアは、いまだに「中国政府&lt;br /&gt;の指示によるもの」というルートから解読を試みているが、わたしも紀氏が言うよう&lt;br /&gt;にその多くが「わたしは中国人だ。そのどこが悪い？」という一人ひとりの思いから&lt;br /&gt;きているように思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もちろん、そこに中国政府が手を一切差し伸べなかったとは言えない。しかし、た&lt;br /&gt;とえ聖火リレーの会場となった長野までの交通費を全額中国大使館が出したとしても、&lt;br /&gt;それを他国の人間ががたがた言うことができるだろうか？　彼らは自身のお金を使っ&lt;br /&gt;て同胞に手を差し出したまでであって、たとえ留学生の一人ひとりに至るまで大使館&lt;br /&gt;が支給したからといって、中国国内で問題視されることがない限り、自分たちの予算&lt;br /&gt;をどう使おうとそれは中国の勝手である。そんな手配を日本の駐海外大使館がやるか&lt;br /&gt;どうかという議論は別にして、それぞれの国にそれぞれの同胞への接し方があるはず&lt;br /&gt;だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　当然のことだが、カルフールへデモ隊がなだれ込んだのは、事前に情報をつかんで&lt;br /&gt;いたのにそれを防げなかった警察当局の失態だ。しかし、カルフール側もデモ隊集結&lt;br /&gt;の情報を得ていた上で当日の営業を敢行したのだから、武装した警官に店の周囲をぐ&lt;br /&gt;るりと取り囲まれるような警備を求めていたはずはない。さらに言えば、日ごろの報&lt;br /&gt;道からしても、中国の警察力は「守ってくれる」という点においてアテにならないこ&lt;br /&gt;とが多く、その力はコトが起きてからの捜査や犯人逮捕などに重きを置いているよう&lt;br /&gt;に、わたしは感じている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ただ、そうやって海外に向けて高まっていく民衆の不満を、中国政府が利用しよう&lt;br /&gt;としなかったとも言えない。外交部のスポークスマンはメディア向けの記者会見で毎&lt;br /&gt;回のように海外で続く小競り合いを、「市民の不満が自然に高まったもの」「尊厳を&lt;br /&gt;守ろうとした」「西洋諸国はそれを尊重すべきだ」と表現し、西洋諸国が持つ民主主&lt;br /&gt;義意識に訴えたが、逆にそれを聞いた海外メディアはいつものように「政府があおっ&lt;br /&gt;ている」と書いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　だが、紀氏がいうように、爆発的にこれまで与えられなかった発言権を求めた華人&lt;br /&gt;たちは、「自分は中国人だ。そのどこが悪い？」という点を除いて、デモやボイコッ&lt;br /&gt;ト、リレーの応援に駆けつけた人々の一人ひとりの思いと、中国政府の思惑との間に&lt;br /&gt;は共有するものはほぼなかったと言っていい。もちろん、中国で教育を受けた彼らに&lt;br /&gt;は、中国政府が対外的に行った事件の顛末説明と立場の表明は聞き慣れたそれだった。&lt;br /&gt;しかし、実際にそれに納得しない海外メディアと西洋社会を前にして、彼らは中国政&lt;br /&gt;府の説明がそこで十分な説得力を持っていないことに気づき、逆に自らの意思表明を&lt;br /&gt;行い始めたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その声の挙げ方は間違っていたかもしれない。現地の法律に触れる行為があったか&lt;br /&gt;もしれない。そして、その論理自体が現地の住民たちとは違うものだったかもしれな&lt;br /&gt;い。その姿が現地の人たちが日常採る行動とは違っていたかもしれない。外国語で叫&lt;br /&gt;んだかもしれない。五星紅旗を振り回したかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、それをすべて「中国政府の指図によるもの」と言いくるめてしまうのは間&lt;br /&gt;違っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　わたしがなぜそう言うかというと、友人たちの姿を見てよく分かるからである。フ&lt;br /&gt;ランスで聖火リレーが妨害された頃から、ＭＳＮメッセンジャーなどのチャットソフ&lt;br /&gt;トユーザーの間で、自分の名前の前にハートマークに続いてＣＨＩＮＡと入れるのが&lt;br /&gt;大流行した。一時はソフトを開くとそこには真っ赤っかのハートがずらずらと並び、&lt;br /&gt;ある友人はちょっとお下品だがそれを「チャットソフトは生理中」とやゆったほど&lt;br /&gt;だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その真っ赤っかの中には、日ごろ中国政府の政策に不満たらたらの友人もいた。メ&lt;br /&gt;ディアで働き、ニュースの取り扱いがどれほど制限されているかを知っている友人も&lt;br /&gt;いた。彼らは誰よりも中国政府の「本音」と「建前」をわたしに教えてくれる人たち&lt;br /&gt;だ。彼らの名前の前にも赤いハートマークと「ＣＨＩＮＡ」の文字が刻まれていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「なぜ『中国』ではなく『ＣＨＩＮＡ』としたのかについて、あるネチズンが『こう&lt;br /&gt;すれば世界に向けて叫ぶことができる。英語を使うのは外国人の注意を引くためだ』&lt;br /&gt;と教えてくれた。『でも外国人はたいして反応してこなかった』とイギリス・ハート&lt;br /&gt;フォードシャイア大学に留学している朱剣雄は『新世紀週刊』にこう語った。彼と彼&lt;br /&gt;のクラスメートは早くからハートマークをつけ、『ぼくのＭＳＮメッセンジャーには&lt;br /&gt;外国人の友達が多いから、彼らに影響を与えたかったから』。しかし、外国人の友人&lt;br /&gt;たちは『ほぼそういうことには興味がなさげ』でたいした効果は得られなかった」&lt;br /&gt;（「中国式憤怒：想像を超えたボイコット」新世紀週刊・４月２８日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　非常に笑わせてもらったのは、８０年代生まれの若き小説家として人気の韓寒氏の&lt;br /&gt;ブログだった。彼はそれ以前にすでにカルフールボイコットに否定的な意見を書き、&lt;br /&gt;そこに「お前は国を愛していないのか」などという抗議が殺到した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「韓寒は『愛国、さらにもっとメンツが好き』を書いてから『愛国青年』たちの侮辱&lt;br /&gt;を受けた。彼は『なぜだか知らないが、愛国者は汚い言葉を使いたがる』と言いなが&lt;br /&gt;ら、愛国者たちが憤激したときに良く使う『もし、外国人がお前を殴ったらどうする&lt;br /&gt;？』『お前の母親が外国人にレイプされたらどうするつもりだ？』という言葉に対し&lt;br /&gt;て、やんわりと『外国人はぼくを殴らない。ぼくの母親は外国人にレイプされていな&lt;br /&gt;い。近代のオリンピックはフランス人のクールベルタンが提唱したものだ。オリン&lt;br /&gt;ピックもボイコットすればいい』と答えている」（同上）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今ではわたしのメッセンジャーに並ぶハートマークの数もすでに１０分の１以下に&lt;br /&gt;減った。友人に尋ねたら、「もうとっくの昔に下げちゃったわよ」と笑われた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼らは発言の手立てを見つけ始めた。もちろん、その表現は国際的な舞台からすれ&lt;br /&gt;ば、まだまだ稚拙かもしれないし、見慣れぬ方法がまた出現するのかもしれない。し&lt;br /&gt;かし、彼らのそれが今後どういう形で成熟し、周りを納得させ、社会を変えていくの&lt;br /&gt;か。特に今、中国当局自体がまだ世界にアピールできるコミュニケーションの方法を&lt;br /&gt;見つけ出せずにいる状態で、そんな彼らがどうやって政府を突き動かしていくのか。&lt;br /&gt;わたしは興味深く見守っているところだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;----------------------------------------------------------------------------&lt;br /&gt;ふるまいよしこ&lt;br /&gt;フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。１９８７年から香港在住。&lt;br /&gt;近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる&lt;br /&gt;中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』（石風社）。&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22&quot;&gt;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;個人サイト:&amp;lt;&lt;a href=&quot;http://wanzee.seesaa.net&quot;&gt;http://wanzee.seesaa.net&lt;/a&gt;&amp;gt;&lt;br /&gt;━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━&lt;br /&gt;JMM [Japan Mail Media] 　　　　　　　　　　　　　　　No.478 Thursday Edition&lt;br /&gt;━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━&lt;br /&gt;【発行】　　有限会社　村上龍事務所&lt;br /&gt;【編集】　　村上龍&lt;br /&gt;【発行部数】128,653部&lt;br /&gt;【WEB】　　 &amp;lt;&lt;a href=&quot;http://ryumurakami.jmm.co.jp/&quot;&gt;http://ryumurakami.jmm.co.jp/&lt;/a&gt;&amp;gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-05-10T05:18:48+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19229_a_f9d6.html">
<title>[AML 19229] ラサの動きについて　 A</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19229_a_f9d6.html</link>
<description>一読者です。日本でもオリンピックの火を運ぶランナーの件で話題になりそうなので、著...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;一読者です。日本でもオリンピックの火を運ぶランナーの件で話題になりそうなので、著者によって「転載歓迎」とされているラサの動きに関する文章を貼り付けておきます。長いので、二回に分けて送ります。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; 転載歓迎ここから-------------------------------------&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 　　　　拉薩（ラサ）の動きについて　----何を隠そうとしているのか----&amp;nbsp; &lt;br /&gt;　　　　&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; 　　　　　情報操作の方法　　　by三重諏井盾（みえす＝いたて）&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　2008年3月14日の拉薩（ラサ）の暴動の翌15日、CNNのサイトに「焼死の死者１０人と新華社、僧院封鎖か　チベット暴動」という見出しの記事が出た。そして中国の新華社通信が伝えた内容として、犠牲者の人数やその職業などについて述べられた。この記事ではいくつかのソースから情報を伝えるという形式をとって殺害や放&lt;br /&gt;火などの事件について触れている。だが、よく記事を読んでみても、“誰が”犠牲者を殺害したのかについての明確な記述がない。警察側が殺したのか、チベット仏教僧侶側が殺したのか、この最も重要な点がはっきりしない文が続く。このような書き方の記事を見た人々の中には、中国政府が“自分たちが市民を殺したこと”&lt;br /&gt;を認めたかのように信じる読者が生まれるだろうことは容易に想像がつく。だが、西日本新聞3月16日付朝刊が伝える3月15日の新華社電には、西蔵（チベット）自治区当局者は放火や略奪で市民が巻き添えになったとの見方を示したことが明かされている。つまり、西蔵（チベット）自治区当局者は、自分たちが市民を殺したと述&lt;br /&gt;べたのではなく、市民を殺したのは暴動参加者であり何人もの市民を殺した暴動参加者を告発するというスタンスだったことを知ることができる。このことはもちろん上記のCNNのページの報道ではよく分からないようにされている。このような報道手法は、先ごろ米政府がおこなったイラクへの戦争に関する報道を思い起こさせる&lt;br /&gt;。&amp;lt; BR&amp;gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;だが今回が、イラクに戦争をしかけた時と異なるのは、西側諸国の一方的な大量報道作戦によって相手の口の封じ込めをめざす動きがあまりうまくいっていないという点である。なぜか。&lt;br /&gt;　イラクの時にも、イラクからイラク人自身による声を世界に伝えようとするインターネット・サイトは、リバーベンドの日記をはじめとして存在していた。彼女ら、彼らはいわゆる西側メディアがイラクに関して歪曲した報道をおこなったり、虚偽報道を繰り返したりしている問題を指摘していた。だが、イラクは中東の小さな国&lt;br /&gt;であり、たとえば日本にあるイラク大使館は、毎日一人からの嫌がらせ電話が一日中かかってくるだけでかなりの迷惑になるほどの人手不足という状態であった（注1）。だからイラクの人々が、西側メディアのさまざまな歪曲報道や虚偽報道の影響のもとにある人々にたいして真実の声を伝えようとしても、それらの声は西側メデ&lt;br /&gt;ィアの大規模報道作戦によってかき消され、そうすることによって注意深い人でなければイラクの人々の声に気づかないようにされていた。&lt;br /&gt;　また、イラクから真実を伝えようとしたジャーナリストは、時に米軍に消される危険を冒してイラクにとどまらなければならなかった。実際、イラクの人々が大量に犠牲となる可能性のあった市街戦を米軍がはじめる前（2003年4月）に、そのような犠牲者の存在を世界に知らせる可能性のある報道関係者のいるオフィスビルやホ&lt;br /&gt;テルを、米軍はあらかじめ襲っておいた。幼いこどもを持つ記者が、そのテレビ局の入っていたオフィスビルで米軍による空からの襲撃によって殺されたり（注2）、各国の報道関係者が宿泊しているホテルを米政府の戦車が襲い、カメラマンたちが米軍戦車からの砲弾によって重傷を負わせられたり殺されたりした（2003年4月10日&lt;br /&gt;付毎日新聞朝刊）。そのホテルで生き残った報道関係者にもその後米軍の監視の目が光り、米国政府は米国政府にとってそこが主権の及ばない外国の土地であることは気にしないことにしてそのホテルに押し入り、報道関係者にたいする調査活動をおこなった（注3）。これらをとおして米政府による情報操作はいっそう西側諸国の&lt;br /&gt;人々の目と耳をコントロールするようになり、不正な選挙によって大統領の座を手にした男を最高権力者として仰ぐ米国政府は、自由にイラクの人々を殺すことのできる特権的な地位を手に入れた。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; だが、今回は当時とはおもむきがやや異なる。&lt;br /&gt;　第一に、米政府の言うことやCNNなどの一部のメディアが語ることは、どこからどこまでが本当のことで、どこからどこまでがウソなのか分かりにくくされていることをイラクの経験をとおして知っている先進的な人々は、今回の拉薩（ラサ）関連の件でもすでに気をつけている。警戒は始まっている。そう簡単にはだまされない。&lt;br /&gt;　第二点として、今回は中国政府の発表がいくつかの国語に翻訳されているため、インターネットをとおしてそれらを比較的容易かつ迅速に知ることができ、そうすることによって西側が語る「中国政府の発表」と元々の本当の「中国政府の発表」とを比べることができるし、従って西側の発表がどれだけ「中国政府の発表」を歪曲&lt;br /&gt;しているか、西側の報道がどれだけある特定の勢力に偏向しているか、西側の発表が西側に住む人々をどこへ連れて行こうとしているのかを知ることができる。&lt;br /&gt;　前回のイラクの悲劇の時と異なる点の第三点として、今はインターネットで動画を送ったり見たりすることがいっそう容易になった。したがって現地で撮影された状況を、まったく他の国にいても、テレビを録画することもせずに簡単に見ることができるようになった。&lt;br /&gt;　今回が米国政府による前回のイラクにおける悲惨な破壊行為の時と異なる点の第四点として、中国の人々は世界各地に住んでおり、留学生もたくさんいるという点がある。彼らはそれぞれ滞在先の地元の報道を知ることができるとともに、中国各地にいる友達の生の声をチャットによって知ることもできる。西側メディアの歪曲報&lt;br /&gt;道や虚偽報道があまりにもひどい時、それらに気づいた人はインターネットをとおしてそれらの問題を指摘する情報を的確に発信することができる。彼らは発言の権利を取り戻すことができる。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 　すでにほころびを見せ始めている西側メディアの虚偽報道とはいったいどのようなものなのか。&lt;br /&gt;　英国の読者は漢字を読むことができないだろうとタカをくくっていたBBCは、救急車を“軍隊だということ”に仕立て上げた。「英国BBCが同社ウェブサイトで発表した『引き続く混乱を語る西蔵（チベット）人』と題する報道では、医療関係者に協力して負傷者を救急車へ運ぶ西蔵現地の公安や武装警察の写真の説明が『多くの軍&lt;br /&gt;隊が拉薩に』とあり、明らかな救急車のマークと医療関係者の赤十字のマークを無視して いる」（注4）（写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道（１）」参照）。ただし、BBCによるこのごまかしは漢字文化圏に暮らす我々日本人には通用しないごまかしである。&lt;br /&gt;　「ドイツN-TVテレビ局の司会は『西蔵の新たな抗議活動』と言っているが、写真のラマ教僧侶と警察はネパールのものである。」（写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道（１）」参照）&lt;br /&gt;　「ドイツRTLテレビ局ウェブサイトでは、ネパールで発生した事件を西蔵（チベット）・拉薩（ラサ）のものとしている」。「その後事実が明らかになり、謝罪声明を発表した。」（注4）（写真は『人民網日本語版』2008年3月27日「 西側メディアの拉薩事件に関する虚偽報道（２）」参照） &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;CNNは拉薩（ラサ）の写真を3月17日にウェブサイトに掲載した。もともとの写真には、軍関係車両に石を投げる暴徒らと、石を投げられている車両が写っていた。もちろん、CNNの担当者はこの写真をCNNのウェブサイトに掲載するときに、石を投げている暴徒たちが写っている部分を写真から切り取って隠しておくことを忘れなか&lt;br /&gt;った。CNNのウェブサイトには、石など投げようものなら戦車やヘリを持ち出して卑劣に殺しにやってくるあのイスラエル軍ほどの野蛮さはかもし出していないにしても、軍関係車両の部分がきっちり入れられた写真が載せられていた。CNNの担当者は、この写真をちょっと見た人には「中国政府は平和的な行動に対して暴力をふるっ&lt;br /&gt;た」かのようなイメージを植え付けることに成功する確率が高く、これまでだったら西側諸国の人々に、中国に対する否定的なイメージを信じさせるのに役立ち、こうして反中国的な国際世論を作りあげることができるはずであった。&lt;br /&gt;　ところが今回、彼らにとって事はそううまく運ばなかった。石を投げている暴徒らの写っている部分をCNN担当者が切り取って隠していることに気づいた人がいた。それに気づいた人がいただけではなく、それをインターネットで告発する人がいた。告発する人がいただけでなく、それを公開するウェブサイトが立ち上げられた（t&lt;br /&gt;tp://www.anti-cnn.com）。するとそのウェブサイトに、歪曲報道や虚偽報道がほかにもあることを伝える多くの人があらわれた。こうしてこのウェブサイトは充実していった。もちろん、中国と中国人を悪逆非道の極悪人として描きたい一部の勢力は、これらの虚偽報道の事実を人々の目から隠ぺいしようと工作し、実際、このウ&lt;br /&gt;ェブサイトに卑劣なクラック攻撃をしかけてきた。だがそれは、虚偽報道の事実を世界の人々にたいして隠しておこうとする一部の勢力の卑劣な常套手段を世界に知らせることになった。&lt;br /&gt;　西側メディアの虚偽報道を告発するウェブサイト（注6）のひとつである上記アンチCNNサイトには、次のような説明が記されている。このサイトは、事実を歪曲した一部のメディアによる客観性を欠いた報道や虚偽報道を明らかにするためにつくられた。これは個人のボランティアが自発的に開設した非営利・非政府のウェブサイ&lt;br /&gt;トである。&lt;br /&gt;　そして、西側メディアに反対しているのではなく、一部メディアの客観性を欠いた報道を正そうとしていること、また、西側の人々に反対しているのではなく、誤った偏見にとらわれてしまった人々の良心がその偏見のわなから抜け出る手助けをしようと手を差しのべていることが読みとれる。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; ドイツの“Bild”紙は、ネパールでの警官隊と僧侶の衝突写真の一部分を切り取って掲載し、「北京オリンピックをボイコットすべきか？」という見出しを付けた（注7）。“レコードチャイナ”は中国に批判的な記事も配信しているウェブサイトであるが、そのようなサイトですらこの件を報じている。&lt;br /&gt;　CNNが西蔵（チベット）自治区を「国家」と言いあらわすヘマをやらかしてしまったことについてCNN自身は「たった2回だけ」だと主張したが（注8）、そのような弁明に対して、虚偽報道の回数が少なければ構わないという態度に疑問を呈したり（&lt;br /&gt;ttp://www.visfile.com/tibet.html）、1回の虚偽報道であってもそれを問題視する声が上がっている。「2回までなら虚偽報道しても謝罪しなくてOK」ということになれば、読者にしてみればどの記事が真実であり、どの記事が虚偽報道なのかがいっそう分かりにくくなり、三度目の報道からやっとその報道を信用できるというの&lt;br /&gt;では“何度目の虚偽報道なのか”を各記事ごとにいちいち数えておかないといけないのだから、えらく面倒な話である。一応付け加えておけば、CNNの外の世界における常識では、報道機関が虚偽報道を一回でもおこなうことは問題となることになっているので、多くの報道機関は読者や視聴者からある程度の信頼を付与されてきた&lt;br /&gt;。だがCNNは自分で自分の記事の信憑性を失わせて悦に入っている。「人として生まれたからにはCNNみたいになってはいけない」というセリフがはやるというのも（注9）、自然のなりゆきである。&lt;br /&gt;　アンチCNNサイトには、ドイツの“N-TV”が、ネパール警察がチベット仏教系活動家を取り締まっているシーンと、中国警察とを、視聴者が混同するように配置をしたことが記されている（注10）。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 米国のワシントン・ポストも、ネパール警察がチベット派活動家を取り締まっている写真を使いつつも、中国警察が取り締まっているとする小細工によって虚偽報道をおこなった（注11）。&lt;br /&gt;　イラクに米国政府が戦争をしかけるにあたって重要な煽りの役を引き受けることをとおして、多くのイラクの幼い子どもたちが残酷に殺されるのを手伝った米“FOX”は、当然今回もぬかりなく虚偽報道をおこなっている。今回FOXが選んだ手口は、インド警察と中国警察をすり替えるというやり方だった。FOXはインド警察がチベ&lt;br /&gt;ット派活動家を取り締まっている写真を中国のものであると偽って使用した。だが米FOXのこの見えすいた手口は、インド警察の制服が写真の中に写っていたため一発で見破られてしまい、これが中国の写真ではないことが明らかにされた（注12）。ごまかしによって被害者を加害者に仕立て上げることをとおして視聴者にウソを信&lt;br /&gt;じさせ、人々の良心を汚そうとするFOXのお決まりの粗雑で野蛮な報道手法がまたばれてしまった。&lt;br /&gt;　ドイツの“N24”の虚偽報道も明らかにされている（注13）。この報道ではネパールの写真が、中国における死者として報じられている。偏向した虚偽報道を告発するウェブサイトでは、取り締まっている警察官の着ている服装がネパール警察の制服であることが指摘されている。ネパールの写真を“中国である”としてすり替え&lt;br /&gt;るお粗末なやり口だった。&lt;br /&gt;　ドイツの“N-TV”のアナウンサーが偽りを口にしたことも示されている（注14）。アナウンサーが「チベットの新たな抗議者」と述べ、その後ろにある写真の説明にも「チベットにおける新たな抗議者ら」と記されているのであるが、その写真の中にいる警官はネパールの警官である。この会社はネパールと中国との国境線を自由&lt;br /&gt;に書き換える特権をどこからさずかったのか？　せいぜいどこからともなくさずかったのであろう。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; ドイツの“RTL”が、チベット関連の報道の中にネパール警察による取り締まりの写真を悪意をもって混ぜ込んでいることも告発されている（注15）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ドイツの“Spiegel”が、本末転倒の記事を載せていることも記されている（注16）。道路を守る盾の並んだ写真について、このSpiegelの担当者は中国の取り締まりが残虐非道であるかのようなイメージを人々に植え付ける意図をもって「軍が無慈悲な行動で反応した」と訴える作戦に出たが、もともとこの写真を撮影した持ち主&lt;br /&gt;であり、その後ラサからネパールに旅行を続けた旅行者のブログに述べられていた事実によってウソがばれた。そのブログの著者は14日の暴動の前日、ラサの状況について聞いていたのと比べて自分が拉薩（ラサ）に到着してからがあまりにも何も起こらなかったので、旅行業関係者が業務の価格を高くするためにわざとラサの状況&lt;br /&gt;について大げさに危険そうなことを言っているのではないかと疑っていたほどなのだが、その後15日の彼のブログには（注17）、14日の騒動が非常に早い段階から一般市民を襲いはじめたことについてそのブログ作者、およびその相部屋だった目撃者の誰もが認めていることが記されている。すなわち、冷酷な行動をおこなったのは&lt;br /&gt;Spiegelの担当者が人々に信じさせようとした側とは逆の側だった。自分が撮った写真ではないにもかかわらず、その写真の前後関係を好き勝手に想像することによって作りあげた空想上の物語を事実として報道してしまうSpeigelの担当者の無責任な軽薄さはいただけない。&lt;br /&gt;　無責任な軽薄さという点では、欧米の一部メディアにひけをとらない日本のあの新聞が思い起こされる。以前から歪曲報道や偏向報道、虚偽報道をおこなうことでしばしば問題になってきた日本のあの新聞についてここで触れないで済ますことは、無責任な軽薄さにおいて随一のあの新聞の名声を汚すことになろう。&lt;br /&gt;　あの新聞は1997年1月1日号紙上で藤岡信勝氏が櫻井よし子氏との対談において明らかに事実に反する発言をしたことについて、その後紙上で読者に訂正と謝罪をしなかった（注18）。明治政府国家を美化しようする藤岡氏のねらいは、1902年の「教科書疑獄事件」の事実によって手痛いしっぺ返しを受けることになる。&lt;br /&gt;　このように虚偽報道を訂正しないあの新聞は、2003年9月29日、「昭和の日」法案を必死にあおっておきながら、それが廃案になるとそれを報じないことにした（『季刊　戦争責任研究』第43号　2004年春季号　p.86）。&lt;br /&gt;　このように重要事実を伏せる傾向があるという点で問題となっているあの新聞は、2002年3月に沖縄で自衛隊員が少女暴行をおこなった件でも、3月31日までその紙面で触れないでおくことを選んだ（注19）。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 広島県教職員組合を卑劣なテロリストが銃撃した一連の事件で「救う会熊本」の理事が逮捕されたとき、例のあの新聞はテロの犯人と「救う会」との関連について触れることを用心深く避けた（注20）。だがこれは、このような右翼テロリストとあの新聞とのあいだの関係について、読者の心に疑惑の念を生じさせる。&lt;br /&gt;　米国がイラクに戦争をしかけたときにもあの新聞は、「米国はイラクの大量破壊兵器隠匿施設を実は掌握しており‥‥‥施設を急襲し大量破壊兵器を発見するもようを米テレビなどを使って世界に公開する計画」（2003年3月21日付）などというはなしをまじめに記事にすることによって（注21）、自分自身が信用に値する存在で&lt;br /&gt;はないことを人々に知らせることに貢献した。こんにち、そのような大量破壊兵器は存在しなかったことが明らかになっているが、当時、ブッシュは大量破壊兵器がイラクにあると繰り返していた。それを信じた一部の米国人はイラク人をおおぜい殺した。だが大量破壊兵器の存在について、今なお生きているブッシュの言っていた&lt;br /&gt;ことは真実ではなく、処刑されたフセイン大統領の言っていたことが真実だった。&lt;br /&gt;　イラクの幼い子どもたちの目を奪い（ドキュメンタリー映画『リトル・バーズ～イラク戦火の家族たち～』）、あるいは腕を奪い、あるいは残忍に殺すことなどをはじめとする米国政府の大量の卑劣な暴力をあおったあげく、ブッシュでさえ困るようななんの意味もない釈明にすがりついたあの新聞は（注22）、イラク市民が米国&lt;br /&gt;政府の暴力によって押し付けられた血の犠牲について自己の無責任な軽薄さを隠すことに汲々としている（注23）。&lt;br /&gt;　客観的事実を知るために読まれるというよりは、あの新聞が毎回どのように事実をねじ曲げたかを笑いのネタにするためにしか役立たないという観点から読まれるという光栄ある嘘つきの位にあぐらをかいて喜んでいるほど自虐的な、例のあの新聞は、今回のチベットの暴動についてどのような偏向報道をしたか。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 3月15日、産経新聞は拉薩（ラサ）の記事において米国政府系放送局（すなわちダライ・ラマ派側）の発表内容をそのまま見出しに使った。市民を殺したのはまるで警察官側であるかのような印象を読者に対して与える狙いがうかがえる。&lt;br /&gt;　翌3月16日、あの新聞は予想通りダライ・ラマ派側の発表を見出しに使うという行為を繰り返した。また、第1面の本文のはじめにもってきた文においては、「僧侶らによる大規模騒乱で、国営新華社通信は15日、死者が10人に達したと伝えた」となっており、誰が殺したのかはっきりしない文にされている。犠牲者たちが誰によっ&lt;br /&gt;てその尊い命を奪われたかを示す部分をこっそり削り取り、紙面の始めのほうだけ読んだ読者の中のある程度が、「警察官が殺したんだろう」と誤解する可能性が生じるように記事を書いたこの記者は、その削った部分をどこに隠したのか。それは下のほう、すなわち読者がしばらく読まないと気づかない位置に短くこっそり隠して&lt;br /&gt;あった。「新華社電によると死亡した市民10人はいずれも騒乱の巻き添えとなった。」常日ごろの偏向報道体質を責められることが多くてつらい立場の例の新聞のこの記者は、“騒乱が市民を殺した”ことを示す部分を削ったまま葬ってしまうほどの思い切った偏向報道をすることができず、こっそり下の方に付け足すことで罪の責&lt;br /&gt;めを逃れようとするのが最も安全かつ最も誰にもバレにくい方法だと考えた。先頭の文章を「僧侶らによる大規模騒乱の巻き添えで、死者が10人に達したと新華社は15日伝えた」などとすれば字数はほとんどかわらないにも関わらず、あえてそうすることを避けて情報を分散させたのは、そうすることによって、読者の心を誤解へ導&lt;br /&gt;くというこの記者の任務を立派に果たせるだろうとの軽薄な願いがあってのことだと言われても致しかたあるまい。&lt;br /&gt;　ページをめくっていくとやっと第6面の端のほうで、暴徒化した僧侶らによる店舗や銀行からの盗み、略奪、車の横転、僧侶らによるバス停の破壊行為、放火による炎上などのシーンが中国において報道されていることをこの新聞も認めてはいるものの、全体として、中国政府の声よりも国外で反対活動を行っている反政府勢力側&lt;br /&gt;の主張を繰り返す偏向した紙面になっていることから、これら盗み・放火・略奪などの不法行為があたかも正当であるかのような印象を、読者に対して強めようとするこの新聞の狙いがうかがえる。&lt;br /&gt;　公の報道機関という見せかけの栄光がとっくに消え失せた産経新聞の偏向報道は、事実の前でなんの説得力も持たず、かえって自分の浅はかな手口を同業者と日本の人々にさらして自分を笑いものにすることにせっせと貢献してばかりいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;---------------------------------&lt;br /&gt;GANBARE! NIPPON! Win your ticket to Olympic Games 2008.&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-04-23T23:26:48+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19230_b_2819.html">
<title>[AML 19230] ラサの動きについて　 B</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/aml_19230_b_2819.html</link>
<description>一読者です。ラサの動きについての続きです。 転載歓迎ここから----------...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;一読者です。ラサの動きについての続きです。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 転載歓迎ここから-------------------------------------&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今、先進的な人々は、許認可行政と言われる国家の統制のもとにある日本のテレビ局やラジオ局などの主要メディアの壁を乗り越えて、外国の情報をインターネットによって知ることができる。二十年前であれば、テレビが正確に伝えたがらないような国、自民党政府とあまり親しくないような国のことを庶民が迅速に知りたい&lt;br /&gt;と思っても、ほとんどの場合それは日本国内ではかなわぬ夢であり、多くの人々は日本のテレビやラジオから出てくるあらゆることばをただそのまま真に受けて信じるしかなかった。だが今は状況が変わった。たといテレビ局や大手ニュースサイトの大量情報の太い管に比べれば非常に細い線であったとしても、そして時にことばの&lt;br /&gt;壁があるにしても、現地の国の生の情報を見つけだせる可能性は二十年前よりも高まっている。&lt;br /&gt;　世界各地の中国系の人々の努力によって、西側の一部の報道の真実が明かされた。西側の一部のメディアによって発言の権利を実質的に奪われていた世界各地の中国系の人々は、発言の権利を取り戻しはじめた。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　3月14日、拉薩（ラサ）で孫と一緒に車に乗っていた63才の女性は、暴徒に石を投げられた。蔵族（チベット族）のその女性は孫をしっかりつかんでおり、その子を奪われることはなかったが、彼女自身は頭部に傷を負った（注24）。暴徒たちの手からから孫を守ったその女性は語る。「暴徒たちがその暴徒たちのいる道路を通る&lt;br /&gt;人をみんな襲っているのを見ました。その暴徒たちは冷酷な様子に見えました。」&lt;br /&gt;　別の20才の被害者は、鉄の棒を持った暴徒たちに店を無理矢理こじ開けられ、店内を荒らされたという。この被害者も頭部に傷を負った（注25）。　&lt;br /&gt;　けがを負わされた漢族、蔵族（チベット族）、回族の人々が次々と運び込まれた病院で働く医師たちは、15才の蔵族（チベット族）の少年が意識不明の昏睡状態に陥ったことを語った（注26）。&lt;br /&gt;　別の男性は家に帰る途中に三人の男に行く手を阻まれ、逃げようとした。だが、追いつかれ後ろから切りつけられるという暴行を受けた（注27）。&lt;br /&gt;　また、別の被害者は身体に多数の傷を負い、内臓にも損傷を受けた。「拉薩（ラサ）橋のバス停を降りてすぐ、まだ私が何も分からないうちに、向こうから近づいてきて、突いてきました」という（注28）。&lt;br /&gt;　拉薩（ラサ）に開店したばかりの飲食店を襲撃された女性は、暴れる者たちによって棒やナイフ、石で店の1階をめちゃくちゃにされた。彼女自身、卑劣な暴徒によって2階の窓から突き落とされた。（注29）&lt;br /&gt;　7才の蔵族（チベット族）の子どもは、「悪いことが起こっていることをテレビで見たとき、すごくこわかった」と語る。それは幼い子にとって大きな恐怖体験であった。そして「道路に出るのは危ないから、学校は６日間休みになった」ことも語る。だが、今はもう怖くないという。なぜなら、その蔵族（チベット族）の子の父&lt;br /&gt;親がその子にもう「悪いこと」は終わったと話したからである（注30）。&lt;br /&gt;　ある蔵族（チベット族）の医師はその日の朝、暴徒化した者たちが大声でわめきながら病院に石を投げつけているのを知った。「彼らは石を病院に投げつけ、二階の窓ガラスを数多く破壊した」とチベット族の医師は語る（注31）。そのチベット族の医師は、暴徒たちがなぜ病院を襲って破壊する行為をおこなっているのかまった&lt;br /&gt;く分からなかった。そして、「わたしは暴徒たちの行為に強い憤りをおぼえたが、出入口を閉鎖して暴徒たちを中に入れないようにすることがわたしたちにできる全てだった」と、病気を患ったりけがに苦しむ患者たちを守り治療しなければならない医師としての立場から、暴徒たちの卑劣な暴力行為にたいする憤りを語る。&lt;br /&gt;　「襲撃は二時間近くに及んだが、我々の病院では幸いなことに誰もけがを負わずにすんだ」。その蔵族（チベット族）の医師は、このような暴力主義的な破壊活動が自分たちの病院の前でおこなわれるとは予想すらしていなかった。そして、暴徒たちによるこれらの犯行によって、その地域の人々の平和な生活と暮らしの安定が脅&lt;br /&gt;威にさらされたことを語った。&lt;br /&gt;　カナダの新聞は拉薩（ラサ）にいた数人のカナダ人旅行者が語ったことについて伝えた。あるカナダ人旅行者は、レンガぐらいの大きさの敷石を投げつけていた暴徒によって、バイクに乗っていた人が殴られて意識を失っているのを目撃した。その人は、二メートルもあろうかという銀色の棒状の物を手にした15人の男たちにリン&lt;br /&gt;チされ、服には血がべっとりついてびしょびしょになっていたという（注32）。別のカナダ人女性は、「あまりにも卑劣だった・・・あまりにも卑劣だった」と繰り返した。また別の男性は、暴徒らが一人の若い男性と二人の女性をリンチしているのを見た。男性は意識を失って倒れ、片方の女性は歯を何本も折られていたという。 &lt;br /&gt;&amp;nbsp; 石などの凶器で頭部を殴打されていた人が倒れて動かなくなったのを見て、外国人バックパッカーはその人が殴られて死に至ったと思った（注33）。&lt;br /&gt;　5人の若い女性が犠牲となった衣料品店の店主は、暴徒の犠牲となった彼女たちの青春の最後の日となった14日のことを思い起こすのはあまりにつらいという（注34）。蔵族（チベット族）を含む20歳前後の彼女たちはその日、生きたまま焼かれた。&lt;br /&gt;　「パパ、あたしの店の周りで人殺しが暴れてる。店の外には出ないから心配しないで。ママとお姉ちゃんにも家から外に出ないように注意して。」これは、彼女たちのうちの一人が卑劣な暴徒の犠牲となる直前に書き送ったメールである（注35）。この女性の父親はこのショート・メッセージを何度も読み返しては、声を張り上げ&lt;br /&gt;号泣した。&lt;br /&gt;　「わたしは毎日食事が喉を通らず、寝つけません。姉妹たちはいつも夢の中でわたしに微笑んでいます。あの日朝には、まだみんな楽しくおしゃべりをしていたのに」。生存者である蔵族（チベット族）女性（23才）はこう語る。殺される数分前まで女性店員たちはお互いに抱き合って泣き叫んでいたという。&lt;br /&gt;　「何人かの子たちの手は、発見された時固く握りしめられていました」とその店主は語る（注36）。冷酷な暴徒たちの犠牲となった彼女たちの追悼のために毎日多くの人が訪れるようになったその店の焼け跡の前で、店主はこれからも拉薩（ラサ）から去ることなく仕事を続ける決意をのべた。なぜなら、人と人とのあいだに混乱&lt;br /&gt;と憎しみをかき立て、それをあおることに本当のねらいを持つ人間は、蔵族（チベット族）全体の中から見ればほんの一握りの人間にすぎないと彼は信じるがゆえである。&lt;br /&gt;　別の場所では生後8ヶ月の赤ちゃんが、その母親といっしょに殺された（注37）。&lt;br /&gt;　多くの人々の人生を一瞬にして悲劇のなかに引きずり込んだ冷酷な暴徒たちは、300カ所あまりに火を放ち（注37）、120棟の民家を焼き、908軒の商店にたいして焼き討ち・破壊・略奪行為をおこない、重傷58人を含む382人に傷を負わせ、18人の市民のかけがえのない尊い命を奪った（注38）。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; その後、これら盗みおよび連続放火殺人などの犯人ら362人が自首した（注39）。自首した者の多くは真相をよく知らない者たちで、一握りの扇動者に煽動されたり、脅されるなどして犯罪に加わったことが明らかになっている（注40）。&lt;br /&gt;　犯人らは調べにたいし、「もしも暴動に参加しなかったら、わたしの家が焼かれていたかもしれない」（注41）「チベット独立勢力がお金で雇ってくれた。指示に従って、破壊活動を行った。多くの物を壊し、火をつければ、もっと多くのお金がもらえる」（注42）などと供述していることがわかった。&lt;br /&gt;　“殺せば活仏になれる”と教えるかわりに“金銭を供与する”となっている点に、こんにちのダライ・ラマ14世関係者の現代化がうかがわれる。“活仏になれる”という魔法の言葉にたいして現代の若者があまり魅力を感じなくなり、そんな言葉では釣られなくなっている新世代の若者たちの登場にダライ・ラマ14世が焦りを感じ&lt;br /&gt;ていても、過去の悲惨な農奴制の事実に触れずに隠しておこうとするダライ・ラマ14世のずるい政治的な態度は事実を知っている人々からの同情を得ることができない。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　13世紀の元朝の時代に中国の行政区域となった西蔵（チベット）であるが、仏教の学びのために20世紀初めに拉薩（ラサ）に入ったある人は、そこでの一般的な犯罪に対する刑罰として多いのが両眼をくり抜く刑であるのを知った（注43）。また、両手首を切断したり、耳を削いだり、鼻を削いだりする刑や、重い石の帽子を次&lt;br /&gt;々とかぶらせて目玉を飛び出させることなどもおこなわれていた。拉薩（ラサ）という場所は、手のない人や、目玉をくり抜かれた人がたくさんいた町だったという。&lt;br /&gt;　死刑は建前上は行われないことになっていたが、実際は珍しいことではなく、河の中で溺れ死にをさせるなどの方法で行われた（注44）。&lt;br /&gt;　仏教の教えが無視され、ダライ・ラマも含めて多くの僧侶が肉を食べ、また一応は僧籍にありながら、実際には中世の僧兵のように乱暴狼藉をはたらく者も多かったという（注45）。&lt;br /&gt;　旅行者がしばしば指摘したこととして、僧侶が僧院の外で女性と交渉をもったことや、それよりもさらに多く僧院の中で一種の同性愛が行われていたことなどがある（注46）。同性愛は、僧兵の中で特によく見られ、少年を奪い合っての暴力沙汰もあった。&lt;br /&gt;　中華人民共和国の建国以前、西蔵（チベット）地方の奴隷の身分は悲惨なものであり、農奴はモノのように貸し借りされていた。一握りの特権的な僧侶や貴族・官僚が圧倒的な力を握っていた（注47）。また、『現代チベットの歩み』（A.T.グルンフェルド著）は、貴族のあいだでは一夫多妻制が珍しくなかったことを語っている&lt;br /&gt;（注48）。男性が自分の連れあい（妻）の浮気に気づいたときには連れあい（妻）の鼻先を切り取る自由が法的に認められていた（注49）。チベット仏教高位の活仏は、貧しい人の貧困を前世によるものとした（注50）。&lt;br /&gt;　『チベット』（岩波書店）の著者アラン・ウィニントンは、農奴所有者はその農奴たちを、なぜ戦うかの理由を告げることなしに戦闘に駆り立てる権利を持っていたことを述べつつも、僧侶が強力な戦闘力を持つ集団であることを認めている（注51）。&lt;br /&gt;　閲兵写真で有名なダライ・ラマ14世は、中国の人々を殺害するための活動を1961年以降、国外拠点からおこなった（注52）。ダライ派による中国の人々への襲撃などのテロ活動が繰り返され、米国大使館からの兵器を装備した者たちが摘発されることもあった（注53）。対空火器（注54）などを含む武器で武装したダライ派ゲリラ&lt;br /&gt;部隊は武装闘争を続け、ダライ派勢力から中国国内に秘密裏に送り込まれたテロリストによって中国の人々の命が奪われたが、中国の人々はダライ派武装勢力による卑劣なテロに屈しなかった。暴力を欲しいままにするダライ派武装勢力には米CIAとのつながりという疑惑が生じていたが（注55）、のち、ダライ派武装勢力は金銭的&lt;br /&gt;なつながりのあったことを認めた（注56）。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　二十年以上前であれば人々は比較的少数のメディアから情報を得るしかなかった。それらのメディアが偏れば人々の認識も偏り、外国の情報についてウソを伝えられてもとりあえずそれを信じるよりほかに方法がなかった。西側メディアによって被害者が加害者に仕立て上げられて残酷に葬られても、外国での詳細な事実が書籍&lt;br /&gt;などによって明らかになるのはずっと後のことであり、またそれに気づく人は多くなかった。少なくない人々が、自分が見ている西側メディアのニュースは客観的かつ中立的であると信じて疑わず、また自分は自由な国に住んでいると信じていることを言いあらわすのになんのためらいも感じなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんにち、外国の情報を迅速に手に入れる方法は少数のメディアのほかにもある。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアがどのようにイラク報道をおこなったかを知っている先進的な人々は、そのような一部の西側メディアから何を読みとることができるかをイラクの経験をとおして既に学んだ。今度はそ&lt;br /&gt;れを実際に応用する番である。先に本当のことに気づいた先進的な人々が力を合わせてそれを多くの人々に説明するねばり強い努力を続けるなら、やがて虚偽が崩れるときがやってくる。米国政府寄りの報道をすることで知られる一部の西側メディアの虚偽報道体質に多くの人が気づくとき、虚偽は人々の良心を汚し続けることがで&lt;br /&gt;きなくなる。その時あざむく者の声は力を失い、多くの人々が本当のことを知るであろう。事実は偽りに勝利するであろう。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &lt;br /&gt;（注1）ttp://www.tanakanews.com/d0106iraq.htm&lt;br /&gt;（注2）毎日新聞2003年4月9日付朝刊、および夕刊&lt;br /&gt;毎日新聞2003年4月11日付朝刊&lt;br /&gt;（注3）毎日新聞2003年4月16日付朝刊&lt;br /&gt;（注4）ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85938.html&lt;br /&gt;（注5）ttp://j.people.com.cn/2008/03/27/jp20080327_85939.html&lt;br /&gt;（注6）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;ttp://www.visfile.com/tibet.html&lt;br /&gt;ttp://newschecker.blogspot.com/2008/03/who-lie-about-xizang-tibet-violence-and.html&lt;br /&gt;など&lt;br /&gt;（注7）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注8）ttp://www.cnn.com/2008/US/03/28/tibet.statement/&lt;br /&gt;（注9）ttp://j.people.com.cn/2008/04/02/jp20080402_86256.html&amp;nbsp; 『人民網日本語版』2008年4月2日　『西側メディアの偏向報道にネット利用者が反論（３）』&lt;br /&gt;（注10）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注11）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注12）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注13）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注14）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注15）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注16）ttp://www.anti-cnn.com&lt;br /&gt;（注17）ttp://kadfly.blogspot.com/2008_03_01_archive.html&lt;br /&gt;（注18）『季刊　戦争責任研究』第17号　1997年秋季号&lt;br /&gt;（注19）『季刊　戦争責任研究』第43号　2004年春季号　p.87&lt;br /&gt;（注20）『季刊　戦争責任研究』第43号　2004年春季号　p.89&lt;br /&gt;（注21）『週刊金曜日』2004年6月25日号p.27&lt;br /&gt;（注22）『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28　3段目&lt;br /&gt;（注23）『週刊金曜日』2004年6月25日号p.28　3～4段目&lt;br /&gt;（注24）ttp://www.china.org.cn/china/features/content_12839652.htm&lt;br /&gt;（注25）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html&lt;br /&gt;（注26）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html&lt;br /&gt;（注27）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html&lt;br /&gt;（注28）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378559.html&lt;br /&gt;（注29）ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85764.html&amp;nbsp; 『人民網日本語版』2008年3月24日&lt;br /&gt;（注30）ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm&lt;br /&gt;（注31）ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm&lt;br /&gt;（注32）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378607.html&lt;br /&gt;（注33）ttp://english.people.com.cn/90002/93607/6378609.html&lt;br /&gt;（注34）ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm&lt;br /&gt;（注35）ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85760.html&amp;nbsp; 『西蔵市民、暴行・破壊・略奪・放火事件を糾弾（１）』&lt;br /&gt;（注36）ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm&lt;br /&gt;（注37）ttp://j.people.com.cn/2008/03/18/jp20080318_85434.html&lt;br /&gt;（注38）ttp://j.people.com.cn/2008/03/24/jp20080324_85759.html&lt;br /&gt;（注39）ttp://j.people.com.cn/2008/04/10/jp20080410_86559.html&lt;br /&gt;（注40）ttp://japanese.china.org.cn/politics/txt/2008-03/21/content_13227977.htm&amp;nbsp; 『チャイナネット』&lt;br /&gt;（注41）ttp://www.china.org.cn/china/local/2008-03/28/content_13816724.htm&lt;br /&gt;（注42）ttp://japanese.cri.cn/151/2008/03/22/1@114680.htm&amp;nbsp; 『中国国際放送局』&lt;br /&gt;（注43）『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著　今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳／白水社　p.183&lt;br /&gt;（注44）『チベット』多田等観著／岩波新書&amp;nbsp; p.113&lt;br /&gt;（注45）『チベットの潜入者たち』ピーター・ホップカーク著　今枝由郎・鈴木佐知子・武田真理子訳／白水社　p.182&lt;br /&gt;（注46）『チベットの文化　決定版』R.A.スタン著　山口瑞鳳・定方晟訳／岩波書店 p.170&lt;br /&gt;（注47）ttp://j.people.com.cn/2008/04/01/jp20080401_86157.html&amp;nbsp; 『人民網日本語版』2008年4月1日 「西蔵の歴史はこう主張する(１)苛酷な封建農奴制」&lt;br /&gt;（注48）『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著　八巻佳子訳／東方書店 p.24&lt;br /&gt;（注49）同書 p.22&lt;br /&gt;（注50）同書 p.36&lt;br /&gt;（注51）『チベット』アラン・ウィニントン著／岩波書店 p.iii&lt;br /&gt;（注52）『現代チベットの歩み』A.T.グルンフェルド著　八巻佳子訳／東方書店 p.229&lt;br /&gt;（注53）同書 p.228&lt;br /&gt;（注54）同書 p.230&lt;br /&gt;（注55）同書 p.233&lt;br /&gt;（注56）ttp://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260&amp;nbsp; ニューヨーク・タイムズ　1998年10月2日&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;GANBARE! NIPPON! Win your ticket to Olympic Games 2008.&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-04-23T23:07:23+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/17_367d.html">
<title>米英の｢人権｣論をわらう｣ ガーディアン（英国）論評＝17日付</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/17_367d.html</link>
<description>『朝日新聞』　２００８年４月２０日 　ジンバブエが権カ闘争によって困難な事態に陥...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;『朝日新聞』　２００８年４月２０日&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ジンバブエが権カ闘争によって困難な事態に陥ったことに疑問の余地はない。中国チべット自治区では人々の不満か騒乱を引き起こし、当局に武力鎮圧された。&lt;br /&gt;　しかし、ジンバブエとチベットに欧米はなぜ、これほど特別な関心を寄せるのか。暴力や抑圧、不正選挙といった理由だけでは説明しにくい。ソマリアでは内戦で数千人が命を失い、エジプトでは選挙前に数百人も投獄された。&lt;br /&gt;　決定的な違いは、米英の極めて重大な関与があった点だ。英国はジンバブエを植民地支配したうえ、白人人種主義者によるクーデターに対処せず、15年も続いた解放闘争を誘発。米国ともども財政支援を怠り、今日の行き詰まりを招いた。チベットでは英国の支配的役割は米中央情報局（ＣＩＡ）に引き継がれ、ＣＩＡはダライ・ラマの活動を長年、，資金援助してきた。チベット独立の見込みがなくとも、中国を脅威とする米国にとって、少数民族問題は中国をつつく材料になるのだ。&lt;br /&gt;　米英のイラクやアフガニスタンにおける殺人や拷問といった所業をみると、その「人権」論は筋が通らない。中国のチベット問題は北京五輪に飛び火したが、英国もまた、２０１２年のロンドン五輪で、自らの「前歴」のために大規模な抗議にさらされるだろう。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-04-22T20:47:33+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/post_9382.html">
<title>帰還兵とオデッセイ </title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/04/post_9382.html</link>
<description>新・戦争と平和第一章　 神奈川新聞　2008年4月2日　 二〇〇一年の中枢同時テ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;新・戦争と平和第一章　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;神奈川新聞　2008年4月2日　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;二〇〇一年の中枢同時テロ後、米国では「軍学協同」が進んでいる。ブッシュ政権が○二年に制定したこ洛ちこぽれ防止法」の中に、高校生の進路指導を充実させる名目の下、「公教育機関は軍と協力関係を築く」という条項が盛り込まれた。本人か保護者が拒否しない限り、生徒の名前、住所、電話番号などを学校は軍に提供しなければならなくなった。 　ロサンゼルスのセオドア・ルーズベルト高校の生徒数は約五千四百人。ヒスパニック系移民の急増で、全米で一、二を争う大規模校になった。英語をほとんど話せずに入学する生徒も多く、全米　共通テストの成績は平均　をかなり下回る。 　イラクの泥沼化で兵員不足に悩む米軍は、このような学校を新兵勧誘の「標的」にする。貧困家庭の子どもが多いからだ。 　同校では軍服を着た新兵勧誘担当者が休み時聞などに生徒に声をかけ、入隊の勧誘をするようになった。　生徒の自宅には月に二、三回軍からダイレクトメールが届く。　数年前から、同校では教師たちが軍の勧誘への　「対抗運動」を始めた。　祖父母が福岡県久留米市出身の日系三世アーリン・イノウエ（41）は、数人の仲間の教師とともに、軍の勧誘に規制をかけ①勧誘活動は事前に学校側側の承諾を得る②一対一で生徒を勧誘するときは学校が指定する場所で週一回のみ行うーなどのルールを決め、軍側ににも同意させた。負傷したイラク帰還兵を学校に招き戦場に行くとはどういうことか」を生徒に聞かせる講演会も開く。「法律上、軍の勧誘活動に反対はできない。しかし、軍に入るとはどういうことかという『進路指導』はできる」とイノウエは話す。単に海外に行きたいというだけで軍を志望していた生徒が、日本の青年海外協力隊に平和部隊に志望を変えた例もあるという。 しかし、軍が危険な仕事と分っていても子どもがともかく職を得ることを歓迎する親も少なくない。志願する生徒の中には永住権と引き換えに入隊する「グリーンカード兵」と呼ばれる不法移民の子もいる。 「今の君を力強くし、未来の機会をひらく」。ロサンゼルスの陸軍新兵勧誘事務所で配布しているパンフはうたう。　事務所の軍曹マキシー・セルナによると、志願兵への除隊後の奨学金は最高七万二千／にまで最近引き上げられた。入隊サイン時には別に一時金が二万ドル支払われる。　貧しい家庭に育った子にとっては、目まいがするような額だ。　勧誘する側も必死だ。セルナは米国籍でなくても英語が話せなくても構わない。米在住者であればいい。日本人の志願者がいたら紹介してくれ」とまで言った。　イノウエが話す。「奨学金や一時金を除いても、いまや新兵一人を獲得するための軍の出費は約二万一千ドル。でも、カリフォルニア州の高校生一人当たりの教育予算は七千ドルしかない」。その差は三倍だ。 軍事会社依存の一因 平和団体「米国の友奉仕委員会」ののロサンゼルス代表スティーブン・ギブソンによ　ると、新兵勧誘に成功した軍人にも一人につき２ＯＯＯドルほどのボーナスが出るという。 　志願者不足で米軍の採用基準は緩和され、以前は30代までだった年齢制限は42才までになり、犯罪歴のあるもの者も軽犯罪の場合は入隊を認めるようになった。になった。 　イラクで加速する米軍の民間軍事会社（ＰＭＣ）への依存は、軍の兵員不足も一因といわれる。ギブソンによると、一部の州ではＰＭＣに新兵勧誘を委託する動きもあるという。 神奈川新聞　2008年4月2日&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-04-14T09:50:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/01/post_0d22.html">
<title>格差社会：０８年の希望を問う　高橋源一郎さん・雨宮処凛さん対談</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2008/01/post_0d22.html</link>
<description>毎日新聞　2008年1月9日　東京朝刊 　「格差社会」なる言葉が、すっかり定着し...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;毎日新聞　2008年1月9日　東京朝刊&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「格差社会」なる言葉が、すっかり定着した現代の日本。学者が現状を打破しようと「希望学」を提唱しても、フリーターは「希望は、戦争」と反発する。学生運動や肉体労働を経てデビューした高橋源一郎さんと、今やフリーターら若年貧困層の代弁者となった雨宮処凛さん。０８年年頭、２人の作家が、希望のありかを探った。【構成・鈴木英生、写真・三浦博之】&lt;br /&gt;　◇プロレタリア文学が現実に－－雨宮さん／暗さにユーモアを対置する－－高橋さん&lt;br /&gt;　高橋　今の時代は、明治に社会が戻った気がします。石川啄木は１９１０年に「時代閉塞（へいそく）の現状」で当時の若者について「彼等の事業は、実に、父兄の財産を食ひ減（へら）す事と無駄話をする事だけである」と書いている。内容が、０７年に話題になったフリーター、赤木智弘さんの論文「３１歳フリーター。希望は、戦争。」とまるで同じなんですね。&lt;br /&gt;　雨宮　昭和初期の作品ですが、たまたま昨日、『蟹工船（かにこうせん）』を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました。&lt;br /&gt;　高橋　偶然ですが、僕が教えている大学のゼミでも最近読みました。そして意外なことに、学生の感想は「よく分かる」だった。僕は以前、「昔はプロレタリアというものがいたんだ」と、この小説を歴史として読んだけれど、今の子は「これ、自分と同じだよ」となるんですね。&lt;br /&gt;　雨宮　プロレタリア文学が今や等身大の文学になっている。蟹工船は法律の網をくぐった船で、そこで命が捨てられる。&lt;br /&gt;　高橋　そう、よく読むと、今で言う偽装請負なんだよね、あの船は。&lt;br /&gt;　雨宮　蟹工船がリアルに感じられるほど、今の若い人の労働条件はひどい。派遣で働いて即ネットカフェ難民になる例もある。今の貧困層には、いつどん底に落ちるかわからない不安があります。アパートも敷金礼金ゼロの安い物件だと、家賃滞納があればすぐ追い出され、ホームレスになってしまう。こないだも、仕事を辞めてそのままホームレスになった元正社員に会いました。バイト先もなく、親がいないから帰る場所もなくて２週間飲まず食わず。ミックスナッツだけで１０日間暮らした人もいます。友達も貧乏で、友達の家に転がり込んだら二人で一気にホームレスになったり。&lt;br /&gt;　高橋　僕を含めた上の世代の多くは、日本にこんな貧困層がいると実感できないのかもしれません。当事者の声を聞いても、「大げさだ。そこまで貧乏になるはずがない」との思いこみで否定してしまう。僕だって最初は、雨宮さんの話をプロパガンダの一種ではないかと思っていたんです。プロパガンダは、１を「１０だ！」と主張する。そのつもりで読んでいたら、実は「１が１」の話だった。相当多数の人間が「絶対的貧困」に陥っていたんですね。&lt;br /&gt;　雨宮　高橋さんは、その「大げさだ」という発想からどうやって抜け出たんですか？&lt;br /&gt;　高橋　僕自身１９７０年ごろから約１０年間、肉体労働者をしていました。特に７０～７２年には自動車工場の季節労働者でした。夜勤は２０時から翌朝８時で、帰っても疲れて何もできない。そういう労働者に「なぜスキルアップをして抜け出ないんだ」と言っても、無理でしょう。でも、その後建設現場で働いた最後のころの給料は日に８０００円。１万円を超えた時期もあったと思います。&lt;br /&gt;　雨宮　今の倍近い！&lt;br /&gt;　高橋　なのに物価は上がった。僕自身の経験に照らせば、派遣の境遇もよく理解できる。&lt;br /&gt;　当時の自動車工場では、正社員の方がむしろ絶望していたような気がします。「お前たち季節工は辞められてうらやましい」ってよく言われました。７１年ごろ、正社員の一人に「将来の希望は何ですか」って聞いたら、１０秒くらい考えて「退職だな」って返事が戻ってきた。希望は定年で退職金をもらうことで、それまでは何も考えないで過ごしていこうということだったんですね。&lt;br /&gt;　雨宮　今は逆で、季節労働者が派遣労働者に「直接雇用だから」とうらやましがられる。退職が正社員の希望だった職場で、直接雇用が派遣社員の希望になっている。そういう職場で年収５００万がほしいと。&lt;br /&gt;　高橋　ところで、今のある種の反貧困論は一つだけ問題があって、楽しくないんですよね（笑い）。&lt;br /&gt;　雨宮　確かに……。&lt;br /&gt;　高橋　息苦しい世の中と対決するのに背筋をびしっとしたい気持ちは分かるけど、思想には余裕がないとダメではないでしょうか。たとえばマルクスの書いたものだって、戦闘的だったり論理的なものばかりじゃない。ユーモアがあるものだって随分ある。&lt;br /&gt;　雨宮　今、正規・終身雇用にみんなは落ち着けない状態を前提にして、もっと明るくやる方法もあると思うんです。東京・高円寺では貧乏な若者が「家賃をタダにしろデモ」をやってます。そういう突き抜けた取り組みがある一方、多くの人が開き直れなくてどんよりしている。&lt;br /&gt;　高橋　実際、経済的にも、これからの社会を考えても暗い。けれど、社会によって暗く思わされている側面もある。それに負けてしまうのは、戦略的に見てもよくないでしょう。もちろん、格差を許していいという話ではない。でもネガティブな情勢の正確な認識と、前向きな気持ちは両立します。なにせ、プロレタリアートには失うものがないはずなんですからね。&lt;br /&gt;　◇リアリズムが帰ってきた－－高橋さん／モデルがないという「自由」－－雨宮さん&lt;br /&gt;　高橋　ほかにも、希望はあります。最近小説が面白くて、特に中心は雨宮さんと同世代の作家たちです。みんな貧乏くさいし、愚痴が多い。でもリアリズムを貫いている。彼らは厳しい状態に放り出されていて、その中で自分を確立させているから甘えがない。&lt;br /&gt;　雨宮　経済成長の時代は作家で挫折しても社会に戻れたけど、今はホームレスになるしかないので、覚悟が決まってるのかもしれませんね。&lt;br /&gt;　高橋　戦闘的だけどやみくもではなく、豊かではないけれど誰も恨んでいない。彼ら自身は直接、希望を語らないが、世界に立ち向かっている。その構えが他者に向かう場合もあるだろうし、自分だけの仕事になることもある。いずれにせよ、堂々としていると思います。&lt;br /&gt;　雨宮　今の２０代に聞くと、中学時代、「これからは１０人中２人しか幸せになれない」と教えられたと言うんです。その２人に入ろうとする人もいるけれど、全員が幸せになれないことをおかしいと思う人も増えている。これは希望ですね。ワーキングプアの現場は文学的で、人の生死をかけた言葉に出合ったり、バカみたいな優しさに直面したり。この１年くらい、「こんなに現実が面白いんだ」と打ちのめされてきました。&lt;br /&gt;　高橋　「現実が面白い」はすごいキーワードだね。もちろん、今の現実は厳しく耐え難いものなのかもしれない。でも一方で、これまでは逆に社会全体が現実離れしていたとも言えるのではないでしょうか。戦後すぐの小説にはリアルな苦しみがあったけど、高度成長期以降、抽象的な物語や絵に描いたような恋愛ばかりになった。小説だけでなく全体的に「現実」から遠ざかっていたんです。&lt;br /&gt;　「現実」が貧困と共にＵターンしてきた。僕の３０代ごろはリアリズムが古ぼけていたけれど、今はそれが面白い。リアルな人間には、境遇が悲惨でもそれをカバーする面白さがある。それが、希望かもしれません。我々は生きている以上、何かリアルなものに触れたいんです。それがネガティブなものであっても。&lt;br /&gt;　雨宮　９０年代の日本は、まだ豊かな中流社会と思われていた。私は、その退屈すぎてうだるような平和に窒息しそうだった。当時、私は貧乏だけど、自分が貧乏だと気付くことすらできなかった。それが一番、きつかったんです。今は貧しい人が「自分は貧乏だ」と言いやすい。同じ境遇の人が多いですから。その意味で、９０年代より今は「すき間」があるのかもしれない。それに００年代、「どうしたら幸せに生きられるのか」本当にわからなくなりました。それはある意味ものすごい「自由」でもある。それもまた、希望なのだと思います。&lt;br /&gt;　◆対談を聞いて&lt;br /&gt;　年金問題や食品など、偽装にまみれた昨年のキーワードは、「不安」だった気がする。社会に広がった不安の底流にある安全への希求が、貧困層など「弱者」の社会的排除につながるとの主張に、それなりの説得力を感じた。逆に、貧困層の中心として表象される若年労働者の希望を考えれば、社会全体に必要な希望も指し示せるかもしれない。そんな発想から、今回の対談を企画した。&lt;br /&gt;　そして行き着いたのは、「リアル」と「すき間」に希望を見いだすとの結論である。楽観的過ぎると思う方もいるだろう。だが、この楽観こそ、高橋さんの言う「戦略的な正しさ」ではないか。ここから、今年の議論を始めてみようと思っている。【鈴木英生】&lt;br /&gt;　◇非正規雇用の増加と賃金低下&lt;br /&gt;　高橋さんが肉体労働者だったころと比べて、今は身分の不安定な非正規雇用労働者が増えた。８４年に労働者全体の１５．３％だったのが０６年は３３％。原因の一つに、労働者派遣法（８５年制定）による派遣労働者の増加がある。日雇派遣は元々、東京・山谷などの「寄せ場」で事実上認められていたが、同法は段階的に適用範囲を広げて原則自由化した。こうして、派遣労働者の数は８６年度の１４万人から２５５万人（０５年度）に増えた。また、日雇労働者の日給は一時期１万数千円まで上がったが、今の派遣では６０００円程度の人も少なくないという。ちなみに、消費者物価は００年を１００とすると、高橋さんが肉体労働をしていた末期の７９年は約７０だった。&lt;br /&gt;＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝&lt;br /&gt;　■人物略歴&lt;br /&gt;　◇たかはし・げんいちろう&lt;br /&gt;　作家、明治学院大国際学部教授。１９５１年生まれ。８１年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。著書に『優雅で感傷的な日本野球』（三島由紀夫賞）『日本文学盛衰史』（伊藤整文学賞）『ニッポンの小説－百年の孤独』など。&lt;br /&gt;＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝&lt;br /&gt;　■人物略歴&lt;br /&gt;　◇あまみや・かりん&lt;br /&gt;　作家。１９７５年生まれ。右翼活動家、パンクロック歌手などを経験。著書に『生き地獄天国』『自殺のコスト』『悪の枢軸を訪ねて』『すごい生き方』『バンギャルアゴーゴー』『生きさせろ！』『プレカリアート』など。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;毎日新聞　2008年1月9日　東京朝刊&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2008-01-15T17:08:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_26_a77d.html">
<title>漱石を読む会 2007 年８月26日　『虞美人草』 その２ 　</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_26_a77d.html</link>
<description>　　京に着ける夕 　汽車は流星の疾（はや）きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　　京に着ける夕&amp;nbsp; &lt;br /&gt;　汽車は流星の疾（はや）きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟（ごう）と去った。&lt;br /&gt;　たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡（ひえ）と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒（はるさむ）の宵に、とく走る汽車から会釈なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯（ひ）が尽きる北の果（はて）まで通らねばならぬ。&lt;br /&gt;「遠いよ」と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫（ふる）えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合う身体（からだ）から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身（そうみ）に煮浸（にじ）み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏（さんぷく）の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽（しゅっこつ）とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日（こんにち）に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁（わきま）えぬ。汁粉であるか煮小豆（ゆであずき）であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅（すみや）かなる閃（ひらめ）きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯（ひから）びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮（ちぢ）めて京都を南から北へ抜ける。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;連載近代文学の周辺&amp;nbsp; 第九回 &lt;br /&gt; 漱石は日露戦争直前の時期の英文ノートに、地震や津波は人間に対する「自然の復讐」であると記している。人々は火山の火口のまわりで死のダンスを踊りながら、太陽がまた明日も昇ると信じて、楽しい人生だなどと言っていると言い、紳士淑女、大学教授、政治家などが、進歩や文明開化の名において、虚偽に虚偽を重ね、自然を破壊し、自然に背くことに対して、激しい呪咀の言葉を投げ掛けている。「自然は真空を嫌う。愛か憎悪か！自然は代償を好む。眼には眼を！自然は戦を好む。死か独立か！」漱石は「自然は復讐を奨励する」と言い、「復讐は甘美である」と言う。「自然に背く害虫」である人間を殺すのは、自分達の女神である「自然の法」だと言うのである。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 「自然の復讐」は地震や津波としてあらわれるばかりではない。漱石は戦争を人間の根底に潜む「野獣性」の爆発であり、文化文明に自惚れて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背いて顧みない人間に対する「自然の復讐」であると言う。しかし、人間はこの戦争をさえ、ますます美しい言葉で飾り立てる。敵に対しては最大級の侮蔑と悪罵を浴びせ、味方には最大級の美化と称賛の言葉を捧げる。この偽善性こそ限りなく人間を堕落させるのだと漱石は言う。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 万物の霊長だなどと自惚れて、現代の文化文明を賛美し、「正義」だとか「人道」だとか、「愛は神聖だ」とかと、自己の野獣性を美しい言葉で飾り立て、互いに称賛しあっている紳士淑女の偽善と自惚れに対して、漱石は激しい憎悪の言葉を書き連ねている。彼等を踏みにじるために、お前の希望や研究、お前に貴重なもののすべてを犠牲にせよ。そして、彼等がお前の足の下であえぎながら、最後の息とともに弱々しい後悔の叫びをあげるまで決して止めてはならぬ。彼等は進歩の名において、彼等よりもよきものを、彼等の堕落した水準にまで引きおろそうとしている。彼等のこの傲慢や術策の価値を彼等に知らせねばならぬ。漱石の英文のノートには、このような意味の激しい言葉が延々と書き連ねられている。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; この激しい怒りと弾劾、憎悪と呪咀、血にかわく復讐の誓いは、誰にも知られないように、自分だけのノートに英文で書かれている。この激情は直接に公然と発表することが出来なかった。しかし、それだけに一層激しく心の中で沸騰した。この激情が漱石を作家の道に駆り立てた。それは決して見破られてはならないが、どうしても表現されなければならなかった。それは芸術的に加工され、変形されて『吾輩は猫である』という独特の芸術世界を生み出した。その滑稽諧謔はこの激情の文学的変形である。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 『二百十日』の圭さんは阿蘇の噴煙を仰いで、「仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理屈だからね。ほら、あの轟々鳴って噴き出すのと同じ事さ」と言う。圭さんは「僕の精神はあれだよ」と言い、「血を流さない」「文明の革命」を主張するのである。漱石は生涯にわたって「自然の理屈」を強調した。社会現象にも「自然の理屈」が貫徹する。フランス革命が起こるのも「当然」であり、「自然の理屈」であった。人間が自己にうぬぼれて驕慢になり、自然を忘れ、自然に背き、自然を蹂躙して顧みない時、戦争が起こり、革命が起こる。漱石にとって、それは避け難い「自然の復讐」であり「自然の理屈」であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日露戦争と虞美人草&lt;br /&gt;　朝鮮・中国　ふみつぶす　藤尾　小夜子&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;[13]224 「藤尾の様な女は今の世に有過ぎて困るんですよ。気を付けないと危ない」&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 女は依然として、肉余る瞼を二重に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴しているのみである。危ないという気色は影さえ見えぬ。&lt;br /&gt;「藤尾が一人出ると昨夕の様な女を五人殺します」&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 鮮かな眸に滴るものはぱっと散った。表情は咄嗟に変る。殺すと云う言葉はさほどに怖しい。――その他の意味は無論分らぬ。&lt;br /&gt;「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」&lt;br /&gt;「動くと？」&lt;br /&gt;「ええ、恋をすると変ります」&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 女は咽喉から飛び出しそうなものを、ぐっと嚥み下した。顔は真赤になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「動けば吐く」&lt;br /&gt;「厄介《やっかい》だなあ」&lt;br /&gt;「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界｜万斛《ばんこく》の反吐皆｜動《どう》の一字より来《きた》る」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶の累《わずらい》を捨て　たるは、雲の岫を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥を超絶したる活気である。古今来を空しゅうして、東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側《こちらがわ》なるすべてのいさくさは、肉｜一重の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情けの油を注《さ》して、要なき屍に長夜の踊をおどらしむる滑稽である。遐《はるか》なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気は中々已まないものだ」&lt;br /&gt;「已まなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」&lt;br /&gt; 「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」&lt;br /&gt; 「誰が」&lt;br /&gt;「小刀細工の好な人間がさ」&lt;br /&gt; 山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;四　　甲野《こうの》さんの日記の一筋に云う。&lt;br /&gt;「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」&lt;br /&gt;　小野さんは色を見て世を暮らす男である。&lt;br /&gt;　甲野さんの日記の一筋にまた云う。&lt;br /&gt;「生死因縁無了期《りょうきなし》、色相世界《しきそせかい》現狂癡《きょうちをげんず》」&lt;br /&gt;　小野さんは色相《しきそう》世界に住する男である。&lt;br /&gt;　小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖《つつそで》を着て学校へ通う時から友達に苛《いじ》められていた。行く所で犬に吠《ほ》えられた。父は死んだ。外で辛《ひど》い目に遇《あ》った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;Ｆ｢ 支那や朝鮮なら､ もとの五分刈で､ 此のだぶだぶの洋服を着て出掛けるですがね｣ &lt;br /&gt;[1] 甲野と宗近&amp;nbsp; 東洋専門の外交官　東洋の経綸&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　｢今に人間が進化すると､ 神様の顔へ豚の睾丸をつけた様な奴ばかり出来て､ →前回Ｆ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;韓国漱石研究会講演から　過去が追いかけてくる&lt;br /&gt;　漱石の文学で「過去」が、大きな意味を持ち、作品の中心的主題になるのは、『朝日』入社直後の「虞美人草」からでした。&lt;br /&gt;　「過去」という語の使用頻度は「吾輩は猫である」２件、「坊っちゃん」０件、「草枕」１件でした。「野分」は10件ありますが、その用法は前述の通りでした。ところが、「虞美人草」になると31件で、たとえば、次のように使われています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近付いて来る。逼って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超えて、暗夜を照らす提灯の火の如く揺れて来る、動いてくる。（中略）今までは只忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮やかなるうちに、己れを捲き込んで、一歩でも過去を遠退けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤られて、動くかとは掛念しながらも、先ず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫でていた。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　忘れたい「過去」が追いかけてきて、小野さんの「現在」と「未来」をおびやかす。このテーマはさまざまに変形されて、「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こころ」「道草」「明暗」とこの後の漱石文学の中心的主題となります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;健三は自分の背後にこんな世界の控えている事を遂に忘れることが出来なくなった。この世界は平生の彼にとって遠い過去のものであった。然しいざという場合には、突然現在に変化しなければならない性質を帯びていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「道草」の直前のエッセイ「硝子戸の中」でも、当時の世界大戦と自分の病気を関連させて、「継続中」ということを言っています。ヨーロッパの戦争と同様に自分の病気は「継続中」なのだ。しかし、「継続中」のものは自分の病気だけではないだろう、だれの心の奥にも「私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいる」のではないか。もしそれが、彼らの胸に響くような大きな音で一度に破裂したらどうだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　遠い過去からいまにつづき、そして未来につづく連鎖のなかに自分はいて、自分はその過去の罪過を忘れているが、それが突然いまの問題としてつきつけられる。「夢十夜」の第三夜、背中に背負った子供が急に重くなり、「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う夢の話は、漱石の作品に形を変えてくりかえされるのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この問題はアジアに対する日本の問題だと考えることが出来ます。英国留学中、三月十五日の日記に次のような言葉があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本人ヲ観テ支那人トイハレルト厭ガルハ如何、支那人ハ日本人ヨリ遥カニ名誉アル国民ナリ、タダ不幸ニシテ目下不振ノ有様にニ沈淪セルナリ、心アル人ハ日本人ト呼バルヽヨリモ支那人と云ハルヽヲ名誉トスベキナリ、仮令然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ、少シハ考ヘテ見ルガヨカラウ、西洋人ハヤヽトモスルト御世辞ニ支那人ハ嫌ダガ日本人ハ好キダトイフ｡之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方ガ景気ガヨイトイフ御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ｡&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また、おなじ頃の断片には次のように記しています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人は日本を目して未練なき国民といふ｡数百年来の風俗習慣を朝食前に打破して毫も遺憾と思はざるはなるほど未練なき国民なるべし｡去れども善き意味にて未練なきか悪しき意味において未 練なきかは疑問に属す｡西洋人の日本を賞讃するは半ば己れに模傚し、己れに師事するが為なり。其支那人を軽蔑するは己れを尊敬せざるが為なり。　（句読点は引用者による）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　すこし後の文章でありますが、１９１１年に発表した「マードック先生の『日本歴史』」には次のように書いています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　歴史は過去を振返った時始めて生れるものである。悲しいかな今のわれらは刻々に押し流されて、瞬時も一所に〓徊して、われらが歩んで来た道を顧みる暇を有たない。われらの過去は存在せざる過去の如くに、未来のために蹂躙せられつつある。われらは歴史を有せざる成り上りものの如くに、ただ前へ前へと押されて行く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　われらはただ二つの眼を有っている。そうしてその二つの眼は二つながら、昼夜ともに前を望んでいる。そうして足の眼に及ばざるを恨みとして、焦慮（あせり）に焦慮（あせっ）て、汗を流したり呼息（いき）を切らしたりする。恐るべき神経衰弱はペストよりも劇しき病毒を社会に植付けつつある。夜番のために正宗の名刀と南蛮鉄の具足とを買うべく余儀なくせられたる家族は、沢庵の尻尾を噛って日夜齷齪するにもかかわらず、夜番の方では頻りに刀と具足の不足を訴えている。われらは渾身の気力を挙げて、われらが過去を破壊しつつ、斃れるまで前進するのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　漱石は日本がアジアの一員として、中国文化の恩恵を受けて発展してきた過去があるにもかかわらず、これを忘れ、ひたすら西洋を模倣し、中国を馬鹿にし、中国と戦って、近代国家として発展し、それを誇りにしている。しかし、その内実は軍備に追われて悲惨なものだと言っているのであります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「虞美人草」の小野さん、「道草」の健三の問題はこの日本の近代化の問題と重なり合うものがあるのではないでしょうか。それは漱石自身の問題であると同時に、日本の近代化の矛盾を示すものでもあったのです。そして、日本はどこへ行くか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　漱石の小説の主人公たちは、よみがえる過去と出会って自分自身を発見し直すのですが、日本は過去をふりかえる余裕もなしに、ひたすら、前へ前へと突き進んでいる。その日本の未来を、漱石は憂慮と不安をもって見つめ、「危ない、日本は危ない」と警告を発しているのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;19　そんな確かなもの&amp;nbsp; 42宇宙は謎&lt;br /&gt;[2] 藤尾と小野　30世界&amp;nbsp; 露西亜&amp;nbsp; 虚無党&amp;nbsp; 掏摸&amp;nbsp; 二人の世界&lt;br /&gt;　女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極《きわ》まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙《ついば》んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。→前回&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当世&lt;br /&gt;316 来る人も往く人も只揉まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸に見出して、安々と踵を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢の様に心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰す為めに皆が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションは尤も当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。只あっと云って、当世的に生存の自覚を強くする為めである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠する為めである。小野さんはこの多数の当世のうちで、尤も当世なものである。得意なのは無理もない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;392 若い女と連れ立って路を行くは当世である。只歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とは云わせぬ。今宵限の朧だものと、即興にそそのかされて、他生の縁の袖と袂を、今宵限り擦り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併べられた二つの石の引っ付く様な浅い関係ではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　百年計画&lt;br /&gt;◆森田草平宛書簡「百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ずべし」&lt;br /&gt;人若し向上の信を抱いで原事をなす時貴キ事神人ヲ超越シテ蓋天蓋地に自我ヲ観ズ。天子様ノ御威光デモ是許リハドウモ出来ン。漱石ハ喧嘩ヲスル度ニ此域ニ出入ス。白楊先生は如何&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;[16]「竹越先生が月給でも奮発すれば直ちに大学の方を辞職して腰ぬけ共を驚かしてやる。然し月給を奮発せんとあれば腰抜共を驚かす必要はない」( 松根東洋城宛) 「百年計画」を強調し、「僕のわる口を申すものが先非を後悔する迄是非長命であればよいと思う」「はやってもっはやらなくても百年後には僕丈残るのだから安心なものだ」「千駄木辺のワイく共は何しに太陽の光線を浴びて居るのか分らない。あんな奴等に空気を吸わせるのは惜しい気がする。今に漱石先生の罸でみんな鼻がつまって口がつまって屏息して死んでしまう」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;虞美人草執筆当時のノート→前回&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;[17]「食えなければ、いつ迄も（大学に）囓ｶｼﾞり付き獅噛ｼｶﾞみつき、死んでも離れない積もり」 ｢入社の辞｣ ◆朝日では月給二百円、外に年二回あわせて四カ月分のボーナス◆大学が年俸八〇〇円、高等学校が七〇〇円で、明治大学の講師◆社に顔を出すのは月に二回&lt;/p&gt;

&lt;p&gt; 1906年(明治39)11月、教師をやめて専門的に作家の道を歩き始める決意が強まった時期に、十年計画で敵を倒す積もりだったが、十年計画では無理なので、百年計画に改めたという意味のことを高浜虚子に宛て書いている。当時の漱石は｢百年の後を見よ｣ということをしばしば手紙に書いている｡&lt;br /&gt;&amp;nbsp; 朝日入社直後には、東京美術学校で「文芸の哲学的基礎」と題して講演し、｢自己が真の意味に於て一代に伝はり、後世に伝はつて、 始めて我々が文芸に従事することの閑事業でないことを自覚するのであります｡ 始めて自己が一個人ではない、社会全体の精神の一部分であると云ふ事実を意識するのであります｣と述べている。『こゝろ』や芥川等に宛てた手紙を見ると、漱石のこの考えは死を前にして、ますます強まっていたと思われる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;入社の辞　　　　　　　　　明治40年５月3日&lt;br /&gt;新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。［中略］新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差丈けである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大学では四年間講義をした。［中略］年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと去う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宣の量に適宣の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大学で講義をするときは、いつでも犬が吠えて不愉快であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相達ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校を馳あるいて、漸く其日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈けではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　学校をやめてから、京都へ遊びに行った。其地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から止き出した。是も新聞屋になった御蔭である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>伊豆利彦</dc:creator>
<dc:date>2007-08-13T09:44:59+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_22_83f6.html">
<title> 漱石を読む会 2007 年７月22日　『虞美人草』  　</title>
<link>http://tizu.cocolog-nifty.com/zakki/2007/08/2007_22_83f6.html</link>
<description>Ａ「君は日本の運命を考えたことがあるのか」